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不可視の英雄

    序


 人間の空想が産み出した化け物、妖魔ファントム。それを討伐するのは、空想を現実化させる能力を持つ夢想士イマジネーターだけ。人間の生命エネルギーを奪う妖魔討伐のために作られた組織、夢想士組合ギルド。そして、己の欲望のためにしか能力を使わない闇の夢想士による闇之夢想士同盟ユニオン。三つ巴の戦いが今日も始まる。


  第1章 記憶の彼方の少年


 僕の人生は突然始まった。過去の記憶がまるでない。だが、自分が中学生であることは分かった。同年代と思われる連中に取り囲まれていたからだ。

「おい、聞いてんのかよ!」

 いきなり顔を殴られて目から星が出た。続いて腹を殴られて僕はその場に膝をつく。後はよってたかって蹴られまくった。血の匂いが鼻腔内に充満する。

「おい、何をしてるんだ!」

 凛として力強い言葉がその場に響いた。連中は後ろを振り返ってギョッとしたようだ。

「お、おい。剣道部主将の武藤小夜むとうさやだ!」

「やべーぞ!」

 日よった声の中、リーダー格の奴が精一杯虚勢を張ってみせた。

「別になんもねーっすよ。ちょっとふざけてただけで。なあ、おい!」

「そ、そうそう。遊んでただけっすよ」

 僕もようやく顔を上げて声のほうを見た。ポニーテールの高等部の女子生徒が隙のない出で立ちで立っていた。凛とした美少女だった。

「遊んでた?そっちの子は鼻血を出してるようだがな」

 その鋭い眼光に耐えられなくなったのか、リーダー格の奴が精一杯虚勢を張ってみせた。

「なんもねーって言ってんだろ!大体、高等部の生徒が何で中等部の体育館裏にいるんだよ!」

「中等部の剣道部に指導に行くところだ。ここが近道なんでな。しかし、イジメを目撃した以上、放ってはおけないな」

 リーダー格の奴が心底うんざりしたように舌打ちをする。

「だったら、どうするんすか?俺たちに稽古でもつけてくれるんすかー?」

 どっと笑いが起こる。先輩はずいっと一歩前に出た。

「ああ、そうだ稽古をつけてやる。一人ずつか?それとも、まとめてか?」

 全く顔色一つ変えない先輩に、連中のほうが焦りを見せ始めた。

「おいおい、竹刀も持ってないのに随分強気じゃねーっすか?4人相手に勝てるとでも思ってんのか?」

 リーダー格の奴が両手をぱしんと叩きつけた。

「能書きは良いからかかってこい。自分の力量ってものを思い知らせてやる」

 先輩の言葉にリーダー格の奴がついにキレた。

「舐めてんじゃねーぞ!たかが剣道部主将ってだけでよー!二度と生意気な口を聞けないように、輪姦してやろーか!」

「下衆め。思い上がりを矯正してやろう」

 口々に下衆な言葉を吐きながら、連中が襲いかかって行く。すると信じられない光景が展開した。

 先輩の動きが全く見えない。しかし、打撃音が響く度に連中は一人また一人と地面に転がった。最後に残ったリーダー格の奴は首にハイキックを食らっていた。

 うわ、縞パンツが丸見えだ。僕は慌てて視線を反らした。

「何だ、これで終わりか?思ったより骨のない連中だな」

 わずか数秒で4人のロクデナシは地面に這っていた。強い。桁違いの強さだ。先輩のは剣道の動きではなかった。剣道以外の武道もやってるのだろうか?

「おい、大丈夫か、君?」

 いつの間にか僕の隣に立っていた先輩が僕の顔を覗き込んでいた。顔が紅潮するのを実感しながら、僕は慌てて立ち上がった。

「だ、大丈夫です!ありがとうございました!」

 上擦った声が出て、僕はさらに顔が火照った。

「うん、大したことはなさそうだな。しかし、君も男なら少しは抵抗するべきだ。非暴力主義か?」

「い、いえ、僕が意気地がないだけで・・・」

「やっぱり、少しばかり鍛えたほうが良いんじゃないか?良ければ私が鍛えてあげるよ」

 その時、僕は何故か嬉しかった。この先輩ともう少し一緒にいたい。そう思ってしまったのだ。

「本当ですか?よろしくお願いします、先輩!」

「私は武藤小夜という。君の名は?」

 あ、あれ?思い出せない。僕はあの連中に袋叩きにあう以前のことが何も思い出せなかった。記憶の中を洗いざらい調べてみても何も・・・いや、

「い、茨木・・・童夢。そう、僕の名は茨木童夢いばらきどうむです!」

 唐突にその名が頭の中に浮かんだ。思い出してみるとしっくりと心に馴染んだ。

「童夢くんか。私も小夜と呼ぶと良い。よろしく、童夢くん」

 先輩の差し出した手を慌てて僕は握り返した。女の人とは思えない力強い握手だった。こうして僕は小夜先輩の弟子になったのだった。


「だからって!」

 小夜先輩の弟で高校一年生の槍太そうた先輩が頭をかいて大声で反対の意を唱えた。

「何で家に連れてくるんだよ、小夜姉!こんなどこの馬の骨とも知れない奴を!」

「仕方ないだろう。記憶喪失らしいからな。保健医の先生に言われて病院にも行ってきたが、名前以外は全く覚えてないそうだ」

「寮生でもないの?姉さん」

 次女の弓美ゆみ先輩が落ち着いた声音で聞いた。この人は随分と冷静な人だった。

「ああ、寮長に聞いてみたが、茨木童夢という生徒は名簿にないそうだ」

「じゃあ、通学生ね。どの辺に住んでたかも覚えてないの?」

 弓美先輩の問いに僕は首を振るしかなかった。

「しかし、中等部の教師に聞いたら茨木という生徒は3年B組に確かにいるそうだ」

 小夜先輩が放課後に調べたことを述べる。まるで僕自身には覚えがないのだけれど。

「まあ、全国大会も終わって私も暇になるからな。童夢くんを指導するついでに、離れにしばらく寝泊まりしてもらおうと思う」

 小夜先輩はもう決定事項のようにそう言うが、槍太先輩は気に入らないようだ。

「どのクラスにいるか分かってんなら、担当の教師に連絡してもらって親に来てもらえば良いじゃんかよ!」

 すると、小夜先輩は槍太先輩を見据えて、

「連絡がつかなかったんだ。だから担任教師もしばらく私に預かって欲しいと言ったんだ。地元の名士である武藤家なら安心だからと言ってな」

 幼子を諭すようにそう言った。

「随分、ムキになってるな、槍太。お姉ちゃんが取られそうで心配か?」

 小夜先輩は口許に笑みを浮かべて揶揄する。

「な、何バカなこと言ってんだよ、小夜姉!俺はもう一人前だ、姉貴なんかいなくても全然平気だ!」

 槍太先輩はムキになって否定するが、小夜先輩はため息を漏らし、次の瞬間にはハイキックが槍太先輩の首を刈っていた。あ、また縞パンが・・・

 床で白目を剥いている槍太先輩を軽々と持ち上げ、小夜先輩は吐き捨てるように、

「この程度の蹴りをかわせなくて、どこが一人前だ。全く」

 槍太先輩を弓美先輩に任せて、小夜先輩は表情を和らげた。

「さあ、来たまえ、童夢くん。離れに案内するよ」

「あ、はい。ありがとうございます」

 武藤家の力関係を何となく理解した僕は、なるべく小夜先輩を怒らせないように誓ったのだった。


 夕食の後、武藤家の道場に案内されて、僕の修行が始まった。

「うん、君の場合、イジメッ子にやられない程度、強くなれば良いんだな。それでは基本の中段突きから始めよう」

「お願いします!」

 ただのストレートパンチなのに、身体操作、体重移動など、覚えなくてはいけないことが多すぎて、ただガムシャラに反復練習した。

 他にも受け技、蹴り技など基本を一通りやっただけで、僕の身体は悲鳴を上げていた。

「よし、ここまでにしよう」

 まったく呼吸を乱していない小夜先輩に比べ、僕は肩で息をする体たらくだ。

「初めてにしては良く動けたほうだ。童夢くん、君には才能がありそうだな」

「あ、ありがとう、ございます」

 疲労困憊の僕にタオルを放ると、

「お風呂で汗を流して来ると良い。冷たい麦茶でも用意しておこう」

 小夜先輩はニッコリと笑った。今、気づいたが、先輩がこんな顔を見せるのは自惚れかもしれないけど、僕の前でだけのような気がする。

 何だかフワフワした心地で僕は道場を後にしたのだった。


 午前7時。アラームが鳴り僕は目を覚ました。二段ベッドの下。そこが僕の寝床だった。アラームを止めるとぐうっと伸びをして、ベッドから滑り降りた。上の段で眠る剛猛志ごうたけし先輩はまだ夢の中だった。

 僕、絵本命えもとみことは普通に起こそうかと思ったが、悪戯心が沸いて勉強机の上のゲーム雑誌を取り上げ、派手なモンスターのイラストに手を置き、

現実化リアライズ!」

 と、呪文コマンド・ワードを唱えた。

 すると、モンスターが出現し、地鳴りがするような声で吠えた。

「な!?なんだー!?」

 猛志先輩は跳ね起きた反動でベッドから転落した。僕は笑いを堪えながらモンスターを消した。

「み、命!なんだ?今のはなんだー!?」

「安心してください、先輩。僕の術でイラストを現実化しただけです。前は自分の書いたイラストしか現実化出来なかったんですが、ここで修行してるうちにどんな絵やイラストでも現実化出来るようになったんです」

「ほう、そうか。それは良かった・・・って、なんでだよ!だからってこんな心臓に悪い起こしかたするなー!!」

「スミマセン、悪気はなかったんです」

 笑いを堪えながら謝る僕をジト目でみた後、猛志先輩は盛大なため息をついた。

「まあ、修行が上手くいってるなら良かったな。それじゃあ飯でも食いに行こうぜ」

 体育会系の猛志先輩はこれくらいのことで根に持ったりしない。面倒見の良い先輩なのだ。


 制服に着替えて学食に行くと、いつものテーブルにいつもの面子が揃っていた。

「やあ、おはよう」

「おはよーさん!」

「おはよう」

「おはよう、ミーくん♥️」

 僕も挨拶を返すと朝食のトレイを持って席についた。

「今朝は何だか騒がしかったようだけど、何かあったのか?」

 パーティーのリーダー、神尾龍子かみおりゅうこ先輩が猛志先輩に尋ねた。

「あー、命のやつが能力が上がったからって悪戯しやがるんだ。流石に寝起きには心臓に悪いぜ」

「ミーくん、どんな悪戯してるの?」

 僕の隣に座ってる女の子にしか見えない男の娘、花園薫はなぞのかおるちゃんが無邪気に尋ねてくる。

 薫ちゃんの持ってるスプーンがキャラクターものなのを見て、僕はそのスプーンにタッチした。

現実化リアライズ!」

 すると、大きな耳を持つネズミのキャラクターが飛び出して、テーブルの上をダンスし始めた。

「きゃー、可愛いー♥️」

「イラストを現実化する能力、進化したのね?」

 薫ちゃんの双子の姉、もえちゃんが拍手する。

 僕たちよりチビッ子い、霧崎風子きりさきふうこ先輩は、

「これは可愛いらしいけど、タケちゃんはもっとえげつないモンスターとか、見せられてるみたいやなあ」

 ニヤニヤ笑いながらそう評した。

「べ、別に怖いわけじゃねーぞ!起き抜けに見せられてビックリしただけで!」

 猛志先輩はそう反論するが、聞いている者はいないようだった。

「ミーくん、具体的にはどんなことが出来るようになったんだ?」

 龍子先輩に問われ、僕は修行の成果を得意気に語った。

「基本的には絵なら何でも現実化出来ます。ワンタッチで現実化したものは5分もすれば消えるし、目眩まし程度にしか使えませんが、念を込めたものなら中級妖魔と戦わせることも出来ます」

「なるほど、ミーくんの術士としての面目躍如たるものがあるな」

 ちなみに、僕がミーくんとあだ名で呼ばれるようになったのは、龍子先輩が最初にそう呼んだからだ。今ではすっかり定着している。

 食事が終わると、パーティーリーダーの龍子先輩が、本日の方術研究会の日割りのスケジュールに基づいて、パトロールする地域の発表をする。夢想士組合ギルド鳴神支部でもある鳴神学園のBランク以上の夢想士は、当番制で鳴神市の区域をパトロールするのが習わしだった。

「さて、諸君。今日のパトロールだが、南東地区だ。ここのところ、糸でぐるぐる巻きにされた死体が、相次いで発見されてる」

「南東地区いうたらオフィスビルとか研究所とか立ち並ぶ、鳴神市でも発展してる区域やで。そんなところに土蜘蛛が出るんかいな?」

「土蜘蛛?もう、どんな妖魔か特定されてるんですか?」

 僕は不審に思ってそう尋ねた。

「土蜘蛛はそう珍しくない妖魔だ。日本中どこにでも沸いてくる。ただ、今回の土蜘蛛は数ある集団の中でも、割りと力のある奴らのようだ。ひょっとすると、魔王、紅嵐くらんの血統かもしれない」

 龍子先輩はさらっと言ったが、とんでもない単語が混ざってた。

「魔王ですって?鬼の酒呑一族以外にも魔王っているんですか!?」

「そりゃあいるよ。何百年に渡って力を蓄えてきた個体は魔王種の条件が整う。後はどれだけ人間を食ってるのかによるけどね」

 妖魔は人間の生命エネルギーを搾取して存在している。中でも長きに渡り力を蓄えてきた者は上級妖魔となり、支配種ともなると、並みの夢想士では討伐が難しい猛者揃いとなる。そして、その中でも特に力の強い者は魔王となるのだ。

「まあ、授業が終わってからパトロールしてみよう。我々のパーティーは今日から南東地区が担当だからな。土蜘蛛も妖魔としては中級から上級に当たる手強い奴らだから、みんな気を抜くなよ」

 龍子先輩の忠告が終わったタイミングで予鈴が鳴った。鳴神学園は昼は選り抜きの進学校、夕方から夜にかけては、人間の生命エネルギーを搾取する妖魔を討伐する、夢想士組合ギルドの鳴神支部となるのだ。


 南東地区の駅に着いた。流石人口250万を誇るマンモス都市の中でも、最先端のオフィス街、凄い人混みだ。

「よし、ちょっと待ってくれよ。情報屋に南東地区の情報を聞いてみる」

 龍子先輩はそういうと、スマホを持って少し離れた。

「情報屋の探偵事務所って北東地区にありましたよね?南東地区の情報なんて持ってるんですかね?」

 僕は当然の疑問を呈したつもりだったが、

「そらあるよ。上級妖魔でも夢想士組合ギルドと盟約を結んでる奴も多い。そうした連中はお互いに情報を共有して、ウチら夢想士の役に立つ情報を常に集めてるんや」

 風子先輩にあっさりと種明かしされた。なるほど、身の安全を保証してもらう代わりに情報を提供して、Win-Winな関係を形成してるわけだ。

「みんな、待たせたな。第16区辺りに妖魔の結界があるようだ。早速、偵察に行こう」

 電話を終えた龍子先輩を先頭に、都会の人混みの中を僕たちは歩き始めた。


 16区はオフィスビルの谷間に生じた、エアポケットのような場所だった。今は使われてないビルや建物が立ち並んでいる。なるほど、ここなら妖魔が結界を作るのに適した場所のように思えた。

 壁に手描きのイラスト、もとい落書きがたくさんある。夜になると柄の悪い連中の巣窟になってそうだ。もちろん、妖魔はそうした人間の負の感情も美味しく頂く。なるほど、結界があってもおかしくない場所だ。

「やあ、龍子ちゃんたち、久しぶりだね」

「あ、荒畑あらはた警部、こんにちわー」

 年の功40代後半の、ガッチリした体型の荒畑警部に、龍子先輩は敬礼して挨拶をする。

「今日は南東地区の見回りかい?」

「ええ、最近おかしな変死体が見つかった場所ですからね」

「うん、やはり妖魔の仕業だろうね。上から妖魔特捜課に緊急案件として要請が来たよ」

「情報屋に確認したんですが、この16区の中にどうやら結界があるようです」

「そうか。では私は部下を連れて16区の周りを捜索しながら、絞りこんでゆくよ」

 荒畑警部の提案に、龍子先輩は二つ返事でOKした。

「それじゃあ、後ほど」

 警部はスマホで部下とやり取りしながら去っていった。

 龍子先輩は表情を引き締めて僕たちに向き直った。

「よし、それじゃあ探索を開始するぞ。各人、魔力感知マナ・センサーで気配を探りながら行くぞ」

 僕たちパーティーは適度に散らばり、街の中を探索する。しかし、微量な魔力は探知出来るが、ハッキリとした反応はない。

「うーん?何かハッキリとしねーな」

 猛志先輩がそう呟き、ビルの壁に寄りかかろうとした時、

「猛志!」

 龍子先輩の鋭い警告が飛んだ。

「ん?おわっ!」

 猛志先輩の身体は巨大な蜘蛛の巣に囚われていた。地上からビル4階の高さにまで張られた、蜘蛛の巣の上から、これまた巨大な蜘蛛が姿を現した。

「やだー、虫嫌ーい!」

 薫ちゃんが僕の腕にしがみついてきた。女の子の甘い匂いがして、頭がくらっとしてしまった。

「そんなことしてる場合じゃないでしょ、薫!」

 萌ちゃんがビルの壁に手をついて、呪文コマンド・ワードを唱えた。

死之庭園之薔薇ローズ・オブ・デッドガーデン!」

 言下にびっしりとビルの壁に植物の蔓がひしめいた。現れた土蜘蛛はトゲ付きの蔓で動きを封じられた。

「よし、動きなや、タケちゃん!カマイタチ!」

 風子先輩の呪文コマンド・ワードで真空をまとった風が蜘蛛の巣ごと、土蜘蛛を引き裂いてゆく。

「サンキュー、って地上にもいるぞ!」

 自由になった猛志先輩が警告をするまでもなく、僕らは土蜘蛛の群れに包囲されてることを悟った。

「ひゃあ!ボクもやるよ、死の庭園の薔薇ローズ・オブ・デッドガーデン!」

 薫ちゃんは地面に手をつき、緑の結界を広げてゆく。土蜘蛛たちが近付いてくるが、次々にトゲ付きの蔓に捉えられて動きを止める。

「よし、今だ!稲妻狙撃ライトニング・ストライクス!」

 龍子先輩の指先から稲妻が迸る。僕も用意していたカードを取り出した。

火球ファイア・ボール!」

 僕の呪文コマンド・ワードにカードが反応し、大きな火球ファイア・ボールが勢いよく土蜘蛛に向かって飛んでゆく。着弾すると土蜘蛛は全身があっという間に火だるまになり、燃え尽きた。

