第二章 コードネーム レッド
少女―――レッドは背後の男の惨状と、キメラの襲撃を瞬時に理解した。同時に、中途半端に抱え上げた自らの獲物の柄を手にすると、そこに巻かれたベルトを弾く。
引きちぎられた革のベルトが、ばちんと乾いた破裂音を響かせる。布の隙間から無理矢理手を入れて柄を引き寄せ、キメラの方へ振り向きざまにトリガーを引いた。
駆動したそれが展開する負荷に耐えられず、厳重に巻かれたベルトと紐がはじけ飛んでゆく。革がはじけ、紐がちぎれ、布が裂ける。レッドは振り向いた勢いを利用して、刀身に絡みつく布を振り払うようにキメラへと振り下ろした。
砂色の布から姿を現した刃が、窓からの光を受けてぎらりと銀に輝く。刃にいくつもの複雑な機構が組み込まれ、柄には引き金を備えた―――銃大剣。
レッドの身長ほどもある刃長と50センチはある幅、それにふさわしい厚みのある大剣の柄に、トリガーが備え付けられている。
その大きさと重さにそぐわない速さで閃いた刃が、キメラの首と胴とを切り離した。
化け物の首が落ちる音よりも、店の床を粉砕する音の方が大きく響く。音は衝撃となり、窓ガラスをことごとく破壊した。細かく亀裂が入り砂粒のようになったそれらは、光の奔流のようにも、粉雪が風に舞うようにも見える。場違いなほどに、美しく。
衝撃波に弾かれたオズが壁に衝突するよりも一足早く、レッドがオズを抱き寄せる。
レッドはそのまま、割れた窓から外へと飛び出し―――一目散に駆け出した。
「―――っえ―――」
戸惑うオズが今起こったことを理解するよりも早く、頭上で怒鳴り声が響く。
「どういうことだ、ブルー! 予定はあと20分後のはずだ! オーバー!」
『俺だってわからない! キメラたちの行動が急に早まったんだ! とにかく今急ピッチでエリアを構築してるから! アウト!』
「避難勧告は!」
『アウトって言ってるだろ! 今出したっ! アレニアは地下が発達してるから被害は抑えられるはずだ。地下街へのシャッターは押さえてある。今のところ、地下に侵入した形跡はないよ! とにかく逃げながら蹴散らしてくれ、オーバー!』
「無理だ、連れがいる。避難勧告を出したなら一旦帰還する。アウト!」
レッドは苛立ちながらオズを脇に抱え、鳴り響くサイレンの中長大な得物を右手で引きずり怒鳴る。対する答えはノイズ交じりに、レッドのつけた無線型のヘッドホンから返ってきていた。上着の内ポケットにしまった携帯型情報端末の通信は切れておらず、こちらの音はシャツの襟につけた小型のマイクが拾っている。
が、傍目には少女が一人で怒鳴り散らしながら、子供と物騒なものを引っ提げて走っているようにしか見えない。
特に当事者であるオズは、レッドが何に怒鳴りつけているのか解らず目を白黒させるばかりだった。
「な、なん、まっ、どこに」
「口を閉じていろ。舌噛むぞ」
レッドはそう言うと同時に、揺すりあげるようにしてオズを抱えなおす。問い詰めようとしていたオズは危うくレッドの言葉通り舌を噛むところだった。
「いいか、よく聞け。この町はキメラの襲撃を受けている。私は被害を最小限にするためにここにいる。が、予定が狂ったうえ、非戦闘要員を抱えたままじゃろくな立ち回りができない。一旦安全なところに避難して、体制を立て直してから救援活動にあたる。死にたくなければ、暴れるな。騒ぐな。余計な質問をするな。答えはyesかjaだ。わかったな?」
「っぐ……や、やー」
そう一息に言われて、意味をよく理解しないままにオズは答えていた。反論を許さない口調の強さであったうえ、オズは自分の命が危険にさらされていることだけは痛いほど感じている。見知った街並に、異形の姿が溢れかえっているからだ。
オズを抱えた少女は次々と目の前に現れる異形―――キメラを、飛んで避けたり銃大剣で薙ぎ払ったりしながら進んでゆく。そのたびに上下左右に振り回されるオズは、振動と緊張で今にも吐きそうだった。
そんな中、レッドが舌打ち交じりにマイクに向かって叫ぶ。
