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始まりの地下都市――〈アガルタ〉
『リバイバル・サーガ・オンライン』を始めたプレイヤーが最初に降り立つ故郷であり、世界が魔物に支配されていた時代では人類の最終防衛基地でもあった。
そのため、地中とは思えないほど大きな空間を有しており、衣食住も完備されている。魔法文明が発達しているおかげで光源の確保や温度管理もさほど苦はなく、農場どころか牧場や植林地だって存在しているのだ。
伊達に200年もの間、人類はここに閉じこもって暮らしていたわけではない。
同時に、地下特有の入り組んだ地形と見通しの悪さによって、初心者プレイヤーの十割を迷子にさせたという伝説も残っている――。
* * *
視界が開けるのは一瞬だった。続いて、地面に足がついた感覚が訪れる。微かに浮遊感を覚えたのもあいまって、光のエレベーターという言葉が連想された。
周囲を見回すと、隣には同様に首を動かしているミドちんとアリシアの姿が。
どうやら無事に転移できたらしい、と胸を撫で下ろした時、光の粒をまき散らしながらエイジが現れた。
「……上手くいったみたいだな」
そんな俺の呟きはしかし、
「すごーい! あっという間に着いたにゃ!」
「おお、すげえな! ワープってこんな感じなのか!」
目を見開いてはしゃぐ二人の声によってかき消された。現実では有り得なかった体験にテンションを上げる、ミドちんとエイジ。
なんというか、この仲間たちの姿を見ていると、テレポート直前に過ぎった不安も杞憂に思えてくるから不思議だった。
「……なんだか不思議ね」
「ん?」
目の前に鎮座する青く透明な巨石――アガルタの御石を見つめながら、アリシアが神妙に呟いた。
「この場所に来るのは初めてなのに、懐かしい気もする……。変な感じだわ」
「ああ、確かに……」
ざっくりとした物言いだけど、言わんとすることは俺も共感できた。
「不思議な感覚……だよな」
記憶の中にある画面越しに見た世界が、眼前に広がっているという現実。
一瞬で視界が切り替わったことで改めて認識させられる違和感だった。
アリシアと一緒に、もう一度周囲を見回す。
すると、一人の男性を威圧的に取り囲んでいる、二人組の姿があった。
「もしもーし、聞こえますにゃー?」
「ん? それしか言えないのか? ん?」
特に男のほうなんてガラが悪くて近づきたくなかったが、残念ながら仲間だったので見過ごすわけにいかない。
「……何やってるんだ? エイジ」
「ん? ああ、いや。第一NPCを発見したから友好的に話をしようとな。だけどダメだ。こいつらゲームの時と同じで、同じことしか返してくれねーわ」
「……その人がNPCだって、どうやってわかった?」
「それなら、メニューを開けばすぐにわかるぜ」
言われてメニュー画面を開く。そして二人に挟まれながらも無表情で樽に座っている男性を見ると、その頭上には緑色の名前が表示されていた。
それがNPCの証であることは、RSOプレイヤーには周知の事実だった。
「……ふむ。俺はてっきり、急にエイジがほかのプレイヤーにイキり出したのかと思ったよ」
「あはは、そんなわけにゃいじゃん、ライネ~」
本気と冗談が半々の俺の言葉を否定したのは、当人じゃなくてミドちんだ。
「エイジがイキれるのは、AIかネット越しの相手だけって決まってるんだから」
「そうだぞ? 俺が本物の人間相手に、あんな正面からイキれるわけないだろう」
謎に自信たっぷりに言い放ったエイジは、一転して思案げな表情になる。
「しかし、プレイヤーがいないな?」
確かに、見える範囲にいる人の形をした者の上には、全て緑色の名前があった。自由に行動しているプレイヤーの姿は、まだ一人も確認できていない。
俺たちがここに飛ぶ時に使った〈アガルタの御石の欠片〉は、ゲームを始めた際のチュートリアル的なクエストでゲットできる、捨てられないアイテムだ。
それを使用するには魔力の充填が必要という設定で、現実の24時間ごとに一回のテレポートが可能になり、最大で三回分までチャージできた。ゲームを開始した当初こそ、一日一回しか使えないなんて不便だと嘆いていたものの、〈アガルタ〉以外の拠点が充実していくにつれて、常に一回分はチャージされているプレイヤーがほとんどだったはず。
だからこそ俺は、この円形の台座に祀られた、高さ10メートルを超える巨石の周りに、大勢のプレイヤーが集合しているんじゃないかと踏んでいたのだ。
だが、どうやらその予想は外れだったらしい。
「エリアサーチだと、確かに180人以上いたんだ。でもここにいないとなれば――」
「公園か」
エイジも同じ考えに至ったようで、俺の言葉を引き継いだ。
「たぶんね」
「公園かー。行くのは久しぶりだにゃあ」
ミドちんが頭の後ろで手を組み、のんびりと言った。
そこへ、
『あーあー。〈アガルタ〉にいるプレイヤーのみなさん、聞こえますでしょうか』
不意に声が流れ込んできた。
「お? なんだなんだ?」
「なになに?」
「静かに。とりあえず聞こう」
『えー、これはプレイヤーのみなさんに向けた案内のシャウトです。といっても、アタシもいちプレイヤーに過ぎないんだけどね。
あー、はいはい、わかってるよ。
えー我々は現在、この世界の仕様を把握するべくシャンデルナ公園に集まって、情報交換をしています。まだ大した情報は集まってませんが、現状の確認と今後のことを話し合うためにも、これが聞こえているみなさんには、足を運んで欲しいと思ってます。まあ、強制はできないけどね。
うん? もう一度繰り返すのか?
