第八十三話 天才児―ギフテッド―
「さすがだ博士。それで頼む。
ビジネスはこうでなくてはいけないよ。お互いに利益がないとな。
一つ聞くが分隊長、この辺は辺境なのか?」
「辺境も辺境。国境警備隊の俺たち以外はろくに人は住んでいないところだ」
「都合がいい。辺境は中央の目が届きにくいからな。ククク、楽しくなってきた。
ワクワクしてきた。たまらんなぁこの感覚。ノイトラ王国を建国したとき以来だから、五年ぶりの感じだ。
白紙に地図を書いていく。たまらないなぁ楽しくって。眠れない日々が続きそうだ」
「それはよかったな。それで、技術部門は全部ベンツとやらに任せているのかね?」
「ああ。最重要人物だ。我々は完全にベンツに依存していると言ってもいい。
何とか代わりがいないかとは思っているのだが、さすがにベンツ並みの天才的頭脳を持つ者はなかなかな……」
「私の後継者が全部やる必要はないよ。みんなで分担していければいい。
うちの船に子供は沢山いるが、彼ら一人一人にそれぞれの得意分野を伸ばしてやれば私なんかいなくてもよくなるよ」
「そうだなぁ。博士もいい加減年だしあの子たちには早く大きくなってもらわないと。
所で博士、今何歳なんだっけ?」
「四十五歳ぐらいじゃなかったっけ?」
「バカな」
と親父が言った。
「親父、ベンツ博士って本当は何歳なんだ?」
「俺が十六の時だろ初めて会ったの。あの時は十二、三歳ぐらいだったはずだぞ」
「親父はいま何歳?」
「四十二だが」
ということは俺が十二歳で最初に親父と会った時親父は三十七歳ごろ。
そして、俺の母はその二個下だと言っていたから、俺の母は二十三歳ごろに俺を生んだはずである。
ということは俺が最初に会ったとき、ベンツは三十代前半だったということだ。
これにトントンが補足を入れた。
「そうだね、間違いなくベンツは我々より年下のはずだ」
「じゃあ四十も行ってないじゃないか。どんだけ適当なんだよ」
「しょうがないだろ。自分の年齢や誕生日なんて興味ないし、物心ついたら親もいなかったし。
んじゃ、四十五歳あらため三十八歳ということで」
「よろしく。まあ子供たちが成長するころには、あと二十年として博士は六十歳前ということになる。
別に引退する年齢ではないが、一極集中で依存するには危険な年齢だな。この間腎臓結石もやらかしたし」
「その節は世話をかけたねみんな。養生します」
「ああ。そんな博士にお願いがある。先ほど説明してくれた通り、冷却塔やその他一切の建設を任せていいかな?」
「もちろん。先に地下にお風呂屋さんを建設してしまおう。
それと冷却塔をパイプで繋ぎ、水をためるのだ。善は急げと言うから、早速私たちを地下に入れてくれないかな?」
「全員は無理だぞ」
「わかっている。ねえトーマくん」
とベンツは俺に言いながら寄ってきて耳打ちしてきた。
「イブ君を呼び出してくれよ本体を。分体のエグリゴリ君たちを呼んで建設を高速化させよう」
「うむ」
俺はイブに通信を入れた。久しぶりだ。ほぼ二週間ぶりくらいにはなる。
イブは俺の求めに一応はすぐ応じてくれた。別に冷たい態度もとってこない。
俺の部屋のベッドから這い出てきたのだろう。俺が通信を入れて呼び出してからしばらくして食堂の入口から歩いて入ってきたイブは、分隊長たちに向かってこういった。
「私とベンツで建設をする。これだけいれば事足りるだろう」
本体のイブの後ろからぞろぞろと同じ姿をした分体がやってきた。その数、ざっと十人ぐらい。
あっけにとられる分隊長たち。俺だって最初これを見た時は驚いたものである。
「では早速行こうか。プラントの――」
などと俺にはよくわからない専門的な話をイブたちと話しながら博士は食堂を出て行ってしまった。
俺はこれを確認すると気を取り直して分隊長たちにこう言った。
「見ての通りだ。ベンツとあのぞろぞろした連中は、俺も深く信頼している腕利きだ。
心配はご無用。気にする必要は一切ない。わかるな。詮索するなと言うことだ」