「…数が多い。ブルー! 市街の中心から離れれば離れるほど、敵が増えている。まるで包囲網なんだが!」
『今衛星画像を解析してるんだけど、まさにその通り。何かを囲い込むみたいに動いてる。まるでレッドを追っかけてるみたいだね! ホーム周辺は安全だけど町はずれはひどいよ。』
「冗談じゃない。犬に獅子に…鳥までいる。連携されると厄介だ、今のうちに突破したい。敵の壁が薄いのはどのへんだ」
『抜け道? ないよそんなもん。』
「よし、お前、後で殴る」
茶化した口調の向こうで、しきりにキーボードを叩く音がしている。おそらくこちらのバックアップにまで手が回らないのだろう。ここはレッド一人で何とかしなければならない。が、戦えない子供を一人抱えて走っているのだ。重量的には問題ないが、質量的にはかさばる。かといって、レッドの足に少年はついてこられないだろう。得物を引っ提げているとはいえ、脚力が違いすぎるのだ。結果、レッドはオズを小脇に抱えたままキメラから逃げ続けなければいけないのだが、どうやらそれは悪い方向へと働きかけているようだ。また一匹襲ってきた犬型のキメラを銃大剣で振り払いながら、レッドは思案する。
「少年、この辺の道には詳しいか」
「っえ? う、うん」
突然話しかけられたことに驚きながら、オズは肯定する。地下街のほうが詳しいが、地上も十分に少年たちの遊び場だ。
「できるだけ狭い、一本道の通路。それも行き止まりになっているところ。行き止まりの先の壁は高い建物なのがベストだ。空が見えているほうがいい。思い当たるか?」
オズはその言葉に目を見開く。行き止まり、ということはキメラを追い詰めるつもりなのだろうか。しかし、どうやってこの数を?
(それに、狭いほうがいいって…あんまり狭いと剣が振れないんじゃ)
そこまで考えて、オズの思考は遮られた。
「…あるのか、ないのか。急げ、もう囲まれかかってる」
レッドの声と同時に、ひ、とオズが小さく息をのんだ。走っている大通りの、左前方の物陰から飛び出してきたものがあったからだ。大型の獅子の姿をしたキメラが、一足でオズたちとの距離を詰めてくる。鈍く輝く鋼の牙と爪に、詰まった息がうまく吐き出せない。そしてレッドは、地面をえぐりながら凄まじいスピードで駆けてくるそれをオズを使って叩き落とした。
飛び出してきたのを目の端に捉えたと同時に、ぐるりと右に体をひねる。遠心力で大きく浮いたオズの爪先をキメラの横面に叩き込み、そのままの勢いで方向転換して駆けていく。
声にならない悲鳴を上げるオズを放って、レッドは舌打ちをした。キメラの少ないルートを選んではいるものの、襲ってくる化け物の数は増えていく。このままでは、防ぎきれない。
一方オズは、靴のおかげで物理的なダメージは少ない。少しばかり内臓を押しつぶされたのと、キメラを蹴飛ばしたつま先が痺れているくらいだ。あれに食われる痛みを思えば、おそらくかわいらしいものだろう。しかし化け物のやわらかい部分を蹴りつけた感触は生々しく足に残り、振り回されたことで先ほどから募るばかりの吐き気に拍車がかかっている。何とか生唾を飲んでこらえるので精一杯だ。涙目になりながらもこの状況をなんとかするため、オズはやっとレッドの問いに答えた。
「まっすぐ! この通りをまっすぐ行って、赤い看板の本屋を、右……!」
悲鳴と喘ぎの中間のような悲壮な声に、ふ、と口角だけを上げた笑みでレッドは答える。
「頼むぞ、少年!」
ぐん、とレッドが走る速度を上げる。人一人抱えて走っているとは思えないほど目まぐるしく変わる景色に、オズは悲鳴と吐き気を声に変えて的確に道を選んでゆく。
やがてたどり着いたのは、民家と3階建てのアパートに挟まれた狭い路地だった。奥にはもう一軒、こちらは5階建てのマンションの壁で行き止まりになっている。
そこへ、レッドはただ真っ直ぐに駆け込んでゆく。それでようやく、オズは顔を青くして叫んだ。
「だめだ!なんでだよ、逃げ場が―――!」
「うるさい」