……あー、〈アガルタ〉にいるプレイヤーのみなさん――』
一瞬だけ、まさか運営からのアナウンスか? と身構えたが、頭に声を響かせた女性は、いちプレイヤーに過ぎないらしい。
ちなみにシャウトとはエリア全体に発信するチャットのことで、だからこの音声案内は〈アガルタ〉全土に届いていることになる。
「なんか、言わされてる感満載だったな」
肩をすくめたエイジに、俺は今のシャウトを復習しながら「ああ」と頷き返す。
俺たちがRSOの中にぶち込まれてから、まだ一時間と経過していない。
なのに、この段階で〈アガルタ〉にいた人たちをまとめ、今現在も集まってきているプレイヤーに案内をしつつ、情報交換にも着手しているなんて。
(いったいどんな人物なんだろう――?)
個人か団体かは定かじゃないが、興味が湧いてきた――ところへ、
「情報交換だって。それならライネ様が捨て身で得た情報が、役に立つんじゃないかにゃ?」
ミドちんが皮肉っぽく意地悪げに言った。
そして俺が反論するよりも先に、アリシアが悪乗りする。
「それはもう、ライネ様が命がけで証明してくださった情報だもの。きっと感謝のあまりに銅像が建てられるわ」
建てられるわけないだろ……と、胸中でツッコミを入れつつ、
「お、おう……俺様はみんなから崇められるだろうなっ」
慣れない口調で震え声を発すると、二人は満足したようにクスクスと笑った。
それを見て俺も満足する。アリシアが少しでも機嫌を直してくれるのなら、このくらいはお安い御用だった。
「ははは。ま、それほど大層な情報なんだ。さっさと向かおうぜ」
話をまとめたエイジを先頭に、俺たちは岩肌の地面を歩き出した。
カツカツと足音を鳴らして進むのは、農場や牧場などを除いて視界のほとんどを茶系が占める、単調な地下都市の内部だ。まるで複雑な化学式のように、線と円が立体に繋ぎ合わされた入り組んだ空洞。されど、そこを俺たちは生まれ育った地元の如く、迷うことなく歩き続ける。
かくして、二分が経とうという頃。
短く幅の広いトンネルをくぐった先に、鮮やかな草木の緑と、天井を埋め尽くす明るい青色が飛び込んできた。
ここが公園。正式名称――シャンデルナ公園だ。
大きなドーム状になっているこの広場は、実際に東京ドームと同じくらいの面積があるという。地面は硬い岩から柔らかな土に変わり、魔法の光で育てられた芝生の絨毯が敷かれていた。木々もいたるところに植えられていて、どこからかやってきた鳥のさえずりを楽しむこともできた。
高さ10メートルほどの天井に描かれた空の絵は、魔物に支配されていた時代に地上に憧れた人類が描いたものとされている。
この公園は、長い間地下で暮らしていた人類にとって、心のオアシスと言ってもいい場所だったのだ。
同時にここは、RSOプレイヤーにとっても憩いの場として親しまれてきた。
生産系のスキル上げの場所として、わざわざここまでやってくる人。のんびりとチャットをして過ごす人。中には、穏やかな休日を思わせる専用BGMを聞くために公園にキャラを放置し、リアルで読書にふける人もいたという。
ほかにもパーティを組むための人集めの場所としても利用され、人が集まるなら、と壁際にはプレイヤーが展開したマーケットが立ち並び、同人即売会のような賑わいも見せていた。
(あれがもう、10年近く前のことなのか……)
今は広々とした一画に、寄せ集めのような一団がいるのみ。
性別・種族・クラスも様々なあの集団も、100人はゆうに超えているだろうが、最盛期にはここに三千人以上が集まっていたのだ。
それに比べれば、どうしても閑散とした印象になってしまう。
そんな、少しだけノスタルジーな気分になりつつ、その集団が向けている視線の先へ歩を進めようとした時、
「待ってライネ」
ふと肩を叩かれた。
「その格好のまま行くつもりなの?」
呆れ声のアリシアの指摘に、俺は内心で冷や汗をかいた。
これからあの集団の代表に会うというのに、浴衣姿のままで行くところだった。
「あーあ。言わなきゃ面白かったのによ」
あからさまにがっかりしたエイジへ、俺はメニューをいじりつつ、苦しい言い訳をする。
