02:夢から覚めたら
「ん・・・もう、朝?」
壮大な夢を見ていた気がする。
眠る前に白雪姫の妄想なんかしたからだ、と思いながら若葉は寝返りを打つ。
それにしてもいい夢だった、とまだぼんやりしている頭で思い出す。
夢にしてはリアルに覚えている風の香りや、抱き上げられた腕の強さを脳内再生しつつ、少しずつ夢から抜け出そうと若葉はもう一度寝返りを打った。
「・・・・あれ?」
私のベッドって、こんな柔らかかったっけ?私のベッドって、こんな広かったっけ?私の部屋って、こんないい香りしたっけ?
意識が覚醒するに従って、違和感が増幅し、恐る恐るまどろんでいた瞳を開くと、そこは見慣れない部屋。
女子なら一度はあこがれる天蓋付きの寝台の上で起き上がった若葉は、豪華絢爛、とまでは行かないものの明らかに一般庶民の家とは作りの違う作りの部屋を見回した。
大きな窓から差し込む光は優しく、花瓶に飾られた色とりどりの花からは甘い香りが部屋中に広がっている。アンティークショップで見かけた事があるような猫足のソファーは品の良いワイン色で、テーブルの上には見慣れない果実とピッチャーに入った飲み物が置かれていた。
寝台から降りようとした若葉は自分が裸足である事に気付いて部屋を見回し、次いで、自分が明らかに自分の持ち物ではない夜着を纏っている事に気付いて青ざめた。
『リアルな夢』が夢ではなかった、と仮定するなら、あの時若葉は自分の作った白雪姫風ワンピースを着て、ニーソに編み上げブーツを履いていた。
自分ではない誰かがご丁寧に着替えさせてくれた、と感謝すべきなのか、今現在も夢の続きなのか、もはやどう思考するのが正しいのかさえも分からなくなった若葉が半ば途方にくれながら寝台の上でぼんやりしていると、音もなく扉が開いた。
「・・・気がついたのか。」
耳に心地よい声にハッと顔を上げた若葉は自分の格好が恥ずかしくてシーツを手繰り寄せて上半身を隠す。
「えらく警戒されたものだ。助けてやったと言うのに。」
ゆっくりと寝台に歩み寄ってくるアルジュに若葉は返す言葉を見つけられずただその端正な顔を見つめる。
「・・・助けた、と言うと聞こえが良すぎるか。拾ってやった、が正解だ。」
アルジュはそう言いながら寝台脇まで来ると、広い寝台の端に腰を降ろして事態が飲み込めずにぼんやりしている若葉ににやり、と意地悪な笑みを向けた。
「この国の王に拾われたんだ、光栄に思え。俺様の侍女にしてやる。」
「・・・・・え?」
「いつまでも間抜け面してないで、さっさと着替えろ。それとも・・・昨夜のように着替えさせて欲しいわけか?」
イケメンは意地悪な事を言って意地悪くにやにや笑ってもサマになるんだな、と他人事のような考えが脳裏をかすめたが、アルジュの放った言葉は若葉の羞恥心を最大級に引きだした。
「ま・・・まさか、着替えって、あなたがっ・・・!」
耳の先まで真っ赤になった若葉を見てアルジュは楽しげに笑い、冗談に決まっている、と一蹴した。
「俺がやったのは、ガキみたいにシーツを蹴飛ばして寒そうに丸くなっていたお前にシーツをかけてやったくらいのものだ。感謝しろ。」
「なっ・・・・!」
寝相が悪い事は自覚しているだけに、アルジュの言葉は真実としか思えず、若葉は言葉に詰まった。
「それにしても、姫の癖にどうしようもないヤツだな。さっさと支度ろ。仕事をくれてやる。」
あまりの上から目線に、若葉の負けず嫌いな心に少しずつ反抗心が芽生え、イケメンすぎて思わず見惚れてしまう事や、いい声すぎてずっと聞いていたくなる自分を押さえて睨み返した。
「私は姫じゃないし、あなたに助けてほしいなんてお願いした覚えはありません!それに、あなたみたいな中二病に仕事をもらうなんてお断り!