「良いぞ、ミーくん!土蜘蛛は火に弱い。ナイスな攻撃だ」

 龍子先輩に褒められ僕は舞い上がった。自分の実力を認めてもらえると、こんなにも嬉しいとは。

「よーし、もう一発!」

「よーし、俺も行くぞ!武装化アームド!」

 猛志先輩は強化服パワード・スーツに身を包み、猛然と土蜘蛛たちに向かって特攻をかけた。土蜘蛛の数は多かったけど、僕たちパーティーの敵ではなかった。

 途中でカードが無くなったので、後半は長剣ロング・ソードを握って直接攻撃になったけど、それでも僕たちの優位は揺るがなかった。


 戦闘は10分ほどで終了した。結界を探していたのだけれど、土蜘蛛たちを全て倒したら魔力は感じられなくなっていた。

「土蜘蛛は群れで行動するからな。それで結界があると勘違いしたのかもしれない」

「でも、情報屋がそんなミスをするか?」

「ウルフならそんなことないだろうけど、南東の情報屋から仕入れた情報だったからな。誤情報だった可能性は高い」

 龍子先輩と猛志先輩でもう一度辺りの魔力を探るが、やはりもう気配は感じられないようだった。

「よし、荒畑警部に連絡を入れて今日は引き上げるか。学園のほうにも今日のパトロールは終了したと報告しておく」

 龍子先輩はスマホを取り出し連絡を取った。この時点では僕たちが土蜘蛛の毒牙にかかったことに気付いた者はいなかった。


 僕は再び例の4人組に体育館裏に連れ出された。肩を組んで見た目には仲の良い友人を装う周到な連中だ。

「今日は何の用だか分かってんだよな、ええ?」

 リーダー格の奴が僕の胸ぐらを掴んで揺さぶった。えっと、こういう場合は・・・

「うあっ、いででで!」

 僕は片腕で相手の肘関節を極めた。小夜先輩に教わった通り、効果覿面だった。そのまま今度は手首を極めて投げ飛ばす。相手は綺麗に宙を舞って地面に叩きつけられた。

「このやろう、ふざけやがって!」

「やっちまえ!」

 残った3人がガムシャラに殴りかかってくるが、小夜先輩に教わった通り、良く見れば相手の動きのパターンは簡単に把握出来た。僕は突きと蹴りで3人を順に叩きのめした。信じられないけど、あっさりと残りも地面に伸びてしまった。

「これは・・・凄いじゃないか、童夢くん!」

 その声に振り向くと、驚愕の表情を浮かべた小夜先輩が立っていた。

「えっと、小夜先輩に教わった基本を、そのまま使っただけなんですけど・・・」

「いや、普通基本を教わった次の日に、実戦で使いこなせる者はいない。童夢くん、君には才能がある。一緒に夢想士の修行をしないか?」

「夢想士・・・ですか?」

「一般生徒には知られていないが、鳴神学園は夢想士を養成する学校なんだよ。いや、この際学園は関係ない」

 優しく微笑んだ小夜先輩は近付いてきて僕の両肩に手を置いた。

「君を武藤家の夢想士として鍛えてあげよう。幸い同じ屋根の下で暮らしてるんだ。私は君の才能を伸ばしてあげたい」

 小夜先輩のキラキラ輝いた瞳を見て、どうして断れようか。

「はい、お願いします。小夜先輩!」

 僕は力強くそう返答した。


 学校から帰ると宿題を済まし、食事を終えてから僕と小夜先輩は道場に集まった。

「それじゃあ、方術の基本からいこうか」

 道着に着替えた小夜先輩は結跏趺坐の座りかたを教えてくれた。そして、基本の呼吸法も。

「これで本来なら瞑想もするんだが、とりあえず目を閉じて、呼吸に集中してみよう」

 小夜先輩の言葉に頷き、僕は呼吸法の練習を始めた。すると、5分もすると息苦しくなり、身体の中心から何かが燃え盛って起き上がるのを感じた。

「う、わあああー!」

 僕はパニックになって目を開いて叫んだ。

「童夢くん、どうした!?」

 小夜先輩が心配げに僕の顔を覗き込んでいた。気がついたら僕は小夜先輩に抱き締められていた。急に顔が紅潮して、僕は慌てて立ち上がった。

「す、スミマセン!けど、先輩。僕にはこの呼吸法は合いません!何だか自分の中の何かが燃え上がって、生命の危機を感じました」

 そう感想を述べると小夜先輩は残念そうに目を閉じた。

「そうか。いや、気にすることはない。方術の内丹法は時に危険を伴うことがある。実際、夢想士の卵たちが鳴神学園に入って来ても、全員が修行をこなせるわけじゃない。どうしても修行が性に合わず、Dランクのまま卒業してしまうこともあるからね」

 小夜先輩は困ったような笑顔でフォローしてくれるが、僕は先輩の期待を裏切って申し訳なくて仕方なかった。

「小夜先輩、それなら武術のほうを教えてください。僕にはそっちのほうが性に合ってる気がします」

 僕の言葉に満足そうに頷いた先輩は立ち上がり、壁にかかってる木刀を持つと僕に向かって投げた。

「よし、分かった。君には武藤流体術と剣術を教えよう。まずは好きなようにかかって来なさい」

「はい、ありがとうございます!」

 僕は力強く礼を言い、木刀をふるって飛び込んで行った。


 私はその様子を道場の入り口辺りで、見るともなしに見ていた。今回の姉さんの様子は何だか違和感がある。もちろん、厳格な人ではあるが、根は優しい人だ。もう引退も近いのに剣道部の指導を今でも続けてるし、中等部の指導までやっている。

 それでも、今回のように全く関係のない、記憶喪失の人間の世話を甲斐甲斐しくしてる姿なんて見たことがない。何だか調子が狂う。いつもの姉さんらしくない。

 ふと気付くと槍太が私の背後から、道場の様子を見つめていた。その目には剣呑な光が宿っていた。

「槍太、盗み見なんて良くないわよ」

 そう諭したが聞いている様子がない。

「弓美姉、あれをどう思う?」

「どうって稽古をつけてるだけでしょ?あの童夢って子も体術の才能があるらしいからね」

「あんな小夜姉の姿は見たことねえ、弓美姉もそう思うだろ?」

「うーん、確かにちょっといつもの姉さんっぽくないとは思うけど」

「面白くねえ!」

 そう小さく吐き捨てると、槍太は道場にズカズカ乗り込んで行った。

「小夜姉、随分と熱心だな!」

 あーあ、またズタボロにされるだけなのに。でも、私も槍太の気持ちが少し理解出来る。

「なんだ槍太、自分の修行はどうした?サボっていたら、いつまで経っても神尾龍子に勝てないぞ」

「そんなことはどうでも良いんだよ!」

 槍太は地団駄踏んで姉さんに抗議する。

「何で、そんな、どこの馬の骨か分からない奴にそこまで熱心なんだよ!」

「ん?なんだ槍太、焼きもちを焼いてるのか?」

「ぜってー、ちげーよ!」

 槍太は道場の壁に掛けてる木刀を掴むと、童夢くんに切っ先を突きつけた。

「勝負しろ、テメー。小夜姉が入れあげるほどの才能があるのかどうか、俺自身で判断する!」

 童夢くんはオロオロしているが、私は姉さんの瞳を見て、結末が見えてしまった。氷のように冷たい瞳だった。

「そこまで言うなら、良いだろう。童夢くん、模擬戦だ。さっき教えた基本はもう理解しているな?武器は手の延長だ。体術の技がそのまま応用出来る。私の弟だからと言って遠慮はいらない。叩きのめしてやれ」

 相変わらずオドオドしてる童夢くんと槍太が向かい合った。姉さんが審判役を務める。

「それでは、向かい合って、礼!構えて、始め!」

 姉さんの合図が終わるか終わらないかというタイミングで、槍太は床を蹴って一気に距離を詰めた。

「食らえ!」

 槍太の横薙ぎの胴は、童夢くんの足捌きでかわされた。素早い運足で距離を詰めると、今度は童夢くんの胴が槍太に迫る。

「さ、せるかー!」

 ギリギリでかわした槍太はそのまま面を打ち込む。童夢くんは木刀を返してその面をずらし、がら空きになった槍太の横っ腹に胴を打ち込んだ。

「ぐはっ!」

「一本、それまで!」

 姉さんの非情な声が道場に響いた。

「得意の槍じゃないとしても、素人相手に負けるとは、情けないぞ、槍太」

「う、ちくしょー!」

 槍太は木刀を投げ捨て、道場から走り去った。

「凄いぞ、童夢くん。未熟者とはいえ、私の弟から一本取るとは。やはり君には才能がある」

 手放しで喜んでいる姉さんは、やはりどこか調子が狂ってる気がした。私は道場へと足を向ける。

「姉さん、今のは少しやり過ぎじゃない?」

「どうした、弓美、お前まで。才能のある者には然るべき指導があるべきだ。」

「今はそれどころじゃないでしょ?地元の夢想士から、鬼の結界を見つけたって報告があったから、どうするか話し合いをしてたところじゃない」

 私の言葉でハッとした姉さんは、気まずそうに視線を外した。

「もちろん、忘れてはいない。その結界が武藤家の近くにあるということもな。だが弓美、戦力は多いほうが良いだろう?」

その言葉に流石に私も異議を唱えた。

「まさか、その子を連れてゆく気?夢想士でもない人間を討伐に参加させるなんて、お祖父様が聞いたら何と言うか」

「冗談だ、弓美。鬼たちがもしこの武藤家に直に攻めて来た時に、童夢くんに身を守る方法を指導してるだけだ。それ以上の意味はない」

 確かに歴史上、武藤家に直接妖魔が攻めて来たケースはあるにはあるが、どうも今回の姉さんの行動は常軌を逸してる気がする。

「武藤家の屋敷の周りには強力な結界が張ってあるわ。鬼でもかなりの上位でない限り入って来れないわよ」

 私の言葉に姉さんは、

「そうだな」

 と言ったきり、ろくに反論もしなかった。何だか今の武藤家は不協和音そのものだ。これで鬼の討伐をするのは危険過ぎる。私はため息をついた。


  第2章 土蜘蛛一族の魔王


 午前7時のアラームが鳴った。僕はベッドから滑り降りアラームを止める。爽やかな朝だ。2段ベッドの上で眠る猛志先輩はまだ目を覚ます気配がない。

 悪戯心が沸いた僕は、またゲーム雑誌のモンスターをタッチして、呪文コマンド・ワードを唱える。

現実化リアライズ!」

 禍々しい姿のモンスターが現れ咆哮を上げるが、今朝の先輩は飛び起きることはなかった。流石に毎日のことで慣れたのかな?モンスターを消してベッドの上段に声をかける。

「先輩、朝ですよ!朝食に遅れますよ!」

 しかし、全く反応がない。流石におかしいと思い、梯子を上って様子を伺う。うつ伏せに眠る猛志先輩は呼吸が荒く、顔色も真っ青になっていた。

「!?猛志先輩!どうしたんですか!猛志先輩!」

 呼び掛けにも応じず猛志先輩は荒い呼吸を繰り返すのみだ。

「待っててください!すぐにみんなを呼びますから!」

 僕はスマホに手を伸ばしながら、そう言った。


 LINEで招集をかけると、すぐにパーティーメンバーが集まった。

「猛志の様子がおかしいって?」

「そうなんです。何を言っても反応がなくて。こんなにも苦しそうにしてるんです!」

「とりあえず、下の段に下ろそう。その方が様子も見易い」

 龍子先輩の提案で、猛志先輩を下ろすことになった。がっちりした体型ゆえに重かったが、何とか下に下ろすことが出来た。

「ん?これは・・・」

 龍子先輩は猛志先輩の首もとに手を伸ばし、パジャマ代わりのTシャツの首もとを下げた。するとそこには、紫色に変色した糸状の腫れが見つかった。

「これは只事じゃない!理事長に連絡をする。早すぎてまだ寝てるかもしれないが」

 龍子先輩はスマホで呼び出してる間に、

「猛志の上着を脱がしておいてくれ」

 そう指示を下した。


 マディ・土屋つちや理事長は思ったより早く男子寮に到着した。龍子先輩から簡単な説明を受け、猛志先輩の背中を見た。

「これは・・・」

 猛志先輩の背中は酷い状態だった。糸状の紫色の腫れが背中一杯に広がっていた。発熱もしており、計ってみると40度近い高熱だった。

「これは毒ね。あなたたち、昨日は土蜘蛛の討伐に行ってたのよね?」

「それが関係あるんですか、理事長先生?」

 風子先輩の問いに理事長は頷いた。

「土蜘蛛は牙に毒を持ってる。それで獲物を弱らせ糸でぐるぐる巻きにして、程よく溶けたところを食らうのよ」

 理事長の言葉に、薫ちゃんが悲鳴を上げて僕の右腕にすがり付いてきた。

「で、でも猛志先輩は土蜘蛛に噛まれたりしてませんよ。強化服ハワード・スーツを着たら、土蜘蛛の牙なんか通らないはずです!」

「ええ、今回は噛まれたんじゃないわ。この腫れてる形状を見て分からない?」

 言われて猛志先輩の背中を見直すと、ピンと来るものがあった。

「これは蜘蛛の巣の跡だ!」

「そう。普段獲物を捕らえる時に使う巣の形ね。つまり予め土蜘蛛は蜘蛛の巣に毒を塗っておいたのね」

 そこで僕は重大なことに気づいた。

「そうか、猛志先輩が蜘蛛の巣にかかった時、まだ強化服ハワード・スーツは装着してなかった!あの時に毒が皮膚から体内に!」

「バカな!今まで土蜘蛛がこんな細工をしたことは無かった!」

 龍子先輩は困惑した声を上げたが、理事長は首を振って立ち上がった。

「闇の夢想士・・・が絡んでるわね」

 その言葉に場は騒然となった。

「土蜘蛛でも上位の存在に入れ知恵した者がいるわ。ひょっとすると魔王かもしれない」

「土蜘蛛の魔王!?魔王って鬼だけじゃなかったんですか?」

 僕の問いに龍子先輩が答える。

「土蜘蛛の魔王は、酒呑一族と並ぶほどの長命だ。幹部は少ないが知恵ある集団もいる。そうした連中に闇の夢想士が策を与えた可能性がある」

「そういうことね。とりあえず、剛くんは方術研究会の部室に!保健医に回復施術ヒーリングが出来る人がいるから、連れていくわ!」

「分かりました。よし、みんな猛志を部室に運ぶぞ!」

 僕は担架のイラストを現実化させ、みんなと力を合わせて猛志先輩を部室に運びこんだ。


「考えてみたらおかしなことが、いくつかあった。あの時、魔力感知マナ・センサーにほとんど反応がなかったことだ。だから猛志も油断した。何だか認識を阻害されてるような感じだった」

 猛志先輩の回復施術ヒーリングが続く中、龍子先輩はそう見解を述べた。それに反応したのは理事長だった。

「認識を阻害?それは確かなの?」

「え?いや、まあ、そんな感じがしたというだけのことですけど」

「そう・・・」

 理事長は何事か考え込んでいたが、

「なんにせよ、しばらく剛くんは動けそうもないわね。神尾さん、あなたたちのパーティーはしばらく休みなさい。代わりにAランクの夢想士のパーティーでパトロールさせるわ」

「あたしたちだけでもパトロールは出来ますよ!」

 龍子先輩は抗議したが、理事長の意思は変わらなかった。

「休みなさい。ここのところ、あなたたちのパーティーは出ずっぱりだったでしょう?1週間の休暇を命じます。その間も各人、妖魔の襲撃には十分注意すること。以上よ」

 土屋理事長は厳格にそう言い渡し、部室を出ていってしまった。

「何なんだ?理事長は何か隠してるふうだったが・・・」

 龍子先輩は不満顔で理事長の出ていった扉を見つめて呟いた。

 それにしても1週間の休暇とは。僕が鳴神学園に転入してから、初めてのことだ。

「まあ、休みになったんならしゃーない。ウチはタケちゃんに付き添うわ」

 風子先輩はそういうと、ベッド脇のパイプ椅子に座った。この人はこういう時の状況判断が早い。

「それじゃあ、あたしは情報屋のところに行ってくる。どうも情報にも齟齬があった気がしてならないからな」

 龍子先輩はそう言うと、理事長の後を追うように部室を辞した。

 僕はどうするべきか考えていると、

〈今はとにかく仲間の回復を待つことね。たまには気晴らしでもしてくればどう?〉

 僕の頭の上に鎮座する、子猫の姿をした使い魔、大福がテレパシーでそう提案する。普段は無害そうな白い子猫の姿だが、その正体は幻想種の白虎である。

(そうするか。パーティーでないと討伐は出来ないし、考えてみれば僕は鳴神市に来てから、遊びらしいことは何もしてない)

 僕は傍らにいた花園姉弟に声をかけた。

「無理やりだけど、休めと命令されちゃどうしようもないね。僕はまだ鳴神市に慣れてないし、色々案内してくれないかな?」

「ミーくんがそういうなら、ボクが案内してあげるよ!」

 美少女にしか見えない男の娘、薫ちゃんが、嬉々として僕の腕に抱きついてきた。

「ちょっと、薫、離れなさい!猛志先輩が大変な時だっていうのに、あんたはもう!」

 3人でかしましく騒いでいると、

「あー、構わんから、ミーくんを案内したりーや。タケちゃんはウチが看てるから心配ないで」

 風子先輩は呆れ顔で言った。

「じゃあ、猛志先輩にお土産買って来ようよ。全快を祝って飲み物とかスイーツとか」

「それはあんたが食べたいだけでしょー?」

 萌ちゃんがツッコむが、すでに薫ちゃんの関心はお出掛けで一杯になっていた。

 何はともあれ、僕と花園姉弟は鳴神学園を出て、商業施設が充実してる北東地区に向かった。


 俺は結界の入り口から当然のように中に入り込んだ。中級妖魔たちがあちこちにいるが、俺を見つけることは出来ない。力を持つ上級妖魔は自分専用の結界を作り、その中で普段過ごしている。最も人間ではない妖魔がこの隔離された世界でどんな生活をしてるか、知らないし知りたくもなかった。

 万華鏡のように刻一刻と姿を変える廊下を歩いてゆくと、ようやく居城が見えてきた。俺が城内に入るための橋にさしかかった時、一人の女が現れた。黒いおかっぱで髪の所々が青に染まったチャイナ服のようなドレスを着た女だった。

