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にぎやかなレストラン

作者: 美月 純

それほど怖くはありませんが、ちょっと奇妙なお話です。

「今日も暇そうですね。マスター。」

「ん?あ、あー。今何時だ?」


「もうすぐ12時です。」

「そ、そうか・・・。」


この街に来て2年、1年前にようやく念願の「自分の店」を持つことが出来た。

小さいが、味には自信がある洋食屋だ。

しかし、なかなか評判が上がらない。

正直どうすればいいかわからなくなっている。


妻にも、あと半年続けて良い結果が見えなければ、次の仕事を考えて欲しいと最後通告をされている。

当然、生れたばかりの娘のためにも、何とか成果を挙げたいと思っている。


「マスター、今日のランチは予定通りハンバーグランチとチキンカツランチでいいですか?」

バイトの健志が確認してきた。


「あぁ、それでいこう、いい鶏肉も入ったし。」


しかし、平日のランチ時だというのに、いつも客はまばら、近くには結構オフィスもあるのに、客足は遠い。


カラーン


「いらっしゃいませ!お一人様ですか?どうぞこちらのお席へ。」


見るとちょっと暗そうな女が入ってきた。


しばらくして健志が、水を出し「ご注文は?」と尋ねたが、メニューを眺めてるだけで反応がない。

「あ、では、お決まりになりましたら、お呼びください。」

そう言って席を離れたが、それから5分くらいメニューを眺めているだけで、一向に注文をしようとしない。

はっきり言えば、ランチメニューは3点しかないので、選択にそれほど迷うことはないはずだが・・・


もうすぐ10分というところで、ようやく女が片手をあげた。

声は一切発しない。

ランチ時にそんな呼び方じゃ誰も気づかないだろう。

もっともうちはほとんど客がいないから、容易に気づきはするが…それを承知で声を出さないのか。だとしたらかなり馬鹿にされている。


「はい、お待たせしました。ご注文は?」

見ると女は黙ってメニューを指さし、ハンバーグランチを選んだようだ。


戻ってきた健志が「なんだか薄気味悪いですね。もうすぐ夏だというのに、厚手のロングスカートのワンピースで、色もほとんど黒ですもんね。喪服かと思いました。」


確かに健志の言うとおり、季節感をまったく無視していて、パッと見は喪服に見える。

しかも髪の毛も無造作に伸びていて顔の半分以上を隠しているため、暗いところであったら幽霊と勘違いしてもおかしくない身なりだ。


「お待ちどうさまです。」健志が出来上がったハンバーグランチを運んでいくと、その女は黙ってコップを指さした。

見ると、ほとんど空になっていた。確かに気温も高くなってきたし、その恰好ならのども渇くだろう。

健志はカウンターの水差しをとり、すぐに女が座るテーブルに向かった。

その時、店のドアが開いた。


カラーン


「いらっしゃいませ!」


珍しくサラリーマン風の二人組が入ってきた。


「いらっしゃいませ!」


次にOL風の二人組


「いらっしゃいませ!」


「???」


どういうわけか、いつもは見かけないような客が次々入ってくる。

それから15分もたたないうちに満席になった。

さらに10分後には店の外に3、4人だが、待つ人間まで出てきた。


「ちょっとマスター、チラシかなんか入れたんですか?割引とかやってないですよね?」

健志が笑いながら、聞いてきた。やはり客が入れば嬉しいのだろう。

「いや、別に…。」


ふっとさっきの女をみるとゆっくりとランチを食べている。

どうせ客が来ないと思って4人掛けの席に座らせたのは誤算だった。

でも、それなりに一生懸命食べているようなので無下にはできない。


しばらくして、他の客が食べ終わり勘定を払うときに

「いやぁ、うまかった。また来るね。」


「すっごい、おいしかったです。次もチキンカツランチ食べますね。」


口々に「うまかった」ということを言って、それぞれ出て行った。


どうしたことか、急に料理の腕が上がったわけではあるまいに、この好反応はいったい…


午後1時30分を回ったあたりでようやく客足も途絶え、ほとんどの客が出て行ったが、例の女はまだ食事を続けていた。

そして、2時のランチ終了時間ぎりぎりになって、ようやく立ち上がり、会計を済ますと結局は一言も発せずに出て行った。

「ありがとうございました…え!!」


会計を済まし女の座っていたテーブルに皿を下げに向かった健志が大声で叫んだ。


「どうした?!」

カウンター越しに声をかけると、健志が固まっていた。

「おい!健志!大丈夫か?」


しばらくして健志は我に返り

「あ、あぁ、いえ、この皿・・・」

そう言ってこちらに女の食べ終わったあとのハンバーグランチの皿を傾けて見せた。


「?!」


見ると皿には、食べ物の痕跡が全くなく、まさに「なめたように」きれいになっていた。

ハンバーグはもちろん、サラダボウル、スープカップに至るまで、すべて食べ物の跡はなく、本当に舐めなければ、あるいは何かで拭かなければここまできれいにならないというくらいきれいになっていた。


皿を手に取った瞬間震えが来た。

あの女は人間?


本当に幽霊か何かじゃないかと思うほど、不可思議な出来事だった。



その後、夕方の営業を始めたときは、まったくいつものペースで、ほとんど客もなく、用意した食材は翌日のランチに回さなければならなくなった。


「お疲れさまです!」


健志が店を後にすると、最後の火の元の点検をして、俺も店を出た。


いったいなんだったんだろう?あの女はいったい。それと今日に限ってランチの客の盛況ぶり。

とにかく不思議な一日だった。



翌日、ランチの仕込みを終えた頃に健志が入ってきた。


「おはようございます!」

「おう、おはよう。」


「今日は…ハンバーグランチとオムライス、ナポリタンですね。」

「おう。」


「また、昨日みたいに客が来てくれるといいですね。」

「あぁ。まぁ、ありがたいけど、たぶんないな。」


「マスター、弱気ですね。昨日の客はみんな帰りに『うまい』って言ってくれていたじゃないですか。ひょっとしたらリピーターがあるかもしれませんし。自信持ちましょうよ。」