耳とか尻尾とかつけちゃって、日本人のくせに変な名前なんか名乗っちゃって!イケメン過ぎて見惚れてた私も私だけど、こういうの、拉致って言うんじゃないの?私みたいな一般庶民を拉致っても何の役にも立たないと思うけど!」
突然怒り出した若葉の言葉を驚いた顔で聞いていたアルジュだったが、お前の言葉は理解できない、と興味深そうに身を乗り出した。
「言葉の意味を教えろ。チュウニビョウとは何だ?」
ニホンジン、イケメン、の意味も分からない、と言う、中二病にしてはあまりにも超越しすぎているし、新しい言葉を知りたい、と言う好奇心に満ちた瞳が偽りとは思えなかった。
「それ・・・真面目に言って・・・ますよ・・ね?」
恐る恐る問いかける若葉に、アルジュは頷いた。犬が嬉しい時にそうするようにぱたぱた、と尻尾が揺れている。
「って・・・リアル尻尾?!えぇ?!マジで?!」
これは夢だ、と若葉は結論付けた。リアルすぎるけれども、現実にはあり得ない。それならば犬耳のイケメンともっと仲良くなってあまあまな演出とかあってもいいんじゃないの、と妄想した若葉はおもわず頬が緩んだ。
「あの・・・触っても?」
夢だと思えば怖いものなど無い。見るからに柔らかそうな耳と、ふさふさしている尻尾に触れたいと言う衝動を抑えられなかった。
「・・・触れてもいいが、代償は大きいぞ。」
「代償、ですか?」
それにしてもイケメン、と若葉は思う。自分の妄想が産み出した夢と分かっていても、これだけ完璧に再現できるなんて我ながら自分の妄想力が恐ろしくなる。
「ああ、俺たち狼族にとって耳も尻尾も、己の存在を示す大切な物。それに・・・」
アルジュはそこで言葉を切り、意味ありげににやりと笑って若葉の耳元で囁いた。
「ものすごく敏感なんだ。触れてもいいが、優しく触れよ?」
そして、若葉が何か言うよりも先に、その尻尾の先で若葉の頬をくすぐった。
「さて・・・代償に何をもらおうか・・・。」
ふわふわ、と尻尾で若葉の頬を撫でながら、アルジュは心底楽しそうな笑みを浮かべる。
「俺の大切な物を触らせてやったんだ…。お前も相応のものを差し出すがいい。」
「なっ・・・!」
アルジュとの近すぎる身体の距離に、若葉の妄想力が爆発する。
夢の中だからって、私この超イケメンにこのまま押し倒されて禁断の領域に行ってしまうの?でも、夢だし別にそうなっても・・・。
よからぬ事を妄想した若葉が一人頬を緩ませていると、アルジュはくくっと喉の奥で笑って若葉に顔を近づけた。
「怒ったり焦ったり笑ったり、一人で忙しい事だな。まぁ、期待しているのなら、叶えてやらんこともない。」
すっと近づいた端正な顔に、夢だと割り切ったはずの若葉の女としての防御本能が目を覚ます。
「なっ・・・!何するつもりなんですかっ!!この変態中二病っ!」
よく考えなくても、パジャマでベッドの上で、ほぼ初対面の男子と会話をしている時点で異常事態なのに、その上あんなことやこんなことをしそうになっているなんて乙女として失格だ、と若葉は心の中で思いつつ、アルジュと距離を取ろうと寝台の上に立ちあがった。
勢いよく立ちあがり過ぎた若葉は寝起きと言う事もあり、貧血にも似た立ちくらみに襲われて倒れこんでしまった。
「王に対する口のきき方には気をつけろ。・・・まだ顔色が良くないな。取って喰いはしない。ゆっくり休め。」
ぐらぐらと揺れる視界にうずくまっている若葉にアルジュはそう言葉をかけ、部屋を出て行った。