第六話:閉ざされた王都の門
重々しい石の門は、軋む音を立てて内側へと開いていった。ぼくは息をのんだ。外の喧騒が遮断され、中に一歩入ると、そこはまるで別世界だ。
圧倒的な静けさと、隅々まで磨き抜かれた床が、ぼくの粗末な服と泥のついた靴を拒絶しているように感じた。
門の奥に控えていたのは、細身で神経質そうな顔つきの、三十代ほどの薬師だった。白衣は完璧に糊付けされていた。
「君がアレン君ですね」
男はぼくを見下ろすよう言った。
「私は薬師院の事務方を務める、イシュトと申します。さあ、こちらへ」
イシュトに促され、巨大な石造りの建物の奥へと進む。
通路には、見たこともない複雑な蒸留器や、何百もの薬草が整然と並ぶ棚が延々と続いていた。その光景に、ぼくは目を奪われた。
連れて行かれたのは、豪華な絨毯が敷かれた応接室だった。そこに院長のクロイツが座っていた。
「私がこの薬師院の院長の、クロイツだ」
彼はぼくの顔を一瞥すると、ぼくに名前すら名乗らせずに、すぐに本題に入った。
「アレン君と言ったかな。君の処置は迅速で的確だった。だが、それは単なる経験の賜物だ。しかし──もし君がこの薬師院に入りたいのならば、王家からの推薦、もしくは正規の学術試験が必要だ」
クロイツ院長の言葉は冷たかった。ぼくは緊張で喉が渇くのを感じた。
「あの……、ぼくは、その、生命の露という秘薬を譲っていただきたいのですが……」
ぼくがそう言うと、クロイツ院長の顔がわずかに険しくなった。
「生命の露? なにを馬鹿なことを言っている。それは王立の管理下にある秘薬だ。どういった料簡で、そのような馬鹿馬鹿しいことを言ってるのかは知らないが、地方の薬師の少年に簡単に分け与えるものではない」
ぼくの胸に、絶望が広がった。遠い旅路の目的が、あっけなく否定されたのだ。
「しかし、ぼくの師匠は難治の病で……」
「病人は君の師匠だけではない」
クロイツ院長は淡々と言い放った。
ぼくは目の前が真っ暗になった。
が、しかし──。
「だが、君は幸運だ。君が助けた少年は、この王都の有力な貴族の子息だった」
そう言って、少し身を乗り出した。
「その貴族が、君の『功績』に報い、特別に助成を行うと申し出てくれた。そこで我々は提案をする」
イシュトが、机の上に小さな木の箱を置いた。
クロイツ院長が話を続ける。
「貴族の意向を汲み、特別に生命の露の小瓶を一つ、君に譲渡しよう。ただし、これは正規の手続きではない。院の規則を破る特例中の特例だ。云わば前代未聞の事」
ぼくは震える手で箱を開けた。中には透明なガラス瓶。澄んだ液体が、光を反射してきらめいている。これこそ師匠を救う薬。
「しかし、我々には条件がある」
ここでイシュトが口を挟んだ。
「君の師匠の病が治った後、君は二度とこの生命の露の件について、外部に漏らしてはならない。そして君は王都の薬師院の知識を一切学ぶことなく、すぐに故郷の村へ帰ること。我々が必要とするのは、あくまで貴族への体裁を繕うことだ」
「……学ぶことは、できないのですか」
ぼくは箱を握りしめたまま尋ねた。この場所には、薬学についての、もっと深い知識があるはずなのに。
「できない」
クロイツ院長は断言した。
「君は正規の薬師ではない。それに、君の薬師としての『流儀』は、この院の秩序を乱す」
ぼくは、ぐっと唇を噛んだ。
この貴重な秘薬を手に入れるには、王都の知識を学ぶ機会を、すべて諦めなければならない。しかし目の前には、師匠の命を救える確実な道がある。
「……わかりました」
ぼくは、静かに答えた。
「この露を持って、すぐに村へ帰ります。王都で見たことは、誰にも話しません」
イシュトは満足そうに頷いた。
「賢明な判断です。さあ、すぐに出発してください。ただし、君が受けた貴族からの厚意は、これで終わりではない。彼らが君の功績を評価しているという事実は、院としても軽んじることはできない。君はその事実だけを覚えておくといいでしょう」
イシュトは、どこか含みのある言葉を発した。
ぼくは生命の露を抱きしめ、来たときと同じく静かに門を抜け、王都を後にした。心には秘薬を手に入れた安堵と、学ぶ機会を奪われた無念が同居していた。
帰りの馬車道は、行きよりもずっと長く感じられた。
ぼくのこの旅は、一つの命を救うという目的を達成した。だが薬師としての可能性は、王都の分厚い門に、きっぱりと閉ざされたのだ。




