第五十四話 裸の付き合い
「まあこんなところか。さて博士、疲れてるとこ悪いが、もう一度だけ付き合ってくれないか?」
「え? 私もうクタクタで……」
「悪いがわがノイトラ王国では使える人材は限界まで酷使することになっている」
「わかったよ。で、どこに行くのかね?」
「ノイトラ牧場だ。牧場に住まわされていた彼らを住ませる家はもうエースに作るよう依頼している。
問題は彼らの施設だ。博士、なんか気づくことあっただろ?」
「君、私のことを試しているのか。まったく百年早いよ」
「俺が何を求めているのか博士、言ってみてくれ」
「うむ。初めて来たとき思ったが妙にきれいだった。清潔で掃除が行き届いていた。
ニオイもしなかった。むしろ我々のほうがニオってたぐらいだ。
牧場に何か衛生上の秘密があるようだね。周囲にゴミ捨て場や焼却場、浄水場といったものはなかったハズだが……」
「うん。ゴミや環境問題もわがノイトラ王国の大切な課題だ……」
「私が答えよう」
「ぬわっ」
「たわばっ」
俺と博士は間抜けなほど同様しながら同時に後ろを振り返った。そこにはエグリゴリの分体がいた。
「ビックリするなもう。なんだっけ。この人が神なんだっけ?」
「そう、この世の管理者だ。で、その管理者様が何の用だ?」
「ノイトラの衛生とストレスの問題は重要だ。疾病や寿命の減少につながる。
特殊な薬品を混ぜた温水を浴びさせることで有害物質の発生及び微生物の繁殖を防いでいる」
「で……それを作ったのはお前か?」
「私ではない。私は人間と契約した。監視されていてもかまわないから、人間を殺さず見逃してくれと。
設備はすべて当時の人間が作ったものだ。もっともその技術は封印されたが」
「それはお前の意思か?」
「そうだ。私はレベル8。ただし人間を監視するための特殊な任務を受けているため、人間を殺す使命を負っていない。
人間がどのように活動しようと構わんが、人間が私に危害を加えるリスクは減らさねばならないからな」
「なるほど……ベンツ博士、仕事をしようか。エグリゴリは見ての通り協力する意思があるようだ。
博士はまだ信用する気にもなれないのかもしれないが、やっぱり三人で仕事しないか?」
「私はトーマ君とおなじ考えを持っていると思う。必要か必要じゃないかでしか考えない。
つまり、エグリゴリと一緒に仕事するしかないってことだね」
「よし。エグリゴリ、その前に少しいいか。
お前が俺たちに、そして俺に何を求めているのかはわかっている。
だがその前にこうして移民を募り、その居住環境を整え、そしてお前の言う災厄とやらからイザベルを守る対策をしなきゃならない。
時間が必要だ。そしてお前の協力が」
エグリゴリとの約束は必ず守る。そしてエグリゴリをスフィアに接続させてやることは、その他の問題も解決することと同じはずである。
そのために必要なことが山積みなのだ。
「私を馬鹿にしているのか。当然理解している。来い」
俺とベンツはエグリゴリの後ろをついて進み、ノイトラ牧場内に地下に進むトンネルが設けてある部屋を見つけた。
階段から地下に降りてみるとずいぶん長い通路が見えて俺はげんなりした。
ただでさえ疲れてるのに往復で何時間かかるのかと思うと吐き気がする。
「貴様らの技術力ではコピーすらままならん。面倒だ。造換塔に直接接続するがいい。
データはその中にある」
どうやらゴミ処理・浄水施設を見せてくれるのではなくてこのノイトラ牧場と造換塔をつなぐケーブルのようなものにベンツを接続するということらしい。
その模様はカットでいいだろう。というのも一瞬だったからだ。
一瞬接続したかと思うとベンツの後ろに立っていた俺のほうを振り返り、中年とは思えないスピードで走って上へ登って行った。
「博士は放っておいても大丈夫そうだな。エグリゴリ、二人きりになったな」
「何を言っている?」
「お前に聞きたいことがある。スフィアから外へ出ると汚染とやらが入ってくるんだろう。
イザベルをそれから守る対策があるなら教えてくれ。どうすればいい?」
「私も知らない。エースなら知っている可能性もある……こい」
「ああ」
エグリゴリが来いというので言われるがままその尻についていってみるとさっきベンツを案内したのと同じ場所でエグリゴリが止まった。
「エースがやってきたときの記録が造換塔に残されているはずだ。その時一緒にいた人間が遺伝子の保有者。
当時の記録を見ればどのように対策をしていたか推察できる」
「今から見せてくれるのか」
「見ろ」
見ろと言われると見たくなくなるのが人情というものだが俺の脳内には過去の記憶が勝手に流れ込んできた。
