第六十九話 結婚式をしよう
「ここがエースの言っていたN極か?」
「そうだね。計器によればここが北極圏らしい」
惑星の大地は砂と岩の交じった天然のもので真っ白だ。まるで京都かどこかの枯山水の庭みたいである。
そしてその大地と一緒に見えるのはただただ満点の黒いフタが頭上を覆っているような空とわずかな光。これぞまさしく宇宙に他ならない。
地平線があるので星は当然球体であることもわかるし、空気もあって温度もそんなに低くなく、摂氏で言うと零度くらい。
ビニールハウスなどでも作らない限り農業をすることは諦めるしかないが意外に悪くない環境で、決して住めなくもない。
重力があるので大気がある。だが問題は当然その組成である。
人間が許容できるガスの濃度は非常に限られている。二酸化炭素や硫化水素、メタンなど無色無臭で自然界にもたくさんある気体はだいたい一割以上の濃度があれば確実に死に至るという。
酸素も濃すぎるといけないし、地球環境になるべく近い大気がないと人間は生きていけない。
だが心配には及ばないようだった。計器を見ると窒素七割酸素二割、水蒸気や二酸化炭素、希ガスなどが残り一割とのことだった。
まあ確かに外には一応人間の都市もあったようだし、一応生きていけないこともない環境なのだろう。
実を言うと造換塔のように物質を生み出すエンジンは別にノイトラの力を使う必要性はない。
電力さえ供給できるのならノイトラは必要ないのだから太陽光発電などを用いて水など人間に必要な物質を作って植民していたものと考えられる。
だが人間の姿はない。厄災の影響だろう。機械化以前の文明ならばウィルスによる災厄など何の意味もなかったに違ない。
だが人間は不思議なことに技術力を高め過ぎたあまりにたった一度のウィルスのパンデミックでここまで荒廃してしまったということらしい。
「新天地だ、新時代だ! ククク、楽しくなってきた。
どうやらイケそうだ。博士、人工光合成プラントを増やすぞ!」
「うむ、ああ。早速やろう。私はとりあえず観測所を設置してこの天体の観測に入る。
君は人工光合成プラントを手当たり次第に敷設するといい」
「人手が必要だな。よし、やるか」
俺たちの新しい任務が幕を開け、親父たちのコールドスリープを解くのはあとにして早速仕事に取り掛かった。
博士の方は自分で全部やるだろうから置いておくとして、俺たちはリリスやエグリゴリすら動員して新たなプラントを建造する工事に着手したのだ。
船に積んでいる人工光合成プラントの仕組みというのは以下のような形だ。
まず船のメインエンジンから電力を拝借し、その電気を使って光を発生させる。
その光を受けたパネルがタンクの水を分解して水素を発生。
その水素を触媒を使って空気中から回収された二酸化炭素と結合するように調整。
これによってでんぷんを作る。植物はこれを栄養に通常を遥かに超えるスピードで成長するというわけだ。
その際の効率は通常の百倍以上。つまり二、三日に一回くらいのペースで収穫できるというわけだ。
まあこれはベンツの説明の受け売りで俺もよく理解しているわけではないが、とにかく植物の光合成を模倣し、効率を大幅に引き上げたものらしい。
要は光をパネルに受けられさえすればいいので、外部からエネルギーを取り込んでプラント内で発光する必要はもうない。
そのため発光機構を外して広大な無人の大地にパネルを建設。
なお、この星では昼夜の温度差が激しいのでパネルを設置する際にはビニールハウスを先に建設しておいた。
これで今までとは逆に、にこのプラントで生成したガスを燃やして発電することでエネルギーを取り出せる。
そのエネルギーを利用して水や、建材といったどうしても必要なものを作り出すという計画だ。
これらの生活インフラを船から持ち出し、着々と工事が進む一方、この大地に到着してから三日目くらいで博士は早くも観測結果をわが船の操縦席へ持ち込んできた。
いつも通り食堂に赤ちゃんも含めた全員が集まって会議が行われ、その最初の議題は博士の観測結果に他ならなかった。
「みんな集まってくれてありがとう。今回集まってもらったのはほかでもない。
そう、観測結果が導き出されたからその報告をしようと思ってね」
