第六十八話 アークティック・モンキーズ
「統治機構の……物理的実体?」
「サーバールームのようなものか?」
「そうだ。ウィルスの災厄から逃れるため統治機構は恐らく物理的実体を残してすべてをシャットアウトしている。
だが、ネクストが近づけば無視はできないはず。何らかの信号を発するかもしれない。
何の手掛かりもないことだが私にはそう頼むことしかできない」
「見つけたらどうなる?」
「統治機構は復活し、セキュリティは再び統括されるだろう」
「……なあリリス、それって俺らにメリットあるか?」
まあ別にノイトラの仲間やリリスに危害は加えられないのだからセキュリティの復活にデメリットこそないが、別にそこまでメリットはないように思われた。
「め、メリットって。この人がすごく真剣に頼んでるからむげには出来ないでしょ。
だいたいパパ、この人のこと愛してるんじゃないの?」
「それはそうだけど」
「結婚なら……してもいい」
「なにっ!?」
「なにっ!?」
俺とリリスは同時に同じことを言って顔を見合わせた。
「何真似してんだよ」
「パパの口癖が移ったみたい」
あるいはリリスのこれも俺からの遺伝かもしれなかった。何しろ親父も同じ口癖あるぐらいだからな。
「……それでどういう心境の変化だ?」
運転席から聞くとサイドカーのエグリゴリは首を横に振って俺にこう言ってきた。
「私の心境は変わってなどいない。私はお前と結婚することで失うものはない。
お前がそうしたいならそうするがいい。条件はイーブンだ」
「つまり統治機構の実態を探せと。話はわかった。お前の親が統治機構なら、さしずめ俺はお嬢さんをくださいと言いに行くわけだな」
「戯言を……」
「だが俺は行儀が悪い方でね。育ちが悪いもんで。お嬢さんをくださいなんて頼みに行くつもりはない。
言うとすればお嬢さんはもらいました、という事後報告だけだな」
「そうだね。統治機構が実家みたいなものだんもんね。それでパパ、統治機構を探すのはいいんだけど今は一体、その……?」
「着いたぞここだ」
俺がバイクでさっきから会話をしつつも一生懸命に目指していたのはこのジャングルの人工太陽だった。
案の定そこにはノイトラ牧場があり、しかもこの牧場は恐らく意識のない植物状態のノイトラが量産されて水槽に並べられていた。
下のプラントと同じである。俺はこれを見てようやく話を理解してきた。
あまり見ていて気分のいいものじゃなかったのですぐ三人で船に引き返しながら俺は別に誰に話しかけるでもなく、バイクの上でこう言った。
「そういうことか。ノイトラは統治機構側の生き物なわけだ。災厄を起こした連中つまり敵も、おそらくノイトラをこうして利用している。
俺たちはどちらの味方でもない第三勢力だ。いや、むしろ全員敵なんだ。そうだ、ようやく理解できた」
「何をブツブツ言っている?」
「パパどうしたの?」
「ククク、楽しいなぁ。楽しくなってきた。腹のあたりがぐっと熱くなって狂おしく爆発しそうだ。
熱い、太陽のように熱い期待の感覚が俺の腹の中で沸き上がってくる。戦いたい気分だ」
まるで子供のころ遠足に行く前の日のような。心臓よりもむしろ腹の奥底から溶岩のような熱を帯びて湧き上がってくるそれは期待の感覚だ。
俺は何を期待しているのか。それは胸がすくような大戦争にほかならなかった。
「ちょ、何言ってんの?」
「戦うんだよ。統治機構も災厄も全部ぶっ倒して俺たちノイトラが天下を取るんだ。
スフィアの中で俺たちはそれに成功した。それは序章に過ぎなかったんだ。
この世界の対立構造は、統治機構VS災厄じゃない。それに俺たちノイトラが加わり、そしてどちらにも勝利する」
「戦うって……本気?」
「本気も本気、大本気だ。面白くなってきた。統治機構の物理的実体を見つけろだと。
望むところだ。約束しよう……必ず見つけるエグリゴリ。だがそれは結婚のあいさつをお義父さんにしにいくんじゃないぜ。
お嬢さんをくださいじゃあない。お嬢さんはもらった、そう言いに行くだけだ。見つけたら破壊してやる」
「何を言っている?」
不思議そうに、そして同時に怪訝そうに俺の顔を見てくるエグリゴリに俺は笑いかけながら答えた。
「いいか。人間も機械もノイトラも、セキュリティも、生まれた意味などあるはずがないんだ。
意味なんかない。すべて平等に無意味だ。だからこそ自由だ、生まれた意味も生きる目的もすべては最初から白紙。
白紙の切符だ、どこへでも行っていいんだ。お前たちは自由なんだ。俺が自由にするっ!」
「要領を得ない。理解しない」
「お前……たちって私のこと?」
「ほかにだれがいるんだよリリス。人間の管理者、セキュリティ。そしてノイトラの王女。
そんなことはお前たちには関係ない。それとは関係なしに俺はお前たちのことを愛している。
特にエグリゴリ、お前のそれは筋金入りだ。統治機構の一つや二つ、ぶっ壊さなきゃ自由になれないだろ」
「統治機構を本気で壊すつもりなのか……?」
「エースを思い出せ。彼女は自由だ。あの男を愛していたから。そしてあの男から愛されていたからだ!
