13.外は紅色、中は黄金色2
桃華が生まれた時、紫雲はまだ三つだった。
今までずっと両親の愛情を一人きりで受けてきた紫雲にとって、突然現れた妹は両親の愛と関心を一気に奪った邪魔な存在だった。生まれる前は新しくできる「きょうだい」を心待ちにしていたのに、いざ生まれてきたらお世話をする気も仲良くする気もおきず、気が付けばあまり顔を見にも行かない状態が続いていた。
両親がいつも桃華のそばに居たのはちゃんと理由があって、桃華はまだ赤子でその上生まれつき身体が弱く、よく体調を崩していたからだという事を知っていたが、子供心に両親を取られたという意識が強く素直に可愛がることが出来なかった。好きになれない気持ちが段々悪いほうに変化してしまい紫雲の中で桃華は邪魔者になってしまったのだった。
そんな心境に変化が現れたのは、桃華が酷い熱を出して生死を彷徨ったあの出来事からだった。もしかしたら桃華が死んでしまうかもしれないという状況で、今までの自分は何てバカで愚かだったんだろうと頭の中は後悔でいっぱいになった。本当は一緒に遊んだり、たった一人の妹を可愛がったりしたかったのに、変に意地を張ってしまった自分のせいで何もしてやれなかった。
もし桃華が元気になる事ができたら、今度はちゃんと兄として惜しみなく愛情を注ぐと誓う。そうやって桃華の回復をそばで祈りながら過ごした数日間はずっと泣いていた。
その後桃華は無事に目を覚まし、紫雲は自分で立てた誓いを胸に生きていくことを決めた。後に母である水月から桃華に何が起こったかを聞いたが、それでも紫雲の心は何も揺らぐことはなかった。なぜなら水月には言っていなかったが、紫雲の元にも桃華が現れていたからだ。夢の中の桃華は自分が今まで見た中で一番元気そうだった。笑顔で手を振ってどんどん遠くにいく桃華は「今度こそ“妹”を大切にしてね」という言葉を残して消えていった。
目覚めた桃華はどこか今までと違う様子だったが、母からの話と夢の中の桃華の言葉とで状況に合点がいった。桃華は今の環境に何とか慣れようと頑張っていたが、いつも一生懸命な姿しか見せない桃華が、夜に自室で息を潜めて泣いていたのを見かけたときは心が痛くなった。桃華の頑張りに自分も兄として精一杯助けないといけないという気持ちで、時間があれば毎日のように桃華の元へ足を運んだ。だんだん健康を取り戻して普通の生活を送れるようになると、一緒にできることも増えてきてより一層桃華のそばに居る時間が増えていった。妹と一緒に過ごすことが日々の大切な時間になっていき、すっかり妹馬鹿になった紫雲はちょうどその頃玲瓏院への入学が決まる。大好きな桃華と離れる時間が強制的にできてしまうという紫雲にとって苦汁をなめる日々の始まりである。
―――玲瓏学院からの帰り道
「ジョウ、今日は「桜屋」に寄るぞ」
「小物を扱っている店ですね。姫様に贈り物ですか」
「まさしく。頼んでいたかんざしを引き取りに行く。桃華はあまり髪を結わないが、玲瓏院への入学も決まったことだし、少しずつ装飾品を贈っていこうと思ってるんだ。一つずつ贈り物をすれば謙虚で遠慮がちな桃華も「一つなら・・・」と受け取ってくれるに違いないだろ。まあでもただでさえ輝いている桃華がもっと輝くことになると、どこぞの馬の骨が引き寄せられて来そうだが、その時はその時で僕が成敗してやればいいよな。どう思うジョウ?」
「そうですね」
「だよな。あと桃華は・・・」
とこんな感じで桜屋までの道を俺とジョウは桃華の素晴らしさについて語りながら歩いた。
桜屋に着くと店先で店主が出迎えてくれた。
「これはこれは玉家の若君ではありませんか。ご依頼いただいたかんざしをお引き取りに?」
暖簾をくぐって中に入ると若い女性がちらほら居るだけであまり人気はない。この店は流行りの品を沢山揃えていて人気がとても高いので今日はかなり空いているほうだ。人が多いと知り合いに出くわすかもしれないので、逆に空いていてくれて良かった。早く家に帰りたい。
「ああ。もう仕上がっているんだろう」
「もちろんでございます。中でお茶でもいかがですか」
「ありがたいが、今日は遠慮させてもらう」
「さようですか。では・・・こちらがご依頼いただいた物でございます。艶やかなべっこうに桃の花をあしらった一本挿しのかんざしでございます」
店主が桐箱の蓋をそっとずらすと中には絹でできた愛らしい桃の花飾りがついたべっこうのかんざしが見えた。
「素晴らしい出来だ!このかんざしを挿した桃華の愛らしい姿が一瞬で想像できるぞ。よし、次もこちらで頼むことにしよう」
「ありがとうございます!」
「こちらこそ感謝する。じゃあこれで失礼するよ、営業中に邪魔をした」
「滅相もございません。またのお越しをお待ちしております。」
桜屋から無事かんざしを受け取り家路を急ぐ。早く桃華に渡して、喜ぶ顔が見たい。
「とても可愛らしいかんざしですね。若様ならもっと豪奢な物を頼むかと思っていました」
