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「この調査はアタシの趣味みたいなものだから、強制はできないけどね」
ツァラさんは遠慮がちにそう付け足したものの、俺たちはその趣味に付き合うことにした。それは彼女の妄想を鵜呑みにしたわけではなく、単に目的を持ってやることがそれ以外になかったから――というのが大きい。
ひとまず明確な目的があるというのは、このわけのわからない世界で気を紛らわせるのに絶好だったのだ。
同様に思ったのか、協力を申し出るプレイヤーは多かった。
現時点で可能なおおよその仕様確認が終わったあと、ツァラさんを司令塔として150人ほどのプレイヤーが集い、『未知のクエスト調査計画』はスタートした。
最初の制圧対象に選ばれたのは、もちろん〈アガルタ〉だ。
蟻の巣のように広がる巨大な地下都市――その細部に向けて、大勢のプレイヤーが駆け巡っていく。
「こりゃ、なんとも大掛かりなオリエンテーリングだな」
とエイジが笑い、
「だねー。だけど、あっちはほんとに大丈夫かにゃー?」
ミドちんが心配する。
「まあ、なんとかなるだろうって言ってたし。……ツァラさんだけは」
そう言う俺の首からは、小さなボードが画版みたいに吊り下げられていた。
150人という数の確保はできたこの計画だが、しかし人数が多くなるほど統率が取りづらくなり、進捗の確認も大変になるのが道理である。
調査隊が出発する前――公園には職人が大量に〈製作〉したホワイトボードが、4×4で16枚、それが3セット、芝生の上に寝かせて置かれていた。
もともと調度品のホワイトボードには、エリアの地図だったりプレイヤーが撮影したスクリーンショットを埋め込んで、自由に閲覧できるという機能がある。
それを利用して、ボードには4倍に拡大された〈アガルタ〉の地図が転写され、3枚の大きな地図が作られた。〈アガルタ〉は上下にも広がっているため、上層、中層、下層の3つぶんが必要だったのだ。
ツァラさんはその地図をさらに細かく区分けして、黒ペンで区画番号を書き込んでいった。そして各パーティの担当エリアを決め、その部分を転写した〈ホワイトボードS〉を配った。
これだけでも大変な労力だ。だというのにツァラさんは、
「パーティの番号と担当区画はこっちで把握しているから、次の目的地だったり、その場所への行き方がわからなかったりしたら随時、訊いてくれて構わない。
あと、クエストが発生しても既存のものかもしれないから、それが判断できない場合もアタシに訊いてくれ」
と豪語した。
ボードの上には班の番号が書かれた丸磁石が配置されていたから、それを俯瞰で見下ろしながらやるつもりらしい。
「アタシ以外にも優秀な助手が二人もいるんだ。なんとかなるだろう」
指揮官は自信ありげだったが、コッペと引き続き助手を任命されたアリシアは、引きつった笑みを見せていたのだった――。
それにしても、あの人は全てのクエストを把握しているのだろうか?
