「殿下、その考えは本心からですか?」
この国の第一王子であるエドワード=ノア=コールリッジ殿下は、現在、貴族子女が通う学院に通っている。貴族の令息令嬢は自分である程度の事は出来るように、と学院に通う間は寮生活を送る。それは、王族でも変わらない。
これは、20年位前まで隣国と戦をしていたせいでもある。貴族は軒並み魔法を使え、戦があるときは戦場に立たなければならない。それを想定し、学園では付き人は1人までは許されるが、それ以外は認められない。戦場でお世話をされなければ何もできない無能な指揮官ほど役立たずはないだろう。そういったこともあり、貴族でありながら身支度くらいできるように――というのがこの国の方針だった。
方針だったのだが、それが問題を起こすきっかけになるとは思わず――
学院の一角で、それは毎日のように起こる。見る者は「またか」と深いため息をつきながら、関わらないように足早に通り過ぎるしかない。
それも当然だろう。見目麗しい高位貴族の令息たちが、たった一人の愛らしい令嬢を囲んでいるのだ。令息たちの目は令嬢に恋する目だった。
令嬢は左右から話しかけられても、笑みを浮かべながら会話を交わしていく。そんなやり取りをしていたのち、ある一人の青年が近づいたときに、令嬢は頬を染めて立ち上がった。
「エドワード様っ」
私はここよ、と手を振って全身で自分がいることをアピールする。それを見たエドワード――この国の第一王子殿下は、笑みを浮かべて、「やあ、アデラ嬢」と声をかけた。彼の目にも、他の令息と同じような色が見えた。
次の授業があるにも関わらず、アデラ嬢と呼ばれた女性の所に行こうとするのを、傍にいた侍従が止めようとするが、嫌そうな表情とともに振り切った。
「アデラ嬢、こんな所にいるとは思わなかったよ」
「エドワード様は次の授業のための移動ですか?」
「ああ、アデラ嬢こそ、授業はいいのかな?」
「わたしは淑女教育のみですから、比較的時間が空いてるんです。その空いた時間をオズワルド様たちが話し相手になってくれてるんです」
「……そう」
「はいっ。皆さん、とても親切で」
アデラ嬢は淑女らしからぬ満面の笑みを浮かべた。
その様子に、エドワードを初め、他の令息たちも和やかな雰囲気になる。
アデラ嬢――アデラ・プリムローズ男爵令嬢は、庶子のためつい最近まで平民として育ったという。そのせいか、貴族の令嬢のように澄ました表情ではなく、感情表現が豊かだった。その明け透けのない態度に、エドワードを初め何人かの令息たちは夢中になった。
学院始まっての珍事である。
中には婚約者もいる令息がいて、現在、婚約者の家から苦情が来ている令息もいる。また、アデラを妬んで陰湿な嫌がらせが行われるという問題もあった。こちらは、アデラに惹かれた令息たちの怒りに火をつけ、より婚約者との対立を深めていた。
しかし、問題の渦中の令息たちはアデラに夢中で、婚約者や家から苦情が入ってもどこ吹く風だ。それよりも、アデラへの嫌がらせを婚約者が行ったと決めつけ、逆に文句を言っている令息もいる。
そんな中、王族であるエドワードは第一王子でありながら、いまだ立太子していない状態であり、婚約者もいない。そのため、婚約者のいる令息よりはマシに見られているが、国の頂点に立つ人物がこのような体たらくでいいのかと、嘆く者たちも多い。
「さて、そろそろ行かないと遅刻になってしまうな」
「えっ、もう行っちゃうの?」
「次の授業があるからね。それじゃあ」
律儀に次の授業に行こうとするエドワードの腕に手を絡めて引き留めようとするが、それをするりと躱して立ち上がった。
一応、学院に通う理由を覚えているようで、傍に控えていた従僕は小さく息を吐いた。
アデラは逆に不満な表情を隠せないが、他の令息たちが「殿下は忙しい方だから」と取り成す。令息たちからしてみると、王族であるエドワードが居ない方がアデラの興味を引ける可能性が高くなるため、居ない方がいいのである。
「殿下、先ほどの行動は如何と思われますが……」
「別に次の授業に遅れるほど話してはいない。何も問題もない」
