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10.酸っぱくて甘い2

 婚約話から二日後、現在ここ玉家のお屋敷ではとあるイベントを絶賛開催中である。1年に1度のみ開かれるこのイベントは玉家に代々続く伝統あるもので、「玉風会ぎょくふうかい」という名を冠して開かれている。屋敷の一区画を解放して書や掛け軸、水彩画に、刺繍が緻密な衣服や手巾などの小物類、大きな池がある庭園では丹精込めた盆栽、薄紫の花弁を6枚持つ桜の形に似た花を咲かせる桃紫華〈とうしか〉など様々な植栽を鑑賞できる。招待客はだいたい50名程で、彩雲さんの仕事関係の人、水月さんのママ友の皆さん、紫雲の学友・・・は招待しないと断言していたのでなし。本当はアレックスも呼ぶつもりだったらしいが、タイミングが合わず今回は見送りとなった。

玉風会には観覧の順など決められたルートは無く、各々が自由に作品を観て回れるスタイルを採用している。足が疲れたら休めるように休憩所も設けており、「ぜんざい」や「甘梅」、梅の砂糖漬け(種抜き済み)を丸々一粒入れた苺大福ならぬ梅大福などを用意している。一室では実際に体験出来るスペースもあり、今年は水彩画を体験することができる。いろいろ楽しめると評判なので、毎年このイベントを楽しみにしている方も多いのだと水月さんが言っていた。


「桃華ーーーーー」


イベント会場から少し離れた場所から様子を見守っていたのだが、紫雲に見つかってしまった。遠くから猛ダッシュで近付いてきて、あっという間に俺の目の前だ。


「桃華、ここに居たのかい、探したよ」


「お兄様、そんなに慌ててどうなさったの」


毎回紫雲を見て思うのだが若様とまで呼ばれる貴公子がこんなに落ち着きのない奴で大丈夫なんだろうか。そんな俺の不安も露知らず紫雲は興奮気味に語り出した。


「桃華が開発した梅大福が盛況だよ!本格的にお店で扱えるように考えてもいいかもしれないね」


「実は商品化を考えていたんです、さっそく明日から取り組んでみます」


「兄様も一緒にやるよ。ちょうど明日から休みだか・・・」


「若様、お客様のお相手をしないと。ささ、行きますよ。姫様失礼します」


「ええ、行ってらっしゃい。お兄様がんばって」


「あーーー桃華ーーー」


紫雲は叫びながらジョウに引き摺られて廊下の奥へと姿を消した。あっという間の出来事だった。

隣に立つセツは無表情でその様子を眺めていて、騒がしかった空気が元に戻ると何事もなかったかのように俺へと冷茶を差し出した。

お礼を言いつつその茶器を受け取る。


「ありがとうセツ」


「いえ。姫様これからどうなされますか?室内の展示品は一通りご覧になりましたので、外の植栽をご覧になりますか。今のお時間ですとお庭は日陰に入っていますので、日差しも少ないと思います」


「良い考えね。今年の桃紫華はどんな様子か見に行きましょう」


「では参りましょう」


俺とセツは桃紫華の樹がある庭園へと向かった。道中すれ違うお客様と一言二言交わして愛想笑いを浮かべながら長話を回避する。あまり表に出てこない玉家令嬢とのエンカウントはなかなか珍しい機会らしく、ちょっと隙を見せると周囲に人が集まってきてしまうので、たまにセツの威圧も借りながらスルスルと躱していく。なぜこのようなことをしているかというと、人が集まりすぎた結果がとても面倒くさいのだ。

そう、人が桃華の周辺に集まりすぎると紫雲がどこからともなく駆けつけて来て、一騒動起こすのである。家族の前では妹バカでも問題はないのだが、あくまでそれが許されるのは家族の前だけだ。外ではきちんと玉家の人間として振る舞わなければならない。去年の玉風会で俺に近付いてきた同年代の良家の少年達にガンを飛ばしまくってしまい、両親から「妹が大切なのは分かるが分別を持ちなさい」とけっこうきつめに怒られた事件があった。桃華が玉風会に参加するのは今回で5回目になるが、紫雲は最初に参加したときと2回目参加のときはずっとつきっきりだったし、3回目からは彩雲さんに付いて回っていたが、気がつけば横に居たし、去年は玉家兄妹の友人を作ろうと同年代を呼んだ結果あんなことになったしで、彩雲さんも水月さんもいよいよ堪忍袋の緒が切れたんだろうと思う。そもそも玉家の後継者であるのにあんな態度はいけないと俺でも分かるんだけどな。

