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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

浮き泡風呂 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 こーくんは、炭酸の飲み物って平気?

 わたしは、ぜーんぜんダメ。ラムネとかは好きだけど、炭酸がほとんど抜けたものじゃないと、口に入れられないんだよねえ。

 あのシュワシュワ、パチパチした感覚、ほっぺたの裏側を襲われると、もう追い出したくなっちゃう。みんなにいわせれば「ふぬけ」らしいけど、おかげで大胆にげっぷをすることには、あんまりならないよ。

 

 そういえば、こーくんは炭酸の泡の正体、知ってる?

 そう、二酸化炭素みたいね。なんでも圧力をくわえて、水に二酸化炭素を溶かしているんだとか。飲み物によって、どれだけ圧力をかけるかも決まっていると聞くわ。

 お風呂の仕組みも、それとほぼ同じみたい。水には空気が溶け込んでいて、それは圧力が高まれば高まるほど、たくさん溶けるようになる。蛇口を閉めている時の給湯器の中とか、そんな状態よね。

 こうなるとちょっとしたきっかけで、すぐ泡が現れる。湯船に体を沈めると、いつの間にか小さい泡がくっついてくる理由は、それね。

 そしてこの泡は、ときに大切で重大な意味を持つこともあるとか。

 ウチのお兄ちゃんの話なんだけど、聞いてみない?



 お兄ちゃんは、あまりお風呂に入りたがらない。

 別にお風呂が嫌いってわけじゃないけど、自分の中での優先順位が下みたいなの。

 実家にいるときは、家族で順番にお風呂へ入っていくけど、お兄ちゃんはたいていパス。他に入っていない人がいればその人に入らせて、自分はトリをつとめたがる。

 そのまんまゲームとかパソコンとか、自分のやりたいことを優先した結果、入らないうちに夜が明けちゃって、もうあきらめちゃうことがしょっちゅうだったとか。


 一日、二日入らなかったからって死ぬわけじゃないし、ちょっと気をつかえば、臭いだって気にならない。

 でも、実際に知っている人間からすれば、たとえ身内であっても不潔な目で見たくもなってくる。お兄ちゃんもそのあたりは察するのか、「汗かいたから」と告げて、昼間にシャワーを浴びることあるよ。

 免罪符、とかいうやつ? 夜に入らない分を、昼の分で償っている、みたいな?

 それでも夜までに汗かくんだったら、どっちみち汚いと思うんだけど……うーん、わたしのきれいさに対する感覚、間違ってるのかな?

 

 そんなお兄ちゃんだから、一人暮らしの部屋へ戻ったら、どうなるかなんてお察しでしょ?


 ――へ? 兄貴の風呂事情なんか、いちいち尋ねているのかって?


 ん〜、実家で会う時はお母さんが、お兄ちゃんのこと心配してね。本人に根ほり葉ほり質問するわけよ、生活の様子。お兄ちゃん、いつも当たりさわりない受け答えするけど、罪悪感が湧くのかな。

 あとでこっそり、わたしにだけホントのこと教えてくれるの。心の中はきれい好きなのに、どうしてそれをはじめから行動に移さないんだか……。


 とまあ、脱線しそうなんで戻すよ。

 その学校休みの連休は、わけあって友達の家で泊まり込み。

 4徹? 5徹? だかで遊びまくって、その間はぜ〜んぜんお風呂に入らなかったらしいの。

 最後の夜なんか、しこたま酔っぱらって、ようやく自分の部屋へ戻ったみたいなんだ。

 

 数日間、ごぶさたしていた自室を開けて、真っ先に出迎えてきたのが、むしむしする空気。

 シャツ一枚にもかかわらず、お兄ちゃんは肌に、どっと汗があふれる感じがしたの。

 でも不思議なことに、汗が伝ったであろうところを腕で拭ってみても、たいして濡れない。なのに、身体が内側からカンカンと暑さが押してきて、まるで空気の張ったゴム風船かと思うほど。

「なんかヤバい」と、すぐ布団を敷いて横になったお兄ちゃんだけど、すぐ間違いだと気づいた。


 ぐううう〜と、長く長く体から音が鳴った。

 腹の虫じゃなかった。お兄ちゃんがかすかに開けた口、そこから出るげっぷの音だったんだ。

 机に突っ伏したりして、げっぷが何秒も出た経験はこれまでにもある。けれども、こんな大の字に近いあおむけで、延々と胃の中の空気が出続けるなんてあり得るだろうか?

