「君は勉学に励むよりも、愛想を磨くべきだった」と婚約者は言った
「まあ! マリア様、また学年2位ですね!」
「おめでとうございます、マリア様!」
「流石です、マリア様!」
「うふふ、ありがとう存じますわ」
聖ニャッポリート貴族学園の中間テスト結果発表日。
廊下に張り出された学年順位を見て、友人たちが私の学年2位という順位を祝福してくれた。
「でも、今回もクレイグ様には勝てませんでしたから……」
「あ、それは……」
1位に煌々と輝く、筆頭侯爵家であるウィンターソン家の嫡男、クレイグ様のお名前が、私の胸を刺す。
私はこの学園に入学してから、成績は万年2位で、一度もクレイグ様に勝てたことはないのだった。
「ハッハー! そう悲観する必要はねーよ、マリア」
「――! クレイグ様……」
噂をすれば影。
クレイグ様ご本人が現れた。
今日もクレイグ様は、自信と気品に溢れた、凛とした佇まいをされており、その端正なお顔も相俟って、周りの女生徒たちから、色のある視線を向けられている。
これだけのハイスペックにもかかわらず、未だに婚約者がいらっしゃらないのだから、さもありなんといったところだ。
「俺は実家の財力に物を言わせて、各教科ごとに超一流の家庭教師をつけてるんだ。つまりこの順位は、俺だけの力じゃないのさ。それに対して、マリアは完全に独学でこの順位なんだろ? てことは、個人の実力じゃマリアのほうが俺より上ってことだ」
うふふ、相変わらずこのお方は、変なところが謙虚なんだから。
「いいえ、それは違いますわ、クレイグ様」
「?」
「どんなに優秀な家庭教師がついていようが、本人に相応のやる気がなければ、決して学年1位などという順位は取れません。クレイグ様のこの順位は、あくまでクレイグ様の実力によるものですわ」
「マリア……。ハハッ、相変わらずカッケェなマリアは。じゃあ、今後も俺はマリアの前に立ちはだかる壁として、今以上に頑張らねーとな」
「ええ、それでこそクレイグ様ですわ」
――だからこそ、倒し甲斐があるというもの。
「それでは、次の勝負はまた、期末テストで」
「オウ、受けて立つぜ」
「うふふ」
さて、と。
クレイグ様に軽く頭を下げた私は、次に私の婚約者であるアルバート様のところに歩いて行った。
「アルバート様」
「……何だよマリア。僕に何か用かい?」
壁に寄りかかってぼんやり窓の外を眺めているアルバート様は、私のほうを一瞥もせずそう言う。
「以前からお話ししている例の件、考えてくださいましたでしょうか?」
「……ああ、君が僕に勉強を教えるってやつだろ?」
「はい、そうです」
今回の中間テストも、アルバート様の学年順位は下から3番目。
同じ侯爵家の嫡男でありながら、クレイグ様とのこのあまりの差に、私はアルバート様の婚約者として、何とかしなければと危機感を覚えていたのだ。
「このままではサンドフォード侯爵家の沽券にも関わります。ですからどうか――」
「いや、別に興味ないよ、沽券とか」
「――!」
アルバート様――。
「それにどうせ学校の勉強なんて、大人になったら何の役にも立たないんだから、頑張るだけ無駄じゃないか」
「そんなことはございませんわ。大人になってから必要な知識の全ては、学校で習う勉強が基礎となっているのです。土台がしっかりしていないと、立派な家は立たないのと同じく、勉学を疎かにしていた者が、立派な大人になれる道理はないのです」
「あー、もう、君のその理屈っぽいところには、いい加減うんざりだよ。どの道僕はこの学園を卒業したら、病弱な父上から爵位を継いで、サンドフォード侯爵家の当主になるんだ。そうなったら専門的な仕事は全部部下たちに任せておけばいいんだから、僕自身が勉強に時間を割く必要性は皆無なんだよ」
「いいえ、アルバート様、爵位を継いで人の上に立つからこそ、勉強は何より必要なものなのです。アルバート様は、楽譜すらろくに読めない者に、オーケストラの指揮者が務まるとお思いですか?」
「う、うるさいな! いいから僕のことは放っておいてくれよ!」