「甘いな。豪奢な物も桃華に似合うと思うが桃華自身があまりそういった物が好きじゃない。最初からそんな物を贈ったら何も受け取ってもらえないだろう。まずは手に取りやすく日常使いできるものから始めて、贈り物に慣れてきた頃に意匠を凝らした煌びやかな物を贈るんだ。きっとその頃には桃華もお洒落に目覚めて、素直に受け取ってくれるようになっているだろう」
「そうですか」
「そうだよ」
「姫様、喜んでくれるといいですね」
「うん」
「お、着いたぞ」
玉家の正門が見えて思わず小走りになる。横を走るジョウがおやと声を上げた。
「なんだか騒がしいですね」
確かに複数の人の声が聞こえる。俺は胸にざわめきを覚えた。幾度となく経験したあの残念な感覚がよみがえってくる。
「まさか!」
小走りが自然に本気の走りに変わり、慌てて門をくぐれば沢山の使用人と母上と愛しの桃華がそこには居た。使用人達が持っているあの桐箱は懇意にしている呉服店の物だ。俺は察した。母上と桃華は「衣選び」から帰ってきたところだと。つまり俺はまた「衣選び」に参加することがかなわなかったのだと。俺はあまりの無念さに思わず拳を地面に叩きつけて涙ながらに思いの丈を叫んだのだった。
その日の夕食後に優しい桃華がお茶を振舞ってくれるとのことでお呼ばれされたのでかんざしが入った桐箱を持って桃華の部屋を訪ねた。部屋の前には桃華の侍従のセツが待っていてジョウは外に待つようにと伝え、僕だけを中に入れると自分も入らず扉を閉めた。部屋の中には侍従は誰一人おらず僕と桃華の二人だけだった。満月の見える窓辺に二人して座り、秋になり少しずつ冷たくなった夜気を感じながら桃華の淹れてくれた茉莉花茶を楽しむ。
「お兄様、私のことをお母様から聞いていたそうですね」
不意に桃華が語りだした。緊張した様子を感じてはいたが、とうとう母上が桃華に真実を打ち明けたのだと悟った。いつか話すと思っていたが、ついにその日が訪れたということだろう。
「うん、知っていたよ」
「それなのにどうしてこんなに大切にしてくれるんですか?」
「妹だからだよ」
「でも、私は・・・」
「君は玉桃華だ、僕のたった一人の妹だ。それ以上の理由なんて必要あるかい?」
「お兄様・・・」
桃華の目が涙で潤んでいくのが分かる。
「何も思い悩まなくていいんだよ。桃華はこの世界に訪れた奇跡なんだから、幸せに生きることだけを考えて」
「ありがとうございます」
全てを知った桃華にかけようと思っていた言葉。「桃華」は「妹」は幸せにならなきゃいけないから。何事にも囚われず楽しく明るく生きていってほしい。どこに居たって。
桃華の気が落ち着くのを待ってから、俺は桃華に了解を得てジョウを部屋の中へ招き入れた。同じく桃華もセツを呼び入れる。
「桃華お茶のお礼といってはなんだけど、今日は贈り物を用意しているんだ」
「贈り物ですか?」
「うん、これだよ。気に入ってもらえるといいけど」
ジョウから桐箱を受け取って桃華の前へと差し出した。蓋をずらして中からかんざしを取り出して渡す。
「職人に依頼して作ってもらったんだ。このくらいなら普段使いができるかと思ってね」
「とても素敵ですね、気に入りました」
桃華はかんざしの桃の花飾りに夢中で、絹でできたそれに興味を持ったらしく色々な角度から眺めている。その姿はかんざしを挿した自分を想像しているというよりも、何か研究のために観察をしているようだ。
「桃華?どうだろう、今挿してみないか」
「結構ですわ、お兄様。セツ、この飾りは次の刺繍に活かせそうね」
「はい、姫様。図案によっては愛らしくも美しくもなると思います」
「兄様が髪を結ってあげるよ」
「大丈夫ですわ、お兄様。セツ、この飾りと同じ絹はまだあったかしら」
「確か五色ほどございます」
「そう。早速明日見に行ってみましょうか」
「今日の為に髪結い師に師事してきたんだ、腕前はお墨付きだよ」
「ありがとう、お兄様。でも次の機会にお願いします。こちらのかんざしはとても気に入りました。本当にありがとうございます。ではお休みなさいませ」
桃華はいつの間にか刺繍の話をセツと始めて、僕はというとあっという間に部屋の外へと押し出された。鼻先で小気味よくすぱんっと閉まった扉がなんとも清々しい。刺繍の話をしているときの桃華はいつも楽しそうで見ていてこちらも嬉しくなる。桃華が楽しいならそれでいいのだ。
意図した結果ではなかったがかなり気に入ってもらえたので良しとしよう。僕はそう思うことにして笑顔で自室へ歩き出した。
横で気まずそうに視線を送ってくるジョウに伝えたい。
決して強がりで笑顔になっているわけではないと。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
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