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なぜ山羊は死んだのか ― 千年之大帝國、完成ス。  作者: 天津青生 / 赤目のサン
【第一部『盟邦たる日独』】:第一章 ―『トルキスタン紛争』
4/5

挿話 ― 報復兵器4号

 1945年8月6日、午前4時30分。

60万の"人間"が、"影"または"塵"に、その姿を変えた時刻である。


 ミュンヘン上空3万4000フィートにおいて煌めいた、人類の英知の結晶(プロメテウスの火)

 英海峡の拮抗状態は崩れ、豪雪と泥濘(でいねい)塗れた(まみれた)東部戦線は遂に動き出し、イタリアでは「冬の嵐」が巻き返しを図っている。

…プロメテウスが憐れんだのはアメリカであった。


 あの日、アメリカ合衆国陸軍航空隊・第Ⅷ爆撃軍団(マイティ・エイス)所属のB-29計6機は、随伴護衛戦闘機と共にミュンヘン上空に来襲。ドイツ国防軍空軍は4機のB-29と数十機の護衛戦闘機を撃墜するも、ミュンヘンにおける惨劇を防ぐには至らなかったのだ。




 だが…その"火"の代償は、思わぬ所からやって来る。


 ドイツ国防軍兵器局による核兵器開発は、ノルウェー人による決死隊の破壊工作によって防がれた。日本陸海軍の核開発も順調とは言えない。核開発において協調関係にあった英国はもう居ない。ソ連も核兵器開発を始める余裕は無い。

 1945年8月11日、マルセイユ。

同年9月20日、ローマ。

アメリカは"核兵器"と言う優位性を、今後10年は保ち続けると予測していた。





 1947年2月3日、"ボストン"。

アメリカ建国の地に〈Vergeltungswaffe 4(報復兵器4号)〉は落とされた。

 国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)結成の街"ミュンヘン"への原子爆弾投下、その仕返しと言わんばかりである。


 核分裂反応の発見から数年の出来事。

原子力とは最早、人間にとって身に余る力では無かった。

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