第三十六話 がっこうぐらし
というわけで医療班三名とイザベル、そして俺とトントンという六名で駅から街を歩いたが、途中で医療班の二人とは別れてしまった。
だから俺たちは四人に。ちなみに、医療班の残った人は二十代から三十代くらいの若い女性でトントンは少しだけ中性的にも見える男型のノイトラだ。
そのためか、たぶん周囲からは俺とイザベルが姉妹で大人二人が夫婦に見えていたに違いない。
あるいはそれを狙って二人を下げさせたか。ともかく雑踏を抜けて駅前の比較的大気汚染なども少ない閑静な住宅街の一軒家前にやってきた。
まるで東京のようだった。狭い土地にたくさんの建物が密集していて、ここはいわゆる大都会だ。
建物は石造りのものが多いが、石は全部灰色なので遠目からだとまるでコンクリートジャングルのように見える。
とか観察している場合じゃなかった。俺は漏れそうだったのですぐに家の中に駆け込んで用を足した。
そして改めて家の中を見渡す。ここはファミリー用のいわゆる建売住宅というやつだろうか。
広くて部屋数が多い。金持ちとは言わないまでも、比較的高給取りでないと住めないだろう。
まあ大統領なんだからこれくらいのものはポンと与えても惜しくはないだろう。
俺がこんなところ俺も住みたいなぁ、と思いながらしげしげと床や家具を眺めていると後ろからトントンにこういわれた。
「忘れてないかい。仕事の話だ」
「はい……ところでその人はけっこう重要人物なんですかトントン?」
俺は結局家の内部までついてきた女性を指さした。
「彼女は本物の医者。今でも医者をやってるよ。すぐ近くに住んでる。
創設メンバーの一人で、当時は最年少の子だったね。神童というやつだ」
「へえ。俺の母さんが父親について医者だったとか言ってたんだけど……名前さえ教えてくれなかった」
「そうなのか。夫婦のことや親子のことは結婚したことがないからわからないけど、複雑なんだね」
「まさかとは思うけど……その女性、別人だったりしない?」
「えっ?」
俺は頭が真っ白になった。時間が過ぎていくのがひどくゆっくりに感じた。
その間も心臓の鼓動は高鳴り続け、汗が止まらない。
俺がそれほど動揺したのも、その荒唐無稽な説が否定しきれないからだ。
俺は母親についてひどく何も知らない。
「うそでしょ。自分の母親の顔も覚えてないの?」
「六歳で孤児院に……そのあとゲットーを出たから……」
「もう、トーマをイジメるなよ。偽物がだましたなんてそんなまさか、理由がないよ」
「でも俺は母さんの名前も知らない。父親の名もあの人から聞かされなかった……」
「ふむ。まあ考えようによってはそれも……いや、それよりご飯にしよう。
僕は妹のご飯も作ってたからね、これでも結構腕には自信があるよ」
とのことでトントンがありあわせの食材でお昼ご飯を作ってくれた。
何故ありあわせの食材だとわかったのか。それは干した魚を使った料理が妙に多いからだ。
これは、ここに異常な魚好きで知られる親父が遊びに来ることもあるからだと考えられる。
まずアンチョビのパスタ。缶詰を作るくらい技術力があり、合衆国首都では魚のオイル漬けの缶詰が食べられる。
唐辛子入りで辛いが、何かその辛みの奥に妙なうま味があって美味しかった。
次に小麦粉をつけてたっぷりの油を引き、きつね色になるまでこんがり焼いたムニエルっぽい焼き魚料理。
どれを食べても絶品だった。横のイザベルですらコメントとかはしないが、美味しそうに黙々と食べ続けていた。
みんなの食事がひと段落したところでトントンは話を切り出した。
「これが大統領にもらった資料だ。目下、大統領は支持率四十一パーセント。
不支持率三十パーセント。あまりよくない数字だね。
その上ライバル候補のリー氏が、めきめきと支持を伸ばしている。
これは大統領の基本方針、軍国リベラルへのカウンターとしての保守層の支持が顕著だ。
つまり有色人種に選挙権などけしからんというわけだね」
「ノイトラに選挙権はないの?」
「ない」
とトントンは一刀両断した。そしてこう続ける。
「女性や有色人種……社会的弱者から人気の高い現職と、保守的な人から広く受け入れられている対立候補。
なお選挙はおよそ一年後だ。依頼人は大統領。ここまでくれば内容はトーマもわかるよね?」
