第一話 ゾンビは金だ!
グッシャアア!
耳障りな音を立てゾンビの頭が潰れる。
血はあまり出なかったが、変色して黒ずんだ脳の一部が飛んでいって歩いていた野良犬にヒットした。
犬は迷惑そうにそれを振り落とすと、何事もなかったように去っていく。
「おー、ゴメンよワンコ」
人の頭ほどある木製のハンマーを持った少女がのんびりと呟いた。
ハンマーには先ほど頭を吹き飛ばしたゾンビの髪の毛が着いている。
「早く洗っとけよそれ。車汚すんじゃねーぞ」
少女の横にいる黒髪の男が面倒くさそうにボヤく。
「あーい」
少女が水道を探しに行くと、動かなくなったゾンビをこれまた面倒くさそうに見ていた金髪の男が書類を書き上げた。
「終わったぞ。手抜かりなし。異常なし」
その紙を黒髪に放り投げると、金髪は早々に一行の軽自動車の助手席に収まってリクライニングを全開まで倒す。
「んじゃ、頂きに行くか」
少女が戻ってくるのを見つつ、黒髪は運転席に乗り込むのだった。
2000年代初頭、日本からまったく未知の病気が発生した。
『日本脳死体生病』と名付けられたその感染症は、ネズミ等の小型哺乳類を媒介に何らかのウィルスが変異したものらしかった。
体液を介して感染するそのウィルスは、恐ろしいことに致死率100%を超える。
「最初聞いた時は何の冗談かと思ったぜ」
ラジオが流す不景気なニュースを聞きながら、ハンドルを握る黒髪の男、早瀬蓮はそう言った。
ボサボサにカットした黒髪に、鼻と耳に多数のピアス、やたらと派手な色使いの長袖シャツとこれまた派手なハーフパンツにコンバットブーツを履いている。
「坂下センセーは見たんだっけか?」
蓮が横にいる金髪に呼びかけると、その男はチラリと蓮を見て興味なさそうに返事をする。
「その時は医者を辞めてたからな。ただ、院とは関係なく目の前で見たことはある」
坂下正晴は金髪をオールバックに撫でつけ、フレームレスの眼鏡をかけた細身の男である。
常にストライプのスーツに身を包み、しかしシャツは開襟して派手なネックレスを身に着けている。
初対面で蓮からその筋の人かと言われたぐらいだ。
「センセーはあたしのおとーと看取ってくれたんだから」
後部座席からひょっこりと少女が顔を出す。
彼女の名前は飯島冴。ピンクの髪をツインテールにまとめ、ダボダボのブルゾンをタンクトップの上からやる気なく羽織っている。
かなり短いミニスカートとニーハイ厚底スニーカーがよく似合っていた。
「なんべんも聞いて耳タコだっつうんだよ」
蓮はうるさそうに手をヒラヒラと振った。それにイラッと来たか、冴は蓮の手に思いっきり噛み付いた。
「いってー! なにしやがんだ! 感染する!」
「あたしゾンビじゃないもん」
「騒がしい奴らだ」
ウィルスに感染すると3日から5日程度の潜伏期間を経て発症し数時間以内に死亡。そしてその後長くとも数時間以内にはウィルスが体を操り、出来の悪いホラー映画のように死体がゾンビとして動き回るのだ。
ゾンビである。
もちろん公式には日本脳死体生患者と呼称されるが、映画やゲームから抜け出てきたようなそれらを、誰も呑気に脳死体生患者などと呼んだりはしなかった。
「ゾンビに噛まれりゃゾンビになる。どこのゲームだよ」
「だから100%超えというわけだ」
かつて蓮はそう文句を言ったものだ。
さらにこの潜伏期間が実に厄介で、自分が感染者と知らず他人と接触するものは思いのほか多かった。結果意外と感染は増え、感染率以上の猛威を振るうこととなった。
「そんであたしもゾンビになるとこだったんだよねー」
「さすがに目の前で襲われてれば助けん訳にもいかんだろう」
かつて正晴はゾンビに襲われていた冴とその弟を助けたことがあったが、喉を大きく食い破られた少年はすでに死亡していた。
医師免許を持っていた彼は全てにおいて死亡を確認したが、遺体を搬送中少年はゾンビとして蘇り正晴と冴に襲いかかった。
「壊したさ。でなきゃ死ぬのはこっちだからな」
「しょーがないよね。あれゾンビだし、おとーとも喜んでると思うよ」
意外にも冴はあっけらかんとしている。
何か大事なものを失ったんじゃないかと以前蓮は聞いたことがあったが、そもそも彼女はこのような性格らしい。
