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夢を見る人形の革命  作者: 飛鳥
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第一章 アレニア

 アレニアは砂と機械の街である。

 ラザル地方はそのほとんどが砂漠地帯だが、地下に原油が大量に存在する。この街を含むラザル地方一帯は石油化学工業で栄えていた。その中でも特に、建築や掘削に使用する重機械の開発、量産を行っているのが、アレニアという街だ。他の街同様に緑は少ないが近代的な建物が立ち並び、市街は盛況を見せていた。

 その市街の中心からやや外れたところに立つ一軒のカフェに、砂色の外套を着てフードを目深にかぶったいかにも怪しい人物が座っていた。その人物は窓際の一番奥の席に座り、小型の携帯端末に向かってしきりに何かを話しかけている。

「………………」

 端末に向かって話しかける声は、隣に座っていても耳を澄ませばやっと聞き取れるかどうかのかすかなものだろう。逆に端末からは何も聞こえてこないのを見ると、無線型のヘッドホンを使っているようだと思う。カウンターからその様子をうかがっていた少年は、そう分析した。

 紅茶のような沈んだ赤茶色の髪に、ヘイゼルの瞳。やや上向きの鼻が特徴的なその少年は、名前をオズという。今年十一歳になった彼は、正真正銘カフェ「フォエニケ」の店員である。

 店主の一人息子として店番中のオズは、客であるその怪しい人物を観察していた。年相応の低い身長をカバーするための椅子の上に立ち、カウンターに肘をつきながら。

 ―――怪しい。

 外套の客を半眼でねめつけながらそう思う。他に客がいれば見咎められただろうし、店主である母がいれば問答無用で拳骨が降ってきただろう。しかしながら客は外套の人間だけで、母は切らした調味料を買いに出ている。故にオズは誰に咎められるでもなく、存分にその客を観察することができた。

(あいつ、さっきからずっと端末に話しかけてるし。外套、脱がないし。いくら砂の街で埃っぽいとはいえ、店内だぞ? フードくらい脱ぐだろ、普通。せっかく淹れたコーヒーも飲んでないし)

 入ってきたときに見たところでは、身長は一六〇センチ前後。砂色の外套のフードを目深にかぶっているため、顔と性別はわからない。わずかに覗く鼻筋や口元は整っていたから、おそらくそれなりに端正な面立ちだろうと思う。

 その人物を何より怪しくしているのは、容貌ではなく抱えて入ってきた大きな荷物だった。

 外套と同じ色の布にくるまれたそれは、持ち主の身長と同じくらいの大きさだ。今は持ち主の近く、店の一番奥の壁に立てかけられている。布がはがれないように軽く紐で巻いて、その上からさらにベルトで固定された長大な何か。ベルトのほうは持ちやすくするためのもののようで、客が店内に入ってくるときはベルトのあまりを肩に引っ掛けて担いでいた。

 それが、おかしい。たとえ材質が超軽量アルミ合金やマグネシウム合金でも、人の身長と変わらない程の大きさのものである。置いた時の床のきしみで、かなり重いものだということは知れていた。片手で、それもベルトの端を握っただけで持ち歩く。客が席に着くまでの間に、重そうにしている様子など少しも感じられなかった。

 これが筋骨隆々とした大男だったなら、オズは何の違和感も持たなかっただろう。けれども窓際に座るその客は、外套の上からでもそれほど筋肉がついているようには見えない。端末を操作するときに見える腕は、むしろ細いほうだとオズは思う。外套の下にはさらにジャケットを着込んでいて、肌がのぞいているのは手の甲と指先くらいだったが。

(そもそも、空調が効いているとはいえ暑くないのか?)

 外套を目深にかぶり、その中には厚い生地の上着。外套から覗く限りではジーンズのパンツに皮のブーツを履いている。いくら秋口とはいえ、砂漠の昼間は暑い。砂漠の中心近くに位置するこの町も例外でなく、ビルが立ち並ぶ分何もない砂漠よりもさらに暑いくらいだ。日差し除けの外套は必須だが、それも屋外に限ってのことで、建物に入れば空調が効いている。

 この町に住んでいるものは空調が整備された地下街を移動することがほとんどだ。大概の人間は他の町と変わらず、外套も上着もなしで過ごしている。外套自体、年に数回着るかどうかである。この店にも地下道につながる入口はあり、大抵の客はそちら側から入ってくる。

