「聖女が、死んだ…だと…!?」
「聖女が、死んだ……だと……!?」
せっかく異世界より招いたばかりの聖女が、一ケ月も足らずに亡くなった。
飢えて、死んだのだ。
「な、何故だ……?」
国王は任せていた息子を呼び出したが、彼も何故だと逆ギレを起こしていた。
「あの女、わがままを言ったのです!」
わがまま。
それは何だと王は息子に尋ねた。その問いかけが遅すぎたことを彼は後悔したが、もはや手遅れ。息子を信頼しすぎていた。
王様は聖女のおかげで瘴気の問題がなくなったことで、さあ今のうちに今までできなかった他の問題を片付けるぞと――息子に任せていたために。
「聖女が、飢えて、やせ細って……亡くなったというが……?」
まさかわがままの罰に食事を出さなかったのかと思った王に、先に王子は叫んでいた。
「きちんと食事は出していました!」
けれども、聖女は一ヶ月、ろくに食わなかったという。
「どうしてだ……召喚したときは、お呼びしたときは、お前も聖女のことは気に入ったと。異世界でも高貴な女性のようだから釣り合うと……」
「ええ、はじめは私にも釣り合う素晴らしい女だと……ですが!」
まさか一ヶ月。
だが、人間は――如何に聖女とはいえ、一ヶ月も人間は飲み食いしなければ、死ぬ。
死ぬのは当たり前すぎる。
「あの女、不味いと言って口にしなかったです!」
彼らの心尽くしの振る舞いを。
聖女は河谷優香と名乗った。
召喚陣の中に立つ彼女ははじめは驚きもしていたが、聖女の説明をすると理解もしてれた。
「私が皆の、民のために役立つならば……それこそ、上に立つものの意義です」
十五歳だという彼女は、それでも既に凛としていた。
長い黒髪は先代、先々代の聖女と同じ。
ただその姿が話とは違っていた。
二十年ほど前に亡くなった先代の聖女のことを覚えている者は「此度の聖女はずいぶんときらびやかな」と、その異郷の衣装の美しさにため息を付いたほどだ。
袖が長い「振袖」という異世界のドレスだという。複雑に結ばれた帯もまた金糸を織り込んだようで。
聖女の髪を飾る髪留めも真珠がついてなんとも美しく。この世界にはない技術で留め金が作られていた。
「私、父は政治家をしておりまして、母は華族の流れの古い名家の生まれですの。母は料理研究家をしておりましたが、その歴史と伝統を受け継いだものを教えておりましたわ」
聖女はその生まれの異世界では貴族のような地位のある家だとか。
「おお、では……平民ではない……?」
「この世界は身分制ですのね。ええ、世が世ならば姫と呼ばれる家でしたわ。母などは嫁ぐ前は本当にそう呼ばれていたほどで」
なるほど、手入れのされた艷やかな長い髪といい、不思議な仕立てだが鮮やかな紋様の入った、真っ直ぐにストンと落ちる不思議なドレスも。
それは彼女の世界では貴族の証しか。
「京友禅ですのよ?」
彼女の世界では「振袖」という名の、未婚の娘がまとう格式高いドレスだという。
「祖母から譲り受けたもので。親戚の結婚式に向かうところでしたの」
式を華やかに飾ることも未婚の娘の役割と、彼女は誇らしく微笑みを。慕っていた従姉妹の式だから祖母の箪笥より一等高額でお気に入りの良いものを着ていたと。
喜んだのは王子だ。
聖女の世話を任された彼は、異世界の汚らしい娘を娶らねばならないのかとうんざりとしていたのだが、優香のたおやかな美しさに自分はついていると喜んだのだ。
「日本舞踊を習っております」
ゆっくりとした動きもまたたおやかで。
先代の聖女は汚らしく煤けた姿の小娘であったという。
けれど彼女は王族の努めてとして後ろ盾となり、娶ることになった大叔父の心尽くしに感謝をしていたという。
育てば美しい娘へとなり。大叔父とは仲睦まじい夫婦となったとか。
子はできなかったが、二人して同じ墓に入っているとか。
既に故人の彼らから、聖女の話を聞くことはできない。
けれどもその先代の聖女は出されたものに文句など言ったことがなかったという。それどころか手を合わせていつも感謝すらしていたとか。
