第六十一話 非日常的日常 その一
「こんな直角で船体全部を吊り上げるような設計はしていない。
あくまで大量の脚で崖を掴むなどして補助があるのが前提なのだ。
だが、ゴミムシを見習って尻に噴射口を取り付けてあってね。
一応無重力に対応できるようにだったけど……」
「おいおいこの船は隅から隅までムシじゃないか。お前ムシ好きだったっけ?」
「まあ、家に出ても素手で触れるくらいには」
「実は俺も嫌いじゃなくてな。ゴキブリを食べたのも一度や二度じゃない」
「まじで?」
俺が親父に青い顔と白い眼を向けたところ、親父はゴキブリに関するうんちくを披露してくれた。
「いいか。奴らは悪食だ。死肉だのゴミだの食べてるから臭くて食えたものじゃない。
だが草だけ食わしてればけっこうウマいんだよ。俺は家で養殖してたことがあるくらいだ。
家に出たやつは捕まえて魚に食わせるのがベストだがな。
魚に食わせてるうちに奴らを食うことはなくなったが……」
「うん、家に出たゴキブリは食べない。それだけは絶対約束するよ」
「ちょっとボス、話がそれちゃったよ。いいかい、宇宙での航行を想定して設計した噴射口がある。
これはトーマ君に言われて急遽作ったものなんだけど……」
「いや、あれ言ったの出発直前だったろ」
「忘れたのかい。私は分体をいくらでも作れるんだよ。
抽選会をやってるうちに裏で空気清浄室に集積した各種プラントやエンジンと連結した噴射口を増設するなんてこと、造作もない」
「いつかぶっ倒れても知らないぞ」
「だがそのおかげでこの旅は振り出しに戻らずに済んだ。まあ初日だから戻ってもいいけどね。
とにかく念のために作っておいた設備は今のところ余さず機能している。
今回は一番の新入りの番だね。この空気清浄室に存在する物資を使って燃料を精製する!」
「出来るの?」
「まあ見ているがいい」
ベンツが何かのスイッチを押すと空気清浄室に所狭しと張り巡らされているダクトやパイプの間から見える半透明の背の高いタンクに異変が起こった。
ここにサラサラした水のような無色の液体が注がれたかと思うと、ある程度の目盛りの高さまで液体が溜まったところで一気に排水。
次のタンクに入るや否や、そこに妙な茶色いような黄色いようなものがどこかから投入され、機械のアームが攪拌。
グチャグチャという音を立てて混ぜ合わされたそれはゲル状の黄色い物質となった。
正直言って気持ち悪いし、絶対体に悪そうだ。でもニトログリセリンは甘い味がするという。
このゲル状燃料も案外悪くない味かもしれない。
「そう……これはエース君たちが乗っていた飛行機の燃料なのだ。コピーして再現した!」
「理解できていないのをコピーするのは美しくないって言ってなかったか?」
「ちっちっち、私をなめてもらっちゃ困るよボス。私はこの機構を把握している。
詳しい話は省くが、ありとあらゆる可燃物を含んだ燃料なのだ。
まあ時間がなかったのでコピーして相似拡大しただけだがいけるはずだ!」
「しかし一瞬で燃料出来ちゃったけど二十四時間もどうするんだ博士?」
「こいつはアンカーとウィンチを射出するのに使う。言ったろう。
我々はエネルギーに満ち溢れているが瞬発力がないのだ」
すると突然、目の前にあったタンクが消えてしまった。
どこかへ落ちていったのだ。そして放送設備からエースの声が響き渡った。
「本艦はこれよりアンカーとウィンチを上空千八百メートルまで射出します」
「千八百メートルだと。なんて高さだ。本当にそんな高いところまで……?」
「そんなに長いワイヤーは用意していない。だから即席で延長する。
船外作業じゃないから大丈夫だけどちょっと時間かかるね。
何しろもともと用意してたワイヤーの長さは百五十メートルだし」
「十倍以上延長して俺ら……落ちたりしないだろうな?」
「そのためにもジェット噴射が必要になる。