まさかとは思うが、有り得そうだから恐ろしい。RSOにはかなり精通しているつもりの俺でも、あんなに格好良く言い切る自信はない。
何はともあれ、そんな風に調査体制が整っているおかげで、俺たち現場の人間は気兼ねなく地下を練り歩けるのだった。
調査の具体的な内容だが、クエストは通常、特定の地点に行くか、NPCに話しかけるかで発生する。なので行ける場所は全て網羅しつつ、NPCを見かけたら誰が一番早く声をかけられるか――なんて競争をしながら、俺たちは調査を続けた。
「しかしここは、ゲームの時も思ったが無駄にでかいよなあ」
一時間が経過した辺りでエイジが愚痴っぽく言った。
「だな。人類が地下に籠ってた時代は、これくらい必要だったんだろうけど」
「けどそれって、このゲームがサービス開始する前の時代設定だろ? その設定のリアリティのためだけにこんなクソでかいマップを作るんだから、開発も変わってるっつーか、かなりエキセントリックだよな」
「はは、まあ会社名からして『エキセントリカ』だからな」
そんなクソでかいエリアの奥のほうから順に、俺たちは穴埋めしていった。
調べ終わった箇所は報告を入れて、現場の人にもわかりやすいよう、『ここから先、調査済み』の札を立てて封鎖する。
そうやって少しずつ、中心に向かってチェックしていく。
俺たちは調査に没頭し、地下を何時間も動き回った。それでも、この肉体に疲労感が襲ってくることはなかった。これもゲームの世界ならではの仕様らしい。
RSOにはスタミナの概念がない。その代わりに移動を長時間続けていると、〈空腹ゲージ〉と〈口渇ゲージ〉の減りが早くなる。そして、それぞれのゲージが空になった場合、HPとMPが徐々に減少して、移動速度も低下するという深刻なバッドステータスがかかってしまう――のだが、そのゲージは当然飲食することによって回復できるのだ。
数々のクエストをこなした報酬として、尋常じゃない数のアイテムを持ち運べる俺たちは、常に一週間の篭城もへっちゃらなくらいの蓄えを用意していた。
つまり俺たちは汗一つかかず、ゲージの減りなんて気にせず、疲れ知らずの機械のように活動することが可能だった。初めは動きづらいと思ったこの鎧も、なんてことはない。実際に動いてみればすぐに慣れていった。
調査を進めていくうちに、俺はこの作業を楽しいと感じている自分に気づく。
地道だが少しずつ目標達成に近づいていくさまが、欲しい装備を買うためにチマチマと金策を重ね、増えていく所持金にニヤニヤしていたあの頃を思い出させたのかもしれない。
そんな意外な楽しみを見出しながらも、覚悟していた通り長丁場となった確認作業――されど、終わらない作業などない。
『調査隊のみんな、お疲れ様。現在をもって〈アガルタ〉の調査は完了した。各自公園に帰還してくれ』
ツァラさんの、愛想のない事務的な放送が流れて――
『未知のクエスト調査計画・アガルタ編』は完了した。
一種の達成感に包まれながら公園に戻った俺は、しかしその光景を前に目を丸くした。
ただでさえ情報量の多かった、巨大な三つのボード。そこにはNPCの数を示す青文字と、調査済みを示す赤いバツ印が無数に書き加えられて、前衛的なアートのようになっていたのだ。
そしてその周囲で腰を下ろしている、くたびれた様子の三人の姿。
(俺は結構楽しかったなんて、口が裂けても言えないな)
と思っていたら、ツァラさんが、
「まるで軍師気分で、楽しかったな」
と口にして驚いた。
調査が開始されてから、かれこれ七時間が経過していたのだ。その間、休憩している暇はなかったと思う。
俺たちも七時間ぶっ通しで歩き続けた――と言えば、こっちのほうが大変そうに思えるが、前述の通り肉体的な疲労は一切ない。一方、頭脳労働をしていたツァラさんの精神的疲労は、計り知れないはずなのだが……。
彼女の精神力は無尽蔵なのか? と畏れの念が湧いたまさにその時、
「しかし、さすがに疲れたな……」
という呟きを聞いて、俺はこっそり安心するのだった。
労いの気持ちを込めて、俺は三人に一番高価な飲み物、〈ゴールデンジュース〉を渡す。適度に冷えたグラスを受け取り、ひと口飲んだアリシアが、
「思考回路がショート寸前だったわ……」
