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第11話 ステルスも鷹の目もない世界へようこそ

クロード王子の部屋を出たのは、夕方になる少し前だった。


私の護衛に任命されたベネディックに付き添われ、用意された部屋まで案内された。


扉の前で、「それでは」と部屋を離れようとした彼を引き止める。慇懃(いんぎん)な態度の中に、「まだ何か?」という(わずら)わしげな空気を感じた。


そんな彼には悪いのだが、早速一仕事付き合ってもらわなければならない。


「ベネディック様、今のわたくしは、本当に侍女に見えますか?」


「まあ、そのお仕着せを着ていれば、公爵令嬢と思う人間はいないでしょう」


「よかったです。では、あなたの侍女としてこのまま王宮へ向かいましょう。案内してください」


「——どういうことですか?」


「私が襲われた現場を、見ておきたいのです」


「ですが、調査は明日からのはずでしょう?それに調べる範囲は資料室の中だけだと聞いています」


「確かに、殿下には明日から3日間資料室を使えるように取り計らっていただきました。けれど、今日、私が王宮を調査してはいけないとは言われていません」


「だが、あなたの身の安全が……」


「そのためのベネディック様でしょう?それに、私は公爵令嬢には見えないのでは?」


笑顔で詰め寄りながら彼の瞳を覗き込む。視線が揺れている。それは彼の逡巡(しゅんじゅん)の仕草。拒否ではない。


「それでは、参りましょう」


強めに押し切り、歩き出す私に、彼は従うしかなくなった。文句があるなら王子に言ってくださいませ。


王宮は大庭園を挟んだ反対側にある。王族の移動であれば馬車も出るが、私たちは歩くしかない。侍女らしく三歩下がって歩こうとすると、彼の視界の中にいるように言われる。めんどくさそうにしている割には、仕事はきっちり果たすらしい。


