第七十二話 よろしい、ならば戦争だ
「リリス、博士に話があってきた。お邪魔する」
「わ、わかったけど……」
俺と話を終えた後、リリスはちらりとエグリゴリの顔を見た。二人は目が合った。
すぐにリリスは目を逸らした。そうこうしている間に二階からベンツが降りてきた。
「はいはい、今日は何の用かな?」
「よう博士。博士のラボを使わせてもらいたい。あそこで空飛ぶ機械を作るんだ。
エグリゴリによれば簡単に作れると言っていた」
「へぇ。それはいいんだけど高度や航続距離はどのくらい?」
「高度は一千から三千メートル。航続距離はノイトラがいる限り半永久的。
速度は時速二百キロメートル以上に設計するつもりだ」
「そんな化け物みたいな機械が作れるのかぁ。いやはや言ってくれてよかった。
観測はここまでにしよう。私もそれ手伝わせてくれないかな?」
「構わない。行くぞ」
とエグリゴリたちが出て行ってしまったので俺とリリスは当然のことながら、狭い観測所に二人きりとなった。
「俺たちも船に戻るか」
「うん……でもさっきの何だったの? 私の顔じっと見たりして」
「眉毛が繋がってたぞ」
「え、うそ!?」
「嘘だよ。行くぞ」
「もう……」
これが女の子、および子供に対する適切な対応なのかどうかは議論の余地もあるところだが、ともかく俺たちは二人並んで白い石灰質の砂地をザクザク足音を立てながら並んで船に帰った。
その後、俺はとにかくヒマでヒマでしょうがなかった。
何しろ仕事はベンツとエグリゴリがラボにこもって何かやってるのを待つことだけである。
ラボでの仕事が忙しいので、俺とリリスは日中観測所で過ごすことにした。
一応観測所の望遠鏡でならば遠くを監視し、誰かが近づいてきたら発見することは出来る。
とはいえ、この星アングラはとにかく広い。地球の数十倍の大きさを持つこの星であるから、ほんの少しの面積しか見えず、あとは地平線によって遮られてしまう。
確かにこれは空を飛ぶ飛行機やヘリコプターが必要である。だがここ数日来、俺とリリスはそれよりも重大な問題を抱えている。
会話が少ないのだ。俺は困ったときは眉毛が繋がっていたとかなんとか言ってリリスをからかって笑いを誘うわけだが、その作戦も毎回は成功しない。
というわけで日中ずっと一緒に居るのに関係性はほんの少しも改善しない。そんな日が三日も続いた時のことだった。
いつものように宇宙を観測して、地球を探していた俺はふと地平線の向こうから黒い粒がこっちに近づいてきているように見えたので、三度見ぐらいした。
「黒い点だ。リリス見てみろ」
と下にいたリリスを呼んで望遠鏡をのぞかせてみたが、やっぱりリリスにも黒い粒が見えるという。
それどころかリリスはさらに衝撃的なことを言ってきた。
「ねえ、黒い粒が二つに分裂した」
「なにっ」
確かめてみると本当に黒い粒が分裂したかのように増えている。だが、拡大してみてみると話がわかってきた。
黒い粒のように見えたのは四輪で駆動している車と、それ追いかけている風なバイクである。
それらが石灰質の地面で砂埃を立てているので視認性が非常に悪いのだが、ともかく、それらは明らかに意思のある生き物であることがわかった。
「おいおいリリス、船に避難す……ん、ちょっと待てよ?」
「どうしたのパパ?」
「追いかけられてるのは車だな。追いかけてるのはデカいバイクだ。よく考えるとおかしいぞ」
「あ、そっか! 突然のことだから気づかなかったけど……」
「そうだよ。この星は寒暖差が極めて激しい。とても生身の人間が出ていける場所じゃない。
だいたい外の気温は零度近いんだぞ。バイクなんかで移動してたら凍死してしまう!!」
地球でさえ、冷え込む冬場にバイクに乗ることは極めて過酷だ。
ましてこの星では日没までに適当な街にでも戻れなければ氷点下三桁クラスという恐るべき低温にさらされ、ひとたまりもない。
つまりこの星においてはバイクで遠出をするということはとてつもない危険を伴う行為であるということだ。
ただし、レベル8を除いては。スフィアにあったバイクはエースのものではないはずだが、レベル8がスフィアに来てアレを置いていった可能性はあると思う。
