第五十話 俺の心臓を君にあげる
エースはこの中で一番体重が重い。そのため全員で乗ると車が重量オーバーになってまともに動かなくなった。
「クソ、全員は無理か!?」
「しょうがない。こうなったら誰を残すか決めなきゃな。俺はこの中で一番体重が重い……俺が降りたほうがいいだろう」
「親父、飛行機に二度と乗りたくないだけだろ」
俺はギクリとして苦笑いする親父に全く慈悲をかけない。
「外の世界や、この世界と通じるトンネルについて知識を持っている親父は絶対必要だ!」
「待て待て、それならほらこのアンリくんとか……天使のやつらがいるだろ?」
「だからといって親父が要らない理由にはならない。親父はついてきてくれ」
「もぉ……」
親父はそれ以上は不満を言わず、黙って車の車体、言ってみればただの板の上にあぐらをかいて腕を組み、これ以上話すことはない、というポーズをとった。
続いて俺はまだ抱き合っているセシルとイザベルに言った。
「セシルたちは当然必要だ。恐らくイザベルも外の世界では必要になるし……何より、もう離れ離れにはさせられないよな」
「トーマは優しいね。僕も行くのは賛成だ。だけど君は……体調が悪そうだ。本当に……」
「それ以上言うな。俺が行かなきゃ意味がないだろ。そしてエースも来るんだ」
「え、私? 私は役に立てないと思うけど……」
「来ないでどうする。エースは外に行かないといけないだろ」
「そりゃ行きたいけど。私はあの人に会いたい。会いに行きたい。会いに行かなきゃならない!
何百年、何千年かかっても必ず。でもトーマ、誰がどう見たってあなたの体調が……」
「なぁ、トーマ。聞きたいんだけど君たち三人は何で来たんだ?
まさかとは思うが、その不格好な乗り物で合衆国からここまではるばると?」
「まさか。飛行機で来た」
「だよね。だって空に飛行機が見えたから、僕らは君たちを探していたんだからね。
飛行機には三人乗れたんだろう。じゃあ、次は僕が操縦する」
さっき俺は修羅場をくぐった云々、などと言われたが、セシルもたった数日会わないだけで別人のようになっていた。
ヤバイ。俺は自分が主人公だと思っていたが、その株を奪われそう打と思うくらいに奴は逞しくなっていた。
筋肉の話ではない。なんというか、とにかくそばにいると、途方もない安心感があるのだ。
昔、野球選手と子供の時に握手したり触れ合わせてもらったことがあるが、その時の感覚に似ていた。
「いいのか?」
「いいも何も、それしかないだろ。操縦自体は簡単だ。僕も頭に入れてある」
「そうか。飛行機はそれ以上誰も載せるスペースがなかった。だから、丸い球状の部屋をケーブルで吊り下げているんだ。
速度は上げられない。それですごく時間がかかってしまった……」
「なるほど。じゃあトーマ、二度に分けてメンバーを運ぼう。
この期に及んで、誰かを置き去りにしないでくれよ。あの時ああは言ったけど、やっぱり会えないと寂しかった」
「ああ。わかった」
俺は何故だか涙が出そうだった。万感の思いだった。話したいことが、聞きたいことが山ほどあった。
とても寝てなんかいられない。俺たちはセシルの提案通り、結局全員で車を使い、飛行機へ向かった。
そしてセシルとイザベルを再度飛行機に乗せ、残った全員で球状の部屋に押し込まれた。
狭い球状の部屋の中にはパーソナルスペースもなにもあったものではない。
俺の右手がコロンビーヌの胸を包み込むような形になっている反面、アルの手も俺の胸にぐにゅっとめりこんでいるし、親父に至っては背中が俺の尻に敷かれている。
「おーい親父。そんな態勢で何時間もいる気か?」
「寝てたらマシになるはずだ……」
三半規管のデリケートな親父はそっとしておいてあげるとして、そのほかのメンバーも複雑怪奇な態勢のまま詰め込まれている。