「これは、高見たかみ殿。魔王に謁見ですか?」

 か細いようでいて、良く通る不思議な声だった。

「これは、蒼威そういさん。魔王の紅嵐くらん様はおられるかな?」

 俺は物怖じせずそう告げる。一瞬、蒼威の瞳に稲妻が走ったようだが、すぐに心を落ち着ける。

「ええ、紅嵐様はおられますが、高見殿。あらかじめアポは取ってくださいな」

「これは失礼。次回からはそうするとしよう」

「こちらです」

 蒼威は先に立って城の中に入って行った。俺は予め術を施しておく。

 やがて、城の最奥部にたどり着いた。蒼威が巨大な扉の前で大音声を響かせる。

「紅嵐様!客人の高見殿でございます!!」

 程なくして中から、

「入るが良い!」

 とのお許しが出た。

「失礼いたします!」

 蒼威がか細い外見に反した馬鹿力で、巨大な扉をゆっくりと開いた。

 だだっ広い謁見室の奥、贅を尽くした巨大な椅子に鎮座するのは、土蜘蛛一族の長にして魔王、紅嵐だった。

「これはこれは高見殿、使いをよこすつもりであったのに、わざわざ足を運ばせて済まぬな」

 所々、赤の混ざった黒い長髪を優雅にたなびかせ、紅嵐は鷹揚に述べる。

「いえいえ。魔王のお手を煩わせるのもどうかと思い、こうしてまかりこしました」

 俺は優雅に一礼して部屋の真ん中まで歩み出た。

「それでは早速ですが、この間のアイデアに対する報酬をご所望いたします」

「ほう、報酬とな?何に対する報酬かな?」

「これは、お戯れを。蜘蛛の巣の糸に毒を含ませ、触れるだけでダメージを与える案、考えたのは・・・」

「フフフ、そう、そなたであったな」

 紅嵐は手を振ると俺の全身に糸を張り巡らせ、がんじがらめにした。

「確かにあれは良いアイデアではあった。神尾龍子のパーティーのメンバーが一人、今は瀕死の状態だ」

「そうでしょう?なのに、なにゆえ俺の身体を糸で拘束されたのかな?」

「アイデアは良かったが、肝心の神尾龍子がピンピンしているではないか、あれでは俺の部下が無駄死にしたようなものだ」

「お言葉ですが、兵隊は山ほどいるでしょう?あれだけの数がやられたくらいで・・・」

「黙れ!!」

 紅嵐はバンッと椅子を叩き、糸の締め付けを強くした。

「さて、新たなアイデアはあるか?それともこのまま鉄鋼糸で身体を輪切りにしてやろうか?好きなほうを選ぶが良い」

「ふむ、やはり最初から報酬を払う気はなかったようですな、魔王」

 突然、俺を捕らえていた、いや、捕らえたと勘違いさせていた糸が、一斉に地面に落ちた。

「なっ!?これは!」

「俺が何の策も持たずに、魔王に謁見を求める愚か者に見えたのですかな?」

 俺の姿を見失い、流石の魔王も顔色を変えた。

「声はすれども姿が見えぬ!これがそなたの術か!」

認識操作コグニション・コントロール。俺の術は夢想士はおろか、魔王ですら逃れられん。認識を狂わされたら何者も俺の手の平の上だ」

 俺は玉座の後ろから短剣ショート・ソードを魔王、紅嵐の喉元に突き付けた。

「紅嵐様!!」

 蒼威が鉤爪を伸ばした両手をかざして駆けようとするも、

「慌てるでない!!」

 紅嵐はピシリと部下の行動を止めた。

認識操作コグニション・コントロール、か。まさか魔王の俺の認識すら狂わせるとは、恐ろしい男よ」

 紅嵐はむしろ楽しげに笑った。

「良かろう、持ってゆくが良い。報酬を」

 玉座の横に金塊がゴトゴトと積み上がる。俺はそれを固有結界パーソナル・フィールドに納め、ゆっくりと玉座から離れた。

「度胸もあるし、優れたスキルを持っている。どうだ、俺の直属の部下にならんか?」

 紅嵐はそう提案するが、俺は引き際をわきまえない男ではない。

「遠慮しておきますよ。あなたたちとは、付かず離れず付き合うのが、長生きする秘訣だと思ってますのでね」

 俺は能力を全解放して、謁見室から堂々と歩み出る。無論、蒼威にも紅嵐にも俺の存在は認識出来ていない。

認識操作コグニション・コントロールか。地味だがこれほど強力なスキルは滅多にあるまい。恐ろしい男よ。敵に回したくはないものよな」

 紅嵐の最後の呟きを背に、俺は土蜘蛛の結界から脱出するのだった。


 僕らは北東地区の商業地域にやって来た。猛志先輩のお見舞いとその他、もろもろの買い出しのためだ。

「にゃー、凄い人出だね。はぐれないように、しっかりとくっついてないと」

 何だか役得と言わんばかりに薫ちゃんは僕の右腕にぷら下がってる。

「だから、薫!無闇にミーくんにくっ付くのは止めなさい」

「うにゅー、萌ちゃん、ヤキモチー?」

 薫ちゃんは悪戯っぽく笑って、さらに強く僕の腕に抱きついてきた。女の子の甘い匂いがして、ドギマギしてしまう。相手は男の娘なのに。

「止めなさい、男の子のくせに!ミーくんも迷惑してるわよ!」

 と今度は左腕を萌ちゃんに抱えられた。こちらは本物の女の子なので、柔らかい胸が腕に当たって、何だか顔が熱くなってきた。これは確かに両手に花だな。一人は男の娘だけど。

〈鼻の下が伸びてるわよ。いつ妖魔に遭遇するか分からないんだから、もう少し緊張感を持ちなさい〉

 使い魔の大福こと白虎が、僕の頭の上でそう嗜める。

「そ、それでまずはどこに行こうか?僕は詳しくないから案内してくれるかな?」

「そうね、まずは神仙堂へ行きましょうか」

 萌ちゃんがそう提案する。

「神仙堂?何のお店?」

「表向きは漢方薬と八卦の占いのお店だけど、店主は魔水晶の鑑定士もやってるわ。夢想士組合ギルド専属ってわけじゃないから、武藤家もここに魔水晶を持ち込んでるらしいわね」

「へー、予め聞いておきたいんだけど、まさか上級妖魔じゃないよね?」

「ちゃんとした人間よ。でも、噂では何百年も生きてる仙人だって噂よ」

 萌ちゃんが楽しそうに笑った。なんだ、ただの冗談か。僕も気が楽になったので両手に女の子(男の娘)を連れて歩くことに抵抗がなくなっていた。

 歩くこと20分ほどで目的の神仙堂に到着した。なるほど、店の外観はいかにも漢方薬などを取り扱ってそうな、程よく寂れた感じの店だった。

「こんにちはー」

 萌ちゃんが入り口の引き戸を開けて、陽気に声をかけた。すると、帽子を被り白いアゴヒゲを伸ばした、いかにも仙人のような老店主が顔を上げた。

「おやおや、これは萌ちゃんか、久しぶりじゃのう。ん?薫ちゃんが引っ付いてる、彼は新人なのかのう?」

 シワだらけの外見に反した鋭い目付きに、僕は幾分の緊張感を持って挨拶をした。

「絵本命です。2カ月前に鳴神学園に転入しました」

 すると、老店主は顔を綻ばせ、頷いて見せた。

「この店の店主で竜宝りゅうほうという。よろしく頼むわい」

 そう言うと竜宝さんは立ち上がり、カウンターの向こうから出てきた。

「そちらにテーブルがある。好きな席に座りなさい。茶を煎じてしんぜよう」

「ありがとー、竜宝さん!」

 薫ちゃんは嬉々として席に着いた。萌ちゃんと僕も並んで腰を下ろす。

「ところで、竜宝さん。土蜘蛛の毒を中和する薬とかありますか?」

 萌ちゃんが、早速来店した目的を明かした。

「土蜘蛛のう。誰か噛まれたのかね?」

「いえ、今回は蜘蛛の巣の糸に毒が染み込ませてあって、先輩が重体なんです」

「ほう、糸に毒を染み込ませたとな?寡聞にして聞いたことがないのう。土蜘蛛も長生きして悪知恵がついたのかのう?」

 竜宝さんは茶器を持ってきて、僕たちに漢方茶を振る舞ってくれた。少し苦味の効いた癖になる味だった。

「妖魔の中には毒を使う者もおる。土蜘蛛などは、平安の世から毒を持った妖魔として恐れられておった。当時の呪術士もそうした毒に対抗する方法を研究し、現在まで連綿と伝わってきた。待っていなさい。解毒作用のある薬を調合してくるでのう」

 竜宝さんは立ち上がり、再びカウンターの奧に姿を消した。

「何て言うか、本当に仙人みたいな人だね」

 僕が率直な感想を述べると、

「でしょー?ボクも最初見た時、100歳は超えてると思ったよ」

 薫ちゃんが何気に酷いことを言っている。萌ちゃんはため息をついた。

「竜宝さんにあんたを紹介する時、困ったわよ。見た目は完全に女の子だから、正直に言うべきか悩んだわ」

「正直に話したの?」

「まあ、結局はね。でも流石に竜宝さんは年の功ね。全く気にせずに受け入れてくれたもの」

「良いじゃん、別に。ボクが女の子の服着てたって、誰にも迷惑かけてないよ」

「迷惑かけてなくても、混乱はするわよ」

 萌ちゃんは処置なしとばかりに、肩をすくめてみせた。

 そうした他愛もない話をしていると、竜宝さんが紙包みを抱えて戻ってきた。

「中に飲み薬と塗り薬が入っておる。直接体内に毒を注入されたのではないなら、効果覿面のはずじゃ」

「ありがとうございます。お代はいつものように学園にツケておいてください」

 萌ちゃんが薬を受け取り、請求書にサインをする。

「気をつけるんじゃぞ。土蜘蛛はどの辺りに出てきたのかのう?」

「南東地区です。結界があるという情報だったんですが、結局群れがいただけで結界は発見出来ませんでした」

 僕がそう答えると、竜宝さんは何度も頷きながら、

「じゃろうのう。土蜘蛛の出現はこの北東地区が多いから、結界があるとするならこの近辺じゃろう」

 そう答えた。

「え、でもこの地区にいる情報屋から、南東地区に結界があるという情報を得たんですよ」

 萌ちゃんが驚きの声を上げる。

「おお、あのウルフとか呼ばれとる探偵じゃな。あの男ならそんなミスリードはせんはずじゃがのう」

「それじゃ、情報の出所である南東地区の情報屋が怪しいですね」

「南東地区の情報屋も知っとるが、いい加減な者ではないぞ。ひょっとすると、何者かに情報操作された可能性があるのう」

 そんな可能性は考えたことなかったが、確かにあり得る話ではあった。

「十分用心しなさい。かつて、周りの者の認識を狂わせ、思い通りに動かす夢想士がいたのじゃ。今は行方不明じゃが、戻ってきたのかもしれんのう」

「え、その人は闇の夢想士なんですか?」

 僕は勢い込んで尋ねたが、竜宝さんは首をゆっくり横に振った。

「かつて、鳴神学園で方術研究会の部長を努めていた者じゃ。討伐でも抜きん出た成績を修めておったのじゃが、卒業後に姿を消した。それ以来、行方不明になっとる」

「何故姿を消したんですか?鳴神学園で優秀な成績を修めてたら、普通は職業夢想士になりますよね?」

「さて、人の考えなど様々じゃ。あの不可視の英雄の考えなど、儂にも分からんよ」

 竜宝さんは妙な通り名を口にしてアゴヒゲを撫でた。

「それじゃ、私たちはこれで失礼しますね」

 萌ちゃんが立ち上がったのを潮に、僕たちも引き上げることにした。

「気をつけるんじゃぞ。不可視の英雄のこともあるが、情報の齟齬もひょっとしたら巧妙に仕組まれたものかもしれんからのう」

 萌ちゃんは軽く頭を下げ、

「はい、気をつけます。それじゃあ、お邪魔しました」

 お礼を述べて店外に出た。

「ところで、命くん」

 竜宝さんに呼び止められた僕は振り向いた。

「お前さん、随分と埒外の使い魔を連れておるのう」

 頭に乗せている白い子猫、大福の正体があっさりバレていた。

「ええ、はい。母から譲り受けた形見で、頼りになる相棒です」

 僕は力強くそう答えた。

「そうか。萌ちゃんや薫ちゃんを守ってあげるんじゃぞ」

「分かってます。それじゃあ失礼します」

 僕は先に出た花園姉弟を追って店を後にしたのだった。


 あたしは北東地区にある大神探偵事務所にやって来た。情報の正誤を確かめるためだった。

(ウルフが誤情報を流すとは思えないが、そもそも南東地区からの情報が間違ってたとしたら)

〈うむ、その可能性はあるな。誰かが意図的に仕組んだ計略かもしれん〉

 あたしの中に存在する龍神があたしの考えを肯定する。

(しかし、南東地区の情報屋もいい加減な奴じゃないからなー)

〈その思い込みにつけいる輩がいるのかもしれんな〉

(誤情報を信じこませるとなると、精神操作系の術士。それも闇の夢想士かもしれないな)

〈まあ、本人に直接聞いてからにしたほうが良かろう〉

(だな。さて、ウルフの奴はいるかな?)

 沢山テナントの入っている商業ビルに大神探偵事務所は存在する。あたしは5階までエレベーターを使わず、階段で一気に駆け上がった。

 大神探偵事務所のプレートのある扉をノックし、返事を待たずにあたしは室内に入った。

「いるか、情報屋?」

「あのねえ、お嬢。それがいきなり扉を開けて乱入した者のセリフかい?待ってくれ、今は報告書を書いてるんだから」

 執務デスクでパソコンに向かっていた大神翔おおかみかけるが、呆れたようにそう言い放った。

「こっちも急を要するんだよ、ウルフ。あんたからもらった情報に誤りがあったんだ」

「ふう、だからさ」

 ウルフは諦めたのか、ノートパソコンを閉じて、あたしに、向き直った。

「情報は鮮度が命。状況なんて刻一刻と変わるんだから、それまで有効だった情報が、一瞬で無効になることもあるのさ」

 情報屋はタバコを取り出し口にくわえた。未成年のあたしに配慮してるのか火はつけない。

「あんたは南東地区に土蜘蛛の結界があると情報をくれたろ?でも、実際に行ってみると、群れはいたが結界はなかった」

「待てよ、お嬢。待ってくれ。南東地区だって?」

「ああ、そう言ってたじゃないか。南東地区に結界があるって」

 するとウルフはがりがりと頭をかいて、呆れたように言った。

「土蜘蛛の結界があるのはここ、北東地区だ。土蜘蛛による変死事件があったから、南東地区で奴らがどこに潜んでるか教えたが、土蜘蛛一族の結界があるのは北東地区だって、お嬢も知ってただろ?」

 その言葉であたしの頭の中で、いくつかの記憶がフラッシュバックした。そうだ、結界は場所は特定されてないが、昔から北東地区にあると言われてた。何故忘れていたんだ?いや、あたしだけじゃない。鳴神学園の夢想士なら誰もが持ってる情報だ。

「なんてことだ。こんなの認識の阻害どころじゃない。まるで洗脳だ」

「冗談を言ってるのかと思ったが、どうやらそうじゃないようだな」

 ウルフは口からタバコをむしり取り、シリアスな顔であたしを凝視していた。あたしの記憶の混乱が只事じゃないと悟ったのだろう。

「つまり、お嬢だけじゃなく、パーティーのメンバー全員が認識を狂わされていたということだな?」

「ああ、ミーくんは新人だからともかく、猛志も風子も情報に何の疑問も持ってなかった。そんなことあり得るのか?」

「あり得るかどうかでいえば、十分あり得るぜ。この鳴神市にはかつて認識を狂わせる夢想士がいたからな」

 あたしは耳を疑ったが、ウルフは極めて真面目な顔つきだ。いつもの減らず口を叩いている時とは全く違う。

「その夢想士はまだこの鳴神市にいるのか?」

「いや、鳴神学園を卒業してから行方不明になった。将来を嘱望されてた人材だったからな。あの時は鳴神市全体が激震にさらされてた感じだった」

「一体何年前の話なんだ?」

「およそ20年前だよ。お嬢はまだ生まれてないから、知るよしもないがな」

〈その男のことならアンジェラから聞いたことがある。龍子、ぬしはまだ小さかったから覚えておらんだろうが〉

 あたしの中に存在する次元を超越した幻想種、龍神が感慨深くそう述べた。アンジェラさんと龍神の情報なら間違いあるまい。

「参考になったよ、ウルフ。また情報がある時はよろしく」

「?おいおい、今度の誤情報事件に関係のありそうな話なんだが、もう良いのかい?」

 情報屋が怪訝な表情であたしの顔を覗き込んでくる。

 悪いな、ウルフ。生き証人は他にもいた。それも100%信頼出来る存在だ。

「今度、パーティーが復活した時には、また情報を頼むよ」

 あたしは手のひらを振り、大神探偵事務所を後にした。


 20年前。鳴神学園には伝説的なパーティーがいた。高等部でありながらAランクを与えられた3人がいた。

 絵本玲子、マディ土屋、高見望たかみのぞむの3人だ。絵本玲子は空中に素早く絵を描いて、それを現実化させる術士であり、また細剣レイピアを駆使する戦士でもあった。マディ土屋はあらゆる鉱物を自在に操る術士であり。アスファルトやコンクリートで作り出したゴーレムは頑強な使い魔となった。そして高見望は認識操作コグニション・コントロールを得意とする卓越した術士だった。何しろ誰も彼の存在を認識出来ないのだから、戦闘になっても一方的なワンサイドゲームになることもしばしばだった。

「今度の討伐も随分と楽だったわね」

 玲子が肩をすくめて苦笑いを浮かべる。それは私、マディも同感だった。

「あんたの認識操作コグニション・コントロール、マジでエグいわ。この調子なら魔王討伐も夢じゃないかもね」

「魔王?止めてくれ。流石にそんな格上相手では、俺の能力も通じないだろう」

 望は困ったように頭をかいた。

「ところで、卒業したらあんたたち、どうするの?」

 突然、玲子が話を振ってきた。まあ分かってたことだ。彼女には卒業後の夢がある。中国に渡り仙人の元で修行して、最強になること。彼女の将来の設計図はもう出来上がっているのだ。

「私はアンジェラさんの指導を受けてA+ランクを目指すわ。あの人は私の憧れだから」

 そこで私は望の表情を盗み見た。何の感情も宿していない顔だ。一応、彼にも話を振ってみる。

「あんたはどうするの、望?あんたの実力ならA+ランクも確実よ?」

「ああ、いや・・・」

 言葉を濁す望。考えてみれば彼だけは今まで、その進路を聞いたことがなかった。

「俺は世界一周する予定だよ。方術研究会の顧問には反対されたけどね。俺は世界に出て見聞を広めたいと思ってる」

 初めて聞いた望の進路に私と玲子は顔を見合わせた。

「驚いたわね。あんたがそんな夢を持ってたなんて」

「本当よ、何で今まで言ってくれなかったの?」

 私たちが口々にそう言うと、

「自分の夢を語るなんて、俺の柄じゃないからな」

 望ははにかんだような、笑みを浮かべた。

「それじゃあ、誓いを立てない?10年後にまた3人で集まってパーティーを組むって」

「良いわね。私は賛成」

「10年後なんて、どうなってるか分からないぜ?」

 不満を口にしながらも、素直に手を差し出してくる望。

「よーし、10年後の私たちに、ファイト、オー!!」

 3人の手が高く上がった。

 しかし、この時の誓いが果たされることはなかったのである。


  第3章 不可視の英雄の暗躍


 僕たち3人はゲーセンやらカラオケ屋で軽く遊んで、ショッピング通りがひしめくメインストリートを外れ、都会には珍しくだだっ広い公園のベンチに座り、休憩を取っていた。

「あー、楽しかった。久しぶりの休暇は大満足だよ」

 僕の隣に座った薫ちゃんが、当然のように腕に捕まり、頭を僕の肩に乗せてきた。この甘い良い匂いはシャンプーだろうか?そんなことを考えていると、突然、ぐいっと反対側に座ってた萌ちゃんが僕の首を引っ張って、無理やり膝枕をされた。膝枕されたってのも妙な表現だけど。

「あー、萌ちゃん、ずるーい!じゃあボクも!」

 そう言うと、今度は薫ちゃんが僕の太ももの上に頭を乗せてきた。いやいや、何だ、この状況?

「ミーくん、正直に言ってね。私と薫、どっちのほうが好きなの?」

 はあああー!?

 何か色々と順番を飛び越えてる、その質問は何!?

「あ、ボクも興味がある!ね、どっちなの、ミーくん?」

 えっと・・・これは何の罰ゲーム何だろう?

 僕が答えを考えあぐねていると、

〈命、敵よ!何油断してるのよ!〉

 僕の頭に鎮座まします、子猫の使い魔、大福が猫パンチを僕の顔面に入れて警告を発した。

 途端に公園はすっぽりと巨大な結界で閉ざされた。

「萌ちゃん!」

「薫、やるわよ!」

「「死の庭園の薔薇ローズ・オブ・デッドカーデン!!」」

 二人は地面に両手をついて術式を展開する。茶色い地面が瞬く間に緑と薔薇の蔓で覆い尽くされる。わらわらと人間大の土蜘蛛が沸いてくるが、次々にトゲの蔓で動きを止められる。

 僕はイラストを描いたカードを取り出し、土蜘蛛に向けて呪文コマンド・ワードを唱える。

火球ファイア・ボール!」

 直径30センチはある巨大な火の玉が、土蜘蛛目掛けて飛んで行く。土蜘蛛は火が弱点らしいから、僕の術式とは相性が良い。次々と火球ファイア・ボールで土蜘蛛を倒してゆくが、不意に強大な魔力を感じた。

「いい気になるなよ、絵本命!」

 声のほうに目を向けると髪が黒と青のまだらになってる美女が、憎々しげに現れた。

(これは、土蜘蛛の幹部か!?)