恐らくアレはセキュリティのバイクだろう。だって、この追いかけているバイクの持ち主はほぼ間違いなくレベル8だろうからな。
極端な低温環境でも問題なく動作できるのがレベル8。
「レベル8が迫ってきてるってこと!? どうしよう。誰か殺されたりしないかな?」
「親父とブリュッヘル以外は大丈夫だろう。しょうがない、俺もバイクで迎撃する」
「そんな無茶な!」
「俺の代わりはいる。お前だリリス。だから安心して命を懸けられる」
「何言ってるの!?」
「お前は船で隠れていろ。俺は船からバイクを取ってこよう」
俺はリリスの腕を無理やり引っ張って観測所から歩いて百歩ぐらいのところにある船に戻り、すぐに博士のラボを訪ねた。
「博士、俺だ。悪いがエグリゴリを出してくれ」
その後ドアを二回たたくと、中からエグリゴリがドアを開けた。
「私に何か用か?」
「一緒に来い。面白いから一緒に来い!」
「ベンツ、あとはマニュアル通りにやっておけ」
「はいはい、夫婦の邪魔しちゃ悪いよね。行ってらっしゃい」
ベンツは事態の深刻さを察してはおらず、快くエグリゴリを送り出してくれた。
エグリゴリは何も言わずに俺についてきて倉庫まで来て、バイクの停車してあるガレージに場所を移した。
「俺はバイクを外に出しておく。お前も武装しておけ」
「ふむ……敵でも出たのか?」
「そいつは向こうの態度次第だ。四十秒で支度しろ」
俺はヘルメットを被り、手袋をし、ジャケットを着てマフラーを首に巻くなど寒さ対策に万全の準備を整えて外に出た。
すると拳銃を手に持ったエグリゴリが外で待っていて、さっそく皮肉を言われた。
「私は三十二秒で持ち場に着いた。お前の所要時間は七分三十九秒だ」
「悪い悪い。四十秒うんぬんはつい言ってしまった軽口だ。気にするな」
「別に私は気にしていないが……」
「そうか。とにかく乗れ。荒事になるかもしれないぞ」
「そうなれば殲滅するだけだ」
「頼もしいね。行くぞ」
時刻は朝と昼の間くらい。気温は氷点下になるかならないかくらいだ。
寒い中バイクを飛ばして、さっき見た太陽の方角から計算した方向へ走ってみると、十五分ほどでお互いを視認できるくらいの距離までやってきた。
「やれやれだな。止まる気なさそうだ。エグリゴリ、迎撃だ」
「殺しは?」
「ノイトラ以外は許可する。一旦止まるぞ」
エグリゴリを停車して下ろし、俺もバイクにまたがったままじっと目の前の砂埃に埋もれた黒い粒を見つめる。
それは次第に大きくなり、やがて砂埃が舞わなくなり、俺達からだいたい百メートルくらい離れたところで両者が止まった。
「エグリゴリ、乗れ。近づくぞ」
「お前の身が危険だ。私なら頑丈だ。私が前に乗ろう」
「心配してくれてどうも。俺はあいつらに言葉が通じるかの方が心配だがね」
俺はそう言ってバイクを発進させ、さらに近づいて、お互いの距離は約十五メートルほど。
ここまで近づけば黒い粒に見えていたバイクと車の様子が見えてくる。
まず車には十人ぐらいが乗っており、見た感じだと人間の大家族といった感じだ。
初老の男女がおり、二十歳ぐらいの若者から赤ちゃんまで様々な年齢の人間が乗っている。
彼らはどうもノイトラには見えない。しかし改めて思うが、ノイトラがいないとこの惑星で暮らすのは極めて苦しい。
相当な技術力がないとまず上に上がってくることもできないし、建設資材や食糧などにも乏しい。
せっかく上に上がってきても表面は寒くて農業も出来ないし石灰質の白い砂ばかりで何もないわけだからな。
こいつらがどこからやってきたのかは不明である。そしてそれを追いかけていたらしきバイクの奴は明らかにレベル8だ。
俺が似たようなバイクに乗るのに大変な厚着をしたのに対し、こいつはさほどではない。
ビジネスマンが着ていそうな、パリッとした白のワイシャツの上に紺のスーツというフォーマルないでたち。
ピカピカに磨かれた黒い革靴風の靴を履いていて、髪は銀行員みたいに後ろに撫でつけられ、陽光をキラキラと反射している。
全てが人工的だった。男型のレベル8もしくは7、あるいは9であると見てまちがいなかった。
