第五話 君の名は。
ここから先は正直、まったく予想だにしていなかった展開へともつれこんでいくことになる。
その一連の展開はある人物の乱入によって始まることになる。
その人物とは、何やら痩せた、不健康そうな感じの三十台くらいの女だった。
肩まである黒い髪を振り乱していて、その様は真昼間なのにどこか幽鬼じみていた。
「トーマ、そこにいるの!?」
「んん? 君を呼んでる人がいるぞ」
「誰だ一体?」
俺が声のしたほう、つまり橋の上のほうの道を見てみると、橋の下へ降りてくるメンテナンス用の階段を女性が下りてくる。
俺は何となく直感した。この人と話をするべきではないと。
しかし女性は関係なく俺のほうへ寄ってきて、涙ながらに俺の肩を両手でつかんだ。
「ああ、間違いないわ。あなたトーマよね!」
「だ、誰ですか?」
俺は知り合いと思われる人物を知らないと正直に認めるしかなかった。
下手に話を合わせてボロを出すよりはそのほうが賢いと思ってのことだ。
ここには六歳までしかいなかった。忘れてても言い訳は立つ。
と思ったら、どうしようもない答えが返ってきてしまった。
「私はあなたの母親よ!」
「う、うそうそ冗談! 覚えてるよお母さん!」
俺は大汗をかきながら目をスイスイ泳がせ、無理に作り笑いを浮かべていった。
「ううん、いいのよ。優しい子ね。覚えてるわけないわ、まだ赤ん坊のころに孤児院に預けたんだもの」
そういえばそうだった。俺は孤児院にいたので、実の母のことを知っているはずはなかったのである。
ちらりと横目でセシルを見てみると気まずそうにしているが、俺に多少はアイコンタクトで意思疎通をはかってくる。
何となく意図はくみ取れる。せっかく母親がいるんだから大事にしろ、とでも言っている。
「嘘ついてごめんなさい……」
「いいのよ。それより元気そうでよかった。もうシスターマリアンヌの家にもらわれてる年でしょ。
どうしてゲットーにいるの? あなたは私の希望……どうか外で、幸せに……ゴホッ!」
「え、どうしたの!?」
最悪だった。俺は涙が出てきた。いきなり現れた母は橋の下で突然体調を悪くしたかと思うと、血を吐きながら石垣の壁に背中をつける。
そしてほとんど呼吸する間もないくらいに立て続けに咳をし続け、手の指の間から血が垂れてくる。
「うわっ、感染症だ。不治の病……!」
これには慌ててセシルも飛び起きて俺のそばに寄ってくる。
確かにそう、これはおそらく肺炎か結核。この時代の技術力ではたぶん完治させることができず、しかも伝染する死に至る病だ。
俺は近づくこともできずに黙ってみていることしかできない。
「ごめんね……お父さんとお母さんを恨んでもいいわ。でも私……」
「ちょ、ちょっと! 家に戻って休んでいてよ! 悪化したらどうす……」
俺はバカだ。言ってから気が付いた。この人はそれでも構わず、病の体をおしてここまで来たのだ。
昨日俺と話したアーニャか誰かから、俺のことでも聞いたんだろう。誰でもいいが、ゲットーは狭いからな。
俺がオドオドしているとセシルは俺にずけずけとこう言ってきた。
「いいかトーマ、後で話があるからな。僕は自分でなんとかする。
君はお母さんをおうちに送るんだ。話はまた今度にしよう」
「わかった。お母さん、家はどっち?」
「大丈夫よ。私の病気はうつるかも知れないから……肩は貸さなくてもいいわ、自力で歩ける」
母は壁に肘をつきながらもどうにか身を起こして俺に背を向けた。
俺は薄情だ。親子の情は抜きにしても病気で半死半生の女性に手を差し伸べることができず、俺はその後ろをビクビクしながらついていくことしかできない。
道すがら俺は母と歩きながら父についてのことを聞いていた。
「お母さん、俺のお父さんってどんな人だったの?」
「顔も知らないわよね。一歳の時に出て行ってそれから私も会ってないわ」
「十年以上も!? どこで何してんの!」
「さあ……でも恨まないであげて。ああいう生き方しか出来ない人だから」
やれやれ。俺は肩をすくめた。これ以上掘り下げても父に関しては何も出てきそうになかった。
俺は母と一緒にゲットーを歩き、数分もすると家までたどり着いた。
家といっても、俺たちが話をしていたさっきの橋がかけられている、街中を流れる川の近くの小屋のような家だ。
母はその家に住むようになったいきさつを話してくれた。
「汚いところでごめんね……臭うでしょ」
「そんなことないよ。でも、こんなところに居たら余計体が悪くなりそう……」
俺は母の家の前に立ち、悪臭のするごみ溜めのような下町を見回しながら言った。
川沿いの土手には小屋が立ち並び、もちろん綺麗な家など一軒もない。
俺の母はどうやら、夫が出て行ったあと俺を生み、仕事を続けていたが、俺が一歳か二歳ごろに伝染病を発症。
俺を孤児院に預けたが伝染病のせいもあってろくな仕事はさせてもらえず、病状は悪くなるばかり。
物乞い同然の生活を続けており、それが十年。今や、生きているのが不思議なくらいの病状だった。
ゲットー内は比較的治安もよく、失業率も高くはない。
また差別されてる者同士ということもあり、強い助け合いの精神がある、と母は語った。
そのため、土手に住む極度の貧困層たちにもある程度ゲットーの町会が食料を恵んでてくれており、何とか生きながらえてきた。
