第二十六話 私の存在意義について
俺たちは結局ろくに荷物も調達しないまま港町を出て歩き出した。
一応、川沿いにずっと行けば小さい村や集落はあるだろうし、道に迷うこともまずない。
そう難しい旅ではないはずだ。足さえもつなら問題ない。
俺はむしろ荷物を増やして余計に疲れることを避け、食料も水もほぼ持っていかずに出発。
それから八時間ほど歩き通しで夜になった。目的の街はまだ見えてすら来ていないが、俺たちは川のそばで野宿することになった。
便利なのは俺の能力で、火を焚くときに電気を使えるため、生木にも簡単に火が付いた。
川の周りにはいくらでも木は落ちている。そして、エースは人間離れした凄まじい出力を有しているため、木の枝を折って薪にすることは容易かったのだ。
ちなみにエースのほうの荷物はアンリが用意してくれた硫酸の瓶に謎の金属片など。
と思っていたら、火を起こしてそのそばで芋虫のように転がっている俺のためにコップを用意してくれた。
そしてさらに鍋も。これならすぐそばの川の水を煮沸して飲み水にすることができる。
エースはそんなの飲む必要ないが、俺のために持ってきてくれたのだ。
正直、俺はなんにも考えないで思い付きでここまで来ていたので、それがなかったら飲み水もなくて大変な目にあっていたところだった。
しかしエースとて完ぺきではない。感謝してコップで白湯を飲んだ俺だが、飲んだあと気が付いて恐る恐る聞いた。
「これあの屋敷から持ってきたやつだよな」
「そうよ。ちょうだいって言ったらメイドさんがくれたわ」
「鉛とかでコーティングされてないかな?」
「されてるかもね」
「……まあいいか」
どうせ帰りは飛行機なのだ。これで沸かした水を飲むのもあと一回か二回くらいのはず。
何年も使い続けてようやく健康被害が出るくらいのものだろう、と結論付けて俺は気にせず水を口にした。
「私はちょっとくらい金属が溶けてるくらいがちょうどいいけど……」
とエースはぐいっと白湯を飲み干した。そりゃそうである。俺は苦笑しながらコップをエースの持ってきていた背嚢に収納した。
「私も金属が溶けていても構わんぞ」
「ああ……ってあんた誰?」
エースは相手が危険な人物だったとしても機械の体ですべて捻りつぶせるので余裕で質問するが、俺はそれどころではない。
きゅうりを発見した猫のように飛び退いて臨戦態勢をとり、招かれざる客を睨みつける。
「エース、そいつは神だ!」
「頭でも打ったのトーマ?」
「違うって。そいつは実体こそあるけど本体は別にいる。分体を送ってきているんだ」
「ごめん、全然容量を得ないんだけど」
「なるほど理解が速い。それは正解だ。これは分体、私の本体は別にある」
「別って、狭間の世界の玉座にいるんだろどうせ。知ってるよ」
「本当に神なのかぁ……一応聞くけどアナタ、私と知り合いだったりするのかしら?」
「忘れもしない、お前がこのスフィアにやってきた日のことはな。
だが面識はこれが初めてだ」
「へえ、ちゃんと受け答えしてくれるのね。神っていうから上から一方的に押し付けてくるのかと思ったら、けっこういい子じゃない?」
「それは思う。神はまたの名をエグリゴリ。意外に親切だ。何か用でもあってきたんだな?」
「私もお前たちの旅についていこう」
「えっ……えっ?」
「あらトーマも意外と隅に置けないわね。私というものがありながら彼女を落としちゃったってこと?」
「冗談キツイぜ。俺に恋する神とかいるわけないだろ……」
「わからないわよ。それでエリちゃん……」
「お前たち揃いも揃って私を変な呼び方するな。私には個体名エグリゴリがあると言っているはずだ」
「ほらな。名前のこととなるとムキになるんだ」
「ほんとね」
「名前を大切にしているのはエースと同じだよな」
「彼女、誰か大切な人にエグリゴリという名前をもらった……とか?」
「まさか、そんなタマじゃないだろ。それで俺たちについてきてなにがしたいんだ?