「あ、ああ。それで俺たちは何をすれば?」
「何って、仕事だよ。風呂屋の仕事は多いぞ。分隊長、この辺境にも人は住んでいるんだったな。
まずはその人たちを風呂屋に誘い、水を売れ。風呂屋なんだから休みの時間を作り、その時間は風呂をキレイにする掃除も忘れないように。
その辺はそうだなぁ。誰か仕事の指導に行ってくれる者はいないか?」
誰も手をあげないので仕方なく俺はこう言った。
「わかった。俺がやろう」
「あ、あなたが行くなら私も行きます」
コロンビーヌが挙手した。俺達が好きあっているのは周知の事実なので誰も文句は言わなかった。
あえて付き合っているとかではなく好き合っていると表現した。
まだ婚約の口約束をしていることは知られていないし、付き合っているわけでもない。
だが俺たちが好きあっていることはみんなに知れているということだからこれが適切な表現のはずである。
「わかった。しかしそうなるとベルンハルトは博士に頼むわけにもいかないしな」
「もう二歳なんですからそこまで心配しなくても。私だって仕事にかかりきりになるわけじゃないですし」
「ありがとうコロンビーヌ。だがまあ、とりあえず風呂が出来てから考えようか」
ということでいったん俺たちの議論は解散。コロンビーヌと俺は赤ちゃん二人を連れて地下へ潜った。
赤ちゃん二人というのはもちろん全く見ず知らずの人同士の遺伝子をベンツが勝手に掛け合わせて生まれたリコリスというノイトラの子。
そして、アンリとエリザベスという奇天烈な組み合わせの、ルカという子だ。
リコリスはともかく、ルカの方は俺の異母姉のアンリの子なので姪っ子にあたる。
二人ともまったくの新生児なので世話は欠かせない。
俺とコロンビーヌが疑似夫婦として赤ちゃん二人と二歳児一人を見ながらの奇妙な地下都市生活が始まった。
地下都市生活一日目。地下都市は寒く、暗い。
現場はエグリゴリに任せ、俺とコロンビーヌとベンツは三人で地下居住区にいってみた。
だがひどい臭いであり、汚れていたのでとても地下暮らしする気にはなれず、地下都市での生活は一日で終わった。
すぐに船に戻った俺たちはああでもない、こうでもないとお風呂屋さんについて博士のラボで議論をするのだった。
「二階建てのようだが、この二階はなにするところなんだ博士?」
「お風呂屋さんの二階なんだけどまだ全然何も決めてなくてね。
とりあえず作っておいた。言ったろう、私は余白が好きなのだ。
余白を作っておけば今後何かあった時に、その分を使えるからね」
「なるほど。ところで博士、ここでは我々の常識はどうも通用しないようですよ?」
「というと?」
「私たちのお風呂やシャワー室って完全個室か、でなければ完全混浴じゃないですか?」
「そうだね」
コロンビーヌの言う通りだが、まだ博士はちょっとピンと来てないというか要領を得ていない様子。
わが船では居住区一つにつき、お風呂が一つ備え付けられている。
アーセナルの方ではその時間がなかったので混浴の浴場を作ったのだ。
混浴の浴場のせいでアーセナルの風紀が乱れて性的関係が交錯してしまった部分はあると思う。
また、スフィアのノイトラ王国本土では割と混浴浴場は当たり前だったしベンツが最初に作ったシャワー室もそうだった。
俺が孤児院にいた時も、ノイトラの子供は混浴が当たり前だった。
「地下都市では人間しかほぼいないので、お風呂屋さんを作るなら女湯と男湯に分けないといけませんよ」
「確かにね。男湯と女湯。更衣室も分けましょう、と。メモっておこう」
「俺たちノイトラはどっちに入ったらいいんだ?」
するとコロンビーヌはぷふっと噴き出し笑いをした後こう突っ込んできた。
「私たちは入る必要ないでしょう。地下の人たちも私たちみたいなのが入ってきたらびっくりしますよ」
「確かに。忘れてくれ」
「あ、それより二階の話でしたよね。余白という話でしたが、まさか一生使わないわけにはいかないでしょ二階。
ここはご飯屋さんとかにしたらどうでしょうか?
