第五十九話 ニュー・ノーマル
「博士、まだ時間あるんだったら今のうちに船内の説明をもう少ししてくれるか?」
「わかった。ここは最上階の三階だ。すべての階層に居住区があり、それぞれの階層に食堂と娯楽室がついている。
そして一階にはあらゆる施設を機能させるための倉庫がある。この船は陸と水場に対応しているが、もし必要ならば飛ぶこともできる」
「まじでかよ。すげーよ博士。でもその時にはそのための仕事をしなきゃならないだろ。どうすりゃいいんだ?」
「わが宇宙船が空を飛ぶのは実は君との会話がヒントになった。感謝している」
「それはどういたしまして。お役に立てて光栄だ博士」
「君は水を電気分解して酸素を作ると言っていただろう。しかしこれは実は難しくてね。
水を電気分解すると水素と酸素が発生するが、実はこれはどちらも可燃性のガスだ。
あまり電気分解をすると爆発して元の水に戻ってしまいがちでね。それを分離する工法を研究するのにはかなりの人手と日数がかかった。
でも安心してくれ。ノイトラの発電した電力で電気分解したあと、完全に水素と酸素を分離できる触媒を見つけた」
俺にはそれがどれぐらいすごいことなのかよくわからない。俺は思ったことを素直に口にした。
「……ごめん、全然わからない」
「要するに水から水素を生成し、これを集めて巨大な袋に充填。これで気球のように空を飛べるようになるはずだ。
ちなみに、非常にかさばるのでその袋を作るところから始めないといけないけどね」
「つまり今この船に空を飛ぶ用の装備は積んでないってことか?」
「呑み込みが早くて助かる。その通り。どうしても空を飛ばなきゃいけない場合は造換塔の要領で物質をまず作ってからだ。
時間が非常にかかる。具体的には丸一日以上の作業を要する。飛ばずに済むなら一番だね」
「宇宙空間ではどうする?」
「宇宙空間……って、なに?」
あ、そっか。と俺は思ったと同時に後悔した。博士たちは宇宙という概念がないのだ。
仕方がないので俺は一から話を始めた。
「この世は暗闇で凍り付くほど冷たく重力もない、それがデフォルト。当たり前、基本なんだ。
もちろん俺たちはそれらがないと生きられない。光や熱、その他すべて何もない空間のことを宇宙空間といって、重力がないから浮く必要がない」
「ふむ……言われてみればそうか」
とベンツは光の速さで納得してくれた。なぜ俺がそれを知っているのか、とか、怪しいぞお前、とか余計なことは考えないのがベンツの美点でもある。
「宇宙へ出てしまったら、専用のエンジンで尻からなにものかを噴き出さないとまず前へ進めないぞ」
「そうなったあとでは工事もできないということか。君は、スフィアの外はそれで覆われていると思うか?」
「いや。エースは飛行機でスフィアにきた。飛行機でだ。宇宙船でじゃない。
外にも重力はあるということ。恐らく気温が冷たく、空気もないだろうけど重力はあるはずだ」
「なるほど。ああ、そうだ心配しないでくれトーマ君。わが飛行船は真空に耐えられるよう設計されている。
もちろん極低温下でもだ。その辺の試験はばっちりクリアしてる。しかし……可笑しいね」
「んん? どうした博士?」
「この間はあんなこと言ったけど、君と一緒にいるとつい真面目モードになってしまうよ。
君には"そう"させるものがある。ごめんね、やっぱり君の子を産む件はなしで」
「それは褒めてると受け取っていいものか?」
「もちろんだよ。君のトントンがトーマには浮いた話がないと愚痴ることがたまにあるけどその気持ちわかるよ。
君は賢すぎる。十代の子供たちと一緒にいても面白くないんじゃないかな?