「……! アルバート様――」
アルバート様は不貞腐れながら、逃げるように去って行った――。
先ほど私がクレイグ様に言ったことが、頭の中で反響する。
やはり本人にやる気がなければ、決して良い成績は残せないわね――。
「えー、今日はみなさんに転校生を紹介します。さあ、自己紹介を」
「あ、はい! オーブリー男爵家の、ドリスといいます! よ、よろしくお願いいたします!」
そんな中、我がクラスに、転校生がやって来た。
こんな時期に転校とは珍しいけれど、オーブリー男爵は、最近平民の女性と再婚をしたはず。
つまりあのドリス嬢は、その女性の連れ子というわけね。
どうりでドリス嬢には、貴族令嬢特有の『緊張感』がないと思ったわ。
生まれながらの貴族令嬢は、生き馬の目を抜く弱肉強食の世界で生きているので、常に気を張っているものだから。
「ねえドリス、もうこの学園には慣れた?」
「バーカ、まだ初日なんだから、慣れるわけねーだろ」
「あ、ええと……」
「俺でよかったら、放課後この学園を案内するよ」
「あ、俺も俺も!」
「わあ! よろしんですか? ありがとうございます!」
休み時間になった途端、たくさんの令息たちからドリス嬢が囲まれた。
ドリス嬢のような素朴な空気感の令嬢はこの学園では珍しいので、令息たちには新鮮なのかもしれない。
「……」
アルバート様はその輪にこそ入っていないものの、遠目からチラチラとドリス嬢のことを窺っている。
――この時私は、そこはかとなく嫌な予感がしていた。
そして月日は流れ、期末テストの時期がやってきた。
今回も私は、寝る間を惜しんで全力でテストに挑んだ。
――そして運命の、結果発表当日。
「マリア様、また学年2位ですわね!」
「おめでとうございます、マリア様!」
「凄いですわ、マリア様!」
「ええ、ありがとう存じますわ」
今回も私は2位。
またしてもクレイグ様には勝てなかった――。
2位という順位自体は誇らしいものの、どうしても一抹の悔しさは残る。
「いやー、今回は過去一冷や冷やしたぜ。俺とマリアの差は、僅か3点じゃねーか」
クレイグ様が大袈裟に溜め息を吐かれながら現れた。
「数学の最後の5点の選択問題、計算してる時間が足りなかったから半分勘で選んだんだが、あれが外れてたら俺の負けだったな」
「うふふ、あの問題は私も同じく半分勘で選んだものが合っていたので、お互い様ですわ、クレイグ様」
「あ、何だ、そうだったのか? やっぱあれ、難しかったよなー」
「ええ、とても」
そもそもあの問題は、学生が解けるレベルを遥かに超えていた。
数学のテストはクレイグ様と私が毎回100点を取っていたので、先生も躍起になっていたのかもしれない。
まあ、結果的には、今回もクレイグ様と私は100点だったのだけれど。
「次こそは――次こそは負けませんわ、クレイグ様」
私はクレイグ様と、真正面から向き合う。
私たちに卒業までに残されたテストは、3学期の期末テストのみ。
つまり私がクレイグ様に勝てるチャンスは、あと1回しかないのだ。
「ああ、受けて立つぜ、マリア」
そんな私の宣戦布告を、クレイグ様もまた、真正面から受けてくださった。
うふふ、それでこそクレイグ様ですわ――。
「ふえええええん」
「「……!」」
その時だった。
後方から、女生徒のすすり泣く声が響いてきた。
振り返ると、ドリス嬢がボロボロと大粒の涙を流している。
「だ、大丈夫かい、ドリス!?」
そんなドリス嬢に、アルバート様が心配そうに駆け寄る。
「う、うぅ……、私、こんな成績、お母さんに怒られちゃいますぅ……」
なるほどね。
ドリス嬢の今回の成績は、ダントツの学年最下位。
元平民のドリス嬢には、この貴族学園の勉強はレベルが高すぎたとはいえ、落ち込むのもよくわかる。
「ああ、何だ、そういうことか。――よし、ここは僕が一肌脱いで、マンツーマンでドリスに勉強を教えてあげるよ」
「わあ! よろしんですか? ありがとうございます! アルバート様って、とっても頼りになりますね!」
「ハハ、そうかな」
――!