余白が要るなら三階を増築して余白とすればいいんじゃないでしょうか」
「ご飯屋さんだって。お風呂屋さんに来てご飯も食べていくの?」
不思議そうな顔をして博士が聞いて来るとコロンビーヌはたじろいでしまった。
引っ込み思案な所があるので、ちょっとでも自分の言ったことを追求したり、批判したりするような態度を取られると委縮してしまうタイプなのだ。
よくわかる、その気持ち。
俺もそういう態度を人に取られると怖くなるものである。別にベンツに悪気はないのだが。
コロンビーヌは勇気を振り絞り、こう続けた。
「生き物の欲求の最たるものでしょう。ご飯を食べること、リラックスすること。
どちらもここで解消して行ってもらうんですよ。なんならホテルにしちゃってもいいかもしれませんね」
「ホテルねぇ。いや、ふむ。それはいい。もし今後ここが発展したならば、そういうのもいいだろう。
要はお金が欲しいわけでしょトーマ君は。どうしてお金が欲しいの?」
「どうしてって決まってるじゃないか。お金は人間を支配することが出来る!
何度も言っている通りだ。俺はトーマ。この世の全てを手に入れる男だ。
ノイトラの王だけで収まる男じゃない。人間どもも支配して見せる」
「お金でかい? そりゃまた気の遠くなる話だ」
「そうでもないさ。博士はやっぱり研究者だな。そこに関しては珍しく俺の方が詳しいようだ」
「私よりも詳しい分野があるだって。生意気言うね君も」
「ただの事実だよ。まあカネのことは任せてくれ」
「わかった。それではエースさんに一任しておいた冷却塔の進捗を見に行ってみようか。
全く惜しいよ。せっかくリリシアにデカい造船ドックを作ったのにまた一からやり直しだからね」
「わかった。行こうか」
俺達は船から地表に出てみた。赤道の夜はマイナス五十度くらいになる。
これでもマイナス百度以上にはなる北極付近のあのリリシアと比べると暖かいほうだが。
だから三人で船外作業用の宇宙服を着て行ってみると、煌々と照明で照らされた屋外には妙なものが建っていた。
黒い建造物で、ドーム状になっている。空からデカいフライパンでも落ちてきたみたいである。
まだ建築開始一日だというのに、これは一体何なのか聞いてみようとしたらその前にベンツがこういった。
「これはさっき言ったように造船ドックというか、モジュールを作る工場だ。
ここで予め作ったモジュールを積み上げることで冷却塔を迅速に作ることが出来る」
ベンツは俺たちをさらに黒いドームの中に連れて行った。そこにはもちろん(大量の)エグリゴリとエースの姿があった。
ドームの床面積は多分数平方キロメートルにも及ぶであろう広大なもので、三階建て。
中央に角柱状に空きスペースがあり、それを囲むように作業スペースが積みあがっている。
ここで働く彼女らは不眠不休で作業できるので夜でも休むことがなさそうだ。
「よう二人とも。こんな夜中までご苦労さま」
「なんか差し入れでもしましょうか?」
「大丈夫だよコロちゃん。工場見学にでも来たの?」
「そんなところです。しかし見たところ、作業量が異常に多そうですが……?」
俺もコロちゃんと同じでさっきから不思議に思っていた。ここは異常にデカい。
作業量が膨大過ぎる。冷却塔を作るだけにしては大掛かり過ぎた。
と思っていたら、エースはこう返してきた。
「冷却塔は高さ七百メートルにするつもりだから」
「そんなに!」
「それを何棟か建てるつもりだから、それはもう作業量が膨大にもなるわね」
「そんなにデカいものが必要だとは」
「もちろん、冷却塔の結露を利用して水を集めるんだったら表面積を広げるのは合理的ね。
でもそれだけじゃないわ。まだ彼らには秘密だけど冷却塔は造換塔としても機能させるの」
「……造換塔って私よくわからないですけど、つまりどういうことなんですか?」
コロンビーヌが首をかしげた。もう船を出てから二、三十分くらい経っている。
赤ちゃん二人と二歳児一人を置いてきているので早く帰りたいといった感じだ。
それを察してかエースは質問には手短に応えた。
「エネルギーを与えることで物質を作り出せる魔法の塔よ。
しかもこの塔内でガスを精製する関係で、エネルギー不足になることはないわね。
さっき言った通り水を空気中から結露させて集めるなら大きくして表面積を広く取った方がいい。
それだけでなくて、高さがあれば電波塔としても機能できる。
これだけ高い電波塔があればこの周辺数千キロメートルは射程に入るでしょうね」
「……なぜ電波を飛ばす必要があるのでしょうか」
コロンビーヌの言うことももっともだ。俺もわからないのだが、バカだと思われたくないので沈黙しておいた。
「私たちはどうやらここに長期滞在する感じみたいなのよね。
その間にこの辺に電波塔をたくさん建てておくことは有益なの。
例えばエグリゴリの分体は電波塔がないところでは動かせないの。
本体であるイブの指令によって複数の分体が同時に動いているからね」
俺は興奮で背筋がぞくっとした。これまでも有線および無線の電波通信はあったし、俺たちは特にそれに注意も払ってはいなかった。
ところがこの大量の電波塔を作るという話でようやく実感として理解できた。
俺達はこの星に、インターネットのネットワークを作ろうとしているのだ!