自分より20歳も年下のバイトに「自信を持て」と言われる俺はいったい…そんなことを考えていると、店のドアが開いた。


「いらっしゃ…!」


見ると昨日の女がまた入ってきた。

驚きでつい言葉が出なくなった。

「いらっしゃいませ!」健志がカバーして声を発した。


見ると女は昨日とほぼ同じようなデザインの服を着ていたが、色は微かにブルーがかっていて、昨日の服とは違うということはかろうじてわかった。

女はこちらが指定する前に、昨日とまったく同じ席に座った。


健志が注文を取りに行くと、昨日同様、メニューを持ったまま、考えだした。

そして、同じように10分近く考えたあげく、昨日と全く同じハンバーグランチを注文した。無論一言も発せず、メニューを指さして。


それから、1分と経たないうちに、次の客が来た。サラリーマンの4人組だ。

続いてOL3人組、大学生風の2人組、また、サラリーマン2人組、と次々に客が入ってきて、10分としないうちに20数席の店内は満席になった。

もっとも女の座る席だけは3席ほど空いてしまっているが…


そして、これも昨日同様、客は食べ終わると口々に「うまかった。」とお褒めの言葉を残し、「また、来る」といううれしい一言を添えて、出て行った。

よく見ると客は昨日のリピーターではなく、ほとんどが初めて見る顔ぶれだった。


午後2時になろうかという頃、また女はゆっくりと立ち上がり、スッと勘定を払い終わると無言で出て行った。

俺はその後ろ姿を呆然と見送っていた。

そして、昨日同様、皿はそのまま新たに使っても気づかないほどきれいになっていた。

「また、舐めたようにきれいですね。」

「……。」



「お疲れでした。」

汗だくの顔で健志が言ったことばで、我に返った。

「あ、あぁ、忙しかったな。」

「ほんとびっくりですね。ちょっと思ったんですけど、あの女の人、神様なんじゃないですかね。」

「は?」


突飛押しもないことを言う健志にしかめっ面でつい答えてしまった。

「いや、マスターは信じないかもしれませんけど、よく民話でも「座敷童」とか、その家に幸福をもたらす妖怪とかが語り継がれているじゃないですか。

そういう類の妖怪で、店を繁盛させるために来てくれているんじゃないですかね。」


「なにを馬鹿なこと言ってんだ。そんな妖怪だったら俺たち普通の人間にはっきり見えるわけないだろう。」

「それはそうなんですけど…ただ、大学でそういう民話とか民間伝承の中には、あながち迷信とばかりは言えないものもあるって習ったとこだたんですよ。」


「昔ならいざしらず、今の世の中にそんな伝承はないだろう。おまけに店を繁盛させてくれるなんて、そんな都合のいい妖怪がいるわけないだろう。」

「ん~、確かにそうですけど、今までこんなにぎわった店はこの2日が初めてですからね。」


確かに健志の言うとおり、俺の料理の腕が上がったわけでもなく、店のPRをしたわけでもないのだから、他に客が来る理由が見当たらない。