「いえ、話をする相手が問題で……」
咎める声は身分を考えてなのか、とても小さい。そのため、エドワードは侍従が思い切ってした忠告は流されてしまった。
(この方は、第一王子だという自覚がないのか……。そんなだから、いまだに王太子として認められないのでは……)
侍従は不満たらたらで、エドワードの後を追った。
彼は学院に入る際に選ばれた、それまでエドワードの世話をしたことのない者だった。これは父である王の差配で、親しくない者であっても上に立つものとして上手く使え――という意味があったのだが、選ばれた彼にとっては不幸でしかなかった。よく知らない性格の主――王宮では特に問題はないと言われていた――が、他の貴族令息と共に1人の令嬢に熱を上げるとは……。
そんな侍従の思いも知らず、エドワードは彼が追い付いてくるのを感じながら、後ろを振り向かずに歩いた。
それから数週間、同じことを繰り返しながら、夏の長期休暇に入ることになった。
エドワードは必要な荷物をまとめ、王宮に戻ることになる。
「エドワード様っ!」
寮を出たところでアデラに声をかけられ、エドワードは歩みを止めた。
「アデラ嬢」
「もう……行っちゃうんですね」
「ああ。迎えが来てるからな」
「そう、ですか。あ、わたしは家だと居心地が悪いんで、寮にいる予定です。だから――」
言外に早く戻ってきて欲しい――という雰囲気を滲ませながら、頬を染めてエドワードを見上げてくる。
その姿に可愛らしいと思うものの、王宮に戻れば王族としてやるべきことは沢山あり、長期休暇の予定はすべて埋まっている状態だ。
それに、きっと同じことを他の者にも言っているだろう――と、エドワードは思い、「これでも王族の務めがあるんだ」といなした。
王族の務めと言われてしまえば、アデラも強く言えない。俯いて「淋しいです」と呟く。エドワードからすると、彼女の表情は読めず、とりあえず了承したのだろうと取った。
「視察にも行くから、なにかお土産を買ってくるよ」
「……楽しみにしてます」
エドワードをそう言うと、アデラの頭を軽く撫でた。
それを見ていた侍従はまたもや深いため息をついた。
(それはもう、婚約者相手にするものでしょうに……)
幸い、エドワードにはまだ婚約者がいないのだが、相手の身分は男爵と低い。
(彼女を選んだら、王太子になれませんよ、殿下)
第二王子は1つ年下になるため、学院には次年度入学になる。そこで問題がなければ、第二王子が王太子になる可能性は高くなる。それを理解しようとしないエドワードに、侍従はため息しか出ない心境だ。
当のエドワードはどこ吹く風なのが、余計に立場を理解していないように見えて、この人は王太子になれないだろうと判断した。積極的ではないものの、学院での事を報告する義務があるため、彼はどこまで意見を述べるべきかと悩んでいた。
***
使用人用の食堂でお昼ご飯を頂きつつ一息つく。お昼ご飯はスープ、サラダとパン。スープは日替わりで具材が変わる。今日は野菜たっぷりとベーコンが入った塩味のスープ。塩だけで味気ないと思うのは、前世が日本人で食事が美味しかったせいだろう。
食事をしている女性はルイゼ=アリスン。
彼女は朧げながら前世の記憶があった。小さいころから思い出していたのと、母の仕事のせいで、彼女は同い年の子どもより大人びて見えていた。
(前世の記憶が大学生まであるせいかしらね。働いてるけど、前世での年齢のほうがまだ上だったし)
と、ルイゼは思う。
とはいえ、今生では前世よりも時代が遅れた世界。前世で言えば19世紀頃に似ている。馬車ではなく車が走っているし、新聞なんかもある。印刷技術が確率しており、そのせいか、識字率は思ったより高い。また、この世界は一応電気がある。だから、意外と便利なところもある。現代日本には及ばないけれど。
欲張りなことに魔法もあり、科学と魔法の両方が体験できるのは、この世界ならではだろう。
しかし、食事はあまり良くない。香辛料がまだまだ高いからだろう。日本で食していたパンよりも、硬いパンをちぎってスープに浸して口に運んでいると、同僚が向かいに座った。