ハードウェア的にもソフトウェア的にもだ。俺は興奮して体温が上がった。
「なるほど。つまり、電波塔がたくさんあれば離れた場所同士でも連絡がとれるってことでいいですか?」
「そう。この期間を有効活用しないとね」
「ふむ……理解した。それではコロンビーヌ、帰ろう。博士も船に来てくれ」
「はい」
「わかったけど……」
俺は船に戻り、船外作業用の宇宙服をやっとこさ脱いで三人で船外作業員用の待機室で一息ついたところでこう言った。
「俺はもう一度スフィアに戻り、さまざまな物や人を運んでくる。
博士、コールドスリープさせておいたみんなはここで解凍するぞ」
「それはいいが、どうする気だね?」
「分隊長たちは俺たちのことをどう思っているか知らないが、ここに宣言する。
俺達は国を獲るぞ。地下都市の連中を根こそぎ支配し、俺が頂点に立つ」
「ほお、かっこいいね。本気かい?」
「暴力的な響きがありますけど大丈夫なんですか?」
コロンビーヌは俺に半年会えないことは一切触れない。ちょっと寂しいが俺は話を続ける。
「戻るのは俺一人でだ。この旗艦ミレニアムアヴァロン号はもらっていくぞ」
「ダメだ!」
「え、なんで?」
割り込んできたベンツは妙なことを言い出した。
「言ったろう、イブの分体は電波塔がなければイカンと」
「イブがなんか関係あんのか?」
「だからさ、私を連れて行ってくれよ。
建築計画は全てイブ君とエースさんに話してあるし、二人なら全く問題はあるまい。
私は道中に大量の電波塔を設置し、スフィアと地上を接続する!」
「そうか、理論上はそりゃ出来るだろうが……資材はどうする?
時間だってめちゃくちゃかかるんじゃないだろうか?」
「問題ない。君、この星に存在する隔壁は知っているだろう。
あの分厚くて硬い隔壁だ。この星の隅々まで行き届いている」
「あ、ああ」
「実はあれ、中に有線ケーブルが通っているのだ。
途中に設置する電波塔は小さいのでいいし、ケーブルと接続する工事も短時間で済むだろう。
この星は昼夜の寒暖差が非常に激しいので耐用年数に不安はあるが、やる価値はあるはずだ」
「うーん博士を連れて行くのはなぁ。気が進まないというか」
「もしかして私のこと嫌い?」
「嫌いなわけないだろ。うむ、博士。俺の思い付きに付き合って、そんな行き当たりばったりでいいのか?」
「今ままでまともに計画が上手くいったことなんてないよ。いつものことだ。
スフィアにネットがつながれば、今までみたいに連絡すら出来ない不便は解消される。
それどころかスフィアの造換塔から、スフィアで作ったエネルギーを使ってこっちに物質を転送するなんてことも出来るだろう」
「す、すごすぎるぞ、それは!」
「スフィア内でも造換塔のネットワークを使い、物質を好きな所に転送していた。
理屈の上では出来るはずだ。そうなれば一万人近いノイトラで発電している超巨大エンジンからの無尽蔵に近いエネルギーと物質が得られる」
そういえば一つの巨大な大陸そのものを運営するほどの力をノイトラたちは作っていたのだ。
しかも二千五百人あまりの数で。そう考えると、一万人弱のノイトラで仕事をしているスフィアのことだから、そのエネルギーは天文学的だ。
そのエネルギーが遠隔地でも取り出せる。逆にこっちから送ることも出来るだろう。
それならば、俺の温めていた計画である、スフィアからの大規模移住計画はしなくてもいい。
スフィアに居ながらにして地表の太陽の恵みを受けられるなら、移住する必要はないからな。
改めてベンツの発想力の豊かさと技術力には舌を巻くが、俺が本当に感心するのは次の点だ。
発想力や技術力をいくら持っていても、心の優しさがなくては意味がない。
ベンツはまさにその思いやる心を持っている。やっぱり俺はベンツのことが大好きだし、嫌いなわけがない。