 外へつながる扉から入ってきたのも、オズがこの客に不審感を抱く理由の一つだった。

 外へ続く扉から入ってくる客が全くいないわけではない。けれども、外から入ってきたとはいえ建物の中に入ってまで外套を脱がない人間は稀だ。

 そしてその稀な人間はろくなことをしないのだと、オズは過去の経験から知っている。

 声をかけてみるべきかもしれない―――そうオズが思った時、ふいにドアベルが来客を告げる。オズはドアの方に目をやって、そこにいる人間に隠しもせずに顔をしかめた。

「よう、オズ。そんな顔するんじゃねえよ」

 地下に続く入口からひょっこりと顔を出したその男は、長躯をややかがませるようにして店に入ってきた。男の名前を、ガイルという。切れ長の一重に薄い唇。長い黒髪はゴムで無造作に束ねられている。伸ばし放題の無精ひげが、この男の得体のしれない雰囲気に拍車をかけていた。琥珀色の瞳で面白そうにオズを眺めた後、男は下卑た笑みを浮かべて店内を見回す。

「今日も繁盛してるこったな。そろそろ店をたたんだらどうだ。お前のママはどこ行った? お前ひとりおいて逃げたか?」

「うるさい、帰れ。母さんはこの店を手放したりしない。……あんたについてったりしない」

 オズはこぶしを固く握りしめ、精一杯の睨みをきかせた。それを鼻で笑うこの男は、地上げ屋のようなことをしている。ような、というのは会社があるわけでも、正規の手続きをして土地や建物を売買しているわけでもないからだ。ある時はこそこそと、またあるときは堂々と。目当ての店へ嫌がらせをする。たびたび訪れては他の客に絡み、店のものを壊し、あの店では得体のしれぬものを料理に入れているという風聞を流す。他にもいろいろと噂を聞いているが、「フォエニケ」に実際にされたことはこんなところだろうか。嫌がらせを受けた店主や家主はもちろん抵抗するし、警察にも相談するのだが、金を握らせているのか袖にされるばかり。

 次第に客もかばってくれる人もいなくなり、わずかな金で店を手放してしまう。そうして手に入れた土地や店を、今度は高値で売りつける。そういう、分かりやすく卑劣なことをしている人間だった。

 しかし、いつもならガイルはもっと市街の中心に近い一等地を狙う。多少割高でも買い手がつくからだ。「フォエニケ」は市外から外れた土地に建つ小さなカフェである。売りに出したとしてもさほど高値はつかないし、買い手がつくのに時間もかかるだろう。それでも、そんなカフェを地上げに来るのはこの男が「フォエニケ」の店主―――オズの母親に懸想しているからというもっぱらの噂だった。

 ガイルは右の眉をわざとらしく上げると、含み笑いで言う。

「手放す手放さないは、お前のママが決めることだ。ここはお前の店じゃねえんだから」

「ここは俺と、母さんと、父さんの店だ。お前が嫌がらせしたって、お客が来なくなったって、母さんはここを手放したりしない。父さんが作った大事な店を、お前なんかに売るわけない!」

 オズが声を上げると、ガイルの笑みが深くなる。オズはぎくりと体をこわばらせた。

「レオンは死んだ。リリーは今一人だろ」

「一人じゃない。俺がいる。お前に父さんや俺の代わりはできない。帰れよ、店は売らない。母さんに付きまとうのもやめろ」

 オズが言い切るのと同時に、ガイルの右手がオズに伸びる。殴られる、と身構えたオズの胸元を、ガイルは掴んで引き寄せた。カウンターに並べたサイフォンやカップが音を立てて落ちていく。陶器の割れる音に身を固くしながら、されるがまま引き寄せられた。小柄なオズはカウンターから引きずり出され、片手で釣り上げられてしまう。背の高いガイルにつかみあげられては、オズには抵抗のしようがない。

 それでもガイルの腕から逃れようとオズは精一杯身をよじり、足を振り上げる。無駄な抵抗だと、分かってはいても。オズが息を詰まらせながらガイルを睨むと、下卑た笑みは蔑むような表情に変わっていた。