ラジオからは相も変わらず不景気なニュースが流れてくる。
「いーかげんカーステつけなよ。お金ならあるじゃん」
冴が運転席のヘッドレストをバンバン叩く。
「うるせーな。ボロい軽に音割れラジオってのがいいんじゃねえか」
「変なの」
と、ドカッという音と共に車体が揺れる。
「見ろ、お前が騒ぐからゾンビ轢いちまったじゃねえか」
「なむさんー」
バックミラーには力なく横たわるゾンビ。
「けーさつもじえーたいもこーすればいーのに」
「そういう訳にもいかんだろう」
正晴がダッシュボードに足を乗せた。
「お上は国民感情とやらにも配慮しなけりゃならんからな」
ゾンビが増えるにつれ、警察だけでなく自衛隊も出動が要請されるようになったが、動く死体を損壊するというのはなかなかに抵抗のあるものだった。
しかし、ゾンビの脅威は、案外別のところにあったのである。
「待たせたなばーちゃん。特殊死亡診断書だ」
行きつけの喫茶店で、蓮が座席でうなだれていた老婆に声をかけた。
「ちゃんと医者の署名付き、正真正銘の本物だ。んでこれが」
と、先ほど冴が壊したゾンビから取った物をポケットから取り出す。
「頼まれてたタイピン。確認してくれ」
よく見るまでもなく老婆は泣き崩れた。
「ああ、ありがとうございます。これであの人もようやく成仏できるでしょう」
ジャズが静かに流れ、コーヒーの香りだけが満ちるその店に、老婆の嗚咽が加わる。
「おばーちゃん、それより早くしないと役場閉まっちゃうよ」
冴があっけらかんと言う。
「悲しーのは分かる、いややっぱ分かんないけど、とりあえずこーどーしないと」
蓮が肘で冴をつつこうとしたが、逆にそれをガードした彼女が蓮に膝を入れた。
「いって……。ともかくよばーちゃん、せっかく診断書出たんだし善は急げって言うじゃねえか」
老婆はハンカチで涙を拭くと、顔を上げた。
「そうね、あなた達の言う通り。今日中に届けを出せば、お支払いも今週中にできるでしょう」
老婆は微笑んで席を立つと、三人に何度も頭を下げて喫茶店から出て行った。
扉のベルが静かに鳴り止むと、蓮がボヤいた。
「助かったぜ。特殊環境清掃申請書の支払いが迫ってたからな」
「だったら依頼者の感情を揺さぶるような真似をするな」
正晴がコーヒーを飲む。
カップから立ち上る湯気がなんとも艷やかである。
「人助け感あるだろ? ケナゲに働くヒーローってなもんだ」
「どっちかってゆーと蓮クン詐欺師っぽいよね」
「詐欺じゃねーよ! 合法的に二重取りしてるだけじゃねーか!」
ゾンビは、言うまでもなく死者である。
しかし。
普通の死者と違ってそれは動き、あまつさえ襲ってくる。
「脳死体生患者は、だいたいの場合死亡者とは認定されん。判断しようとした同僚が殺られたことがある」
正晴はそう吐き捨てたことがあった。
日本では、簡単に言ってしまえば医者の判断がなければ、どんなに明白な死者でも死亡者として扱われない。
まして動くのである。
感染リスクも相まって、ゾンビに対し死亡者と判断を下しに行く医師はほぼ皆無であった。
当人は死亡しているのに死亡届が提出できない、つまり制度上は生存している。
ゾンビ最大の脅威。
それは死亡率でもなければ衛生面ですらなく、金銭的制度やご近所の目だったのである。
「保険も遺産も出ねーってこった」
蓮はかなり以前にそう言った。
「だから俺達が死亡判定してやるんだ」
医師である正晴を診断役に、どこかネジの外れた冴を実行役にと二人を集め、三人で組んだのが一年ほど前のこと。
「壊せってんなら壊すけどさー、それが何になんの?」
冴は塀の上に座って足をブラブラさせている。ミニスカートから伸びた脚が、下に座る蓮の頭をかすめる。
「パンツ見ないでよ」
「見るか。ーー特殊死亡診断を下した医者には補助金、っつーか報奨金だな、が出る。だよな? センセー」
パイプ椅子に腰掛け、ノートパソコンを打っていた正晴は、顔も上げずに同意した。
「命をかけるには足りん金額だがな。その程度で医師が動くわけもないだろうに、内閣もバカな事を言ったもんだ」
