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第十三話:影の薬師、その選択

日が完全に落ちる頃、ぼくは王都の北側にあるという『霧の小路』を目指した。街の中心部から離れるにつれて石畳は湿気を帯び、建物の高さが不規則になり、道の両脇には陰鬱な影が濃く落ち始めた。


霧の小路はその名の通り、薄い靄が常に立ち込めている場所だった。薬草の匂いではなく、鉄と、腐った油のような重い臭いが鼻をつく。王都の「光」が届かない裏側特有の空気だ。


イシュトにもらった紙片には、ただ『黒曜石の天秤』とだけ書かれていた。

小路を進むと古びた二階建ての建物の軒先に、確かに黒曜石でできた天秤の看板が掲げられているのを見つけた。それは薬問屋というより、怪しげな骨董品店のような佇まいだった。


ぼくが扉を開けると、鈴の音は鳴らず、代わりに低く軋む音が響いた。中は薄暗く様々な瓶や乾燥した動物の皮、見たこともない奇妙な鉱物が雑然と並べられていた。薬草の棚もあるが、そのほとんどが日陰で育ったような濃い色をしている。


「……お客さんかい?」


声がした。店の奥から現れたのは、中年の男だった。小柄で痩せているが、目は鋭く、この店の品物よりもさらに怪しげな雰囲気を醸し出していた。彼は片眼鏡をかけ、白衣ではなく煤けた黒い上着を着ていた。


「ぼくは、アレンと言います。薬師院から……」


「わかっている」


男はぼくの言葉を遮った。


「イシュトから話は聞いている」


男はぼくの手元の腰袋を一瞥した。


「おれはシド。表向きは薬問屋だが、実態は王都の『影』に薬を流す仲介人だ。お前の薬に興味を持った『お方』がいる」


「裏で取引されているという『影の雫』ですか」


「そうだ。あの薬は素晴らしい。正規の薬師院が持つ、すべての『治せない』を覆した。特に心が病んでいる高貴な連中には、金に糸目をつけずに欲しがる者が多い」


シドは細い指で、目の前の薬草の瓶を叩いた。


「その『お方』は、お前という薬師の未来に価値を見出している。まあ大した報酬を用意できるわけではないが、少なくとも王都の薬師院では得られない知識は得られるだろう」


ぼくはためらった。本当に信用していいものか。

しかし、ぼくが今一番欲しいのは「知識」だ。王都で正規な知識が得られない以上、その話は魅力的だ。


「ぼくが欲しいのは、知識です。王都の薬師院が持っている、正規の知識を学びたい。そして、この『心の病』について、もっと深く研究したい」


シドは片眼鏡を押し上げ、驚いたように笑った。その笑いには嘲りも含まれていた。


「”正規の知識”だと? それを学びたいなら、お前は今すぐこの店を出て、院の偉い奴に土下座でもして、膨大な無駄な時間をかけて教えを乞うべきだ」


なんと辛辣な言葉だろう。

彼は静かに、だが強い口調でこう言った。


「いいか、アレン。この王都では『知識』と『権力』は表裏一体だ。お前の薬が成功した瞬間、お前は院の『光の知識』を持つ薬師たちの敵になった。彼らは、お前を二度と”正規の道”に戻さないつもりだ」


シドは、ぼくの肩に手を置いた。


「お前が求める知識は、きっと正規の棚にはない。が、それ以上の知識をお前に提供できる人物はいる。だが、それを受け取るには、お前は完全に『影の薬師』にならなければならない」


「影の薬師……」


シドの目には、ぼくを試すような光が宿っていた。


ぼくは決断を迫られていた。今ここに知識への入り口が存在している。しかしそれを選べば正規の薬師という希望を完全に捨てることを意味していた。


しかし、ぼくの心の中には最高の薬師になりたいという、揺るぎない願いある。


「……わかりました。ぼくは、その『影の知識』を学びたい」


ぼくは静かに、だが明確に答えた。


「その人物に、会わせてほしい」


シドは満足げに笑った。黒曜石の天秤が、闇の中でかすかに光っているように見えた。

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