12.外は紅色、中は黄金色
街の街路樹がすっかり赤くなり、各地で紅葉狩りを楽しむ人々の姿がよく見られるようになった秋も深まる今日この頃。
玉家には今年も豊作だった旬のさつま芋がこんもりと厨房に届けられていて、毎日さつま芋を使った献立が一品出てくる。どれもこれも美味しくて今日は何が出てくるのかと楽しみにしている。
桃華は13歳になる来年から玲瓏学院に通うことになっている。本来ならば10歳から入学するのだが、体調が万全ではないため入学のタイミングを見計らっていた形だ。まあ実際はぜんざいの商売が楽しくて後回しにしてただけなんだけど。
玲瓏学院は現在紫雲が通っており、入学試験に通過すれば庶民(玲瓏豊在住)でも通うことができる。庶民が通う際は学費など教育にかかる費用は全額免除になるので安心して勉学に励むことができる仕組みだ。ただ、『庶民にも十分な教育を』というのが代々玲瓏豊主である玉家の考えらしいので、玲瓏豊の民であれば入学試験なしで誰でも学ぶことができる「学習塾」というところもある。学習塾は玲瓏豊のそれぞれの地域に一箇所ずつ設置されており、その地域に住んでいる子供達へ平等に教育を施すことを目的としている。玲瓏院では将来国の中枢で働く人材育成のための教育を第一にしており、院を卒業した者は王宮の役人か玲瓏豊の役人かどちらかとして働くことが多い。その次に多いのは跡取りとして家業を継ぐために実家に戻る者だ。うちの紫雲はもちろん後者である。
俺が院に通うことが決まって一番に喜んだのはもちろん紫雲だ。一緒に院へ通うということは今まで以上に一緒に居る時間が増えるということで、今からそのときを首を長くして待っていると紫雲の侍従であるジョウから聞いている。俺はといえば久々すぎる学校に、楽しみ半分緊張半分というところだ。入学まで日があるのでなんとか気持ちを整えて挑もうと思う。もちろん入学時の試験は合格済みです。
紫雲が院に通っている時間は俺は俺で書、生け花、刺繍などの教養や、身を守るためと体力づくりのための護身術の稽古、学習面で遅れを取らないように家庭教師を付けて週に四日間はみっちり勉学に励んでいる。正直、このまま家庭学習でいいんじゃないかと思うのだが、同年代の親しい友人が居ない俺を彩雲さんと水月さんが心配しているのを知っているので、今回行くことを決めた。
今日は忙しいスケジュールの中でも得意な刺繍の時間がある日で先生は水月さんだ。水月さんは玲瓏豊のみならず青河国内で刺繍の名手として名が知られている程に刺繍が上手い。俺自身は今まで一度も針仕事などしたことはなかったのだが、桃華は水月さんの遺伝子を見事に受け継いでいるようで、初めてやったときは針で指を刺したり、刺繍のラインがぐじゃぐじゃになったりで酷い有様だったが、今では人様にお見せしても差し支えないほどにレベルが上がった。今回の課題は近いうちに会う約束をしている、貿易商一家のアレックスに贈るための刺繍だ。アレックスといえば海!船!なので真っ青な生地に白いカモメと船をメインにした構図の刺繍を制作中である。みっちり2時間ほどやりこみ、甘味時になったタイミングで刺繍の授業は終了した。
水月さんと一緒に紅葉が楽しめる中庭に移動する。今日の甘味時には焼き芋を出してほしいと伝えていたので、そこであつあつの焼き芋を味わうという「紅葉」「焼き芋」という秋の風物詩を味わいながらの贅沢な甘味時を過ごすのだ。縁側はこの中庭にはもともとなかったのだが数年前に設置された。ちなみに縁側を作るきっかけになったのはこの俺である。玉家は敷地がすごく広いが、この中庭は奥まった場所にあるとても静かな場所に位置している。桃華として目覚めた頃は、メンタルが不安定だったこともあって俺はここの存在を知ってからはよく来ていた。そのことに気づいた水月さんが気を利かして中庭を少し整備してくれて俺が心休めて過ごせるようにと縁側を作ってくれたのだ。桃紫華のある中庭とは違い一面青々とした芝生が広がっていて、紅葉の他に金木犀の木も植えられている。庭園の端には小さな東屋があり、そこでは刺繍を刺したりお茶を楽しんだりしている。今回はその東屋は使わず、縁側に座っていただくことにした。実は俺と水月さんはここ最近この縁側で横に並んで座ってお菓子を食べたり刺繍をしたりしている。紫雲が居ない時間帯を見計らって来ているので、幸いにも今まで紫雲とエンカウントしたことはない。
「さ、食べましょう」
「はいお母様」
水月さんに促されて皿の上に乗った焼き芋を手に取る。ぱかっと二つに割ってみれば湯気がもくもくと上がり、湯気の向こうにほくほくとした黄金色が見えた。火傷したら痛いので慎重に一口齧ってみれば、日本で食べていた昔馴染みの味が口の中に広がった。自然の甘みと炭焼きの香ばしい匂いが昔から大好きでよく買って食べていたのだ。
あまりに美味しくてパクパクと食べ進めて、あっという間に一本完食した。
(めっちゃくちゃ美味い!いくらでも食べれそう!)