「私は土蜘蛛一族の蒼威!絵本命、あなたの命をもらうわ!!」

 美女は僕を睨み付け、そう宣言した。

〈彼女の相手は私に任せなさい、命!〉

 頭の上の重さが消失し、大福が本来の、20メートルを超す白虎の姿を露にした。

「白虎、幻想種か!あの方が絵本命を真っ先に倒せと言ってたわけが分かったわ!」

 メリメリと異音を発して蒼威の身体が巨大化してゆく。顔だけは面影を残しているものの、身体中にトゲのついた10メートルを超える巨大蜘蛛が姿を現した。

〈させないわよ!〉

 白虎が姿勢を低くして飛びかかろうとした瞬間、全身が土蜘蛛の糸でがんじがらめになった。

「それそれ、あんたは特別に丁寧に梱包してあげるわ!」

 蒼威の蜘蛛の巣が、次から次へと白虎の身体に絡み付いてゆく。

〈この!土蜘蛛風情が幻想種の私を縛れると思うのか!〉

 白虎が憎々しげに怒鳴ったが、やはり何重にも糸で縛られて、身動きが出来ないようだ。

「くそ、火球ファイア・ボールのカードが切れた。長剣ロング・ソード!」

 僕は呪文コマンド・ワードで剣を取り出し身構えた。

「あっはっはー、戦士でもないあんたが、どこまで私の攻撃に耐えられるかしら?」

 見ると蒼威の足の4本はしっかりと大地を踏みしめ、残る4本の鋭い爪の付いた足が、4方向から縦横無尽に僕を攻撃してくる。僕は疾走状態オーバー・ドライブに滑り込み、目まぐるしい攻撃を捌いてゆく。

 疾走状態オーバー・ドライブは思考速度と反応速度を上げるスキルで、Cランクで常人の10倍の早さで動くことが出来る。Bランクで100倍、B+ランクで1000倍、Aランクで1万倍、A+ランクで10万倍の加速が可能だ。しかし、これは単純にスピードの話で剣術の心得があれば、さらに相手の上を行くことが出来る。

 しかし、僕に剣術の心得はなく、疾走状態オーバー・ドライブも、どうやら相手のほうが上手らしい。僕は必死に動き回るも、次第に身体のあちこちの皮膚が裂け血飛沫が上がる。

〈もう少し持ちこたえなさい、命!すぐに糸を断ち切って加勢するから!〉

 白虎が身体を激しく震わせ、全身を縛り上げる糸を引きちぎろうともがく。だが、念入りに縛り上げられてるので、まだ時間はかかりそうだ。

 激しい動きと流血で僕の意識は朦朧としてきた。その隙を逃さず蒼威の爪足が長剣ロング・ソードを弾き飛ばした。その刹那、足の一本が僕の腹に食い込んだ。

「ぐふっ!」

 身体を支えきれなくなり、僕はその場に倒れた。

〈命!?〉

「「ミーくん!?」」

 白虎と花園姉弟の悲鳴にも似た声が上がった。僕は足掻いてうつ伏せになった。公園の土を顔が感じる。

 花園姉弟は死の庭園の薔薇ローズ・オブ・デッドガーデンで土蜘蛛の群れを相手に手一杯だ。白虎はもう少しで縛めを解けそうだが、それにはもう少し時間を稼がなければいけない。

 ガリガリと土を掻いていると、

「あっはっはー、これでトドメだよ。絵本命!何か言い残したことはないかい?」

「そうだな・・・ここが公園で良かった。ってことかな?」

「どういう意味だ?」

「だからさ、・・・現実化リアライズ!」

 僕は拳銃を両手に構え、蒼威の顔から胸にかけて連射した。

「ぐあっ、貴様ー!!小枝を使って土に拳銃の絵を描いたのか!?」

「ここがコンクリートの上だったら死んでたよ」

 僕は拳銃を再び連射した。術式で作った拳銃に弾切れはない。しかし、流石に上級妖魔の幹部クラスを殺す威力はない。

「アジな真似をする。だが、ただの悪あがきだ!」

「・・・果たしてそうかな?」

 僕の言葉が終わらないうちに、バシーンと派手な音が轟いた。

〈私の体毛は鋼鉄以上の強度がある!もちろん、毒なんか効かないぞ!〉

 白虎は身を翻し、虎パンチで蒼威の身体を半分ぶっ飛ばした。勝負あったな。そう考えていると、

「おのれ!ただでは死なぬ!」

 蒼威は蜘蛛の巣を僕の身体に巻き付けた。毒を塗った糸を。

〈死に損ないめ!〉

 白虎の2発目の虎パンチで蒼威はバラバラに吹っ飛んだ。一方で僕の意識は徐々に朦朧としてきた。

〈命、しっかりしろ!命!〉

 後、残ってるのは雑魚ばかりだろう。僕は安心して気を失った。


 あたしは強大な魔力を感知して、辺りを見渡し、人がいないことを確認してから重力操作グラブィティカルを使って空高く舞い上がった。そのまま電柱の天辺を足掛かりにして、魔力の荒れ狂う場所へと急ぐ。

(これは、白虎の魔力か!流石に強大だな。それに花園姉弟、ミーくん・・・な!?ミーくんが相手してるのは土蜘蛛の幹部か!急がないとマズイ!)

〈落ち着け、龍子。うむ、まさかと思ったが白虎は土蜘蛛の糸で厳重に縛られておる。命はカードが無くなって剣で応酬しておるようだな〉

(ミーくんは戦士じゃない。相手は土蜘蛛の幹部のようだし、このままじゃやられる!)

 高層ビルの谷間を縫って空を飛んでゆくが、距離がありすぎる。やっと小さく目的地が見えた時、ミーくんのエネルギーが尽きかけたのを感じた。

 どうやら土蜘蛛が張ったらしい結界を破壊して、あたしは地に下り立った。

「萌!薫!」

「あああー、龍子先輩!ミーくんが!」

「ミーくん、ミーくん!」

 花園姉弟はパニックになっていて、事情が聞けそうにない。あたしは白虎の巨体に目を移した。

「白虎、ミーくんの容態は?」

〈全身の切り傷自体は大したことない。お腹を刺されたのと、土蜘蛛の糸の毒にやられたのがマズイ。全身が痙攣している〉

「萌!神仙堂で解毒剤をもらったんじゃなかったか?」

 あたしの言葉で、ようやく萌はそのことに思い至った。

「は、はい!飲み薬と塗り薬をもらいました!」

「今は水がないから塗り薬だけで良い!ミーくんの身体に塗るんだ!」

 あたしはミーくんの上着に手をかけ、一気に剥ぎ取った。

「は、はい!」

「ボクも手伝うよ、萌ちゃん!」

 花園姉弟が応急処置をしている間に何があったか白虎に問う。

「一体何があったんだ?土蜘蛛の襲撃があったのは分かるが、あんたがついていながら!」

〈そのことなら弁解の余地はない。私の落ち度だ。だが、魔力を感じさせない何者かの干渉があったのは間違いない〉

「つまり、魔力の感知を阻害する何者かの術式があったということか?」

〈良くは分からないが、お陰で土蜘蛛の群れを感知するのが遅れたのは確かだ。まさか幻想種の私の認識をも阻害するとは、闇の夢想士だとしても、かなりの実力者だな〉

「龍子先輩!とりあえす薬は塗り終わりました!」

 萌と薫は汗を流して必死に応急措置を行っていた。

「良し、白虎。このままあたしたちを乗せて学園まで飛んでくれ」

 あたしはミーくんの身体を抱えて、白虎の背中に飛び乗った。

「萌と薫も早く乗れ!」

〈このまま、飛んでゆくの?目立ち過ぎない?〉

「心配するな、偽装工作は行う。失認結界サイレント・フィールド!」

 白虎の身体に合わせて巨大な結界が組み上がる。

「良し、出発だ、白虎!」

〈分かったわ〉

 全員が白虎の巨大な背中に飛び乗り、大空を駆けてゆく。あたしたちの姿は誰にも見えないし、レーダーにも捕捉されない。電磁波によって見る者や機械の働きを阻害するからだ。

(待てよ。認識を阻害する何者かがいるかもしれないってことだったが、これと同じ原理を使ってるんじゃないのか?)

〈偶然だのう。我も今そう思い至った。ぬしが得意とする電磁波を使っての失認結界サイレント・フィールドは、どこかあの男の術式と似ておる。最も奴は電撃など、派手な術は使えなかったが〉

「さっき言ってた、20年前の英雄的パーティーの話か?」

〈うむ、世界中を巡ってあらゆる呪術や魔術を学んで、10年前、密かに日本に戻っておったのだ。ちょうどぬしが付属小学校に通い始めた頃だのう〉

「何だって!?あたしはそいつと会ったことがあったのか?」

〈いや、ぬしは会っておらぬ。だがアンジェラとマディは会っておったな〉

「理事長も!?」

 アンジェラさんは謎に包まれた人だから、不思議に思わなかったが、理事長も会っていたのか。

〈20年前、命の母親とマディ、あの男の3人は伝説のパーティーだったらしいからのう。10年後に再会すると約束を交わしたが、再会した時別人のようになっていて、マディやアンジェラと袂を分かった。それからは消息不明だったのだが、日本に戻っておったとはな〉

「それで闇の夢想士になったってわけか。かつての英雄も地に堕ちたな」

〈まあ、そう言われても仕方ない素行だからな。我は正直どちらとも思っておらん〉

「どういう意味だ?おっ!」

〈学園に着いたな。後はマディに直接聞くが良い〉


 あたしはミーくんを抱えて走り出した。方術研究会には部室や瞑想室、闘技場の他に保健室も完備してある。模擬戦などで負傷した場合に備えてのことだ。

「どうしたの、神尾さん!命くんはどうしたの?」

「土蜘蛛の群れと戦って負傷しました。腹に深い傷があり、毒にもやられました。幸い、花園姉弟が神仙堂から解毒剤をもらってたので、応急手当はしてあります」

「そう。早くベッドに寝かせて!」

 回復士ヒーラーに解毒剤を渡し、あたしたちは保健室を出た。後は任せるしかない。それよりも・・・

「理事長、お話があるんですが」

「何かしら?何となく察しがつくけど」

「かつて、この学園にいた、認識を阻害する夢想士のことです」

 あたしの言葉を受けて、理事長はため息をついた。

「その話ね。他のみんなは看病するか、寮で待機してなさい」

 その言葉にメンバーたちは三々五々散っていった。


 理事長室のソファーに向かい合って座る。理事長は何から話すべきか悩んでいるようだ。

「もう一度聞きます。かつてこの学園には認識を阻害する夢想士がいたんですね?」

 あたしの言葉に理事長はゆっくりと顔を上げた。

「知っていたの?」

「あたし、というより、龍神が覚えてましたよ。10年前に一度学園に戻って来てたんですね?」

 理事長はお茶を飲んで喉を潤し、口を開いた。

「その通りよ。名前は高見望。認識操作コグニション・コントロールの使い手だった」

「相手の脳に直接働きかける能力ですよね?」

「ええ、術をかけられた本人だけじゃなく、その周囲にも影響を及ぼす恐ろしい能力だった。高校生の頃にすでにその能力は高みにあったのに、彼はさらなる高みを望んだ。20年前に世界中を旅したのもあらゆる呪術や魔術を学んで、自分の能力を高めるためだった」

 そこまで話すと理事長は眼鏡を外し眉間を揉んだ。

「10年前に一度戻って来たそうですね?それは能力が完成したからですか?」

「というより、能力の確認ね。ちょうどその頃アンジェラさんが学園にいたので、自分の能力がどこまでの高みに達したか、試したのよ。そして、彼はアンジェラさんに能力が通じないのを知り、絶望した。そして、闇に堕ちたのよ」

「どうして闇に?電磁波のコントロールが出来れば、強化することは可能なのに」

 理事長は驚いたようだが、すぐに腑に落ちたようだ。

「そう、神尾さん。あなたは雷を操る能力を持っている。認識操作コグニション・コントロールが電磁波を用いた、脳に干渉する術だと見破ったのね」

「あたしの使う失認結界サイレント・フィールドが電磁波を使う術なのでピンと来ました。どちらも見る者の認識を阻害するという点では、一致しますからね」

 理事長はソファーに首を乗せ、疲れた声を出した。

「そう。何も神がかった術ではない。でも、彼はそれを認めたくなかったのね。すぐに私たちの前から姿を消した。闇の夢想士や妖魔と手を結ぶようになったと聞いたのはずっと後のことだけどね」

 理事長の声は深く沈んでいた。

「理事長が責任を感じることはないですよ。闇に堕ちるのは本人の勝手でしょう?周りにどうこう出来るものじゃ・・・」

「それは分かってるわ。でもあの頃は私もまだ若かった。望の裏切りが許せなかった。今では何となく分かるわ。私もアンジェラさんを見てて、一線を退いた身だからね」

「アンジェラさん相手じゃ誰でもそうなりますよね」

 あたしは我が身に重ねて、アンジェラさんの理不尽な強さに苦笑してしまった。

「今回の土蜘蛛の一件に望が絡んでるなら、もう一つの案件にも噛んでる可能性があるわね」

「もう一つの案件?」

「武藤家よ」

「武藤家?でも相互不可侵条約を結んでるから、手は出せないんじゃ?」

「次女の弓美さんから相談されたのよ。記憶喪失の少年を匿ってるらしいんだけど、次期当主である小夜さんが明らかに目に見えて不自然らしいのよ」

「記憶喪失の少年ね。どうして警察なりなんなり、然るべき機関に預けなかったんですかね?」

「だから、そこよ。小夜さんが認識操作コグニション・コントロールの影響を受けてるとしたら・・・」

「あらゆる妖魔に恐れられる武藤家を、内側から蝕む作戦ですかね?」

「かもしれない。もしそうなら条約を無視して助けに入るべきでしょうね」

「良いんですか?後で揉めるんじゃないですか?」

「例え武藤家でも、鳴神学園の生徒には違いないわ。無視は出来ない。その時は力を貸してくれるかしら?」

 あたしは苦笑を押し上げ、

「当然です。同じ学園の仲間ですから」

 そう言い切ったのだった。


 俺は引き上げる土蜘蛛たちに混ざり結界へとやってきた。中に入ると以前よりも数が増えている。土蜘蛛は多産だから、数が増えるのが早い。最も、中級から上級へランクアップするのが難しいのだが。

「紅嵐様!ただ今戻りました!ですが蒼威様が名誉の戦死をなさいました!」

 準幹部とおぼしき二人がかしこまり、その手に持った魔水晶を差し出した。連中が混乱し、回収し忘れてた物だ。

「蒼威!馬鹿者が!あれほど死ぬなと念を押したのに!」

 魔水晶を受け取った紅嵐は、魔水晶に頬擦りし、しばし、黙祷した。再び目を開けた時、その瞳には冷酷さが戻っていた。

「これより、蒼威の復活を行う!蒼威の血肉となる者はいるか?」

 復活だって?魔水晶が残っていても蘇るには相当のエネルギー量が必要だ。すると、準幹部の二人がずいっと前に進み出た。

「我らの命、お使いください!」

「然り!」

 紅嵐は満足そうに頷き、

「良く言った!その献身忘れんぞ!」

 紅嵐の両手が二人の頭に乗せられ、ズズズっと何かを吸いとってゆく。

精気吸収エナジー・ドレインか!)

 瞬く間に吸い尽くされた二人は塵となって消えた。エネルギーそのものを吸われたので魔水晶も残っていない。

「蘇れ!蘇生術式リインカーネーション!」

 紅嵐は両手で魔水晶を持ち、今度は精気注入エナジー・インジェクションを行った。すると次第に魔水晶に黒い煙のようなものが集まり始め、人型になってゆく。死者の復活なんてものは、流石に初めてなので、ちょっとした見物だった。

 完全に人型が形成され、蒼威のまぶたが開いた。

「紅嵐・・・様」

「心配させおって。俺の許可なく死ぬことは許さんぞ」

「ありがとう・・・ございます」

 しっかりと抱き合う二人を見ていると、俺は何だか違和感に囚われた。

(人間の空想が生み出した妖魔。ただの化け物のはずだが、上級妖魔ともなると、人間と変わらぬ愛情なんてものも持つのか。恐らく人とあまり変わらぬ脳を持っているのだな。でなければ俺の認識操作コグニション・コントロールが効くはずないからな)

 ともあれ、今回の土蜘蛛との共闘もひとまずこれで終わりだ。

 俺は謁見室を出て出口に向かった。夥しい数の土蜘蛛が蠢いている。一体なら大した強さではないが、土蜘蛛は圧倒的な物量作戦で戦う。俺には無理だが天や地を根こそぎ薙ぎ払うような、大技を持つ夢想士なら一掃出来るだろう。そう、例えばアンジェラ・ハートのようなSランクの夢想士なら。

 或いは今、鳴神学園ナンバーワンと称される神尾龍子のような者なら。

 俺は次の計画の推進のため、土蜘蛛たちの結界を後にした。


 道場の中で槍太と童夢くんが竹刀と木槍を持って対峙している。

「始め!」

 小夜姉さんの合図で槍太はすり足で素早く前に出て胴を狙った。しかし、童夢くんは運足だけで突きをかわし、槍太の面に向けて竹刀を振り下ろした。槍太は槍を回転させてその攻撃をいなし、逆に今度は面を狙って槍を振り下ろす。しかし、激しく姿勢を落とした童夢くんがすれ違いざまに胴を打ちこんだ。

「ぐふっ!」

「一本!それまで!」

 姉さんが童夢くんの勝利を宣言する。まあ、普通の人間なら彼は相当強くなったと言えるだろう。

「くそったれ!疾走状態オーバー・ドライブが使えたら負けねーのによー。そう思うだろ?弓美姉?」

 私の隣に座り込んだ槍太はそう愚痴をこぼした。それはそうだろう。しかし、それではあまりに戦力差がありすぎるということで、童夢くんの模擬戦では疾走状態オーバー・ドライブの使用は固く禁じられている。

「うん、腕をあげたな。高等部に進んだら剣道部に入ったらどうだ、童夢くん?」

「いえ、槍太先輩に手加減していただいてるだけです。僕なんてまだ全然・・・」

「聞いたか、槍太?お前もこれくらい謙虚なら可愛げもあるんだが」

 姉さんの言葉に槍太はそっぽを向いて、

「別に可愛げなんて欲しかねーよ。俺は強くなれたらそれで良いんだよ」

「そうか、よし。稽古をつけてやる。槍を持て、槍太」

 あーあ、余計なこと言うから。

 入れ代わりに私の隣に座った童夢くんは目の前で繰り広げられてる、疾走状態オーバー・ドライブの模擬戦に見入ってる。普通の人間の目で見れば、何をしてるのかも分からないだろう。そして、槍太が派手にぶっ倒れて今夜の稽古は終わった。

