第17話 トロフィーを獲得しました!仲間と沼へ
「君の能力に不足はないよ。古典語まで読みこなせるみたいだからね」
僕がそう口にしたのは、アンドレアの教養に感心したからだ。
だけど、彼女は僕の言葉に気まずそうに目を伏せ、黙りこくったままなにも言わなくなった。
「どうかした?」
長く続く沈黙に耐えきれなくなって洩らした言葉に、彼女がはっと我に返ったように視線を寄越した。
「すみません。考え事をしていたもので……」
「何を考えていたの?」
「ダミアンの……、元婚約者のことです。彼は、私が古典語を読めると知った時、露骨に嫌な顔をしていたなと思い出して」
そう言うと、彼女はまた静かになった。
彼女が元婚約者の名前を出したことに妙に心がざわつく。今回の誘拐事件にも、きっと何か関わっているというのに、彼女にとってはまだ特別な存在なのだろうか?歯がゆい思いが湧き上がる。
彼女の持つ知性と機転は、もっと誇っても良いものなのに。カーライル家と警ら隊長をつなぐ借金の流れを洗い出し、さらに、舞踏会の夜に王宮の警備が崩されていたことも調べ上げたのは彼女自身なのだから。
「君の元婚約者がどんな態度を取ったのかは知らないけど、少なくとも僕は君の教養と機転は素晴らしいと思ってる。宮廷にも教養のある人はたくさんいるけど、自分の頭で考えて機転を効かせて動ける人は少ない。だからもっと誇っていい。僕は君を頼もしいと思って……え?」
言葉を続けながら視線を上げると。彼女は一点を見つめて何かに集中していた。僕の言葉はまるで届かず宙に浮いたまま消え去った。
熱を込めてしまった自分に気恥ずかしい気持ちが込み上げた時、微かな笑い声が聞こえた。
「残念でしたね、殿下」
——ベネディックが、うざい。
しばしの沈黙の後、彼女が顔を上げた。顔が僅かに上気している。
「あれは……嫌悪というより狼狽でした。私、もしかしたら何かを見てしまったのかもしれません!」
「え?何かって何を?」
「ダミアンの机の上にあった古典語の文書です」
彼女の中で、何かがつながったようだ。でも、今は興奮しているようで要領を得ない。
「アンドレア嬢、少し落ち着きましょう。お茶を用意させましょうか」
ベネディックが落ち着いた調子でいった。
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アンドレアは、運ばれてきたお茶を一気に飲み干し、切り出した。
「私は彼の部屋で、読んではいけない文書を、目にしてしまったのかもしれません」
「もう少し、詳しく教えてくれる?」
「春祭りの日、私はカーライル家を訪ねて、彼の書斎に入りました。私が机に近づいても、彼はそのことに気づかず何かを読んでいました。彼の机の上に、幾つかの書簡があるのが見えました」
「それを読んだの?」
「ざっと言葉を拾った程度です。書かれていたのは古典語でしたが、専門的な用語が多くて、全てを理解したわけではありません」
彼女は自分を落ち着かせようとでもするように、淡々と続ける。
「私が見た書簡には『精錬度が足りないとか』、『今のままでは合金に適さない』とか銅に関することが書いてありました」
「合金?何のことだろう」
「それから、銅の売買契約書もありました。それも、かなり好条件の。それで契約書を手に取って、最近は銅の値段が上がっているの?と聞いたんです。すると、一瞬彼が固まったように動かなくなって……。今思えばそこから様子がおかしかったです。その時は、仕事に口を出したから機嫌が悪くなったのかと思ったのですが……」
「なるほど。彼はその時に初めて、君が古典語を読めると知ったんだね」
彼女がうなずく。
「それに、契約書にあった取引先の住所は、カトラスブルグでした」
「それは確か?」
「はい。銀細工の街に銅を納めるのかと不思議に思いましたから」
「取引先の名前は覚えてる?」
「そこまでは。ただ、封蝋の印章は、豊穣の角。これもはっきりと覚えています」
「豊穣の角か。縁起のいいものだから、珍しい印章ではないね」
「しかし、その印章の商家が、一つの街にいくつもあるとも思えません」
ベネディックが口を開く。確かに、それも一理ある。
「よし、ベネディック、ちょっと行って調べてきてくれないか?」
「私がですか?」
「他に誰かいる?」
「馬で一日かかるんですよ?近所にお使いに行かせるように言わないでください」
「二、三日で戻って来れるだろう?ご褒美にスイートロールを用意しておくから」
「お菓子で釣らないでください。子供じゃないんですから」
「——わたくしが行きます」
その言葉に、僕はベネディックと目を見合わせた。そう来ちゃうの?
