辺境令嬢は、側妃候補の資格を失いました
中等部3年生になっても、側妃候補の立場は揺らがず。
遣帝女の勅命もない。
宙ぶらりんの状態はけっこうストレスで、パトレシアは人知れず円形脱毛症に悩んでいた。
側妃推しをしつこくした父は年々毛髪が後退し、春季休暇の頃にはスキンヘッドになっていた。
だから、王太子フレデリックの従騎士から「内密の」呼び出しを受けた時は、「側妃要請、キターーー! ですわー!」と心の中でガッツポーズをした。
なんなら、ちょっとだけ拳も握りしめていた。
はやる心をおさえながら、アリスト辺境侯が擁する空中騎士団「飛竜部隊」の隊服に着替えた。
誉れ高いワイバーンライダーであるパトレシアにとって、正装とは隊服なのだ。
純正装は学園の制服。
どちらも、新品である。
入学した頃は、長身で少年ようにほっそりしていたが、月のものが始まって以来、胸と臀部が健やかに、むしろ爆発的に発育してしまったのだ。
我ながら、今すぐ子どもが産めそうだなあと思う。
品行方正で潔白なフレデリックが、正妃との婚礼前に側妃候補の純潔を散らすわけがないのだけど。
そもそも、パトレシアが寵を受けるのは、正妃マリアベルが2年以内に懐妊できなかった場合か、男児を出産した後である。なんとも先の長い話である。
だけど、殿下から個人的な呼び出しを受けた。
それも、王宮の執務室に。
明日から夏季休暇に入る、終業式の夜だった。
やりましたわ! と、浮かれたパトレシアは、悪くない。
護衛はいるが、ふたりきりの執務室。
ビロードのカーテンを背に、白の夏用テールコートの美丈夫が、極上の笑みで言い放った。
「アリスト辺境侯爵令嬢パトレシア。来年、辺境侯領南部に伯爵家を興す。知ってるね?」
「御意」
帝国との国境沿いの辺境は、長年帝国との小競り合いや獰猛な魔獣被害が尽きない。その守りはアリスト辺境候が一手に引き受けてきたが、なにしろ辺境とは広大な荒地、大湿原である。
国境の軍備を固めるため、人員が手薄な南部に伯爵家を興す計画は、パトレシアが生まれる前から打診されていた。
いよいよ、本格的に稼働するわけだ。
「して、そなた、その辺境伯にならないか?」
「はい……?」
パトレシアは、紅玉のような瞳を愕然と開いた。
何を言われているのかは、わかる。わかるけど、理解を拒みたい。耳が滑る。
「恐れながら殿下、それはご命令ですか?」
「いや。現在、議会で新伯爵の候補者を選定している。最有力候補は、アリスト辺境候の次男か君だ。私が個人的に君を推したいだけだから、兄上に気後れするなら断ってくれてかまわないよ」
パトレシアの脳裏に28歳の次兄が思い浮かんだ。
フィジカル面で長兄にライバル心はあるが、権力欲はというと、ない。全くない。飛竜騎士団の隊長職をこよなく満喫している生粋の軍人だ。
次兄嫁は南の大陸の出身で、長兄嫁の従騎士だった女性だ。これまた、自分が高位貴族になるより、仕える方が好きな人である。あと、夫婦揃って数字に弱い。
うん、なんかあんま向いてない気がする。
「身に余る光栄であります。が、決定権は、国王陛下にあらせられるのでは?」
基本、パトレシアに否はない。
フレデリックの言うことは、割と絶対である。
今までも、たまにすっごい無茶ぶりされたし、今も超特大なヤツきたけど、本能的に拒否しようと思わないのだ。
これを一言で「惚れた弱み」という。
「国庫を動かしたくなかったから、私に割り当てられた後宮費と私財を、要塞の建設費と人件費に充てた。新伯爵の任命権だけなら、陛下よりあるよ。君は優秀だから、陛下も意を唱えまいし」
「え!!!」
思わず声が裏がえるパトレシア。
この人の、側妃になるって決めていたのに。
未来の正妃マリアベル嬢とも、仲良くしてきたのに。いや、そうじゃなくても友達になったけど。良い子だし。
後宮をなくすかわりに、新伯爵に任命って、なに?