「童夢くん、まだ何も思い出せないの?」

「はい、スミマセン。未だに自分の名前以外は思い出せません」

 私の問いに童夢くんはすまなそうに頭をかいた。

「何も焦る必要はない。童夢くん、先にお風呂に入って汗を流して来ると良い」

 姉さんがタオルを放って童夢くんに告げる。

「え、そんな一番風呂は居候の身には・・・」

「気を使う必要はない。それに姉弟だけの話し合いがあるのでね」

「そういうことなら、お先にいただきます」

 童夢くんが道場から姿を消すと、姉さんの顔付きが真剣になった。 

「鳴神市の夢想士のLINEグループで、鬼の結界がこの近くにあるという書き込みがあった」

「それなら私も見たわ。ハヤブサ氏の情報なら信憑性が高いわね」

「ほ、本当かよ。久しぶりに暴れられるな」

 床にぶっ倒れた状態のまま、槍太も会話に参加する。まあ、いつものことだが。

「どのくらいの規模の集団か、まだ分かってないが、必要なら武藤家ゆかりの夢想士たちにも協力を仰がなくてはならないな」

「そんなの、俺たち3人がいれば楽勝だぜ」

「そういう大口は私に一本入れられるようになってから言うんだな」

 姉さんは相変わらず手厳しかった。

 ようやく身体を起こした槍太が姉さんに恐る恐る尋ねる。

「小夜姉、まさかあいつを連れてゆくとか言わないよな?」

「お前はバカか。夢想士でもない少年を連れてゆくわけないだろう」

 姉さんはぴしゃりと言い放った。

「いやー、最近の小夜姉はあいつにべったりだから、ちょっと不安に思っただけだよ」

 お、槍太が珍しく姉さんに甘えてる。微笑ましく思ったが、姉さんには通じなかった。

「槍太、槍を持て。もう一戦相手してやろう」

 姉さんの目が鋭く光っていた。全く、槍太はいつでも一言多い。そして、道場には激しく打ち合う音がいつまでも鳴り続けたのだった。


 僕はお風呂に浸かって疲労を癒していた。また道場のほうから音がし始めたけど、みんな稽古が本当に好きなんだなーっと思った。

 それにしても、槍太先輩も小夜先輩も手加減し過ぎなんじゃないだろうか?確かに僕は初心者で剣術を始めて一週間のど素人だけど、あそこまで動きを遅くしてもらわなくても大丈夫なのに。

 小夜先輩と槍太先輩の打ち合いを見てたら、僕にもあれくらいのスピードで対戦してくれれば良いのにと、思ってしまう。少なくとも槍太先輩くらいには動けそうな気がする。

 夢想士っていうのがどんな存在か分からないが、武藤家の3姉弟は全員夢想士らしい。僕は修行の呼吸法でつまずいて、夢想士は諦めたけど、まだ少し興味はある。

 妖魔という化け物は怖いけど、小夜先輩たちはずっと戦ってきたんだろうな。もし叶うなら小夜先輩の背中は僕が守りたい。力不足だろうが、僕がそうしたいのだ。だって僕は・・・

 顔が熱くなってきたので水道の蛇口を捻り、冷水で顔を洗った。自分の感情が押さえきれず爆発しそうだった。

 僕は小夜先輩のことを・・・

 その夜は湯あたりして、離れで布団の上にぶっ倒れた。顔の火照りがいつまでも取れず、夜が更けてもなかなか寝つけなかったのだった。


  第4章 鬼の怪斬一族


 目を開けると見慣れない天井だった。いつもの2段ベッドの下から見る光景と違い、遥か高い天井に煌々とLEDライトが点っていた。そういえば、ここは方術研究会の保健室だ。記憶が混乱しているが、土蜘蛛との戦闘で死にかけたことは思い出せた。こうして保健室のベッドに寝てるということは、どうやら難局を乗り切ったらしい。

 僕は大きくため息をついて右に身体を動かした。薫ちゃんがパジャマ姿で寝息を立てていた。一瞬で仰向けに戻った僕は、冷や汗をかき始めた。

 今のは幻覚だ、そうに違いない。そう自分に言い聞かせ、左に顔を向けるとパジャマ姿の萌ちゃんが眠っていた。保健室の小さなペッドに3人で寝てるから、もう身体の両側が柔らかくて暖かくて、良い匂いが充満してて、とにかく、僕はハッキリと覚醒した。

「わあー!!」

 思わず大声を出した僕だが、

「やかましい!怪我人が寝てるんだぞ!」

 猛志先輩が枕をぶん投げてきたので、僕はとっさにそれを掴むべく、上半身を起こした。

 間違いなく、花園姉弟が両側に寝てる。僕が気を失ってる間に何があったんだ!?

 パシャパシャとスマホカメラで、風子先輩が僕たちを撮影していた。

「ええなー、ミーくん。両手に花やなー。この状態で一夜を明かしたってことは、もう、やることはやったんやなー」

「なっ!?誤解ですよ!僕は今さっき目を覚ましたばかりですよ!」

「まあ、えーやん。とにかく無事に目を覚まして良かった良かった」

 その時、寝ぼけた薫ちゃんが座り込んだ僕の太ももに掴まり、顔を僕の股間に埋め込んできた。

「おっとシャッターチャンス!これは良い絵が撮れたで!」

「わあー、止めてください!薫ちゃんもいい加減目を覚ましてよ!」

 騒ぎの中、萌ちゃんのほうが先に目を覚ました。

「あ、ミーくん。良かった、目が覚めたのね?」

 身体を起こした途端、その動きが固まった。

「な、ななな、何やってんのよ、薫ー!!」

 萌ちゃんは起き抜けとは思えない素早さで、僕の太ももにしがみつく薫ちゃんを引き剥がした。

「うにゅー、何ー、萌ちゃん?ボク、何かしたー?」

「してるわよ!まったく、あんたはいつもいつもー!ミーくんとの距離が近すぎるのよ!」

 姉弟喧嘩に巻き込まれたくないので、僕は重力操作グラブィティカルで大きく飛んで、一番端の空のベッドに避難した。

「おはよー、諸君!元気ですかー!」

 何だか朝から元気な龍子先輩の姿を見て、僕は大きく安堵のため息をついた。

「お、ミーくん、復活してるな。処置が早かったのが幸いしたな」

 近づいてきた龍子先輩は優しく頭を撫でてくれた。

「せ、先輩・・・」

「一時はどうなるかと思ったけど、猛志もミーくんも無事に回復して何よりだ!」

 龍子先輩と猛志先輩はハイタッチを決める。あー、それ、僕もやりたかったなー。

「一時はどうなるかと思ったよ。3日も寝込んでいたからな」

 龍子先輩にそう聞かされて、僕は耳を疑った。

「え、僕は3日も寝てたんですか!?」

「そうだよ。怪我はともかく、土蜘蛛の毒がなかなか厄介だった。でも、流石に老師の調合した薬は優れた薬効があったな。うん、後遺症もないようじゃないか」

「老師?神仙堂の竜宝さんですか?」

「ああ、中国で修行して仙人になった人だよ」

「仙人!?」

「ついでに言っておくと、武藤家の先々代の当主だよ」

「えええー!?」

 僕は情報量の多さについてゆけず、頭を抱えて混乱していた。

「さて、お腹が空いただろう?学食に行ってランチにしよう。その後に作戦会議といこうか」

 龍子先輩は僕と猛志先輩を追い立て、喧嘩中の花園姉弟をあやして移動を促した。まあ、身体の調子は良くなってるので、そこは半ば強制的でも不満が噴出することはなかった。


 3日ぶりの食事は美味し過ぎた。少食の僕がおかわりをしてしまうくらいだから、そこは押して知るべしというところだ。

「ミーくん、デザートの杏仁豆腐、あげるね」

 相変わらずべったりな薫ちゃんに、みんな生暖かい目を向けていた。

「さて、お腹は膨れたかな?それじゃ今後のパーティーの予定を決めよう」

 リーダーの龍子先輩が口火を切った。

「まずは、今回の件で身を守る防御結界プロテクト・フィールドの構築が課題になるな。特に術士は戦士との戦いになると、防御を強固なものにしていないと、やられてしまうからな」

「そうですね。特に土蜘蛛みたいに毒を使う妖魔相手でも、結界がないとまとに毒を食らってしまう」

「そうそう。流石にミーくんは身に染みて分かったみたいだね」

 龍子先輩がウインクを決める。相変わらず様になってるなー。

「ウチとタケちゃんはもう張れるで。もっと強化せなあかんってことか?」

 風子先輩が意見を述べる。それに龍子先輩は大きく頷いてみせる。

「相手が強力な場合、せっかく張った結界も破壊される恐れがあるからな。こればかりはこれで良いという限界はない。あたしも戦闘領域バトル・フィールドの強化ではアンジェラさんにしごかれたからな」

 龍子先輩は苦笑しながら結界の強化の必要性について説いた。

「じゃあ、しばらくは結界の強化に徹するのか?」

 回復したら、真っ先に妖魔討伐をしたがってた様子の猛志先輩は、少々不満のようだ。

「猛志、お前は自分の強化服パワード・スーツを盲信し過ぎてる。お前の場合は特に結界の強化が必要だ」

「ちぇー、そりゃ相手が得物を持った鬼だと苦戦したけどよ」

 猛志先輩は渋々ながらも、自分の防御力の問題を認めたようだ。

「まあ、せやな。ウチも術を使ってる間は無防備になってまうからなー」

 風子先輩も同意したことで、僕たちパーティーのやるべき課題が決まった。


 俺は車を駐車場に停めて探索を開始した。今回は鳴神学園から直々の要請だ。あの武藤家を狙う鬼の集団がいるらしいから、その結界の位置を特定してくれとの依頼だった。

 鬼か。こりゃなかなかスリルのある仕事だ。噂ではあの酒呑一族の結界もこの北西地区に存在すると言われてるが、都市伝説の類いだ。

 北西地区は富裕層のタワーマンションや高級住宅街が立ち並ぶ、比較的お洒落な街だ。魔力感知マナ・センサーを働かせながら、ブラブラと街を歩く。武藤家の屋敷もこの北西地区の境辺りにある。鳴神学園のある中央地区とは目と鼻の先だ。果たしてここに鬼の結界なんか存在するのか?

 あるとすればよっぽど巧妙に隠されているに違いない。

「おい、ウルフじゃないか」

 いきなり声をかけられ、俺は飛び退いて距離を取った。

「おいおい、大神くん。随分と大袈裟な反応だな」

 そこにいたのは、鳴神市警、妖魔特捜課の荒畑警部だった。

「なんだ、旦那か。脅かしっこなしですよ、本当に」

 年の頃40代のガッチリした体格の刑事が頭をかいた。

「いやー、別に脅かすつもりはなかったんだがね。この近辺で最近行方不明者が多発しててね。パトロールをしてたのさ」

「この鳴神市では行方不明者の割合が、東京と比べても8倍になるんだから、珍しいことじゃないでしょう?」

「そりゃそうだが、妖魔特捜課にしてみれば行方不明者イコール妖魔って図式になってるからね。仕方ないんだよ」

「大変ですな。専門家ともなると」

 俺は伸びをして、タバコを口にくわえた。

「君のほうはどうなんだい?やはり行方不明者の捜索かね?」

「いやー、あたしゃもう少し具体的な依頼を受けてましてね。この北西地区にある鬼の結界の場所を特定して欲しいってことで」

「鬼の結界!?あるのかね!」

「それをこれから調べるんです。しばらくはこちらのホテル住まいになりそうでね。まあ、後から学園に請求すれば良いんですが」

「ははは、そうか。見つかると良いね。それじゃ私は仕事に戻るよ」

「ええ、お互いにね」

 妖魔特捜課がパトロールするほど行方不明者が多いのか。鬼の結界がある可能性は一気に高まったな。

 雑踏の中を行き来して、魔力の反応を探る。地味だが探偵の仕事なんてこんなものだ。喫煙所に寄りタバコを吸ってると、あちこちに下級妖魔が漂ってる。まあ、人の多いところには付き物だな。中級妖魔辺りになると学園か妖魔特捜課に連絡すべきだろうが。

 その時、不意に膨大な魔力を感知した。これは上級妖魔か?俺は魔力を辿って歩き出した。鬼かもしれない。俺はちょっぴり緊張しながら魔力の残り香を追ってゆく。

 コンビニとカフェに挟まれた、人がすれ違うのがやっとな細い路地を見つけた。濃厚な魔力が漂ってくる。いよいよ鬼の結界発見か?

 俺はタバコをくわえ、ゆっくりと路地の中を進んでゆく。正面だけでなく上と左右にも気を配りながら歩いてゆくと、遥か前方に見えて来たのは武藤家の屋敷の石塀だった。

(こりゃあ、学園側の懸念が的中かもな?)

 長大な路地の真ん中辺りに達した時、上から勢い良く落ちてくる気配を感じた。俺は前方に大きくダイブして転がり、襲撃者の正体を見定めた。

 頭に白い一本角を持った女の鬼だ。半ば半裸状態だが、色気など全くの無縁だ。手に握りしめた金剛杖をぶんっと振って見せる。

 こりゃあ不味い。三十六計逃げるに如かず、後ろを振り返るとそこには白い二本角の男の鬼が、同じく金剛杖を持って仁王立ちしていた。

 こりゃあ、武藤家の近くに鬼の結界があるのは確定だな。しかし、それを報せるにはこの窮状から脱出しなければならない。

「こりゃあ、少々タフだぜ」

 迫ってくる女の鬼の顔面目掛けて、くわえたタバコを吹き付けた。一瞬隙が生じたところで俺は壁を駆け上がる。後ろから迫って来ていた男の鬼が俺の立ってた場所で空振りして、壁に派手な穴を開けていた。

 俺はかろうじて引き上げ式の非常階段に登った。鬼たちが威嚇の声を上げて壁に金剛杖を叩きつけるが、登っては来ない。まあ、白角の鬼はそれほど身体能力は高くないからな。

 俺は身軽に階段を登ってゆき屋上に辿り着いた。そこで自分の考えの甘さを痛感した。黒い二本角の男の鬼が金剛杖を持って待ち受けていたからだ。

黒い二本角と言えば、小さい集団なら長に、酒呑一族なら幹部クラスだ。

 この絶体絶命の状況に俺はむしろ愉快になってニヤリと笑った。

「貴様、何を笑っている?上級妖魔のようだが、鬼に勝てるとでも思っているのか?」

 金属をこすりあわせたような、不快な声で鬼は凄む。

「いやー、こりゃ性分ってやつでね。あたしゃピンチになるほど口許が緩んでしまうんだ」

「なら、笑いながら死ぬがいい!」

 鬼は金剛杖を振るって襲いかかってきた。どれもが一撃でも食らうと致命傷になる重い攻撃だ。すでに疾走状態オーバー・ドライブに入っているため、相手の動きが緩やかに見える。速さでは俺の方にアドバンテージがありそうだ。

「このー!チョコマカと動きおって!」

「こちらも命懸けなんでね。牙狼拳!」

 鬼の攻撃の合間を縫って、打撃を叩き込むが、流石に鬼はタフだった。普通の人間なら10回は死んでる打撃を食らって、平然と反撃に打って出る。

 満月期の人狼の攻撃をこれだけ食らって何ともないとは、自信がいささかぐらついた。

「今度こそ死ねい!!」

 俺は間一髪で金剛杖の攻撃をすり抜け構えた。その時、異変が生じた。

「ぬっ!?あの犬め、どこへ行きおった!」

 黒二本角の鬼が、何故か突然俺の居場所を見失っていた。

(何故だ?俺はここにいるのに、奴はどうして急に俺が見えなくなったんだ?)

 しかし、これは僥倖だった。俺は全速力でビルの屋上の端まで駆けて、隣のビルまで飛んだ。10メートルはあったが俺の跳躍力なら軽いものだった。

 鬼は相変わらず俺の姿を探して右往左往しているが、あそこに鬼の結界があるのはもう確定だ。これ以上危険を冒す必要はあるまい。

 しかし、まさか本当に武藤家の近くに鬼の結果があるとは。

 まあ、武藤家の屋敷も結界を張ってるから侵入される恐れはないだろうが。

 俺は立ち上がり、10階建てのビルから飛び降りて地上に戻った。もう少し時間がかかるかと思ったが、思ったよりも早く特定出来た。後は学園に報告するだけだ。

 それにしても、何故あの鬼は急に俺を見失ったんだ?まるで誰かに認識を阻害されてるようだった。このことも合わせて報告しておくか。少し不自然な出来事は術式が絡んでくることもあるからな。

 俺はタバコをくわえると、ブラブラと車を停めた駐車場に向けて歩き始めた。


「よーし、もう一度やってみようか?」

 方術研究会の地下闘技場で僕たちはひたすら防御結界プロテクト・フィールドの強化の特訓を行っていた。苦労して作り上げた途端に、龍子先輩の天薙神剣あめなぎのみことのつるぎで簡単に壊されてしまう。

「あたしの戦闘領域バトル・フィールドほどの強度は求めてない。せめてこの剣の普通の斬撃くらいに耐えられないとな」

「軽く言うてくれるけど、それは神代の剣やないか。そんな代物の斬撃防げたら、ほとんど無敵やで」

 風子先輩が愚痴をこぼす。それもむべなるかな。僕と萌ちゃんも薫ちゃんもすでにヘトヘトだった。

「鬼の攻撃を防ぐなら、そのくらいの強度がないと話にならないぞ。よし、次はミーくんだ。術士なら術式を組み立てるのは慣れてるだろ?」

 龍子先輩が無茶振りをしてくる。AランクとBランクじゃそもそも勝負にならない。強い人はもっと自分が強いことを自覚すべきだ。でないとこんな無理ゲーがいつまでも続くことになる。

龍子先輩、Aランク

猛志先輩、B+ランク

風子先輩、B+ランク

 そして、僕と萌ちゃんと薫ちゃんはBランクだ。これは絶望的な実力差を意味する。

〈初めから出来ないと決めつけてたら、絶対に出来ないわよ。自分なら必ず出来るって信念を持たないと〉

 おっと使い魔からも追い込みかけられてるぞ。僕は半ばヤケクソ気味に両手を宙に掲げ、

防御結界プロテクト・フィールド!」

 術式を展開した。

 僕の周りに半透明の正方形が現れる。思い切り気合い入れたし、今度こそ!!

 パリーン!