という訳で庭園までの道のりを微笑み一つ、会釈一つ、定型文2つを組み合わせて失礼にならないように優雅に進んでいく。着々と目的地へと歩いていれば庭の方向とは反対の方角にある休憩所へと、人の流れが向かっていくのが分かる。もうすぐ甘味時の時間になるので皆向かっているのだろう。休憩所には甘味時の時間帯用に製作した色とりどりの寒天を使った涼しげな一品と、かぼちゃやさつまいもを薄切りにして油で揚げ、塩を振りかけた野菜チップスが追加される。お客様への招待状に「甘味時にはぜひ休憩所に来るように!手土産有り!」的な文言を記載したので、お客さん達は新たなお菓子との出会いにきっと喜んでくれる事だろう。ちなみに手土産とはお菓子の箱詰めと、ランダムでポスカサイズの水彩画1枚(全部手描きオンリーワン)のもらって嬉しいセットだ。甘味時が終わる頃合いに解散となるので少なくとも夕方にさしかかる頃には玉風会はお開きとなる。


「姫様、お手を」


色々と考えていたら目的地の庭園に到着した。庭に降りるため欄干の合間にある階段を、気がつけば下で待ち受けているセツの手を取って降りていく。

そこには堂々とした姿で桃紫華が咲き誇っていた。敷き詰められた白い小粒の丸石がまるで白浜のように見える中、中心に悠然と立つ桃紫華は今が花盛りといわんばかりに惜しげも無く美しい満開の花を見せていた。桃紫華は花が咲き終わった後に、桃に似た果物を実らせるのだが、その果物は桃の甘い香りを淡くしたような優しい香りをさせる事で有名だ。芳香は樹木全体から広がり、特に満開の花からは一層強く香る。そのあとは数日中の内に花びらが散り果実を実らせるので、桃紫華は開花してから1週間程が見頃と言われている。


「今年も綺麗に咲いているわね」


「はい、去年よりも美しく咲いております。香りも良く、花びらの色、艶、形、どれを取っても一級品です」


「本当に美しいわ、まるで映画のようね」


(あ)


「えいが・・・でございますか?」


セツの困惑した顔がこちらを見つめている。そうだ、「映画」なんてもんここにある訳がない。あまりにも綺麗すぎて思わず口から出てしまった。


「映画じゃなくて・・・絵の、絵のようねって・・・」


「とても美しいですね」


不意に見知らぬ少年の声が近くから聞こえたとき、強く風が吹いて桃紫華の花びらがざぁっと視界を覆った。薄紫の花びらが甘い香りを纏って次々と風にさらわれ散っていく。短い花吹雪が止んで声のした方を振り向けば、そこには紫雲より同年代かちょっと上くらいの少年が立っていた。全てを見透かすような澄んだ琥珀色の瞳がとても印象的な少年である。黒髪をポニーテールみたいにして結んでいて、服は上流階級の子息のものっぽかった。紫雲は友達を呼んでいないので、恐らく招待客が連れてきた子供だろう。


(今まで会った人達とオーラが違うな)


セツを横目で見ると少年をじっと注視しているだけで、特にアクションも起こしていないので少しだけ近寄ってみる。なんせ会話するには少し距離がありすぎる。近付く度にセツも一緒に動いて、ちょうど良い距離感になったところで挨拶をした。


「お初にお目にかかります。玉桃華と申します」


「丁寧なご挨拶、痛み入ります。不躾に話しかけてしまい申し訳ありません。満開の桃紫華とその側に佇むお二方があまりにも美しかったのでつい口を突いて出てしまいました。僕はカイと申します。画家を目指しておりまして、知人が玉風会に招待されたのを知り、頼み込んで連れて来てもらいました。桃華様にお会いできて光栄です」


「こちらこそ、玉風会へお越し下さりありがとうございます。色々と学びがあれば幸いです」


「全ての作品を拝見しましたが、どれも見応えがあり勉強になりました。特に玲瓏豊の港の賑わいを描いた作品と、一匹の蝶が花々の間を舞っている構図の刺繍作品には感銘を受けました」