アルバート様の今回の順位は、前回と同じく下から3番目。
最下位に新しくドリス嬢が入ったので、実質順位が前回より落ちているのだ。
そんなアルバート様が、人に勉強を教えるなどと――。
それに――。
「アルバート様、それはいかがなものかと思われますわ」
私はアルバート様の前に立ち、苦言を呈す。
「な、何だよマリア!? 何か文句でもあるのか!?」
「もちろんですわ。私という婚約者がありながら、他の女性と二人きりで勉強をするなど、世間からあらぬ誤解を受けかねません。どうか不用意な行動は謹んでくださいませ」
ただでさえアルバート様は、成績面のこともあって、『不良令息』という不名誉な二つ名をつけられてしまっているのですから。
「う、うるさいな! 女の嫉妬は見苦しいぞ! 僕はただ、不幸な立場にいる者に、救いの手を差し伸べようとしているに過ぎない! 所謂ノブレス・オブリージュってやつさ! 何も後ろめたいものはない! なあ、ドリス?」
「あ、はい! ご心配はご無用です、マリア様! あくまで私とアルバート様は、ただの友人ですから!」
そういうことを言っているのではないのですが……。
「さあ、行こうドリス」
「はい!」
アルバート様はドリス嬢の手を引いて、逃げるように去って行った――。
――この瞬間、私がここ最近ずっと抱いていた悪い予感が、確信に変わった。
「……本当によかったのか、マリア?」
「――!」
そんな私に、クレイグ様が声を掛けてこられた。
クレイグ様は、去り行くアルバート様とドリス嬢の背中を、眉間に皺を寄せながら見つめている。
「よくはありませんが、こうなってしまった以上、もう私にはどうにもできないことでしょう」
正直言って、これ以上私がアルバート様のために身を削るのも、馬鹿らしいもの――。
「……そうか」
クレイグ様は腕を組んで、窓の外に流れる雲をじっと眺めた――。
この日以来、アルバート様とドリス嬢は、まるで恋人同士のように、常に二人で過ごしていた。
少なくとも私は、二人が勉強に勤しんでいるところは、一度も見たことはなかった。
――そして運命の、卒業を目前に控えた、最後の期末テストの結果発表日。
「わああああ!!! マリア様が、学年1位ですわあああ!!!」
「おめでとうございますううう!!!」
「流石はマリア様ですううう!!!」
「うふふ、ありがとう存じますわ」
遂に私は、念願だった学年1位を取れた。
――とはいえ。
「やるなマリア。遂に追いつかれちまったな」
どこか誇らしげな顔で、私の前に立つクレイグ様。
「……でも、最後までクレイグ様に完全に勝つことはできませんでしたわ」
今回の私とクレイグ様は、どちらも全教科100点満点の同率1位。
つまり私は最後の最後まで、クレイグ様より上の順位になることはできなかったのだ――。
――だが、私の心には小春日の如く、爽やかな風が吹いている。
クレイグ様というライバルがいたからこそ、私はここまで頑張れた。
一度も勝てなかったことは残念ではあるものの、それ以上のものを、私はクレイグ様からいただいたのだ――。
「ありがとうございました、クレイグ様」
「ん? 俺、何かお礼言われるようなことしたか?」
「うふふ、何でもありませんわ」
キョトンとしているクレイグ様を、私は少しだけ可愛いと思った。
「あーあ、すっごく頑張ったんですけどねー」
「ドンマイドンマイ! ドリスはよくやってたよ!」
そんな中、今回も学年最下位だったドリス嬢と、下から2番目だったアルバート様は、肩を寄せ合いながら互いを励ましていた。
私はそんな二人を、どこか白けた目で見ていた――。
――そして迎えた、卒業式の謝恩会の最中。
「……マリア、今この時をもって、僕は君との婚約を破棄する――!」
「「「――!!!」」」
ドリス嬢の肩を抱いたアルバート様が、私に指を差しながら、高らかにそう宣言した。
いずれこうなるとは思っていたけれど、まさか謝恩会の最中だなんて。
つくづく常識に欠けるお方ね。
……いや、本来なら卒業と同時に私とアルバート様は入籍する予定だったので、ある意味このタイミングがベストだったのね。
ここで婚約を破棄すれば、明日からはもう顔を合わせなくて済むし。
「――それは、サンドフォード家の次期当主としての発言ということでよろしいですね、アルバート様?」
「ああ、その通りだ。君の父上には、後日相応の慰謝料を添えたうえで、謝罪の書面を送ろう」
どうせその書面も、部下に書かせたものなのでしょうね。
「――承知いたしました。この婚約破棄、謹んでお受けいたしますわ」
私はアルバート様に、軽く頭を下げる。
「フン、随分殊勝だな。僕がこうするのは、予定調和だったとでも言いたいのかい?」
ええ、まあ。
とはいえ、それを口に出すのも大人気ないので、無言でニッコリ微笑んでおくにとどめる私。
「……クッ! 君のそういうところが、ずっと気に食わなかったんだよ! ――君は勉学に励むよりも、もっと愛想を磨くべきだったんだ、このドリスのようにね!」
「アルバート様……!」
アルバート様はドリス嬢を、ギュッと抱き寄せた。
「僕は今日から、このドリスと真実の愛を築く! 勉強などより余程大事なものがあることを、僕とドリスで証明してみせる! なあ、ドリス!」
「はい! アルバート様!」
やれやれ、とんだ三文芝居を見せられたものね。
「訂正しろ、アルバート」
「ん?」
その時だった。
クレイグ様が私の前に立ち、アルバート様と相対した。
クレイグ様――!?