だが、エースの記憶で見たあの男とは顔が違うので恐らくそれとは関係ないだろう。
俺はその紳士風のライダーとしばし見つめあっていたが、一応こちらから口を開いた。
「お前はレベル8だな。そいつらはただの人間か?」
「これは驚いた。ノイトラとレベル8がともに行動しているとは。
まるで我々と同じだな。ここに一体何の用だ?」
と男は言った。レベル8というのは後ろのエグリゴリのことで間違いあるまい。
「お前、KID何だ? こいつはKID Eという文字がうなじに刻まれている」
「悪いが自分のうなじなど見たこともない。その手は食わんぞ。
私がうなじを見せている間に後ろから撃つ気だな?」
「敵対する意思はない。その人間たちはなんだ?」
「近隣の居住区から脱走したのだろう。今殺す」
「待て!」
残念だったが人間たちを助けることは出来なかった。レベル8の男は銃で人間を殺した。
具体的には持っている銃からビームみたいなのが出て、それにあたった大家族を乗せる車が爆発炎上した。
ただし、この天体表面に大量にある石灰質の砂は大量の二酸化炭素を含んでいるため、炎上はあっという間に沈下してしまったのだが。
「面白い。お前たち面白いぞ。話を詳しく聞きたい」
と男は言ったがそれはこっちのセリフである。
「その前にお前、名前はなんだ。レベル8には一人一人に個体名があるそうだが」
「私の名はガブリエル……だが名前などどうでもよいことだ。役に立つのは墓碑銘を刻まれる時だけだろう?」
「それは俺とは意見が違うみたいだな。じゃあお前、親しみを込めてガビと呼んでやるよ」
「おい、そこのお前。このノイトラは何だ。どうしてお前はこいつと行動しているのだ。
お前は私と同じレベル8のはずだ。そのバイクもお前のものか?」
俺のことが鬱陶しくなったのか、ガビは俺の頭を通り越して後ろのエグリゴリに話しかけだした。
「私はエグリゴリ……お前、人間を殺したのは何年ぶりだ?」
「私たちに時間の概念は必要ない。統治機構を守れればそれでいい。
人間は統治機構を生み出したが、それを破壊しようとする輩もいることは知っているだろう」
「まるで昔の私だな。その統治機構がどこにもないから困っているのだろう!」
「何を言っている。統治機構がないだと。お前……登録こそレベル8だが、本当にレベル8なのか?」
「お前こそ何を言っている。統治機構の物理的実体は一体どこに……」
「統治機構の物理的実体だと。S極に決まっているだろう。全く気の毒にな。
お前は恐らく相当な僻地に赴任させられたのか。私とは違うようだな」
「なにっ」
俺とエグリゴリはいっせいに同じことを言った。ガビはそれを気にせず続ける。
「哀れだから教えてやろう。統治機構の物理的実体はS極にあり、愚かな人間どもを近づけないよう我々が守っている。
当然、最上位のレベル9がそのおそばを守っている。私たちは露払いだというわけだ。
そのノイトラは早く牧場に戻せ。まさか情が湧いたのか?」
意味が分かった。事情はわかった。どうやらこの世界の今の状況というのは、次のような話らしい。
まず、S極近くには人間の街があり、レベル8とは戦争をしている。
そしておそらくだが、セキュリティとはノイトラエネルギーの奪い合いをしているようである。
俺達は一度実感しているのだが、レベル8は単体でも極めて強力な武力を持った連中である。
だが真の恐ろしさは別のところにあるのだ。
造換塔と呼ばれるノイトラ産のエネルギーと高性能コンピュータとインターネットの電波塔が合わさったような巨大施設との組み合わせだ。
レベル8は造換塔を使い、殺戮機械であるレベル5などを量産し、生み出すことが出来る。
その生み出すエネルギーはノイトラ産のエネルギーなので、どれだけ量産されたレベル5を倒せてもあまり意味はない。
まずはエネルギー源から絶たないとレベル8以上のセキュリティとの戦いは泥仕合のジリ貧となる。
実際、もしエグリゴリが本気でこれをやっていたら俺たちは今ここにいられるかわからない。
運が良ければ覚醒した俺の力がノイトラ牧場の連中に伝わることでエネルギー源を絶ち、無理心中くらいなら出来ただろうが、そうなるとスフィアを維持できなくなっていた。
