第七話:果たされた目的と、残された業
旅から戻ったぼくは、すぐに『生命の露』をゲルマンに与えた。それは予想外に、透明で何の匂いもない液体だった。
「これを飲むのか?」
ゲルマンは怪訝な顔をしたが、ぼくの必死な表情を見て、何も言わずに一気に飲み干した。
生命の露の効能は劇的だった。
服用から一週間も経たないうちに、ゲルマンを長らく苦しめていた咳と微熱は跡形もなく消えた。顔色に生気が戻り、庭の薬草の手入れや薪割りを再開するゲルマンの姿は、以前よりも健康そうにさえ見えた。
「ありがとう。アレン」
ゲルマンは炉の前で、久しぶりに心地よさそうに笑った。
ぼくは心底安堵した。ゲルマンを助けるという最初の目的は達成された。
これで満足なはずなのに……。
しかし、ぼくの心には王都で見た光景と、門で断じられた無念が影を落としていた。
*
ウィンの村に春が訪れ、山々が緑に染まり始める頃、ゲルマンは完全に回復していたが、今度はぼくの様子がおかしくなった。炉の火加減を誤り、調合の手つきもどこか上の空だ。
ある日の夕食時。ゲルマンは煮込み料理の椀を差し出しながら、静かに言った。
「アレン。最近、お前は元気がないな」
ぼくは顔を上げた。
「そんなことは……ありません」
「嘘をつけ。お前の薬草の扱いは、おれの体調より正直だ」
ゲルマンは椀を置き、真剣な目になった。
「王都はどうだった? あの薬師院は」
ぼくは、門番に追い返されたこと、王都で体験した処置のこと、そして最終的に門が開いた劇的な瞬間を話した。ぼくは薬師院の設備の素晴らしさや、そこで働く薬師たちの持つ知識の正確さについて、興奮気味に語った。
「彼らは、ぼくが想像もできない速さで、何種類もの薬を一気に精製するんです。あれを見たとき、この村の知識だけでは、いざという時に誰も救えないと痛感しました」
話し終えると、ぼくは再び俯いた。
「生命の露を持ち帰るのが、ぼくの目的でした。だから、もう王都に行く用事はないはずなんですが……」
ぼくの言葉は途切れ途切れだった。
ゲルマンは、ぼくのことをじっと見つめていた。そして静かに立ち上がり、ぼさぼさの頭を優しく撫でた。
「そうか。おれを助けたいというお前の目的は、もう果たされた。だが、お前の薬師としての目的は、まだ果たされていないんだろう?」
ぼくは目を見開いた。
「腕を磨いてみたい。もっと大きな場所で、自分の限界を試してみたい。それができないと分かっているのに、心が王都に囚われている。違うか?」
ぼくは言葉に詰まり、唇を噛んだ。
「……はい」
「おれを助けたい、という動機は、薬師の最初の一歩としては最高だ」
ゲルマンは穏やかに言った。
「だが、その後は違う。薬師というのはな、自分の知識を限界まで試したいと願う、業のようなものを持つ仕事だ。お前は今、その業に取り憑かれている」
ゲルマンは炉の炎を見つめた。
「行け、アレン。おれはおかげさまで元気になった。もう、お前の足を引っ張る者はいない。王都へ行って、お前の見たかったものを、お前の望むだけ学んできなさい」
「師匠……でも、師匠を一人に……」
「おれは薬師だ。このウィンの村の薬草が、おれの命を繋いでいる。心配するな」
ゲルマンは力強く笑った。
「ただし、忘れるなよ。薬師の最高の知識は、王都の光の下だけに存在するわけじゃない。お前が一度目に見えなかったものを、二度目の旅で探し出してきなさい」
その言葉は、まるで謎かけのようだった。
ぼくはゲルマンの顔を見て、決意を固めた。
「はい!行ってきます。今度は、誰かを救うためだけでなく、最高の薬師になるために」
◇
数日後。
ぼくは再び馬車に揺られていた。
ウィンの村の春の光が、背後で遠ざかっていく。
今回の荷物には、師匠・ゲルマンの病を救うための焦燥はなかった。代わりにあったのは、自分の可能性を探りたいという強い高揚感だった。
王都。あの場所で、ぼくが本当に得るべきものとは何だろう?
ぼくは王都の門の先に、新しい挑戦と、そしてまだ知らぬ大きな真実が待っていることを予感していた。