「愛が大事だと言う点には異論はない。人間の営みに欠かせないものだからな。――だが、勉学を蔑ろにするような発言には黙っていられないな。勉学だって、愛と同じく人が生きるためには必要不可欠なものだろう? それを不要だと断じてしまうなんて、ただの色欲に溺れた猿だと宣言しているようなものだぞ」
「なっ!?」
あらあら、流石はクレイグ様。
苦言一つにもエスプリが効いていますわね。
――それこそ勉学にその身を捧げてきたクレイグ様だからこそ、アルバート様の発言が許せなかったのでしょうね。
「う、うるさいな! 部外者は黙っててくれよ! さあ、僕たちはもう行こう、ドリス!」
「あ、はい!」
アルバート様とドリス嬢は、逃げるようにそそくさとこの場から去って行った――。
「……すまん、マリア、余計な口出しをしてしまって」
雨に濡れた子犬みたいに、シュンとしてしまったクレイグ様。
うふふ、可愛い。
「いいえ、クレイグ様のお気持ち、とても嬉しかったですわ」
「そ、そうか……! ……でも、これから大変じゃないか?」
「そうですねぇ」
確かに婚約を破棄されてしまったこと自体は、由々しきことだ。
お父様に報告することを考えると、正直げんなりする。
――ただ、子守から解放されて、清々しい気持ちになっているのも、また事実だった。
「何とかなりますわ。こういう時のために、勉学があるのですし」
「ハハ、そうだな」
そう、勉学というのは、いざという時の、心の支えにもなるのだ――。
――こうして私が聖ニャッポリート貴族学園を卒業してから、数ヶ月が経った、ある日。
「ああ、なるほどね。ここで大きなインフレが起きたことにより、経済の仕組みが一変したのね」
今日の私は、自室で我が国のエクーフラ期における経済学を、一から学んでいた。
こうして勉強をすればするほど、どんどん世界が広がっていくのを感じる。
勉学というのは、偉大な先人たちが膨大な時間を掛けて描いてきた、巨大な地図でもあるのかもしれない。
「マリア、入るぞ」
「? はい」
その時だった。
コンコンというノック音と共に、お父様の声が廊下から聞こえてきた。
程なくしてお父様が入室して来た。
「どうかなさいましたか、お父様?」
「うん、それがな――今し方、お前の結婚相手が決まった」
「――!」
私の、結婚相手が――!
正直これは予想外の展開だわ。
婚約を破棄された傷物の私を、もらっていただける家なんてそうそうないと思っていたから。
だからこそ、就職の道も視野に入れ、一人で黙々と勉学に励んでいたのだ。
「それでその、お相手は……?」
「ああ、ウィンターソン侯爵家の嫡男の、クレイグ様だ――」
「――!!」
――この瞬間、私の胸がトクンと高鳴った。
「本日はお招きいただき、恐悦至極に存じます」
「よく来てくれた、マリア」
そしてウィンターソン家で開かれた、私とクレイグ様の顔合わせ当日。
学園で毎日お会いしていた時と違って、今日のクレイグ様は皺一つないタキシード姿で私を迎えてくれたので、そのあまりのギャップに、私の心臓はまた一つ跳ねた。
こ、このお方が、本当に私の旦那様になるの……?
「……嗚呼、綺麗だ、マリア」
「――! そ、そうでしょうか?」
一応今日の私も、精一杯着飾ってはきたので、いつもの地味な感じとは違っているとは思うけれど……。
「ハッハッハ! これはこれは、早速お安くない空気を醸し出してるじゃないか!」
「と、父さん……!」
と、そんな私たちを、クレイグ様のお父様であらせられる、ウィンターソン侯爵閣下が囃し立てる。
ウィンターソン閣下はクレイグ様と同じく、自信と気品に溢れた、凛とした佇まいをされており、まさしく親子だなと実感した。
「コイツから懇願されてね。結婚相手はどうしても君じゃなきゃ嫌だと言うから、私から話を持ち掛けたのさ」
――!
クレイグ様が、私を――?
「――ああ、そうだ。実を言うと、君の勉強にひたむきな姿勢に、俺はずっと惹かれていた」
ク、クレイグ様――!
