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第三十一話:究極の薬師

院長室に、重い沈黙が降り注いでいた。ライオスは憤怒と困惑の表情で立ち尽くし、クロイツ院長は机の上の真の『生命の露』から目を離せない。


「……イシュトが、心の病に蝕まれているだと?」


クロイツ院長の声は、動揺に震えていた。イシュトは、彼にとって最も忠実な道具であり、院の完璧さを支える柱だった。


「はい。そして、あなたの『光の薬学』では彼の淀みは治せません。さあ院長、裁定を下してください。この薬が、毒か、真の救いかを」


クロイツ院長は、長い葛藤の末、深く息を吐いた。彼の顔には権威の保持よりも、真実への探究心、そして忠実な部下を救いたいという、わずかな人間的な感情が勝っているようにも見えた。


「分かった。イシュトを、ここに」


数分後、疲弊しきった様子のイシュトが、別の見習い薬師に支えられ、院長室に連れてこられた。彼の目は虚ろで顔色も優れない。過度なストレスと、薬学の秘密を抱え続けたことによる心の淀みが、彼を蝕んでいた。


ライオスは、その場から動くことができない。彼の信念は、今まさに悪魔の証明に晒されようとしていた。


ぼくはイシュトに近づき、瓶から真の『生命の露』を、ごく少量慎重に匙に移した。


「イシュトさん。少し苦い薬です。しかし、これがあなたの心の重荷を、すべて取り去ってくれます」


イシュトは、ほとんど意識がないまま、その透明な液体を嚥下した。


薬が喉を通り過ぎた瞬間、イシュトの体から、微かな紫色の靄のようなものが立ち上った。それは彼の魂に蓄積された『淀み』が、薬の力で強制的に引き出されている証拠だ。


クロイツ院長は顔色を変え、半歩後ずさった。

彼の脳裏には、おそらく「薬の暴走」による過去の失敗の記憶が蘇っていたのだろう。


「止めろ!アレン!」


ライオスが叫び、ぼくに飛びかかろうとした。

しかしクロイツ院長は、静かに手を挙げた。


「待てライオス。……見るのだ。最後まで」


紫の靄は、ぼくの制御された意志と『星詠の石』の作用によって、激しく暴走することなく、穏やかにイシュトの体から抜け出し、空気中に霧散していった。


そして、イシュトの虚ろだった目に明確な光が戻った。彼の顔色は、まるで長年の病から解放されたかのように、穏やかで血色を取り戻していた。


イシュトは、ゆっくりと立ち上がった。


「……院長。私は、なぜここに? 体がとても軽いです。数年ぶりに深く眠れたようです……」


彼は、心の淀みから完全に解放されていた。記憶を失うことも、狂気に陥ることもなかった。



院長室に、薬草の究極の浄化力だけが残された。


クロイツ院長は、目の前の奇跡を凝視していた。彼の恐れが自己保身であったことが、この上なく明確に証明されたのだ。


「……制御だと。本当に、成し遂げたのか」


クロイツ院長は完全に打ちのめされていた。彼が倫理として封印したものは、ぼくという『影の薬師』によって、究極の技術として完成させられた。


ライオスは剣を失った騎士のように、肩を落とした。彼の信じる規律は、真の救いの前で無力だった。


ライオスは、深く頭を下げた。


「私は……誤っていた。君が作った薬は本物だ。私の浅はかさで、真実を危うくするところだった。許してくれ」


ライオスがいつに、ぼくの影の薬学と、その究極の制御を認めたのだ。


クロイツ院長は、静かに机の上の真の『生命の露』の瓶を掴んだ。


「アレン。約束は守る。この製法は、私が正式に院の知識として受け入れよう。そして、王都の病はこの薬によって治される」


そして、信じられないことを言った。


「この薬の術者マスターは、この院には一人しかいない。それは、お前だ……」


クロイツ院長は、真の『生命の露』の製法と、究極の薬師の地位をぼくに委ねた。院の権威は崩壊したのではない。真の薬学の力を持つ者に、その座を明け渡したのだ。


──ぼくの王都での旅は、究極の調合の完成と共に、一つの終着点を迎えた。


師匠ゲルマンを救うという最初の目的は、最高の薬師になるという目標へ昇華し、そして、今、その目標を達成した。


ぼくの影の薬学は光の薬学を吸収し、王都の病を治す真の薬学として認められたのだ。


院長室を後にする際、ぼくは一度だけライオスに微笑みかけた。ライオスはただ茫然とぼくを見ているだけだった──。



ぼくの薬師としての旅は、まだ終わらない。だが、この王都での戦いは究極の勝利を持って幕を閉じた。

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