言うか言わずか、たどり着いた突き当りの道にレッドはオズを放り出した。オズは勢いを殺せずにごろんと転がって、建物の壁に背中を打ち付ける。文句を言おうとレッドのほうへ目を向ければ、そこには見慣れない華奢な背中があった。
深紅の髪、大きな黒いヘッドホン、カーキ色のショートジャケット。白いシャツを暗い色のジーンズにきっちり収め、ジーンズの裾は軍用の編み上げブーツの中だ。すらりと細い腰に、弾帯が2条、斜めにかかっている。
左手に掴まれた砂色の外套と、右手に下げられた大剣を見てようやく、オズはそれが今まで自分を荷物のように軽々と抱えて走っていた少女であると気が付いた。
レッドははぎ取った邪魔な外套をオズに投げやると、得物を両手で構えて開いた通路の先へと向ける。ちょうどそこに、獲物を追ってきたキメラ数匹が駆け込んできたところだった。
「おとなしくしておいてくれよ、少年。それで、できれば―――」
レッドが銃大剣の持ち手を捻ると、重たい機械音を立てながら大剣が大きく展開する。三叉のような形になったそれを無造作に先頭のキメラに向けると、レッドは口端を吊り上げた。
すべてを言い終えるよりも前に、狭い通路を一杯になって駆けてくるキメラたちに柄についたトリガーを引く。
刹那。
―――ァオオオオオオォ―――
爆音、そして、悲鳴。被せられた外套の隙間、レッドの細い体の向こうを覗き見たオズは今日何度目かの驚きをあらわにする。ヘイゼルの瞳を、零れ落ちんばかり見開いて。
(一撃……!)
銃大剣から放たれた光の奔流は、たったの一撃で通路に詰まったキメラを破砕した。皮を破り、骨を砕き、内臓を抉り出してそこいら中に飛び散らせる。通路の向こうに血と、肉片と、機械の残骸が散らばった。肉の焼けた匂いがあたりに広がっていく。
「―――今から、耳は塞いだほうがいい」
ずいぶんと遠くから聞こえたその声に、オズは眉根を寄せる。先ほどの爆音で、耳がばかになっているようだ。一方オズとは対照的に満面の笑みを浮かべたレッドは、素早く腰にある弾帯を取り外し、銃大剣に装填する。とっておきの一撃を食らわせた右腕はまだ少し痺れていたが、休む暇はない。あれだけ吹っ飛ばしたのにキメラは懲りもせずにレッドたちを喰おうとこちらを伺っている。犬型のキメラ―――ヘーベテウスは下位種だ。知能は低く、本能がそれほど削がれていない。組み込まれたプログラムで逃げることは制限されているものの、こちらの殺意に様子を伺っている。あと一撃喰らわせれば死の恐怖にすくんで動けなくなるだろう。そのことはこれまでの経験でわかっていることだ。レッドはこれでもかというほど凶悪な笑みを敵へと投げかけた。
「ah-ah-ah-.こちらコードネーム、レッド。これより撤退戦を開始する。要救助者一名。撤退予測ポイント、チャーリー。オーバー?」
『ok.こちらコードネーム、ブルー。ポイントチャーリーにて待機。武運を。アウト』
レッドの耳元でぶつりとノイズが走った。ざらりと無機質な無音は、通信が完全に遮断されたことを示している。お互いこれ以上の通信は無意味だと理解していたし、電波ジャック、盗聴、位置探査があると面倒だ。
専属技師の作った特別無線に、ブルーが電磁プロテクトを何重にもかけたシステムが破られることなどありえないだろうが。
「……少年、立って背中を壁につけておけ。耳は塞げよ」
レッドはオズに、表情にそぐわぬ固い声で指示を出す。オズは聞き取りづらい声に苦心しつつも、よろりと立ち上がり壁へ背をつけた。かぶせられていただけの外套が地に落ちる。そのかすかな音に合わせるようにして、レッドが半歩、後ろへ引く。
オズが手のひらでしっかりと耳を覆い、見つめる先でレッドはもう半歩足を引いた。オズの視界にはレッドの背中しか映らない。レッドの視界には血まみれになった地面と、倒れた同朋の上をじりじりと進んでくるヘーベテウスの姿がある。先程の轟音で集まってきたのであろうおかわりを含めて、ざっと二十体ほどのようだ。
構えた大剣の先を構え直すほどもなく、狭い通路は機械仕掛けの犬たちで一杯だった。