だから。
「……これは食べ物ですの?」
「は? 何を?」
王子は「?」と尋ねられたことを理解できず首を傾げた。
こちらの用意した歓迎の食事に、彼女は明らかな不満と戸惑いの表情だ。
異世界人だが自分より遥かに美しい所作でそれを口に運んた優香は、マナーとしてか吐き出さずに飲み込んだようだが、もう二度とそれに手を伸ばすことはなかった。
「これは食べられません」
この世界は百年単位で瘴気が溜まる。
それ故にこの世界では異世界の聖女を女神よりお恵みいただいていた。
聖女をこの世界に呼ぶ時の力の余波で、瘴気を吹き飛ばすのだ。
聖女にはその後しばらくはその余波が風のようにまとわれる。彼女がそこに在るだけでも、いや瘴気の溜まるところに向かえばまた吹き飛ばすこともできる。
しかしそれは一時しのぎにしならない。
女神はその間に人間たちがなにか対策をすることを期待していた。
そのために、力を放つ理由として別世界の不幸せな娘を呼び寄せることならばと、承知したのだ。己の世界にて身分高い存在に保護させ幸せにさせることを誓い。
他の世界の神も、そういうことならばと了承してくれた。神も自分の世界ではどうにもしてやれない可哀想な娘を、そちらで幸せにしてくれるならと、悩んだ末にうなずいた。
互いに己の力を世界を助ける名目として。
さらに哀れな娘を助けるためならばと。
しかしここに、初めて――犠牲が出た。
良かれと思って救った娘が、己の世界で――もっと哀れに亡くなった。
「聖女の口に合わなかっただと……」
「異世界はどれだけ貧しい食なのだ」
そのように上から目線すら。
食事が合わない。
理由はただそれだけだと彼らは気がつかないままに。
自分たちの世界の食事が、彼女の世界の食事より劣っていると思いもしないで。
「この焼いた肉など絶品ではないか」
「湯がいた芋にかぶりつくのは快感ですね」
「豆の煮汁の喉越しといったら」
聖女に出された食事に彼らは首を傾げる。
今回の聖女はなんてわがままなのだろうと。
彼らは思いもしなかったのだ。
まさか、優香の舌が恐ろしく肥えていたことを。繊細なことを。
裕福な家庭で育ち、料理研究家の母の弟子たちが何人もいて、食事とはすなわち彼らの成果の発表の場として育ってきた優香にとっては。いまや母よりもわずかな塩の加減を彼女が指摘するほどであったという。
ただ煮ただけ。焼いただけ。
灰汁取りも出汁も引かずに。
具材もぶつ切り。時には手づかみ。
味付けはシンプルに素材の味のみ。塩さえ贅沢。
ハーブや臭み消し、何それ美味しいの? 変な臭いなだけじゃない?
優香の気の毒なところは。
お嬢様であり、母の後を継ぐでもなかった彼女は料理は「出されること」が当たり前で。「自分で作るもの」ではなかったことだ。
三度の食事がそうならば、間食のおやつですらそうしたもので。
彼女は厨房に入ったことがない。
なので文化の違いなのだと察することができても、「食べられない」ものを出されても、自分で作るということができなかった。それはそういうことを学んだ使用人や専門家がするものだという、思い込みすら。
彼女は箸と茶碗、ナイフとフォーク以上の重たいものを持ったことがないと言っても過言ではない存在であった。
はじめは実は歓迎されていなくて嫌がらせなのではと思ったこれらは、この国の伝統的な料理で、皆の食べる普段からの食べ方だと理解してからは失礼なことを言わないようにした、それくらいの教養は。
父も他国の方々には良く配慮を、なさっている。言葉選びや――それこそ食事文化にも。
初回に「不味い」と正直に言ってしまったのは彼女がまだ若く経験不足だったためだ。
以降は言葉を選び「自分には食べられない」「もう少し、味に工夫を」「臭いが……」と伝えていたつもりだが、そもそもそれに何ら不満を感じていなかった人々には通じるはずがなく。
それどころか「わがまま」ととらえられた。
どうして肉が食いたくないのか?
出されたものに口にすらせず、臭いでも吐きそうなのか?
