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聖夜の喫茶店

作者: 遠野夏妃

今日はいつもより仕事が早く終わったため、私は街を歩いていた。

会社を出て駅まで歩いていくのだが、今日はいつもよりか恋人たちの姿が多かった。

駅前の、綺麗に彩られたイルミネーションを眺めながら、私はふと妻と初めて出会った時のことを思い出した。

そういえば、妻と初めて出会った日も今日と同じ日だった。


× × ×


当時、高校二年生だった私は遊ぶ暇などなく、勉強に追われる日々を過ごしていた。

学校で出される課題は多く、予備校にも通っていた私にとって、自由な時間というのはなかなか得られるものではなかった。

そんな生活を送っていた私には、唯一の楽しみがあった。

それは読書である。

忙しい合間を縫って、読書をすることが私にとっての楽しみだった。これは今となっても変わらない。

月に一度、予備校の帰りに本屋へと向かい、目に止まった本を一冊購入した。

私は当時から濫読家であったため、選ぶ本は新書であったり小説であったりと様々であった。

月に一冊のペースで本を読んでいた私は、当時の十二月二十四日に本屋を訪れた。

 街中には手を繋いで寄り添う恋人たちの姿が多く見えた。

 思春期真っ只中であった私は、当然異性に対する興味というものは少なからずあったように思う。しかし、当時勉学に励んでいた私は恋人たちを見て羨むことはあったが、自分に恋人が欲しいという気持ちはあまりなかった。

 学校のクラスメイトである友人たちの多くは、恋人という存在を欲していたと思う。当時の友人たちとの会話は、主に同じクラスの女子や美人で評判の三年生の先輩の話などであったからだ。

 私は、会話に入ることはあっても、あまり個人について言及するようなことはなかった。それは、個人について言及すると、囃し立ててくるであろう友人たちの行動が目に見えていたからである。

 本屋に入ると、私はとりあえず店内を回ることにした。新刊コーナーを見て、気になる本がなかったため、そこからいつものように色々な棚を見て回った。私が本屋で買う本というのは、大抵ふと目に止まったものであることが多い。好きな作家の新刊を買うといったことではなく、色々な本棚を見て回り、ふと目に止まった本を買うのである。本に対して好き嫌いをしない性格であるため、この本は外れかもしれないといった心配はなかった。

 街中にある本屋だけあって、地元の本屋よりも広く、本の種類も豊富だったため私はこの本屋を気に入っていた。

 今日はクリスマスであるためか、店内にいる人の数は少なかった。

 私はじっくりと本を選んでいた。そして、ある一冊の本が目に止まり手に取ろうとした。

 すると、私が伸ばした手が、誰かの手と当たってしまった。

「すいません」

 私はとりあえず謝罪して、手を引っ込めた。

「こちらこそ、すいません。……あれ、もしかして寺山くん?」

 突然自分の名前を呼ばれ、驚いた私は顔を上げ、手の触れた主を見た。そこには、友人たちの会話によく登場する先輩の姿があった。

「青山先輩ですか? というかなぜ自分の名前を知っているんですか?」

 美人で有名な青山先輩は、肩ほどまで切り揃えられた艶やかな黒髪を揺らし小首を傾げて私を見つめてきた。

「寺山くんって、よくこの本屋に来てるでしょう? 私も実はここによく来るんだ。それで学校でも見かけたから……」

 青山先輩は、頬を赤く染めて下を向いた。その反応に困惑した私は、どうすすればいいかわからずとりあえず会話を繋げることにした。

「先輩、この本どうぞ」

 私は、先ほど私と先輩が取ろうとしていた本を先輩に渡した。

「いやいや、悪いから、これは寺山くんに譲るよ」

 何が悪いのかよくわからなかったが、先輩が必死になって押し返してくるので受け取ってしまった。

 どんな本だったかは、よく覚えていないが、当時の社会問題について述べられた新書だったと思う。

「僕この本手にとってみただけなので、先輩に譲りますよ」

「いいの?」

 先輩は下から覗き込むように、私の顔色を伺ってきた。美人で有名なだけあり、綺麗に整った顔立ちをした先輩が近づいてくると、私は胸の鼓動が早くなるのを感じた。私はなんとか平静を装いながら、先輩に言葉を返した。

「ええ、どうぞ」

 少し詰まりながらだったが、なんとか言葉にすることができた。男が美しい女性に話しかけられた時に、どぎまぎしてしまうのは世の常だと思う。

「ありがとう」

 私の苦悩を知ってか知らずか、先輩はほのかに頬を朱に染め、微笑んだ。先輩の笑顔は、まるで暖かな太陽のようだった。

 先輩に本を譲り、特に話すこともなかったので、私は再び本選びに戻ろうと、先輩に声を掛けた。

「それじゃあ、僕はこれで」

 そう言って、先輩に背を向け歩き出そうとしたとき、不意に私は先輩に呼び止められた。

「あの、寺山くん」

 振り返ると、そこには先ほどよりも頬を真っ赤に染め、下を向いている先輩の姿があった。

「このあと時間空いてないかな?」

 一瞬、言葉の意味を理解できなかった。先輩は相変わらず俯いていた。

「あ、あの、その……」

 返事が返ってこず、不安になった先輩の言葉で私は現実へと引き戻された。

「時間なら空いてますけど」

 私の言葉を聞くと、先輩の顔には笑が浮かんだ。

「それじゃあ、お茶でもどうかな?」

 先輩の笑顔がとても眩しく見えた。


 本屋を出ると、雪が降っていた。空はもう暗くなっていたが、街の光を受けた雪はとても綺麗なものに見えた。

 私は先輩に連れられて喫茶店へと向かった。道中、先輩は私の腕に腕を絡めてきた。先輩の行動に驚きはしたものの、私から腕を解くことはなかった。

 たどり着いたのは、路地裏にある、物静かな雰囲気のした喫茶店だった。中に入ると、私と先輩はテーブル席に向かい合って座った。店内には、程よい大きさの、どこかで聞いたことがあるクラシックが流れていた。