パトレシアの努力を、能力を、高く評価してくれていることは、わかる。マリアベルが男子をふたり以上産めば、存在意義がぼやける側妃より、よほど必要とされていることも。
公私共にパトレシアの名誉は、しっかりガッツリ守られている。
でも。
だけど。
妃としてのパトレシアは要らないって話なわけで。
そもそも後宮が要らんと言ってるわけで。
アリストの血族が愛する故郷と民を、帝国の脅威から守ろうともしてくれてるわけで。
何より、パトレシアが嫌悪する筆頭遣帝女役を、確実に回避してくれたわけで。
「……謹んで、お受けします」
カーテーシーのかわりに、騎士の礼をした。
背が高くて姿勢の良いパトレシアは、どちらも優雅にこなす。
フレデリックが鷹揚に、だが眩しげに頷いた。
臣下として、ワイバーンライダーとして、辺境を守る騎士として、これ以上の名誉はない。
でも、「女として、これ以上の屈辱はナイ」と思うパトレシアだった……。
パトレシアが去った執務室に、花を抱いた少年が入ってきた。
アーチライン・シェラサード。
大公宰相家嫡男で、大病を患って1年半近く休学していたフレデリックの従兄弟である。
「なかなか最低の振り方したね。殿下」
病み上がりの少年は、背ばかりが高く、ひどく痩せていた。
大振りの花瓶に花を生ける横顔も、まだ若干青白い。心身の不調が癒えたばかりで、なんとも言えない退廃感を醸している。
「ふうん。君だったら何て言った? 辺境伯の立ち上げは、国防の急務だよ」
「そうだね。『君を絶対に遣帝女にしたくないから、辺境伯をひきうけくれ』、かな」
「口説くのかよ。それこそ最低だ」
「婿をとらせて愛妾にするんだろ? 正妻が靡いてくれないから」
くすくす笑うアーチライン。フレデリックはデスクに片手をついて立ち上がった。気が弱い者なら冷や汗が止まらなくなるような圧を受けても、アーチラインは動じない。
「後宮はワイバーンを飼育できる環境じゃないし、そもそもパティは側妃向きの性格じゃない。辺境を訪問した際に、寝所に召すあたりが落とし所じゃない?」
見た目は優美だが、なかなかゲスいところを突いてくる従兄弟である。
「私はパトレシアを妃に望んだことは一度もないし、彼女に愛を乞うこともないよ」
「どうだか。あれほどの美女から側妃を望まれて、何も感じない男がいるか? 男性機能が正常か、侍医に調べてもらいなよ」
「フン、馬鹿馬鹿しい」
フレデリックはアーチラインから視線を外して、彼が生けている花を見た。
大輪のシャクヤクにグラジオラス。鮮やかな夏薔薇。赤を基調としたブーケは、長年側妃候補といわれてきたパトレシアの赤毛を、彫の深い美貌を連想させる。
これワザとだ。絶対にワザとだ。
「あの子は心根の良い子だ。側妃にも寵姫にも愛妾にもしないよ。ワイバーンの愛し子。将軍の器を持つ、辺境の宝玉。月華炎花の化身だ。彼女を得る権利は、彼女を真に愛する未来の良夫だけが持つ。王であっても、悪戯に囲うべき花ではない」
フレデリックが微笑むと、アーチラインは「ふーん」と眉を下げた。
「で、本音は?」
「大事な学友に幸福な未来を望んで、何が悪いんだよ?」
フレデリックは俺様で何様な王太子様だが、臣下への情には厚い。やたら厚い。
パトレシアを信じ、慈しんでいるから、こういう人事になるのだ。
パトレシアの恋心ごと包みこむ、無償の愛。臣下への愛。この愛は全ての国民に及ぶ。それがフレデリックという王子の本質だ。ゆえに、パトレシアの想いが叶う日は来ない。
ちなみに、男としての愛を捧げたい婚約者には、絶賛片思い中である。そのままならぬ想いが、彼の色気を爆上げしているともいう。
拗ねたような横顔に、アーチラインは(これだからモテるんだよな。うちの王子様は)と苦笑した。