「お疲れ様。今日は早いのね」
「お疲れ様。今日は殿下がお帰りになるから。これから忙しくなるのよ」
ルイゼはエドワード付きの侍女だった。彼の乳母の娘でもあるので、乳兄弟とも言える彼女は、エドワードにとって幼いころから傍にいた年の近い子供だった。
彼が学院に入る前は、エドワード付き侍女として傍にいたので、食事も時間外に摂ることが多かったのだが、彼のいない今は、通常の昼休みの時間に食事ができる。
(それにしても、学院……懐かしいわ。わたしも子爵令嬢として、殿下が入る前には学院に通っていたけど。学院は2年間という期間のため、殿下と重なった期間は1年間。その間は、そっと殿下を見守っていたけれど……)
付き人以外に、同性の令息、令嬢が上位者の世話をする事は可能で、ルイゼは学院に通っている間ならお世話が出来ると思ったけど、それをしてしまうと、分家や寄り子が主家の面倒を見る形が出来てしまうという事で、それでは自立心が育たない――という理由で、基本は禁止されている。
代わりに、自分のほうから仕えたいと意思表示を示せば別だけど、分家や寄り子が意思表明した時には、先生たちのチェックが入る。本心から言っているのか――と。主家から命令されたら、やりたくなくても望んでいるように見せなきゃならないから、チェックは厳しくなる。
そんな理由で、ルイゼも立場上、殿下のお世話係にはなれなかった。まあ、異性だから最初から駄目なのだけど。
食事は終わったし、このまま厨房で、エドワードが好きなプリンでも作って置いておこうと思い、厨房を借りるのはもう慣れたもので、彼が好きな好きなもので労ってあげる事にした。
ということで、ルイゼは昼食を終え食器を定位置に片付けに行き、そのまま厨房へお邪魔した。
「また厨房をお借りしてもいいかしら?」
「ああ、ルイゼちゃんか。いいよ。いつも邪魔にならないように気を付けてくれているしな」
「今日は何を作るんだ?」
「プリンを作ろうと思って。新鮮な卵はあるかしら?」
ルイゼプリンといえば、厨房の人たちはプリンを作る材料や調理器具を用意してくれる。親切ってわけでもなく……味見目当てで。
プリンなど何回も作っているから、料理長だって作れるのに、なぜか味見したがるのよね――と、疑問に思いながらも、卵を割ってボウルに入れて――とサクサク手を進めていく。もう、慣れたもので、多少考えごとをしていても手が勝手に動いてくれるというか。気づくと、カップに卵液を注いでものを大きな鍋に入れて、蒸し始めるころだった。
「さて、と。あとは頼んでいいかしら? 代わりにいつも通りの数を残しておいてくれれば、あとは皆さんで食べて構わないわ」
「承知いたしました」
後ろから「やったー」という声が多数あがるのが分かったので、ルイゼは思わず笑みがこぼれてしまう。
ルイゼにとって、使用人たちは正直でいい。貴族を相手にするような言葉のやり取りがなく、話しやすいのだ。ルイゼ自身、子爵令嬢なのだが、エドワードのお守兼遊び相手として王宮に居たので、自分が貴族の令嬢という認識が甘い。これは、前世の記憶のせいもあるのかもしれない。前世では身分制度がなかったのだから。
とはいえ、エドワードの遊び相手として相応しくあるために、淑女教育を初め、彼と一緒に学問も学んでいたため、才女といっても過言はない。そのことを知るものは少ないが。
ルイゼは仕上げを料理長に頼んだ後、エドワードの部屋に行き最後のチェックを行っていた。そろそろ帰ってくるであろう部屋の主が、心おきなく休めるように、と。
ベッドメイクもしわ一つないくらい整っている。棚の上に埃もない。もちろん床にも、絨毯の上にも。そこで、テーブルの上が淋しい事に気付き、花を飾ろうと思って、庭に出ていった。
***
「おかえりなさいませ。エドワード殿下」
「ただいま、アリスン夫人」
ルイゼが庭に出て花を見繕っている間に、エドワードのほうが帰ってきてしまった。