でも、心のどこかで、1年以上頑張ってきたのだから、そろそろ口コミができて良いうわさが広がってくれたんじゃないか、

と思いたかったこともあって、健志の言う「座敷童」的な発想をつい否定してしまった。いや否定したかった。


そんなことを考えているうちに夕刻になり、夜の部の看板を掲げたが、こちらは相変わらず、独りきりの冴えない大学生風の男が入ったきり、一向に客足は途絶えたままだ。

「ほらね。やっぱあの女の人はうちの店の幸運の女神なんですよ。」


「幸運の女神…」そういう表現なら、「座敷童」よりは納得できる気がした。しかし、あの女の身なりはどう見ても女神というより死神だ。


結局その日の夜も閑古鳥がないたまま閉店の時間を迎え、健志が帰った後に火元を点検し、店を出た。

鍵を閉めシャッターを下ろし、振り返って帰ろうとした、ふと前を見た視線の先に、あの女が立っていた気がした。

気がしたというのは、見えたのがほんの一瞬で、車が通り過ぎた瞬間に消えてしまったからだ。


「そんなばかな…」声に出して呟いてしまったが、あえて否定することで、自分の正常さを保った。

帰り道つい後ろが気になったが、家にたどり着くまで特に変わったことはなかった。


「ただいま。」

「お帰りなさい。今日もお店は閑古鳥?」


「ん?あぁ。」不機嫌に応えると妻はため息を一つつき、

「本気で次のこと考えてね。」まるで子どもに諭すような口調で言った。


食事をとりながら、さっきの女のことを考えていた。

よほどボーっと見えたのだろう。妻が心配そうに声をかけてきた。

「ちょっとあなた。大丈夫?顔色が優れないわよ。」

「ん、あぁ、疲れてるのかな。」


さすがに妻もさっきの言葉が堪えていると勘違いして、

「ごめんね。一生懸命なのはわかっているよ。でも、このままじゃ、私も美智も生活ができなくなっちゃうんじゃないかって心配なの。

私の気持ちもわかってね。」

慰め半分、でも、思っていることははっきり言う。妻はそんな女だ。

「わかってる。」

この一言しか返せなかった。



翌朝出勤すると店の前に人が立っていた。年の頃は40代くらいの会社員風の男だ。

「何か?」

「あ、あぁ、こちらのご主人?」


「あ、はい、そうですが。何かうちに御用ですか?」

「あ、すみません。私こういう者です。」そう言ってもらった名刺には

「東邦テレビ プロデューサー 佐々木信吾」と書かれていた。


「テレビ…ですか?」

「はい、実はおたくのお店のランチが大評判だと聞きつけて、えっとご存知ですかね。朝の情報番組「おはよう ジャパン」って。」

その番組ならよく知っていた。妻が好んで見ている朝6時くらいから10時くらいまでやっている帯番組だ。

「あ、知ってますけど…。」

「その番組内で「今評判のグルメスポット」という水曜日にやってるコーナーがあるんですが、そこで、タレントのカツヤと東邦のアナウンサーの広瀬が、評判の店のランチを食べて、レポートするって感じなんですけど。」