増え続ける脳死体生患者、つまりは生きている死者を前に、与党は『特殊死亡診断書』発行を許可する法案を成立させた。
「しかも脳死体生患者が完全に死体になった時に立ち会った医師のみ、という条件だ。そんな条件を満たすケースがあるわけないだろう」
ドラム缶に焚べた薪がパチンと弾け、正晴の顔を照らす。フレームレスの眼鏡がゆらりと揺れる。
実際この法案がメディアやSNSを通して発表された時、あまりの非現実的さに野党はこぞってあげつらい、国民は『そういうとこだぞ』とあざ笑った。
しかし。
「あー、だからあたしとセンセーなんだ」
冴のようにゾンビを破壊することになんのためらいもない人間は極稀にいる。そしてそれに加担する医者も、それに輪をかけて珍しいが存在する。
「そうさ」
蓮はニヤリと笑った。
「そしてだな、ゾンビ退治の依頼は、遺産が受け取れないとか保険が降りないとか近所の目が気になるとか、そういう奴らから受けるんだ。そうしたら多少高くても破壊の依頼料はたんまり出してくる」
沸かしていた湯で作ったカップ麺を、蓮は器用に片手で食べ始めた。もう片手は意味もなく演説のため振り回している。
「依頼者から依頼料、役所からは診断料。なんも法律に触れねえ金儲けさ」
「キミ詐欺師っぽいねー」
「詐欺じゃねーよ! いっこも騙してねーよ!」
冴のジト目に即座に反論する蓮。
「ともかくだ。こんな世の中、金儲けして何が悪い? しかも人助けして感謝されるんだぜ? このご時世、俺らにとっちゃあパラダイスってやつだ」
蓮が大笑いし汁とネギが飛んでいく。正晴はハンカチでそれらを防いだ。
「まあお前の詐欺師みたいな人当たりの良さとフットワークなら依頼もあるだろうな。目の付け所はいい」
「だから詐欺師じゃねーっつってんだろ!」
蓮の絶叫は、そろそろ暗くなり始めた夕日に吸い込まれて消えるのだった。
「ったく、人を詐欺師呼ばわりしやがって。このケンゼン極まる瞳のカガヤキを見やがれってんだ」
蓮の運転する軽は小さな月極の駐車場に停まった。
アスファルトは敷いておらず、跳ねた砂利が車の下に傷をつけた。
「とりあえずさ蓮クン、キミには鏡ってゆーステキな物をあげるから自分の目見たほーがいーよ」
「どういう意味だよ」
ボヤきながら三人は錆の浮いた階段を上がり、雑居ビルの小さな一室に入った。
三人の事務所であるが、特に事業所名などは掲げていない。
散らばる靴をどかし、くたびれたマットを踏んで室内に入る。スイッチを入れると、蛍光灯が弱々しく明滅したあとボンヤリとした光で室内と元気のない観葉植物を照らした。
「そういうところも詐欺師みたいだと言うんだ」
ノートパソコンを開きソファに横になり、正晴はこともなげに言う。スーツがシワになることは特に気にしていないようだ。
「じゃあ会社作るか? 『ゾンビバスターX』とかな」
「だっさ」
お湯を沸かしに行った冴が即座に切り捨てる。
「それで電話に出てみなよ。ソッコー切られるから」
冴は沸かした湯でティーバッグの煎茶を淹れた。
「まだお湯残ってるか?」
「ちょっとならね」
それを聞いてポットを覗きに行った蓮が叫んだ。
「足りねえよ! 焼きそば食えねーじゃん」
「知らないよそんなこと。で、センセー何してんの?」
のほほんとお茶をすすりながら冴が尋ねると、正晴はいつの間に出したのか、ショットグラスでウィスキーを傾けながら答える。
「脳死体生ウィルスに関する新しい論文でもないかと漁ってたんだが、めぼしい情報も症例もないな。しばらくは有効な対策もワクチンもできなさそうだ」
「パラダイスはまだまだ続くってわけだ」
台所からカップ焼きそばをおにぎりでフタをして、箸をくわえながら蓮がテーブルにつく。
「もしワクチンだの発明されたらセンセーは医者に戻るのか?」
「いや」
正晴は首を振る。
「医師のほうが儲かるのは確かだがな。先生先生と尊敬もされる」
「じゃあなんでだよ」
「センセーは責任とか嫌いなんだって」
「まっぴらごめんだ」
そう言って正晴がもう一口グラスを傾けた時、事務所のドアがけたたましく叩かれた。
「なんだようるせーな。依頼か?」
「電話もなく? 直接来るなんてめずらしー」
ドン、ドドンドン!