出迎えたのはルイゼの母であるクロエ・アリスン――エドワードはアリスン夫人と呼んでいる。ルイゼと同じ明るい茶色の髪を上部でまとめ、優し気な笑みを浮かべている。クロエはエドワードの目の下のクマを見て、テスト期間ではないのに、そんなに忙しいのかと思いながら。
「お疲れのようですわね」
「ああ、ちょっと……」
「では、甘いものでも用意いたしますわ」
「頼む」
エドワードがソファに座ると、アリスン夫人はお辞儀をしてその場を辞した。
1人になったエドワードは、ソファに凭れて深いため息をついた。
「戻ってきたばかりなのに、アデラ嬢に会いたいな」
空を見つめながら、独り言が漏れる。
エドワードにはまだ婚約者がいないため、不誠実な行動をとったとは言えないが、相手が多数の高位貴族を相手にしているアデラ嬢であるため、エドワードをはじめ高位貴族の令息は、令嬢たちに白い目で見られていた。
それらを理解しているのに、アデラを前にすると、そんな考えはどこかへ吹き飛び、アデラをこの上なく大切に思ってしまう。
ただ、王族としての振る舞いをしなくては――という理性的な考えと相反し、思い悩んでしまうせいか、最近、しっかりと眠れない状態が続いていた。
それを、アリスン夫人はすぐに見抜き、ゆっくり休めるようにと席を外したのだった。
エドワードがアデラに思いを馳せていると、扉を叩く音が聞こえた。
思考の海から浮上し、表情を引き締めて「入れ」という。もともと、王宮の自室に入れるのは、エドワード付きの侍従やメイドしかいない。だから、誰か確認せずに招き入れた。どうせ、アリスン夫人がお茶と菓子を持ってきたのだろう、と。
「失礼します」
中に入ってきたのは、庭から戻ったルイゼだった。手には庭で摘んだばかりの花を飾った花瓶を手にしている。
「もう、お戻りになられたのですね、殿下」
ルイゼはエドワードを見ると、微笑みながら花瓶を壁際の机の上に置いた。
「ルル……」
「おかえりなさいませ、殿下」
エドワードの前に現れたのは、小さいころから一緒だったルイゼだった。ルルはルイゼの愛称で、この名前で呼ぶのはエドワードのみだった。それを認識した途端、トクンと心臓の鼓動が強くなった気がした。
エドワードの中から、アデラへの思いが萎んでいく感じがした。
いや、違う――と、エドワードは思いなおす。
彼の戸惑いをよそに、ルイゼは「あ、忘れてました!」と言って、エドワードの前から退出してしまった。
(相変わらず、抜けているところは変わらないらしい……)
エドワードは焦って退出するルイゼを見て、自然と口元が綻んだ。
もちろん、他の者が同じことをしたら叱責ものだ。けれど、ルイゼがした場合、エドワードは苦笑を浮かべるばかりだった。
1つ年上なのもあって、エドワードのことを弟のように扱うが、抜けているところもあって、本当に年上か? と思うことがしばしばだった。
そんなルイゼのことを思い出していたら、学院に戻りたい気持ちが自然となくなっていく。
また、体にあった軽い倦怠感が引いているのも分かった。
(不思議だ……)
エドワードは、最近、意識がぼんやりして深く考えることが出来ず、寝不足もあり常に軽い倦怠感を感じていた。それは回復薬を飲んでも変わらず、彼を悩ませていた。
ただ、アデラに会うとその倦怠感を忘れられたせいか、エドワードは名前を呼ばれても、触れられても拒絶しなかったのだが……。
(あり得ない……)
通常ではあり得ない行動に、エドワードは頭を抱えた。学院に入ってからの事を振り返り、自分はなんて事をしていたのだと呆れてしまうほど。
深くため息をついていると、また扉をたたく音がした。
「入れ」
先ほどと同じように短く答えると、今度はアリスン夫人とルイゼが2人で紅茶と茶菓子をカートで持ってきた。2人揃って「失礼します」と言って室内に入る。
「お待たせ致しました、殿下」
「今日はプリンを作りましたの」
「こらっ、ルイゼ」
ルイゼの気安さに、母であるアリスン夫人は窘める。ルイゼはやってしまった……と肩を竦ませる。
その様子にエドワードは自然と口端が上がった。