まっさきに宮殿を建てて住み始めたのもそう……まるで彼らを遠ざけてるみたいだ」
「何が言いたい?」
「いや。ただ、王というのは特別扱いで、ある種孤独なものだ。子供には耐えられないんじゃないか、そう思っていた。
でもどうやら君はそうじゃないみたいだね。普通の子供なら居住区は友達の近くがいいと言うところなのに」
「博士、らしくないぞ。いつもみたいに機械いじって笑ってろよ。
そんな心配そうな顔しなくても俺は平気だ。抽選会が下であるんだろ?」
「だろうね。それが私に求められた役割なのはわかる。笑顔でいなければ……ね」
「何か悩み事でもあるのか。俺は同胞たちの王。話だけでも聞いて……」
「らしくないついでに言うと、私はこれでも機械が好きなだけでけっこう乙女なんだ。女に秘密はつきものだろ?」
「トントンと別れたことと関係でもあるのか?」
「さあどうでしょう。じゃあお望み通り抽選会に行くとしようか」
何かを隠していることを匂わせるベンツ。そして、その秘密はほぼ間違いなく倉庫にあると見ていい。
そしてベンツがよっぽどバカじゃなければの話だが、倉庫が一階にあるとわざわざ教えた挙句、今からしばらくの間ここから離れた場所で抽選会をやることを俺が知っているのだから、こう考えてしかるべきだ。
俺はベンツがいない間に必ず倉庫に秘密を暴きにいくと。
重ねて言うがベンツがよっぽどバカじゃなければの話だが。
そのように考えられていることが明白である以上、俺はこう考えた。
何があっても絶対に倉庫を見になんかいくものか。ベンツに見てくれと言われても絶対に見に行かない。
数十分後、人がたくさん宇宙船に乗り込んできたかと思うとすぐに静かになった。居住区の防音はバッチリのようだ。
そして回りくどいルートでないとたどり着けない船首にある操縦席に、俺が通ってきた廊下を通ってエースとベンツがやってきた。
「よう二人とも。旅がどれだけになるかは未定だが、ひとつよろしく頼む」
「今更だね挨拶なんて。アンリ君たちも挨拶したがってたよトーマ。行ってあげないの?」
「普段から会ってるしこれからも船内でアホほど顔合わせるんだし別に必要ないだろ」
「ドライなんだからもう……あ、博士。私の方はいつでも発射準備できてるよ」
「うむ。トーマ君と少し話をしたら合図を出すからね」
「はーい」
と短い会話が終わり、ベンツがエースのほうから俺の方へ向き直った。俺は先手を打ってこう言った。
「倉庫なら見に行ってない。頼まれたって見に行くもんか」
するとベンツは噴き出し、腹を抱えて忍び笑いしだした。
「ふふふ。ごめん。トーマ君も可愛いところあるっていうか、変なところで子供というか……」
「だから安心しろよ。別に何を隠していようと気にはしない」
「ありがとう。私は君のそういうところが大好きだよ」
「俺も博士のことが大好きだだ。出発するときは部屋に入ってろだったな?」
「そう。博士も入っていてください」
「わかった。しばらくはエースさんにすべて任したよ」
「はい博士。よし、出発進行っ!」
俺はエースの合図とともに部屋に入り、ベッドに横になった。そこから数拍おいて爆音が響いた。そしてゾロゾロゾロ、という気色の悪い音が壁から響いてきた。
すぐにベッドから飛び起きてコンコンと部屋のドアをノックしてエースに確認をとる。
「もう部屋から出ていいのかエース?」
「もう大丈夫。ほら、見てみてよ外の景色」
部屋を出て船首から覗く光景は、なんだか予想していた通りというか、エースの記憶をいつぞや見たが、それと同じだった。
真っ黒な壁がライトに照らされ、これは金属か何かで出来ていることがわかる。あまりにも無機質だ。
生物の痕跡はなく、不気味に静まり返っている。
「ふーむ。アクティブソナーに反応なし。赤外線でも熱源は捉えられない。全くの虚無だね」
「つまらないですか博士?」
「いや。このように壁が見えているということは何かを仕切っていたということ。かつて誰かが何かの目的で建てたんだ。
いずれは調査してその意図を解き明かしたいものだね。しかし困ったぞ……」
「確かに困った。あの壁を破壊することが出来ない」
「あ、やっぱり?」
そう、もうすでにこの辺りは真空だし温度も極めて低い。人間が外へ出ることはできない。
かといって操縦席から壁を壊せるエースの銃をぶっ放せばこの宇宙船がぶっ壊れかねない。
早くも引き返すか。そう思った時だった。エースが解決策を出した。
「壁に穴があるはずじゃない? 私が昔に開けたやつ」
「そうか。上の方をライトで照らしてみたらいいのか?」
果たして穴はあった。ただしそれに向かっていけどもいけども、一向に距離が縮まる気配がない。