当たり前だ。対立候補に対し、怪しまれないように妨害工作をしろとの依頼で間違いないだろう。
「スキャンダル暴露、事故に見せかけた暗殺、弱みを握って脅迫……とか?」
「のみ込みが早くて助かるよトーマ。手段は問わない。それともう一つ」
「まだあんの?」
「同じ共和党の議員であるサンダー・マッコイ氏とフランク・マクマナマン氏にも同様の工作をするようにとの指示があった」
「欲張りだなぁ。その上、与党の議員を削ることになったら選挙の仕組みはよく知らないけど野党に対して不利になっちゃうんじゃないの?」
「まあ待ってくれ。逆なんだよそれが。両氏とも外相と国防大臣という重要なポストだ。
それが、まさかの離党を画策しているという情報を大統領は極秘につかんでいてね」
「なんだって重要なポストの人が離党を?」
「トーマは子供なのに、お父さん譲りで賢いのね。よくついていけるわねこの話に」
「いや別にそれほどでも……」
俺は名前も知らない革命軍の幹部と会話を続けるつもりはあったが、すぐトントンに遮られた。
「それは後にしてくれ。さてトーマ。二人が離党を画策しているのには理由がある」
「理由?」
「ああ。二人は元々保守派でね。というかまあ、この国では政治家は保守派ばかりなのだが。
だから大統領のことはべつに好きじゃない。それに、彼らは大統領の人気低迷の打開策と称して提案を行った。
それは国民も政治家もみんな保守派のこの国を知り尽くしたアイデアでね」
「それは?」
「それは合衆国軍が帝国軍に対し一定の戦果を挙げれば支持率はうなぎ登りになるだろうとの提案だ。
これは非常に広く受け入れられているようで議会にかけられかねない議題だ。
それを大統領は止めようとしている。というのもこの国で最も名声のある軍事的名将こそが、対立候補のリー将軍だからなんだ」
要約すると、リー氏は大規模な攻勢が政府で企画され、これの将軍に任命されれば結果を残すだろう。
国防大臣がリー氏の味方をしているのでいったん議会で攻勢に出る計画が承認されればリーが将軍になるのは確実。
そうなればリー氏が次の選挙で大統領になる可能性が高い。大統領としては絶対に戦争はしてほしくないのだ。
「大統領は自分の保身のために合衆国には帝国に勝ってほしくないと願っている。
要約すればそういうことでいいのかな、トントン?」
「完璧だよ。さすが我が甥っ子だ。わかっただろう?
あの人は人間というより昆虫だなと言った意味が」
「わかったよ。そこまでは言わないけど、あまり褒められた人じゃないね」
リー将軍が勝つのは合衆国全体にとって喜ばしいことであり、彼が失脚、または死亡することは大変な損失である。
確かに、政争で汚い手を使ってでも勝利すること自体は、俺はべつにいいと思う。
何故なら汚い手はお互い様、使わないほうが悪いとすら思う。それも含めて実力、という世界が政治だ。
何故なら政治という世界は、手段や過程よりも何よりも結果を出すことがもとめられるからだ。
リー氏だって二人を寝返らせるのにワイロとか送ったのかもしれない。
ただ、彼ら三人の行動は一応は国益には沿っている。その延長線上に自分たちの利益もある。
だが現職大統領の行動はすべて自分の利益を最優先においており、名将と呼び声高いリー氏を失うという国家にとっての大損失よりも自分を優先している。
逆に言えば今の大統領を再当選させることはリー氏を殺す、そうでなくても完全失脚させるということで損害は計り知れない。
「これ、どお~しても、やらなきゃいけない?」
「まあ気持ちはわかるよ。あの人の役に立つことは、この国のためになるのか疑問だ。
だが今後の我々の活動を考えて天秤にかけたとき、この国の最高権力者の後ろ盾とは比べるまでもないことだろう?」
「うーん。でもまあ冷たいこと言うけど、俺この国に何の義理もないもんなぁ……」
「私もそうだよ。まあそこは割り切っていこう。正直、この手の依頼をされるのは初めてじゃない。
この国にも我々の仲間を数多く潜伏させている。特に、議員の近くにはね」
「しっかりしてるなぁ……ターゲットはマッコイ氏と……マックイーン氏だっけ?」
「マッコイ氏とマクマナマン氏だね。どちらも大臣だ。前政権からの重鎮。
いわゆる長く権力にかかわるうちに自然と腐敗した、そんな人たちだ。
