1:弟妹に婚約者を見つけました。いち。
貧乏男爵家の三人兄弟の長女である私、オリーヴは異母妹の婚約者探しをしながら異母妹の持参金稼ぎのために、昼はとある商会の売り子として働き、夜は得意の刺繍を活かして下位貴族の令嬢方のドレスに刺繍をする日々を送っていました。
その商会長の縁で子爵家嫡男・ドレイク様と異母妹の縁談が成立しました。
この時私は二十三歳を迎えました。
私の生い立ち。
父は私が五歳のとき。母を亡くしてその悲しみから逃げようと酒に手を出し。
うっかり優しくしてくれた酒場の看板娘に絆されて、一年後に結婚。更に一年後にその後妻は弟と妹の双子を産みました。そこまでは父にとってそれなりに幸せでした。母の死から立ち直れたわけだし。
でも。双子が三歳。私が十歳の時に父が病で倒れたら、後妻は父の看病など御免被るとばかりに逃げ出しました。
細々とした領地では収入などたかが知れているけれど、当主としての仕事をしていた父が倒れてしまえば領地は忽ち上手くいかなくなってしまい。
ただ、有難いことに祖父の頃から仕えてくれている執事が何とか領地の祖父と連絡を取り合って祖父が領地の方は面倒を見てくれることになったのは安心しました。
ただ祖父が王都に出て来ることはありません。
何故なら後妻に迎えた酒場の女を祖父は認めなかったため、父が一方的に祖父との関係を拗れさせたので。縁切りまで行ってなかったことは幸いでしたが祖父は頑固で短気だし、父は不器用で言葉足らずだし。
仲直りすることが無かったので息子が病で倒れたと知っても領地は面倒を見るけれどこっちのことは知らん、と祖父は言い切りました。頑固ですよね。
後妻が逃げたから出てきて欲しい、とは病を押してまで父も言えなかったのはプライドだったのでしょうか。さておき。
貧乏とはいえ、そして貴族の中でも下の位とはいえ、七歳から淑女教育を初めて三年。この三年間、継母との関係が上手くいかない上に父が娘である私を守ってくれないし、継母との間を取り持つこともしてくれないのを認めたく無いけれど認めつつある中で。
子どもらしくしていたら継母に暴力を振るわれ暴言を吐かれていました。最初は泣いてましたけど父が助けてくれる事はなく。使用人たちは身分差を持ち出されて止めきれなかった日々。
泣けば泣くほど打たれるのだから子どものように泣き喚くことは早々に止めました。
そんな日々の中で。
十歳。父が病に倒れたら後妻は逃げ出しました。
然も双子を置いて。
「ねぇ、カーティミーとキーシュはどうなるの?」
私の問いにメイドは黙ります。
父が元気だった時は後妻は双子の面倒を見ていたけれど、後妻が双子を置いて逃げ出した今、あの双子の面倒を一体誰が見るというのでしょう。
メイドは三人居て、炊事洗濯掃除を三人が分担で行いつつ、うまく休みも取ってもらうのが精一杯。そんなメイドたちに双子の子育てを頼むのは無理。給金を上乗せしなくてはなりません。上乗せしても子育てをしてもらえるか分かりません。
もちろん執事が子育ても無理があります。領地のことは祖父に任せられても、王都にあるこの男爵家の屋敷内の采配は執事が行っていますので。更に子育てまでお願いすることは難しいでしょう。
「仕方ない。あの継母の子どもだから近づくのも嫌だったけど、母親に逃げられた上にお父様が病で動けないのなら、私が双子と遊ぶことにします」
……そんなわけで、メイド達には双子の食事の準備と着替えやお風呂の手伝いを頼んで、文字を教えたり寝かしつけたり朝に起こしたり遊んだりといったことは、全て私が双子に教えました。
最初は私のことを打ったりつねったりしてきた継母が産んだ子どもたちのことが嫌いだったし、父の愛情が私に向かなくなったことが憎かったので嫌でしたが、それでも三歳の双子を見捨てるわけにはいかないと思いました。
だけど。
三歳の双子をメイドたちと執事と協力しながら育てていくのは大変だしイライラしたし投げ出したくなりました。
それでも。
「お姉様」
「姉上」
と大きくなるにつれて慕ってくる双子が可愛いと思えるようになったわけで。自分でも単純だと思いますけどね。
七歳を迎えた双子に教師を付けて教育を受けさせる頃には、少しずつ家のことを手伝ってくれるようになって益々可愛いと思えるようになり。
ついでに寝たり起きたりを繰り返す父がその頃には私に色々と済まなかった、と謝ってくれたのも大きくて。
私と双子がなんとか兄弟らしくなった頃には、私は十四歳を迎えていました。
お読みいただきまして、ありがとうございました。