エースは小さく丸まって座っているが、アンリの体が邪魔でほとんど見えない。というか、俺の視界はアンリの尻が九割ぐらい占領している。
まるで放置した電気コードのごとく人間同士で絡まりあった室内はゲロ臭いし暑いし窓もないから息苦しいしひどい目にあった。
あるとき俺はアンリのレオタードで覆われた白いお尻を凝視しながらその向こうに座っているはずのエースに話しかけた。
「なあエース。結局あの後どうなってこうなったんだ?」
「最初は王政の軍が来たの。ここにいるノイトラたちはそれを蹴散らした。相手にならなかったわ」
「すげーだろ?」
アルが話しかけてきたが、どこから声が聞こえたのかもわからないまま俺は適当に相槌を打った。
「ああ。よくやったな」
「でもそこからが大変だった。ノイトラの兵士が来て、しかも彼らは何かこう……機械のような兵士を連れてたの。
セシル君によれば、そいつらはレベル3から4だったって……」
「俺たちはレベル5に遭遇した。レベル5は人間を襲うが、ノイトラは襲わなかったんだよ。
しかし……お前たちに対して投入してきたってことは、レベルの低いやつらはノイトラも襲うやつだったのか?」
「そうだ。あの時の俺たちの雄姿、王様にも見せてやりたかったな」
「それは残念。アルの炎は一度だけ見たけどすごい威力だったな」
「狭間の世界でも役に立てると思う。コロンビーヌもな」
「私に出来る事なら何でもします。ていうかさっきから私のお尻を揉んでるのは誰ですか!?」
「胸は俺だけど尻は違うぞ!?」
と俺が犯行を自白したところ、すぐに次の自白者が現れた。
「あ、ごめん私」
「エースさん!」
「何やってんだ……」
「ふふ、でも楽しいですね。こんなバカできるのも今のうちですから。
今から半日後には、トーマ様はこの世の王になられますから」
「そうだぞ、なるぞ世界の王に。そしてコロンビーヌは百人いる妻の一人にしてやってもいいぞ」
「それは光栄ですね。私は百番目で結構ですが。それじゃ今度は王様の話を聞かせてくださいよ」
「俺の? 飛行機に乗って合衆国へ行って、どうしてたかって話か?」
「はい。向こうでもセキュリティってやつに会ったらしいですね」
「ああ。ノイトラを襲わない代わりにすごい火力を持った奴らだった。
向こうではマリーとミリーとも仲良くなった。こっちに連れてこられなかったのは残念だけど……」
「ほかには?」
「エンジンを手にした。あのエンジンを使えばいろんなものを生み出すことが出来るとわかったんだ。
それで、めちゃくちゃになった街の復興支援をしてた……すごく疲れたけどやりがいはあったし、案外楽しかったよ」
「うぐふっ、あ、あのトーマ様。息がくすぐったいです」
「ああ、ごめんアンリ」
「あっ……」
今度はアンリの尻に問題が発生したようだ。全く、球形なので理路整然と並ぶことが出来ない。
俺は仕方ないので全員で川の字になって寝ることを提案した。川と言うより州の字だろうか。
俺たちはミイラ化待ちの死体か、あるいは出荷待ちの冷凍マグロといったありさまである。
親父は俺の後ろ、一番端っこに寝ており、親父は背が高いので同じ体勢でも俺の頭の上にあごを置いている。
その俺の前にはさっきと同じようにアンリがいるが、今見えているのはそのうなじだ。
「しかし怖いですね。こんな景色をずっと見ることになるとは……」
「アンリ、見るんじゃあない。心を無にして目を閉じるんだ」
「そうしたほうがよさそうですね……」
「合衆国での話聞きそびれちゃいましたけど、やっぱりトーマ様は休んだ方がいいですね」
「悪いけどそうする。この先休める保証はどこにもないからな……」
俺はコロンビーヌの言うことにも一理あるので目を閉じた。そしてその瞬間には、たぶんもう眠っていた。