不規則に叩かれるドア。
「おう、開けるから落ち着け」
蓮がそう声をかけてドアを大きく開く。
その途端、その人は事務所内に転がり込んできた。
小太りの中年男性で、わりかし上等なスーツを身に着けている。
ゾンビであったが。
「うわっ! 冗談じゃねえぞ!?」
蓮は反射的にゾンビの胸を蹴り飛ばし、大きく距離を開けた。肋骨のひしゃげる感覚が足に残る。
「アアアアァァァァ」
声ですらない喉の音を鳴らし、ゾンビが再び侵入してくる。
「なんだってこんなとこにピンポイントで襲ってきやがんだ!」
置いてあった鉄パイプを手に取り、ゾンビの噛みつきを防ぎながら蓮が言う。
「おおかた事務所に入るところでも感知されたんだろう。感覚器官は生きてる時と大差ないからな」
ソファと衝立でバリケードを作った正晴が、その後ろから冷静に言う。
「おい、センセーもなんとかしろよ」
「断る。実行役はお前達だ。最初の取り決め通りだぞ」
ボキッっと嫌な音が響き、ゾンビの腕を冴がハンマーで砕く。
「よそ見してると危ないよー」
まだ新しい血が飛び散り、くたびれたマットを汚した。
「いっつも死体見てテキトーにサインしてるだけじゃねーか」
「それが俺の役目だ。まあ、代わりと言ってはなんだが、お前が死んだら検案書じゃなくて診断書を書いてやろう」
「どーちがうのー?」
「バアアアアアァァァ」
冴はゾンビも見ずにハンマーと蹴りで片足を潰す。
「少し安い」
「ふざけんな!」
軽口を叩き合いながらもゾンビを巧みにかわす蓮と冴であるが、噛まれれば一発アウトな状況なのは変わりない。
「だいたいコイツどっから……そうだ!」
蓮が何かを閃き、ゾンビの頭に向かってハンマーのフルスイングを叩き込もうとした冴を止めた。
「おい、そいつ縛れ。壊すなよ?」
「どーしてー?」
ハンマーを止められた冴は不満顔。
「話は縛ってからだ。センセー、縄持ってきてくれ。ついでに手錠もあったろ?」
「埃被ってたやつがあったな、確か」
その間も冴が残りの手足を潰し、ついでに背骨にもハンマーをフルスイングして床に倒す。いかにゾンビと言えど、筋肉と骨が大部分損傷してはろくに動けない。
「ウアアアァァァァ」
「静かにしてろ」
噛まれないよう慎重に口に鉄パイプを噛ませ、正晴が持ってきた標識ロープ、いわゆるトラロープでゾンビをふん縛った。
「で? なんでこんなメンドーなことしたの?」
すっかり冷めてしまったお茶をすすりながら冴が聞く。
「このまま外に放り出すか?」
元通りソファに収まり、もう興味をなくしたように正晴はパソコンに戻った。
「いや、しばらくは倉庫にでも放り込んどくさ」
蓮はニヤリと笑う。
「見たとこまだゾンビになって日が浅い。ってことはだな」
顎をしゃくってみせた。蛍光灯がまた薄暗くなった気がする。
「依頼が来るかも知れねえ。壊しちまった収入が減るかも知れないだろ?」
そう言って蓮は、もう冷めて伸び切ったカップ焼きそばのお湯を捨てに台所へ行くのだった。