船体を浮かせ、ワイヤーの負担を軽くし、万が一ワイヤーが切れても空中に浮ければ大惨事を防ぎやすいだろう。
それに千八百メートルもの高所にワイヤーを届けるには相当の爆薬が必要というわけだ。
さらにエンジンから炎を噴き出すための燃料も要る。
射角の調整、砲身の露出、弾丸装填、排莢、格納、ゴミ回収とやることは山積みなのだ!」
俺たちは言葉もなかった。実質エースとベンツの二人だけでこんな気の遠くなるような仕事を二十四時間でやる気だ。
そもそも二人は出発から、というか出発の以前から全然休んでいない。
親父ですら殊勝なことを言ったほどだ。
「それで、俺たちに手伝えることはあるか?」
「倉庫にワイヤーの延長コードが二本ある。元々は延長コードではなくて破損したときの予備のつもりだったんだけどね。
トーマ君はこいつを私がいいと言うまでエンジンを用いてコピーしてくれないか。
他の者はこれを人力で二階の左舷と右舷に運び込んでくれ」
「了解。トーマ、一人でやろうとするんじゃないぞ。ちゃんと仲間を使うんだ、わかったな?」
「ああ。親父こそ四十過ぎなんだから重いもの運んで腰痛めるなよ?」
「口の減らない奴だ。じゃあアラン、行くか」
「あ、力仕事なら私のほうが……」
ということで親父、エース、トントンの三人は一階倉庫にワイヤーを取りに行った。
これを見送った俺は次に腹心の仲間を招集。食糧担当なので重要なエリザベスは呼ばなかったが、それ以外の仲間に招集をかけた。
ベンツが船の中でも居住区になっていない立ち入り禁止エリアでの作業に移ったところで、俺一人になっていた空気清浄室にはすぐに仲間が押し寄せてきた。
こういう時真っ先に軽口を叩くのはたいていアルなのだが今回はアンリがこう言ってきた。
「まったく、こんな風に集まるのは久しぶりですね。トーマ様はてっきり僕らのことを忘れたのかと」
「本当ですよ。私たちも知ってるんですからね。最近博士と仲いいでしょ?」
「私は隊長がまだ王様に敬語を使ってるのにびっくりですが……」
「力仕事と戦闘なら俺に任せてくれ」
「バカ言わないで。王様が私たちを招集したんだからエネルギー問題でしょ」
などと、アンリが喋りだすやいなや、ほかの全員も喋りたいことを一気に言った。
「コロンビーヌの言う通り、諸君を呼んだのはほかでもない。
今回は大仕事がある。まず俺はこっちの人工光合成プラントの発電を行う。
アルはこっちの空調。それ以外はこっちの物資生産エンジンを担当してくれ」
「わかりました。コピーする品は?」
「すでにデータに入ってるから問題ない。俺が指示する。
みんな位置についたな。俺はベンツからの指示を仰いでみる」
俺はもうすでにすべてのノイトラとの個人的な通信すらも可能にしている。
あと、エースやエグリゴリともだが。その要領でベンツに通信した。
「ベンツ、電力を供給するメンツはそろった。ワイヤー生産の準備は始めている」
「ご苦労。今そっちに分体を送る」
通信が切れたと思ったらベンツの分体が空気清浄室に出てきた。
限度は個人差にもよるがエグリゴリは同時に数百体、ベンツは同時に三体の分体を操作することが出来る。
俺が同時に操作できるのは一体だけだ。新しく出現したベンツの分体は次々と的確に指示を出していく。
「アルくん。モニターの数字を見ろ。一番右の数字をそっちのモニターの数字と合わせるんだ。
空気の循環はトーマ君が担当している人工光合成装置の出力と合わせないといけないからね」
そう、船内から回収した二酸化炭素を多く含む空気が俺の担当の光合成プラントに次々入っていかないと意味がない。
その空調の効率が高すぎてもいけないし低すぎても、光合成プラントが空回りすることになるからだ。
「了解っす、博士」
「トーマ君。設定は私がさっきまで部屋にいた時のままだね。触媒の設定は液体燃料精製のままにしてくれ。