「いやいや、言われなくても気づいてたさ。というか、今着替えようとしてたのをアリシアに邪魔されたんだ」
「絶対ウソにゃ」
間髪いれずにミドちんに見破られ、そこへアリシアが小声で耳打ちする。
「ああはなりたくないね、ミドちん」
「ねー」
もちろん余計なことを口走った自分が悪いのだが、結構傷ついた……。
ともあれ俺は咳ばらいをしつつ、一瞬で白銀の鎧に着替える。ついでに腰に聖剣も出現させた。ミドちんに庶民装備だと馬鹿にされた〈エクスカリバー〉も、ないよりはあったほうがサマになるだろう。
(これでとりあえずは、ふざけたヤツだと判断されないはずだ)
ざわざわとした集団をぐるりと避けて、俺たちは中心人物のもとへ向かう。
リーダーらしき存在は、すぐに見つけることができた。腕を組み、台の上に堂々と立っている人物がいたのだ。そして意外にも――と言ったら種族差別になるかもしれないが、この場を仕切っていたのは〈ビットン〉族の女性だった。
女性は高さ1メートルほどの台に乗っていた。
なのに、頭の位置は俺とほぼ同じ高さにある。
その理由は、〈ビットン〉がいわゆるドワーフやホビットといった小人族だからであり、彼女の身長は、ようやく歩き始めた赤ん坊くらいしかなかったのだ。
〈チーム〉の中でも、ルッツとエクレアの夫婦が揃って〈ビットン〉だったため、このサイズ感も、黒頭巾から飛び出ている少し尖った耳も、男女問わず愛らしい顔の造形もよく見ていたのだが、こうリアルに実在しているとなかなかインパクトがあった。
「ん? なんだい? アタシに何か用かい?」
まじまじと見ていた俺の視線に気づき、女性がぶっきらぼうに言った。
マスコット的な外見と違って、姉御肌といった印象のその鋭い声は、シャウトで聞いたものと同じだった。
「初めまして、俺はライネと言います。先ほどの案内を聞いてやってきました」
至極どうでもいいことだけど、ゲーム内での付き合いとはいえ基本的には丁寧語で話す――というのが、俺の昔からの習慣だ。
後ろに控えている三人の仲間にも、そうやって話していた時期があった。
「初めまして、アタシはツァラだ」
顔以外を〈忍者〉の黒装束で覆った女性は、無駄なく端的に名乗った。
その名を聞いて、彼女の辣腕さと俺の記憶にあった姿が一致する。
「ツァラ……さん。〈RSOデータベース〉の管理人ですか」
〈シャドウスピリッツ〉の時にも少し話に出た攻略サイト。その管理人と知って、後ろでエイジとミドちんが盛り上がる。
「おお、あそこには何度お世話になったかわからないぜ」
「うんうん! 誤情報はほとんどないし、更新も早くて助かってたにゃ!」
当のツァラさんは自慢する風もなく、素っ気ない態度で言う。
「まあ、現役でプレイしてたのは、もうアタシだけだったけどね」
復習になるが、RSOは玄人志向の(鬼畜仕様と言い換えてもいい)ゲームであり、ミッションやクエストに関するシステム的なヒントが存在しない。だからこそプレイヤー同士の情報交換が重要で、それらがまとめられた攻略サイトは重宝されていた。
もちろんネットで情報を仕入れずにクリアを目指すのも、一つのゲームの楽しみ方ではある。しかしRSOでそうしようとすれば、時間がいくらあっても足りないというのが現実だった。
全てを攻略サイト頼みで進めるか、壁に当たったら頼るかといった辺りはプレイスタイルによるだろうが、ほぼ全てのプレイヤーが〈RSOデータベース〉にアクセスしたことがあったと思う。そのくらいにあのサイトは優秀だった。
また、サイトを管理している〈チーム〉のうち、三名が日替わりで更新する日記も人気で、その中の一人がツァラその人だった。
夜間に移動速度が上がるというクラス特性が、情報収集に役立つから――そんな理由で〈忍者〉を選んだほどの、自称情報ジャンキー。
つまり彼女は有名人であり、多くのプレイヤーの恩人とも言える存在なのだ。
ここに集った人たちがリーダーに認めたのも、納得できる話だった。
「あの――」
「それで――と、そっちからどうぞ」
俺が口を開いたと同時に、ツァラさんも声を発していた。