エグリゴリも多分見るのは初めてだろう。あまりにも古いその記録のことは。
いったい何百年前の話なのかはわからないのだが、それは突然訪れた。
擬音にすればズバンとでもいえばいいか。濡れた洗濯物を脱水するため勢いよく振り回したときのような音を何百倍にも増幅した轟音がその日スフィアに鳴り響いた。
遅れて可聴域ギリギリの甲高い音が聞こえた。そして飛行機が空から降ってきて爆発した。
その爆発の映像に少し遅れて爆発音が聞こえ、周囲が爆風で吹き飛ばされる。
乗っているエースはともかく後ろのイブなど木っ端みじんだと思われた。
この映像はスフィアに張り巡らされたネットが記録しているのだと思われる。
つまり監視カメラなどがあったわけではなく、スフィアは自身の体内で起きた変化のすべてを記録している。
これを遡れば過去に起きたことを疑似的に再現し、しかもそれを追体験しつつ様々な視点からも見ることができるわけだ。
言ってみればVRゲームみたいなものだろう。俺の知っているテクノロジーで例えるなら、の話だが。
俺はエースと飛行機のほうによってみる。そしてそこにはエースしかいないことを悟る。
そしてエースの言っていた言葉、人工子宮でイブを生んだという話を思い出す。
そう、エースは妊娠していた。この時エースは人工子宮を体に抱え、事実上一人で飛行機を運転してここに来たということらしい。
しかも驚いたことに飛行機のコックピットの窓が弾丸に撃ち抜かれたように奇妙なほど滑らかな穴を有している。
そしてもしやと思い空を見上げてみると、スフィアを覆う巨大な壁、構造物がおそらく銃のせいだろうか、円形の大穴が開いている。
エースが不時着、というか墜落したのは砂漠だが、その砂漠の砂が受け止めてくれなければもっと多くのものがこの銃のせいで吹き飛んでいるところだ。
エースの持っていた武器はちょっと想像を絶する威力のようだ。核兵器をビームにして撃ち出したみたいなすさまじい威力。
これを使って外の世界から飛んできたみたいだ。エースの飛行機が不時着した爆心地のような場所は数日間放置されていた。
というのも人の住んでいない場所だったため、駆け付ける人がそもそもいなかったからだ。
ここは大陸の中心からほんの少し南に行った乾燥地帯。
そこに住んでいた人は遊牧民風の格好をしており、今と比べて非常に古い時代、千年くらい前のように思われた。
その遊牧民風の人はもしやと思ったがやはりそうだった。彼らは恐らくユダヤ人か、もしくはその伝統を継承する人々だった。
父親なしに生まれた女の子。それは彼らの考え方では最初の女、イブとするしかなかろう。
イブというと西洋風のイメージがあるが元々は遊牧民の名前だからな。まあ、仮に西洋のキリスト教的価値観の人でもイブと名付けた可能性は高いが。
で、どうやらエースが開けた穴による汚染はそこまで深刻ではないようで、穴もエグリゴリの命令によりすぐふさがったようだ。
一瞬穴が開いたくらいならスフィアがたちまち汚染されてしまうようなことはないらしい。
そういえばそうである。というのも、外の世界は全部がそうというわけではないが、空気のない真空であるとエースは言っていた。
このことから、外に空気が逃げることがあっても外からの病原体が風に乗って入ってくることはあり得ないとほぼ断言できるだろう。
と思っていると横からエグリゴリに肩をたたかれた。
「わかったか?」
「よーくわかった。要するに風穴開けちゃっても問題はないんだな?」
「スフィアは二重構造だ。この狭間の世界によりスフィア内の気密性も保たれている」
「じゃあ、外に穴を開けちまっても問題ないってことか」
「そうだ。その時は必ず統治機構に連絡をとれ。必ずだ」
「そんな念押しに言わなくてもわかってるよ。ありがとうエグリゴリ、おかげで外へ行くめどが立った。
お前との約束は必ず守る。なあ、ところでエグリゴリ、俺は今からすごく……自分でも良くないことを言うぞ」
「何故だ。良くないことは検討の後に廃案にし、悔い改めるがいい」
「いやそれがな。俺はエグリゴリ、お前のことが好きだ。
可愛くて仕方がない。そう思うことは許されないことだけど、この気持ちは抑えられない」
エグリゴリはキョトンとして俺の目を見て、それからパチパチとまばたきし、また俺の目を見つめる。その間お互いに無言だった。
「ふはっ」
エグリゴリの表情の均衡が崩れたかと思うとこれが人間でないなどと到底信じられないくらいにエグリゴリは楽しそうに笑い出した。
「はははっ、お前相変わらず面白いぞ。私が……ふふふっ、好きだと?」
「なにか可笑しいか?」