それが一定量溜まったら自動で次の材料と混ぜ合わせてゲル状燃料を作るから、まったく操作はしなくていい」
「わかった。でも博士、二十四時間で作業を終えたら今度は丸一日休むんだぞ?」
「まったく、ワーカホリックな君に休めと言われることになるとはね。
しょうがない。退屈だけど明後日はみんなの休みの日にするよ」
「ああ」
と言っても、完全な休日にしてもベンツがこの船の保守点検、日常の雑事を休めるかと言うとそうでもないだろうが、気休めでもいいから俺は休んでほしかった。
俺たちの仕事の模様はもはや話すべくもないだろう。結論から言うと俺たちは無事に穴を超えることが出来た。
ワイヤーを連結し、ウィンチとアンカーを爆破とともに射出。壁の強度は強靭なため、ジェット噴射のかいもあってこれを乗り越えることが出来た。
その後二十四時間の休みがあったが、その間もエースによって観測は勧められた。
俺が発掘した例の合衆国首都にあったバイクが船に積んであったので、これ乗ってエースはベンツが休んでいる間に観測を進めてくれた。
穴を超えてやってきた次の区画も例によって熱、電波、その他いかなる物も遮断してしまう完璧な防壁に囲まれた広い空間で、何もない。
穴を登ってからおよそ十二時間ほどしてエースが帰還。操縦席付近にいた俺に報告してきた。
「約二パーセントよ、トーマ」
「何の話だエース?」
「二パーセント。さっきの穴の空いてた天井よりも二パーセント、この区間の天井は低い。
真っ平らで何もない土地なのは変わっていないけど」
「とすると……さらに上の壁は、もっと天井が低いんじゃないか?」
「どうしてそう思うの?」
「恐らくこの世界は球状だ。そしてそれを上からスライスしていったような区分けがなされているに違いない。
俺はよく知らないんだけど数学や幾何学、微積分なんかに詳しい人ならわかるんじゃないか」
「そういえばさっきは千八百メートル登った。その二パーセントほど天井が低いから、千七百六十メートル強ってことだから……」
「なんか数学の問題が始まっちゃったぞ」
この世界はまず間違いなく球だ。これだけ大きいものが存在し、地球並みの重力があるなら球体以外の形は保てない。
そしてその球体を横向きにスライスした形で各階層が存在すると考えられる。
各階層の天井の高さが一定でないようだが、これはつまり球状としか考えられない。
しかも上に行ったらわずかに天井が下がったのでもっと上へ行けばいいということだ。
なんとなく知ってはいたが、やはりスフィアは巨大な球の中の最も奥深くであるということだ。
「そういえばエグリゴリちゃんは十二万階層以上あるとか言ってたっけ?」
「あれはスフィアの中だけの話かもしれないなぁ。
千八百メートルかける十二万なんて想像を絶する高さだ。
そんなにデカい天体があったらものすごい重力のはずだ」
「そういうもんなのか。私、計算やプログラミングはできるけどそういう知識のほうはちょっと……」
「エース。エースの観測のおかげで分かったんだが、ここはやっぱり地球じゃない」
「どうしてわかるの?」
「地球などの岩石惑星……というか惑星の大半は中身が非常に熱い核と呼ばれる層になっている。
核は凄まじい磁場を発生させる高温の金属の塊らしいんだが、俺たちは恐らく天体の核付近で暮らしていた。
つまりスフィアだ。これは妙な話だろうエース?」
「つまり……ここは一体どういう天体の一部になっているわけなの?」
「完全人工物の天体……とみて間違いないだろう。あり得ない話じゃない。
この世のあらゆる物質を作るネットワーク。そして無からエネルギーを作り出すノイトラ。
これだけの技術があれば星の一つや二つ、作れてもおかしくはない」
「恐ろしい話ね。しかし一体、なぜわざわざ無人の星にスフィアの人を閉じ込めるようなことをしたのかしら」