俺のほうは興味本位の質問だったのでスルーでも構わなかったのだが、先にそう言われてしまえば、なかったことにはできず、
「あ、えっと、その体って動きにくくないですか? と思っただけでして……」
「ああ、そんなことか――と笑い飛ばしたいところだが……動きにくいなんてもんじゃないね」
ツァラさんは手を広げて、小さな自分の体に視線を遣ると、
「この体になって数分は、歩くことすら満足にできなかった。練習してちょっとはマシになったんだがね」
苦笑しつつ、うんざりしたように語った。
「それは、災難でしたね……」
俺のキャラは現実の体とほぼ同じ体格で良かった、と密かに思ったのは内緒だ。
「ま、すぐに慣れるさ。で、アンタは情報でも持ってきてくれたのかい?」
「あ、はい。ここに来る前に一度、戦闘不能になってきました」
「ほう」
俺の言葉に、ツァラさんは顎に手を当てて真剣な表情になる――のだが、それも愛らしい仕草に見えてしまうのが、この〈ビットン〉という種族の特徴だ。
「今一番知りたいと思っていた情報だ。モンスターにでもやられたのかい?」
「いえ、木人相手に自滅しただけ、なんですが」
「……自滅。なるほど、〈パラディン〉なら可能か」
流石に全クラスに精通しているようで、すぐにその方法に思い至ったらしい。
俺は頷き返し、続きを話す。
「戦闘不能になったらその場に倒れて、視界が暗くなりました。数秒したらゲームと同様に復活地点に戻るかの選択肢が現れて、俺の場合は〈リライフ〉をもらって生き返りました」
「はいはーい! ウチが蘇生しましたにゃ!」
右手をぐんぐん伸ばして、手柄を主張するミドちん。
そこへは視線がちらりと向けられただけで、ツァラさんは考える仕草に戻った。
「厳密に情報を求めるなら、モンスターにやられたパターンと、戦闘不能から復活地点に戻るパターンも調べてみないといけないな……。だが、有益な情報には違いないね。ありがとう。――書記!」
「はーい、もう書いてますよ」
書記という呼びかけに応じたのは〈ミャウラ〉の男だった。ツァラさんが乗った台の近くに待機していたようで、調度品の〈ホワイトボードL〉と思しきものに、俺が告げた情報を書き足している。
動きづらく背の低いツァラさんの助手をやっているのだろう。
しばらくして書き終わると、待機中の大衆の前にボードを運んでいった。早くも戦闘不能=死ではないという情報が広まったのか、安堵のため息が聞こえる。俺は少しだけ鼻が高くなった。
書記の男は、大衆の前に置かれていた別のボードを台のほうに引っ張ってきて、また同じことを書き始める。できる限りリアルタイムで情報が行き渡るよう、工夫しているみたいだ。
新たな項目を追加し終えたボードを指し示し、ツァラさんが問う。
「ここには現在判明している仕様が書いてある。これ以外で何か知っている情報はあるかい?」
四人でひと通り眺めていると、またもやミドちんが挙手した。
「はいはい! これがまだですにゃ!」
やかましくそう言って、両手の人差し指をきゃぴっとフードの中へ向ける。
「眼鏡……かい?」
訝しそうに呟くツァラさん。
そういえばミドちんは、いつの間にか赤いアンダーリムの眼鏡を装着していた。
「イエスですにゃ! この猫耳フードと眼鏡はどっちも頭の防具なので、ゲームの時は一緒に装備できなかったにゃ。でも! ここではそれが可能なのですにゃ! しかも、ちゃんとステータスも上乗せされてるのにゃ! これって大発見じゃないですかにゃ!?」
にゃーにゃー、と凄まじい勢いでプレゼンしてくる猫娘に、すっかり引いた様子のツァラさんは、
「……なるほど。装備の重ね付けは可能ってことだね」
一応書いといてくれ、といった感じで書記へアイコンタクトを取った。
ボードの内容が更新される横で、アリシアとミドちんが、
「いつ試してたの?」
「公園に来る途中、こっそりとね。似合ってる?」
「うん、可愛い」
「アリシアにも貸してあげるにゃ」
とガールズトークを繰り広げていた。
「ありがとう――似合う?」
(眼鏡をかけたアリシア――そういうのもあるのか!)