「さっき、リリーは一人じゃないって言ったよな」

「っそう、だ……! 放せ……!」

「それが答えだよ。お前は俺を見くびりすぎだ」

 オズを片腕で釣り上げたまま、もう一度ガイルが嗤う。目を細めて、唇をゆがめ、瞳の奥で侮蔑する。けだものの笑みだった。

「大事なものを奪うには、それよりも大事なものを引き合いに出せばいい。例えばそう……夫に先立たれ、たったひとり残った自分の家族の命、なんて最適だろう?」

 オズはざっ、と全身から血が引く音を聞いた。この男はオズの母親に、この店とオズを天秤にかけさせようとしている。あるいは今までも、そういった脅しを母にしてきたのかもしれない。その脅しを、実行にかけようとしているのだ。それがわかってしまったオズは、喉の奥からひきつった、半ば悲鳴のような叫びをあげた。

「この……! 外道……!」

「知らなかったのか、坊ちゃん。俺はガイル。ガイル・レメンツ。ここらの外道を束ねる、正真正銘の外道だよ」

 けだものの笑みを深くして、ガイルはオズの胸ぐらをつかむ腕に力を入れた。息苦しさの次に来る、何らかの痛みを覚悟したオズは固く目を閉じる。

 ―――が、何も起こらない。それどころか首にかかる負荷が消える。わずかな落下と誰かに抱き上げられる感覚に、オズは慌てて目を開いた。

 抱えあげられている。細い腕のぬくもりに、一瞬母が帰ってきたのだとオズは錯覚した。

 しかし、目を開いて真っ先に飛び込んできた色にその考えは霧散する。

 (あか)、だった。

 (あか)でも(あか)でもなく、―――(くれない)

 それが髪の色であることにオズが気付いたのは、その細い腕からゆっくりと床に降ろされた後だった。突然の出来事にオズが固まっている中、ガイルは困惑と怒りをもって目の前の人物を睨み付ける。

 一瞬。

 力任せにオズの体を床にたたきつけようとした瞬間、手首に鋭い痛みが走った。驚いて手を放したガイルから掬い上げるようにして、その人物はオズを抱き上げたのだ。―――片腕で。

 ガイルはオズが無事に地面に降りたと同時に、ようやっと理解した。右の手首に走った痛みは、目の前の人物が自分の手首を掴んだからだと。捻りあげるという表現は、正しくない。ただ無造作に、掴んだだけ。それだけだった。

「おい。てめぇどういう「ここを離れたほうがいい」

 ガイルの声に被せるように、その人物は言った。少年のような、妙齢の女性のような、不思議な響きの声。問いかけを無視するような言葉に、ガイルの血液が沸騰する。

 ガイルの様子に明らかな怒りと敵意を感じ取ったオズは、とっさに目の前の砂色の外套を掴む。オズをガイルからかばったのは、コーヒーも飲まずに携帯端末に話しかけていたあの不審人物だった。不審な客はオズの無言の制止を無視して、もう一度同じ言葉を放った。今度は少しばかり付け足して。

「ここを離れたほうがいい。死にたくないのなら。地下に避難用のシェルターがあるだろう。地下も安全とは言い難いがここよりはましだ」

 訳の分からないことを言い募る外套の人物に、ガイルはますます血液の温度を上げる。顔を怒りで赤く染め、こぶしは今にも殴り掛かろうとするように握りしめられている。その様子にオズは焦って、先ほどより強く外套を引いた。そこでようやく、その人物はオズを見る。フードに覆われた顔を下から覗き込むことによってその顔を見たオズは、今の状況を忘れて目を見開いた。

「少年……オズ、だったか。君も。ここを離れたほうがいい」

「な、なんで」

 淡々と、こともなげに言葉を重ねるその人の目は、髪と同じ紅。夕焼けともルビーとも違う、血液の赤色だった。吊り気味のアーモンド形の目、すっきりと通った鼻、形のいい唇。美人と称して間違いのないその人物は、どう見ても女性だったのだ。それも、少女といってもいい面立ち。

(―――この人が? 助けてくれた?)

 信じられない、とオズは自分をかばってくれたその少女を見つめる。けれどその間はたったの数秒だっただろう。瞬きを一つする間に、怒声と共に少女の顔は見えなくなってしまったから。

 がつり、と固い音がする。

 怒りをこらえられずに、ガイルが左腕で少女の胸ぐらをつかみよせ、右腕で思い切り殴りつけたのだ。少女の体はつま先こそ地についているものの、踵が浮いている。

「ふっ、ざけるなッ! てめぇ、ふざけるなよ! ああ!」

 がつり、がつりと骨同士がぶつかる音が繰り返される。それは次第に弱くなっていき、ついにはうめき声だけが残された。

 そして、情けなくうめき声をあげたのは、ガイルの方だった。少女の向こうに見えたその拳は、思わず目を逸らしたくなるほどの血にまみれている。

「ふざけるな、はこちらのセリフだな。まったく。それで、女子供に手を挙げた挙句傷一つつけられない気分はどうだ」

 少女の声には明らかな侮蔑が混ざっていた。少女はそのまま、胸元をつかみあげるガイルの左腕を払う。まるで虫でも払うように軽く払われたガイルの腕は、オズにもわかるほど不吉な音を立てて折れた。そう、折れたのだ。ばっきりと。

