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天使降臨

数学教師ファルカノスの軽い一撃によって、追放竜が駆逐された。


放課後演習倶楽部の演習場と、校外の森に続く裏庭は壊滅したが、死者はなく、怪我人はパトレシアとユーコウ、ファルカノスのみ。

人里に追放竜が出たとは思えないほど、最小限の被害で収まった。


至近距離で追放竜の咆哮を聞いた者は、後々精神に異常をきたす可能性があるので、まとめて講堂に集められた。

所狭しと簡易ベッドが並べられ、ほとんどの者は毛布にくるまって震えていた。


「お薬、飲んでくださーい! 飲まないと、追放竜が夢にでますわよ!」


医者の診断によれば、肋骨にヒビが入っているはずの自称軽症者パトレシアが、ものすごい臭いの飲み物を配って歩いている。


秋の口なのに暖炉には薪がくべられ、8台ものストーブが持ち込まれ、赤々と燃えていた。


ユーコウもエグい臭いを放つカップを手に、角の寝台で毛布にくるまっていた。寒い。歯の根があわないほど、寒くてたまらない。

温まりたかったら、ほかほか湯気がでている臭い何かを飲むしかない。

覚悟を決めて、凶悪な煎じ薬を口にした。


あちこちで、ゴホゴホむせる音が響く。


ユーコウも、むせないまでも吐き気がした。それでいて、震えが止まらないほどの寒さからは、解放された。


「不味いですよね? でも、寒気はおさまりましたでしょう?」


コップを回収にきたパトレシアが、口直しの薄荷飴をユーコウに渡してきた。


「ワイバーンの鱗と血を煎じたものです。自律神経の特効薬ですわ。追放竜の咆哮を聞いた人間は、精神に変調をきたすことが多いので」


「え。ウェンディ、怪我してんのに、鱗とか血とか大丈夫ですか?」


「ほんの一滴と1枚があれば、100人分は作れますから。ウェンディなら、殿下に止血剤を飲まされて、屋上でふてくされてますわ」


「……ワイバーンの止血剤持ってるとか、意味不明な目潰しをテュポンに撒くとか、いろいろ謎なんすけど。あの殿下」


「氷と赤コショウですけどね」


「は?!」


「ワイバーンは出血がひどい時、氷を食べて傷口を凍らせますの。ウェンディは、氷が大嫌いなんです。粉は赤コショウの粉末ですわ。目に入ると痛いですよねー」


パトレシアはコロコロ笑い転げた。

食堂の近くで追放竜が見えたらしく、氷と赤コショウの袋をがめて駆けつけたらしい。

咄嗟の判断が、氷と赤コショウ。

致命傷は与えられなくても、やたら理に叶っていた。

それに、あの時の身のこなし。スピード。戦い慣れた物腰。剣術大会の予選三回戦で棄権するようなタマじゃない。


「…………やっぱ、殿下って謎っす」


その殿下は、このクソまずい薬をクイっと飲んで、顛末を報告に王宮にあがったらしい。

12歳の王太子が報告に行って、テュポンを倒した32歳の王弟殿下がストーブの上にイカの燻製を並べてるって、いったい。


「パトレシア様、オレは大丈夫っすから。寮に戻ります」


「いいえ。あの咆哮を甘く見てはなりませんわ。辺境では、追放竜と戦った夜は煎じ薬を飲み、皆で火を囲みます。熟練兵も、決して油断しません。今夜はここで夜明かししてください」