「ありがとうございます。私もあの刺繍作品はお気に入りの一つです」


「休憩所で玲瓏豊名物と噂のぜんざいも戴きましたが、とても美味しかったです」


「お気に召して良かったです」


「そういえば桃華様は海はお好きですか?」


「もちろんです。玲瓏豊は海に面しておりますので幼い頃から慣れ親しんでおります。昼の海も好きですが夕焼けに赤く染まった海が好きで、その時間に散歩に出かけるのが好きなんです。よく侍従のセツと一緒に砂浜を歩いて夕風を楽しんでいます」


「夕暮れの海は良いですよね、僕も好きです」


「もしかしたら好みが似ているのかもしれませんね」


「僕達は何だか気が合うような気がします」


「私も気が合う気がする気がします」


「気が合う気がする気がするような気がします・・・まるで早口言葉みたいですね」


面白くなって使った変な言葉の言い回しにお互い小さく笑ってしまった。

ふと目線を上げるとカイと名乗った少年がこちらを見つめていた。


「どうかされましたか?」


「いえ、何でもありません」


何か物言いたげだが本人が何もないというのでスルーしておくことにする。


桃紫華の確認もできたし俺の玉風会はこれにて終了だ。そろそろ自室に引き上げる頃合いかな。と、その前に知らないことはないと思うが手土産を忘れずに持ち帰れるよう注意喚起だけしておこう。


「カイ様、今休憩所で心ばかりの手土産をお配りしております。忘れずにお持ち下さいませ」


「はい。ありがたく頂きます」


「お会いできて良かったです、カイ様。では私はこれで失礼致します」


カイ少年に別れの挨拶をしてさあ帰ろうといったときだ。まーたあの大きな足音が聞こえてきた。


(ジョウよ、もっとしっかり主人の手綱を握らねばいかんぜよ)


足音が瞬く間に近付いてきて、遂に足音の持ち主が現れた。そうです、兄の紫雲です。従者のジョウは半分呆れ顔だがまったく止める様子がない。何ならセツと目配せをしているような?

紫雲はそのままの勢いで庭園に降り立つと、俺とカイ少年の間に立ちキッとカイ少年を睨み付けた。カイ少年の方が紫雲より少しだけ身長が高いので、自然と紫雲が見上げるような形になっている。


「桃華、大丈夫?何か嫌なことはされてない?」


「大丈夫です。セツも一緒におりましたし、こちらの方と楽しくお話をしていただけです」


「セツ、本当か」


「はい、問題ございませんでした」


「なら良かった、心配したんだぞ」


セツは嘘をつかないとわかっているので、セツから「何もなかった」ときいて安心したらしい。紫雲は睨み付けるのをやめ、走った為に着崩れた衣を直してからカイ少年の前に改めて立った。


「お初にお目にかかります、殿下。玉家長子、玉紫雲と申します。この度はこのような小さな会にご臨席いただき誠にありがとうございます。さて、散会の時間が近づいておりますので、道中お気を付けてお帰り下さいませ」


「お兄様、今なんと・・・」


(あなた今、殿下って言ってなかった???もしかして、もしかしてですけど、最近話題に上ったばっかの婚約話を持ちかけてきた人と同一人物だったりしませんよね?)


初めましての挨拶とさよならの挨拶を一息で終わらせた紫雲を窘める暇もなく、「殿下」という激強ワードに意識が持って行かれる。

珍しく紫雲は桃華の問いに何も答えない。一瞬だけこちらを見たが視線の先はセツで、何か合図を出したらしく「姫様こちらへ」と手を引かれて庭園の端にある大理石の長椅子へと促された。おとなしく座って事の成り行きを見守る。というか紫雲が何もしないように紫雲を見守る。

紫雲の後ろ姿しか見えないがどうやら何かを話しているらしい。二人は桃紫華の真下に居るので、紫雲の奥に居るカイ少年の顔は影が暗くて見ることができない。


「セツ、お兄様を止めた方が良いかしら」


「失礼ながらここで姫様が止めに入られますと、事態はより深刻になると断言できます」


「それはいけないわね」


「さようでございます。もうしばらく様子を見た方が宜しいかと」


「わかったわ」


(紫雲が拳を固く握り締めたらダッシュしよう)