「いやいやいや、君はここに居て。ね?」
「けれど、元はと言えばわたくしが巻き込まれた事件ですし」
「アンドレア嬢、私が行きますから、大丈夫です。どうせそういう役回りですから」
嫌がっていたベネディックですら、流石に彼女に行かす気は無かったようだ。
「わたくしも、いけますよ?」
「却下。君はダメ」
そうだった、彼女は責任感が強くて、背負い込みやすいタイプなのだ。彼女に無理をさせるようなことがあってはいけない。守ると決めたのだから。
その為に出来ることをと頭の中を整理し始めた時、ふと、嫌な予感が脳裏をかすめた。
「ベネディック、さっきの警ら隊長の書簡を探して」
王都で春祭りがあったのは、今からひと月ちょっと前だ。
手渡された書簡を見て、思わず声が漏れる。
「日付は、……春祭りの2日後になってる」
アンドレアが元婚約者の書斎で何かを見て、その2日後に舞踏会の警備内容を変える書簡が書かれていた。ベネディックの顔にも緊張が走った。
「つまり、彼女が何かを見てしまったために、排除計画が動き出したと?」
その言葉にゾッとした。
「ベネディック!言葉に気をつけろ。彼女の前だぞ!」
気がつくと、そのまま身を乗り出して彼女の手を握っていた。
「大丈夫。僕らがいる。君を傷つけさせはしないから」
ところが、彼女の反応は意外なものだった。手を取る僕を見て微笑んだのだ。
「ご心配にはおよびません、殿下。むしろ、命を狙われる原因がわかってスッキリしているくらいです。ずっと、自分の可愛げのなさが原因で、ダミアンに見限られたのではないかとイラついていたので」
——思ってた反応と、だいぶ違う……
『自分らしく在れないまま終わることが怖い』
庭園で彼女が口にした言葉を思い出した。可愛げのない自分を否定されたわけではなかったと知って、むしろ機嫌を良くしている?
落ち着いた様子で彼女が続ける。
「私は、これを敵からの挑戦だと受け止めました。この挑戦を受けて立つことを、お許しいただけませんか?」
笑みを絶やさずに続けられた彼女の言葉に、僕は何と答えて良いのかわからない。チラリとベネディックを見るが彼も肩をすくめるだけだ。
「正直に言うと、君ほど優秀な人が調査に加わってくれたら、どんなに捗るだろう、とは思った」
「それならば」
彼女が前のめりになる。
「けれど、警備に穴を開けられたのは、王宮側の失態だ。君はいわば被害者で、その君に調査の責を負わせるのは間違っている」
「その穴はわたくしのために開けられたのでしょう?それなら、ただ巻き込まれただけの被害者とは違います」
相変わらず軍人のような口ぶりだ。その言葉を聞いていると、彼女を一般的な“令嬢”の枠に収めようとすることこそが、間違っているような気がしてきた。
「本当に、いいの?」
その言葉だけ、絞り出す。
彼女は僕をしっかりと見てうなづいた。
ここから先は、彼女が負う必要はない責務だ。だが、彼女は自ら踏み込もうとしている。ならば今さら何を迷う。守るだけでなく、共に歩むことが、今彼女が必要としている助けのはずだ。
「わかった。君には王宮に残り、この先も調査に協力してもらう」
「ありがとうございます」
彼女の顔が綻ぶ。その顔を見て、これが正しい判断であるように心から祈った。調査は続行。でも、彼女を危険に晒させはしない。絶対に。
僕たちは、引き返せない深い沼へ足を踏み入れようとしている。けれど、彼女とベネディックの存在があれば、沈む不安より、渡りきる自信の方が優ってくる。
どうやら僕は、思いがけず、心強い仲間を得たようだ。
[第17話 トロフィーを獲得しました!仲間と沼へ 了]
第一幕おしまい。
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次回更新は金曜日です。第二幕、始まります。