使命も存在意義も関係ない。お前が不良品と断じたエースこそがレベル8の最高傑作だ!
この世の奴ら全部ぶっ倒して俺が世界の王になる。お前はその横で王妃になるんだ」
「なんちゅープロポーズ。パパ、もっとこう言葉がなかったの他に?」
「リリスはもっとロマンチックなのが好みなのか。それともエグリゴリもそうなのか?」
「お前の言うことはいつも理解の外だ。私にも何故だかわからない。
だが、言語道断なお前の言葉に……理解できないのだが……私はなぜか惹かれている」
正直こんなことをエグリゴリが言うとは思ってもみなかった。もっとカタブツで頑固だと。
俺はエグリゴリのことを疑っているので一応聞いてみた。
「俺はこれから統治機構も災厄とやらも全部ぶっ壊すつもりでいるんだぜ。
その俺に惹かれるだと。断るなら今だ」
「断ってもやるつもりなのだろう」
「もちろんだ。お前が統治機構大好きで依存していて、その存在のすべての前提なのはよぉーく知ってるよ。
そいつをぶっ壊したらお前には何もなくなるからな」
そうそれだ。俺は戦闘狂ではない。戦争などできればしたくないが、俺の腹から溶岩のように湧き出て止まらない期待の感覚は血流にのって心臓の拍動とともに全身に今もめぐり続け、その熱は俺の身を溶かしてしまいそうなほどだ。
この熱の正体はわかっている。それは統治機構をぶっ壊せばついにいよいよ、エグリゴリも俺のものになるという期待の感覚だ。
エースを見て俺は常々"あの男"を羨ましいと思っていた。何百年あるいは千年以上。
エースは"あの男"を愛し、彼を探して行動している。今も俺たちと別行動しているほどだ。
あの愛に生きるエースのようにエグリゴリもなってくれたら。そしてその熱量を俺に向けてくれたらどんなにいいかと思っている。
それが俺のこの熱の正体だった。俺はあまり実感がないしサンプルもないので自信もないが、おそらくこれが恋をしているということなのだろう。
俺は恋をしている。全身から湧き出るエネルギー全部注ぎ込んでいるかのような猛烈な恋を。
もちろんノイトラは統治機構にもそれ以外にも結局利用される運命であり、俺の同胞を解放し、ノイトラこそが世界の中心に立つという未来を作ることは重要だ。
だがその過程でエグリゴリを統治機構から奪い、俺だけのものにすることの方が俺にとっては重要なのだ。
俺はそれを納得しても案外自己嫌悪はなかった。それの何が悪いのか、と思うくらいだ。
俺はそれを娘のリリスの前で平気で口にした。
「俺はどんなことをしてでもお前を統治機構から奪う。
クク、美談だろ。この世は愛のための行動ならどんなことだって正当化されるものだからな」
「いいなぁ。私もそのくらい愛されてみたいなぁ」
俺はそんなことをつぶやいたリリスのことを完全に無視した。面倒くさいからである。
「船に戻るぞ。ノイトラ牧場のことを報告し、さらに上を目指して行こう」
「え、もうなの。一時間も走ってないけど」
「ここがそんなに気に入ったんならリリスだけ置いて行ってやろうか」
「私が間違ってました!」
俺は多分親としてこれはあまり良くない接し方なのかもしれないとは自覚しているが、こういう接し方しかできない。
でもからかうといい反応をしてくれるので、ついついやめられないし、止まらないのだ。
エグリゴリみたいなされるがままで無反応なのも嫌いではないが、リリスは叩けば響く鈴のような子だ。
ついつい構い過ぎてしまうところがある。俺は反省しながらバイクを飛ばし、結局百分も出ないうちに外界から船内へと帰ってきてしまった。