まだ閉じ込められたと決まったわけではないが、それは一旦おいて俺はこう言った。
「人間が何かをする原動力なんて情熱か、身の安全か、名誉か、食糧か、この四つだけだ。
そして無人の巨大天体の中枢に人間を閉じ込めることが、名誉や食糧、情熱と関係あるとは思えない。
特に、ノイトラがいれば食糧の心配なんて要らないわけだしな」
「つまり身の安全……?」
「皮肉だが、人間を閉じ込めておくこの牢獄の様な星……暗黒と真空と極寒の地獄は、外敵を入れないのにも一役買っているだろう。
何らかの原因で"災厄"というウィルス感染みたいなのが昔起こったらしいけどスフィアには届いてないし。
あ、あとゴメン、今すごく大事なことを忘れていたことに気付いた」
「何なの怖い……」
「重力が中枢部のスフィアでも地球相当だったんだから外へ向かっていくと重力は増すかも」
「うそ。私、これ以上体重増えたら……」
「まあでももっと上へ行けば逆に重力は弱まるんじゃないか?
それともう一つ。俺はエースの記憶でN極とS極というワードを聞いたがエースは覚えてるか?」
「もちろん。私に記憶はないけど、どうも私はN極に元々いて、そのN極から少し離れたところであの人と出会ったんだよね」
「俺たちは上へ向かってるから、多分それがN極で合ってるはずだ。その男と会えた場所も近いんじゃないか?」
「そうかも。思い出したら教えるね」
「あの場所は結構明るかったよな。明るいってことはノイトラがいるのかも……」
「ノイトラの発電ってこと? 外にどれくらいいるんだろうね……トーマの言うこと聞いてくれるかな?」
「言葉が通じる保証は全くないね。やってみるしかないが」
「なんだか面白そうな話をしてたね」
と言って操縦席の左側のドアから出てきたベンツは次に、部屋から出てくるなりいきなりこう言ってきた。
「私が思うに、例のエレベーターの階層である十二万という数字はあながち無視できないかもしれないよ」
「顔色悪いな。大丈夫か博士?」
「問題ないよ」
「十二万かける千八百メートルは……ええと、計算してくれエース」
「二億一千六百万メートル。つまり二十一万六千キロメートル」
「もしこの世界が球状なら半径だけで二十一万……だと? ありえない」
地球半径は六千キロメートルほどとされていることからその数十倍の大きさである。
いくら単純計算とはいえこれはあまりにも大きすぎる値だ。しかしベンツはこう言った。
「だが見ての通り中身はスカスカだ。壁や床材は全部同じで極めて固く、軽い性質のもので出てきている。
空気すらないときた。君の言う通り大きさに不釣り合いな弱い重力なのも少しは納得いくんじゃないか?」
「しかしここが中心だとすると、N極やS極へ行く、あるいは天体の外に出るまでに膨大な時間がかかりそうだ。
エースの探し人とかいうやつも、統治機構と繋がるすべも何一つヒントのないまま……」
「まあ大丈夫だって。私もエグリゴリも寿命はないようなものなんだから、どれだけ時間がかかってもいいんじゃない?」
「それはそうだが……それでは納得しない。俺は外の世界を見てみたい。
大げさな話、俺はこの星を手にしたい。確かめたいんだ。この星には負の歴史があった。
不自由な牢獄。暗くて寒い真空の牢獄だ。それを作った者の時代は終わったのかどうかを確かめたい」
「確かに、もう敵におびえないで暮らしていければ嬉しいね。じゃあ私は部屋に戻るよ」
ベンツは部屋へ引っ込んだ。ベンツには聞こえないよう十分に時間をおいてから俺はこっそり横のエースにこう言った。
「なあエース。博士の様子が変じゃないか。もしかして体調でも悪いんじゃ?」
「だとしてもトーマに出来ることある? 多分この船で人体に最も詳しいのは、他ならない博士だとおもうけど」
「言われてみればそうだけど……」
「あなた最近あんまり食べてないんじゃない?
