第八話:二度目の来訪と、院長の賭け
二度目に王都の門を見たとき、ぼくはもう前回のような威圧感は感じなかった。だけど、心臓は高揚感で満たされていた。
今回の旅は、師匠の命のためではなく、ぼく自身の意志で選んだ挑戦だ。
門番に近づくと、彼はぼくの顔を覚えていたらしい。
「また来たのか、アレン。今回は何を探しに来た」
彼は怪訝な顔で、そう尋ねた。
「前回助けた貴族の息子さんのことで、お礼がしたいと院から連絡をいただいたので」
もちろん、そんな事実はない。
門は、前回と同じように音もなく開いた。中に入ると、すぐに事務方のイシュトが出迎えた。彼の完璧に糊付けされた白衣は、この院の厳格な規律を象徴しているようだった。
「まさか、本当に戻ってくるとは思いませんでしたよ、アレン君」
イシュトの声には、驚きと、わずかな軽蔑、そして予期せぬ来訪者への対処という煩わしさが混じっていた。
「ご招待を受けましたので」
ぼくは努めて冷静に、嘘八百を返した。
イシュトは眉をひそめ、ぼくをその場に待たせると、どこかの部屋へ連絡を取りに行った。数分後、憮然とした表情で戻ってくると短く告げた。
「クロイツ院長がお会いになると。ただし時間は五分です。私についてきなさい」
連れて行かれたのは、前回と同じ応接室だ。クロイツ院長が、重厚な机の向こうに座っていた。その背後には、太陽の光を浴びてキラキラと輝く、最新の蒸留器の群れが並んでいる。
クロイツ院長は、分厚い書類の束から顔を上げることなく、冷たい声で言った。
「──ゲルマンの病は、治ったようだね。生命の露の効能は確かだった」
(!?)
なぜかクロイツ院長は、ぼくが一度も口に出していない、師・ゲルマンの名前を言った。少し不可解に思いながらも──間髪入れないクロイツ院長の冷たい言葉に、ぼくは我に返る。
「それで、君は今回、なんの用で来たのだ?」
ぼくは、まっすぐにクロイツ院長を見た。
「ぼくは、この薬師院で、正式に薬師の知識を学びたいのです」
その言葉に、初めて顔を上げた。そして、ぼくを見て鼻で笑った。
「それは不可能だ。前回の取引を忘れたのか? 君は正規の薬師ではない」
そう言って、落ち着き払った態度で、肘掛けに手を置いた。まるで話はそれで終わりだと言わんばかりに。
が、しかし──。
「だが、君が助けた貴族が、君の功績を過剰なまでに評価し、我々に圧力をかけてきた。彼らは君の要望を知って、君が王都の薬師院に関わることを強く望んでいるのだ」
その貴族の顔を立てるため”渋々”といった表情で、クロイツ院長は話を続けた。
「そこで、前回の取引とは別の『雑用係』としてのポジションを用意しよう。王都の貴族たちの顔を立てるためであるが、君の『流儀』が院の秩序を乱さないよう、監視下に置くための隔離措置でもある」
雑用係。それは、門番に追い返されるよりはましだが、学徒としての扱いではない。
「……学ぶことは、一切できないのですか」
「正規の知識はな。だが、君の『外の血』は我々にも利用価値がある」
クロイツ院長は机の端にあった書類を指で叩いた。
「王都の貴族たちの間で、奇妙な『心の病』が蔓延している。彼らは眠れず、幻聴に苦しむ。我々の正規の薬はすべて効果がない」
その言葉に、ぼくは背筋が凍るのを感じた。
「君は山の薬師だろう。その知識と経験で、貴族の病に効く薬を作るんだ。それが君に与える雑用だ。学ぶ機会はない。栄誉もない。ただ君の“役”を果たせばそれでいい。ただし、監視はつけさせてもらう」
ぼくはすぐに悟った。王都の完璧な「光」の知識は、この「影の病」には無力なのだ。 そして、ぼくが今回求められているのは知識ではなく、村の泥臭い経験なのだ。
「ライオスが案内する」
クロイツ院長は短くそう言い、ライオスを呼んでくるようイシュトに声をかけた。
しばらくするとライオスがやってきた。彼は見習い薬師のようだ。
「彼に院の規則と、立ち入り禁止の場所を教えなさい」
クロイツ院長が淡々とした口調でそう言うと、ライオスは慇懃に頭を下げ、ぼくを案内した。
院内の壮麗なホールを抜け、裏手の地味な棟へと連れて行かれる。日陰が多く、苔むした壁際には古びた棚が立てかけられていた。その棚に並ぶのは今まで見たことのない、影を宿したような色の薬草ばかりだ。
「ここは立ち入り禁止です」
ライオスが低い声で言った。
「クロイツ院長も、この棚にある草は使うなと。ただ……」
彼は周囲を気にしながら、なにか言いたげだったが、ぼくをチラっと一瞥したのち言葉を飲んだ。
ぼくは、その薬草の匂いを嗅いだ。苦くて、焦げていて、しかしどこか「人を騙す」ような甘い香りがした。
王都の完璧な白衣の裏に、師匠ゲルマンが教えてくれなかった「もう一つの薬師の世界」がある。
『お前が一度目に見えなかったものを、二度目の旅で探し出してこい』
ぼくが探すべき真実。それは、この院の『光』ではなく、この目の前にある『影』にこそ宿っているのかもしれない。 ぼくの心臓が静かに、だが強く打ち始めた。