「そんなことを言った者はお前が初めてだぞ。言うまで私の前で生きていたことがなかったからな。
それで、それがどうしたというのだ。私には関係のないことだ」
「それは確かにそうだな。お前の言う通りだ。だけどそれ以上に俺はお前からの愛情が欲しい」
「私にそんなものはない」
「いや、あるはずだ。すぐ手に入るものはいらない。俺はお前のことを愛しているし、お前からも愛されたい。
お前じゃなきゃダメだ。お前だからこそ、そんな風に思った」
「何を言っている? 理解しない」
とエグリゴリは真顔で首をかしげる。だが俺は構わずこう続ける。
「ノイトラの王とこの世の神。なかなかお似合いだと思うけど。
お前は自分に愛情はないと言うが、俺もそう言うと思ってた。
そういう相手にどう俺のことを認めさせるかが肝心じゃないか」
「その方法は?」
「考えてない。ちょっと失礼」
俺は目の前にいる人間を模した殺戮機械の唇に指先で触れて柔らかさを確認した。
それは人間のものと相違なかった。温度が若干低いことを除けばだが。俺はそれにキスしてみた。
案の定別に相手は嫌がらず、こっちを見つめて不思議そうにしている。
「納得した。だが新たな疑問が浮かんだ」
「なにっ」
「私はお前と交配することはできない。本能が勘違いして発情しているようだが……それとも理解していないのか?」
まあ俺はノイトラなのでエグリゴリでさえなければこの世の人間のほとんどと交配できるわけだ。
ある意味ではだからこそ彼女を選んだ意味にもなる。
「そんなことは百も承知だ。エグリゴリ、案外人間の愛について知っているんだな……驚いたよ俺」
「お前が私から愛を受け取りたいと言っていた件については認識した。
私がそうするかは別だが、具体的に愛されるまたは愛するとは何なのだ?」
「言うと思った。まったく難しい質問しやがって。それに答えられるやつがいたらそれこそ神だね」
「混乱している。お前は私に何を求めているのだ?」
「だからお前からの俺への愛だよ。いいか、それはお前なりの愛し方でいい。それがどんな形であれ俺は受け入れる。
極端な話、人間には相手を殺すという愛の形もある」
「人間とは理解しがたい生き物だ」
「それは俺もそう思う。ほんの少しだが、それでも俺は十分な手ごたえを感じている。
俺に興味がなかったり嫌いなら、ここには来ないだろうし、もうとっくに消えている。
しかもこの感じ……お前は分体ではなくて本体なんだろう?」
「それがどうかしたか?」
「お前は以前言ってたな。俺のことは都合がいいから好きだと。
今はそれでいい。俺はお前もエースみたいに誰かを愛せるようになると思ってる」
最後にもう一回キスしてみたがやっぱり嫌がらない。むしろ俺は嫌がってほしいぐらいだったが。
さて、俺のこの一連のらしくない行動はすべて最後の一言に集約されていると言っていい。
俺はエースに同じことをする道もあったかもしれない。エースも同じくらい好きだ。
だがそれはない。エースにはすでに相手がいるではないか。
人間に似せた機械が、なんと人間への愛に生きた生涯だろうか。俺はエースのことを心から尊敬している。
「お前も知っての通り人間は唇を重ねたり、こうやって抱きしめたりする。
別にそうしろとは言わないけどこれが一番ポピュラーな愛情表現じゃないか?」
俺はエグリゴリに軽くハグしてみたのだが、次の瞬間、まるでギャグだがやられる方は全然笑い事じゃないぐらい恐ろしい事態に俺は陥った。
あの細腕のどこにそんな力があるのか。俺は膝から崩れ落ちて動かなくなった。
それから数秒暗い天井を見つめ、俺はエグリゴリにハグをされて体に凄まじいダメージを負ったことを理解した。
骨が折れたかもしれない。激痛。気が付いたら俺はベッドの上にいた。
「トーマ君、トーマ君ってば」
「おーいバカ息子。おーい」
などとベンツと親父の声が聞こえたのでムクっと起き上がってみたのだが、俺は猛烈な空腹感に襲われて話をするどころではなかった。
「うぅーっ、やばいおなか減って死にそう……!」
「あらら。トーマ君体ベッタベタだよ?」
「髪の毛もすごいことになってんなお前……」
ふと顔に手をやるとぬるっと滑った。髪の毛もぬるぬるしていて手櫛を入れると、その指に合わせて髪の毛がピンと立ってしまった。
「俺何時間ぐらいこうしてた?」
「二、三時間くらいだよ。いったい誰にやられたんだろうね。ケガを治癒するため限界まで代謝を早くしたようだ」
「ベンツがシャワー室を作ってくれた。入ってこいよ」
「へぇ、すごいな。上下水道がついにこの世界にも登場か」
「ベンツ的には美しくないからイヤだそうだよ」