「気にしないよ、アリスン夫人。ルルは変わらないな」
「変わってもらわないと困りますので、甘やかさないでください、殿下」
アリスン夫人は顔をしかめて、エドワードの甘さについて窘める。エドワードは苦笑するしかなかった。
「そうはいっても、ここは私のプライベートルームなのだし、多少の事なら見逃すよ。この部屋まで堅苦しいのは勘弁かな?」
「殿下……」
にこやかに応答するエドワードに、額に手をやって顔をしかめているアリスン夫人。
その2人を見ながら、話が付いたかなとばかりに、ルイゼが「話が終わったのなら、お茶にしませんか?」と横から口を出した。
「こらっ、誰のせいで殿下に苦言を呈しているのか分からないのですか」
「……それは分かりますけど。せっかく帰ってきたんですから、ゆっくり休んでいただきたいじゃないですか」
「……ルイゼ」
「いや、アリスン夫人。ルルの言うとおりだよ。休憩にしよう」
エドワードの言葉によって、ルイゼは紅茶をカップに注ぎ始める。
アリスン夫人はまだ何か言いたそうだったが、ルイゼが支度をはじめてしまったので、これ以上の追及は諦めた。
ルイゼが紅茶のカップと焼き菓子、プリンがエドワードの前に置くと、一礼して傍に立った。
「ルル? 一緒に食べないのか?」
「後でいただきますので大丈夫ですよ」
「いや、そういうのを聞きたいんじゃなくて、前みたいに一緒に食べよう」
学院に入る前は、よく一緒に食べていたが、さすがにこの歳になってもそれが許されるとは思わないルイゼは、無茶言わないで欲しいと思う。しかも、隣には母であるアリスン夫人が睨んでいる。
「アリスン夫人、そんなに気を遣わなくてもいい」
「ですが……」
「はっきり言って、両親よりも2人のほうが家族のように思えるんだ。他人行儀は寂しいな」
「……では、はっきり言わせていただきますが、殿下は今、学院でどう言われているかご理解しておりますか?」
「学院? もしかして、アデラ嬢とのこと?」
ルイゼは知らなかったが、アリスン夫人はエドワードの学院での行動を知っている。そのため、王宮でも気を抜くなと言いたかった。
しかし、エドワードはアデラと他の高位貴族たちの事が、それほど問題になっているとは思っていなかった。
そもそも、エドワードは婚約者がいないため、特定の令嬢と親しくしても問題はない。それが下位貴族の令嬢だから、他にも高位貴族の令息が侍っているから問題として見られていると思っている。
「理解していらっしゃるなら、ご注意くださいませ」
「そう言われても、な。私は別に学院の噂など、興味ないんだ。そう思うなら、思ってくれていい。それに、アデラ嬢はなかなか愛らしいと思うよ」
「殿下?」
「だって、あんなに屈託なく笑顔を浮かべて慕ってくれるんだ。そりゃ、嬉しくも思うよ」
うっすら頬を染めて言うエドワードに、アリスン夫人は違和感を覚えたがそれより先に、「私だって男だからな」と、悪びれず付け足すエドワードに、2人して固まってしまった。
しばらくして、気を取り直したルイゼが、エドワードに問いかける。
「殿下、その考えは本心からですか?」
「ああ、もちろんだ。それに――私は王太子の座などどうでもいいんだ」
そもそも、エドワードは王太子になりたいと思っていないのだから。
第1王子と言えど、側室の子。しかも、母はすでに鬼籍で、母の実家の勢力も衰えている。そのため、王妃の子である第2王子を推す声のほうが大きいのを、エドワードはよく知っている。
また、アリスン夫人もルイゼもその事は理解していた。
が、それでも違和感がある。
エドワードは自分の立場を理解してはいたが、そう簡単に本心を漏らしたりはしなかった。また、学院での事は、エドワード本人だけでなく、王族や高位貴族の醜聞に繋がる。本来の彼なら、諫める側に回りそうなのに。
「ルイゼ、ちょっと殿下に触れてみなさい」
「え? なんで?」
「魔力の残滓が微かだけどあるの。それが影響しているのかも……」
「なら、消せばいいのね?」
「ええ」
