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病院の従業員用駐車場は住宅に四方を囲まれている。病院自体の影になっていることもあり、その場に立つと暗鬱さと圧迫感が感じられた。
駐車場で待てということは、浅野邦夫は車で通勤しているということなのだろう。ただ、我々はどの車が邦夫のものか知り及んでいない。
「どうする? 一時間、ここで待つかい?」
タバコを一本胸から抜き出しながら、御渦が聞く。まだ日が高いが、風は冷たい。だからといって、どこかの喫茶店などへ避難する気にはなれない。掴みかけたチャンスは、確実に手にしたかった。
「自分、しんどかったら他所に行っていてかまわへんよ。俺はここで待ってる。邦夫さんがやってきたら知らせるから」
私は、少しでも役に立ちたかった。今のところ、私はいてもいなくても同じ存在であるのだ。患者のふりをしただけだ。
私の言葉など聞こえないように、御渦は黙って駐車場を後にした。まるで、そうするのが当然である、といった顔をしていた。
自分で言い出したことであったが、冷淡な御渦の対応には落胆した。私たちは友達ではなく、仲間とも言い難い。強いて言葉を当てるならば『連れ』であろう。それでも、最低限の人間同士の付き合いというものがあるはずだ。
気落ちは体にも伝わる。立っていることが辛くなり、私は崩れるように近くに止まっていた黄色いワーゲンへもたれかかった。
建物に囲まれた圧迫感から解放されるため、私は空を見上げる。そこにしか逃げ場がない気がしたのだ。今にも落ちてきそうなほどの曇り空がそこにあった。視点の置き場としてその空は心地良かったため、しばらく顎を突き出した姿勢で見上げていた。
「面白いものでも見えるのかい?」
私の視界に、御渦が強引に侵入してきた。背の高い御渦には、空を見上げる私を上から覗き込むことが容易にできたようだ。
「なんや、近くに店がなかったんか」
すねた子供の口調で私は言う。
御渦はただ微笑んで、缶コーヒーをワーゲンの上に置いた。どうやら私にくれるものらしい。
無言のまま、御渦は自分の缶のプルリングを起こす。乾いた音は、静かな駐車場によく響いた。
私も口をつけ、ぐいと飲む。熱く、苦いコーヒーだった。偶然にも、私が常に好んで買う銘柄だ。
私たちは数分の間一緒にワーゲンに寄りかかり、黙って缶コーヒーをすすっていた。
「なあ、さっき看護婦と何話とったんや」
沈黙に耐え切れなくなった私が、先に口を開く。
「知りたい?」
御渦はいたずらっぽく笑った。
「浅野邦夫の評判を聞いてきたんだ」
コーヒーを飲むことで一息つき、一瞬和んだ空気が生まれていたが、私は殺人事件の真相を知るためにやってきたことを思いだした。
「それで」
と御渦と促すと、彼はタバコを咥えながら話しはじめる。
「そうだね、時間はたっぷりとあるから、今のうちに話しておこうか。僕は、計三人から話を聞いてきた。君が廊下で見た看護婦さんを含めて三人だ」
タバコに火を点けて、御渦は続ける。
「結論から言うと、浅野邦夫という人物の評判は賛否両論だ。真面目な医師だという人もいれば、短気で付き合い辛い、医師としては不適切な人格だという人がいる。支持する人と、批判する人にはっきりと分かれるんだ。これが、どうゆう意味を持つか分かるかい?」
「そりゃ、単に敵と味方がいるというだけの話とちゃうんかな」
「その通り。浅野邦夫には敵と味方がいるんだ。もっと言うと、彼には敵と味方しかいない。僅か数人の話で判断することは危険だが、その可能性は高いと思われる」
一息付き、御渦は残っていたコーヒーを呷る。
「そんな、敵と味方しかいないて、おかしいやないか」
「そうさ、おかしいんだ。世の中、敵と味方だけじゃない。むしろ、どちらでもない存在の方が多いのが普通だ。例えば、君と僕は敵でも味方でもない」
私は、一瞬の間を置いて頷いた。
「つまり、浅野邦夫さんは、人格に問題があるということやな。敵が多いということは、そうゆうことやろ」
「そうとも言い切れない。先も言ったけど、彼には彼を支持する人も多いんだ。邦夫を神様みたいに崇めている、若い研修医もいるようだ。今時点の情報で、彼の人格に問題有りの烙印を押すのは早過ぎるだろうね」
「せやけどそれ、邦夫さんの性格に問題あるなしが、今回の事件となんか関係あるんか?」
私が言うと、御渦は弾けたように反応し、カラカラと笑い出す。
「おい、忘れたのか? 君は、浅野沙耶以外の誰かが犯人ならばそれで良いのだろう。関係者の一人に人格上の問題があるならば、浅野沙耶に有利に働くかもしれないんだぜ。それがたとえ、実の兄でもね」
私は言葉を失った。
とても、自分が罪深い存在に感じられる。まだ私は何もしていないのだが、他人の大切な場所に土足で踏み込んでいる、そんな気がする。
「邦夫のことは、彼がここにきて、僕らと話す時間をとってくれれば分かるんじゃないかな。まあ、とりあえず待とうか」
私と同じようにワーゲンに体重を乗せ、御渦はぷかぷかとタバコを吹かす。
私も残ったコーヒーを飲み干し、また空を見上げた。
そこから約一時間、我々は互いに一言も喋らなかった。