「はい。知ってますが、それをうちの店でってことですか?」

「そうです。お願いできませんか?」


正直戸惑った。今までテレビはおろか雑誌すら取り上げられたことがないこんな小さな洋食屋が、スポットを浴びるなんてどう考えてもおかしい。

それに、うちはランチといっても本当に一日3品しかないし、ここ2日を除いては味で評判が起こったということもない。

「どうですか。だめですかね?」

「えっと、うちなんかでいいんですか?」そう聞くしか応えようがなかった。


「もちろんです。じゃあ、OKとうことでいいですね?」

そういうと佐々木というプロデューサーは、「とりあえず中で話しさせてもらっていいですか。」というと店に入り、番組制作の段取りを説明し始めた。

それによると番組は生で、レポーターのタレントとアナウンサーがそれぞれ別のランチを食べて、その感想を臨場感たっぷりに伝えるとのことだった。

そして、最後に佐々木は「この番組に出たら、次の日から、いえ、おそらくその日の夜から、このお店は大繁盛ですよ。従業員がおひとりとのことですが、今のうち増やしたほうがいいですよ。」

そう言って俺の肩を馴れ馴れしくポンポンと二度ほど叩いた。


佐々木が帰って仕込みをしていると健志が出勤してきた。

「おはようございます。」

「おう!おはよう。」


「ん?どうしたんですか、マスター。なんか機嫌よくありません?」

さすがに顔に喜びが出ていたか。


「あ、いやな。実は…。」

テレビ取材のことを話すと健志は大げさに喜び


「マジやったじゃないですか!ほんとにこれから大繁盛ですよ。うれしいな。時給上がりますか?」

冗談交じりに本音も入っていたようだが、俺自身もまんざらではなかったので、


「まぁ、そうなったら考えてもいいかな。」

と応えていた。



いよいよ、取材当日、ランチ時間の1時間ほど前に、プロデューサと番組のスタッフ、カメラクルーが入り、店には、ちょっとした緊張感が漂っていた。

正直、俺が一番緊張していた。健志はいつもより1時間も早く出てきているのに終始ニコニコと笑顔でいた。


「はい、じゃあ、マスター、一旦お客さんの入りの様子をぐるっと撮ったあと、レポーターが入って食事、コメントのあと最後にマスターにカメラを合わせて、そのままインタビューに入りますから。質問は…。」

こうしてリハーサルめいたことをさせられ、聞かれることもあらかじめ決まっているので、あとはいかに自然にふるまうかだとアドバイスされた。


カラーン

「いらっしゃいませ。」

これは番組のスタッフが客が入ってきた画を撮るために、さくらになって入店してきたところだった。

カメラは入店するスタッフを後ろから追いかけて撮り、一旦カットされた。

「じゃあ、最初のお客が入ったところから、始めるので、スタンバイよろしく!」

生放送なので、失敗は許されない。

一応客が入っている画も必要なので、今日に限って人が来なかったらどうしようかと別な意味で不安になった。

心の中で「あの死神、いや幸運の女神がきてくれないか」とひそかに祈っていた。


その時

カラーン


「いらっしゃいませ!」

健志が不自然に大きな声でいうとあの女が入店してきた。


カメラマンは黒ずくめで入店してくる女の姿に一瞬たじろいだが、気を取り直して、テストのためカメラを回し始めた。

女のほうは、その様子もまったく無視するように、いつもの「定位置」に座り、これもいつもの通り儀式のように1枚のラミネートされたランチメニューをおもむろに手に取ると、ゆっくりと眺め始めた。