その後、またぞろ始まった通称賢人会議は、すぐにこの場を離れて一刻も早く外を目指すということですぐに結論は一致した。
このジャングルと大自然は結局ノイトラの作っている環境に過ぎないのだからのんびり満喫する気分にもなれはしない。
だいたい俺は自然って嫌いだ。世の中の人に「自然はお好きですか?」とアンケートをとって「憎い……」とか「嫌いだ」と答える人はまずいないだろう。
だが俺は正直自然は嫌いだ。ジャングルなどもってのほかである。こんな危ないところでは娘を遊ばせることも出来はしない。
いずれ太陽の恵みを受けられれば改めて自然豊かな地域をこの土地はたくさん余っている世界に作ってやってもいいとは思っている。
要は上の世界へ行けさえすればいいのだ。俺たちはこの階層からは早速離脱し、上の世界を目指したわけだが、ここからは正直言って代わり映えしない展開が続いた。
行けども行けども、何もない階層が続いている。一階上がるのに約一時間。これを一日中やってもいつまで経っても一番上にたどり着けない。
この世界は球状などではなく無限の階層が続いているのではないかと思うほどだ。そんな変わり映えしない生活が一か月も続くとさすがにキツイ。
俺自身の心も倦み疲れてくる。リリスとのトランプもやりつくしたし、本も読みつくした。
エリザベスの用意してくれるご飯も卵や乳製品は品切れ。肉もない。
それでも美味しいし、魚や貝があるので栄養不足になることはないものの、船内には退屈しきった雰囲気が立ち込めていた。
時間の感覚もだんだんなくなってきて、今何月何日なのかもわからない。
そんなある日だった。俺はいつものように十三号室のリリスを訪ねた。
「あ、パパ。お昼?」
「お昼だか朝だかもわかんないよ。とにかく食堂にでも行くか」
食堂は開いている時間だったので食堂へ行こうとしていた時だった。赤ちゃんが泣いている声が聞こえたので一旦廊下で立ち止まった。
リリスも聞こえたので立ち止まり、耳を澄ませるとやっぱり聞こえる。
十四号室に入ってみると誰もいない。
「うわクサッ! お前漏らしてんだろ。全く大人になれよ大人によ……」
と言いながら俺は部屋に足を踏み入れて赤ちゃんの寝かされてるベッドに歩いていく。
「赤ちゃんなんだからしょうがないでしょ。十四号室は誰の部屋だっけ?」
俺が赤ちゃんを嫌がっているのはわかっているのでリリスも手伝っておしめを変えてくれた。
もっとも、俺はそんな汚いもんを娘に触らせたくはないのだが。
「親父の部屋だな。全く、こいつはリリスにとっちゃ年下の叔父ってわけだな」
「赤ちゃんほったらかしで二人ともどこへ……?」
「どうせ食堂だろ」
行ってみると案の定食堂には親父とそのパートナー、トントンとその妻たちがベロベロに酔っていた。
親父の妻は最初残ると言っていたが一年も時間が経つと考えが変わって結局船に乗ることに。
ただしローレシアには医者と看護師が一人ずついるので、医療も当分は大丈夫だろう。
「うわ、最悪……」
ある者は机の上にボトルを片手に寝ているし床に寝ている人も居る。
するとそこへ歴戦の勇士だとかいう元革命軍の男、ブリュッヘルもやってきて俺たちと同じリアクションを取った。
「最悪だ。全く、小僧。こいつらを運ぶの手伝ってくれるか?」
「わかった。リリスは五号室を見に行ってくれないか。トントンの赤ちゃんも部屋で泣いてるかも」
「うん。じゃあまたあとで」
「よっこらしょ」
と言ってブリュッヘルはあろうことか親父の妻だとかいう女医を肩に担いで、しかも寝ている親父の両足を小脇に挟んで持ち上げたではないか。
化け物じみた身体能力だ。こればっかりはナヨナヨした細いのが多いノイトラには真似できない芸当である。