「なあこの宇宙船脚遅いのか博士?」
「言っただろ。この船は足がたくさんあるから実はかなりの速度が出る。
しかも驚いたことに、空気がないから試験の時の倍近いスピードが出ている」
「レーダーに反応なし。音波が届かないくらい遠くにあるみたいね」
「この空間どんだけデカイんだよ……」
「その他のレーダーも有効範囲は数百メートル程度。とにかく平坦で何もない床が続いていることぐらいしかわからないわね……」
気の滅入るような暗闇の航海。一つだけ救いなのは、どれだけあたりをライトで照らしてもほかに動くものはなく静かで、襲われる恐れはないことだけだ。
「なあトーマ君。聞きたかったんだが、エグリゴリは連れてこなくてよかったのかね?」
「なんだ急に博士。あいつはスフィアの外に出ると任務に背くことになるとかなんとか言ってたからな。
この船を作るプロジェクトが立ち上がっても全く興味を示してこなかったし」
「なるほど。彼女は外から来たんだから何か知ってると思ってたんだが」
「あまりに古すぎてデータが破損してるのかもな。本人はあまり有効な情報を教えてはくれない」
「まあいい。その気になればここに分体を飛ばすこともできるだろう。それよりトーマ君。
一応放送設備はあるんだが君に頼みたいことがある。この船に乗っているノイトラに呼び掛けてほしい」
「壁を登る?」
「そう。王の力を使って注意を呼び掛けてあげてほしい。まあちょっと重力の方向が変わるだけだから平気だと思うけど」
「棚とかベッドが落ちてきたら大変じゃないか!」
「ああ大丈夫。全部固定してあるから。私たちがそんなことを見落とす間抜けだと思うかね?」
「いや……」
俺は王の力を使って船に乗るノイトラたちに注意するよう呼び掛けた後、一応念のためベンツに聞いた。
「セシルたちと親父が乗ってるだろ。人間はほかにいるか?」
「君は心配性だね。その三人なら二階の部屋番号十六番と十七番に入ってるはずだ」
「わかった、ありがとう」
言われた通り廊下を走って階段を降り、また廊下を走って娯楽室を通り過ぎ、十七番の部屋に入ると、親父の部屋にトントンがいて話をしているところだった。
「あ、もしかして注意しに来てくれたのかなトーマ?」
「まあね。トントンが来たなら大丈夫だな」
「おーい。せっかく来たんだからゆっくりしてけよ。親子だろ?」
と親父が言ったが俺は振り向きもせずにこう言った。
「セシルたちのところにも今から行く。じゃあな」
これでもまだ優しいほうの対応だと思う。親父にはこれで十分だ。次に十七号室へ入ると、案の定セシルとイザベルがベッドで一緒に寝ていた。
といっても睡眠しているのではなく始まったばかりの旅でさっそく手持ち無沙汰にしていただけのようだ。
「二人とも、ベッドの上は危ないからバスルームの浴槽に入っていろ。と、責任者の指示があった」
「それをわざわざ。ありがとう。イザベルも……」
「ひ……ひさしぶり……」
「ああ、ひさしぶりだな。じゃあ俺はこれで」
「ゆっくりしていけば?」
「ゆっくりってお前……ここで何したらいいんだよ。お前らもヒマだったんだろ。
それに二人でいるところを邪魔したらイザベルに怒られそうだ」
「そんなこと……あるか?」
と言ったところイザベルがセシルの顔を猫パンチしていた。相変わらずのようである。
しかし二人は十五歳と十二歳。間違いが起こり始める年齢じゃないだろうか。
まあ、俺は別に実のいとことはいえこの二人がどうなろうと知ったことではないが。
「おまえら、医務室は一階だとよ。何かあったら行くんだぞ。じゃあな」
俺は今度こそ部屋を出てさっき来た道を戻り、ようやく自分の部屋へ帰ってきた。そしてみんなに呼び掛けたのと同じように、水の張っていない浴槽に体を横たえた。
ベンツはすでに未来の超高性能浄水技術を手に入れているので、この船の水循環はばっちり。
無駄遣いは良くないが、このように居住区ひとつひとつに浴槽を備え付けてもいいぐらいに水は潤沢にある。
それに水はベンツの言によればいざというときは大量に水素に変えてしまうとのことで、貯水槽はかなり巨大なようだと推測できる。
そういえば気が付いたことがあるので俺はドアを開けてすぐの操縦席にいるベンツにこう話しかけた。
「あ、なあ博士。分離した水素と酸素についてなんだけど……」
「君はあれだね。そんな誰も気に留めないような地味なことまで考えているのか。
君はいったいどこまで賢いというか、真面目というか……」
「俺まだマップを把握してないんだけど空気清浄室はどこにある?」
「空気清浄室は人工光合成プラントが稼働してるから心配要らないよ」
「……?」