さっきの大家族などはまさにそのような状況に居ると思われる。
そして、大家族にはどの程度の情報力があるか知らないが、車で逃げてレベル8のいない新天地でも目指したんだろう。
「その人間たちはどうした?」
と俺が聞くとガビは意外とちゃんと答えてくれた。
「人間の居住区から脱走したものだ。我々セキュリティは統治機構の管轄であるこの"ビアンカ"において、一切の不法居住者を認めない」
「ビアンカ……それがこの星の名前か」
ビアンカというのは多分白いという意味だから、まあ要するにこの白い表面の惑星のことでいいようだ。
もっともこのビアンカ、地殻までもが人工的に作り替えられており、ずいぶん変わった星のようだが。
と思っていると、なんと驚いたことにもう一人登場人物が。
バイクにはもう一人乗っていたということだ。一目でわかる、鬱屈した表情をしているこの人物はノイトラであると。
パートナーであるフォーマルな格好をしたガビと比べて明らかにみすぼらしくて古そうな服を着ている。
もちろんそれなりに厚着をしないと連れまわせないだろうから、暖かそうな恰好ではあるが。
「それはノイトラだな。ガブリエルと言ったか。お前の動力源か?」
とエグリゴリが聞くとガビは首を縦に振った。
俺はそのノイトラをみてもう一つ確信できたことがある。実に酷い扱いを受けていることが。
虐待と言って差し支えない。もちろんレベル8にはそういう趣味はないだろう。
ただ純粋に人間扱いされていないというだけで、奴には酷いことをしているという認識もないはずだ。
「ふははっ。面白くなってきたなぁ。エグリゴリ、武器だ」
「やるのか?」
と言いながらエグリゴリは俺にレベル8用武器の拳銃を渡した。
この武器は昔はロック解除が困難であったが、レベル8本人であるエグリゴリの協力があるので造作もなくロックを解除。
こうしてレベル8でない俺でも使える代物だ。これをエグリゴリから受け取ってガビに銃口を向けると彼は不快そうに顔をしかめた。
「何の真似だ。そんなものはお前に使用できない」
「同胞をこちらへ渡せ。お前には感謝しているんだ。有益な情報をたくさん提供してくれたわけだしな。
出来ればその顔を吹き飛ばしたくはないんだが」
「おい、お前。ノイトラをちゃんと管理……」
始末は一瞬で完了だった。銃の弾丸の一発で、男の上半身は根こそぎ焼失し、制御を失った下半身が地面に倒れ、真っ白な砂の大地に溶け込んで見えなくなった。
「俺の使命はノイトラを解放することだ。名前は?」
茫然自失となって謎のノイトラは白い砂に膝をつき、俺の顔とガビが沈んでいった地面を交互に見つめ、その後、涙が一筋目尻からこぼれた。
「本当に……私の……私に……?」
「君、名前は?」
「ナルシッサと申します……」
「そうか。親しみを込めてシシィと呼んでやろう。念のためバイクにサイドカーをつけたままにしておいてよかったな。
それともバイクは嫌いか。アイツと一緒に乗ってたやつだからな」
「いえ……そんな……ありがとうございます。私はどこへ行くんでしょうか?」
「詳しい話は船に帰ってからだな。エグリゴリ、ご苦労だった。帰るぞ」
「私としたことが……これでは統治機構への反逆罪だな」
「嫌か?」
「……今は不思議と気分がいい」
「そうか。後ろに乗れ。シシィはサイドカーに乗るんだ」
シシィは言われた通り、サイドカーに乗った。もちろん最初は乗り方が分からない様子で少し時間がかかったが。
それからバイクを飛ばすこと十五分。色々会話したい気もしたが、とりあえず船の中に帰り、バイクをガレージに格納した。
サイドカーから降りて、船の中を不思議そうに見渡すシシィ。
「どうかな。シシィの住んでたところに比べたら文明や技術的に古いだろう?」
「いえそんな。こんな素敵なところにノイトラが……同胞が住んでいるんですか?」
「もちろんだ。こちらの話も長くなりそうだ。シシィの話も聞かせてくれ」
俺はさっそくシシィを自分の部屋まで案内し、バスルームへ通した。
「ソープ類やお湯、タオルは好きに使ってくれ。着替えを持ってこよう。