「コイツったらね、入学して早々、君に惚れたらしくて。君の気を引きたいからって、何人も家庭教師をつけて、死に物狂いで勉強を頑張っていたのさ」
「と、父さん! 余計なことは言わないでくれよ!」
…………え。
じゃあ、クレイグ様にずっと婚約者がいらっしゃらなかったのは――。
「あ……あぁ……」
途端に自分の顔が、燃えるように熱くなった。
多分今の私は、茹でダコみたいに真っ赤になっていることだろう……。
「……オホン。――マリア、俺は君を、心から愛している。どうか俺と、人生を共に歩んでほしい」
「クレイグ様……」
クレイグ様にそっと、左手を差し出される。
――うふふ。
「――はい、喜んで」
私はクレイグ様の左手に、自らの右手を重ねたのだった。
「――! ありがとう、マリア」
クレイグ様は太陽みたいに、クシャッと笑った――。
――そうして一年の月日が流れた。
「いやあ、滅茶苦茶面白かったな!」
「うふふ、そうね」
今日はクレイグと二人で、最近話題の演劇を観てきた。
話題になっているだけあって、役者の演技や脚本、演出に至るまで、全てが一級品で、あっという間に時間が過ぎていった。
「そういえば、ラストシーンの主人公の台詞の元ネタってわかったか?」
「ええ、もちろん。ヒジカワ神話における、女神ウーメの神託でしょ?」
「ハハ! 流石だなマリア! 神話にまで精通してるとは!」
「うふふ、それはお互い様よ」
教養があればあるほど、物事というのはより深く味わうことができる。
勉学とは、人生という名の料理をより美味しくする、スパイスでもあるのだ。
「マ、マリア!?」
「「――!」」
その時だった。
聞き覚えのある声がしたので振り返ると、そこには大層みすぼらしい格好をした、アルバート様が佇んでいた。
顔も死人みたいにやつれており、最後に会った卒業式の時と比べると、別人みたいだ。
「これはこれは、お久しぶりですわアルバート様。お元気そうで何よりです」
「あ、いや、うん……」
途端、気まずそうに俯くアルバート様。
――爵位を継いでからのアルバート様の事情は、私も把握している。
何でもアルバート様が当主になった途端、部下たちは次々に財産を横領し、あっという間にサンドフォード家の財政は火の車になってしまったそうなのだ。
それというのも、アルバート様が仕事を一から十まで部下たちに丸投げしていたからに他ならない。
アルバート様がしていたことと言えば、部下が改竄した不正な書類を、ろくに確認もせず適当にサインしていたことくらいだ。
せめてアルバート様が少しでも勉学に身を入れていれば、露骨な書類の改竄に気付けたはずなのに……。
ちなみに財政が破綻するや否や、婚約者であるドリス嬢は、サンドフォード家からありったけの財宝を盗んだうえで雲隠れしたらしい。
――やはり私の予想は正しかった。
ドリス嬢は、決してただの弱者ではなかった。
――むしろ狡猾に弱者を装うことで、強者を食い物にする狐だったのだ。
まあ、最早私にはどうでもいいことだけれど。
「と、ところでさマリア、こんなところで会ったのも、何かの運命だ。――君さえよければ、もう一度僕たち、やり直さないか?」
アルバート様は、希望に満ち溢れた瞳を、私に向ける。
――さて、どう言ったものかしら。
「残念だが、それは無理な相談だなアルバート。――何故ならマリアはもう、この俺の妻だからだ」
「っ!?」
が、間髪入れずにクレイグが、私の肩を抱き寄せながらそう宣言した。
あらあら、相変わらずクレイグったら、独占欲が強いんだから。
「そ、そんな、いつから……!?」
頭を搔きむしりながら、ワナワナと震えるアルバート様。
他の有力貴族の婚姻事情すら把握されてないなんて。
そういうところですよ、アルバート様。
「あ、あぁ……あ……あああああああああああああああああああ」
アルバート様は半狂乱になりながら、バタバタと走り去って行った。
――さようなら、アルバート様。
今度こそもう二度と、お会いすることはないでしょう。
「そうだ! さっきのお芝居の悪役登場シーンのことなんだけど」
「ああ、あれはワザップ童話の、『あのシークヮーサーは酸っぱいや』のオマージュだろ?」
「うふふ、流石ねクレイグ。童話にまで詳しいなんて」
「ハハ! お互い様だよ、マリア!」
そう、この人となら、きっと幸せな人生を歩める。
――何故なら私たちには勉学という、心強い杖があるのだから。
拙作、『戦争から帰って来た婚約者が愛人を連れていた』がコミックグロウル様より2026年3月6日に発売された『選ばれなかった令嬢には、本命の彼が待っています!アンソロジーコミック』に収録されています。
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