第十二話:別名『影の雫』
ぼくが調合した『微睡みの雫』は、その後も貴族の「心の病」に有効だと報告された。そのたびに、イシュトは裏庭のぼくの元へやってきて追加の薬を要求した。
「アレン君、分かっているな。これは正規の薬ではない。この事実は院外へ漏らしてはならないし、院内の見習いたちに知られても困る」
イシュトは神経質なほどに念を押した。
だが、この奇妙な成功は、すでに院内に暗黙の事実としてじわじわと広がりを見せ、波紋を呼んでいるようだ。
ある日、裏の炉で薬草を砕いていると、ライオスが突然音もなく現れた。彼はいつも完璧な白衣を着崩すことなく、ぼくのそばに立った。
「裏の炉は、熱効率が悪い。君の調合は非効率的すぎるとは思わないか?」
ライオスは、ぼくの古い乳鉢を見下ろしながらそう言った。
ぼくは、ライオスの視線から薬草の配合を隠すように乳鉢を体で覆った。
「この炉は、薬草の個性を最大限に引き出すのに適しています」
「個性……か。正規の薬師は個性ではなく、普遍的な正確さを求める」
そう言って、ライオスは鼻で笑った。
「君が裏で何をしているか、皆知っている。君の薬が高熱の貴族の病を治したという噂もな」
「それは誤りです。ぼくの薬は心の病のためのものです」
「心の病も、熱も、この院の薬師が扱うべきものだ」
ライオスは、ぼくの目を見据えた。
「君のやり方は、我々の規律を乱している。君のような『外の血』が、我々の知識の限界を突くなど、あってはならないことだ」
彼の言葉には単なる軽蔑ではなく、脅威を感じているように見えた。ぼくの研究は彼らの積み上げてきた正規の知識に対する、明確な挑戦になってしまっているんだろう。
その日から、正規の見習いたちは掃除中のぼくに冷たい視線を浴びせ、監視するような視線に変わった。時折、裏庭の方角を気にしているようだった。
数週間後。イシュトは再び裏の炉にやってきた。しかし、その表情は前回よりもさらに険しかった。
「アレン君、君の薬が、問題を起こし始めている」
ぼくの心臓が強く跳ねた。
「副作用が出たのですか?」
「いや、効能が出すぎている。それがゆえに弊害が……」
イシュトは声を潜めた。
「君の薬が、院外で高値で取引されているらしい。正規のルートではない、裏の商人が貴族から横流しを受けている。彼らは、これを『影の雫』と呼んでいるそうだ」
「影の……雫?」
ぼくは驚愕した。まさか自分の薬が『影の雫』などと呼ばれ、王都の裏社会にまで出回っているとは。
「ぼくは、誰にも売っていません!」
「分かっている。君が助けた貴族の家族が、他の病気の友人のために、薬を買い取っているのだろう。それが裏の商人の手に渡った」
イシュトは苛立ちを露わにした。
「このままでは、院の薬の信用問題に関わる。君の『影の薬』は、すぐに生産を止めてもらう」
ぼくは絶望した。師匠を助けるための旅で得た、唯一の自分の知識を試す場所が、再び閉ざされようとしている。
そのとき、イシュトが懐から取り出した紙片を、ぼくに押し付けた。
「これは君に興味を持った『特別な人物』からの伝言だ。王都の北側『霧の小路』にある薬問屋へ今夜一人で行け。これは院の命令ではない。君自身の『影の道』を決めるための最後のチャンスだ」
イシュトはそれだけ言い残し、ぼくの答えを待たずに去っていった。
クロイツ院長の手足であるイシュトが、なぜ院長が最も嫌うであろう外部との接触を仲介したのか。その真意が読めず、ぼくは混乱した。