 非情にも龍子先輩の剣の軽い一太刀で結界は破壊された。ガックリと膝をつく僕。

「ダメだなー。ミーくん、剣を触ってごらん?」

 龍子先輩は何を思ったか、僕に剣の切っ先を向けてきた。

「い、命ばかりはお助けを」

「面白いこと言ってないで、剣を触ってその構造を読みとってみるんだ。そうすればどんな術式が必要か分かるはずだ」

 僕は言われた通り、剣にそっと手を置いた。その途端、奔流のようにこの剣を存在せしめる術式が、僕の中に入り込んできた。流石に神代の剣、その構造を読み取る過程で、神々の意識に触れた気がした。これは保ちそうにない。僕は慌てて剣から手を放した。

「どうかな、ミーくん?数千年の歴史を垣間見た感想は」

「あ、はい。何だか出来そうな気がしてきました」

「よーし、じゃあもう一度やってみようか」

 龍子先輩が両手で剣をもつ。僕はさっきの感触を思い出しつつ、術式を展開する。

防御結界プロテクト・フィールド!」

 先ほどまでと違い、今度の結界は薄く虹色をまとっている。

「よし、いくぞー。ていっ!」

 龍子先輩の振り下ろした剣はガキっと異音を発して、僕の結界に進路を阻まれた。

「やったじゃないか、ミーくん!合格だよ、合格!」

 龍子先輩は喜色満面で喜んでくれる。一方、他のみなさんはポカンと口を開けて呆けている。

〈やったわね、命。私も鼻が高いわ〉

 大福こと白虎も手放しで褒めてくれる。こんな晴れやかな気分は久しぶりのような気がする。

「おいおいおーい!その剣に触れば出来るのか!?」

「次はウチの番や!今度こそ成功させたる!」

「わ、私も触らせてください!」

「ボクにも触らせて!ボクにも!」

 とんでもない騒ぎになったが、自分のレベルが上がるとこんなにも嬉しいのか。これからも修行に精を出そうと誓う僕なのだった。


 俺は結界の門番に気づかれることなく、中へと侵入した。今回はより一層慎重を期していた。鬼の結界は他の上級妖魔と比べても、かなり闇のオーラに満ちているので、影響を受けそうになる。俺は術式を強化して、最奥部を目指した。この結界の主、一族の長に会うために。

 謁見室の扉を開けると玉座に集団の長、怪斬かいざんが座していた。その前に、男と女の鬼が膝まずいて頭を垂れている。

「おお、高見殿!いつ来られたのだ?門番は何をしている!」

「まあまあ怪斬殿、神出鬼没なのが俺の真骨頂。気にしないでくれ」

「た、高見殿!我らの子は無事なのか?敵地に乗り込んで随分になるが、上手くいってるか?」

「あの子は私たちの希望。失いたくはない!」

 怪斬の前に膝まずいていた、夫婦の鬼が必死にその後の展開を気にかけている。

 男の鬼が獅童しどう、女の鬼が夢氷むひょうという。

「心配することはない。俺の術は完璧だ。あの子は予想以上に上手くやってる」

「し、しかし、あの子は記憶のほとんどを無くしているのだろう?元に戻すことは出来るのか?」

 妖魔とはいえ上級、まして鬼ともなると人間と変わらぬ心を持っている。人でも善人と悪人がいるのだから、これは珍しいことではない。ましてお腹を痛めて産んだ我が子は愛しかろう。

「これを見てくれ」

 俺は懐から、USBメモリくらいの小さな結晶を取り出した。

「そ、それは!?魔水晶!」

「の欠片だな。これには、あの子の記憶が完全に保存されている。作戦が上手く行った暁には必ず記憶を元通りにすると誓おうじゃないか」

「おう、有り難い!よろしく頼む、高見殿!」

 俺が鷹揚に頷いた時、謁見室の外が騒がしくなった。

「やれやれ、客人がいるというのに、何を騒いでおるのか」

 獅童が立ち上がり謁見室の扉を開こうとするが、その前に勢い良く扉を開く者がいた。

「何事か!客人がおるのだぞ!」

 怪斬が激しく無礼を叱責するが、

「スミマセン、ですがかしら!遭禍様がお見えになっております!」

「なんと、遭禍様だと!?」

 その名前で驚いたのは鬼たちだけではない、他ならぬ俺も予想外の出来事で、術式を崩すところだった。

 上級妖魔でも鬼は上位の存在。まして魔王を頂く酒呑一族は最強クラスだ。そして幹部の四天王たちは他の鬼の族長など、足元にも及ばぬ猛者と聞く。俺もいささか緊張してしまう。

 謁見室の扉から入ってきたのは、赤く長い髪、2メートルは越す身長、筋肉の塊のようなボディだが、それに似つかわしくない、美しい顔が印象的だ。そして頭に黒い2本角。

「これは、遭禍様、よくぞおいでくださいました」

 怪斬以下、全ての鬼が片膝をついて頭を垂れているので、俺もそれに習って同じ体勢を取る。

「よう、怪斬。久しいな。100年ぶりか?」

 鬼たちの会話はスケールが違う。すると、遭禍の目は俺の姿を捉えたようだ。怪斬の隣にいるはずの俺ではなく、本物の俺がいる方向を向いている。その視線は完全に俺がどこにいるか把握している。

「こいつが今回の作戦の立案をした、闇の夢想士か」

「ははっ!高見殿にございます!」

「ふうん」

 次の瞬間、遭禍の姿がブレたと思ったら目前に迫っていた。拳を振りかぶっている。俺はすかさず絶対防御リーサル・ガードを発動した。

 ガツン、と硬質な音が響いて遭禍の拳が俺の眼前で止まっていた。俺が20年かけて組み上げた術式は完璧だった。何しろ鬼の攻撃を完全に止めたのだから。

「へえ、面白いな、お前。認識を阻害する夢想士は昔聞いたことがあるが、オレの攻撃を凌ぐ結界の持ち主はお前で二人目だ」

 二人?二人だって!?

「恐れ入ります。ところで一人目は誰なのでしょう?」

「ん?かっはっは!夢想士なら知らない奴はいないだろ。アンジェラ・ハートだ!」

「なるほど。ところで遭禍様が得意とする術は、まさか雷では?」

「かっはっは!その通り。お前の術が電磁波を使って、周りの認識を操作するものだとすぐに気づいたからな。しかし、その結界は見事だ。誇って良いと思うぞ」

 内心、忸怩たる思いがあるが、結界の強度がアンジェラに迫るものと言われて、俺は少し嬉しく思ってしまった。

「ところで、例の計画は上手くいってるのか?」

 遭禍の問いに、

「ははっ、後少しで仕上げに入れるかと」

 怪斬が畏まって答える。

「そうか。武藤家は古から妖魔討伐を生業にしてきた一族。これを潰せたら、鳴神学園にも痛手になるだろう。期待しているぞ」

「お任せください!」

 全ての鬼が平伏する中、俺は自らの認識操作コグニション・コントロールの弱点を思い知った。だが、まだ俺には絶対防御リーサル・ガードがある。いずれ来る武藤家総攻撃の日までに計画の細部を詰めてゆかねば。

 俺は立ち上がり、結界の出入り口に向かった。


 僕は木刀を持ち、槍太先輩と激しく打ち合っていた。僕の動きの速さに小夜先輩が、疾走状態オーバー・ドライブとかいう能力の使用を許可したのだ。

 槍太先輩も初めの頃に比べたら、とんでもない速さで動くのだが、僕にはかろうじてその動きが捉えられた。槍のほうが長いので、懐に入るのが大変だが、入れたら近距離攻撃の木刀のほうが有利だった。

「この野郎!」

 槍太先輩が腹立ち紛れの声を上げる。突き技からの返し技を狙うが、僕はその攻撃をいなして胴に一本打ち込んだ。

「それまで!」

 小夜先輩が勝敗を告げる。しかし、槍太先輩は聞こえなかったのか、猛然と突き技を入れてくる。

「止めんか、馬鹿者!」

 小夜先輩が木刀で槍太先輩の木槍を弾き飛ばした。

「勝負はついたんだ。潔く認めろ!」

「ぐっ、クソッタレー!」

 槍太先輩は悪態をついて道場を出ていった。僕は少しバツが悪くなり、正座しで木刀を置いた。

「気にすることはないぞ、童夢くん。君の強さは本物だ。正直これほどとは思わなかった」

「そうよ、姉さん。おかしいと思わないの?夢想士でもないのに疾走状態オーバー・ドライブについてこられるなんて、普通ならあり得ないことよ」

 弓美先輩が何やら抗議している。僕はただ真面目に稽古してただけなので、このピリピリした空気が居心地悪い。

「彼自身は自覚がないだけで、無意識下の夢想士かもしれない」

「それは戦国時代とかに稀に出てきた特殊な存在でしょ?現代みたいな平和な時代に現れるとは思えない」

「しかし、現に夢想士並みの実力を持っているのは紛れもない事実。それは否定出来ないだろう?」

「それは、そうだけど」

 弓美先輩は唇を噛んで天井を仰いだ。何やら納得いかないようだけど、僕からは何も言えない。

「それより、例の鬼の結界だ。新しい情報では、この屋敷のすぐ傍にあるらしい」

「それは確かみたいね。どうするの?繋がりのある夢想士に召集をかける?」

「結界ともなれば、中に何体の鬼がいるか分からない。こちらも数を集めないとな」

「いつやるの?」

「そうだな。明日の午後6時にするか」

「分かったわ。LINEグルのみんなに報せておくわね」

 弓美先輩がスマホを取り出して操作する。何だろう?この話を聞く度に胸の中がモヤモヤする。何かとんでもないことが起こる予感がして、焦燥感に駆られる。でも、夢想士ではない僕には関係ない話のはずなのに、一体何故だろう?

 その時、玄関の扉を開ける音が聞こえた。もう全員が帰ってるはずなのに、お客さんだろうか?

 全く足音をさせずに廊下を歩き道場に顔を見せたのは、黒い帽子を被り、長くて白いアゴヒゲが仙人を思わせる老人だった。

「お祖父様!」

 小夜先輩が心底驚いたという風に、一挙動で立ち上がった。

「どうしました?屋敷にお戻りになるのは珍しい。何かありましか?」

「うむ。武藤家の近くに鬼の結界があるという話を聞いたのでな。少し様子を見ようと思うてな」

 老人の視線が僕を捉えた。じっと凝視されていると、心の奥まで見通されてるようで、落ち着かなかった。

「小夜、そちらは?」

「あ、茨木童夢くんです。記憶喪失らしくて家にも連絡がつかないので、我が家でしばらく預かっています」

「ふむ、小夜もまだまだ修行が足りぬようだな」

「え、どういう意味ですか、お祖父様?」

 小夜先輩の問いには答えず、

「鬼の結界に討伐に行くと聞いたが、いつ行くんじゃね?」

 弓美先輩にそう尋ねていた。

「明日の午後6時を予定してます」

「そうか。ではこれを渡しておこう」

 老人は弓美先輩に小さなポーチを手渡した。

「お祖父様、これは?」

「方術の外丹法で作った甘露じゃ。危なくなった時、これを飲みなさい。短時間じゃが神仙の域に到達する」

 それだけを言うと、老人は道場を出てゆこうとする。

「お祖父様、お待ちください!私に何か落ち度でも?」

 小夜先輩が食い下がるが、

「聞いてはお仕舞いじゃ。自分で気がつかねばのう」

 それだけを言い残し、老人は本当に去ってしまった。 何だろう?あの全てを見透かしたような瞳を思い出すと、身震いしてしまう。

「お祖父様も困ったお人だ。いつも肝心なことは教えてくださらない。私がいつ、おとがめをもらうようなことをしたというんだ?」

 小夜先輩は頭を振って悩んでいたが、全てを吹き払うように深呼吸すると、

「今夜は風呂に入ってもう寝ることにしよう。明日は決戦の日だ。英気を養っておかないとな」

 小夜先輩は誰に言うともなく、そう宣言し、道場を出ていってしまった。

「あのー、弓美先輩。お祖父さんは厳しい人なんですか?」

 僕の質問を受け、弓美先輩はため息をついてから答えた。

「厳しい、といえば厳しいわね。肝心なことはいつも教えてくれず、本人が気付くまで放置するのよ。まあ、効率的な修行方法ではないわね」

「何だか僕のせいで小夜先輩が責められてるように見えたんですが」

「考えすぎよ。それより童夢くん、明日は夕方から討伐に向かうから、留守番をお願いしてもいいかしら?」

 僕はまた謎の焦燥感に駆られた。

「ぼ、僕もついて行ってはダメですか?」

 すると弓美先輩は困った様子で頭をかいた。

「それは無理よ。夢想士でない者を討伐には連れていけない。あなたがどれだけ武術に秀でていてもね。さ、明日は鬼の討伐だから気合い入れなきゃ。童夢くん、お風呂は私が先にいただくわね」

 弓美先輩はそれだけを言い残すと道場を後にした。後に一人残された僕はあてがわれている、離れに向かって歩き始めた。明日は討伐の日。鬼の討伐の日。心の中の焦燥感はいっかな消えず、僕の心をジリジリと焼いた。

 明日は何かとんでもないことが起きそうな、そんな悪い予感がする。その夜はいつまで経っても寝付けない、寝苦しい夜となった。


  第5章 武藤家と夢想士組合ギルドの共闘


 僕はまだ怪我人ということで、方術研究会の保健室のベッドで寝ていた。傷も塞がってるし、毒の後遺症もないから大丈夫と言ったのだが、理事長命令には逆らえない。

 そして、もはやお約束だが、僕のベッドには花園薫ちゃんが同衾していた。ため息をついて掛け布団をめくると、下着姿の薫ちゃんが現れた。慌てて布団を戻し、僕は深呼吸を繰り返す。

 もういい加減、このセクハラ攻撃は止めて頂きたい。それにしても男の娘なのに、何でこんなに良い匂いがするのだろう?僕も毎日お風呂には入ってるがこんな甘い匂いはしない。

 こっそりとベッドを抜け出そうとすると、

「うーん、ミーくん。どこに行くの?」

 あっさり気付かれ、左腕に抱きつかれる。

「あ、起こしちゃった?薫ちゃんはまだ寝てて良いよ。僕は朝練するから」

「うー。じゃあボクも朝練するー」

 その時、カーテンがしゃっと開かれ、怒りの形相の萌ちゃんが現れた。

「も、萌ちゃん!誤解しないでよ!気付いたら薫ちゃんが隣に寝てて!」

「ええ、良く分かってるわ、ミーくん。薫ー!あんたって子はー!!」

 萌ちゃんの手刀攻撃を、重力操作グラブィティカルで飛び上がってかわした薫ちゃんは、空中であぐらをかいて、まだ寝惚けていた。

「うにゅー、萌ちゃん。早い者勝ちだよー。ボクたち、昨夜ついに結ばれたんだから」

「ちょっと、薫ちゃん!事実無根も甚だしいよ!」

 僕はすっかり目が覚めて、薫ちゃんの口から出任せを否定した。

「結ばれ・・・た?」

 萌ちゃんの顔がひきつるのが見えた。

「ま、まさか、本気にしてないよね、萌ちゃん?」

「下着姿の薫と一夜を共にして、何もなかったと?」

 あ、不味い。僕の声が届いてない。

「ミーくん!」

「ぐえっ!」

 植物の蔓が僕の全身を締め上げる。

「正直に言いなさい!どうやって薫を抱いたのよ!」

「はしたない想像は止めてー!」

「朝っぱらから賑やかだなー」

 すでに制服に着替えた龍子先輩が、呆れた顔で僕たちを見ていた。

「萌、薫の暴走はいつものことだろ?いい加減、お前も慣れろ」

「龍子先輩!薫のほうは見ないでください!」

「ん?ああ、薫は男の娘だったな」

 龍子先輩がそっぽを向いてる隙に、萌ちゃんが薫ちゃんに毛布を掛けて、保健室を後にした。

「はー、危なかった。もう少しで萌ちゃんに絞め殺されるところだった」

「モテる男は辛いね、ミーくん」

「龍子先輩も面白がるのは止めてください」

 僕はベッドから下りて伸びをした。もうすっかり復調していた。

「もう治ったみたいなんで、また寮に戻ります」

「うん、間に合って良かった。今夜は鬼との戦闘があるからね。戦力は多いほうが良い」

 と、とんでもない話を聞かされ、僕は着替えの手を止めた。

「鬼との戦闘!?結界が見つかったんですか!」

「昨日、情報屋から連絡がきて、武藤家の近くに結界があるのはほぼ間違いないということだった。武藤家でも気付いてるはずだが、何だか小夜先輩の様子がおかしいから、学園からも応援のパーティーを送ることが決定したよ」

「小夜先輩が?あの完璧超人みたいな先輩がですか?」

「あの人も人間だからな。弱点をつかれると、人は脆いもんだ」

 龍子先輩が自分のことを棚にあげてそうのたまう。

「どうでも良いですが、人の着替えを堂々と眺めないでください」

「おっと、こりゃ失礼」

「もう着替え終わりましたよ。続きは学食で聞かせてください」

「ミーくんも大分ここのノリに慣れてきたね」

 龍子先輩は笑いながら踵を返した。


 学食にはすでにメンバーが揃っていた。薫ちゃんは笑顔で手を振ってるが、萌ちゃんは気まずそうだ。

「よう、命。ついに男になったそうだな、おめでとう」

「おめでとうさーん♥️」

 猛志先輩と風子先輩が朝からキツいジョークを飛ばしてくる。

「もう、勘弁してくださいよ。僕も今夜から寮に戻りますから、おかしなデマは広めないでください」

 朝食のトレイを持っていつもの席に着くと、龍子先輩がパンパンと手を叩いて注目を集める。

「よーし、みんな聞いてくれ。今夜6時に武藤家は鬼の討伐のため、近くにある結界に攻めいるようだ」

「武藤家の?夢想士組合ギルドのウチらに何の関係があるんや?」

 風子先輩が当然の疑問を呈する。

「それなんだが、今回、小夜先輩の様子がおかしいらしい。それで不安になった弓美が理事長に相談したんだ。今、記憶喪失の少年を匿っているらしいが、これが曲者らしい。剣術を教えたら、あっという間に槍太のレベルを超えたらしい」

「そりゃー確かにおかしいな。槍太は生意気だが、それなりに腕が立つ奴だぞ?まして、夢想士を一般人がやっつけるなんて、あり得ねー」

「せやなあ。でも妖魔ってわけでもないんやろ?それやったら、とっくに武藤3姉弟に殺られてるで」

 二人の先輩の言い分は最もだった。

「ああ、あたしもおかしいと思う。でも思い出してくれ。あたしたちはつい先日、認識を阻害する術式に困らされただろ?」

 龍子先輩の言葉に全員が黙り込む。

「そういえば、理事長の知り合いに認識を阻害する術を得意とする夢想士がいたんですよね?」

 僕の言葉に龍子先輩が大きく頷く。

「ああ、名前は高見望。かつては不可視の英雄と呼ばれた、腕利きの夢想士だったらしい」

「その人は闇の夢想士になってしまったんですか?」

「英雄と呼ばれてたのは20年前だ。10年前に一度戻ってきたが、アンジェラさんに敗れて、それから消息不明になったらしい。で、今回の案件だ」

 立て続けに起こる認識を阻害されてるような、奇妙な案件の数々。でも不可視の英雄が絡んでいるなら、説明がつく。

「でも、謎の部分も多い。例えば昨日情報屋が鬼に追い詰められたんだが、突然鬼たちが情報屋の存在を見失ったらしい」

「なんや、それ?不可視の英雄は、情報屋を助けたんかいな?不可解やな」

 風子先輩がトーストを噛りながら疑問を呈する。

「まあ、真意は不明だけど、高見望は鬼の結界が武藤家の近くにあるということを、あたしたちにも認識させたかった節があるな」

 龍子先輩はコーヒーを飲みながら、何事か考え込んでいる。鬼の結界に討伐に行くのは初めてだから、僕は少し緊張していた。

「おいおい、そうなると鬼どもは、武藤家だけじゃなく、学園のパーティーも潰そうと考えてやがるのか!」

 猛志先輩がさも面白くなさそうに、そう吐き捨てた。

「理事長は高見望とはパーティーを組んでた仲だったからな。もし裏で奴が暗躍してたなら、許せないという思いがあるのかもしれない。そして、高見望の真意を正すためにも、今回は特例として武藤家にパーティーを貸すことを決断したのかもな」

「でも、鬼の結界に討伐に行くのは初めてだから、少し不安です」

「うにー、ボクも不安だよー」

 花園姉弟は揃って不安を口にする。それはそうだろう。僕を含めてこの3人はBランクだ。本来なら鬼の討伐に参加出来るレベルではない。

「それなら心配ない。花園姉弟はいつも通り後方支援だ。鬼のいるところには中級妖魔も沸くからな。露払いに徹してくれれば良い」

「あのー、僕は・・・」

 心配になって尋ねてみたが、

「ミーくんは使い魔が幻想種だからなー。戦況が悪くなった時の切り札だよ」

 龍子先輩は朗らかにそう言った。

「それに、ミーくんもそうだが、全員それなりに強力な防御結界プロテクト・フィールドを張れるようになっただろ?いざって時は無理に戦わず、防御に徹すれば良い」

 龍子先輩の視線は完全に猛志先輩にロックされていた。

「な、なんだよ!この俺が鬼相手にビビるとでも思ってんのか!?」

「だから、話は良く聞け。ヤバいと思ったら結界を張って身を守れって言ってるんだ」

「チッ、確かに以前は鬼に殺られそうになったがよー」

 龍子先輩の忠告に猛志先輩は口を尖らせて明らかに不満そうだ。

「分かった分かった。鬼相手にどこまで通用するか試せば良い。でも殺されることは許さんぞ。無理だと思ったらすぐに結界を張るんだ。良いな、猛志?」

 猛志先輩は明らかに不満そうだが、とりあえずこの場は龍子先輩の忠告を聞くことにしたようだ。

〈あなたも怖いの、命?〉

 僕の頭に鎮座まします、白い子猫の姿に擬態した大福こと白虎は、テレパシーで話しかけてきた。

(そりゃあ怖いよ。鬼はAランクの夢想士が討伐するものだからね。僕や花園姉弟は本当に露払いに徹しないと、命がいくらあっても足りないよ)