まあ大統領に比べればマシだが。彼らを消すのはそんなに難しくない。
高齢だから毒を飲ませれば誰も自然死を疑いはしないだろう」
「殺すのかやっぱり……」
「大統領の基盤はまだ安定していない。空いたポストには自分の派閥を入れたいはずだ。
つまり、それだけ大統領の立場にかかわる超重要プロジェクトを任せられたということになる」
「革命軍もそれだけ評価されているということか」
「ただしリー将軍のところにはこちらの手もまだまだ及んでいなくてね。
通常の方法でやってもいいんだが、大統領が言っていただろう働きを見せてもらうと」
「つまるところ、俺の力を見せろと言っているのかな?」
「おそらくはね。話に聞くノイトラの王の力を見せる必要があるようだ」
「リー将軍のところにノイトラはいるかな?」
「いなければねじ込む。あるいはトーマに何か妙案でもあるのかな?」
「この街に古代遺跡はないのか。もしかしてイザベルならその新しい遺跡の兵器を使えるかも」
「ふむ……大統領にかけあってみよう。もちろん、新しい兵器も大統領に渡す約束でね。
とはいえそれは今回の件に役に立ちそうにないな……」
「そうか……じゃあ俺はトントン、リー将軍への対応にあたることにする。
トントンも俺のことを一人前と認めて任せてくれる、と思っていいのかな?」
「もちろん。猶予は一年だ。気長にやるといい」
「一年……!」
そんな大掛かりな仕事の猶予に一年とは少し短い気もするが、俺の今までの旅を思えばあまりにも悠長すぎるくらいだ。
「一週間以内に実力を見せる」
「おいおい何を生き急いでいる。一週間なんて、こちらにセシルたちが到着するかしないかくらいの期間だ」
「俺は何も大統領だけに実力を見せるわけじゃない。それ以外のすべてにもだ。
ところで、リー将軍の家は?」
「この首都フィラデルフィア内にある。ここよりさらに高級住宅街だがね」
「妻子を人質にする。リー将軍本人のガードが堅かったとしても、妻子はそうでもないはずだ」
「君もなかなか悪どいことを考えるね。未来のファーストレディーになるかもしれない女性だ。
リー将軍の妻子の事なら知っている。ちょうどいい。二コラ話してあげてくれ」
「わかったわ」
二コラと呼ばれた医者の人が話しをしだした。なお、俺の横で黙って座っているイザベルは眠っている。
椅子の背もたれに全身でもたれかかり、振り子のように首が運動している。
「私はニコラ・デ・ニッコリ。ニッコロの娘の二コラという意味よ」
「そ、そうですか」
変な名前だなぁ、と思われるのには慣れているのだろうことが、この一連の流れで俺にも分かった。
「トーマ、あなたのお父さんたちやトントンとも少し違う地方の出身だよ。
ノイトラでもないけど、正真正銘革命軍のメンバー。
さて、リー将軍の奥さんだけど偉い人の奥さんにありがちなパターンだ。
"何かしている"ようなのはわかるけど、"何をしているのか"は不透明なの」
「というと?」
「いくつかの学校の理事または理事長をしていることがわかっている。
もちろんすべての学校運営に携わっているはずがなく、活動状況は不明。
また、帝国からの難民やノイトラ、有色人種など社会的困窮者を支援する財団のトップもやっているわ。
これに関してはそれなりに活動実績があって、ちゃんと慈善事業をしているようね」
「ノイトラか……それは使えそうだ。奥さん本人がノイトラだったら一番都合がよかったけど」
「残念ながら違うみたい。で、そのほかに霊廟の管理者としての側面もある。
これも実績はあって、定期的に開かれるいくらかの式典に毎年出席しているわ。
夫のリー将軍の部下たちの英霊を弔う役割は、彼女の最大の仕事と言えるかもしれない」
「……話を聞いていると、つまり仕事らしい仕事はしてないと?」
「少なくとも稼げるような仕事は。リー将軍は保守的で伝統的な、まあ、言ってみれば男の中の男って感じの人。
妻に稼がせることは絶対にしない人でしょうね。いいかしらトーマ」
「なに?」
「女が社会へ進出したがる理由は、ダンナが甲斐性なしでもない限りは一つよ。
それは認められたいから。役に立ちたいから。社会に関わっていたいからなの。
私の母がそうだった。上流階級の出身で、いわゆるインテリ層だった。