次に目が覚めた時には、俺は何か、暗い通路の中を滑るようにして移動していた。
そして、状態を起こした時には、目の前に笑顔のベンツ博士の姿があった。
「どうしてここに……ベンツ、いったい、これは……」
「ようやくお目覚めか。エースと言う人もなかなかの眠り姫だが、君も相当だねトーマ君」
「博士、俺は一体……」
俺は話を聞いて驚いた。あれから数時間のフライトののち、セシルは合衆国首都フィラデルフィアに降り立った。
ここでベンツと、それからトントンを拾って再度出発するよう親父に命じられたのだという。
確かに、二人はいてくれれば助かる。ベンツとロストテクノロジー・エンジンがあれば大抵のものは作れる。
そして、すべてのノイトラの中で恐らく銃を持てば最強なのはトントンだ。
何より二人とも一度、狭間の世界へ行ったことがあるのだから頼もしい。
「親父は!?」
と叫んできょろきょろすると後ろから本人が声をかけてきた。
「あのな、俺はここだ。どんだけ俺の事信用してないんだよ傷つくぞ……」
「……ここはどこだ?」
「トンネルだ。ベンツが作った車で走ってる」
「なんだって……」
よくよく周りを見渡すと、エースやイザベルなども一緒にいる。大空間で広々とした車内はガラスかアクリルのような透明の素材で床以外は覆われている。
で、景色が流れる方向とは逆のほうを見ると後ろ姿ではあるが、トントンとベンツが並んで座っているのが見えるので、あちらが運転席と分かる。
景色と言っても暗いトンネルのような場所に時折見えるライトの明かりのようなものが消えていくというただそれだけの味気ない光景だ。
「トーマ君、君はフライト中眠っていただけじゃなく、その後我々を乗せて発進してまた飛行機が着陸してもまだ眠ってたんだ」
「ふふ、永遠に起きないかと思ったよ」
「冗談がきついってトントン。ということは八時間ぐらい眠ってた?」
「ああ。全く幸運だよ。あの球体でも君だけは安らかに眠ってたんだからね」
「博士も体験したのか。ああ、そうだコロンビーヌ。言いそびれてたな」
「あ、合衆国での話ですか?」
「うん……博士とは合衆国で仲良くなった。なんか不思議と波長が合うっていうかさ……」
「それは嬉しいね。私の方も、君とタッグを組んでいられるのはいつまでかわからないが……今は楽しいよ」
「博士まで同じことを……」
「君は世界の王になる。王の器だ。休ませることが出来てよかった。
しかし、二十年ぐらい前のことになるからよく覚えてないんだけど……こっちで合ってるんだっけ?」
「ああ。でなきゃ、後ろの元天使たちが指摘するだろう」
「そうだね。あと何時間こうしてたらいいんだ?」
「どうやら少なくとも……あと一時間以内には到着する必要がありそうだ」
「どういうこと?」
「俺の目に今、カウントダウンが見えてる。あと五十五分以内に造換塔へたどり着かないと、おそらくスフィアの中の人間は絶滅寸前まで追い込まれる」
「カウントダウンってどこまで万能なんだ君は。いい加減みんなにそれ説明してくれないかね?」
博士の求めに応じて俺は今までみんなには黙っていたことを正直に話し始めた。
「別に隠してたわけじゃないけど、神はたびたび俺個人に接触してきていた。
本人の言うには、俺が狭間の世界の造換塔に接触することは神にとっても望むことらしい。
神はカウントダウンを俺に見せている。神だから可能ということなんだろう。このカウントダウンがゼロになったとき、人間の虐殺は始まる」
「ちょうどいいじゃないですか。神が手伝ってくれるというんです」
「なにっ」
ここで口を開いたのは、なんと、アンリだった。こいつもミリー達と同じで人間を虫けらだと思っているノイトラ至上主義者である、と考えて間違いない。
「トーマ様。そろそろお父上たちと話をして確認しておいた方がいいのではないですか?