パトレシアはニッコリ笑って隣のベッドに移動した。

不安がる年上の学生に、「煎じ薬を飲んだから大丈夫ですよ」「追放竜は滅多に現れません。その為の対策を、殿下が今、王宮でしてくれていますわ」と、慰めている。


まるで天使だ。制服姿の、ほっそりと背の高い、赤毛の天使。

ユーコウは小さくため息をついた。

ユーコウが駆けつけた時、パトレシアは不自然にベストを脱いでいた。

後から理由を聞いたら「倶楽部の先輩方が、筋肉のつき方を見てくださると言うので。脱衣の最中でした」と、ケロリ。


んなわけないだろ、とツッコミを入れる前に、フレデリックから冷たい視線を頂戴されていた。

「淑女が人前で服を脱ぐなんて。感心しないな。風紀が乱れる」と。

パトレシアは、淑女扱いが嬉しかったらしい。「ご、ごめんなさい」と反省しつつ、かすかに頬を染めていた。

青年男性の平均よりも背が高く、少年のようにほっそりした体型ではあるが、男性的な見目ではない。むしろ、相当の美人であるという自覚がないのだろうか。


自分を辱めようとした下郎の世話なんか、する義理はないのに。


「へ、辺境候令嬢の所為じゃないか!」


ひとりの男が、カップを投げた。


「あんな魔獣、王都にいないし! 見たことないし! あんたのワイバーンが連れてきたんじゃないか!!」


静まり返る講堂。

パトレシアは、転がったカップを拾い上げ、その少年をたたまっすぐに見つめた。


「ま、魔獣は辺境で留めんのが、辺境軍の役目だろっ?! さ、サボってんじゃねーよ! 田舎侯爵が!!」


言った本人が蒼白して震えていて、言われたパトレシアは凪いだ表情で傾聴している。


「ワイバーンなんかで来るなよ! 自慢かよ! だから、こんなことになるんだよ!」


「……考慮しますわ」


パトレシアは美しいカーテーシーを披露して、講堂を去った。


パチパチと、ストーブの音だけが講堂に響く。

やがて、焼けたイカをさきながら、ファルカノスが言った生徒の寝台に座った。


「『ちょー怖かったから、ママ倒してよ』ってか? ま、ヒヨコだからしゃーねーけど。パトレシアだってデビュタントを終えたばかりのガキンチョだぜ? 平たい乳を見そびれたからって、八つ当たりはねーわ」


……この教師、本当に王弟か?

ユーコウの目が、思わず座った。


「ま、真面目な話、今こいつが言ったのが、王都に住む貴族どもの本音だろ」


「先生!」


思わず声をあげるユーコウ。ファルカノスは「まあまあ」とおばちゃんみたいに手を振った。

この教師、本当に本当に、王弟か???


「そのうち報告があがるだろうが。アリスト辺境候領と隣接するマンティカン公爵領の宿場町で、気が触れたテュポンが暴れていた。距離的に無視できたのに、辺境候令嬢の相棒ウェンディは、自らを囮にして町を救ったそうだ。おう、そこのお前の出身地だわ」


と、別の生徒にイカを投げた。


「え! うそ! あちっ!!!」


「……領境付近なら、辺境候領に行けよ。迷惑なんだよ」


引っ込みがつかない生徒を、ファルカノスはニヤニヤと見下ろした。


「領地はすぐ隣でも、辺境軍の本拠地は国境だぜ? 王都のが断然近い。風も追い風だった。ウェンディが王都に戻ったのは、パトレシアを頼ったんじゃネエ。確実に追放竜を殺せる人間が、オレ様がいるから、まっすぐ学園に来たんだ」


「……!」


「ま、ウェンディの事情はこんなとこだわ。王都民が知ったこっちゃねーけどな。海の魔物が上陸したら、オレら海軍の責任になんのと一緒だわ。ま、異存はねーよ? それが海軍の仕事だ。辺境軍もな。だから、パトレシアは言い返さなかったんだ」


「……」


「騎士になれんまでも、兵隊でメシ食う気なら、記憶の片隅にでも置いておけや」


このファルカノスは週末海軍元帥というふざけたポジションを満喫しているが、こういう話は滅多にしない。

あくまでも数学教師なのだ。補習で生徒を泣かせても、騎士候補たちの指導はしない。

理由は「ガキが潰れるから」。

ちなみに、王太子にはたびたび鉄拳をくらわせ、避けられ、殴り合っている。理由は、「ガキだけど潰れないから」。


やがて、なんとも言えない空気をガン無視して、パトレシアが戻ってきた。腕いっぱいの毛布を抱えて。


「あなたが1番近くにいたから、咆哮が耳に残っているでしょう? 寒いですよね! かぶってください」


と、嫌な言葉を投げつけてきた生徒を、毛布にくるんだ。

追放竜への恐怖は、時として人間の脳細胞を萎縮させる。パトレシアは、はなからこの男の雑言を聞いてなかった。被害者である彼の、生命と精神を守ることしか、考えていなかった。


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