ベンツも力仕事をさせたくて彼を連れてきたのだろうか。
「そっち持ってくれ」
「ああ」
俺は親父の肩の方を持ち、例の十四号室へ運搬。結局ベッドには夫婦を一緒に寝かせた。
ブリュッヘルは力仕事を終えて肩を回してコキコキと鳴らし、こうつぶやいた。
「これで良し。あとなんか必要なものはあるか?」
「バスルームから洗面器取ってきて。ベッドのそばで吐くかもしれん。
俺はこいつらに水を取ってこよう。あと、食堂担当のエリーにミルクがあるか聞いてみる」
「うむ。ご苦労。しかし船内のモラルとモチベーションの低下がいよいよ深刻だな船長」
「そうだな。こいつらにもそれなりのストレスがあったからこのような蛮行に及んだんだろう。
今の時刻は……午前十一時半だな。よし、夜の十二時になったら食堂で緊急会議でも開くか」
「議題は?」
「この船をどうするかだ」
それから十二時間半の間は忙しかったのでそれほど退屈することなくやり過ごした。
博士と代わって船を操縦したり、リリスと遊んだり、粉ミルクこそないが赤ちゃんに流動食をあげたりである。
十二時前に食堂に入った俺は飯を食いながらメンバーを待っていた。メンバーというのはもちろん赤ちゃん含め全員である。
赤ちゃんと妻を連れた親父は入ってくるなり俺に皮肉を言ってきた。
「こないだは赤ん坊連れは嫌がってたんじゃないのか?」
「船員全員集まれと言ったんだ。例外はない。それとも昨日みたいに置きっぱなしにするか?」
俺が皮肉返しをすると親父は別に何も言い返してこなかった。俺と口論することが目的ではないからな。
やがて最後に操縦席にずっといるベンツが入ってきて受け付けは終了。エリザベスも厨房から出てきて席に着いた。
と思ったら、最後のメンバーが入ってきた。エグリゴリだ。
「ようエグリゴリ。こういう集まりに来るのは珍しいな」
「私も船員の一人だ。心配せずとも私は意見しない。主人、エースと同じものを頼む」
「あっ、わかりました」
エリザベスが硫酸か何かを取りに厨房の奥へ行った。彼女が戻ってきてエグリゴリの前に硫酸入りコップを置いたのを見届けてから俺は話を切り出した。
「この船のモラル低下は深刻だ。特にわが父と叔父ながら二人の行動には大変呆れた。
妻も妻だ。その理由がどこにあるのかは当然、これもはっきりしている。
先が見えないこと。代わり映えしないことだ。このままでは船の中で内乱が起きたり自殺者が出るかもしれない」
「精神の鍛え方が足らんのだ。俺ならあと五年はこのままでも平気だ」
「そりゃブリュッヘルは心身ともに歴戦の勇士だろうが、船の全員がそうではない」
「じゃあどうする?」
俺はその質問に静かな調子でこう答えた。
「議論の余地があると思っている。この船で引き返すか、このまま突っ走り続けるかをな」
「議論の余地があるか? 突っ走るしかないだろう」
「それを親父が言うのか?」
「ありゃ息抜きにちょっと飲み過ぎただけだ。精神的には参ってない」
「だといいが。親父は続行派なんだな。同じだという人はもう帰って大丈夫だ」
なんと残ったのはリリス、エグリゴリ、エリザベス、ベンツと俺の五人だけとなった。
言いたくはないがこの四人に俺は声をかけるほかはない。
「みんな。ここに残っているということは、引き返したいと思ってるってことか?」
「私はパパのそばがいいだけだから。どっちでもいいよ」
「俺もだよ」
とリリスには答え、次にエリザベスに振ってみた。
「エリザベスは帰りたいのか?」
「まあタマゴや乳製品は補充したいですが、私は別にストレスとかは抱えてないですよ?