 たっぷり30秒は経ったのに、げっぷはまだ収まらない。思い切って口を閉じるけど、鼻から出す量だけでは、とうてい処理できず。

 ぷっくぷくに膨れてくるほっぺたと、それに構わず唇を裏から押してくる、空気空気……。ついには痛みさえも感じ出す始末。

 

 無理だ、と口を開くや、待ってましたとひときわ大きい音を出して、飛び出してくるげっぷ。

 その出はじめで。ぷっとわずかに口から飛んで、お兄ちゃんの口元へ落ちてきた赤いしずくがある。血だったの。

 思い切って起き上がると、げっぷの勢いはぐっと弱まる。どうにか音を出さないようこらえながら、お兄ちゃんが洗面所の鏡を見ると、上と下、両方の唇の裏側が縦に細く切れて、そこから出る血が前歯も濡らしていたの。

 でも、それ以上にお兄ちゃんの目を引いたものがある。


 自分の着ているシャツ。それが勝手に、はためいていたんだ。

 この部屋に風を起こすものはない。窓だって閉めている。なのにシャツは、おのずからめくりあがって、お兄ちゃんのへそを丸出しにさせていた。

 この格好、泊まりの最中にもお兄ちゃんは見たことがある。暑がりな友達のひとりが、シャツの裾から携帯扇風機を突っ込み、全開で回しているときだ。

 もしやと、手をシャツの中へ差し入れてみると、その手のひらへ強く強くぶつかってくる風がある。

 その向きはどう考えても、自分の肌から噴きあがっているとしか思えなかったんだってさ。


 お風呂に入ろうと思ったのは、ほとんど直感だったみたい。

 酔いはすっかり冷めちゃったけど、服を脱いでいる間は、げっぷにまじってあくびがやたらと出てきたとか。ちょこっと記憶が飛んじゃうくらい、ぼーっとしちゃったとも。

 それでもどうにかかけ湯をして、ぬるめに張った湯船の中へ、ずっぽり体を沈めたんだ。


 たちまち、体中をたくみにくすぐられた。

 というのも、全身からたちまち泡が立ち上っては、水面で弾けていくから。まるでジャグジーに入っているような心地がしたんだって。

 けれども、それは最初の数秒間だけ。泡立ちの勢いが落ちてくると、次にお兄ちゃんの耳を打つのは「ごっ、ごっ、ごっ」という音。そして変わらず、身体をくすぐられる感覚は引かない。

 この音もまた、お兄ちゃんは友達の家で聞いてきたばかり。というか、たぶん自分も出していた。

 ジョッキに入っていたビールを、一気飲み、一気飲み、一気飲み……。


 身体へじんわりと広がるのは、かすかな涼しさ。川のせせらぎ、その流れが、直に血管を撫でていくような水音が、身体の内々で声をあげる。

 泡がおとなしくなってきた風呂湯のかさは、明らかに少なくなっていた。浴槽からあふれるほどには入れていないのに。

 そう理解するや、お兄ちゃんのお腹からぐぐっと、一息に上ってくるものが。


 げっぷとは違う。今度はちゃんと形があった。熱を感じ、潤いを感じ、口を閉じたら律義に鼻へ回って、外へはい出てくる。

 水。生ぬるいそれが、鼻水なのかお風呂の水なのかは分からない。それでも同じものが、あとからあとから口へと押し寄せ、両目もまた意識しないのに、つぎつぎ涙をあふれさせ、滝を作っていく。

 お兄ちゃんはお風呂から出ようとしたけど、できない。手足がすっかりしびれちゃって、わずかな力みすらも許してくれなかったからだ。


 それから何度繰り返しただろう。

 お兄ちゃんは、体中がお湯を飲んでいくのを感じ、それを顔のあらゆる穴からどんどん流す。

 当初は入浴剤で薄紫色の広がっていた湯船へ、ところどころ黄ばみ、黒ずみが浮かび出す頃に、ようやくそれは止まったみたいなの。

 しびれがウソのように消えると、お兄ちゃんは立ち上がった。ここ数カ月の中で、すこぶる体調がよかったみたい。

 身体のコリ、だるさ、胸のむかつきが、一気に吹き飛んでいたんだって。


 お風呂が、不健康まっしぐらだった自分を、荒く療治してくれた。

 そう話してからお兄ちゃんは、お風呂にしっかり入るようになったのだとか。

 


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