ベンツ博士もご存じでしょう。この世界は、ノイトラが一方的に犠牲になって人間という名の家畜を飼っているにすぎません」
「それはずいぶん曲論だと思うけどね。あと、私はこの手の議論が苦手だ。興味ないから。
話を振るなら他を当たってくれたまえ。私が興味あるのは未知のこと。驚異の事。
そして、それらを作ることのできる文明や知性だ。知性なき場所に面白みはないと思っている。
私はその手の議論にさほど面白みは感じないね」
「ですが重要なことです。正直に言いましょう。僕はエヴァンゲリオン。福音と言う名の組織のメンバーです」
まあ、言われてみればアンリは少しだけ何かを隠している風ではあった。
こいつがその福音とかいう組織のメンバーであるということに、さほど驚きはなかった。
天使だって元はスフィアに住んでいたノイトラ。その中にそういうメンバーが混じっても不思議ではないだろうと俺は冷静に受け止めた。
「おっとおやおや。なかなか面白い仲間を連れてるじゃないかトーマ?」
何故か親父はニヤニヤしている。
「ご心配なく。トーマ様の邪魔になるようなことは決してしません。が、確認しておくべきではないですか?
革命軍の方々は、この先、世界を変えて一体どうするつもりなのか。特にトーマス・ドラクスラーさん」
「俺かぁ?」
「あなたは人間。トーマ様を世界の王に据えて、その後どうされるおつもりなんですか?
この世界をどう作り替えようというのですか。あなたは一体……」
「その福音とかいう組織では俺のことを悪魔か何かだとでも教育しているようだな。
世界の王となるトーマを、実の子とは言え俺が独占していることが気に入らないってところか」
「神の子に父は必要ありません。そうでしょう?」
「おっと手厳しい。俺が神とかいう奴に妻を奪われた寝取られ男だったらよかったのか?
残念だがそうではない。いいか、俺がこれからどうするつもりかって事なら答えよう。
俺は世界の秘密が知りたくて、誰も行ったことのない場所に行きたくて、自由が欲しくて、ただそれだけだった」
「なんですって?」
「ノイトラの解放。世界の革命。神を倒し王政を倒す。
どうやら組織が大きくなるうちに妙な期待を受けちまってるようだが、そんなこと言われても困るんだよ。
俺は今でもスラムで魚を獲って食べながら、空の向こうを夢想してたガキのまんまだ。
見えないものを見ようとして、知らないことを知ろうとして、行けない所へ行こうとして。
そうやって突き進んできた。お前はきっと大人のような子供で、俺は子供のような大人なんだろうな……だから小難しい事で悩んでる」
「さすがそれでこそ我がボス!」
「アイツと一緒にしないでくれよアンリくん。私はちゃんと考えてるから」
「何も考えていない……そういうことですか?」
「ちょっと待て! 革命軍はあいつがすべてじゃないって。私はちゃんと考えているよ!」
とトントンが猛アピールしたのでアンリは渋々と言った感じでそちらに注意を向けた。
「ではどういう世界にしようと思っているんですか。神のしようとしていることは丁度いいじゃないですか。
人間は生きていても何も生み出しません。本人たちは誰かを守っていたり、何かを生み出しているつもりかもしれません。
でも奴隷たちが解放されれば、たちまち凍えて飢え死にするでしょうね」
「だから人口を減らせって、そういう話か。俺もこれで結構な情報通でね。
過去に何が起こったか、どうしてこのスフィアが存在するのか。ぼんやりとだがわかっている。
皮肉にもアンリ、お前はその失敗の原因という土台に立脚しようとしている」
「何を言っているんです?」
親父が割り込んできたので結局トントンは話の流れに押し流されて口をつぐんでしまった。
性格の差が如実に現れてしまったようである。
「創造しろ。さもなくば死ぬがよい。恐らくそれが過去の時代の支配的な考え方だった。
だからノイトラが生まれた。無からエネルギーを生み出し、この上なく人の役に立つ生き物をな。
それらのエネルギーを主軸にした文明がかつて存在した。そして、滅びて今ここにスフィアが残った。
ノイトラたちが縛り付けられているのは、その考え方の残滓だ。今お前が言っていることと同じだ」
「何を……!」