「王宮で何をするつもりですか?」


隣を並んで歩きながら、彼が問う。


「私が襲われた廊下に何か落ちていないかと思いまして。今から探しに行きます」


「正気ですか?」


「もちろんです。事件発生からすでに三日。可能性は低いかもしれませんが、手は尽くしたいのです」


低くなり始めた太陽が、二人の影を伸ばしていた。




王宮の廊下は、あの日と同じように厚い絨毯が敷かれていた。舞踏会の日の華やかさが消えた後、権威の重さだけが残っている。


「……この辺りです」


長い廊下の真ん中で足を止める。すぐにベネディックが廊下に片膝をついてしゃがみ込んだ。


「おやめください!あなたがするべきことではありません」


慌てて止める私に、ベネディックが返す。


「だが、令嬢にこんな格好をさせるわけにもいきません」


「殿下の側近がそのような格好をするのは、目立ちすぎます。探すのは、侍女であるべきでしょう。——私のような」


お仕着せのスカートのエプロンを軽く摘んでみせる。何か言われると思ったが、短い沈黙ののち、彼は立ち上がって壁際に控えた。


よし、調査開始ね。私は膝と両手をついて絨毯に四つん這いになった。


こんな姿、家族に見られたら卒倒するだろうが、とにかく今はやるしかない。少しずつ進み、指先で手触りも確かめながら、目を皿のようにして探す。


その時、廊下にかすかに足音が響いた。その音は後ろからどんどん近づいてくる。私は息を呑む。


「何をしている?」


背後から声がかかった。振り向くと若い近衛兵だった。視線が私に注がれる。


「……探し物を——」


返答しようとした時、ベネディックが一歩前に出た。


「クロード殿下の落とし物を、私の侍女に探させている」


その声は淡々としていて、疑いを差し挟む余地を与えない。兵は慌てて頭を下げ、「失礼しました」と言うと去っていった。私は安堵の息をつく。


「殿下の名前を軽々しく使ってよいのですか?」


小声で問うと、彼は肩をすくめた。


「必要なら幾らでも使います。あなたの調査に協力すると言ったのは、あの方なのだから」


突き放したような答えだったが、その裏に彼なりの忠誠があるのだろう。


外はすでに夕闇が迫っていた。廊下の窓から射し込む光は弱まっている。誰もいないはずの廊下から、視線を投げかけられているような錯覚が拭えない。


「アンドレア嬢、これ以上の長居はできません」


ベネディックの声に珍しく緊張が走る。変装しているとはいえ、人目につくことは避けるべき。それはわかっているけれど——。


「もう少しだけ」


焦りを感じながら絨毯の縁を探っていると、硬い感触が指先に触れる。


「……何かある」


小さな声が漏れる。指がつまみ出したのは、金属片が三つ連なった麻ひもだった。金属片は銅貨ほどの大きさ。灰色で光沢はなく、見た目の割に重みがある。鉛だ。


これはただのゴミなのか。それとも私を襲った者が残した痕跡なのか。


持ち上げてよく見てみると、金属片は二枚が重なっていて、ループ状のヒンジがある。二枚を閉じるように重ね、麻ひもを挟み込んで刻印を打つことで、密着させてある。


「なんでしょう?」


呟いた私に、ベネディックが身を屈める。


鉛封(えんぷう)でしょうか」


言葉は平静だったが、眼差しは鋭い。言われてみれば、見覚えがある。遠方から届く荷物の封についている、関所や城門での課税済みの証だ。


「一番下は、マルケサスの紋章のようですね」


「マルケサスって、リーツ共和国の?」


「ええ。裏を見せてください」


「Mの文字か。おそらくマルケサスで課税を受けた証でしょう」


リーツ共和国はこの国の西の隣国で、マルケサスはその首都だ。でも、その紋章が入った鉛封がなぜここに?


一番上の鉛封は紋章が潰れていた。裏には文字が三つほど。こちらも潰れていてよく見えないがKで始まっているようだ。


一方で、真ん中についている鉛封には、はっきりとした紋章が浮かんでいる。表にはリーツ共和国の国章が、裏は数字が打刻されていた。


「中央もリーツか」


ベネディックも気付いたようだ。


王宮の廊下に隣国の印章が打刻された鉛封が落ちているのは不自然だ。けれど、だからと言って、事件とのつながりは、依然謎のまま。彼も考え込んでいるようだ。


「明日、潰れている紋章についても調べてみます」


私はそう言って、それをポケットにしまった。


「アンドレア嬢、そろそろ時間切れです。暗くなる前に離宮へ戻ってください」


ベネディックにそう言われて、窓の外が闇に染まりかけていることに気づく。もっと探したい思いはあるが、裾を払いながら立ち上がった。


結局、今日の収穫は鉛封だけだ。事件との関連もわからない。予想はしていたけれど、苦しい戦いになりそうだった。





ベネディックにせき立てられるままに廊下を離れ、王宮の外に出た。外の空気に触れると、先ほどまで感じていた焦りと緊張が少し和らぐ。大庭園を離宮へと戻りながら、ふとベネディックに言い忘れていたことがあるのを思い出した。


「ベネディック様、お願いがあるのですが」


「これ以上遅くまでの調査は、認められません。これはあなたの安全のため……」


「そうではありません。明日以降の調査のことです」


「明日以降の?なんですか?」


ベネディックの顔に気だるげな表情が宿る。彼はほとんど表情を見せないが、たまにうんざりとした雰囲気がダダ漏れになる。


「舞踏会の日の、王宮の警備計画を手に入れてほしいのです。報告書でも構いません。新しい資料は、資料室には入っていないと思いますので」


「私の仕事は護衛ですので、あなたから離れるわけにはいきません」


「わかりました。では、明日の朝、殿下にお願いに伺いましょう」


「——待ってください。殿下は、あなたのことは私に一任されています。手を煩わすわけにはいきません」


視線が揺れる。少し間があって、彼が再び口をひらく。


「わかりました。なんとかしましょう」


「ありがとうございます」


彼から漏れ出る気だるげな気配が一層強まった気がした。いや、むしろ意識して出してますよね?


少し前までの私だったら、きっと遠慮して依頼を引っ込めていただろう。でも今は、あらゆる手を使ってでも真実に辿りつきたいと願っている。そのためには、令嬢の矜持(きょうじ)など捨ててやる。






[第11話 ステルスも鷹の目もない世界へようこそ 了]

次の更新は明日の20:30です

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