お茶を飲んで一息ついてからよし!次!と喜び勇んで手を伸ばそうとした俺は、そこで水月さんが微笑みながらこちらを見ているのに気づいた。あんまりがっつきすぎていただろうか。
「お母様、召し上がらないのですか?」
もちろん冷めても美味しいが、できれば温かい内に食べてほしいのが俺の本音だ。多分焼き芋も同じことを思っている。俺の問いかけに水月さんは微笑んだまま「そうね」と答えて、焼き芋を手に取った。俺と同様に半分に割ってそのまま食べ始める。
美しく色づいた紅葉を楽しみながら焼き芋を食べることの幸福度は計り知れない。なんせ焼き芋は俺の大好物の一つなのである。本気でいくらでも食べられる。なんなら夕食はちょっとでいいと思うぐらいに。俺の分は2本だったのだが水月さんは1本だったので、俺が2本食べ終わって少しした後に、水月さんも完食したようでお茶を飲んで一息ついていた。辺りは静かで木の葉が風にそよぐ音がよく聞こえる。秋になると昼間は暖かいが、日が暮れると空気が冷えて乾いていく。俺はその絶妙な秋の空気感が好きだ。中庭には金木犀の香りも混じって、秋を詰め込んだようなこの空間に徐々に心が癒されてくる。俺はゆったりと流れる空間に久々に心底落ち着いた気持ちになっていた。すると、水月さんがいつもの柔らかい口調で俺に話しかけてきた。
「桃華、少しお話してもいいかしら」
「もちろんです」
「ありがとう。あなたたち、少しの間桃華と二人きりにしてくれるかしら」
「「「はい」」」
俺の返答に水月さんはセツや自身の侍従を含め全員を遠ざけた。侍従は皆一斉に散っていき、廊下の奥にでも居るのか本当に誰の姿も見えなくなった。いつも一緒に居るセツも居なくなってしまい、なんだか心細い。
(なんだろ?なんか深刻な話かな?)
今日に至るまで水月さん含め家族とサシで話すことは何度もあった。けど、その時はいつもお互いの専属侍従が常に傍、もしくは部屋の奥などに控えていて声をかえればいつでも駆け寄ってくれる位置にいたから、こんな風に本当に二人きりになったことは一度もない。
水月さんを見てみれば何も変わらない穏やかな表情のままだ。
「お母様?」
「桃華、今から言うことは家族以外には内緒の話よ」
「はい」
「私の母、スイレンお祖母様はを知っているわね」
「はい、いつも良くしていただいています」
スイレンお祖母様はとても上品な方で、会う度に美味しいお菓子をくれるとても気さくで優しい孫大好きおばあちゃんだ。
「スイレンお祖母様はね、不思議な力を持っている人なの」
「不思議な力ですか?」
「そう。人の纏う光のようなものを見ることができるの」
(“オーラ”みたいなものかな?)