「わからないか? 誰かの役に立てないものに居場所はない。文明が滅びたのがその考え方のせいだったかはわからない。
だがお前の考え方はそれと同じだ。ほら、よく自分の胸に聞いてみろ。
お前にはいないのか。俺にはいるぞ。役になんか立たなくたって生きていてほしい人が」
「それは……」
「むしろ困った奴なんだ。言うこと聞かずに突っ走るし、全然懐いてくれないし……」
「おい親父、それは特定の個人を批判してんのか。場合によっては……」
「いや? 全然。お前が誰のことを思い浮かべてんのか知らないけど……」
親父はすっとぼけた。まあいい。俺は怒る気もうせて再び大きな車の上に寝転んだ。
「とぼけた人だ。難しいことなんて考えてないと言った舌の根も乾いていないのに」
「お前の考え方は世界を閉じる方向だ。根っからの冒険家の俺とは、最初から反りが合わねえよ。
だが考えてみろ。この世界がどれだけ広いかまだ誰も知らないんだ。
俺たちの想像もつかないような何かが待っているに違いない。それも遠い未来の話じゃない。
あとほんの少し、二時間もすりゃあ俺たちはその未知の未来ってやつにご対面だ。
『今のシステムじゃあ罪もないノイトラが人間に食い潰されるだけ』確かにその通りだ、正論だな。
だがこう考えたらどうだ。『この世界の外には未知のエネルギー源があって、そいつを使えばだれもが自由に生きられる』と」
アンリは反論する気を失くしたようで、これ以上何も言わなかった。
親父は不思議な人間だ。とにかく口がうまい。それ以外はすべての能力で、仲間には及ばないだろう。
トントンほど強くないし、ベンツほど技術もないし、セシルのように古代文字も読めない。
だが、この男には歯向かったり言い返すほうが悪者になるというか、そのようにもっていく雰囲気作りがうまい。
口がうまいと言えばそうだろうが、単純にそれだけではない気がする。少なくとも、かなり頭が切れるっぽいのは確かだ。
とにかく政治家になるのは向いているだろう。アンリはすっかり言いくるめられてしまった。
だが、親父の抜け目ないところとして、確かに言いくるめる目的で言っているとはいえ、次のようにして人を納得させることが出来ることだ。
「人間が生まれる前からノイトラがいたはずがない。エネルギーとは本来、太陽から人間に与えられるものだったはずだ。
この世界の太陽は偽物だが、きっと外には本物があるはずだ。今から一緒に見に行くぞアンリ」
「……はい」
ヤバい。セシルにも主役の座を奪われそうだとも思ったが、親父にも俺は危機感を覚えた。
何故って、どう見てもアンリは親父に敬服すらしているからだ。
文字にして読むとちょっと長いとはいえ、時間にしてみればあっという間の会話の中で。
「みんな、取り込み中のところ悪いんだけど……どうやら到着したみたいだね」
「到着……するとセシルの出番か?」
俺はトントンに聞いたところこう返ってきた。
「ああ。前回、彼の祖父と一緒に来たんだけどねこの場所。どうやって扉を開いたのかは教えてもらえなかった」
「ふーん……セシル、一緒に行ってみようか」
「ああ。おじい様に出来たことが僕に出来るかはわからないけどね」
「そんな弱気なこと言うな。いくぞ!」
俺はイザベルと手をつないでいるセシルを引っ張って車から降りたった。床は鋼鉄製のような硬さと滑らかさ。
何より黒い。そして俺が今いるこの場所だが、あまりにも人間性や生活感がなさすぎるため、そこが上手く言葉に言い表せないが神聖な雰囲気すら漂わせていた。
ここは機械や電波の荘厳なる神殿。ロストテクノロジーの粋を凝らした、気が狂いそうなほどの静けさが支配している悠久の場所。
照明はない。この空間は時折大きな、それは大きな直径十メートル以上はある柱がどこまで続いているかわからないほど高くて、目視できないほど暗い天井まで伸びているほかは何もない。
だが、その柱と同じくらいの高さがある扉の隙間からかなり強烈な光が漏れているので照明なしでも活動できるというわけだ。
この扉を開くことは、どう見ても不可能に思える。あるいは数万トンはあろうかという巨大な、恐らく金属製の壁がぴったりと閉じ合わせられている。
これを何らかの力でこじ開けるには天文学的なエネルギーが必要だ。そして恐らく電子ロックされている。