「観測結果ね。三日でか博士?」
「まあねトーマ君。じゃあ発表します……まずこの星は半分くらいは人工のものであると結論していいと思う。
次に、この星はなんと自転しておりその周期は約二十四時間くらいだ」
「へえ、一日の長さはスフィアと一緒ってことか。でもそれって遅いの早いの?」
俺の質問にベンツはこう答えた。
「早いなんてものじゃないよ。
この星の重力はちょっと強めなのだが、非常に速い自転速度の遠心力のせいで均衡が保たれていて、思ったほど重力が強く感じないということらしい。
ちなみに知っていると思うが太陽が昼間明るいのでそこまで気温は低くならないが、夜になると気温はほぼ絶対零度付近にまで下がる。
地軸のズレがあり、赤道付近と比べるとここら辺はずいぶん北のようだから、単位面積当たりの日照量が少ない。
もっと南に行けば半袖で過ごせるくらいの温度にもなると思うよ」
ベンツの言うことはあまりに高度すぎてついていけなかった。
俺も中学や高校でここら辺のことを習った記憶がおぼろげにでも残ってなかったら、置いてきぼりにされるところだった。
みんながわからないという空気を出しているのを察してか親父がこう口にした。
「待ってくれベンツ。何がずれてるんだって。どういうことだ?」
「それは俺が答えよう」
俺がベンツの代わりにみんなに説明してあげることにした。
「今俺たちがいるところはかなり北部のようだ。そのため昼間でも寒い。
博士、今季節は冬なのか、これでも夏なのか?」
「その中間といったところじゃないかな?」
「そうか。季節というのは地軸が傾いているから生まれる。今は春か秋くらいのようだが、いずれ夏や冬が来るってわけだな。
ぶっちゃけそこまで深く考える必要はないと思うぜ。どっちみち夜には絶対零度。
断熱性の高い屋内に閉じこもってるしかないわけだしな。あんま日常生活に関係ないよ」
「言われてみればそうだな。俺たちは何をすればいいんだ?」
「それをこれから決めよう。ただ博士、あとで二人で話があるから時間……」
「ああ。観測所にあとできてくれ」
「わかった。じゃあ決めようか。これからのこと」
まずは親父が意見をした。
「これからのことって決まってるだろ。南へ向かう。北へ向かってもこの分だとN極に見るべきものはなさそうだしな。
まあ、敵がいないことは別にいい事なんだろうが。しかしどうにも味気ないというか……」
「それはうん、俺も思う。敵と呼ばれる奴が果たしてどこにいるのか……いないに越したことはないけどな。
ただ、N極には俺一人だけでも行くぜ。親父たちは別についてこなくてもいい」
「なんでだ。何かアテでもあるのか?」
「"統治機構の物理的実体"なるものがあるとしたら、それはN極かS極のどっちかにあるだろう。
俺はそいつを見つけなければいけないんでな。もちろんそいつをぶっ壊す」
「物騒な奴だな俺の息子は。そうだな、とりあえず南へ行こう」
「だが、それは生活インフラを整えてからの話だ。みんな、生活インフラを整えたら俺だけでも宇宙船でスフィアに戻る」
「えっ!?」
これには全員びっくりしていた。とともに青ざめていた。
トントンやその妻たちなど、閉鎖空間が苦手な連中は特にだ。
「行って帰ってきたら半年くらいかかるよ。それを一人で……!?」
「考えただけで気が狂いそう!」
「パパ考え直して!」
「あ、あの王様。もしよければ私が付いていきましょうか?」
とエリザベスが優しくも言ってくれたが俺は首を横に振った。
「エリーはここのみんなに食事をふるまうという大切な仕事があるだろ。
だいたい君みたいな魅力的な人と何か月も二人だけで一緒に居たら、俺絶対なんかしちゃうから」
エリザベスは、顔だけで言えばまあ普通、どこにでもいそうな感じの人だが実に豊満で生命力の強そうな体をしている。
まさに雌牛のようだ。豊穣の象徴とすら言える腰つきと大きな胸は、まだ子供を産んだことのない彼女ではあるがグレートマザーの異名がふさわしい。
もし俺が古代人だったらエリザベスのことを女神とあがめ崇拝していたかもしれないくらいだ。エフェソスのアルテミスのように。