ここにいるのはここが私の職場だからですが。王様、何か注文されます?」
「いつものを。じゃあ引き返す派は博士だけなのか?」
「まさか。私が引き返す派だなんて一番なさそうでしょこの中で」
「それは確かに」
「でもトーマ君の言う通り、代わり映えしない生活が一か月も続いて気が狂いそうになってくるのもわかるっ!」
「だから日サロに行けって言ってあるのに……」
「誰も使ってないよねアレ。笑える。まあそれより、みんなのストレス発散は大事なことだ。
結局彼ら、何もすることがないから退屈してストレス抱えてるわけだろ?」
「何か考えでもあるの?」
「コールドスリープ」
「まじかよ……出来んのそれ!?」
すごいSFチックなワードが出てきて俺はテンション上がったが、思えばコールドスリープ以上に進んだ技術のある世界だということを思い出した。
「まあ本人たちの許可を取らないとダメだけどね。それに彼らには赤ちゃんもいるから難しいかなぁ」
「じゃあどうする?」
「さあ……私は毎日楽しいから、退屈してる人の気持ちは全然わからないんだよね。
まああともう少しで外の世界へ行けるはずだとは思ってるんだよね……」
少しの間ベンツは深く思考しているのか、どこか一点を見つめてじっと押し黙っていたがやがて結論を俺に伝えてきた。
「船の中で亀裂が出来るのはまずい。こうなったらアレしかあるまい」
「アレ?」
どうせまたよからぬことを考えているに違いないと俺は思った。何しろベンツだからな。
「あ、今疑ったでしょ。全くもう信用ないな。教えてやらない!」
勝手に言い出したベンツはそのまま食堂を出てどこかへ行ってしまった。
止めねばならない、という思いが頭をよぎりはしたもののの、もしかしたら本当に名案があるかもしれないのでここはベンツに任せておいた。
翌日起きた俺は早速部屋を出て、部屋を出てすぐの操縦席にいつも通り座っているベンツにこう聞いた。
「なあ博士。結局昨日のアイデアとはなんだったんだ?」
「ああ、あれか。倉庫を見てくるといい」
「何でもかんでも倉庫かよ……」
結論から言うと倉庫には俺のクローン体の入っている水槽と並び、同じような水槽がいくつか設置されていた。
そしてそれらの一つ一つには親父やその妻、合計四人が入っている。コールドスリープのようだ
倉庫から操縦席に戻ってきた俺はこう聞かずにはいられなかった。
「コールドスリープしてるようだが、あれは騙したのか?」
「だましたなんて失敬な。嘘はついてないよ、私は嘘はついてない。
もちろん赤ちゃんはアルくんたちに預けておいたよ」
「乱暴な解決法だが、まあ仕方がないか。結局これで俺は、もう親父やトントンには頼れなくなったってわけだ」
トントンは頭脳担当で、しかも今いる俺たちの中でも最強の戦闘力を持つ。
そして親父とその妻はこの船唯一の医療従事者である。
この船に急患が出た場合、コールドスリープから起こして意識をはっきりさせるのに半日以上は必要だろうから、急患が出た時が心配だ。
特に今は船に赤ちゃんが何人も乗っていることだしなおさらだ。
「なんだかんだ、ボスたちは頭脳担当だったしまとめ役もしてくれてたからね。
いまだから言うがトーマ君、私はアランと結婚したけど実は初恋の人はボスだったんだよね」
「何を言うんだ博士」
四十をとうに過ぎ、五十路に近づいてきた博士からそんなこと聞かされてインポテンツになったら責任とれんのかと怒りたくなった。
親父だって四十過ぎだ。その二人の馴れ初めだとか惚れた腫れたに俺は全然興味はないのだが、ベンツが話したそうにしているので俺は聞いてやった。
ベンツは続ける。
「もちろん今思えばという話だが。あの人が求めているのは特別なノイトラの子供だと知ってもちろん諦めたよ。
私は君といると感情がぐちゃぐちゃになる。もう自分でも君をどうしたいのか、君にどうされたいのかわからない」
話を整理すると、まず博士は十二歳ごろの俺のことを可愛いと思っていることは何度も聞かされた。
そして昔の話だが、俺の親父が初恋の人であるという。
で、その親父が求める特別な血筋のノイトラとの間に生まれた俺が、十代の後半になってきて親父に似てきていることに複雑な感情を持っているということだろう。
確かに俺は最近シャワー室で鏡など見てみても明らかに見た目が親父に似てきているし、口癖や口調も妙に似ている。
まあ食べ物の好みに関してはそこまで似てないにしてもその他はかなり似てきているのがベンツに取ったら苦しいのだろう。
「自分でも理解できてないようなアンタの気持ちに振り回される俺の身にもなってくれよ博士……」
「リリスのことかね?」
「そうだよ。可愛い子だし大切な存在だが、一言ぐらい事前に言っておいてほしかったな」
「ところで話は変わるが君、近親交配についてはどう思うかね?」