その異様な雰囲気に番組スタッフはしばし固まったようになっていたが、次の瞬間、別の客が店の扉を開けた。


「いらっしゃいませ!」

健志が少し演技がかった声で叫ぶと、固まっていた店の空気は途端に流れ始めた。


番組スタッフもホッとした感じになり、動き始め、そこからひっきりなしに入ってくる客を追うようにカメラテストを続けていた。


「よかったですね。マスター」小声で健志が言う。

「ん、ああ」とそっけなく答えたが、内心本当にホッとした。


店のカウンターの中に入っていた番組プロデューサーの佐々木も、目で「よかった」というようにサインを送ってきた。


女はというと、いつもの通り10分近くメニューを眺め終わると黙って手を挙げ、健志が注文を聞きに行くと黙って今日のメニューの中から「ハンバーグランチ」を指してきた。


店は満席となり、行列ができるほど混み始めた。


いよいよ番組の本番がスタート、タレントのカツヤが店の紹介のために入り口前でしゃべり始めていた。


カラーン

「わ!すっごいお客さんですね~、スタジオのみなさん、見えますかぁ~、まだ昼も始まったばかりというのに、もうお客さんで満席です。」

スタジオから何か受け答えをしている間が空く。


「はい、じゃあ、早速ですが、評判のランチをいただいてみたいと思います。アナウンサーの広瀬さんも一緒に頼みましょう。」

「あ、いいんですか。じゃあ遠慮なく。」といって局アナの広瀬が相席をする。

始めからそういう段取りになっていたのにわざとらしいと思いつつ、順調に撮影が進む様子を見て、少し緊張が緩んだ。


あらかじめ番組のために空けておいた席についた二人に俺は自ら出来上がったランチを運んだ。

タレントのカツヤにはハンバーグ、局アナの広瀬にはエビフライ定食を出した。

これも、事前に何が食べたいかをそれぞれに聞いておいたものだ。


「では、早速いっただきまーす!ん!これは!一口ほおばっただけで、香ばしく、それでいて肉汁のうまみが口いっぱいに広がって。

これはまさに口の中だけに口腔(航空)ショーの始まりやぁ~。」と得意(?)のシャレをかます。


「あ、本当においしいです。パリッとあがったエビフライですが、タルタルソースとの相性も抜群で、中のえびのプリッとした感じが食欲をそそります。」

と局アナらしい真面目なコメントをしていた。


スタジオとの会話がしばらく続き、いよいよ俺へのインタビューの場面になった。

「いや、ほんまにおいしかったですわ!こちらがマスターの櫻井さんです。この味なら評判もうなずけますけど、いつからこのお店はやっているんですか?」


いくつかの質問を矢継ぎ早に言われ、あっという間に出番は終わった。

自分でも、何をどう答えたかよく覚えていない。


「お疲れ様でした!」


スタジオとの中継も切れて、番組スタッフが言ったときやっと我に返った。

「櫻井さん、ありがとうございました。うまくいきましたよ。」

佐々木が握手を求めてきた。

「いや、こちらこそ、ありがとうございました。なんか全然思ったように答えてなかったですが…。」

「いえいえ、充分です。そもそも素人なんですから、そんなにうまくコメントできたらプロはいりませんよ。」

変な慰め方をされたと感じながらも、言うとおりだとも思って納得した。


テレビ局の連中が引き上げて、入り口まで見送った後、振り返ってギョッとした。

まだ、あの女は席に座ったまま食事をしていた。


カウンターに戻ると健志に

「ま、まだいたのか…。」と聞こえないように囁いた。

「はい。いつも通りのペースです。」

健志は平然と答えた。


この女はまったく周りのペースを無視して、今までゆっくりと食事をしていたのか。

本当に生きている人間なのか。少し背筋に冷たいものを感じた。


ランチタイム終了の2時近くなり、女はようやく食べ終わりゆっくりと立ち上がると、レジに向かい。いつものように会計を済ますとゆっくりと外に出て行った。


「ありがとうございました!」

健志がいってカウンターに戻ると

「やっぱり彼女のおかげですかね。」

「彼女?」

”あの女”としか表していなかった俺には”彼女”という言葉にとても違和感を覚えたが、健志は当たり前のように

「そうですよ。彼女のおかげで今回のロケもうまくいったんですよ。感謝しないとですね。」