「ああ、すまん。どうもこのところ人間に触ってないから加減がわからなくてな。まあ、さっさとここから離れて病院に行け」

 声も出せずにうずくまるガイルを放って、少女はオズに向き直る。その顔には殴られた痕跡などかけらも見当たらなかった。オズが息をのむのと同時に、少女はオズの目を見据えて言う。

「早く逃げろ、少年。安全なところまでついって行ってやりたいが、そうもいかない」

「逃げろって、何から! あんた何者だよ!」

 飲み込んだ息を吐き出す勢いで、オズは叫んだ。逃げろ、という言葉よりも目の前の危険人物のほうが、オズにとっては重大だった。

 けれども少女は言いたいことは言った、と先ほどまで自分が座っていた席に戻ろうとしている。机の上にはコーヒーカップしか乗っていなかったが、壁にはあの大きな荷物が立てかけられたままだ。

「なあ、ここから離れたほうがいいって、逃げろってどういうことだよ! なんで、」

「キメラが来る」

 その名前を聞いて、オズは再び息をのんだ。大きな目は零れ落ちそうなほど見開かれ、少女の言ったことを脳内で反駁する。

 キメラ。それは、今から十年ほど前、突如として現れた、異形の化け物の総称だ。どこから来てどこへ帰るのかもわからない。町に現れては人間を襲い、建物を壊し、家畜を食い漁って去ってゆく。それらは明らかに自然の生き物ではなかった。決して交じり合うことが無いもの―――動物と、機械が融合した姿をしていた。その異形の者らを、人々は古い神話になぞらえてキメラと呼ぶ。

 その、化け物が。

(キメラが……来る? ここへ? なんで?)

 オズが固まっているうちに、少女は自分の荷物の前まで来ていた。ベルトに手をかけ、抱え上げながらなおも少女は言う。

「さっさと逃げろ。とりあえず地下に、それから、」

 そこで少女の声は二つの音に遮られた。ひとつめの音は、うずくまっていたガイルがいつの間にか立ち上がり、右手に大ぶりなナイフを持って少女に突撃するときのああ、だかおお、だかわからない叫び声。そしてふたつめの音は、その刃が届く前に窓を割り、飛び込んできた何かがガイルを押しつぶす音。

 一瞬の、出来事だった。今しがた起こったことも、そしてその直後に起こったことも。

 飛び込んできたのは大きな野犬、のように見えた。鋼の四肢と、本来目があるだろう場所に取り付けられた目隠しのような機械がなければ。

 流線型のつるりとした鋼の前足が、ガイルを押さえつけている。野犬もどきは、押さえつけた獲物に鼻を近づけ、大きな口をくわりと開いた。そして、ガイルの頭部が、そこへ納められる。


 ごきり。ばき、ぐちゃり。


 化け物が、今しがた人間から死体に成り果てたものを、むさぼる音がする。オズは動かなかった。本能は痛いほどに警鐘を発している。逃げろ、ここから逃げろ、逃げなければ死ぬ、と。

 けれども動かなかった。動けなかった。

 本能でなく理性で、何が起こっているのか理解することができなかった。そして、こういった局面での思考の停止は死を招く。

 首のない男の死体が、化け物の下敷きになっている。オズは瞬きすらできずに、まだ痙攣する肉の塊が血を吹き出すのをただじっと見ていた。

 男をうまそうに食い荒らした化け物は、首をオズのほうに向けてきゅう、と口端を引く。男の血と、化け物の唾液でぬらぬらと光る牙を、オズに向けて。そいつがにやりと笑ったような気がした。

(―――死ぬかもしれない)

 涙も、叫び声も、震えも起こらなかった。ただ、漠然と、死ぬかもしれないと思う。

 ばちん、と何かの音がする。オズは自分のなかの、何かが切れる音だと思った。息をのみ、化け物がオズに飛びかかろうとわずかに重心を下げた時、もう一度、今度は連続して、何かが爆ぜるような、音がした。


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