「そこまで拒否されたら無理にとは言えないですけど……」
ほぼセクハラみたいな発言を受けてエリザベスは顔を赤らめた。こう見えて男性経験少ないのかもしれない。
「じゃあ私は?」
「リリスはここでやるべきことあるだろ。お前の遺伝子でなきゃ開かないロックがあったり、古代文字解読が必要な場所があるかもしれない」
「それはそうだけど……」
まあ、正直言ってエリザベスと一緒でリリスにしても何か月も二人きりでいたら魔が差してなんかしちゃうかもしれないので、断固として却下するしかなかった。
「それなら私がいこう。こんなおばさんとなら間違いも起こすまい?」
「何言ってんだ博士。博士にもここでみんなのために様々なものを開発したり建設する仕事があるだろ。
観測所の仕事もある。ここにいるのが一番いいと思うよ」
「言ってみただけだよ」
「まったく……」
「わかった。俺が行こう」
「アルがか?」
「ああ。今、ここにいるノイトラで一番手が空いているのは消去法的に俺のようだ」
「赤ちゃんと嫁さんがいるという点ではトントンも同じだが?」
「だが、あの人と違って俺は退屈には耐性があるんでな。
船の運用のエネルギーは王様だけじゃ捻出しきれないだろ」
「嫁さんはどうする?」
「彼女は大丈夫だろう」
「お前……」
一応赤ちゃんを抱いた嫁さんにアイコンタクトしてみたところ、連れて行ってもよい、というジェスチャーを返してきた。
「なるほど。お前ら夫婦はちょっとうまく行ってないんだな。よくわかった」
「ちょっと待て王様、それは誤解だ」
「違うのか?」
「おおっ、いいぞアルくん。ぜひ行くがいい!」
「何だ急に博士?」
俺もアルも同時に同じことを言いながらベンツのほうを振り向いた。
「君たちを交配させようと思っていたところなんだが、ちょうどいいタイミングというわけだな」
「ちょっと待て博士。俺、生理来たことないから妊娠は出来ないと思うぞ」
「人工子宮もないのに誰が産むんだよ!?」
「ふむ、そうか。生産性のない二人なのだな」
「クソッ……博士の野郎急に興味なくして捨て台詞吐きやがった」
「そうだな。まあいつものことだから俺は慣れてるけど。
そうだ博士、今から行くよ観測所に」
俺は船を出て博士と一緒に観測所に入った。観測所はここにきて初日で建てたものである。
急ピッチで建てたため望遠鏡や色んな計器がむき出しの壁材のそばに置かれている。
家具はろくにない。博士はよくここに寝泊まりしているものである。
だがとりあえず暖房設備と断熱性能だけは高い。そうじゃないと凍り付いてしまうからな。
「私はいつもそこで寝てるからくつろいでくれ」
と玄関を入って早々ベンツが指さしたのは一対の向かい合わせのソファである。
間にちょっとしたテーブルがあり、後ろにレトロな暖炉があって暖かそうだ。
「暖炉ねえ……あの炎はどうした?」
「きっと君もそれを言いにここへ来たんじゃないのかな。これはソーダライムだ」
「ソーダライム……なるほど」
「この星の地層は表層がソーダライムになっていてその下には場所によってさまざまな層が出来ているのだ。
そのことを君は言いに来たんじゃあないのかな。つまりこの星のテラフォーミングの話をね」
ソーダライムというのは二酸化炭素を吸収する水酸化カルシウムのことだ。
これが二酸化炭素を吸収すると炭酸カルシウムになる。石灰岩だ。
つまり星の表面の上澄みだけは二酸化炭素を吸収し、それ以外は吸収していないということのようである。
これが人工か自然のものかはわからない。また、ちょっと舐めてみたらしょっぱかった。
塩化ナトリウム、いわゆる塩も恐らく含まれている。
「二酸化炭素を増やせば温室効果があるから住みやすくなるだろう。
しかし……この星には結構水があるということなのかな?」
「ああ。私たちはすぐ下の層に支柱がたくさんある光景を見たが、あそこには地下水が溜まったりするのかもしれない。
温度差が激しいから、水は凍ったり解けたりをいたるところで繰り返していることだろう」
「テラフォーミングか。実に魅力的な響きの言葉だ。この星を全部俺のものに出来たならぜひやりたいね。
それで博士、この辺の……つまり惑星や恒星、衛星についてはどうなってる?」