まあ、ついてくんなって言っても無駄だろうけど」
「私とお前たちには驚いたことに共通の敵がある。それは王政だ。
王政が隠していた兵器には見ておく価値がある」
「なるほどな。そもそも兵器って神が用意したの?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える」
「どっちだよ」
「私がこのスフィアを作ったわけではない。私よりも前からこのスフィアにあったものだそれは。
ただし飛行機は別だ。天井を破ってそこのエースが空から飛行機と共に落下してきたのだ」
「ふーん。そりゃ天井を直すのに苦労しただろうな」
「ふむ。その後上半身と下半身は別々にされ、研究室で研究をされていたようだな。
王政がそのように二心を抱いているのであれば、私もお前たちに協力する」
「妙な展開になったね……トーマ?」
「そうなんだ。エリちゃんの言うことが正しいなら、確かに俺たちに戦うべき理由はないはずだ。
そんなことをしても得はないし、手を取ればお互いに利益がある。それが逆に困った」
「ところでエリちゃん」
「私はエグリゴリだ」
「エグリゴリ、あなた外の世界のことはどのくらい知っているの?」
「私の住む狭間の世界より外のことは知らない。だが、私はここにいる人間を出さないよう統治機構によって命令されている」
「統治機構というのは?」
「私の存在意義だ」
つまりエグリゴリが人間を監視しているのは統治機構からの命令によって。
そしてエグリゴリはとうに人間であることを捨てており、統治機構の命令だけが存在意義なのだ。
俺は恐る恐る、予想が外れていてほしいと思いつつこう言った。
「なあエグリゴリ。お前は言ってたよな退屈してたって。本当は寂しかったんじゃないのか?」
「何を言っている? 私にはわからない」
「統治機構とやらに最後に命令を受けたのはいつだ。何百年前か。何千年前か」
「わからない。私に時間の概念は必要ない。任務には不要だ。
ただ、統治機構からの次の命令があるまで受けた指令を遂行するのみだ。
私の受けた指令はスフィアを守り、それに属していないすべての人間を排除することのみ」
「スフィアを守り……排除。ならやっぱり俺たちと敵対する理由はなさそうだな」
「そうみたい。エグリゴリ、私には記憶があるの。ほんの少しだけど外の記憶が」
「興味などない」
「それにね、このトーマってばすごいのよ。記憶をダウンロードして海っていう概念を知ってるのよ」
「”うみ”とはなんだ? 食べ物か?」
「おいしくはないな……ってこのやりとり前にやったぞ!
まったくレベル8なだけあって、似た者同士なんだな」
「それで海とはなんだ?」
俺はエグリゴリに詰め寄られて危うく焚火に触れるところだった。一瞬かなり熱くて冷や汗をかいた。
その時心拍数が上がったせいで無駄にドキドキしながら俺はエグリゴリに答えてやった。
「スフィアの大地は地球を模したものだ」
「地球? 地球とはなんだ?」
「わからないのか。ここって地球じゃないのかよ。
地球とは人間が生まれた場所のことだ。海とは地球の面積の七割を占める湖。
ただし、時代によっては海の面積も変わってくるけどな」
「人間が……生まれた場所? 考えたこともなかった」
「星もよくわからないな。私、トーマに起こされてから星や太陽って初めて知ったし」
「知ってることを教えろ」
「そりゃこっちのセリフだ!」
俺とエグリゴリはつかみ合いのケンカに発展しながらも、すぐに俺のほうが折れて話を続ける。
「今俺たちの体には重力が働いてるだろ。地球と変わらない1Gだ」
「ふむふむ。重力は知ってるよ」
「それがどうした不良品め」
「お前口が悪いな、たかが神の分際で。頭が高……くもないか」
俺は今十二歳のノイトラ。身長一メートル五十センチメートルちょいくらいだが、それよりほんの少し、エグリゴリは小さかった。
気を取り直し、焚火のそばに座りなおして俺は続ける。
「1Gの重力を発生させうるほどの質量をもつ、わずかに楕円形の物体が地球だ。その表面積の約七割を覆う水が海。
スフィアはそれを模して造られた。どうやら水は貴重で、大量には用意できなかったみたいだが」
「ちょっと待ってトーマ。それって私たちの知っている世界とずいぶん違うみたいだけど?」
「いや、逆だろ。ここが1Gであるということが、ここが地球であることの証明じゃあないのか。
つまり地球の上、あるいは地下に地球サイズの巨大な半円状のドーム・スフィアが建設され、俺たちはそこにいる……はずだ」
エグリゴリ達には突っ込まれなかったが、そういいつつも俺は引っかかっており、スフィア=地球説はどうも違う気がしてきた。