ルイゼは母の言葉に従って「少し失礼しますね」と断ってから、エドワードの手に触れた。ルイゼに触れられたエドワードの指が、ピクリと反応する。
「えっと……たしかに何らかの魔力が殿下の周りを覆っているわ。好意を持たせるもの……かしら?」
「とりあえず、食べてしまって」
「はい」
母に言われ、ルイゼはエドワードに触れた手から魔力を引き抜くイメージを浮かべる。
ルイゼは特殊な能力の持ち主で、相手の魔力を食らう事が出来る。攻撃された魔法を食らって消す事も可能だし、洗脳された状態から魔力を食らい開放することも出来る。
代わりに自分で魔力を生成する事が出来ないため、学院での魔法学の成績は残念なものだった。
その特殊な力ゆえ、ルイゼの能力は秘匿され、ほんの一部の上層部の人間しか知らないのだった。
「……あれ、ルル?」
「気づきました?」
「ああ……ここは自分の部屋? 私は学院に入ったんじゃなかったのか……?」
「学院での出来事がほとんど朧気になってますね」
それから、アリスン夫人は、エドワードに学院での出来事を知る限り伝えた。
近くで聞いていたルイゼは内心で、『うわぁ、なんか乙女ゲームみたい。でも、好きになる正体が魅了って……』と思い、なんとも言えない表情になった。
エドワードのほうも、学院での出来事のあれやこれやを聞いて、こちらもなんとも言えない表情になっていた。
「これは……父――陛下のお叱り案件かな?」
「ですが、これは『魅了』ですよ? 人の心を操る魔法です。違法では?」
「確かに違法だな。となると、アデラ嬢を調べる必要があるわけか」
「殿下は駄目ですよ。近づいたら、また同じ事になってしまいますから」
「分かってる」
不本意ながら、エドワードに対抗すべき手段がない。
しかも、アデラは高位貴族の見目麗しい令息を何人も侍らせていた。となると、彼女の魅了に掛からない者に調査させるしかない。
とりあえず、己の不覚さを嘆く前に、父である陛下に報告し、暗部を動かすしかないだろう。
しかし――
「分かるものがいないとはいえ、魅了に掛かった間抜けな王子は、王太子に相応しくないだろうな」
「殿下……また、そんな自虐的な」
「自虐じゃないよ。思っていたのと違うけど、これを利用させてもらうのも手だな、とね」
王籍を抜けるのはまだ出来ないが――第2王子が学院を出るまで――王位継承権を棄てる事は出来そうだと、エドワードはこれを好機だと捉えた。
逆に、ルイゼはエドワードがどうして笑みを浮かべているのか分からず、アリスン夫人はなんとなく察してしまった。
「殿下、それについてはまた――」
「別に後にする必要はなくないかな? 私の立場がはっきりすれば、安心する者たちも多いだろうしな」
「そうは言われましても……」
はっきり主張するエドワードに対し、アリスン夫人の抗議の声は、あまりに弱かった。
「お二人とも何の話をされてるんですか?」
蚊帳の外にされたルイゼは、首を傾げて訊ねた。
アリスン夫人はルイゼに「いいから、紅茶が冷めてしまったから淹れなおして来て」と言い、部屋から出そうとしたのだが、エドワードが、
「ルル、ちょっとこっち来て」
と手を差し出した。
上司としてなら母の言葉を優先すべきだが、それより上位者の王族の言葉を無碍にはできない。迷った後、ルイゼは仕方なくエドワードのほうに近づいた。
すると、手を取られて急に引っ張られ、思わず「きゃっ」と声を上げたが、気づいたらエドワードの腕の中だった。
「で、殿下?」
「エド、だよ。ルル」
「……」
「昔の約束を覚えてるか?」
「昔の……」
まだ年齢が1桁だった頃、2人の世界は狭くて、特にエドワードは大人になったらルイゼと結婚すると純粋に思っていた。
けれど、ルイゼは母であるアリスン夫人にエドワードは王族で、結婚は出来ないと諭されていたのと、エドワードが年下だったのと、普通の家族に憧れているのを知っていたため、弟のように扱っていた。
それが要因で、エドワードが「結婚して」と言っても、あまりピンと来ず、「大人になったらね」などと誤魔化していた。
「まだ学院を卒業はしていないけど……背もルルより高くなった。ルルが小さく思えるほどに……」