エリザベスって人のレストラン見に行ってみれば?
たしか、彼女に頼まれてた例のヤツがもう稼働してると思うけど」
「例のアレか。そうだな。行ってみるか」
例のアレというのは人工光合成プラントのことだ。このプラントは空気清浄室に存在している。
船中の空気を集めて清浄し、循環させている。具体的には二酸化炭素から炭素を抜き出し、酸素を供給しているのだ。
そして抜き出した炭素は水素と結合して炭水化物となるわけだが、これをお酒にしてしまうというわけだ。
さいわい、燃料確保用に回していたプラントは空気清浄用に戻っており、これをちょっとぐらいお酒用に変えたところで怒る者はいないだろう。
俺はエースに言われた通りエリザベスにこう通信してみた。
「こちらトーマ。エリザベス、今から酒を用意する。レストランで待っていればいいのか?」
「わかりましたけど……あ、でも私がそちらへうかがいます」
エリザベスは迷惑そうに通信に出た。迷惑そうだったのですぐに切って俺は操縦席から同じ階層の空気清浄室へ向かった。
もう清浄室の操作は手馴れたものだ。ここは俺の庭といってもいいだろう。この二十四時間で俺はここを熟知し、掌握した。
人工光合成プラントは三種類のオプションがあり、酸素を全てダクトに送り、酸素を供給する空気清浄モード。
次に爆薬と燃料を作るための工業モード、そして最後がエタノールモードだ。
モニター操作で簡単に切り替えられるのでエタノールモードへ。あの独特の匂いのする液体が半透明のタンクに溜まってゆく。
タンクには一応下の方に蛇口がついていて中の液体を出すこともできるようになっている。
これは爆薬を作る工業モードで使用することもあるが、今回はこれを使ってお酒をビンに詰めた。
ちょっと床にこぼしたけどまあ、どうせアルコールなんだからすぐに乾くだろう。
俺が何本かのビンに不純物の混ざっていないアルコールを詰めたところでエリザベスがワゴンを押して入ってきた。
「よく来たな。ビンに酒を詰めたから話はレストランで」
「はい王様」
俺たちはすぐレストランへ向かった。我々の船に時間の概念は希薄だ。いつ朝でいつ夜なのか曖昧である。
だからなのか客層もまだらだ。レストランといえば夜は大人、午前中は観光客、休祝日は子供連れなどと相場が決まっていると思うがわが船のレストランにはその法則はなかった。
カオス理論である。客層が一貫していないという点でのみ一貫していた。
エリザベスの仲間が接客しているほぼ満員のレストランに入ってみると知り合いとも目が合ったが、よく考えたら当たり前である。
ここは狭いからな。まずはセシルとイザベルがご飯を食べていた。
「やあトーマ達。ご飯じゃないんだね?」
「ここのご飯はどうかな?」
「ハンパなく美味いよ」
「お、おいしいです」
「だってさエリザベス」
「当然です。私の信頼する仲間を丸ごと移植したんですから」
エリザベスが強制したわけではないと思うが、彼女は砂漠のレストランで働いていた者たちを残さず船に連れてきていた。
冒険心あふれる者たちである。だが腕は確かなようで育ちの良いセシルとイザベルが満足しているなら味は保証されているだろう。
次に目が入ったのは親父とトントン、さらには見知らぬノイトラ二人だった。
「よう二人とも。調子はどうだ?」
「今、ここのオーナーと酒やメニューの相談を少しね」
「お前そんなことまで口出ししてんのか。なんて奴だ……考えられん!」
「ねえねえ、あの子が噂の王様?」
「そうそう。愛想のないガキだがその能力はまさに王の力。自慢の息子だ」
「きゃーすごーい! じゃあドラクスラーさんと結婚したら王太后ってことかしら!?」