「どうって、病弱な子が生まれやすいんだろう」
「そうだね。私は常々そうならないように遺伝子多様性には目を光らせているわけだし、口を酸っぱくして言ってもいるよね。
我々の倫理観は歴史上常にそれを禁止してきたわけだが、冷静に考えるとこれを禁止することって本当に出来るのかな?」
「何の議論を吹っかけてきてるんだ。倫理学か?」
「そう倫理学だよ。私には倫理がないとよく言われるがそんなことはない。常にそのことを考えているよ」
「どうだか……」
「それでねトーマ君。例えば君とリリスが交配するとするだろう」
「おいそれ以上は怒るぞ」
「生まれる子供は病弱になりがちなわけだが、近親交配を禁止する根拠はこれだ。
さて、それでは、例えば遺伝病を持っていて特定のガンになりやすい人はどうだろう。
例えばガンになりやすい人がいたとして、この人は子供を産むのを思いとどまるべきだろうか。
あるいは禁止するべきなんだろうか。その二つの問題は同じと言えないかい?」
「優生学というやつだな。あながちこれからの旅に関係ないとも限らないね」
「おっ、さすがトーマ君。話が早くて助かるよ」
確かにそれはそうだ。病弱な子供が生まれやすいのを承知で子供を産むことを倫理的に許すべきなのか?
というのが論点であるこの議論においては、近親交配も遺伝病持ちの人も本質的には同じものとして扱える。
「セキュリティは特定の遺伝子を持つ人間だけを選別し、それ以外の者は殺す存在だった。
しかもその名は"統治機構"。具体的にどこからどこまで統治していたのかは知らないが、とんでもなく巨大な組織なのは間違いない」
「それがまかり通っていた古代世界は相当クズみたいな世界だったのは間違いないようだな。
要は特定の遺伝子を持つ人間以外は人間扱いされてなかったってことだろう。
貧富の格差か、人種政策でもあったのか。いずれにしろ胸糞悪い話だ。
そういえば特定の遺伝子をもつ人間のことをエグリゴリはネクストと言っていた」
「ネクスト?」
「次世代の人間とでもいう意味だろうか。上手い言い回しだな。
彼らがネクストならそうでない人間は自動的に旧世代で一くくりに出来るからな」
「なるほど。エグリゴリくんはエース君が離脱した今なくてはならない存在だ。
だが情報まではそこまで引き出せないと思っていた。そうでもないみたいだね」
「聞かれてないから言わないだけでもっと情報を持ってるかもな」
「そうだね。それで近親交配だけど……」
「まだその話するのか!?」
「君はどう思うね。遺伝病持ちの人が子供を作ることを禁止しないなら近親交配も禁止する妥当性がないと思わないかね」
「それは理屈だ。博士はそんなことに興味があるのか?」
「インブリードという概念がある。いい馬といい馬を掛け合わせてもいい馬が出来るとは限らない。
だが、その馬同士が近い血統を持っていれば……」
「何を企んでるか知らないが、人工子宮はローレシアの村に置いてきたんだろ。
遺伝子を保存している冷凍庫もな。この船では何も……」
「忘れたのかね。私はあの村にもう一人いるんだよ」
「なにっ」
「うそうそ、冗談だって」
「……これは一刻も早く移動しなくてはな」
俺は心に誓った。ベンツが妙なことをしでかす前に目的は達成してしまおうと。
とりあえず外に出られさえすればいいのだ。そうすればS極へもN極へも、天体の表面に沿って走って移動できる。
この船は足が速いので、具体的には地球ぐらいの大きさの星だったら数か月もあれば一周できるはずだ。
この天体はもしかしたら地球より大きいかもしれないが、それでも何年かすれば北極にあたるN極からS極まで行けるはずなのだ。
また、N極やS極などとエースも言っていることから何らかの磁場は発生しているはず。
コンパスがあれば迷うこともないはずだ。とにかく外にでさえすればいいのだ。
俺たちは親父たちをコールドスリープさせたこともあって、また一段と船に鞭打ち、上へ上へと上がっていく。
そしてその時は全く唐突にやってきた。穴にアンカーをひっかけていつものように船体を引き上げ、穴の上へ出てみると、これまでのどの階層とも違う階層に出たのだ。
その階層は大きくて黒い堅そうな支柱のようなものがびっしりと林立していてちょっとその間を船では通れそうにない。
その支柱が何を意味するのかはわからないのだが、俺はこのようなものを見たことがある気がしていた。
埼玉県にあるという"首都圏外郭放水路"なる設備で、その威容から地下神殿なる異名で知られ、そこそこ観光客を呼んでいたものである。
俺は操縦室の窓からこれを眺めながらベンツに言った。
「博士、この支柱の群れをどう見る?」
「すごく興奮している。トーマ君、すぐその放送設備で放送してくれたまえ」
「放送?」
「まだ人が住んでいる"都市"にぶち当たった可能性があるっ!
