しもやけびとと傍観者。
青から藍色へと変わっていく夕空の下、俺はベンチに座っている。
唯一あった滑り台が撤去され、最早公園とは言えない狭い場所。静謐な空気が漂う中、くたびれた自販機だけが俺の方を向いている。
北よりの乾いた風が、この空間を何度も通り抜けていく。手が少しずつ悴んできていた。
温かい飲み物を買おうと立ち上がり、自販機と向かい合う。ディスプレイが色あせているのを見るに、長い間放置されていたのだろうか。まるで誰かから待ちぼうけをくらい、ふて腐れているようだ。
一番上、左端の缶コーヒーを選ぶ。この季節にお似合いの、深い青色のラベル。
「あちちっ」
熱をもった缶が、手と手を何度も行き来する。
目の前の直方体が、光のない眼差しで俺を見下す。それを尻目に、ベンチの方へ戻った。
再びベンチに腰を下ろした時、右手に違和感を覚えた。中指の第二関節のあたりが赤く腫れていた。
握りこぶしを作ってみる。中指が上手く曲がらない。しもやけができていた。
「今年も、できちゃったな……」
これで十八年連続……らしい。
この赤い悪魔は、俺が生まれた年からこの手足に巣くっていたそうだ。
皮膚科で処方されるビタミン剤や保湿剤も、あまり役に立っていない。
「お風呂に入るとき、半身浴が健康にいいって言うじゃない? でも、寒い時期は別の方法がいいんだって」
以前、未来がそんな事を言っていた。
「四十一度のお湯に、胸あたりまで浸かるのがいいんだよ。十分間そうするだけで、お風呂あがりも体の熱が逃げにくいんだって」
「半身浴が必ずしもいいって訳じゃないんだな」
そうなのですよ、と鼻高々に話す未来。
「一度試してみてよ。効果あったら教えてね。約束」
「ああ、分かったよ」
その時はさすがに、同じテレビ番組を観ていたとは言えなかった。そして、その約束を果たせないまま今に至る。
未来との思い出。
憧れの彼女に告白してからの数ヶ月間。当時の胸の高鳴りをピークに、これといったイベントは起きていなかった。
学校で他愛のない話をする。
帰り道、歩きながらとりとめのない話をする。
たったそれだけの行為。それが俺の心を温めてくれたのは事実だ。でも、それ以上前に進めない自分が歯痒かったのも、また事実。
思い出は温かい。でも、思い返した後の虚しさは心の温度を急激に下げる。
「……寒いなぁ」
さっきまで必要以上に熱かった缶コーヒーも、すっかり冷えてしまっていた。
冬という季節は、こんなに寒かっただろうか。
手だけでなく、心まで悴んでしまいそうだ。
いい加減、自分の悲観的な思考にうんざりしてきた。
澄んだ空気を鼻から吸い上げる。そしてゆっくりと、お腹の底にたまった雑念を吐き出す。
様々な思いは、一瞬白い姿を見せた後、儚く散っていった。
最後に残った思いを口に出してみる。
「でも、今日からはちがうさ」
「お待たせ」
俺と自販機の間に立つ、一人の女の子。セミロングの黒髪が風を受けて揺れる。
「俺も、今来たところだよ」
彼女を気遣ってか、格好をつけてか、嘘をつく俺の口。ただ、手は正直だった。
「手、震えてるんだけど……。しもやけ人さんなのに、待たせちゃってごめんね」
「あ……。その、俺が勝手に早く来ちゃっただけだからさ」
未来の円らな瞳は、申し訳なさと照れくささの間で迷っているように見えた。
「今日は、渡したいものがあるんだ」
「うん。知ってる それが楽しみで、今日は手袋してないんだよ」
「えっ? な、なんで……知ってるの?」
目をぱちぱちさせながら狼狽える姿が、何だか微笑ましい。
「前に君が言ってたんだよ? 忘れた?」
覚えてません、と口を尖らせる幼い顔。どうやら、彼女の口が勝手に滑っていたらしい。
「こほんっ。……では、はい」
未来は咳払いを一つして、紙袋を差しだす。
俺もベンチから腰を上げ、丁重にそれを受け取った。
「見てもいい?」
「うん……。どうぞ」
口元が緩むのを必死に抑えながら、袋の中身を取り出す。彼女の口の宣言通り、ニットの手袋だった。
「これで、しもやけも治っちゃうから」
大見得を切りながらも、顔をピンク色にほてらせる未来。なぜか身体を左右に揺らしている。
両手に伝わる温もり。そのお礼に、言葉では間に合わないような気がした。
――ありがとう。
結局そう言えたのは、小さな身体を抱きしめた後の事だった。
視界が変わっていく。気づけば、唯一の傍観者である自販機が、その身に明かりを灯していた。
「にくい演出するなぁ」
「え? どうしたの?」
「ううん。何でもない。じゃ、行こうか」
「うん」
未来と手を繋ぎ、ゆっくりと前へ歩き出す。
ただいま、十七連敗中。また、しもやけから手を守ってやれなかった。
でもこれから、今からでも遅くない。
今回は、心くらいは守れそうだ。