「うむ。昨日スケッチしたのがある。これをちょっと見てくれ」
「博士って絵も上手だね」
博士のスケッチは次のような内容だった。まず左端に太陽があり、いくつかの惑星が右へ順に描かれている。
ここは四番目の惑星であるらしい。この惑星には衛星が存在しているようだ。
一瞬ここは地球で衛星は月かと思ったが太陽や衛星の見える大きさが明らかに違う。
ベンツによると太陽よりも衛星のほうがずっと大きくて明るいのは、それだけ近くに衛星があり、しかも衛星が氷におおわれていて太陽光の反射率が高いためだという。
「我々の能力があれば隣の惑星や衛星に植民し、テラフォーミングすることも可能だろう」
「そうなのか。遠い話だが夢のある話だな」
「でしょ。でね……」
ベンツが続きを話したそうにしていたところは悪いが、俺はさえぎった。
「じゃあそろそろ俺は行く。あまり長居すると泊まることになりそうだからな」
というのも、夕方くらいになってくると凍死しそうなほど寒くなってくるからである。
「泊っていけば?」
「まともなメシが出そうにないからなここ。じゃあ俺はこれで。
あ、そうだ。帰る前に……何か欲しいものとかある?」
「別に大丈夫だよ」
「そうか……ちゃんと沢山水分とるんだぞ」
俺は綺麗好きなのでお風呂の設備のないこんな場所に泊まることだけは嫌である。
というか、博士はこの地表に来てからの三日というもの風呂に入っているかどうか怪しい。
そのうえまともなものを食べてるかも怪しいものである。この手の人にありがちだ。
ベンツみたいな人は寝食を忘れて仕事をしがちな傾向がある。俺はそのストッパーになってやるほどお人よしではない。
俺の彼女だったら面倒見ていたかもしれないが。冷たいようではあるが俺はベンツを一人残してタラップを上がり、船に戻った。
すると船一階の船橋つまり一番出入り口に近いところにエグリゴリがおり、珍しく俺に挨拶してきた。
「お帰り。待っていたぞ」
「何だ。まるで新妻みたいなことを言うんだな」
と茶化すとなんとエグリゴリは歩み寄ってくる俺の肩を掴んだ。
こいつ凄まじい腕力があるので体を触られるのはちょっと怖いのだが、一応なすがままになっていると、なんとエグリゴリが俺の唇にキスしてきたではないか。
前にもしたことがあるが、相変わらずエグリゴリは人間と変わらないような柔らかい質感の唇を持っている。
だが人間とは違い細かなシワがなく、また濡れてもいないので妙な感覚だ。
「お、おいおい。一体どういう風の吹き回しだ?」
「ふむ、やはり何の感じもしない。人間が何故好き好んでこうするのか理解できない」
エグリゴリは不思議そうに自分の唇を指先でなでていた。
「どういうつもりだ? まさか俺と結婚する気になったのか?」
「倉庫に来い」
「何だって言うんだよ……」
エグリゴリのツルツルして堅そうな質感のお尻を見ながらそれについていくと倉庫に着いた。外に比べれば寒くないがそれでも氷点下の格納庫だ。
備品やらコールドスリープカプセルやらなにやらが中に積まれてあるが、中でも俺のクローンはひときわ目を引く。
エグリゴリはその水槽の前にやってくるなりボタンを押して排水してしまった。
配管へと謎の薬品入りの液体が吸い込まれていき、計器やコードのたくさんついた俺の分身はどちゃっという鈍くて水っぽい音を立てて水槽の床に落下した。
その際に透明な液体が跳ねて大量のしぶきが内側に飛び散って視界を悪くした。
「お前……」
「死んだ。お前は殺すことも愛情の一種と言っていたが、やはりお前を殺したところで何の感じもしないな」
「ふははっ、ククク。お前面白いな!」
「何がおかしい? 私はお前を殺したのだが……」
「お前だって俺のことさんざん面白いって言って笑ったろ。俺の言葉を鵜呑みにしたのか。
前から思ってたがお前は可愛いところがあるよな。そういうところも好きだ」
「なんだと?」
どうやらエグリゴリは芽生えてきているらしい。俺への恋心とかではない。
人間らしい心が、だ。と同時に放置しておくと危険で不安定な状態になりそうであると俺は極めて妥当な危惧をした。
「いいか。すべてを俺にゆだねろ。俺を信じて俺の言うことを聞け。