「コーヒーを二つください」

 先輩はメニューを見ずに、注文をした。注文を受けた店主の様子を見ると、どうやら先輩はここの常連らしい。

「あ、コーヒーで大丈夫だったかな?」

 先輩は、慌てたように私に聞いてきた。私は、先輩に話しかけられてからずっと緊張していたのだが、先輩の慌てる姿を見ると、なぜだか少し落ち着きを取り戻した。

「大丈夫です。先輩って、ここによく来るんですか?」

「うん。よく、勉強しに来てたんだ」

 先輩の言葉で思い出したが、先輩は受験生である。しかし、勉強しに来ていたという過去形の言葉に私は疑問を覚えた。

「先輩はもう大学決まったんですか?」

「私、推薦で決まったよ」

 もう大学が決まっているなら、なぜこんな時間に一人でいたのだろう。私の頭には、先輩に対する疑問が溢れかえっていた。

「大学が決まったのなら、先輩は遊んだりしないんですか?」

「私にはやり残したことがあるから、それをやり遂げるまでは遊べないんだ」

 先輩は笑っていた。先輩の笑顔は相変わらず眩しいほどに綺麗だった。

 コーヒーが運ばれてきた。私と先輩は、一旦会話を中断すると、コーヒーの香りを楽しんだ。

 私がコーヒーに砂糖を入れようとすると、先輩は不思議そうに話しかけてきた。

「砂糖入れるんだね」

「僕、甘いもの好きなんですよ。それに、コーヒーだけで飲むのなら、わざわざブラックのまま飲もうとは思いませんしね」

「寺山くんって、甘いもの好きなんだ。なんか意外だな」

 何が意外なのだろうか……。私は一瞬砂糖を入れる手を止めてしまった。

「意外……ですか?」

「寺山くんって、大人ってイメージだったから」

 先輩の中では、ブラックのままコーヒーを飲むことが大人なのだろうか。

「別に、砂糖を入れるのがおかしいって言ってるんじゃないよ。ただ、寺山くんってほら、休み時間とか結構本読んでるときとか多いでしょ? だから、なんとなくそんなイメージがあって……」

 私がどう返事をするか迷っていると、先輩は慌てたように弁解してきた。そして、私は今の先輩の話に、また疑問を持った。

「なんで先輩が僕の休み時間の過ごし方を知っているんですか?」

 先輩はどうやら言葉に詰まったようだった。何かを言おうとしては、口を閉じて考え込んでいる。沈黙に耐え切れなくなった私は、話題を変えることにした。

「コーヒーそろそろ冷めてしまいますよ」

 特に話すこともなかった、いや、緊張して話題が見つからなかった私は、気の利いたことが言えなかった。

「そ、そうだね」

 先輩は自分の分のコーヒーに口をつけた。少々焦っているようにも見えたが、先輩がコーヒーを飲む姿は、どこか気品を感じた。

「苦い……」

「先輩、砂糖いりますか?」

 私と話していたせいか、先輩は砂糖を入れ忘れていたようだ。

「ありがとう」

 ブラックのままコーヒーを飲むことが大人なら、先輩は案外子どもなのかもしれない。

「ちょっと、なんで笑ってるのよ」

「先輩も砂糖入れるんだなって、思いまして」

 私は正直に答えた。すると、先輩の顔はまたしても朱に染まった。

「別にいいでしょ……」

 先輩は、砂糖を入れるとコーヒーを口にした。今度は苦くなさそうだ。そして、私もコーヒーを飲んだ。口にした瞬間、ほのかな甘味とコーヒー本来の苦味が口に広がった。なかなか美味しいコーヒーだった。先輩がカップを再びテーブルに置くと、私はさっきと似た質問を先輩にしてみた。

「先輩って、どうして僕のことそんなに知ってるんですか?」

 今考えると、この意地悪な質問だったと思う。しかし、当時の私には、この質問でしか先輩との会話を紡ぐことはできなかった。

「寺山くんのことが気になったから」

 そう言うと、先輩は俯いてしまった。私はどう返したら良いかわからなかった。

「えっと、その……」

 私は何とか会話を続けようとしたが、うまく言葉が出てこなかった。

 すると、先輩は恥ずかしさに耐えられなくなったのか、急に席から立ち上がると、テーブルの上に千円札を置いた。

「コーヒーは、私の奢りだから。今日はその、付き合ってくれてありがとう、寺山くん」

 先輩はそのまま店を出て行った。残された私は、立ち上がった時に見えた先輩の顔が頭から離れなかった。

 テーブルには、まだコーヒーの残ったカップが二つ置かれていた。


× × ×


今思い返すと、当時の妻は恥ずかしがり屋だったのだと思う。今では、何を言っても澄ました顔をしている妻だが、たまに見せる笑顔はやはり眩しくて綺麗だ。

付き合うまでの経緯は、案外長かった。私より一足先に大学生になった妻は、受験生だった私に勉強を教えてくれた。勿論勉強場所は、例の喫茶店であった。そして、色々あったが私が大学に合格すると同時に付き合い始めた。


そして、今私は例の喫茶店の前に居る。予定より早く着いたが、妻はもう待っているだろうか。店内に入った私を待っていたのは、あの時より大分老けた店主と、あの時と変わらない眩しくて、とても綺麗な先輩の笑顔だった。


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