と弱音をこぼしていたから相当だったのだろう。……いや、もしかしたらそれはアリシアなりのジョークだったのかもしれない。答えは闇の中だ。
さておき、任務を終えて公園に勢揃いした調査隊へ向け、ツァラさんはまず感謝の言葉を述べた。
続いて、〈アガルタ〉には812人のNPCが確認できたこと。
けれど、未知のクエストの発見には至らなかったこと。
それから今日はここまでにすることと、今後も参加してくれるという人は、明日の昼12時に公園に集合して欲しいことを告げ、その場は解散になった。
ひと仕事終えた人々が、思い思いに散っていく中。
俺たちはアリシアを迎えて四人パーティに戻った。
「アリシア、ちょっと外の空気でも吸ったほうがいいんじゃにゃい?」
「うん、そうだね。そうしようかな」
と簡単なやり取りがあって、俺たちは半日ぶりに地上へ出ることになった。
* * *
「もうすっかり夜だな」
「ああ。でも、肌寒くすらないな」
日も沈んだ〈アースガルズ城砦跡地〉の荒野。そこで俺は、籠手を外して素肌をさらし、腕をぶんぶん振ってみた。だけど感じる夜の空気は、せいぜい涼しい程度だった。
「たいまつに手突っ込んでもちょっと温かいだけだったし、服も燃えなかったし、なんとも優しい世界だな。ははっ」
俺とエイジがそんな雑談をしている横では、
「すっごー! 満月、大きすぎない?」
「うん。なのに星もたくさん見える……綺麗だわ」
ミドちんとアリシアがこの世界の夜空を見上げ、声を漏らしていた。
二人は感動していたが、空に浮かぶ大きな月を見た俺の脳裏には、悪夢のような光景が蘇った。
(現実は、やっぱりあっちの世界だよな。でもあっちの世界はもう……)
解消しようがない感傷。そんなものに浸った時、背中をバシンと叩かれた。
「なあ、せっかくだからあの高い壁に登ってみようぜ!」
楽しげに言うのは、もちろんエイジだった。
頷き返して、俺たちは城砦だった名残である岩壁に登ることになった。
「危なそうだし、私は下で見てるわ」
と、アリシアは一度断ったが、
「ウチは登るよ! こんな経験、ここじゃないとできないもん! アリシアも一緒に来てくれるよね!?」
「わ、わかったわ」
ミドちんに強引に誘われて、しぶしぶ了解していた。
高さ10メートルほど壁を、ゲームキャラ特有のジャンプ力と握力を発揮しながら、慎重に登っていく。
最初に頂上に辿り着いた俺は、危なくないことを証明しようと思い、わざと落下してみた。それも頭からという、リアルなら助からないだろう体勢で。だが、少しの衝撃が頭と首に来ただけで痛みはなく、HPを1割程度失っただけで済んだ。
岩壁登りは、女性陣は特に苦労していた様子だった。まあ言い出しっぺのエイジも何度も落下していたのだが、それでも30分ほどで全員が登頂に成功した。
俺たちは広く見渡せるようになった景色に満足しながら、また夜風に当たる。
ふと時間を確認すると、
【R歴58年、4月16日、水曜日。1時12分】
と表示された。
(もう深夜だ――だけど)
「なあ、みんなの中で眠気を感じる人はいるか?」
俺が仲間たちに問うと、
「いや、まったく?」
「全然眠くないにゃ」
「いいえ」
みなが一様に首を振って、それからアリシアが言う。
「でも確かに、そろそろ眠たくなってもおかしくないわよね」
「そうなんだ。俺たちがここに放り込まれてから、かれこれ半日経ってる。それにこの世界に来る前は、午前3時の深夜だった。だからおそらく俺は、24時間以上起きっぱのはずなんだ。なのに、まったく眠気がない」
「アドレナリンが出て脳が元気になってるから、とかか?」
エイジが軽い調子で口にする。
「だとしても、あれだけの人数がいてあくびの一つも見なかったのはおかしい。……もちろん、俺がただ見逃してただけって可能性もあるし、案外、公園に戻ったらぐっすり寝てる人がいるかもしれないけど」
「だがまあ、今までの感じからすると、これもこの世界の仕様って考えるのが妥当なんだろうな」
夜空を見上げながら、エイジが真面目な調子で言った。
「たぶんね」
MMORPGのキャラクターは得てして疲れ知らずであり、眠気知らずである。ご多分に漏れず、RSOもそうだった。
だから俺たちが眠たくならないのも、仕様と思えば納得のいく話ではあった。
