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第2話:追放された村と、呪いの少女

 月はまだ昇っていなかった。

 薄闇の中、焚き火の赤い火花だけが、揺らめきながらアスハの横顔を照らしていた。


「……お前、本当に“影喰い”なんだな」


 焚き火の向こうに座るのは、錆びた剣を携えた傭兵崩れの男――ガルド。昼間、森の中で魔物に襲われかけていたアスハを助けた人物だった。


 アスハは黙ったまま、木の枝で火を突く。


 影喰い。それは、この大陸のどこよりも忌み嫌われた“異能”だった。


 物心ついたときから、自分の影が飢えていた。人の感情に巣食い、負の記憶を喰らい、アスハの身体に取り込んでしまう。

 怒り、恨み、絶望――影の味はいつも苦くて重い。


「……助けてくれて、ありがとう。でも、あまり関わらないほうがいいよ」


「ハッ。今さらだ。もうすでに魔物三体も倒しちまった。どうせ運命だと思うことにするさ」


 ガルドはそう言って笑いながら、ワインの皮袋を掲げた。


「そんで、お前はどうしてあんな森の奥にいた? 村から逃げてきたのか?」


 アスハの手が止まる。


 ――村。

 言葉の響きが胸に引っかかった。


 つい昨日のことだった。



「出ていけ、化け物め!」


 アスハの手から落ちた薬籠が、ぱらぱらと音を立てて地面に散らばった。

 血走った目で彼女を睨む村の男たち。誰もが、恐怖と怒りに支配されていた。


 村の子供が病に倒れたとき、アスハは自らの知識を頼りに薬草を煎じて与えた。

 その結果、病は治った。


 けれど――その病は、隣村では“呪い病”と呼ばれていた。


 そしてアスハの異能、“影喰い”の力で記憶を喰らったことが知れると、村は一気に彼女を追い出したのだった。


「わたしは、誰かを助けたかっただけ……」


「言い訳するな! お前のせいであの子の記憶が――!」


 その場に倒れて泣き崩れた少女の母親の姿が、今もアスハの脳裏に焼きついている。



 焚き火の火が、ぱちりと弾けた。


 アスハは俯いたまま、ポツリと呟いた。


「村から……追放された。わたしの力が、怖いって」


「そうか」


 ガルドはそれ以上、何も聞かなかった。

 それが逆に、アスハの胸を苦しめる。


「……でも、あの子の病気は治ったの。わたしがやったことは、間違ってなかった……はず、なのに」


 震える声。

 自分自身に言い聞かせるような呟きだった。


「間違っちゃいねぇよ」


 その言葉は、不意に差し出された。


 焚き火の向こうから、ガルドが真っ直ぐな目で彼女を見つめていた。


「俺は昔、ある村で盗賊に雇われて、略奪に手を貸したことがある。飢えてて、死にたくなくて、必死だった」


 アスハが顔を上げると、彼は空を仰ぎながら、ぽつりと続けた。


「だけどな。俺を責めなかった娘がいた。『今、生きてるんでしょ? だったら、これからは良いことして生きて』って言われた。……泣きながら」


 その声は、どこか懐かしさを含んでいた。


「だから俺は、生きてるうちに少しでも良いことを積むことにしたんだ。……お前もそうすりゃいい。間違ってなかったなら、なおさらな」


 アスハは、しばらく黙っていた。


 そしてようやく、小さく呟いた。


「……ありがとう、ガルドさん」


 そのとき、彼女の影が微かに揺れた。


 まるで、空気の中で何かがざわめいたように。


 だが、その気配を感じ取ったのはアスハだけではなかった。


「なあ……何か、聞こえなかったか?」


 ガルドが耳を澄ませた瞬間、地面が震えた。


 遠く、森の奥から聞こえてくる――咆哮。


 異様に低く、まるで地底から響くような、不気味な音。


「……あれは、魔獣か?」


「……違う。もっと“濁ってる”。誰かの影が……暴走してるのかも」


 アスハの声は硬かった。


 この感覚。

 かつて、影を喰いすぎて暴走した自分と同じ“におい”が、森の奥から近づいてきている。


 それが意味するのは――


「行かなきゃ。誰かが、飲まれてしまう前に」


「おい待て! 夜の森に入るなんて正気じゃ――!」


 だが、アスハはすでに走り出していた。

 影が地面を滑るようにして彼女に追従する。


 その後ろ姿を見て、ガルドは苦笑した。


「まったく……良いことをするのも、骨が折れるぜ」


 そして、錆びた剣を背負い直し、彼もまた、森へと走り出した。


 ――アスハの“影”が、暴走する何かに反応した以上、それはただの魔物ではない。


 この最果ての地に、またひとつ、新たな“謎”が芽吹こうとしていた。

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