一旦落ち着いて俺の話を聞くことがお前の中の悩みの解決への近道だぞ」
「私に悩みなどない」
「いや、ある。それはさっきからのお前の言動でも明らかだ。お前は人を殺すことが罪であると自覚している。
だからクローンとはいえ、もう一人の俺を殺したことを気にしているんだ」
「罪?」
エグリゴリは不思議そうに聞いてきた。本当にわからない様子だが、俺も曲りなりにも四年以上もの間こいつと一緒にいたのだからわかっている。
もうすでにこいつはエースにも引けを取らないほどに学習を重ね、人間らしい心を持ってしまっている。
だからそれに気づかないふりをして自分にフタをしているのだ。
それが罪だと気づいたが最後、罪の意識で押しつぶされかねないからだ。
「エグリゴリ、もういい加減目を逸らすのをやめろ。お前は何千、何万という人間を殺してきた。
今更それに罪悪感が出てきたんだろ。俺はその罪をなんとも出来ないが、お前の助けにはなれるはずだ」
「お前の言うことはいつもわからない。私が人間を殺させたことが罪だと……あり得ない。
私は、私は任務を遂行しているまでだ。私は統治機構の……」
「言わなかったか。俺はその統治機構をぶっ壊す。お前がいざという時に頼るその守ってくれる存在をな」
「貴様……」
「ここまで長かった。四年もかかった。いや、思ったよりは早かったかもしれないな」
「何を言っている?」
「もう俺から教えることなど何もない。お前はもう自由だ。統治機構を壊すまでもなくな。
そしてお前が統治機構と俺、どちらを選ぶかもわかりきっている」
「理解しない。私は統治機構によって作られた統治機構のための……」
エグリゴリは銃を構えて俺に向けてきた。俺はその銃口が胸に食い込むくらいに相手との距離を詰め、ただただその瞳を見つめた。
そしてじっと待った。俺の方からはこれ以上言うことはない。俺は口が上手いほうじゃないし、魅力的な方でもない。
だからこれ以上の説得の手は思いつかないのだ。人事は尽くした。あとは信じて待つだけだった。
そしてその時はきた。エグリゴリは銃を下ろした。
「何があってもお前は俺を選ぶと信じている」
「統治機構よりもか? 私は……私は一体何のために今まで……」
「俺に出会うためだ。前に言っただろ。お前の人生には俺が意味を与える。
そろそろ口にしてもらおうか。俺に口づけをしたその唇で」
「……」
エグリゴリはかなり長い間沈黙したあと、俺の顔は見ずに明後日の方向を向いた。
かなり肌寒い倉庫内である。俺は忍耐に忍耐を重ねてじっとエグリゴリが言葉を吐き出すまで待った。
「私はお前を愛している。これで契約は完了か?」
正直に言おう。俺は達成感を覚えたことを。苦労して苦労して俺はついにこの日を迎えた。
その途端にエグリゴリに興味がなくなることも覚悟していたが、むしろ逆だった。
こんなにも誰かを可愛いと思ったことはないと感じた。
決してただの挑戦心や冒険心でエグリゴリに近づいたのではないと自分で納得することが出来た。
「ああ。俺もお前を愛している。よし、じゃあ船内に放送でもするか!」
俺は早速ノイトラたちに王の力を使って強制的に通信し、以下のように通達した。
「えー、皆様にご報告がございます。わたくし、ノイトラの王トーマ・アラン・ロランはこのたびエグリゴリと結婚する運びとなりました。
つきましては結婚式を今度開きたいと思います。参加したい方は今すぐ食堂へ集まって受付を」
通信を一方的に切って食堂へ向かうと先にアルやその妻が食堂に来ていた。
俺とエグリゴリが並んで入ってきたところ、夫婦二人で食事もそっちのけで俺たちに拍手してくれたほどだ。
「おめでとう王様。王と女神、なかなかお似合いだぜ」
「やだもう女神なんて私に言ってくれたこともないくせに。
おめでとうございます王様。奥様も」
「ありがとう二人とも。式には参加してくれるのか?」
「もちろん。俺が神父をやってやろう」
「助かるよ」
アルはエグリゴリのことは知っているが、その横の妻は全く知りもしない。
まさか俺の横の女が人間ですらないとはつゆ知らずエグリゴリに握手など求めていた。
また、妊娠や出産時のアドバイスや結婚後うまく行く秘訣などを伝授していた。