この支柱群は、それだけ上からの重さに耐える必要があるということだろう。
それは今までのスカスカなやつとは比べ物にならない複雑な構造物があるということで間違いない。
それにこの辺りは気温十五度くらいだし、空気もあって人間が生存できる重力、圧力、温度、環境だ」
「ああ。それに照明もついてるしな。まじで人間の住んでるとこに出ちゃったってことか?
もし住んでる連中とコミュニケーションとれなかったり攻撃してきたらどうする?」
「その時はその時さ。さあ放送を!」
「あ、ああ」
俺は手馴れたように放送設備のスイッチを入れた。ここまで来るのに、あのローレシアを出発して六週間ほど。
非常に長く苦しい道のりだった。一時間に千八百メートルなのでそれを六週間ほぼぶっ続け。
気が遠くなるほど長い時間をかけて遠くまで来てしまったものだ。
「なあ博士」
「なんだね?」
「俺は博士のことが好きじゃない。むしろちょっと嫌いだ」
「はっきり言うね……」
「なのにどうしてだろう。結局俺たちはこうして二人三脚だ。
議論も交わすし交代で操縦するし、なんか息の合った相棒みたいじゃないか」
「君は前にも言ったが賢すぎる。私に合わせられるのは君だけだし、君に合わせられるのも私だけだ。
そんな私たちがもう四年も一緒にいるんだよ」
「四年にもなるんだな。博士がいなきゃここまでは来られなかったよ。
本当に感謝してる。俺ってチョロい男だよやっぱり。
あの時はめちゃくちゃに怒ってたのに今はもうこんなに大切に思ってる」
ベンツは椅子に座って操縦しているのである。だからバックハグってやつをしてみたところベンツは微動だにせずにこう言った。
「君は面倒見がいいからねぇ。気が付けば押し付けたリリスもすごくなついているし」
「博士は三歳のリリスより目が離せないからなぁ。すぐ妙なことを企むだろ?」
「でも君のためだよ全部。君のためになることをしてきたつもりだ」
「そうだな。博士の言う通りだ。博士には感謝してる。あ、放送のスイッチいれっぱだった」
一瞬血の気が引いた。俺と博士は顔を見合わせたが博士も顔面蒼白だった。
「は、恥ずかしい! もうなんでそんな……!」
ベンツはみなまで言うことが出来ず、年甲斐もなく耳まで赤くなって顔をそむけた。
俺も恥ずかしくて顔を紅潮させながらも、素知らぬ風を装って放送するほかに選択肢はなかった。
「み、みなさん。ついに人が住んでいる可能性のある所まで来てしまいました。
今通ってきたところは応急処置で塞いでおきます。まずは俺が船外作業をしますので、ブリュッヘルさん。
船外作業用の板材を倉庫から搬出しておいてください……」
俺はいたたまれなくなってので操縦室からドアを開けて廊下に出たのだが、なんとそのドアが開くのに合わせて「グワーッ!」という声が聞こえた。
しかも鈍い感触がした。廊下にはアルとリリスが横たわっていた。
「何だお前ら。さっきから聞いてたのかよ」
「お、おう。王様。その、なんだ。博士は可愛い人だよな。年の割に若くてキレイだし」
「どういう意味だ?」
「べ、べつに取ろうとしてるわけじゃない。安心してくれ!」
「そんなことは言ってないが……」
「そうだ。船外作業は俺がやっとくよ。俺らもヒマなんでな。じゃっ」
アルは早口で言葉を並べ立てて俺を煙にまき、廊下を走っていった。
俺とリリスはそこに二人残されることになった。まだ倒れてるリリスを見下ろす。
そして無言で手を差し伸べてやるとリリスは無言でそれにつかまって体を起こした。