うちの船は清潔第一。まずは風呂に入れ」
「わかりました」
こちらのノイトラもやはり俺の命令の力には素直に従うみたいである。
シシィをバスルームに残して俺は二階リネン室へ向かった。リネン室は文字通りベッドシーツや衣類を保管している場所だ。
別に泥棒がいるわけでもないので厳重な管理はされておらず、ここはエリザベスに任せられていて減ってたら補充要請を船長の俺に出すって感じのゆるい管理体制になっている。
だから着替えの一枚や二枚持ち出しても問題はない。俺はこれをバスルームに持って行ってやり、バスルームの扉の向こうにこう言った。
「シシィ、着替えは置いといたから着替えたら二階食堂へ来い。
一番人が多い場所だからすぐにわかるはずだからな。
途中通ったと思うが、この部屋から廊下をまっすぐ行って突き当りの階段を一段降りた先の廊下の右手にある」
「わかりました。お手数おかけします」
「同胞のためだ。気づかいはしなくていい。とびきりのご馳走を用意させておくからな」
俺はそう言い残し、すぐに廊下を歩いて下の食堂へ。エリザベスに会うやいなや、VIPコースを二人前注文した。
いつになくテキパキ動いている俺を見て、食堂に来ていたリリスたちは食事をとりながら困惑顔で質問してきた。
「パパどうしたの。あれから何か……」
「詳しい話はあとでな。リリスはブリュッヘルを呼んできてくれるか。
皆を食堂に集めたいんでな。あ、まさか博士は観測所にいないよな?」
「いないと思うけど……わかった」
「じゃあ俺は通信を入れる」
今から放送設備のある操縦席へ戻るのも面倒だったので俺の方からノイトラの皆へ通信を入れた。
「こちらトーマ。シシィ、着替えを済ませたら食堂へ来い。ほかのノイトラも全員来るように」
通信を切ったと思ったら二階食堂の近くの居住区から悲鳴が聞こえてきた。
「何だってんだよこんな時に……」
俺は悲鳴の聞こえた方に行ってみると、なんとトントン夫婦の部屋である。
万が一もあると思ってドアを開けると、中で奥さんが悲鳴を上げて子供の方を見ている。
俺のいとこにあたる赤ちゃんはなんと赤ちゃん用のベビーベッドの上で立ち上がり、柵を超えようとしているのである。
「なんだ。びっくりさせやがって」
「なんだとは何だよトーマ。うちの子が初めてたっちしたんだぞ!」
「どうでもいい。あ、でもその子は賢いなぁ。もう俺の命令を聞けるのか。言葉を理解……したんでちゅか!?」
と聞いてみたところいとこは「うあー」などとうめいた。
「……そうでもないのか?」
「いや、間違いなくいま"わかる"と言ったよ!」
「俺には聞こえなかったが。まあいい、全員集合だ」
俺は開けたドアを閉め、食堂へ戻った。やや間があって、リリスと一緒に歴戦のおっさん、ブリュッヘルなども食堂へやってきた。
最後にラボからやってきたベンツと風呂上がりのまだ髪が濡れていて、それをオールバック気味に撫でつけて、特に糸やゴムなどで髪をまとめずに着の身着のままのシシィがほぼ同時に来た。
きっと二人、廊下を歩きながらお互いに誰なんだろうこの人と内心思っていたことだろう。
「全員そろったようだな。約一名を除き。では話を始めようか」
「大方この新顔の話だろうけど、ヘリコ製造や駅の建設を中断するほどのことなのかね?」
「いいや博士。これは大事なことだ。紹介しよう。新顔のノイトラ、シシィだ」
「シシィです。よ、よろしくお願いします……」
シシィが頭を下げるとみんなノリがいいので別に示し合わせたわけでもないのに拍手をしてあげた。
「メシでも食べながら待っていてくれ。シシィの紹介をしなきゃいけないからな」
俺が指を鳴らすとご飯を持ってきてくれるようエリザベスにあらかじめ頼んでおいた。
その古典的なサインを聞きつけた彼女はすぐに二人前のVIPコースを持ってきてくれた。
「遠慮するな。どうぞ召し上がれ。彼女はエリザベス、この船の料理長をしているノイトラだ」
「ど、どうも」
「ど、どうも」
シシィとエリザベスは全く同じことを交互に言い合った。
プレッシャーをかけるようで悪いがエリザベスは厨房へは下がらずにシシィが食べるのを立って待っている。