言っている意味に素直に同感はできなかったが、少しだけ『そうかもしれない』と思うところもあった

確かに”彼女”が来るようになってから客が増えたのは事実だからだ。



その後テレビに出たこともあり、本当に評判になり、彼女が来なくても、連日ランチだけではなく夜の営業まで客足が増えてきた。



2か月後



「最近見ませんね。彼女。」

「え?彼女?」


「そうですよ。あの幸福の女神、もう2か月近く来ませんね。」

「ああ、そうだな。」

そっけなく答えた。正直なところ健志が話を出すまではすっかりあの女のことは忘れていた。


「まぁ、でもテレビの力は大きいですね。あれからすっかり評判になって、もう2か月も経つのに相変わらず客足は途絶えませんね。」

「当たり前だ!ようやく世間も俺の料理の腕を認めたってことさ。知ってもらうきっかけさえあればこの通りさ。」


そうなんだ。初めから俺の料理の腕はいいんだ。ただ、客が店の存在を知らなかっただけで、知ってもらえさえすればこの通りになることは、初めから見えていたんだ。

俺はすっかり有頂天になっていた。


カラーン

「いらっしゃいませ!」

健志がひときわ大きな声で叫んだので驚いて振り返るとあの女が入ってきた。


「来ましたよ。彼女!」

本当に好きな女が入ってきたように健志ははしゃいで俺を肘でつつきながら言ってきた。


彼女は”定位置”に座ると2か月前と変わらない仕草そのままにメニューを取りゆっくりと眺め始めた。

水を出すとそれをゆっくりと、しかし一気に飲み干し、すぐ健志が追加の水を注ぎに行った。

10分後変わらない仕草で手を挙げ、メニューを指さしてハンバーグランチを頼んだ。


カラーン


”彼女”の注文が終わった瞬間、別の客が入ってきた。

それから、あっという間に満席になり、客が行列を作りだした。


その中で、悠然と4人席を一人で占領してゆっくりと食事を続けている”彼女”がいた。


「ちょっとマスター!急いでんだけど、相席でもいいから入れてくれない?」

その時、店の中で待っていた客が声をかけてきた。

「あ、はい。少々お待ちください。」

言った俺は、唯一空いている”彼女”の席に向かい

「すみません。相席はだめでしょうか?」

聞いた瞬間、”彼女”の形相が変わり両手にナイフとフォークを持ちながらテーブルに思いっきりその手を叩きつけた。


ガチャンという激しい音に一瞬店内の空気が凍りつき客の会話が止まった。

「あ、す、すみません。けっこうです。どうぞ、そのまま。」

そういうと俺は、待たせていた客に詫びた。客のほうもこの様子を見ていたため、しぶしぶだが納得していた。


ランチの喧騒がひと段落したが、やはりまだ”彼女”は食事を続けていた。


「驚きましたね。さっきは。」

小声で健志が言った。

俺は無言のまま軽くうなずいた。


「いつもは存在がわからないほどの影の薄さなのに、あんなパワーがあったなんて。」

確かに驚いた。間近でみたその形相を思い出すと今でも少し震えがくる。


「とにかく、女神様ですから彼女には逆らわないほうが無難ですね。」

そういうと健志は洗い物を始めた。


俺は、まだ食事を続けている彼女にそっと視線を向けた。



次の日もランチの時間が始まる少し前に”彼女”が来た。

ゆっくりと”定位置”に収まるといつもと寸分違わぬ仕草で注文を済ますとゆっくりとしかし、一気に水を飲み干した。

季節は真夏の暑さを過ぎ、すこし秋めいてきてそれほど気温も高くはないのに、”彼女”の喉は相変わらず渇いているらしい。


カラーン

「いらっしゃいませ!」

その瞬間また客が入り始め、5分と経たないうちに満席となり、もう7、8名の行列ができ始めた。

相変わらず悠然と4人席を占領して”彼女”が食事を続けている。


この日はなぜか、いつもに比べて客の回転率が悪かった。

後になり気づいたのだが、少し寒くなってきたので、秋メニューとしてグラタンを入れたのが失敗だった。

作るのに時間がかかるのに加えて、熱さのため、客の食べる速度も落ちてしまう。

でも、ランチの中では久しぶりのメニューのため、物珍しさも手伝って注文をする客が多くなってしまったためだった。


「おい!まだかよ!昼休み終わっちゃうよ!」

店内で待っている客からクレームが飛び出した。