〈大丈夫。あなたたちは私が守るわ。鬼の軍勢との決戦。さぞかし暴れがいがありそうね〉

 おやおや、我が使い魔はとんでもない武闘派だったようだ。

「情報によれば武藤家は午後6時に結界に、ゆかりの夢想士たちを集めて攻め込むらしいんだが、あたしはどうもこれもミスリードされてるような気がするんだ」

 龍子先輩が心情を吐露する。

「どういうことです?」

 僕が疑問を呈すると、

「もし情報が漏れてたら、夢想士たちが集まる前に先制攻撃を食らうかもしれないってことだよ」

「それはあり得るかもな」

「油断してるところを攻められたら、武藤家の3姉弟でもヤバいかもな」

 先輩たちは口々に不安要素を提示する。

「うん、ということで、あたしたちは午後5時には武藤家の近くで待機しようと思ってるが反対意見はあるかな?」

 龍子先輩は一同を見渡すが、誰も反論はないようだった。

「よし、決まりだ。あたしたちパーティーは、午後5時に武藤家に赴く!」

 こうして、僕たちは鬼の軍勢を討伐するため、武藤家に攻め入ることが決定した。


 俺は10年振りに鳴神学園の地下闘技場にやってきた。歴戦の勇者、アンジェラ・ハートが来日するとの情報を得たからだ。俺はこの10年、自らの能力に磨きをかけるため、世界中を周りあらゆる呪術、魔術を学んできた。認識操作コグニション・コントロールは本人だけでなく、周りの人間をも欺くほどに進化していた。そして、かつて目にした最強の防御術、究極の守護アルティメット・ガードを参考に自分なりに作り上げた術式がある。伝説のアンジェラにどれだけ近づけたか、或いは凌ぐことが出来るか、今明らかになる。

 闘技場の扉が開いて俺は反射的に振り向いた。期待に反し、顔を見せたのはかつてのパーティーメイトのマディソン土屋だった。

「なんだ、マディか。何しに来たんだ?」

「ご挨拶ね、10年振りだっていうのに」

「俺は別に久闊を叙しに日本に戻って来たわけじゃない」

「そういうところは変わらないわね、望」

 俺はかつてのパーティーメイトの顔をマジマジと見つめた。磨きがかかって大した美女になってるな。

「そういえば、玲子はどうしたんだ?もう組んでないのか?」

「玲子なら中国で修行して帰ってきたわよ。意外でしょうけど彼女、もう子供がいるのよ」

 それは確かに意外だった。絵本玲子は硬派でストイックな奴だった。それが3人の中でも一番に子持ちになってるとは。

「ショックだった?学生時代、あんたは玲子に気があると思ってたんだけど」

「止めてくれ。有能なパートナーではあったが、俺たちの間で色恋沙汰はご法度だったろ?」

「そうね。討伐に差し支えるからってね。でも、恋をしてても一緒に討伐することは出来たと思うけど」

「なんにしろ、昔の話だ」

「そうね」

 そこでマディは口を濁した。

「ねえ、何でアンジェラさんに挑戦なんかするの?」

 その言葉を受けてマディを見つめる。やはり、ただの夢想士に甘んじてる奴には分からないか。

「俺はこの10年、世界中で血を吐くような修行をしてきた。世界でナンバーワンになるためだ。そのためにはアンジェラさんの元で修行しても意味がない。教えを乞う時点でその人は超えられない。だから俺は日本を離れて色んな魔術を学び、自らを強化してきた。そして、ようやくアンジェラさんを超えられるかもしれないという確信を得て、帰ってきた。俺はナンバーワンになりたいんだ」

 俺の言葉を大人しく聞いていたマディだったが、すぐに頭を振って顔を上げた。

「無理だと思うわよ、望。アンジェラさんは次元が違う。私も昔は修行を極めたら、あの人を超えられるかもしれないって考えたことがあった。でも、違うのよ。あの人は私たちとは別次元の存在。アリがいくら頑張っても人間には勝てないようにね」

 俺は半ば動揺してマディの顔を見つめた。彼女ほどの術士がそこまで言うのは、異様に思ったからだ。

「マディ、君が一線を退いたのはそれが原因か?」

「ええ。間違ってもアンジェラさんに勝とうなんて野心を、生徒が持たないようにと思って、私は現役を引退したのよ」

 俺は少なからずショックを受けていた。マディほどの術士を引退に追い込んだアンジェラ・ハートという夢想士の存在のデカさを、改めて思い知らされた気分だった。だが、今さら後には引けない。俺には俺の意地があったからだ。

「待たせたな」

 そこに、アンジェラが現れた。カモフラージュパンツに黒いタンクトップという、ラフな出で立ちだった。

「お忙しいところすみません、アンジェラさん」

 俺はまずは突然の模擬戦の申し込みを詫びた。しかし、彼女はそんなことは全く意に介さなかった。

「なあに、かつての教え子がどこまで成長したか見るのは、コーチとしては望むところだからな」

 すでに術式は発動しているのだが、アンジェラは真っ直ぐに俺の顔を直視している。磨きをかけた認識操作コグニション・コントロールが、全く通用していない。

「強力にはなってるが、私には通用しないぞ」

 アンジェラは涼しい顔で受け流している。焦った俺は両手剣ツーハンテッド・ソードを出した。精神攻撃が通じないなら、物理的攻撃しかない。

「ほう、術士だけでなく戦士の修行もしてきたのか?」

 アンジェラの言葉を最後まで聞くことなく、俺は疾走状態オーバー・ドライブで距離を詰め、剣を打ち込んだ。だが、ガキっと固い感触を感じ、剣は弾かれた。

「次はこっちの番だ」

 アンジェラの右手にはアイアン・イーグルが握られていた。ミサイル並みの威力まで出せる拳銃だった。

絶対防御リーサル・ガード!」

 アンジェラの放った銃弾は、俺の結界を壊せず、表面で派手に散った。

(やった!アイアン・イーグルを突破したぞ!)

 俺は歓喜の声が出そうだったが、アンジェラの表情に変わりはなかった。

「このまま、アイアン・イーグルで潰しても良いが、そこまで結界を強化出来た褒美に、取って置きを見せてやろう」

 言下に、アンジェラの周囲が光輝く卵型の結界に覆われた。

「究極の守護アルティメット・ガードか!」

 久しぶりに見たが相変わらず美しく、見事な術式だった。しかし、俺はそれを破壊するべく、両手剣ツーハンデッド・ソードに霊気を込めてゆく。

「炎の竜巻ファイヤー・トルネード!」

 渦巻く炎を宿した剣で斬りかかる。アンジェラは表情ひとつ変えず、構えることもなく待ち受ける。剣が結界に触れた瞬間、数千度の炎が包み込んだが、結界には何のダメージも無かった。

「私の究極の守護アルティメット・ガードは核ミサイルでも壊せない。お前がそれ以上の核撃術式でも持ってない限り、これは壊せないぞ」

 アンジェラの言葉に俺は剣を落として膝をついた。なんてデタラメな術式だ。これが人間の使える能力か?

「しかし、さっきも言ったが防御の結界は見事だ。褒美としてこんな結界の使い方を教えてやろう」

 アンジェラはそう言うと、究極の守護アルティメット・ガードを纏った状態で疾走状態オーバー・ドライブに滑りこんだ。

(まさか!あの結界を纏ったまま、突っ込んで来る気か!?)

 2つの頑丈な結界がトップスピードでぶつかったのだ。闘技場の中は戦闘領域バトル・フィールドで守られているとはいえ、ビッグバンが生じたかのような破壊の嵐が吹き荒れた。

 気づいた時は俺の絶対防御リーサル・ガードは跡形も無くなっていた。究極の守護アルティメット・ガードを纏ったままのアンジェラは俺を見下ろし冷たく告げる。

「お前は最後の滅びの運命には関係のない者だ。何回挑戦しても私には勝てない。だからこれっきりにしてくれ」

 核ミサイルでも壊せない結界。それを纏ったまま高速でぶつかれば、それ自体が強力な攻撃になる。俺は圧倒的な力の差を見せつけられ、その場に尻餅をついたまま、動けなかった。そして、気づいた時にはアンジェラの姿は闘技場から消えていた。

「大丈夫、望?」

 俺の隣でしゃがみこんでるマディが俺の頭に触ろうとするが、俺はそれを鬱陶しいとばかりに払いのけた。

「笑えるぜ。ここまで圧倒的に力量差があるとは。お前もさぞ滑稽な見せ物を笑ってただろ?」

「何言ってるのよ。アンジェラさんには勝てないって、次元が違うって最初から言ってたじゃない!」

「次元が違う?ああ、確かにあれはどうかしてる。人間のレベルじゃない。化け物だ」

 俺はフラりと立ち上がり、自虐的な笑いを漏らした。楽しくはないのにおかしくて仕方なかった。

「もう俺は夢想士なんてどうでもいい。妖魔討伐なんてクソッタレだ」

「望、自棄にならないで。アンジェラさんが特別なだけで、あんたの能力は夢想士としては・・・」

「だから、そんなことはもう、どうでも良いって言っただろ!」

 俺はフラフラと闘技場の出口に向かって歩き出した。

「望、待って!」

 マディの声が追ってきたが、俺は足を止めることなく闘技場を出た。

(これからは、自分のために力を使うぞ。こんな能力を持っているのに、なんで妖魔討伐なんで馬鹿らしいことをしなきゃならない?)

 それが俺の結論だ。実はアンジェラ挑戦の前に、闇の夢想士から接触があった。能力を悪用して財をなした岩井家から招待を受けていたのだ。

(光でも闇でも、そんなことはどうでも良い。恵まれた才能は自分のために使わねば勿体ないってものだ)

 それ以来、俺はアンダーグラウンドに活動の拠点を移し、武者修行の旅に出た。それから10年。俺は闇の夢想士からも、妖魔からも一目置かれる存在になった。そして今夜また伝説が生まれることになる。


 僕たちは授業が終わると、方術研究会の部室に集まった。午後5時まではまだ余裕がある。武藤家は鳴神学園のある中央区と北西区の境辺りに存在し、歩いて10分ほどの近場だ。そんなところに鬼の結界があるなんて、正に灯台もと暗しである。

防御結界プロテクト・フィールド!」

「よし、強度を確かめるよ。ていっ!」

 僕は萌ちゃんの作った結界に向けて、長剣ロング・ソードを振り下ろした。確かな手応えを感じたが、結界には傷一つ付いてなかった。

「うん、大丈夫みたいだね、萌ちゃん」

「ミーくん、ミーくん!今度はボクのも試してよ!」

「よーし」

 この間の結界強化訓練以来、お互いの結界の強度を試すブームが来ていた。

「うりゃー、粉砕鉄拳ハンマー・パンチ!」

「ちょこざいな!」

 猛志先輩と風子先輩は、B+ランク同士、仲良く結界勝負している。

 そんな中、龍子先輩だけが突っ立ったまま、何事か考えている。

「どうかしたんですか、龍子先輩?」

「んー、ちょっと試してみるか。ミーくん、ちょっと攻撃してきてくれないかな?」

 先輩の意図は図りかねたが、そう言われたらやるしかない。

「うりゃー!」

 僕は龍子先輩が結界を張ってる前提で剣を振り下ろしたが、スカッと何の手応えもなく剣先が地面に突き刺さった。

「!?」

「ほう、まさか成功するとは思わなかったよ」

 龍子先輩は僕の剣の軌道から50センチほどズレた位置に立っていた。

「あれ?疾走状態オーバー・ドライブですか?」

「違う違う。理事長から高見望の能力は電磁波を利用したものだと聞いたから、あたしにも出きるかなって思ってね」

 何とも驚きだが、龍子先輩は不可視の英雄の認識操作コグニション・コントロールを、自分のものにしていた。

「一人だけの認識を操作するのが限界だな。流石に不可視の英雄みたいにはいかないか。でも、術式を見破ることは出来そうだから、もし、戦闘に高見望がいても、何とかなりそうだ」

 気軽に言ってるが、人の術を盗むなんて真似はそう簡単には出来ないはずだ。改めて龍子先輩の夢想士としての実力の高さを、実感せざるを得ない。

「さて、もうすぐ5時だな。ボチボチ行くとするか」

「いよっし!その言葉、待ってたぜ!」

「よっしゃ、ひと暴れするかー!」

 先輩組はやる気満々だが、僕たち1年生組は緊張で言葉少なだった。

「みんな、リラックスリラックス。いつもの模擬戦のつもりで臨むんだ」

 龍子先輩はそう励ますが、こればかりは如何ともし難い。結局僕は緊張を顔に張り付けたまま、戦場に向かうのだった。


 午後5時前。俺は認識操作コグニション・コントロールを全開にして武藤家に忍び込んだ。4人の学生が羽織袴の時代がかった戦闘服に身を包み、方術の呼吸法と瞑想で決戦に向けて準備していた。

(悪いね。不意打ちになるが今日で武藤家はお仕舞いだ。その呼び水になってもらうよ、童夢くん)

 俺は鬼っ子の背後に回り込んだ。そして、魔水晶の欠片を取り出し、少年の頭の上にあてがう。

 記憶書込み(インストール)!

 魔水晶の欠片は少年の頭の中に吸い込まれ、速やかに記憶を蘇らせる。

「うっ!?ぐああああー!?」

「どうした、童夢くん!?」

 武藤小夜が心配げに少年の肩を掴んだ。次の瞬間、

「ぐおおおおー!!」

 鋭く尖った爪が武藤小夜のみぞおちに突き刺さった。

「ぐふっ!?」

「野郎!何しやがる!」

 武藤槍太が蹴りを繰り出すが、童夢は素早い動きでそれをかわし、道場の庭に面した雨戸を突き破り、倉が2つもある広大な庭に躍り出た。

 童夢は動きを止めることなく、突き当たりの石塀まで走り、両手で思い切り塀を叩いた。頑丈な石塀はそれだけで崩れ落ち、張ってあった結界も消え去った。

 そして、崩れた石塀から、鬼たちと中級妖魔が侵入してきた。鬼たちは合わせて20体ほどだが、中級妖魔は数えきれないほどの個体が集まっている。

「姉さん、しっかりして!これを飲むのよ、早く!」

 武藤家の次女が、何やら丸薬のようなものを武藤小夜に飲ませようとしてる。何の薬か知らないが、あれは致命傷だ。もう助かるまい。残りは弓美と槍太の二人だけか。卑劣な策を講じた俺が言うのも何だが、これはもう詰んだな。申し訳ないが。

「がはっ!」

 不意に小夜が血の塊を吐き出し、鬼切丸を杖代わりにして立ち上がった。

 まさか!あれだけの深傷を負ったのに、さっきの丸薬の効果なのか?

「貴様は誰だ!童夢くんに何か仕掛けたのはお前か!」

 謎の丸薬を飲んだ武藤3姉弟は、全員が俺を見ていた。不可視の術式が破られたのか?しかし、どうやって!?

「流石はお祖父様の甘露。一時的に仙人になれるなんて素晴らしい!」

 弓美は言いながら白王弓はくおうきゅうと矢を手にして構えた。

「あんたが童夢くんを送り込んだ闇の夢想士ね!」

「野郎!ただですむと思うなよ!」

 槍太が白王槍はくおうそうを構えて攻撃に転じようとした瞬間、俺は両手から電磁波を飛ばして交差させ、プラズマを発生させた。数千度の熱球から逃れるように俺は広大な庭に転がり出た。

 プラズマ攻撃は俺がこの10年で編み出した術式だ。流石の武藤3姉弟でも・・・。

 だが、次の瞬間、道場から強烈な熱波が吹き出し、溢れていた中級妖魔たちがこんがり焼けて蒸発した。そして、飛び出してきた人影が術を発動すると、辺り一面が凍り固まった。

「私は氷結の剣士!プラズマなど通じないぞ!」

 武藤小夜は刀を手にそう宣言する。どうやら最初の作戦は失敗のようだ。なら、次の手だ!

 俺は術式を仕掛け、童夢が小夜の元に向かうように仕向ける。

「ぐぅおおおー!」

 未だ記憶が混乱している童夢は、フラフラと小夜に向けて歩き始める。顔はあまり変わってないが、その頭には白い角が1本生えていた。

「童夢くん、君は、鬼、だったのか」

 小夜は抜刀術の構えのまま、進むことも退くことも出来なかった。

 その間、弓美は瓦屋根に上り矢を放ち始めた。

「食らえ、白矢びゃくや!」

 放たれた矢が空中で百本に分裂して、押し寄せた鬼や中級妖魔たちを串刺しにしてゆく。

 地上では、動きの取れない姉の代わりに槍太が、白王槍で押し寄せる鬼や中級妖魔を斬り、突き刺してゆく。

 童夢と戦っている小夜は、盛んに何事か問いかけているが、甘いな。童夢はもう完全に鬼に戻っている。このまま童夢を斬れないようなら、武藤家は今夜、滅ぶ。

 密かにほくそ笑んだ、その時、道場から武装したパーティーが飛び出してきた。


 僕たちが方術研究会の部室から出た時、意外なことに理事長が待っていた。

「今回は私も参加するわ。あくまでオブザーバーとしてね」

「それは構いませんが、護衛に割く人員はいませんよ?」

 龍子先輩の言葉に理事長は苦笑した。

「確かに今は理事長なんてやってるけど、仮にもA+ランクの夢想士なのよ。護衛はいらないわ」

「ですよねー。かつては英雄と呼ばれた夢想士ですもんね」

 龍子先輩は軽い口調で言ったのだが、

「英雄と呼ばれてたのは高見望だけよ。私と玲子はただのAランクの夢想士だった」

 俄に理事長の顔が曇った。

「今回の件、高見望が絡んでるなら、私は彼を止めなきゃならない。かつてのパーティーメイトとしてね」

 話ながら学園の門をくぐった途端、強烈な魔力の奔流を感じた。

「やっぱり!夢想士たちが集まる前に、鬼の集団が奇襲をかけたのね!」

 理事長が駆け出し、僕たちも後を追った。武藤家は学園から歩いて10分のところにあるが、学園には全体に結界が張ってあるので、今の今までこの強烈な魔力を感知出来なかった。

「理事長、あたしが先に入ります!」

 武藤家の屋敷の門が見えて、龍子先輩のスピードが上がった。濃厚な妖魔の魔力。僕たちは次々と門をくぐり抜け屋敷の中に入って行く。道場らしき場所に辿り着くと、とんでもない光景が展開していた。

 広大な庭には鬼が数体と中級妖魔が溢れかえっていた。屋根の上から凄い数の矢が降り注ぎ、虫型やら爬虫類型の妖魔たちを串刺しにしている。恐らく弓美先輩だろう。

 地上では槍太くんが獅子奮迅の活躍で、鬼たちの攻勢を凌いでいる。だが、肝心な小夜先輩が何やら白角一本の鬼相手に押されてるようだ。

「よし、花園姉弟はいつものように緑の結界を展開、中級妖魔の掃討にあたれ!猛志と風子、ミーくんはあたしに続け!」

 素早く指示を与えると龍子先輩は片手を上げ、

戦闘領域バトル・フィールド!」

 周りに被害を出さないための結界を張った。そして、剣を手にすると一目散に小夜先輩の元まで駆けた。

「小夜先輩!白角一本の鬼に、何を苦戦してるんですか?」

「龍子くん!?何故君がここにいる?」

「当てにしている夢想士たちなら、後1時間は来ないですよ。だから助太刀に来たんです」

「バカな!相互不可侵条約を冒すのか!?」

「この際、武藤家と夢想士組合ギルドの確執は置いておきましょう。鬼だけで20体はいる。流石に手に余ると思いますが?」

「・・・分かった、共闘を受け入れよう。だが、この鬼だけは私が相手する!」

「どんな事情があるのか知りませんが、お好きに」

 龍子先輩の剣が手近な鬼の首をはねる。僕は防御結界プロテクト・シールドを張って身を守りつつ、たっぷり用意しておいたイラストの描かれたカードで、様々な攻撃を始めた。


 もう終わりかと思った矢先に、神尾龍子のパーティーが参戦してきて、私は内心ホッとした。事前に理事長に相談しておいたのが無駄にならなかった。しかし、戦局はまだ好転したとはいえない。

 姉さんが未だに童夢くんに未練を残しているからだ。白角一本の鬼など、本来の姉さんなら一刀の元に切り捨てていただろう。

「童夢くん、私を忘れたのか?小夜だ!君に稽古をつけてあげただろう?」

 必死に呼び掛けているが、無駄なことだ。元々鬼だったのが、何らかの術で人間と思い込んでただけだ。今回の姉さんは常軌を逸してる。

 おっと、鬼が集まって来そうだ。私は矢をつがえて放つ。

「百矢!」

 手を離れた矢は百本に分裂し、鬼たちに突き刺さる。急所に当たった鬼は倒れるが、そうでない鬼は矢を引き抜いて、龍子のパーティーに襲いかかる。

竜尾蹴撃ドラゴン・フット!」

 剛猛志の蹴りが鬼の首を狩り、

「カマイタチ、乱れ打ち!」

 霧崎風子の風による斬撃が身体をバラバラに引き裂く。

 うん、龍子のパーティーもなかなかの強さだ。後は姉さんにしっかりしてもらわないと!