スフィア=地球上の建造物説にはいくつかの矛盾が立ちはだかっている。
まずひとつ、海のない一枚岩の大地が広がるスフィアだが、これをすべて天井で覆っているのだとしたらあまりに大がかりすぎる。
そんなものを建設するメリットがわからないし、資材も莫大だ。正直言ってあり得ないと思う。
次にノイトラを犠牲にしてまでエネルギーを確保しているとのことだが、地球には地熱という巨大で半永久的なエネルギーがある。
スフィアをドームで覆っているならその莫大な面積で太陽光発電をすればいいのじゃないかとも思われる。
そのダブルのエネルギーならばこの世界のエネルギーも賄えるのではないだろうか。しかしその様子もない。
エグリゴリたちには知識が全くと言っていいほどないため、これらの反論はなくて済んだ。
「まあともかく、地球というのはそういう場所で、海っていうのがあるんだよ。だがこの世界にはないみたいだ」
「お前……面白いぞ。お前と一緒にいると面白い」
「それはありがとう。俺はもう疲れたから寝ていい?」
「まさか私が……誰かに感謝をされることがあるとはな」
「あら、ありがとうって言葉は知ってるのね」
「言うことも言われることもこれが初めてだ。ありがとうトーマ、面白かったぞ」
「あれ、意外と素直に引き下がるんだな。俺はてっきり寝るのなんて許されず徹夜コースかと……」
「お前たちが休むなら私も休もう。分体は消さないでおく」
「ていうかエグリゴリ、当たり前のようにやってるけどその分体ってなんだよ」
「このスフィアには……その話はまた今度にする」
「おい……寝ちゃった」
「寝ちゃったね。自分勝手さは確かに神様みたいなところがあるかもね」
「俺ももう寝よう……おやすみエース」
「トーマって野宿に慣れてるの?」
「一度だけ……案外やってみたらなんてことなかったよ」
「そう。私は機械の体だから別に暑くも寒くもないんだけど……なんか必要だったら言ってね」
「あ、それじゃ膝枕してくれない? エースなら平気だろ?」
「いいけど……」
エースの危惧をよそに俺はエースの膝に頭をのせてみた。硬くてひんやりしている。
「逆にねむれん……!」
「だから止めようとしたのに。ほら、お腹なら柔らかいと思うよ」
エースのお言葉に甘えてお腹に頭を乗せて見ると驚いたことに、お腹だけは柔らかくて弾力に富んでいた。
「ふふふ、私は苦しくもなんともないからね。おやすみ」
「うん、おやすみ」
俺たちは川のほとりで明日に備えて眠った。といっても眠る必要があるのは俺だけなのだろうが。
俺は眠る直前、朝起きてエグリゴリがどこにもいなかったらどうしよう、なんて思った。
それが俺にはひどく意外で、自分は実にチョロいと思った。少し話しただけでもうこんなに情がわくなんて。
翌朝起きた俺は、起きるとすぐ、そばに寝ているエグリゴリを見つけて前髪に覆われた額に触れた。
「おはよう。エースも起きてるか?」
「ん、起こした?」
エースはエースで、俺の後ろで寝ていた。よく考えたら当たり前だった。
だって俺はエースのお腹を枕に寝ていたのだから、エースと俺の体は平行ではなく直角になっていてしかるべきなのだ。
エースに注意を向けているうちにエグリゴリのほうも起きてきた。
「前回中断した話だが、教えてやる時間はいくらでもあるのだろう。行くぞ貴様ら」
「寝起きの悪いやつだな。しょうがない、出発するか」
「確か分体についての話だったわね……」
エースは自分の体や荷物についた砂埃を手で払って立ち上がり、俺もそれにならった。
が、エグリゴリは体にゴミ一つついてはいない。その体をじろじろ見ているうちに奴と目が合い、それを皮切りに奴は話し出した。
「このスフィアは私の管轄下にある。故に私だけのネットスフィアを構築している」
「は?」
「初めてだぞ。私の中に入ってきた者は」
とエグリゴリは言いながら俺の顔を鋭く指さしてきた。
俺はまだあまり話が飲み込めてないが、憶測で物を言ってみた。
「ネットスフィア……知識をダウンロード……そういうことか。
お前のネットワークは、スフィアから外へは繋がらないってことか?」
「私は統治機構と繋がることを、それだけを望んでいる。だが私にはそれは出来ない」
「何故だ?」
「そのような権限は私にはないからだ。スフィアの外へ出ることは任務の放棄を意味する。
私にはそれだけは出来ないのだ。これから待つ意味と今まで待ってきた意味を失くすこととなる。
それは私にとって私の存在意義を自ら捨てることと同じなのだ。私にとって怖いものがあるとすれば、それだけだ」




