9.酸っぱくて甘い
先日のお忍び町歩きでは見たことのなかった玲瓏豊の景色を見れたり、出来たての三日月ドーナツを食べたり、吊り目美少女との予期せぬアクシデントに見舞われもしたが、思い返せば全て楽しい思い出になっていた。まあ、気疲れやら体力不足やらで疲労困憊だった俺を、妹馬鹿の紫雲が心配しすぎて絡み方が通常よりギアを一段上げてきたのには余計に疲れたけども。
それより何より桃華のままだと常にひらひらの服のため、男物の服の動きやすさの素晴らしさを久しぶりに味わえたのが良かった。
今後もこの男装イベントを定期的に開催できるように、とりあえず企画書でも作るか?と自室で考えていたときだった。
「姫様、旦那様と奥様がお呼びです」
「わかりました」
なんの話だろう?あ、あれかな、近々やるって言ってた鑑賞会の件かな。
そんなことを考えながら、俺はセツを連れて両親の待つ部屋へと向かった。両親の部屋は屋敷の真ん中に位置しており、桃華の部屋からは渡り廊下を使ってそのまま向かうことができる。ただし、この渡り廊下がかなり長い。意匠を凝らした欄干と外の庭木が綺麗なので、退屈はしないが、疲れてへとへとのときに自室から行くのはけっこう難儀だったりする。
途中すれ違う使用人の皆さんに挨拶をしながらしばらく歩けばようやく目的地へと辿り着いた。
「桃華、来たわね。入って、こちらに座りなさい」
水月さんが優雅に手招きをして、俺を部屋へと迎え入れてくれる。
「桃華が今日も健康で父様は嬉しいよ」
「ありがとうございます。お仕事は順調ですか?」
「うん、桃華のぜんざい屋さんのおかげかな?」
「ご謙遜を」
「あらまあ、「謙遜」なんて難しい言葉をよく知っているのね。桃華は学問に真面目に取り組むし、商才もあるし、将来有望ね」
「うんうん、その通り。その通り」
席に着いた途端にまな板を流れる水のように桃華への褒め言葉が出てくる。この二人を含め玉家の人間はいつもこうなのでもう慣れた。病弱だった小さい頃の印象がいまだに強いらしく、俺がここに来た始めの頃は椅子に座っただけで拍手を贈られたこともあった程だ。「いやいや、そんなことないです」なんてことを言ってしまうと、倍で褒め言葉が返ってきてしまうので、二人には「ありがとうございます」と微笑みを返す。最初の褒めを受け入れれば一応は落ち着くので、あとは臨機応変に対応すればオッケーだ。
「お父様、お母様、私にお話があって呼び出したのでは?」
とりあえず話題を変えようと本題に移った。卓上には冷たくて甘酸っぱい味の美味しい「甘梅〈あまうめ〉」が用意されている。青梅と氷砂糖をベースに作った原液をきんきんに冷やしたお酒や水で希釈して飲む。飲む度に梅のすっとした香りと、刻まれて入っている砂糖漬けの梅の果肉から、甘さはもちろんほんの少しの苦みも味わうことができ、身体に染み渡る甘酸っぱさが疲れた身体にぴったりな飲み物だ。本当は一気飲みしたいが、桃華のキャラではないので大きく一口だけ飲んでから籐でできた冷茶用の茶托の上に戻した。
「桃華、突然だが、結婚について考えたことはあるかい?」
「結婚ですか?」
「うん」
「結婚」の問題は桃華として生きることになったときから、今までずっと考えている問題の一つだ。桃華の身分からして、将来は家の為に結婚をしなければいけないのだろうが、相手がどうとかそんな話しではなく、シンプルに男と結婚というのは今はまだ考えられない。
桃華は女の子だけど、中身の俺は男だし。見た目王子なアレックスと会っても、「すごいイケメンだなぁ」と思ったくらいで胸がときめいたりはしなかった。女の子の身体に入っているからといっても、自分は自分なんだと改めて実感したものだ。もともと恋愛とは縁遠い人生ではあった。土日は家にひきこもってゲームしたりドラマ観たりと趣味満喫タイプだったので、高校のときに付き合って秒で別れた彼女以降、ここに来るきっかけになったあの事故にあったときまで恋人も居なかった。
ちなみに青河国の上流階級では最低でも1年の婚約期間を経てから、結婚をするという習わしになっている。庶民の間では婚約せずにすぐ結婚という形を取るカップルも居るようだが、上流階級では必ず婚約後結婚という形を守らなければいけない。結婚はこの国での成人年齢の16才から可能だ。俺こと桃華は今年で10才なので16才まであと数年あるが、婚約を結ぶ際に年齢は関係ないので、こちらの世界では婚約者探しを始めるのに妥当な年齢であるらしい。だが、そんなの関係ない。
「いいえ、ありません」
「そうだよね、桃華はまだ小さいし、結婚なんて考えられないよね。というか父様が離れるの嫌だし」
「同感です、桃華はまだまだ小さい子供。結婚なんてまっっったく考えられません」
彩雲さんと水月さんがお互いの顔を見ながら頷きあっている。嬉しいことにどうやら二人は桃華に婚約はまだ早いと思っているようだ。
(良かった。解決しづらい問題は先送りにするに限る)
「急に結婚の話をされるなんて、どこかでそのようなお話が出たのでしょうか」
「いや、始めは桃華じゃないんだ」
「始めとは?」
「昨日、紫雲が王宮に向かったのは知っているかい?」
「はい」
(いつも通り桃華と離れたくないと叫びながら、侍従のジョウに引きずられたのを見かけたけど、あれは王宮に行ってたのか)
「これは公にはしていないんだけれど、ある高貴な身分の女性が人探しをしていてね」
「はい」
「その方が町を散策中にうっかり入った路地裏で男に襲われた時に、侍従を連れて自分を助けてくれた男性に一目惚れをしたので是非その方と会って話がしたい、どうにか見つけてくれないかとお願いがあったんだ。依頼主は今王宮に非公式で滞在していて、我が国の王室と懇意にしている他国の方だ。その方が訪れたのが玲瓏豊ということで、身なりがどこぞの貴公子のようだったという証言を元に、玲瓏豊の良家の子息から年齢の合いそうな紫雲を含めた数人が王宮へ顔見せに行ったという訳なんだ」
「あらまあ」
心の底から出た、あらまあである。あの日の吊り目美少女が脳裏を過った。
「ふふ、桃華、なにか気付いたのかしら」
水月さんの声が楽しそうだ。
「先日お忍びで出かけた折に、そのような状況に遭遇しましたが・・・。もしかしてそれと関係していたり・・・しますか?」
「恐らくね」
彩雲さんがにっこり笑顔で肯定した。
(うわ、やっぱかー。兄よ、すまない!でも、俺は桃華でやらせてもらってるから、普通に見つけることはできない・・・よな?)