どうやら親父とトントンは合コンでもしてたみたいだ。まあどうでもいいので無視して厨房に入った。
エリザベスはというと俺の持ってきた大量の酒を厨房のさらに奥にあるもう一つの厨房の中心にあるテーブルの上に置き、そのビンの横に新たなビンをいくらか置いた。
「お酒と合いそうなフルーツをジュースにしてみましたが……まだちょっと素朴な感じがしますね」
「そうだな。一つ提案がある。親父はものすごい魚好きだが酒もたしなむだろう。俺の言う通りにしてくれないか」
「はい、それは?」
「それはだな……」
エリザベスは俺に耳打ちされるとさっそく作業に取り掛かった。
まずは無水で純度百パーセントのアルコールをグラスに注ぎ、これにレストランで使っている耐熱料理用フィルムをかぶせた。
温まったら干し魚を入れて水で割り、またフィルムをかぶせて待つこと一分ほど。
その後少し冷ましてからエリザベスはこれをスプーンですくって口に運んだ。
「美味しい……濃厚な旨味と塩気が出てますね。
何杯でもいけます……と言いたいところですが、水で割ってもまだちょっと強いですね」
「とりあえず親父に出してみよう。きっと気に入るはずだ。
雰囲気のいいレストランに魚臭い酒なんて似合わないが、親父なら気に入るはずだ」
「お父さん想いなんですね?」
「それは違う。とにかく出してみよう」
「硫酸一丁入りまーす!」
「三番テーブルのお客様、クギとレンチご注文でーす」
「じゃあ行きましょうか」
俺たちは例のグラスをトレイに載せて厨房を出て合コン中の親父の前に運んだ。
と、ここで俺とエリザベスは顔を見合わせた。
「ちょっと今、スタッフがおかしなこと言ってなかったかエリー?」
「お、気が利くじゃねーか。どれどれ……」
視界のはじっこで親父が酒をぐいっと飲みほしていた。
「これは美味い酒だ。もう一杯!」
「はいただいま。あのお客さんじゃないですか?」
エリザベスが指さしたのは三番テーブルに座るアルとエースだった。
「どういう組み合わせだよ……まあでも、謎は解けたけど」
早速三番テーブルに近寄るとエースは相変わらず奇怪な食事をしていた。
酒代わりにグラスで硫酸を飲み、焼き鳥でも食うみたいにしてグラスを持ってない方の手でレンチを持ってこれを先からかじっていた。
「アルもよくこんなのと一緒に食事出来るな?」
「レディに向かってこんなのとはないだろ王様。一番付き合いが長いのに……」
「精が出るねトーマ。ここの徹底したお客様第一主義には感動を覚えた!」
いくらお客様第一主義とはいってもレストランでレンチを出せと言われて出すか普通。
どうすれば火が通ったことになるのかは知らないがとにかく生のレンチをかじるエースと、普通の料理を食べているアルのコントラストにはめまいがしそうだった。
アルの食べているのは普通のメニューだ。このレストランでは基本肉は提供していない。
そのため野菜、穀物、スイーツ、魚介類が中心となる。
タマゴ料理もないのだが、魚卵ならある。アルはなかなか凝ったメニューを食べていた。
まず右手側にあるのは鮭のイクラの乗った生バゲットの皿。
それだけでなく、見ているとアルが一つくれたので食べてみたところバゲットの上には香味野菜をどうにかして作ったバジルソースがディップしてあった。
非常にうまい。立ち眩みがするほどの旨さだ。ハッキリ言ってこれだけ食べて半年は過ごせる。
次の皿はわかりやすいサーモンと何かの白身魚、それに生ハムやサラミなども入ったのカルパッチョだ。
サーモンの切り身はもちろん白身魚のほうも抜群に美味いし、それらと一緒に食べることで俺は葉物野菜はあまり好きじゃないが好き嫌いせず美味しく食することができた。