水すら拒むだなんて、なんて――わがままな。
そもそも味噌も醤油も、出汁も何もない世界だ。
塩はあるが胡椒は高級品で王族でもわずかしか使えず。
鶏や豚を煮込んだとしても臭みも強い。
異世界転移の、ここに失敗があった。
優香の前の聖女たちは。
彼女の前の代の聖女は、「防空頭巾」なるものを被った幼子であったという。
優香は「防空頭巾」で煤けた姿で現れたという話を聞いて、察する事ができた。
前の聖女さまは食事にわがままを言わなかったと王子に言われて。
その聖女は本当に貧しい時代からこの世界に呼ばれたのだ。
「食えるだけでもありがたや」
ときに木の根、雑草すら食っていた彼女には、この世界の食べ物はごちそうだった。
「戦時中……なんてこと……」
食べるものもなかった時代と、学校で習っていたところだ。まだ十五になったばかりの彼女にもそれはわかり――わかるが、それは何十年も昔のことだ。
むしろそれだけの年月で豊かになったと誇るべきだろう。
何故ならば、どれだけ年月が経とうが変わろうとしない国や世界が、あるのだから。
そう、ここが。まさに。
そして彼の連れている恋人だという令嬢たちの食事姿にもうっかり悲鳴を上げかけた。
「ああもう、貴様のそのちまちまとした食べ方! 鳥のように食うなど失礼だろう! どうだこのエメラインの口いっぱいに頬張る姿の可愛らしいこと……」
「口にものを入れてしゃべってはいけません」と、そんな風に育ってきた彼女には卒倒ものだった。手づかみは、そういう文化もあると、何とか、なんとか……。
ようやくわずかでも食える芋を煮てただ塩をかけただけのものを匙で掬って食べる彼女に。塩すら高額と言われ、またわがままと。
他に彼女が口にできるものは、水くらい。
ただの水――それも沸かしていなくてゴミが浮いていて、いつしか飲めなくなった。
白湯という文化すらなかった。井戸や清水から汲んだものならまだまし。時には川からの水を、そのまま。
人間は水無しで何日――……。
そして彼女の大切にしていた友禅の着物を。良かろうとこの世界の感覚のまま、ざぶざぶとたらいにはった粗末な背剤で足で踏みつけるようにして洗ってしまい――。
優香の意識はそこで途絶えた。
神は嘆いた。
幸せにしてもらえると信じて送り出した娘が惨い死に方をした。
こんな事なら酷い目に合わせてしまうが己の世界に置いたままにしておけば良かった。
幸と不幸に手を出せない神は嘆き悲しんだ。
神にも様々な縛りがあるのだ。人間には計れない域で。
優香は日本にいたままならば従姉妹の結婚式のあとに。そのまま三十は年上の男に嫁がされる。結婚式で見初められて。
それは父親の地盤に有利な権力者のところに。
父親はどうしても守れず――それどころか彼女の兄が出馬するときに助けになるとすら。彼女の母も、古い家だからこそ、政略結婚を受け入れる考えだった。
相手は、何度目かわからない結婚をしている男には、すでに彼女より年上の子供たちすらいるというのに。
何人もの愛人もいて。
やがて彼女も子を身籠ったが、そんな家では妊婦だからと大切にされるはずもなく。跡取り争いや遺産相続の邪魔になると――……。
彼女は確かに世間知らずで苦労知らずではあったが、そんな惨い定めは哀れであろう。親も、兄弟も守ってくれず。むしろ女の役目だからと兄たちは内心では道具扱いだ。
それ故に神は、結婚式の前に異世界に保護をした。
娘を失った家族たちはどうなることか。それはまた罪と罰。
彼女の前世も酷かったのだ。
彼女は貧しい暮らしで多くの弟妹を助けるために口減らしに奉公にだされ――女郎となり、病に苦しみ死んだ。
その前も。その前の前も。
ならばと新しい人生には苦労させまいと選んだはずが。
また繰り返す。
神にも操れぬ何かがあった。
神はならばならばと彼女を異世界に逃し、託したのだが――後悔した。
手元に戻った魂は小さくなって震えていた。もう消えてしまいそうなほどに。
神はどんな魂も、幸せになってくれよと願い世界に送り出していたのに。ただそれを祈って。
「よしよし……しばらく我が懐におりゃ……」
願うしかできない力なき神を許しておくれ。
そうして。
聖女を求めていた世界の神には、他の神からも怒りが。
そんな世界、他所の世界に助けられれば在りえないならば――。
瘴気はやがて世界を覆って。
そうして二度と聖女は呼べず――。
サバイバルなどの生き死にで、あまりの不味さに食えないから死ぬというのがあるとか…。
空腹は最大の調味料とあるけれど、限界もある、とも…。
世界によっては食文化も違い。また大切。
日本は豊かになったなぁと。ありがたいことです。
今は亡き身内が戦時中は「死ぬ前に白い飯を腹いっぱい食いたいと姉妹と良く話していた」という話を、月命日に思い出して…。