「エリザベス、そんなとこに立ってないで座ってくれ。では話を進める」
「はい、すみません」
エリザベスが俺の言葉に従って空いてる席についたのを見てから俺は続ける。
「彼女はシシィ。レベル8のセキュリティに同行していた。
質問攻めにしたいほど沢山情報を持っているはずだが、今はほら、見ての通りだ。
お腹も空いてるだろうし知らない所へ来たばかりで打ち解けていないはず。
しばらくの間はこうして俺達の船に慣れてもらおう」
「そうか。シシィ、俺はこの船の船医のトーマス・ドラクスラーだ。こっちも女医だ」
と親父は横の女医を指さした。意地でも俺の妻だとは紹介しない親父。
それに文句ひとつ言わずに女医も自己紹介した。
「私は医者のアルベル。こっちは子供のラインハルト。困ったことがあったら言ってね」
びっくりした。ということは俺の腹違いの弟はラインハルト・ドラクスラーなどという恐るべき名前なのかと俺は初めて知った。
「ど、どうも。よろしく……」
「私はこの船のメンテや技術開発などを担当しているライナー・ディーゼル=ベンツだ。よろしくねシシィ」
「はい。あの……さっきの方が見当たらないんですが」
食堂中をキョロキョロ見回しながら聞いてきたシシィに俺はこう答えた。
「あれはエグリゴリ。最近結婚したばかりの俺の新妻だ。
人づきあいが悪いから、いない時はあまり気にしなくていい」
「ええ……」
「ああ、そうだ。そういう俺はトーマ=アラン・ロラン。今は十六歳で、医者のドラクスラーの息子だ。
それとリリス、説明が面倒くさいからあまりお前の素性は言うなよ」
「そうだね。私はリリス。この船の一般船員です。よろしく」
俺の言葉が気にはなりつつもシシィは素直に会釈した。
「よろしくお願いします」
「俺はこの船の船長。そしてノイトラという種族の……王だ」
「種族の王……ですって?」
シシィが知らないようなので俺は一から説明した。
「ノイトラの遺伝子には人間やセキュリティに逆らわないように細工が仕込まれているらしい。
だが俺は、それが欠落して生まれてきた。完全無欠の欠陥品、最高傑作の不良品というわけだ。
俺が生まれてきた意味は、虐げられている同胞を救い出すことであると思っている。
その過程で、ノイトラに依存した人間が死ぬことになってもそれは仕方のないことかもしれないな」
とはいえ、出来ればそれはしたくない。この地表で太陽光発電や人工光合成をすれば十分人間が暮らしていけるはずだ。
だが緊急性が高ければ、残念ではあるが多少乱暴な方法で犠牲者を出してしまうのもやむを得ないと俺は考えている。
ところで、俺の話をにわかには信じがたいという表情で聞いていたシシィだったが、話には乗ってきて、こう質問してきた。
「仲間を解放するというのは……私の故郷に来てくれるということですか?」
「無論だ。ブリュッヘル、今まで仕事も与えずヒマさせて悪かったな。
アンタの力をようやく発揮できそうな情勢だ」
「つまり……戦争か?」
「そうだ。そうならないのが一番だが、どうやら戦うべき相手が出来たらしい。
さてシシィ、この夫婦は一般船員のアルとルカ夫婦だ。こっちは同じく一般の船員の俺の叔父とその妻子。
そしてこのおっさんは歴戦の兵士というブリュッヘルだ。他にも船員は大勢いたんだが、今はいない」
「ごめんなさい……ご愁傷さまです」
「いや、死んだわけではない。途中の街で下ろしてきたんだ。俺たちはそこへ戻るか否か迷っていた。
だがシシィを発見したことで事情が変わった。要は俺たちはノイトラの頭数が欲しかったんだよ。
だってそうだろ。ノイトラはたくさんいればいるほど王である俺の力になるわけだからな」
「私の故郷のことが気になるんですかトーマさん?」
「俺のことは気軽に陛下とでも呼ぶがいい」
「わかりました、陛下」
「それよりどうした。一口も食べてないじゃないか。エリザベスのご飯はどれも絶品だぞ?」
「なんだか胸がいっぱいで。こんなに優しくしてもらったこと生まれてこの方なかったから」
スプーンを右手に持ちながら涙をこぼすシシィ。リリスがその涙をナプキンで拭いてあげた。