この皿もアルはちょっとわけてくれた。いつの間にか店主の前で店の料理の味見をしているような状況だが、気づけば最後の皿にも俺は手をつけていた。
最後の皿はメインディッシュで、アペタイザーやオードブルより格段に手間がかかっているのが素人の俺でもわかった。
平たくて大きなお皿に乗っているのはムースケーキのような見た目の不思議な料理。
まるで黄色い海に浮かぶ白い島の様だ。黄色い海のようなものはレモンソース。
レモンを使うということは、と思い、ケーキのようなものも味見してみるとこれは珍しくお肉が入っていた。
ローストしたビーフを、なんとふんわりしたスポンジ生地で挟み、外側を泡状の目が粗いクリームソースでコーディングしてある。
よくわからないが多分チーズと無糖の生クリームを混ぜ、泡立てたものを吹き付けたのだろう。
ナイフで切るとかなりきつめのハーブの香りがつけられた牛肉をバターをたっぷり含んだスポンジが挟み、これにたっぷりクリームが絡みついている。
スポンジと肉の間にもクリームが入っていて、肉は赤身多めで肉汁はそんなに多くないが、スポンジを噛んだとたん、じゅわっとバターが染み出してきて脂っこいクリームソースと肉にも絡みつく。
くどくて脂っこいはずなのに爽やかな甘酸っぱいレモンソースが絡んでいて、食べても微塵も手が止まらない。
「美味い、なんという美味さだ。肉や乳製品は……」
「これは備蓄がありますから。博士に聞いたところ新規には生産してないそうですよ」
「エリザベスさんの言う通りのようだぜ王様」
「これは悪いことをしたなアル。すまない、美味かったもので」
「別にいいが……あ、すいませんシェフ。この海鮮パスタ追加で」
「かしこまりました」
と言ってエリザベスが俺の横を離れたところで俺は気が付いた。
「ちょっと待て。あまりに料理が美味いので忘れるところだった。お前らなにをしてるんだ?」
「俺とこの人の取り合わせが珍しいと? そりゃ俺も思ってたところだよ王様」
「私が誘ったの。どうしても聞きたいことがあったし」
「ふーん。二人の話ってなんだ?」
「まあまあ、王様も座れって。気に入ったなら新しいのを注文しなよ」
アルは相変わらず俺に全くかしこまる素振りがない。まるで友達の弟ぐらいの距離感で親しく接してくれる。
肩を抱かれて俺はアルの横の席にほぼ無理やり座らされ、結局俺は注文をした。
「すいません。この男と同じものを」
「かしこまりました」
ウェイターのノイトラは下がって厨房に注文を伝達。それを見届けるとすぐに俺はこう言った。
「お前らの間でいったい何の話があるっていうんだ。全く見当もつかない!」
「それがだな王様。この人、人の恋愛事情にやたらと首を突っ込みたがるんだよな。
俺とコロンビーヌがどういう関係なのか聞きたかったらしいよ」
「えっ、二人は付き合ってるんじゃないのか?」
俺は素でそう聞き返した。それに疑いは持っていなかった。
コロンビーヌはアルとはいつもセットだし、二人は仲良しだと思っていて、それを疑問に思ったことすらなかった。
だがアルはこれに首を横に振って大げさに拒否する姿勢を示した。
「まさか。コロちゃんには感謝してるが別にそういう関係じゃない。
王様なら俺の気持ちもわかるはずだ。同じく珍しい男型のノイトラなんだからな」
「アル、お前には何度も胸を触ったり触られたりしたけど、俺の胸もずいぶん平たくなったろう?」
「そうだな。髪を短くすりゃもう女と間違われないくらいには。
そういえば王様は決まったのか。攻めか受けか。俺らノイトラには重要な問題だろ?