人工光合成っていったいなんだ。なんだかすごいテクノロジーを感じる響きだが、俺が理解してないのを見てベンツは、エースがかつて開けた大穴へと船体を走らせながら軽く説明してくれた。
「植物は電気的エネルギーで水分から水素を取り出し、これを空気中から取り出した二酸化炭素と結びつける。
結果、酸素と炭水化物ができる。つまりH2OとCO2から、O2とCHが出来るわけだね。
でも植物が作った炭水化物を使って動物は呼吸し、二酸化炭素を出すんだ」
そうつまり、植物がいくらあっても空気中の二酸化炭素の量は長期的に見ると変わらない。
植物がたくさんいれば、それだけそこに動物も増えるので二酸化炭素はその分たくさん排出されるからだ。
よく俺も日本では地球を守るために森を守ろうみたいなセリフを聞いたことがあったが、森は二酸化炭素を減らすわけではない。
だが人工光合成を使っているのならその限りでもないようだ。
例によって俺はこのテクノロジーがすごいのかどうかよくわかっていない。
「それを機械でやるのが人工光合成?」
「そうだよ。一応スフィアで発電所からたんまり充電してきたからかなり長いこと保つと思うけど、電気で空気を清浄してるからいずれ君の手を借りることになるかもしれない」
「なるほど。住民が呼吸で出した二酸化炭素は全部回収してるってことか」
「二酸化炭素が全くなくなっても問題だから微調整は必要だけどね。
ちなみに気づいてると思うけど人工光合成で空気を清浄していると、自然と炭水化物がたまっていく」
「へえ。博士のことだから有効活用するプランでもあるのか?」
「いやそれが全然。だってデンプンだよ。早い話片栗粉が溜まっていってるわけ……」
「それなら考えがある。そうだ、俺は船に乗る前に娯楽について考えてたんだけど、どうして気づかなかったんだ?
酒だよ酒。その炭水化物はちょっとした加工を行えばアルコールに変換できるはずだ」
「アルコール? いやまあ、できないことはないけど……そうか、そういう使い道もあるのか」
「医務室の消毒用アルコールなり、酒好きのために食堂に置くなりしよう。やっぱり博士、俺たちいいコンビだよな?」
と言うとベンツは見たこともないような表情をした。顔を曇らせるなど無縁の人だと思っていた。
特に、顔を曇らせた直後にそれを隠すような作り笑いなんて器用なことが出来る人だとは思ってなかった。
「そ、そうだね。アルコールなら料理の得意なエリザベス君と相談するといいんじゃないか?」
「どうした博士?」
「エリザベス君には一階と二階の食糧庫への出入りを許可している。
アルコールは食糧庫にも置くとしよう。彼女にアルコールの使い道を相談しておいてくれ」
「わかった。博士、隠し事が下手なのか、それとも俺に倉庫をそんなに見に行って欲しいのか?」
「君は何があっても見ないつもりなんだろう?」
「ああ。だから確認しておくけど食糧庫と倉庫は別なんだな?」
「食糧庫のカギはエリザベス君に持たせている。彼女はわがノイトラ王国中が認める料理界の第一人者だ。
王様が特別扱いするのもうなずけるほどにね。いわゆる食糧担当の船員のリーダーだから」
「なるほど。エリザベスについていけば食糧庫と倉庫を間違えることはないってことだな。
問題はどこに住んでいるかってことなんだが、部屋番号を教えてくれるか?」
「食糧庫のすぐ横にレストランがあるんだ。ここはエースさんとの協議の結果、有料になった」
「そうだよ。贅沢品は有料にした方がありがたみが出るからね」
実質この二人が船長みたいなもんだが、まあこの二人が全部独裁で決めた方が効率的だし、正解な気がする。
「レストラン横の十一号室だよ。でもトーマも隅におけないね」
「なんだって?」
「二人の会話を聞かされてる身にもなってよ。二人のお互いを気遣って想う気持ちが嫌というほど伝わってくる。
なんだかちょっと嫉妬しちゃうわ。私は二人とも好きだから……」
「エースは博士が何を隠してるのか知ってるのか。倉庫になんかを隠してるんだろ?」
「まあね。倉庫に隠してるっていうのも正解。トーマの我慢が出来なくなるのが早いか、博士が我慢ならなくなるのが早いか……」
「エースさん、あのことはくれぐれも……」
「まさか。私は言わないわよ。二人の問題は二人の問題。さ、十一号室に行くんでしょ?」
「行ってきなさい。君は全く休むということを知らないね」
「だってヒマだろ。やることないときは仕事してた方が落ち着くタイプなんだ。
それと博士、この船のあらゆる動力についてだが俺も充電する。力が有り余ってるんで」
「君だけが率先してやらなくていいと思うけど……場所は空気清浄室だ。すぐわかる位置に装置はある」
「わかった。じゃあ行ってくる」