かなり意識高い系の友人が多かったみたいね。学友は女性の地位向上とか色々と社会活動をしている中、自分は結婚して専業主婦。
取り残されたような、劣等感のようなものが溜まっていて、いつしか家を飛び出してしまったの」
「学友のほうは、結婚して子供も立派に育てていて羨ましいと思ってたのかもしれないのに……」
「ないものねだりは人間なら誰でもしてしまうよね。この奇妙な将軍夫人の肩書の数々。
これは夫への精一杯の反抗だと思う。誰かの役に立って認められたいという思いの結実。
でも実態は、トーマが指摘した通りでお飾りの人形が人前でニコニコしているだけ。
全部夫にお金を出してもらってわがままを聞いてもらってるだけだからね」
「ひ、ひどい言い方。でもそこをつけば脆いかも?」
「かもね。私は案外、あの手のタイプは直接的に革命軍に誘ってみても乗って来るんじゃないかと思ってるけどね」
「ふーん。子供のほうはどうなってんの?」
「ふふふ。これが彼の大きな弱点になるであろうことは明白よ。トーマと大体同じくらいの年。
今年十一歳になる小さな娘が近くの小学校に通っているわ。素行が悪ければよかったんだけど、優等生みたい。
確か、写真があったと思うから必要ならあとで見せるわ」
「そんなたった一人の娘、狙われたらたまったもんじゃないだろうなリー将軍。
学校にテロリストがやってきて俺がやっつける妄想ならしたことあるけど、まさかやる側に回るとは……」
「どちらを狙ってもいいけど……」
「そうか。俺は少々学んだことがあって、ある目的を偽装する手段として、あまりにもデカすぎる事件を起こしてそれを隠すって方法を知った。
たった一人を狙うためにそこまで大きなことをするはずがない、という心理をうまく突くんだ」
「何か考えているの?」
「学校丸ごと制圧する。そのためには味方が数人必要なんだ。仲間の帰りを待ちたい」
「それはいいけど……娘一人のために学校を制圧するなんて本気なの?」
「その学校って上流階級の学校でしょ。同じく政治家や将軍クラスの軍人の子供もいるんじゃないか?
これは俺にはどうしようもない。革命軍で学校のメンバーについて調べてほしい。
もしもマクマナマン大臣やマッコイ大臣の子供もいるようなら、やる価値はある」
「まあ確かに、子供を人質にとれば、誰も殺さずに済むかもしれないけどね。
しかも聞けば、革命軍のメンバーを使わずに自分の仲間だけでやるって?」
「ああトントン。一週間時間が欲しい。それまでに仲間が来てくれないようなら、俺一人で娘をさらうことにする」
「あ、ごめんトーマ。それダメだ」
「えっ?」
「あの学校……大統領のお嬢さんもいた。十三歳の……」
「なんだそんなことか。それは大丈夫だと思うよ二コラ」
「えっ、アラン……仮にも大切な一人娘だよ?」
しかしトントンは首を横に振った。
「言っただろう、大統領は人間というよりも昆虫に近い生き物だとね。
むしろこれは好都合じゃないか。大統領の娘も巻き込まれた学校乗っ取り人質事件。
それがまさか大統領陣営の仕業とはだれも思うまい。大統領と話さえつければ、結構妙案かもしれない。
というわけだトーマ。意志は固いんだね?」
「もちろん。俺が言い出したことだから」
「わかった。それで行こう。大統領閣下には僕から話しておこう……ニコラ、診療所へ帰れ」
「なんか釈然としないけどわかったわ。じゃあみんな、成功を祈ってるわ。
あ、そうそう。トーマにはこれを渡しておくわ」
二コラはこの家のまだ俺が見ていない部屋のほうへ走っていったかと思うと、すぐ戻ってきて一枚の紙を渡してきた。
それは白黒写真だった。家族写真だ。リー将軍と妻子がいずれもキメ顔で映っている。
娘はまあ、可もなく不可もなく、普通って感じの容姿。写真をじっくり見て覚えないと顔を忘れてしまいそうなタイプだ。
これと言って特徴のない顔の通り、これと言って目立つ点はなく、普通の優等生らしい。
彼女の内面を推察することは、今は無意味だ。もしかすると戦争とかで行ったっきりでろくに家に居つかない父親に不満を抱いているかもしれない。
いい意味でも悪い意味でも男の中の男である父親に反抗心を持っているかも。
それは会ってみればわかるかもしれないな、と思った俺は爆弾発言をした。
「会いに行ってみようかな」