ルイゼはエドワードの腕に捕らわれて、抜け出すことが出来ないでいた。
後ろに圧を感じるので、今すぐにでも放してほしいのに。
「殿下、あの、放して――」
「エド」
「……エド様」
「良し。とりあえず、今後はその呼び方で。『殿下』に戻したら返事しないから」
「……」
「続きはアリスン夫人がいない時にゆっくりしようか」
エドワードの最後の言葉に、後ろからの圧がぶわっと大きくなったのだが、エドワードはどこ吹く風で、ルルの頬に軽く口付けた。
「でっ、殿下!?」
「エド」
「……エド様……いい加減にしてください」
母の圧も怖いが、エドワードの押しも怖い。早くここから逃げたい。
ルルは顔が赤くなったり青くなったりを繰り返し、冷や汗がだらだらと出ているようだった。
その後、王宮の暗部から調査が入る事になるのだが、調査の間にまた魅了される可能性もあるため、ルイゼが付き添い人になった。
エドワードは2人きりになれるチャンスを逃すわけもなく、学院での授業が終わるとすぐに部屋に戻り、2人きりで過ごした。
暗部がアデラ=プリムローズ男爵令嬢を調査し終える間に、ルイゼはついにエドワードに落ちた。
「さて、今回の事は災難だったな」
夜、王宮の一角――王族専用の庭園で、父王とエドワードは2人きりでテーブルについてワインを飲んでいた。
周囲は夜に咲く特殊な白い花が咲き誇っている。
「私としては、災難転じて福となす――という感じかな。そうそう、今更、私との約束を反故にすることはありませんよね?」
さっさと認めろや――とばかりに、声に圧が籠る。
「はは、分かっておる。あの娘との結婚だろう? 王位継承権を破棄し臣籍降下したのち、また、学院を卒業後、ルイゼ=アリスンとの結婚を認めよう」
「ありがとうございます」
エドワードは満足げな顔をして、ワイングラスに口を付けた。
長い道のりだった――と、少々感慨深げになる。自分のルイゼに対する恋心に気付いた時から、ルイゼに色眼鏡なしで見てもらい、選んでもらうこと。そして、子爵令嬢との結婚なら、王位継承権を放棄し臣籍降下してもおかしくない状態を作ることが、エドワードが自分らしくいられる未来だった。
学院でうっかり魅了にはまってしまったのは失策だが、それも王位継承権を放棄する理由になったのだから、まあいいか、という感じだった。
ちなみに、アデラ=プリムローズは男爵家は関わっておらず、彼女の独断という事が分かった。
また、捕まえる時に「なんで」「わたしヒロインなのに!?」「こんなのルートにない!」などと、周囲の者には理解できない発言をしていたため、精神異常を疑われた。
とはいえ、異性がいるところでは魅了を使われると、どうなるか分からないため、女性のみの修道院に送られることになったという。
それらの話を、エドワードから聞かされたルイゼは「やっぱり乙女ゲームの世界だったのね」という感想を抱いた。
乙女ゲーム自体をしたことのないルイゼからすれば、どのゲームかなど分からないが、きっと自分の存在がイレギュラーだったんだろうな……と思った。
(わたしがいなかったら、『魅了』のせいでも、何人かの方と恋仲になれていたのだから)
とはいえ、魅了と言えば洗脳と同じだろう。洗脳されて操られるよりは、ゲームをリセットされてしまった方が良かったのだろう――と思い直した。
(それより自分の事を考えなくちゃね)
エドワードの猛攻に折れてしまったルイゼとしては、今後訪れるであろう結婚式やお披露目などの事を考えれば、頭痛がしてくる。
「ルル?」
「……エド様」
「眉間にしわが寄ってる。考え事もし過ぎると体に良くないよ」
「……」
誰のせいで――と喉元まで出かかったのを何とか抑えた。
何を言っても無駄た。ルイゼはもう、エドワードと結婚するしかないのだ。
子供の執念は意外と怖いものだと、改めて感じ、遠い目になった。
色々漏れがあるけど割愛で。
一応乙女ゲームの世界。でも、主人公側はそんな事は知らないので、ヒロインのやり方に理解出来ないところがあったり。