だが母はそろそろ体に限界を感じていた。そんな折、母はそろそろ息子もゲットーの外の孤児院に行き兵士になるころだと思っていた。
だからもう二度と会うことはないと思っていたのだという。
「これは神のお導き? わが子にまた会えるなんて……い、今ご飯出すからね」
母は俺を家に上げると、町内会にもらったのだろう、清潔なパンと野菜くずの浮いたスープを出してくれた。
俺はこれをありがたく頂くが、その前に思ったままのことを言った。
「お母さん。俺たちは差別されて当然の悪魔に魅入られた者たちだと言ってる神なんか、俺は信じないぞ」
「まあ、なんて恐ろしいことを! この子は!」
母は口ではそういうが、どうもそれはポーズのようである。
俺たちノイトラは俺たちを悪魔に魅入られた種族とする信仰を信じていなくてはならない。
「お父さんに似たのかしらね。あの人も納得いかないことには絶対に納得するまで受け入れなかったわ」
「父さんって何やってるわけ? 俺だったら奥さんがこんなことになってるって聞いたら何をおいても帰ってくるのに!」
「あら。トーマは女の子が好きなのね。さっきの男の子は友達かしら?」
「話そらすなよ」
母は一瞬窓の外を見つめた後、つぎに自分の膝を見つめながらこう言った。
「革命軍よ。自分がそばにいると私たち親子が危ないからって……」
「勝手な奴だな! 俺はそんな父親には絶対ならない!」
「そうね……お父さんはいい父親とは言えないわね……優しい人だったけど」
「でも会えてよかった。次にここに来るのがいつになるかわからなかったもんな……」
「そうね、本当に。まるで運命みたい。よく聞いてトーマ。どうしてもしておかなければいけない話があるの」
「ん? どうしたの?」
母はまるで元気があったころに戻ったかのように目に光を取り戻し、俺の目をまっすぐ見ながら話を切り出す。
「私がお父さんと出会ったのは十五年前よ。労働許可をもらって私はゲットーの外で働いていたの。
そんな時にちょっとした怪我をして病院に行ったわ。その時お父さんに出会ったのよ……お医者さんをしていた」
「へえ。馴れ初めだったら聞きたくないよ」
「違うわ。お父さんはお医者さんだったわ。ところがこの街に存在する地下組織の一員だったのよ。
その地下組織というのは大きなところではいわゆる革命軍……アラン=ミシェル・ロランという男をリーダーとした組織の下っ端よ」
「何度か話に出てくるな、そのおっさん……」
「彼は平等思想を持っていて、事実……ノイトラの私と結婚した。
話はそこからよ。彼は結局私とトーマをおいて出て行った。それほどに重要な任務を帯びていたのかしらね。
今は生きているのかどうかすらわからない。でもこれだけは言える。
彼は私に流れる血を求めていたんだと思う……私の母は少々特別だったから」
「おばあちゃん……は……多分もう……」
「ええ。二十年以上前に母は亡くなってるわ。その母が言っていたことは、私があなたに伝えるべきかと思って。
母は死に際に言っていたの。千年に及ぶ歴史を背負って戦う解放の戦士……世界は彼を待っている。
そしてそれは母や私の家系にまれに現れる男型のノイトラだって」
「それって俺のこと?」
俺はぞくりと鳥肌が立った。母はせいぜい一歳半くらいまでの俺しか知らないので、俺が男型なのかどうかは絶対に判断がつかない。
そのまま俺とは二度と会わない可能性すら十分にあった。俺が気まぐれで外に出たいとか言わない限りは会えなかった。
そしてある程度性別が体に表れ始める十二歳になった今、奇跡的な確率で母と俺は再会することができた。
また、さっきうっかり口を滑らせたことでようやく母が俺を男型だと確信するに至ったようだ。
まるで、何かが運命を操っているとしか思えない。
というより、俺はこのトーマという少年の体に乗り移り、操っているように見えるだけで実はそうでないのではないかとすら思えてくる。
これはもはや確定された歴史と運命の追体験ではなかろうか?
俺は、世界を巻き込んだ、何かとてつもない戦いの運命に翻弄されようとしていた。
「ゴホ……最後にこれが伝えられてよかった。心残りと言ったら、これだけ……」
「縁起でもないこと言うなよ」
「自分の体だからわかるのよ。もう余命いくばくもないわ……最期に会えてよかった」
「お、俺しばらくゲットーにいるから。あ、そうだ。名前!」
俺はなんだか今にも死んでしまいそうな母との会話をつなげようと精いっぱい努力する。
「名前。父さんの名前教えて。どんな人だった?」
「頭のいい人だったわ。お医者さんで、考古学者で歴史学者。
おまけに歴史と軍事に精通した天才肌の人でね……名前はあなたと同じトーマよ」
俺はまたしても鳥肌が立った。だって、考えても見てほしい。
俺たちノイトラは両性具有として生まれてくるため、生まれてきた段階では、男女どちらの名前をつけたものかわからない。
俺の会ったことのあるノイトラはミシェル、アーニャ、レオラなど女の子っぽい名前ばかり。
ノイトラは女の子率が極めて高いからだ。
だが俺は昔から一貫してトーマだという。トーマは明らかに男の名前だ。
ふつう、ノイトラには男の名前はつけないはずなのだが。
生まれた時から男の名前をつけられているということ。
それは、さっき母が話してくれたことから容易に理由が推察できる。
俺は解放の戦士としての期待を一身に背負って生まれてきた、ということだ。