「さらに人工光合成プラントをこの広すぎる地表に張り巡らせれば、彼らのエネルギーさえ凌駕するほどのエネルギーも得られるね。
夢が広がるだろう。電波塔製造計画。良ければ私も連れて行ってくれないかな。
私がいないとそんなこと出来るはずもないだろう?」
「僕がやろう」
「え?」
声のした方を俺たち三人が一斉に振り返った。すると、廊下の方からベルンハルトがよちよち歩きで近づいてきていた。
両腕に赤ちゃんを抱えているあたり、二歳児にしては力持ちである。
「お、おお。ベルンハルトか。感心だな。二人を世話してくれていたのか」
「エライね!」
「さすが私の息子!」
などと大人に褒められてもベルンハルトはチベットスナギツネのように淀んだ、二歳児とは思えない面倒くさそうな眼を俺たちに向けながら仏頂面でこう言ってきた。
「僕がやるって言ったんだ。船長の旅には僕がついていく」
「お前、話聞いてたの?」
「バカじゃないの。話を聞いてたから僕が行くって言ったんだろ」
「二歳児にバカにされた……!
ていうかお前、俺のこと船長って呼ぶのかこれから?」
ベルンハルトは首肯した。と同時に、コロンビーヌとベンツは見つめあい、ふと、コロンビーヌが冷や汗をかきながら小声で言った。
「あの、博士。ベルンハルトがこんなにペラペラよくお喋りするのを私初めて見ましたよ」
「さすがは私の息子だけあって賢いようだが……ねえ、コロちゃん。
あの子ちょっと賢すぎないか。二歳児って普通ああだっけ?」
「まさか。二歳になったばかりなんてまともに会話になる子供のほうが少ないですよ」
「電波塔は僕が敷設しよう。博士はここに残って建築指揮をつづけた方がいい」
俺も冷や汗が出てきた。そしてベルンハルトに腫れ物に触るみたいに恐る恐るこう聞いてみた。
「あのさ、ベルンハルト」
「ハルトでいいですよ船長」
「お前まさか……ギフテッドってやつか?」
「隠していてすいません。でも僕の演技もなかなか上手かったでしょう」
「いやいや、ベルンハルトはかわいい子なんですよ。口が少し達者なだけですって」
とコロンビーヌはまだハルトの言っていることを信じ切れていないようだが、俺は試すようにこう言った。
「お湯と水を同じ量冷凍庫に入れるとどちらが早く凍る?」
「お湯らしいですね」
「骨盤は何種類の骨で構成されている?」
「大きく分けて腸骨、仙骨、坐骨、恥骨、尾骨の五種類ですね。医務室の医学書に書いてありました」
「博士が持病として抱えている病は?」
「腎臓結石です」
「この星の地表に存在する砂の成分は?」
「水酸化カルシウム、塩化ナトリウム、炭酸カルシウム、リン酸カルシウム、塩化カリウム、重曹、辰砂などです。
大量の水と一定の気温さえあれば生命が発生しうるくらいに栄養豊富です」
「参った。本物じゃないか」
「だから言ってるじゃないですか」
俺はハルトからは目線を切ってベンツの胸ぐらをつかんだ。
「おい博士、あの子に妙な遺伝子操作したんじゃないだろうな。
返答次第ではいくらあんたでもブチ殺すぞ」
「ないないない、強いて言うなら私の遺伝子が優秀過ぎたのかなぁ」
「まあいい」
ベンツを問い詰めても意味なさそうだと悟った俺はまだ怒りが収まっていないがとりあえずベンツを解放し、コロンビーヌに話を振った。
「どう思う。ありゃどう見ても本物の天才児だぞコロンビーヌ」
コロンビーヌはさっきから滝のように汗をかきながら辛うじて絞り出すようにして言った。
「え、ええ。ベルンハルト、あなたいつからそんな勉強を?」
「半年ぐらい前かな。船の中はヒマでしょうがなかった。
とりあえず娯楽室の本は全部読んだから博士の部屋とか医務室の本とかも読み漁ってたら、こんなことに。
最近は造換塔にアクセスして色んな情報を漁ってるかな」
やはりママだからなのか、コロンビーヌの時と俺と話すときでベルンハルトは若干口調が違うようである。