「これを爺さんは開けたってのか?」
「ああ。よくわかるよ。この扉は実は見せかけだとわかった」
「なにっ」
「これは扉ではない……そもそもこれ以上開かないようになっているただのスリットだ」
「まじでかよ」
セシルは暗いほうへと歩いていき、何かの蓋をあけたらしい。地面からガコッという硬そうな音が聞こえたからだ。
次の瞬間、ビープ音とでも言えばいいのか。典型的な警告音が響きだした。
「おいおい大丈夫かよ!」
「神が敵ならね。でも招かれているんだろう?」
「それはそうだけど……」
セシルの余裕の理由は定かではないが、とにかく警告音があまりに大きなこの空洞に鳴り響いたかと思うとすぐに止んだ。
そして柱の一本が、ぱっくりと皮をむくようにして割れて中から光が漏れてきた。
「エレベーターか!」
「知らないけど、これに入ると上り下りが出来るらしい。一二万三六一二階が目的地だ」
「十二万だって。そんなに階数があったら、各階停止で上り下りしている間に何百年も経過しそうだ」
「だからいくつもエレベーターが要るんだろう。僕も誤解していた。このスフィアは半球状の、つまりドーム型じゃない」
「ドーム型じゃない?」
「そう。球形だった。まるで玉ねぎか何かのようだね。
つまり今僕らがいる狭間の世界だけど、その外の世界ですら、もっと大きい別の世界の内側かもしれない」
「ちょ、ちょっと待ってくれセシル。十二万階層以上あるこの狭間の世界すら、もっと大きい世界の内側?」
あり得ない。ここには空気がある。重力もあるが、いわゆる1Gと変わりがない。
密度はスカスカだが、そこまで大きな世界が存在すれば重力がものすごいことになってしまうはずだ。
鳥ははばたけず、人間は地面にはいつくばって立つことすらできない。
あるいは、重力すらも自在に操る超文明があったということだろうか。
そういえば聞いたことがある。地球の中心に向かって穴を掘り、反対側まで無事貫通してからそこに落下したとする。
すると、地球の中心まで来たところで今度は反対側に落下してしまい、その後また反対方向に落ちる。
これを繰り返して永遠に穴から出られなくなると。ほんとかどうかは知らないが。
「かもしれないってことだよ。今のところ、外の世界は全く不明だ。
だけど革命軍幹部の皆さんなら造換塔なるものを見て知ったんですよね?」
「そうだ。そこへ行く前に奴隷のノイトラでも見学していこうぜ」
「それはいいですが……階層は十二万三六一一階。その上が神のいるところです」
「よし、行ってみるか!」
「いやいやいや、ちょっと待てみんな。そのエレベーターに乗ったが最後、時間がかかりすぎて何年も出られなくなったりしないか?」
「大丈夫だよ多分。だって、ここは十二万三六百十階。すぐ上の階だから」
「えっ!?」
「そこに光が見えるだろう。あまりにも大きすぎる光が。あれは太陽や星だ。
あのスリットから見せることでスフィアの人間は星や太陽を認識していた」
「じゃあ太陽や星のエネルギー源になっているノイトラたちはすぐ上に?」
「ああ。何しろ大した数じゃないはずだ。せいぜい数千人とか……数を増やすためのノイトラがスフィアに必要なのは確かだろう。
家畜のようそして工業的に。でも狭間の世界で増やしてはいないらしい。
そこまで数は要らないって事かもしれない」
「自然に増える分でいいってことか。だが却下だ! カウントダウンはもうあと少しまで来てしまっている!」
「そうか……じゃあ行こうかトーマ。神様とやらに会いにさ」
「そうしようよ。でも、結局この武器、神に会うまでにロック解除できなかったな……」
いつも肌身離さず持つようにしているのか、エースはどこからともなく例の武器を取り出した。
レベル8用の武器なのだが、これのロックは解除できていない。間違いなくエースはレベル8のはずなのに。
恐らく何かの不具合が起きているのだろう。これを眺めながらエースはこう言った。
「こんな時に時間とらせてごめんね。でも言わせて。この武器を私に託してくれた人が、私にこう言ったのを覚えてる。
俺の心臓を、君にあげる。あまりに昔のこと過ぎて記憶はおぼろげ……でもその言葉だけははっきり覚えてる」