つられて、後ろの客も

「相席でもいいから入れてちょうだいよ!時間ないから!」


並んでいる客は一斉にこちらを睨みだした。


その雰囲気に気を利かした客は食べ終わると早々に立ち退いてくれたが、それでも席に通せる客はわずかで、ほとんどの席を相席にしてもらった。

唯一”彼女”の席を除いては。

「おい!そこの席も相席にしろよ!」

苛立った客が”彼女”の席を指さして猛然と吠えた。


「あ、こちらの席は…。」

言い淀んでいると

「なんで、そこだけ空けんだよ。みんな相席しているんだから、協力させればいいだろう!」

客と俺とのやり取りは耳に入っているはずなのに、”彼女”は一向に意に介さず、ハンバーグランチをゆっくりと食べ続けている。


「おい!いいかげんにしろよ!」

客も堪忍袋の緒が切れた。


「わ、わかりました。」

俺はゆっくりと”彼女”の席に近づくと

「すみません。こういう状況なんで、なんとか相席をお願いできませんか?」

丁寧に頼んでみた。

しかし、”彼女”は無視をしている。

「あの、ちょっと、いいかげん困るんですよ。」

少し俺も気持ちが高ぶってきた。


すると、”彼女”はこちらをキッと睨んだ。

「いいかげんにしろ!お客はおまえだけではないんだ!!」

ついに俺は切れた。周りの客のことも構わず最大限の声で”彼女”に向かって怒鳴りつけていた。


次の瞬間

テーブルを渾身の力で叩き、立ち上がってこちらを睨む彼女の姿があった。

店内の客もその姿にくぎ付けになり、次の行動を見守った。

そして、カバンからランチ代の1,000円を取り出すとテーブルに叩きつけ、いつものゆっくりとしたペースからは考えられない速度で、店を出て行った。

歩くというよりは宙をスーッと飛ぶように。

そして、彼女は初めて食事を残していった。


その間わずかに30秒ほどだと思うが、俺には一瞬、時間が止まったように感じた。


ランチタイムが終わると

「あーあ、やっちゃいましたね。彼女のこと。」

「え?しょうがないだろ、あの状況じゃ。」

「そりゃそうですけど。やっぱ逆切れはまずいっすよ。」

「……。」


「なんか…やなこと起こんなきゃいいけど。」

健志はひとり言のように言って洗い物を始めた。



夜の営業が終わった。

あのランチタイムの”事件”の後は何事もなく、いつも通り客足も順調のまま店を終えた。


帰り道、ランチタイムに起こったことを、順を追って思い出していた。

そして健志の

「やなこと起こんなきゃいいけど。」

という言葉が、心の奥底でひっかかっていた。


次の日、いつも通り店に出るとすでに健志が来ていてランチの準備を済ませてくれていた。

「あ、おはようございます。今日も忙しくなりますかね。」

「ああ。」


「どうしたんですか。なんか元気ないですね。」

「ん、そうか?そんなことないよ。」

そう答えながらも、実は昨日の”彼女”のことが気になっていた。


昼の12時を回った。

しかし、客が一人も来ない。

おもわずカレンダーをみて曜日を確認する。

間違いなく平日、世間が休みの日ではない。

もっとも最近は土日でもテレビの評判を聞きつけて結構遠くからの客が来ていたので平日と変わらないにぎわいを見せていた。


「ちょっと変ですね。お客さんひとりも来ないなんて。」

健志が怪訝そうに言う。

「……。」

俺は返す言葉も見当たらず無言のままでいた。


午後2時、ついにランチタイムは終了したが、たった一人の客も来なかった。

身体が震え出し、その場にしゃがみ込んでしまった。

「マスター!大丈夫ですか?!」

健志が倒れ掛かった俺の体を必死で支えてくれた。

「あ、ああ。」

何とか持ちこたえてはいたが、頭の中は”彼女”のあの時の形相がいっぱいに広がっていた。


結局その日は夜も誰一人客は来ることなく閉店の時間を迎えた。


トボトボと帰る道で、俺は後悔の念に囚われていた。

『やはり”彼女”への態度がいけなかったのか?』

心の中で自問自答を繰り返していた。


しかし、考えているうちにどんどんと腹が立ってきた。

俺は当たり前の行動をとって、最初は丁寧にお願いをした。

にも関わらず”彼女”は自己チューにも勝手に怒り、勝手に出て行ったのだ。

俺は悪くない。そうだ。俺はまったく悪くない!