トリガーに指をかけて―――引く。
最初に放った重い一撃には及ばないながらも、騒がしい音が響く。単発ではなく、連続で。耳をしっかり覆うオズにも煩いくらいに響くそれは一発ごとに襲い掛かるヘーベテウスを粉砕していった。ゆらりと、レッドの背が反る。反動によろめいたかのようにも見えたそれはしかし、長大な大剣を構え直すためのものだ。持ち上がった大剣の切っ先が真っ直ぐに上空へ向いている。右手一本で持った大剣の柄を肩に押し付けるようにして狙いをつけた。四、五発の銃声ののち、反らしていた背を元に戻して再び通路の先へと大剣を向ける。今が好機とばかりに襲い掛かろうとしている直近の獲物に狙いをつけたと同時に、周囲にぐちゃり、ともぐずり、とも言えない音が落ちてきた。先頭にいたヘーベテウスの眼前に落ちたそれらは、鳥の形をしたキメラだ。翼の付け根と足が鋼鉄でできており、首にも鋼鉄製の環がはまっている。目元は薄い金属で覆われいるが、目にあたる部分はカメラになっているのだと、解体した技師が言っていた。偵察、奇襲を主にする種だ。上空を旋回するようにして狙いをつけていたそれ―――ネイルムが、無残にパーツを散らばらせている。突如降ってきたネイルムの死骸に、ヘーベテウスが目に見えて怯む。その隙を逃すほど甘くはなく、レッドの銃弾は鼻面に叩き付けられた。弾丸がヘーベテウスの顔面から後頭部を貫通し、さらに後ろに控えていた別の個体の脇腹に食い込む。動きが鈍くなった敵に対しながら、レッドは素早く屈みこんだ。
断末魔に紛れるように、しかし耳を塞いだオズにも聞こえる声で、前を向いたまま言う。
「乗れ」
「…え?」
レッドが屈んだことで目に入った通路の先の景色と今言われたことが、一瞬理解できずにオズは随分と間の抜けた声を上げた。
「乗れ!」
「っ!」
二度目の激に、オズは考えるよりも前に目の前の華奢な背中に飛びつく。落ちないように首に腕を回し、胴をしっかりと腿で挟むようにしてしがみついた。
「……それでいい。いいか、振り落とされないようにしがみつくことだけ考えろ。……行くぞ」
それに頷くよりも前に、ぐん、と下に引かれるような感覚がしてオズは目を剥く。レッドが脚力にものを言わせて、力任せに飛び上がったのだ。一瞬にして空が近くなる。
「っっっっっ!?」
動揺したオズの腕がかなり強くレッドの首を絞めたが、レッドは気にせず飛び上がった先のベランダの柵を掴む。そこからさらに反動をつけてベランダの中に入った。
瞠目したオズには現状を把握する術がなくただただ絶句し、レッドは気にもせずに今しがた掴んで這い上がった柵の上に立つ。
まるでそこだけパズルのピースを違えたような光景。10センチにも満たない手すりの上、子供を背負って巨大な獲物を抱えた人間が立っている様は恐ろしさを通り越して滑稽にも見えただろう。見るものがいれば、の話だが。6メートルほど下に見える、先ほどまで戦っていた狭い通路では、ヘーベテウス達が追いかけてこようと壁に爪を立てている。
「よし、少年」
半ば放心しているオズに、レッドは追い打ちをかけた。
「走ったり飛んだりするから、吐くなよ」
「……は? は!? は、ぁあああああああああああああああああああああ!!!!!」
走ったり、飛んだり? とオズが問う前にレッドはベランダの柵から飛んでいた。一足で向かいの民家の屋根へ降り立つ。浮遊感と衝撃に、喉が裂けそうな悲鳴を上げる。
だがそんなことでレッドが止まるはずもなく、屋根に着地した次の瞬間には不揃いな高さの建物の群れを相手に障害物競争を始めていた。使えるのは両足と左手。けれどレッドにはそれで充分おつりがくる。柵をつかみ、給水塔を飛び台に、建物から建物へと渡って行く。低い建物を伝って登ってきたのであろうヘーベテウスを蹴り落とし、上空から突撃をかけてくるネイルムを振り払いながら一気に駆け抜けた。ようやっと異形の追手を振り切ったのは、激しく揺さぶられるオズが限界を迎える寸前のことだった。