もっとも、選択できるということがよかったのか悪かったのか……」
「俺は少なくとも男に抱かれたいとは特に思わないな。アルもそうだろ?」
「それはもちろん。あ、でも王様。案外一回やってみたら違うかもしれないぜ?」
正直言うと別に男に抱かれたいとは思わないのだが、アルに誘われると"じゃあ一回ぐらいなら試してもいいかな"という気もしてしまう。
そのぐらいアルは男らしさに溢れた珍しいタイプのノイトラだ。
眉や目はキリっとしてたくましく、声は艶のある低い声で、背も高い。
なのにどういうわけか時折彼の中に、やはりノイトラだからかもしれないが、ほんの少しだけ女のような感じがすることがある。
使い分けているのか無意識か。もしかすると顎が細かったり唇に艶があったり、あとただ単に服装に露出が多いからかもしれない。
いつも胸をはだけているか、あるいは肩を出しているかどっちかだ。
そしてどちらの服装をしていても背中が開いてることが多い。
「コラ、トーマを誘わないで。この子は今、はぐくんでる最中なんだから」
「何を王様が育んでるって?」
「もう。わからない? そちらの道に引き込まないでって言っているの」
「ふうん。相手は博士か?」
「!」
俺はつい顔に出してしまった。すぐに内心を悟られた。
別に俺がベンツと育んでるのではない、ベンツがこの船の出航前後ぐらいからやけにグイグイ来るからそう見えるだけだ。
「まあ王様とはこの二年ほどいつも一緒だったし、仲も良かった。
さほど驚きはないんだが……すまん、聞かれた」
「ぶわはははは! し、死ぬ! 笑い死ぬ!」
親父は腹を抱えて笑っていて、テーブルにはエリザベスが運んだ例のダシが染み出た美味い酒のグラスが二つあり、一つにはまだ干し魚が残っていた。
その親父の横ではこっちをトントンが振り返りながら笑っている。
「べ、ベンツとトーマがだって。わらっ、わらっちゃいけないんだけど……ああダメだ笑う!」
トントンはこらえ切れずに涙を流しながら親父と一緒に笑い転げだし、二人と一緒にご飯を食べていたノイトラの二人も訳も分からず一緒になって笑い出した。
これはお酒を提供するが故に起きる宿命的な問題だ。酒飲みはよく笑う。
「関係ないわ。年の差なんか。たったの三十歳差で!」
「俺もエースに賛成だな。ああ見えて博士は乙女なんだぜ。
この前博士にセクハラしたら顔を真っ赤にして照れてたし」
「アルが何のセクハラをしたかは聞かないでおくが……」
「年増はやめとけトーマ。俺は孫の顔がみたいんだ。お前ならどんなノイトラでも選び放題だろ。
ていうか、人間の女だってお前を放っておかないと思うけど?」
やっと笑いが収まって呼吸を整えることに難渋しながらも成功した親父が落ち着き払って言ってきた。
なんとこれにトントンも乗っかってきて加勢してきた。
「そうだよ。私がアレと別れた理由を教えてやろうか。勝手にトーマのクローンを作ってたからだぞ?」
「やっぱりそうだったのか。博士が見せてきたよ」
「へえ、それでトーマはアレに何て言ったんだい?」
「博士は俺に恋をしているに違いない。だから、これを見せたがったんだって」
「ぶわはははは! やめてくれ! もうやめて、面白すぎる……!」
今度最後の新キャラにして重要キャラが出てくるので、とりあえずそこまでは読んでもらいたいです。




