映画のある暮らし
最初にその人を認識したのは、たしか昨年の十二月。街がクリスマス一色になっている頃だった。ウチの映画館も例に漏れず赤と緑の装飾を施し、浮かれたカップルたちがディナーや夜景を楽しみに帰っていった頃に、彼女はやってきた。土曜日の夜だというのにスーツ姿で入ってきたので、酷く場違いに感じた。彼女はパンプスをカツンカツンと鳴らし、チケットカウンターの方へ向かってきた。ポスターを見上げる姿は少し傾いていて、肩に掛かった黒い鞄の重さを感じさせた。彼女は十分後に上映が開始する小さなスクリーンの映画を選んだ。
「大人一枚二千円です。映画のお供にポップコーンとドリンクのセットはいかがですか。」
俺は定型文句でポップコーンのドリンクセットを勧めた。予想に反して彼女はポップコーンとコーラを買って、シアターに入っていった。一時間半くらい経ち、映画が終わって出てきた彼女の手には空のボックス。ひとりで食べきったらしい。
年が明け、大学の試験を控えていても俺は変わらず土日遅番でシフトを入れていた。客足の減った一月中旬、彼女が再びやってきたのはやはり土曜日の夜だった。前と同じ時間帯、前と同じ格好。カツンカツンと足音を響かせて、俺の前に来る。
「スクリーン5、大人一枚、お願いします。」
前回と同じ小さなスクリーン。次の上映は恋愛物だった。
「大人一枚二千円です。映画のお供にポップコーンとドリンクのセットはいかがですか。」
何度言ったかわからない言葉が、自然と口から出ていく。
「ポップコーンとコーラでお願いします。」
前と同じ。映画が終わった後、ボックスは空になっていた。
三度目は二月。それからも毎月、同じシーンを繰り返すように彼女はやってきた。土曜夜、スクリーン5、大人一枚、ポップコーンとコーラのセット。二月はアクションで、三月はドキュメンタリー。彼女はジャンルに拘らず、必ずスクリーン5に吸い込まれていった。俺のシフトも固定されたまま。冬服と夏服の違いだけが、間違い探しのサービス問題のように浮いていた。
十一月三十日、日曜日、午後七時四十分。カツンカツンと音が聞こえる。今月初めて彼女が姿を現した。いつもと違う日曜日、いつも通りのスーツに、重たそうな黒い鞄。チケットカウンターに辿り着いた彼女は、電光掲示板も見ずに注文した。
「スクリーン5、大人一枚、お願いします。」
俺は初めていつもと違う言葉を口にした。
「申し訳ありません。本日スクリーン5での上映は既に終了しております。本日の残りの上映はスクリーン2で十分後に開始する『植物図鑑』のリバイバル上映のみとなっております。」
驚いた顔。一秒後、彼女は諦めたように笑った。
「わかりました。次はもっと早い時間に来ます。」
つい口から言葉がこぼれ落ちた。
「あの、スクリーン5って何かあるんですか。」
聞いてしまった。
「あ、すみません。別に観察してたとかじゃなくて、たまたま覚えてただけで。」
慌てて謝る。
「いえ、いつもの人ですよね。土曜日の。」
俺は彼女を常連として認識していたが、彼女も俺をいつものスタッフとして認識していたらしい。
「スクリーン5は、ただの願掛けなんです。5月生まれだから選んだだけで。」
「願掛け、ですか。」
あのスクリーンに思い入れがあるわけは無かったのか。
「私、見た目通りいつもここに寄るのは仕事終わりなんです。ここ、職場から近くて。毎週毎週土曜日の夜まで仕事して、帰り道、嫌気がさしていた時にここの前を通って思ったんです。私、もうずっと映画館で映画見てないな、って。」
想像通り、ブラック企業に務めているみたいだ。彼女は話の内容に反してあっさりと喋る。
「映画も見られないような生活は嫌だなと思ったから、一つマイルールを作ったんです。毎月一回、スクリーン5で映画を観る。月に一度も観られなかったら、仕事を辞める、って。」
今日は十一月の最終日、彼女は今月初めてここに来た。
「じゃあ、あの、仕事辞めるんですか。」
頷く彼女。
「今から退職届書いて、明日出します。きっと色々言われるけど、映画の一つも観られないような生活続けてたら、私はきっと駄目になるから。」
目の下には隈があるし、パンプスの踵は加工が剥げている。それでも彼女はスッキリした顔をしていた。
「お仕事中に長話しちゃってすみません。次は日中に来ます。」
カツンカツン、音を弾ませて帰っていった。