「あとで掃除やっとくよ。背中も髪も汚れてる」
俺はリリスの顔を見つめながら若干白くなった背中や後ろ髪を手で払ってやったのだが、それが終わっても全然何も言ってこない。
口を開かないリリスに対して何を言うべきか迷ったが沈黙のほうが気まずいのでとりあえず俺が口を開いてやることにした。
「リリス、何か言いたいことでもあるのか。別に俺は盗み聞きをしてたことは怒っていないが」
「それならよかった。私、その……」
「何も言わなくていい。おいエグリゴリ、出番だ。船外作業行くぞ」
「わざわざ言わなくても聞こえている」
エグリゴリは例の銃を持って俺の部屋から廊下まで出てきた。
俺たちは船外に出て、床材の穴を板でふさぐかたわら、エグリゴリは天井を銃で撃ち抜いた。
もちろん船や作業中の俺から離れたところで上を向いて銃撃を放ったエグリゴリ。
その上に大量の土砂のようなものが降り注いでいくのを俺は黙って見届けるしかなかった。
「大丈夫かっ!?」
と叫びながら近づこうとはするものの、俺の腕力でどうにか出来るものでないことは火を見るよりも明らかである。
すぐに船に戻ってアームか何かで土砂をどけてやろうかと思っていたら普通に自力で出てきやがった。
「お前無敵か?」
「当然だ。あの穴から上へ行くようだが……」
「ああ行く。ほらエグリゴリ、ご苦労だった。船に帰るぞ」
いよいよだ。いよいよ一時間後には俺たちは今までと全く違う階層に行くことが出来る。
これまでとは全然違う。これまで穴を開けても土砂が落ちてくることはほとんどなかった。
土砂があると言うことは人が住んでいる可能性が高い。そして人がいると言うことは恐らく殺し合いになってしまう。
「望むところだ」
俺は頬の肉皮を吊り上げてニヤニヤ笑いながらつぶやき、二人で操縦席へ戻った。
もうあとは俎上の鯉というやつだ。なるようにしかならない。
操縦席へ戻ってベンツのそばでただじっと船が上へと吊り上げられるのを俺は微動だにせず待機した。
そして約一時間の時が過ぎ、いよいよその時が来た。
何度も同じことを繰り返してきた通り、穴に船の頭を通し、ものすごい数の脚を穴に通しながら全身を滑り込ませた。
その途端に船体へ働く重力は九十度変化し、内臓が浮き上がる感覚に襲われたが、それもまるで気にならないような光景が待ち受けていた。
「これが……世界!」
「太陽だ……!」
俺と博士は同時につぶやいた。初めて見た美しい外の世界の景色に涙がこぼれそうだった。
と同時に、この天体、惑星の全貌がほぼ完全に明らかとなった次第である。
まず外の世界に都市はない。正確に言うと都市の痕跡はあるが、破壊されている。隕石が落ちたのだと思われる。
月にクレーターがあるのはそれを修復するような機能が地球とは違って月にはないからだ。
それと同じくこの惑星はプレート運動や表面に生きる生物の営みなどがないため、隕石の傷は半永久的に治ることがないのであろう。
都市があったらしい痕跡はあるのだが、ひどいありさまだ。どう見ても人は住んでいない。
住まなくなって相当の時間が経っていると思われる。
「ここがエースの言っていたN極か?」
「そうだね。計器によればここが北極圏らしい」
この作品は元は「アークティック・モンキーズ」というタイトルでした。
北極のサルどもという意味です。
だいたい五年ものあいだ構想してきただけあって、過去最長を大幅に更新しました。
地表には出られましたが、まだまだ続きます。