「身内しか知らないことでね、公にはしていないの。私にその力は受け継がれなかったけど、桃華にはあった」
「私・・・に・・・」
「あなたが生死を彷徨ってから無事に目覚めてからはその話はきかないけれど、今は見えていないということよね」
「はい。見えたことはありません」
「寝込む前は頻繁にその光が見えていたみたいでよく私に教えてくれたし、あの頃のあなたは夢の中の出来事もよく話してくれた。夢の中でできた友達「シュウリ」についても」
「シュウリ・・・さん」
(俺がここに来るきっかけになった女性と同じ名前だ。まさか本物の桃華もシュウリさんと会っていたってことなのか)
予想外の出来事に思わず水月さんのことをガン見してしまった。気を抜くと倒れそうになるので、ぐっとお腹に力を込めて背筋をぴんっと伸ばした。あの出来事から何年も経った今、「シュウリ」さんの名を聞くことになるとは思いもよらなかった。水月さんは穏やかな表情のまま話を続けた。
「高熱で倒れる数日前に私に桃華が言ったのよ。「お母様、私はここから去ります。だけど新しい命がやってくるからあまり悲しまないで、その子を幸せにしてあげて」って。最初はどういう意味か分からなかったけど、あなたが目覚めてからの行動がおかしかったのと、スイレンお祖母様の力で意味が分かったの」
額に冷や汗が流れたのを感じた。たった一滴だったが俺の心を凍らせるには十分だ。心臓もどくどくと速く強く脈打っているのを感じる。
「目覚めてからのあなたは私たちのことがわからなかったり、今まで好きだったものが苦手になったり、教えてもいない言葉を使ったり、所作が変になったり、まるで別人のようだった。お見舞いに来たスイレンお祖母様からあなたの纏う光がまるで違う色になったというのをきいてようやく合点がいったの」
「・・・」
「あなたは桃華だけど桃華じゃないって」
水月さんのその言葉に俺の時間が止まった。外に居るはずなのに何の音も聞こえない。あれだけ激しく鼓動していた心臓の音も何も。水月さんはただずっと微笑んでいた。
「産まれてからずっと病弱だったのに、あなたは目覚めてからみるみる元気になって、今はもう身体を自由に動かしたりできる健康な身体を持つまでになったわ。臥せっていたあの頃が嘘みたいに」
「ごめんなさい!」
「謝る必要なんてないのよ」
「彼女の身体を奪うつもりはなかったんです」
「知っているわ、スイレンお祖母様が言っていたもの、あなたが纏う光は優しい誠実な色だってね。それにあの子の言葉があったから。・・・桃華が産まれた頃は珍しく玲瓏豊で流行り病が発生して多くの民達が倒れたわ、港業も長く続く嵐のせいであまり振るわなかった。玲瓏豊全体が暗く沈んでいた中に誕生した桃華は希望の光だった。お父様は寝る間を惜しんで仕事に励み、玉家の私財も投入して玲瓏豊を回復させようとしていた矢先だったの、桃華が倒れたのは。あの時あの子の身体にあなたが宿らなければ、「玉桃華」は目覚めなかった。桃華がいなくなってしまったら折角灯った光が失われ、お父様も民も皆悲しみに暮れ、玲瓏豊は暗闇から抜け出すことが難しくなっていたはず」
「水月さん・・・」
「あの子はね、きっとここでない世界で幸せに過ごしていると思うの。本当にたまにね、見たことのない服装をしたあの子が夢に出てきて、おしゃべりをするのだけれどとても楽しそうなの。ここに居て病弱な身体のまま好きなこともできずに生きるより、やりたいことを思う存分できるほうがいいに決まっているわ。だから私はあなたがここに来てくれてすごく感謝しているの。娘に新しい人生を与えてくれて、私たちの娘としてこの世界に来てくれて、玲瓏豊の玉家の光を絶やさずにいてくれて」
「水月さん・・・・・・・」
そう言ってそっと水月さんが手を握ってくれた瞬間に俺の目から涙が溢れた。じんわりと目も鼻も熱くなってくるのを感じた。
「それにね、あなたが本心から私やお父様のことを、「お母様」「お父様」って呼んでいないのもわかっているのよ。きっと、自分は「玉桃華」ではないからって思っているんでしょう?」
「そうです・・・だって俺・・・本物の娘じゃないですから・・・」
「やっぱりね、おバカさんだわ。そんな風に思う必要はないのよ。あなたは正真正銘「玉桃華」よ。そして玉家の大切な大切なお姫様なんだから。自分の存在が本物じゃないなんて二度と考えてはだめ」
「いいんですか・・・」
「いいに決まってるでしょう」
「ありがとうございます、本当に、ありがとうございます」
気付けば俺は号泣していた。