「結果はもちろん、探し人は見つけられなかった。大々的に捜索するわけにもいかないからね、恐らく「たまたま訪れた旅人」だったんだろうという事で終わったんだ」
「それは・・・本当に良かったです」
「が、ここで話が終わらなかったんだ」
なんか嫌な予感。
「その女性は兄君といらしているんだが、兄君が桃華の「ぜんざい」を食する機会があったらしくて、その味に大変感動したので是非とも開発者に会ってみたいと言い始めちゃったんだよ。なんなら結婚を前提にお付き合いしたいとまで言い出しててねぇ。桃華のぜんざいが美味しいのはわかるけどね、困ったもんだよ」
「このような大事になっているとは知らず、大変申し訳ありません」
反射で思わず何年かぶりの社会人謝罪が出てしまい、水月さんが慌てて顔を上げさせた。
「謝らないで、桃華は悪いことをしていないわよ」
「母様の言う通りだよ」
「す、すみません」
(彩雲さん、水月さん、紫雲、本当にすまん。俺がるんるんで男装外出楽しんだばっかりに。でも、定期的に続けていくつもりだけど。いや、まじでごめん)
「いいんだよ、気にしなくて。じゃあ今は結婚は考えていないっていうことで、この話は辞退させていただこう」
「でも、お断りしても宜しいんですか?お父様の立場が悪くなったりしませんか?」
「心配してくれてありがたいけど、父様はこう見えてけっこう強いんだよ。大船に乗ったつもりでいなさい」
なんて頼もしい笑顔なんだ、彩雲さん!ありがとう!そしてすまない!
「善は急げだ、さっそく断りの書状をしたためるとしよう。桃華は何も気にしないでいいから、母様とお茶してなさい。じゃあ水月、後は頼んだよ」
「はい。宜しくお願いしますね」
「任せなさい!」
衣を翻して彩雲さんが部屋から退出していくのを、水月さんと一緒に見送った。あの騒動がこんなことになるなんてまったく考えてもいなかった。何をするにも次からは慎重にしないといけないな。紫雲にも悪いことしちゃったし、帰ってきたらおしゃべりに付き合ってやるか。あとは桃華の見合い話がこのまま綺麗に流れてくれれば大団円なんだけど・・・。
「桃華?考え事かしら?眉間にしわが寄ってるわよ」
「本当に大丈夫でしょうか?」
「お父様がお見合いの話をきちんと断れるのか心配なのね?でも、大丈夫よ。お父様はやると言ったらやる人よ。お父様が言った通り、大船に乗ったつもりでいなさい、ね?」
俺の不安を感じ取ったのか水月さんが元気づけてくれる。涙が出そうです。
「ありがとうございます、お母様」
「あとはお父様に任せて、のんびりお茶会しましょ」
「はい!」
ぐだぐだ考えても仕方ない、水月さんの言う通りに彩雲さんを信用してこの件はもう忘れよう。婚約の決め手が「ぜんざい」なのは面白い奴すぎるけど、だからって婚約なんてムリムリ。
どっかの国の王子様よ、君にはきっと素敵な人がすぐに現れるから今は待つんだ。俺もこの玲瓏豊から良縁に恵まれるように君のこと応援している。あと吊り目美少女も無駄な労力を使わせてごめん。君も良縁に恵まれるように併せて応援するよ。
ということで今はこの美味しい甘梅もとい梅サワーを思う存分堪能することにしよう。お茶請けに塩せんべいもあるしね。
俺は水月さんと二人、そんな感じで楽しいお茶会を過ごした。
その後帰宅した彩雲さんから無事に婚約話は綺麗さっぱりなくなったことを聞いて、俺はようやく安心することができた。だが事情を知っていた紫雲が俺の隣でその一報を聞くやいなや、とんでもない熱量で喜び始め、謎の踊りを披露し、しまいには笛まで持ってきて演奏しようとしたので流石にそれは止めといた。
ここまで読んで下さりありがとうございます。少しでも楽しんでいただけたら幸いです。