とはいえ、“普段眠っている時間をどうやって潰せばいいのか?”は相当な難題になりそうだった。
睡眠を取る必要がなくなったのなら喜んでRSOをプレイします――というのがゲーマーとしての模範解答だろうが、すでにプレイ中なのでそれも叶わない。
ではどうしよう? と考えたところで、俺は妙案を思いついた。
「アリシア」
「うん?」
睡眠ゲージなんてものは存在しなくても、睡眠状態ならあるではないか、と。
「俺に〈スリーピングスフィア〉を撃ってみてくれないか? もしかしたら眠れるかもしれない」
「おっ、いいな! 俺も一緒に食らうぜ」
面白そうな匂いを察知したのか、すぐにエイジが反応するが、
「エイジはレベル差で抵抗しちゃうんじゃないかしら?」
「くっ……そうか」
アリシアに冷静に指摘されて、残念がるのだった。
「いいわ、撃ってあげる。落ちないように真ん中に寝転んで」
言われた通りに俺は仰向けになった。高さ10メートルの岩壁の上という、実験にはまるで不向きな場所だが、試してみたくなったのだから仕方がない。
「行くわよ、ライネ?」
「ああ」
「〈スリーピングスフィア〉」
詠唱時間の5秒後――優しいオルゴールの音と紫色のもやが降りかかってくる。俺の目蓋は強制的に閉じて、体もピクリとも動かなくなった。
「どうだ? 眠ったか?」
近くでエイジの声が聞こえる。
「……いや、ダメだ。目は開かないけど声は聞こえてるし、それにこうやって喋ることだってできてるしな」
「ふむふむ、体のほうはどうだ? 動かせるか?」
「無理だな。動かせるのは、どうやら口だけっぽい」
「ほう。なるほどなあ」
答えながら、俺は余計なことを言ってしまったと後悔していた。
……嫌な予感がする。
「なあアリシア、ペン持ってるか? さっきボードに書いてたやつ」
「あるわよ。赤と青のペンが一本ずつ」
「俺は青をもらおうかな」
「じゃあウチは赤でいいにゃ」
「……おい、何をするつもりだ」
「何って、寝てる相手にすることといったら落書きしかないだろ?」
「そうだにゃ」
賑やかコンビのとても楽しそうな声が聞こえる。
「いや、だから、俺は寝てないんだって……」
「いーや、お前は寝てるね! パーティメンバーのお前のステータスは、しっかり〈睡眠〉になってるからな!」
「寝る子は育つって言うし、たーんと眠ろうね~、ライネ」
「無茶苦茶言うな! アリシア! こいつらを止めてくれ!」
そんな俺の必死の救援要請が届いたのか、
「ライネ」
救いの女神の声が真上から聞こえた。
しかしその声の主は、女神ではなく魔女だった。
「さっきあなたは、私の許可もなくここから飛び降りていたわよね? それも頭を下にして、とても痛々しい感じで。あれは結構心臓に悪かったわ。――あ、そろそろ効果が切れると思うからララバイで上書きしたほうがいいわ」
「了解」
エイジの子守歌によって、無慈悲にも俺の睡眠状態は続く。
「勝手なことしたら寝かしキープするって、約束しちゃったからね。約束はちゃんと守らないといけないでしょう? というわけで、観念して落書きされてね」
こんな時だけ優しげな、アリシアの声。もし微笑んでるのなら、せめてそれだけでも見たかったなあ、と思ったのも束の間。
二本のペン先によって、俺の顔面は蹂躙されるのだった。
* * *
俺への悪戯(イジメといってもいいかもしれない)が終わり、顔を〈蒸留水〉で濡らした手拭で綺麗にしたあとも、夜はまだまだ明けなかった。
仕方なく俺たちは周囲を散策したり、付近の罪もないモンスターに手を出したりしてみた。月光の明かり以上にプレイヤーは夜目が利くようで、暗がりでも視界に困ることはなかった。
やがて朝日が昇ると、山と空との境界線を書き消すほどの圧倒的な光量が、視界いっぱいに広がった。俺たちはしばらくの間、その風景に心を奪われた。
朝食には出したてのパン(ストレージから出すと焼き立てみたいになっている)を食べた。それが終わると、学生時代にやっていたような、道具を使わずにできる遊びを四人でやった。これが意外にも盛り上がったが、それでも時間は余った。
結局遊ぶのにも疲れて、並んで草むらに寝そべり、目を瞑ってみたりした。
そんな、スマホとパソコンが恋しくなるような時間を過ごして、ようやく俺たちは12時を、ツァラさんが指定していた集合時間を迎えたのだった。