「博士、気づいてたか?」
「いや……確かに本とかの位置が変わってることはあったけどまさか子供が読んでるとは思いつくわけないし」
「確かにな。ベルンハルトお前が賢いことはもう十分わかったが――」
その時だった。コロンビーヌが倒れた。
前のめりにではなく、力が抜けたように壁に後頭部をつけ、そのままズルズルと頭の位置を下げて行って結局床に頭を乗せた。
まだ後ろ髪が壁に引っ付いていて、まるでコロンビーヌの魂が壁にしがみついているようだった。
「大丈夫か? 疲れたのか」
コロンビーヌの額を触るとすさまじく冷たかった。こんなに冷たい人間を触ったのは死んだ母親以来だった。
「頭部が冷たい。血が通っていない証拠だ!」
「失神してるみたいだね。コロちゃん意識がないようだ」
すぐにベルンハルトの両腕の赤ちゃんが母親の危機を察知して泣き出した。
あるいは俺たち大人が急に殺気立ち始めたからかもしれないが。
「ママッ!」
などと取り乱すあたりベルンハルトもまだまだ子供だが、とはいえ、彼は両腕の義理の弟妹たちもしっかり肌身離さず保持したまま俺たちに駆け寄ってきた。
そして冷静に診察を開始する。まるで本職の医者の様だった。
「頭が冷たくて失神してるってことは頸動脈などに異常の可能性が……」
「ギャーギャー騒ぐなガキが。黙れ」
と両腕の赤ちゃんに言ったところ、なんとベルンハルトまでもが口を開けなくなってしまっていた。
笑い事ではないが、俺のせいで変な状況になってしまった。
もちろんすぐにベルンハルトは喋っていいと言ったら事なきを得たが。
「博士、親父を呼んできてくれ。大至急だ。タンカも必要そうだ」
「わかった。行ってくる!」
博士が行った後、俺たちはああでもない、こうでもないと言っていたが、結論は出ない。
親父がやってくるとベルンハルトは天才児モードをやめて普通の子供を装う演技しだした。
全く、こいつも二歳児にして大したやつだと俺は感心するしかなかった。
「コロちゃんが倒れたそうだな。容体は?」
「三分ほど前に突然失神した。その前に大量の発汗があり体調を悪くしていた。
宇宙服を着て外に出たことと関係あるだろうか?」
「報告ご苦労。診察する」
親父は聴診器や触診を使ってコロンビーヌを診てくれたが、割と早い段階で結論を出して俺たちにそれを解説する余裕も見せるほどだった。
「ふう、どうやら峠は越えたな。もう一度額に触ってみろ。体温が戻っているはずだ」
「本当だ。少し暖かいぞ。どうなってる?」
「うむ。コロンビーヌの首筋の血管に怒張が見られたんだ。
それがしばらくしてスーッと引いていったので血流が戻ったと判断させてもらった」
「原因は。治す方法はあるのか?」
「慢性的なものになるはずだから、外科的手術が必要かもしれん。
原因ははっきりしている。頸動脈狭窄だ。炎症か血栓か。原因は不明」
「不明って医者だろ。何とかしろ!」
「おそらく何らかの原因で血栓が出来たのが、上手い具合にはがれてくれたんだろう。
一応意識もあるみたいだし、脳血管への二次的な被害もなさそうだ」
「それはひとまずよかったが……」
「炎症を起こしたのか血栓なのか何なのか。症状が緩和された今となっては確かめるのも困難だろうな。
このような症状はオジサンに多いのだが、意外にも若い女性、特に妊婦にも多い」
「そうなの?」
「俺が診てきた人がたまたまそうだっただけかもしれんがな」
親父が説明してくれるのをベルンハルトは子供のふりをしながら耳をそばだててよく聞いている。
恐らく、こいつは一度聞いたことは死ぬまで忘れないに違いない。
俺も一応奴の親代わりのような身でもあるため、ハルトのために親父からさらに話を聞き出しておく。
「大動脈の炎症または血栓が原因ということでいいんだな。妊婦に多いとは?」
「恐らく今回、何か楽しいことがあったりして心拍が上昇し、滝汗をかきながら苦しんでいたはずだ」
