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シーン 1

 この作品は過去に執筆した作品を加筆およびリメイクした物語です。


 登場する人物・団体等はフィクションですが、一部登場する道具等は実際の名前をそのまま流用しています。

 

 万が一、著作権に害を及ぼす影響がある事柄が発見された場合、内容を変更することがございます。

 発見された方は速やかにお知らせください。


 原則転載禁止です。万が一使用する際は必ずご相談ください。

  フィロソフィア(哲学)とは、古代ギリシアにおいては学問一般を意味する言葉だった。

 それが近代における科学技術の分化・独立によってさまざまな形にわかれ、人生の根本原理を追求する学問となった。

 僕自身、この言葉の意味を正確に理解しているかと問われればあまり自信はないが、毎日の生活の中で自然と触れあい身近に感じている。


 これは昔からの癖なのだが、たまにぼんやりと空を見上げながら現実世界の常識では考えられない妄想をすることがあった。

 それは、おとぎ話やゲームの中のような「剣」と「魔法」が支配する世界。

 こんなことを考えるようになったのは昔観たファンタジー映画の影響だ。

 そこに登場した主人公は大勢の仲間の力を借りて世界を恐怖に陥れる魔王を討つという物語だった。

 物語そのものはありふれたモノだったが、当時の僕にはいつかそんな世界に行って見たいと思わせるほど衝撃的な内容だったことをよく覚えている。


 ただ、現実は思っていた理想の世界とは違っていた。

 僕は今、何故か見知らぬ異世界の片隅、毛足の短い草原地帯に一人佇んでいる。

 手には鈍色に光る小型の拳銃が一丁あり、普段から着慣れた体操服のジャージという出で立ちで。


 手にしている銃には見覚えがあった。

 これは仲間たちとサバイバルゲームをするために近所のプラモデルショップで買った“M1911”通称「コルト・ガバメント」と呼ばれる自動拳銃だ。

 この銃自体は特別珍しいものではない。

 その名前の通り、1911年からアメリカ軍の制式拳銃として採用され、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争で実際に用いられた。

 また、軍からの「一発でも敵の動きを止められるだけの威力が欲しい」という要望に応えた結果、いつしか兵士の間では「ハンド・キャノン」の愛称でも呼ばれるようになり民間人にもファンは多い。

 しかし、元々遊びの道具として購入したモデルガンとは違い、実際に手にしているのは紛うことなき実銃だった。

 

 この拳銃にはいくつかの不可解な点がある。

 まずは重さ。

 実際のM1911を手にしたことがないので比較は難しいが、愛用していたモデルガンの重量よりも遥かに軽かった。

 その重さは自動販売機で売られている缶コーヒーと同じか少し軽い程度。

 もう一つは本物の“.45ACP弾”、つまり実弾を発砲すること。

 試しに地面に向けて引金を引いてみると、耳の奥にまで届く乾いた発砲音とともに勢いよく弾が飛び出し、砂埃を巻き上げて地面の奥深くへと潜り込んでいった。

 こんな物が身体に当れば動けなくなるばかりか、当たり所が悪ければ命さえ落としてしまうだろう。

 

 驚いたのは撃った時の衝撃がなかったことだ。

 海外のアクション映画を見ていても銃を両手で持ち、しっかりと固定して発砲する姿をよく目にする。

 これは撃った時の反動を少しでも抑えるためのもの。

 しかし、この銃にはその必要がなく片手でも扱えるほど気軽に発砲できた。

 これなら何発撃とうと腕を痛める心配はない。


 おまけに弾倉には特別な魔法がかかっており、何発撃っても決して弾切れになることはなかった。

 試しに弾倉を取り出して確認してみると、撃ったはずの弾はすべて元通りになっている。

 ここへ来る前にかいつまんで聞いた説明によると、銃そのものに自空間を歪める魔法がかけられており、無制限に弾を発射できるのだとか。

 銃身に使われている素材は「オリハルコン」と呼ばれる宇宙一硬い金属で、その特性上オリハルコン同士か魔法でしか加工や破壊することはできない。

 つまるところゲームの世界で言うなればチート武器というべきか。

 使用するにあたっては基本的にモデルガンと扱いは同じだが、弾倉に弾を装填する必要がなく、魔法の力で常に最適な状態が保たれるためメンテンナンスフリーとなっている。

 表面の汚れが気になるようであれば塗れた布でふき取る程度でいいそうだ。

 また、何故ジャージ姿なのか、この点については情報が少なすぎてよく分かっていない。


 一通り拳銃についての考察が終わったところで少し冷静になって現実と向き合ってみることにした。 

 僕がこの世界に迷い込み何故拳銃という物騒なものを手にしているのか今一度思い返してみる。

 記憶に残っている範囲で言えば、最後に覚えているシーンは体育の授業中だったはずだ。

 選択科目のソフトボールの真っ最中で時刻は正午過ぎ。

 普段なら昼食が終わったあとは決まって眠たくなることだが体育の授業に限ってはそんなことにはならないから不思議だ。

 僕は試合中で二度目のバッターボックスに入りバットを握っていた。

 元々、小学生の頃には地元の軟式野球チームに所属していたので、バッティングにはそれなりに自信がある。

 前の打席も一塁打を放って出塁していたので、手応えも感じつつ心地いい緊張感が満ちていた。

 そんなこともありこの打席でも出塁してやろうと、甘い球を待ちながらフルカウントを迎えた。


 相手チームのピッチャーは僕を打ち取ればチェンジという場面で、先ほど被安打を浴びていることもあり配球は慎重だ。

 おまけに現役の硬式野球部ということもあり、部活生のメンツから是が非でも僕に勝ちたいという思いが伝わってくる。 

 そして何度かの投球でようやく僕の苦手なコースを把握したらしい。

 ちなみに苦手なコースはインコースの高め。

 わかっていても何故か手が出てしまい空振りをしてしまう。

 思い切り振り抜いているので当たればヒットは間違いないのだが、当たらなければ無様にバットが空を切るだけだ。 


 ピッチャーは緊張した面持ちで呼吸を整えると、キャッチャーとアイコンタクトを交わしボールを握り直して投球の姿勢を見せた。

 ソフトボール独特の下から放り投げる投球は素人が簡単に真似のできるものではない。

 僕も何度が挑戦したことがあるが満足のいく投球には至らなかった。

 ピッチャーは渾身の力を込めて球を放る。

 緊張からか肩に力が入っているのがわかった。

 そうして投じられたらボールは寸分の迷いもなく顔面に向けて一直線に飛んでくる。

 力が入りすぎて手元が狂ってしまったらしい。

 

 これで出塁ができる。

 冷静な中にも心の中は勝負に勝ったことを誇らしく思っていた。 

 そんなことを思っている最中にもボールは顔面に向けて迫ってくるのが見える。

 この間コンマ数秒の世界。

 きっといつもの僕なら避けるなりして直撃だけは免れていただろう。

 動物的な本能が働けば危険から身を守るのは当然のことだ。

 しかし、その時は何故か向かってくるボールがスローモーションに見えた。

 頭では理解しているので咄嗟に逃げようと試みたものの、身体は金縛りにでもあったように微動だにしない。

 次の瞬間には顔面に激痛が走り視界が暗転して意識がなくなっていた。

掲載間隔はストックが続く限り毎日を予定しています。

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