それから体感5分も経たない内に紫雲とカイ少年がこちらに向かって来た。


「桃華様、本日はお会いできて光栄でした。次に会うときを楽しみにしております」


「私もお話できて楽しかったです。機会があれば・・・」


「そのようなものはございません、道中気を付けてお帰り下さい。ジョウ、門まで見送って差し上げろ」


「畏まりました、カイ様お見送り致します」


まだ話している最中だったのに紫雲が食い気味で割り込んできた。紫雲の言葉にジョウが動くがカイ少年が右手でそれを制した。


「まだ桃華様との挨拶を終えておりません」


「もう終えておりますでしょう。それよりもカイ様、同行者の回収もお忘れなく。今頃お連れのお二人はあなた様を探して大慌てでしょうから」


「心得ております。ご心配いただきありがとうございます」


「何も心配しておりません。あとから問題になるのが困るから申し上げただけです」


「どちらにしてもお気遣い感謝致します」


「気遣いもしておりませんので、感謝は無用です」


ばちばちに二人がやり合っている。君らは和解したんじゃなかったのか。まあ、あの短時間じゃ無理だと分かっていたけども。紫雲の妹バカは今に始まったことではないが今日は一段とキレてるなあ。

なんて事は悟られぬよう微笑みを浮かべているが、俺は内心焦りに焦っていた。


(それより「殿下」ってまじで違うよね、あの婚約話の人じゃないよね。このタイミングで別々の国からそれぞれ王子様が来るなんてないもんね。どうしよう、気が合いますねとか言い合ってたよ。というか紫雲も俺も他国の王子にこんな態度取って、大丈夫なんだろうか。いや、セツもジョウも止めに入らなかったし、あの二人がそうしなかったってことは大丈夫ってことだろう。そうだろう。その方向でお願いします)


さっき「ぜんざい美味しかった」って言ってたのも思い出してしまった。いや、でもカイ少年からは何もきいていないので、ワンチャンただのお金持ちの子説は生き残っている。だいじょぶ、だいじょぶと俺は心を落ち着かせようとつぶやいていたのだが、いや見てるよ少年が。

おいカイ少年、その何か言いたげな視線をこちらに送ってくるのはやめようか。


「とにかくお帰り下さい」


紫雲がさっさと帰そうと躍起になっている。ここは俺も被せていくべきだ。


「兄が申し訳ございません。ただ会も終了のお時間が近付いておりますので、カイ様も・・・」


「確かに僕は翠国の王族ですが、桃華様に恋する一人の人間です」


「あなたはうちのかわいい桃華ではなく、桃華の作ったぜんざいに恋する人間です」


違うよお兄さん、突っ込むところはそこじゃない。さらっと言った「翠国の王族」ってとこに反応してくれ。

なんてこった。カイ少年はやっぱり例のあの人じゃないか。


「お兄様もカイ様も落ち着いて下さい」


「ジョウ、早くお帰りいただけ」


「桃華様は僕の初恋です。僕とあなたは運命の相手だと思います」


「酷い勘違いですよ、あなたの初恋はざんざいです」


「また近い内お会いしましょう、そして夕方の砂浜を一緒に歩きましょうね」


「兄としてお断り致します」


「僕は桃華様に聞いています、兄君ではなく。桃華様いかがですか」


「私は・・・その・・・」


「桃華、答えなくていいよ」



「僕のことを知らないまま遠ざけないでください」



今まで紫雲とがやがや言い合いしていたのに、桃華へと向けたその言葉はとても静かだった。

少年とはいえまだまだ子供のはずなのに、その表情からは切実な焦りのような色が見えた。

澄んだ琥珀色の瞳がまっすぐ桃華を見つめていて。

そして俺はイケメンの圧に屈した。


「わかりました、お待ちしております」


「桃華ーーーーーーーっっっ」


庭園には紫雲の悲痛な叫びが響き渡り、桃紫華の花は風に揺れ、カイ少年はうきうきで帰り、俺はこれからのことに頭を抱え、事の顛末をきいた両親が紫雲に長い説教をくらわし、そんなこんなで今年の玉風会は幕を閉じた。

ここまでお読み下さりありがとうございます。少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

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