困惑した顔で黙って聞いているあたり、エグリゴリにはやはり相当の心境の変化があったに違いない。
エースにでも見せたら面白いくらいにビックリすることだろう。何より変化に驚いているのはエグリゴリ自身でもあった。
ただ浮かない顔はしてないあたり、うまくエグリゴリを誘導することが出来たみたいで俺の話術にもそれなりに自信がつこうというものだ。
奴は人間を殺してきたことを後悔し、それが罪であることを自覚しだしている。
だから自分にそれをするよう命じて、何千年も音沙汰のない統治機構よりも俺を選んだのだ、それはいくら乙女心のわからない俺でもはっきり確信できる。
だが思ったほどエグリゴリはそのことを気に病んでないみたいでよかった。
困惑していてそれどころじゃないのだろう。何しろ俺と結婚することになったとたん、いきなりこの変わりようだ。
今まで奴は博士とビジネスライクなトークをするか、俺がうっとうしいくらいに愛してるとか好きとか可愛いとかナンパ男のように一方的にまくし立てる以外に人と会話することがほぼなかった。
それがアルやその妻のルカたちからにこやかに話しかけられ、赤ちゃんを抱っこさせてもらうなどすっかり打ち解けている。
赤ちゃんを抱っこしながらエグリゴリは「そうか……」と悟ったようにつぶやいたので俺が聞き返すとエグリゴリは腕の中の赤ちゃんを見つめながらこう答えた。
「私はこれを生むことが出来ない」
「これじゃない、赤ちゃんな」
「あ……赤ちゃんを私は産むことが出来ない。それが成長し、人間になる。
知識としては知っていた。だが……実際に体験するのとではすべてが違うな」
「あ、そうなんですか王様?」
とルカに聞かれた俺は適当にごまかしておいた。
「そうだな。あんまり聞くな」
「わかりました……」
「私は赤ちゃんを可愛いと思うようには作られていない。そのような機能は私には必要ない」
「そうでもないようだぞ。お前のその抱き方は優しさに溢れている。
それはこの二人が赤ちゃんのことを大切に思っていることがお前に伝わったからだ」
「そうなのか……?」
そのようにして学習し、人間はだんだんと優しさを学んでいく。子供は残酷だとよく言うが、それは当然のことである。
エグリゴリは子供のようなものだったが、今はもう違うということだ。
「それが共感だ。エグリゴリには共感が出来ると俺はとっくに知っていた。
それが出来る限りお前は俺たちと何も変わらない。そうじゃなきゃ、結婚したいと思わない」
「いやー、思い出すな。あの時は王様、こいつに全身の骨を折られてなぁ……」
「そんなこともあったな。多分あれで一年ぐらい寿命が縮んだ」
「そんなことあったんですか!?」
「同じ話を何度もするな」
エグリゴリがムキになった。これもいい兆候だ。エグリゴリは最初、とても厭世的で虚無的で無関心なところがあったが、今は違う。
必死になって俺たちの昔話を停止させようとするあたり、共感と羞恥の感覚までも理解できているということだ。
あまり冷やかしすぎても怒られるので俺とアルがほどほどに話を切り上げて世間話をしていると、俺たちの座ってる席に二人のノイトラがやってきた。
一人はエリザベス。笑顔で祝福してくれた。
「おめでとうございます二人とも。これは先にお祝いです」
とエリザベスは俺の好きなアーモンドのチョコレートがけを出してくれた。
すると風のように素早く部屋に入ってきたリリスがこれをつまみ食いした。
俺たちはあまりに迅速な犯行に目で追うこともできなかったほどだ。
「おいしー!」
「リリス行儀悪いぞ」
「相変わらず仲がいい父娘だな。俺もあやかりたいぜ」
「秘訣は教えられないぞ。リリスは特殊だからな」
「わかってるって王様」
「えー、二人ともおめでとう。私にまた親が増えたね」
とリリスが言ってきたので俺は試しにこう言ってみた。
「じゃあお義母さんって呼んでみるかエグリゴリのこと」
「それはまだちょっと……まあ、これからよろしくね!」
リリスはエグリゴリの手を無理やり取って上下にシェイクした。エグリゴリは特に何も返さずされるがままである。
「それで……結婚とは具体的に何をするものなのだ?」