「ただいま。」

呼び鈴を押しても誰も出なかったため鍵を開けて入った。

家は明かりも消えて誰もいなかった。


もう夜の12時を回っている。

胸の奥がざわざわと波立ち、何か書置きがないか探したが、妻も子どもも何一つ痕跡を残していない。


急いで妻の実家に電話をかけた。

「あ、もしもし、夜分にすみません。仁ですけど。」

「あ~仁さん。どうしたのこんな夜中に。何かあった?」

お義母さんが出た。


「いえ、えっと喜美子そちらに行ってませんか?」

「え?なに、喜美子いないの?美智ちゃんは?」


「あ、はい。美智も…、あ、じゃあ、そちらではないんですね。すみません。たぶんママ友の家にでも行ってると思います。お騒がせしました。」

「え、ママ友って美智はまだ赤ん坊よ。こんな時間まで喜美子、何しているのかしら。ごめんなさいね。」

「いえ、本当にすみません。別を当たってみます。あ、ご心配なされないでください。すみません。じゃあ。」

そう言って相手にこれ以上話をさせずに電話を切った。


結局その晩は妻も子どもも帰って来なかった。


翌朝、日の光で目が覚めると、身体が固まっていた。

昨夜はそのままリビングのソファで眠ってしまっていた。

やはり、妻たちが帰ってきた形跡はない。

何か事件に巻き込まれたのか。警察に連絡すべきか。

頭の中が混乱して、どうすればいいかわからなかった。


その時、突然携帯が鳴った。

着信相手を見る間もなく、慌てて出た。

「もしもし、喜美子か?」


「あ、健志です!すみません。休んでるときに。奥さん何かあったんですか?」

「いや、なんでもない。どうしたんだ?」

「あ、あの、店の近くの友人から今電話があって、なんか店が大変だからすぐマスターに連絡したほうがいいって。」


「なに?!」


急いで店に行くと、そこには信じられない光景が待っていた。


山のような人だかりの先に、赤々と燃え上がっている店があった。

「あ、ああ?!」

声にならない声を上げ、店に向かって突進した。


「危ないですから近づかないでください!」

野次馬を整理していた警官に抑えられ、止められた。

「いや、俺の!俺の店なんです!」


やっとの思いで言うとその場にへたり込んでしまった。


それから1時間後ようやく鎮火し、周りは水浸しになり残ったのは店の骨組みだけだった。

「店長の櫻井さんですね。お察しします。そういう時に申し訳ないのですが、ちょっとだけお時間いただけますか。」


先ほどとは違う刑事らしき男が事情聴取をしたいと言ってきた。

気力なく立ち上がる俺を支えるように刑事はパトカーの中に導こうとした。


うなだれていた俺はふと顔を上げると焼け焦げた店の脇に”彼女”が立っているのを見た。

「あ、あの女!」

叫ぶと一気に体に力が入り、支えていた刑事の腕を振り払って、”彼女”のほうに向かって走り出した。


「櫻井さん!」

叫ぶ刑事の制止も聞かず、一直線に”彼女”に向かった。

すると横からまだ現場検証をしていた警官と消防隊員が飛び出てきて俺の体をがっちりと掴み止めた。

追いついた刑事が

「櫻井さんしっかりしてください!どうしたんですか?!」

「あの、あの女です。あいつがきっと店に放火したんです!」

俺は女のいた方向を指差し、必死で刑事に訴えた。


「あの女ですって?どの女です?」

もう一度”彼女”がいた場所に目を向けるとそこには誰もいなかった。

驚いた形相の俺に刑事は

「お店を失ったお気持ちはわかりますが、気をしっかり持ってください。それに今『放火』とおっしゃいましたが、この火事に事件性はありません。」

「え?」


「この火事の原因ははっきりしてます。店の中から火が出ていて、それも厨房の種火が消えていなかったところに、何かの拍子に落ちたキッチンペーパーに引火して、それが店のなかの油分にさらに広がった。これは消防のほうで検分して明らかになっています。」

「そ、そんな…。」


「お気の毒ですが、原因はお店からなので、このあと延焼をしたご近所への補償など発生すると思います。保険は大丈夫ですか?」

「保険?」


「そうです。火災保険です。入ってますよね?」

保険には入っていなかった。

店を始めたときに入ろうとしたのだが、なけなしの金でようやく開業にこぎつけたために、少しでも資金を節約しようと保険は店が順調に回りだしてから入ればいいと思い、一向に儲からない状況が続いたため、保険どころではなくなってしまっていた。


事情を話すと刑事は

「返す返すお気の毒ですが…。」

それ以上の言葉は持ち合わせないとばかり黙り込んでしまった。



うなだれて、再び刑事に支えられながら、歩き出した櫻井の後ろを黒ずくめの女がゆっくりと横切った。

その”彼女”の髪の毛に隠れた顔には確かに微笑みが浮かんでいた。


了。









世の中自分だけの力では動いていないんです。

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