「スゴイ、当たってます。私、さっきは諸事情あって興奮してしまいまして」
「うむ。妊婦は元々血圧が高くなる人が多い傾向にあるのだ。
コロンビーヌはそのうえ、元々首筋の血管に原因不明の狭窄が現れがちだったことだろう。
興奮、妊娠、狭窄の三つの要素が噛みあって今回は症状が重篤化したものと考えられる。
で、妊娠の可能性はあるか?」
「子供を宿しているとしたらほぼ百パーセント俺の子だろう。アンタの孫だな」
「おい、本人意識あるのに"ほぼ"はないだろ。言いきれよ」
「不確かな情報を断言するのは嫌いだ。俺と初めて関係を持つ以前にすでに妊娠してた可能性は十分にある」
「トーマ様らしいですね。もし妊娠してたらあとで博士に検査してもらわないといけませんね」
「別に誰の子でも俺は育てるよ。それよりゆっくり休んだほうがいい。治療が必要だって親父も言ってる」
「私、本当はちょっと焦ってました。トーマ様が博士とずっと二人きりで航海することになるかもって聞いて。
私に出来ないこと何でもできる博士。私との会話じゃ見せないほど楽しそうな顔を博士と話すときはするあなた。
正直、全身をかきむしりたくなるぐらい、めちゃくちゃ嫉妬しちゃいます。
私はついてくことは出来そうにないですから」
そう、これだ。コロンビーヌは様々な魅力的なポイントを持っている。
母性溢れる優しい性格や明るくて活発だけれども決して明るすぎず、やかましくはない丁度いい人当たりの良さがあり、彼女を嫌いと言う人はいない。
それに肉感的な体つきなども魅力ではあるが、何より、俺のことが好きであることをはっきり言葉でも行動でも示してくれるところが魅力だ。
いずれもイブにはない。未だに俺は、イブにコロンビーヌの十分の一でもこのようなリアクションがあれば、コロンビーヌに傾かずに済んだのにと思ってしまう。
これはどちらに対しても失礼なので決して態度にも口にも出さないように気を付けていた。
ともかく俺ははっきり俺のことが好きだと態度で示してくれるコロンビーヌへの愛おしさがあふれてこう言った。
「俺だってそうだ。それに、コロンビーヌと離れ離れで何か月も過ごすことになるのは寂しい気持ちがする。
でもどうやらこの仕事、みんなのためにもやらなきゃな。仕事をしに行ってくる。
正直、今すぐにでも出発しないと出産に間に合わないかもしれないから時間がない。
すぐ出発しないと。いや、まだ気が早いかな。妊娠してるかどうかもまだわからないもんな」
「そうでしたね。先生、私は歩いて医務室へ行けます。あ、お義父さんとお呼びした方が?」
「うむ。コイツの前の妻は俺をお義父さんと呼んだことはなかったからな。
ていうかお前、機械の女とはいえあの子とちゃんと別れたのか?」
「いや別に。それを言うなら、コロンビーヌだって結婚相手とちゃんと別れてるわけじゃないぜ」
「そういや、この子ほかの奴と結婚してたっけな」
「いや、関係は切ってますよ!」
とコロンビーヌが焦ったように言った。
俺はそれにかまわず話を続ける。
「俺とイブは一緒になった男女のすべきことを何一つしていなかっただろう。
わざわざ別れると宣言することすらおこがましく感じるんだが、俺は変かな?」
「いや。変だとするならアレと結婚したこと自体がだな。悪い子ではなかったんだが。
おっと、そんなことよりコロンビーヌ、歩けるなら一応医務室へ来てくれ。
ベルンハルトも一緒に来るだろ。まだ読んでない本があるからな」
「はい」
ベルンハルトはスクッと立ち上がった。まだ子供を装っているが、親父はお見通しの様だ。
「そんなに警戒するな。お前が天才児であることはもう気づいてたよ。来い」
「はい……」
俺はこの時、一瞬だけではあるが親父のことを格好いいと思ってしまった。
それに比べて俺は格好悪いなとも思った。




