衝動
伊吹の父(祐一)の葬儀の日の夜。
──脆い。人の体はどうしてこうも脆いんだろう。
どうして簡単に命が奪われるのだろう。
命はあんなに易々と奪っていい代物じゃあない。
なのに……少し治療が難しい病気にかかったくらいで、何千何億という人達がこの世からいなくなった。それにより、医学は進歩を遂げ、あらゆる病気から数え切れないほどの人々を救った。
しかし、その代償に多くの人が命を失い、多くの人が嘆き悲しんだ。
前者は父さんで、後者は俺だ。でもきっと父さんの死は無駄じゃなかった。これから同じ病気にかかった人たちを救う手立てを医者が見つけてくれる。
そうに違いない。そうに決まってる。父さんは確かに凄い音楽家だ。だけど、それ以前にとても優しい人なんだ。
自分の財産を自分のためだけに使わなかった。今の自分があるのは支えてくれた沢山の人々のおかげに過ぎないのだと。だから、今困っている人がいるのならば、助けない選択肢はないと言って、ボランティア活動も支援していた。
お陰で、世の中は平和になった。初めは反感の嵐だった。「偽善者ぶりするな!」「他人に金を与えてそんなに名声が欲しいか?巫山戯るな!」「ったく、これだから金持ちは…」
それでも父さんは、支援を続けた。
その結果、父さんを支持するもの達が現れた。同じ音楽家の人達や、有名会社の社長などが日本中の困っている人たちを助けた。
職を有していない者には、職を手にすることが出来るビジョンを。経済的な負担がかかっている場合には、より負担のかかりにくい生活を送るためのサポートを。犯罪を犯し、罪を償う意思のある者には償うチャンスを。
これにより、多くの人を救い導いた。音楽家以上の功績を齎した。いや、音楽家だからこそこんな大義名分を成し遂げたのだろう。
だが、その本人はもう居ない。この世に存在しない。既に死んだからだ。どうして父さんが死ななければなかった?父さんは偉大なお人だ。そんな父さんがどうして死ぬことに。それも寿命ではなく病気で。
父さんは沢山の人を救った。なのに、医者はたった1人の患者を救えなかった。父さんに救われたと言っても良い人達はどうして父さんを救ってくれないのだ?中には父さんに人生を救われた人だっているだろう。なのに、救われた恩を忘れて死を見届けるのか?巫山戯るな、父さんは自分の力で、技術で職を手にし経済力を得て、結婚して、家族を愛している1人の父親なんだ。
──周りの人間は誰も助けようとしない。別にそれでいい。
助けて欲しいなんて思っていない。何も望まない。
欲しいものも、叶えたい夢もない。誰かが困っていても助ける義理はない。
助けて欲しいなら、人を助ける職に就いた人間を頼ればいい。
生活に苦しんでる人がいるなら、それが運命だ。はたま起業に成功したならば、それもまた運命。
この世に生きるもの達には全て死ぬまでの運命がある。それはきっと神が定めたもので人間が抗うべきじゃない。
ならどうすればいいかって?簡単さ、受け入れるのさ。そうすることも運命なのだから。
俺が死ぬのも運命なのだから。
こうして、伊吹の心は少しずつ薄れていった。