顔中真っ赤にしながらえんえん泣いた。いつも感じていた心の奥底にある不安も涙と一緒に流れていくようだ。しばらくしてようやく涙が納まった頃に水月さんに背中をトントンと優しく叩かれた。顔を上げれば絹の手巾を持った手が俺の涙まみれの顔を優しく拭ってくれる。
「すみません」
「気にしないの。ほら、お茶を飲んで落ち着きなさい」
「ありがとうございます」
急須から注いでくれたお茶はまだほんのり温かくて、昂った身体を鎮めるのにちょうど良い。ゆっくりゆっくり飲んで心身を安定させる。それから茶器をお盆に戻した。水月さんは俺がお茶を飲み終わったのを見てから、自分も持っていた茶器を置いてまた話し始めた。
「ちなみに、お父様と紫雲もこのことを知っているわ」
「えっ。皆さん知ってたんですか?紫雲・・・兄様も?」
「そうよ。紫雲も最初はびっくりした様子だったけどね、あの子なりに考えてあなたを大切にしようって決めたみたい。紫雲は今はああだけど、桃華が産まれたばっかりの時は自分に構えって赤ちゃん返りして大変だったのよ。今じゃすっかり過保護なお兄ちゃんだけれどね」
(妹バカの紫雲にそんな頃があったとは俄かに信じ難いけど、水月さんが言うんならそうなんだろうな。信じられないけど)
「そうだったんですね」
「お父様も紫雲もスイレンお祖母様もみんな、私と同じようにあなたのことを思っているのよ」
「ありがとうございます」
「あなたはあなたのままでいいの、それをずっと伝えたかったの」
「すいげつさ・・・」
「お母様でしょ!」
ぺしっと軽快な音がおでこから響く。全然痛くないけど。
「お、母様・・・」
いつも言っているのに、何だかむず痒く感じるのはなんでだろう。
「そうよ。あなたのお母様よ」
俺の言葉に水月さんがにこにこ笑顔になった。
「はい」
ずっと不安だった。いつか「偽物」であることがばれて、「本物」を返せって言われるんじゃないかって。
申し訳なさもあった。本当は「桃華」は生きられたのに俺が彼女のことをこの世界から追い出してしまったんじゃないかって。そんな二つのどうしようもない不安を必死に押し込めて押し込めて生きてきた。
でも。
違うって言ってくれた。俺は「偽物」じゃないって。俺は俺のままでいいって。
ずっと待っていた、この言葉を、誰かにかけてもらう日を。
今日は生涯記憶に残る日になるだろう。
暦は十月一日。俺の本当の誕生日と同じ日付だった。
甘味時の終わりを告げる鐘が鳴り響いて、音に反応した鳥達が群れを成して東の方向へ飛んでいくのが視界の端に映った。水月さんが声をかけないので、侍従の皆さんの姿はまだ見えない。
「そういえば、桃華」
「なんですか?」
「さっき自分のことを「俺」と言っていたけれど、もしかしてあなた自身は男の子なのかしら?」
(やば!気が動転して、俺って言っちゃったんだ)
桃華として過ごしてきて咄嗟に出るのも女の子の口調をするように心がけていたのに、さすがに今回ばかりは素が出てしまった。違うと否定した方がきっとみんなの為かなって思うけど、水月さんは俺に「自分のままで居ていい」ってくれた。俺は覚悟を決めた。
「はい」
「だから男装のときに、やけにいきいきしていたのね。やっぱり男の子の服がいいの?」
「はい・・・」
「今の生活は生きづらい?」
「いいえ、もう慣れたので大丈夫です。最近はこの衣服にも慣れてきたし、可愛く飾り付けるのも気にならなくなってきました」
「それならいいのよ、でもあなたが着たい時に着れるように男物の服も用意しておきましょう」
「ありがとうございます!」
「じゃあ明日にでもお店に行ってみましょうか」
「はい!」
覚悟を決めたけども、さすがに「成人男性です」とは言いづらすぎますので、そこだけは伏せさせて下さい。すいません。
翌日、呉服店から数着分の男物の服を買って帰ってきた俺と水月さんが玉家の門をくぐったとき、玲瓏院から帰宅した紫雲と出くわした。紫雲は俺と水月さんの周りに居る侍従達が呉服店の箱を持っている光景を見てすべてを察し、服が汚れるのも構わず地面に両膝をついて突っ伏した。「どうしていつも俺を連れて行かないのですかーーー」と渾身の叫びを上げた。両の拳を地面に叩きつけながら、涙ながらに土を叩く紫雲を見て俺はあまりのシスコンぶりにいつも通り引いてしまった。昨日の出来事が頭を過ったが、それはそれ、これはこれである。
ここまでお読み下さり、ありがとうございます。このエピソードはどうしても入れたかったので書けて良かったです。残暑厳しいですが身体に気を付けてお過ごしください。