 童夢の爪の攻撃を肩に受け、血飛沫が上がる。

「姉さん、しっかりして!童夢くんは元々鬼だったのよ!もう可愛い後輩じゃないのよ!」

 私の声が届いたのか、姉さんの周囲が凍り始めた。氷結の構えだ。

「残念だ、童夢くん。君のことは忘れないよ」

 姉さんは軽く腰を落とし、鬼切丸の柄に手を掛けた。童夢が両手の爪で攻撃を仕掛けてくるタイミングに、

「武藤流抜刀術!」

 姉さんの一太刀で童夢の首は一刀両断された。

「ああ!童夢!」

「おのれ!よくも我が息子を!」

 あれは童夢の両親なのか?

 金剛杖で左右から攻撃してゆく。右の鬼は龍子が、左の鬼は姉さんが受け持つ。疾走状態オーバー・ドライブでの高速の戦闘が始まる。

 ん?何だろうあれは?鬼たちが、私と槍太の姿形に変わる。そういえば、理事長から、認識をコントロールする夢想士の話を聞いた。これはその術式か!?

「ええい!戦いづらい!」

電磁波拡散ウェーブ・ディフュージョン!」

 龍子が手を振るとたちどころに幻影は消え、元の姿に戻った。

「よし、やはり電磁波を散らせば術を破れるみたいだな!」

 今のは龍子がやったのか。今回味方として戦えて良かった。


 僕は間近にいきなり鬼が現れ、慌てて長剣ロング・ソードを構えた。

「ちょっと待って!いきなり近くに鬼が!」

「わわわ、何で拘束バインド出来てないの!?」

 ん?これはひょっとして萌ちゃんと薫ちゃんか?

電磁波拡散ウェーブ・ディフュージョン!」

 龍子先輩の呪文コマンド・ワードが聞こえると、たちどころに鬼たちの姿は消え、花園姉弟に戻っている。先輩は早々と認識操作コグニション・コントロールの対策を講じていたようだ。

「バカな!俺の術式を打ち消しただと!?」

 呆然とした顔で叫んでいる男がいた。年の頃はアラフォーくらいか?しかし、溢れるエネルギー量は膨大だ。夢想士としてはAランクオーバーといったところか。しかもイケメンなのが小憎らしい。

「高見望ー!!」

 と、そこで背後から理事長が叫んだ。

「なんで、あんたは闇に墜ちたのよ!誰よりも才能に恵まれてた、あんたがどうして!?」

「マ、マディ!?何故君がここに?」

「私は今は鳴神学園の理事長なのよ。だから、あんたが闇の夢想士として暗躍するなら倒さなければならない!」

 しばし、両者は睨み合っていたが、高見望が不意に笑いだした。おかしくて仕方ないとばかりに。

「そうか。この10年の間にお互い色々とあったってことだな」

 高見望の手には両手剣ツーハンテッド・ソードが握られていた。

「俺とやるのか、マディ?」

「あんたが敵として立ちはだかるならね!」

 理事長が手を振ると武藤家の石塀がバコバコと砕けて、人型になってゆく。それだけではない。武藤家の庭石たちも集合して、頑強なゴーレムになってゆく。

 現れた3体のゴーレムが高見望を囲む。

「こいつは驚いた。学生時代は一体のゴーレムしか操れなかった君が、3体も!お互い成長したってことか!」

「私はアンジェラさん直々に指導を受けてたのよ。あの頃と同じだと思ったら、怪我じゃすまないわよ!」

「その忌々しい名を出すな!」

 高見望の剣から炎が吹き出し、理事長に迫るも、ゴーレムの一体が立ちはだかって理事長を守った。残る2体のゴーレムが高見望に攻撃を仕掛ける。

 石造りのゴーレムのパンチが迫るが、

絶対防御リーサル・ガード!」

 高見望の結界はあっさりその攻撃を弾き返す。3体の石のゴーレムに滅多打ちにされてるのに、高見望の結界は全く揺らぐこともない。幻想種でも苦戦しそうな感じだな。

〈バカにしないでちょうだい。私ならあの程度の結界はワンパンで潰せるわ〉

 おっと、僕の頭に鎮座している大福こと白虎が不機嫌になってる。

「はははー、成長したといってもこの程度か、マディ!」

 高見望は結界を張ったまま、腰を落とす。まさか、あのまま疾走状態オーバー・ドライブで突っ込んでくるつもりか!?

「あのアンジェラの二番煎じなのは気にくわないが、結局、これが最強の技だ!行くぞ!恨むならアンジェラを恨め!」

 ダメだ。僕にはこの戦いが止められない。Aランクオーバー同士の戦いなど、下手すれば巻き添えを食って死んでしまう。

〈命!私の身体の陰に隠れなさい!〉

 切迫した白虎の声に押されて、僕は顕現した白虎の陰に、花園姉弟も引っ張り混んで身を隠した。

「うおおおおおー!」

 高見望は咆哮を上げて疾走状態オーバー・ドライブで迫ってきた。そして、

 間近に爆弾が落ちたような、轟音と衝撃が辺りを舐め尽くした。

 僕はかばっていた両手を離し、頭を上げた。白虎の身体越しに覗いてみると、そこには卵型の結界を纏った理事長の姿があった。

「ば、バカな!それはアンジェラの究極の守護アルティメット・ガード!何故君が使えるんだ!?」

「私は残ってアンジェラさんの指導を受け続けたからね。だから真似事程度だけど、究極の守護アルティメット・ガードを使えるようになったのよ。強度ではアンジェラさんの足元にも及ばないけどね」

「それで足元にも及ばない、だと?」

 がっくりと項垂れた高見望だったが、ヨロヨロと立ち上がると、

「今日のところは君の勝ちだ。だが、忘れるな。俺は世界でナンバーワンになる男。このままでは終わらない」

 その言葉を最後に高見望は、中級妖魔の群れに飲まれて姿を消した。

「あ、また認識操作コグニション・コントロールを!龍子先輩に消してもらわないと!」

「もう良いのよ、絵本くん」

 理事長は疲れた声音で僕を止めた。

「逃げに徹されると、見つけるのは無理よ。それに、神尾さんも鬼との戦いで余裕がない。さ、あなたも戦いに戻りなさい。武藤さんと神尾さんのサポート頼むわ」

「は、はい。分かりました」

 そして、白虎は大福に戻って僕の頭に乗り、僕は再び露払いのため、中級妖魔の掃討にかかった。


 何体目かの鬼を倒した時、しんがりを勤めていた鬼があたしたちの前に立ち塞がった。

「俺は族長の怪斬、武藤小夜殿と神尾龍子殿とお見受けする!」

「いかにも!私は武藤小夜だ!」

「あたしも神尾龍子で間違いない。これだけ堂々と名乗られると、調子狂うな」

 怪斬は脚で地面を踏みしめる、何度も何度も。すると、その度に身体が巨大化してゆく。

〈龍子、気を付けるが良い。あれはあの鬼の奥の手だろう。気を抜くな〉

(分かってるよ。巨大化することで使えるスキルがあるってことだな)

 体長10メートルほどまでデカクなると、怪斬は両手の爪で自らの胸をかきむしった。激しく流血するがその血がただの血ではなかった。地面に滴り落ちる血を浴びた中級妖魔たちが、煙を上げて溶け始めた。

「我が血の呪いを受けよ!灼熱の血潮!」

 怪斬は身体中を爪で傷付け、沸騰する血液をばら蒔いた。

「おっと、危ない!でもこれなら対策はある。小夜先輩!」

「分かっている!氷結!」

 小夜先輩が抜刀術の構えを取ると、急激に周辺の気温が下がって行く。沸騰した血液も空気中で固まり、シャリっと地面に落ちる。

「うぬう!?これは・・・氷結の剣士とは、これほどの能力を持っていたのか!?」

 血液だけでなく、怪斬の脚まで凍り始めた。

「おのれ!灼熱双打ー!!」

 怪斬が両手に金剛杖を持って振り被った刹那、あたしは重力操作グラブイティカルで宙に飛んだ。両手で剣を振りかぶり、

天斬瀑布ヘブンズ・ウォーターフォールー!!」

 思い切り振り下ろした。

 その直前、小夜先輩は、

「武藤流抜刀術ー!」

 怪斬の胴を一刀両断していた。凍っているので、沸騰した血は飛び散らない。

 上下の攻撃を受け、怪斬の身体はサラサラと崩れ始めた。

「俺は満足だ。さらば強者どもよ」

 最後の言葉を残し、怪斬は完全に消え去った。大きな魔水晶を残して。

「それは、君の物だ。持ち帰るが良い」

「良いんですか?二人で倒したのに」

 あたしは水を向けたが、

「助力してもらった身だ。それは君のものだ」

 小夜先輩は頑なだった。

 庭全体を見渡してみるが、鬼を含め全ての妖魔の討伐が完了していた。

「ただし、」

 小夜先輩は膝をつき、ある魔水晶を拾い上げた。

「これだけは誰にも渡さない。他の魔水晶は学園側と山分けするとしてもだ」

 いつもはポーカーフェイスの小夜先輩が、この時だけは地母神のような、笑みを浮かべていたのが印象的だった。ともあれ、これで討伐は終了した。

 武藤家にも、あたしのパーティーにも犠牲者はゼロ。それが何よりの戦果だった。


 第7章 想い出の彼方に


 僕は理事長指導の元、究極の守護アルティメット・ガード構築のため、龍子先輩と共に修行に励んでいた。

「あたしは前からアンジェラさんに指導受けてたんだけどさ、ミーくんは何故、究極の守護アルティメット・ガードを身に付けたいと思ったんだ?」

「この間の理事長と高見望との戦いを見たからですよ。これさえ身に付けたら、鬼に金棒じゃないですか」

「嫌な例えだなあ。まあ、でもそう簡単じゃないよ。理事長ですら、アンジェラさんには全然敵わないんだから」

「え、あれでですか!?」

「世の中、上には上がいるってことだね」

「・・・それは身に染みて分かってますけどね」

「さて。朝練はこれくらいにしておきましょうか」

 理事長がそう促し、僕たちは方術研究会の部室を後にした。

「今週は北西地区が担当区域だね」

 学食までの道すがら、龍子先輩が話を振ってくる。

「あの辺りはあんまり行きたくないですね。武藤家の惨状は見たくなくて」

「まあ、理事長がゴーレム作る時に石塀が全滅したからね。その辺の賠償責任がどうなるか、あたしも知らないけどね」

「でも、妖魔が破壊したところもあるから、その辺揉めそうですね」

「揉めそうだねー」

 二人して爆笑してしまったが、そういう難しいことは大人に丸投げで良いだろう。

 理事長も頭を痛めてそうだ。

 後で聞いた話では、学園側が全ての魔水晶を買い取り、7:3で武藤家に修繕費を払うことで決着したらしい。そして、これを機に武藤家も学園側に魔水晶を売るのを解禁したようだ。

 え?っていうか、今まで武藤家は魔水晶をどうしていたのだろう?

「噂によると蔵の中に平安の世から、ぎっしりと魔水晶を溜め込んでるって話だよ」

「それって売ったら大金持ちになれそうですね」

「ところが、武藤家は代々道場の経営で生計を立ててたみたいでね。売るつもりはないらしい。武藤家にとって夢想士は、人々を守る盾なんだ。だから職業夢想士にはならないんだよ」

 そういう考え方は理解出来るけど、やはり僕には真似出来ない。理事長が成年後見人になってくれてるけど、小遣いは自分で稼がないといけないし。

 常に模範であり続けるって、大変な生き方に違いない。僕は不意に空を仰ぎ、消え行く飛行機雲を眺めた。


 姉さんはまだ空きのある蔵に、童夢の魔水晶を桐の箱に納め、両手を合わせていた。

「やれやれ、小夜姉。鬼の魔水晶に手を合わせるなんて、先祖が知ったら烈火のごとく怒りまくるぜ」

 隣にいる槍太がまた余計なことを言っている。やれやれ、また制裁を食らうだろうに。

「そうだな。その時は潔く罰でも受けるさ」

 姉さんは立ち上がると、槍太の頭をポンポンと叩き、

「お前も一緒に受けるんだぞ」

 怖いくらい穏和な声音で言った。

「な、なんでだよ!道連れにすんなよ、小夜姉!」

「冗談だ。さあ早く支度しろ。遅刻するぞ」

 蔵を後にする前、姉さんは小さな声で呟いた。

「君のことは忘れない。例え記憶の彼方に去ったとしても」

 少しだけ瞑目すると、一切を振り切るように歩きだした。その足取りに一切の迷いはなかった。


 玄関の呼び鈴が鳴った。私は制服に着替えて階段を下りる途中だった。すると、執事の蓮音れおんが音もなく私の元までやってきた。

「お嬢様、お客様です。しかし、顔の知らない夢想士のようです。如何いたしますか?」

 蓮音は言外に不審者は排除しても良いか、聞きに来たといったところだ。

「いいわ、会います。あなたも変に気を利かせる必要はないのよ」

「承知しました」

 畏まる蓮音の横を通り抜け、階段を下りて玄関に向かった。すると、そこには、思いがけない人物が立っていた。

「まさか・・・あなたは、あなたは!」

 私は鞄を落とし、その人物に向けて駆けていた。

「先生!」

 記憶の中より、より逞しく大きな存在となっていた、高見望先生に抱きついた。両親と同じくらい、あるいはそれ以上に会いたかった人だ。

「先生!本当に先生なんですね!?」

「ああ、そうだよ、響子ちゃん。ずいぶん大きくなったね」

「だって、10年ぶりなんですもの!」

 先生の胸の中で涙を流していると、

「あの執事はゴーレムなんだろう?腕を上げたね。普通の人間にしか見えない」

 先生からお褒めの言葉を賜った。

「精進しましたから!先生に教わった方術の修行を!」

 その時、食堂のほうから後輩たちが現れた。

「ヤバい、その人先輩のお父さんっすかー?」

「全然似てないようですが」

 後輩たちの前でもあるので私は涙を拭い、後ろを振り返った。

「あなたたちは会うのは初めてね。夢想士同盟ユニオンの鳴神支部の支部長、高見望様ですわ」

「いい!?支部長って実在したのー!?ゲキヤバなんですけど?」

「凄いエネルギーを感じます。先輩と旧知の仲のようですし、私は支部長の帰還を歓迎します」

「あー、夜美ばっかりずるい!あたしも熱烈大歓迎なんですけど!?」

「彼女たちはメンバーかい?」

 先生の問いに、

「はい、優秀な夢想士たちです」

「そうか、君たちよろしく頼むよ。もし自分の能力を上げたいなら、いつでも相談に乗るよ」

 先生は穏やかに微笑む。死んだ両親よりも、先生に再会出来た喜びのほうが勝っていた。何たって10年前まで手取り足取りで夢想士の修行を教えてくださった恩師ですもの。

 そこに我が忠信である蓮音が、

「お食事の用意が出来ました。支部長も気に入ってくださると良いのですが」

 と、そつのない執事ぶりを発揮する。

「へえ、俺の分まで用意してくれたのかい?それでは有り難くいただくよ」

 夢にまで見た先生の帰還。個人的にも嬉しいし、何より支部長代理という重責から解放されるのが、何よりも嬉しかった。

「蓮音、今夜は先生の復帰祝いをしたいわ。用意のほう、よろしくね」

「分かっております、お嬢様」

 頭の中は今夜の宴のことで一杯になってる。だって仕方ない。待ち焦がれた人が戻って来てくださったのだから。


 僕たちは嫌々ながら、北西地区のパトロールをしていた。途中、武藤家の近くを通りかかったのだが、まるで絨毯爆撃でもされたかのような荒れかただった。

 しかし、武藤家の土地には何重にも結界が張られているので、その悲惨な姿は一般人には知る由もない。

 気まずさから早足でその場を離れる僕たちを呼び止める者がいた。

「あれ?君たち、久しぶりね」

 覆面パトカーに寄りかかっていた女性が満面の笑みで手を振っている。

「只野さん、お久しぶりです!」

 風子先輩がぶんぶんと手を振って挨拶していた。只野圭子さん。かつて付属小学校が妖魔と闇の夢想士に占拠された事件で、巻き込まれた警備員だった人だ。

「あれ?只野さん。覆面パトカーに乗ってるってことは・・・」

「お陰さまで、妖魔特捜課1班に配属されたんだ。この武藤家で昨夜大規模な戦闘があったようで、事情を聞いてる最中だよ」

「おお、ついに特捜課に配属になったんですね。おめでとうございます!」

 僕たちパーティー全員で拍手を送ると只野さんは照れまくっていた。

「や、やだなあ。まだ、パトロール要員になったところだよ。私は派手に撃ちまくれる、特務部隊の6班から10班に入るのが夢だから」

「へー、只野さんって意外と武闘派なんですね」

 僕が率直な意見を述べると、只野さんは口元に人幸指を立てた。

「誰にもいわないでよ。特に荒畑警部の前ではね」

 すると、風子先輩は笑いだし、

「分かってますって。せやけど意外やなあ。只野さんって銃とか苦手やと、勝手に思てました」

「こう見えても射撃訓練では、常に上位に入ってるのよ。実戦訓練でもAをもらってるし」

「へー、いつか一緒に仕事が出来たらいいですね」

 僕が率直な感想を言うと、只野さんは満面の笑みで、

「ありがとう、いつかまた会いましょうね」

 僕たちは手を振って只野さんと別れパトロールを再開した。

「いやー、ああやってあたしたち夢想士のサポートしてくれる人材は貴重だね。ああいう、縁の下の力持ちのお陰で、あたしたちが活動しやすくなってることに感謝すべきだな」

「せやなあ」

「全くだぜ」

「只野さんの昇進祝いでもしたいですね」

「さんせーい!カラオケボックスでパーティーしようよ!」

「ははは、それは難しいと思うよ」

 何はともあれ、今日は平和な1日になりそうだ。今回も大変な戦いだったけど、どんなことも時の流れに流され、記憶の彼方に去ってしまう。どうか最後は幸せな

 

 



こんにちは、チョコカレーです。今回は前作でチョイ役だった、武藤3姉弟が中心の物語です。武藤家次期当主の武藤小夜が、記憶喪失の少年を保護するところから話が始まります。そして、新しい敵として土蜘蛛一族が登場します。更に前作で登場した鬼の一族も登場しますが、今回は闇の夢想士として不可視の英雄が登場します。認識を阻害する能力は結構厄介でしたね。彼は次作にも登場予定です。お楽しみに。それではまたお会いしましょう。

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