と言いつつ、食べ物を手に部屋に入ってきてくれたのはトントンだった。
「美しくない?」
「ああ。仕組みは理解してないけど造換塔にデータがあるからコピーしてペーストした。
機能はしている。でも美しくないだろ。美学に反する。自分で理解してないものだから」
「そうか。俺は別にみんなの役に立てるなら何でもいいけど。あ、そうだ。
風呂に入るんだったなぁ。石鹸とかある?」
「私をバカにしてるのか。ないわけないだろ。さ、シャワー浴びてきなさいよトーマ君」
「トントン、それより飯……」
「まあトーマにはいい休養になったと思うことにしよう。ベンツによれば最後に一緒にいたのはエグリゴリだそうだね?」
「エグリゴリにやられた。抱きつかれたら骨が砕けたみたいだ」
「ツ……ツッコミどころが多すぎるんだが……」
「気にしないでくれ親父。それより腹が減った。トントンごはーん」
というと俺のすぐ近くで女の子の声がした。
「ト、トントンごはん」
「ん? イザベルか?」
「どうもあれ以来懐かれたらしい。ただしトーマはシャワー浴びてからだよ」
「はーい」
いったい何倍速の細胞分裂をすればこんなにも体がベタベタになるのか。垢と脂で俺はすっかり汚れていた。
幸いなのは、分泌されだしてから時間が経っていないのでそんなにニオってはないことか。
俺はベンツが用意してくれたシャワールームに入るやいなや、熱い湯をヘッドから出して、いい匂いのするソープで体を洗いだした。
するとどうだろう。なんとエリザベスが入ってきた。エリザベスは料理が得意なノイトラだ。
わが王国に絶対欲しいと思い連れてきた。その体は前回裸になれと言ったのを途中で撤回したため、一度見損ねていた。
別にそこまで見たかったわけではないのだが、ここへきてなんと自分から見せてきたというわけだ。
まあしょうがない。俺がいくら王様だからといって貸し切りというわけにはいくまい。
エリザベスは腕が太い。脂肪ではなく筋肉でだ。出るところ出ていて豊満な体つきだ。
背が高くて体は前後左右上下のどの方向にも大きいので、俺に言わせれば雌牛のようである。
「たくましい体だなぁ……」
「さっきまで倒れてたらしいですね。大丈夫ですか王様?」
「うん。君の料理にほれ込んで移民してもらった。また食べたいな……そうだ。
一般の移民代表として聞きたいんだけどここの暮らしはどう?」
「まだ始まったばかりですからなんとも。ただ、昼も夜も真っ暗なのは少し憂鬱な気分になりますね……」
「なるほど。要改善点だな。覚えておこう。ありがとう」
「おーっす」
「あ、王様。お風呂ご一緒してもいいですよね?」
「よう、アルにコロンビーヌ」
突然シャワールームに入ってきたコロンビーヌはむっちりとした肉付きが特徴で、顔や胸、肩、二の腕など様々な場所にそばかすがある素朴な感じのノイトラだ。
いわゆる男の象徴は目を凝らしても確認できないほど退化している非常に女型に寄った個体である。
それに比べると横のアルは興味深い。俺は早速その横に寄って行った。そしてアルの胸板に手を当てた。
「ぬわっ、どうした王様。受けに回る気にでもなったのか?
俺でよければいつでも相手になるけど」
「アルは完全に男型だなぁ……俺もそうなりたい。どうすればなれる?」
「どうって……王様は十分男型になってきてるぜ。ほら、胸も」
アルが俺の胸を触った。その瞬間アルはコロンビーヌにビンタされていた。
「何やってるの。無礼でしょ私たちの王様に向かって!」
「待て待て最後まで話を聞け。俺はここへ来るとき飛行機に乗ってて王様の胸は何度か不可抗力で触った。
その時はまあまあ胸もあったはずだ。ところが今はほとんど胸はない」
「ふーむ……俺って順調に男化してるのかな。アルみたいに筋肉鍛えたら男っぽくなってくるかな?」
「お、いいんじゃないか。王様、俺たちはこれから外へ出ようとおもってたんだけど、よかったらついて来るか?
きっと楽しいぞ。王政の繰り出す兵士をなぎ倒しながらしゃにむに突っ込むんだ」
「ちょっと、王様をそんな危険な目にあわせちゃダメでしょ!」
「せっかくだけど俺はここでまだやることがある。王政を粛清する旅に出るというなら俺は止めない」
「悪いね。念のため聞くけどコロンビーヌ、お前本当に俺についてきていいのか?」
「アルがここに居つくっていうなら私もついていく必要はないんだけど……」
「俺はそれには干渉しないぞ。さて、腹も減ったけど少し通信するか」
俺はキュッと水道の栓を閉め、素っ裸で耳に手を当てた。
「誰に通信を?」
「ちょっと野暮用だ。気にしないでくれ」