これはボードの確認なんかしてる場合じゃない。もっと近くで見て、しっかりと記憶に留めなければ。
そう思ったのに、
「アンタは何かないかい?」
ツァラさんに訊ねられて中断された。
「あっと、そうですね……セーフティを外せば、ゲームと同様でほかのプレイヤーに対しても攻撃が可能ということと、魔法や攻撃を食らってダメージを受けても、肉体的な痛みはないということ……くらいですかね」
「ふむ、確かにその辺はまだ試してなかったな。丁度いい。そこの〈ウィザード〉のお嬢さん。ちょっとアタシに〈ストーン〉を撃ってみてくれないか?」
いきなりそんなことを言われて、アリシアはデジャブを感じたのだろう。
一瞬苦い顔になり(眼鏡はすでに外されていた……)、それから返事をする。
「いいですけど……いいんですよね?」
「ああ。確認できることは、できるだけ自分で確認したい性分でね」
その発言一つで、この人とはウマが合いそうだと勝手に思う俺だった。
「わかりました。では、行きます……〈ストーン〉」
アリシアが詠唱して、ツァラさんの小さな頭に大岩が落下する。ゴツリという、容赦のない音。俺の時と違って赤ん坊のような体格をしているぶん、見ているほうの顔が歪んでしまう、えげつない光景となった。
ただし、当たり前だがツァラさんは平然としている。それどころか、
「面白い、本当に痛みはないんだね」
と新感覚のアトラクションでも楽しんだように呟き、続けて指示を飛ばした。
「コッペ、今のも書いておくように」
「はいはい」
コッペという名前らしい〈ミャウラ〉の男が、ボードにペンを走らせていく。
「そろそろ書き切れなくなってきたね。それを運ぶ時、ストレージの中にボードが入ってる人がいないか訊いてきてくれ。サイズは問わない」
「了解っす。――あ、あと三分でまた案内放送の時間になるんで、大変でしょうが忘れずにお願いしますよー」
そう言ったコッペは、書き終えたホワイトボードをせっせと運んでいく。
この例えが本人たちの望むところかわからないけれど、姉御とその舎弟のようないいコンビだと思った。
「放送か……アタシはああいうのは苦手なんだが、誰か代わってくれる人はいないもんかねえ」
困り顔ながらも、期待するようなツァラさんの視線がこちらに向けられる。
大勢に向かって喋るのは、俺も苦手だった。ズルいと理解しつつも、鎧の具合を確かめる振りをして視線を逸らす。
(ミドちんかエイジなら面白がってやってくれないかな……?)
と他力本願になっていたら、手を挙げたのは意外な人物だった。
「それなら私がやりましょうか? 先ほどの放送と同じような内容を言えばいいんですよね?」
「おお」
ツァラさんも物は試しの発言だったらしい。
棚ぼたとばかりに丸っこい目を開き、そして歓迎の意を示す。
「それはとても助かる。シャウトの機能を使って案内してることと、あとは公園に集まって情報の収集と公開をしてることを伝えてくれればいいさ。12時15分を目安にお願いできるかい?」
「わかりました」
快諾して頷くアリシア。
その様子を意外そうに見ているのは、ミドちんとエイジも同じだった。
「……じゃあ、俺たちは戦闘不能のいろんなパターンを検証してきましょうか?」
そんな殊勝な言葉が俺の口から出たのは、他力本願に対する引け目からか、それともアリシアだけが仕事をするということへの負い目からか。
「ふむ。アンタは信頼できそうだし、それじゃあお願いしてもいいかな?」
「はい。――あ、アリシアは一人で大丈夫か?」
半分本気で心配した俺に、
「子供じゃないんだから大丈夫です」
アリシアはツンとした態度で言い返した。
「それより、エイジとミドちん。ライネが無茶しないように見張ってて」
「おう」
「まっかせてにゃ!」
逆に釘を刺してきたアリシアに苦笑していると、俺の目の前に突如メニュー画面が出現した。
何事かと見れば、フレンド登録の申請だった。送り主であるツァラさんにちらりと視線を向けつつ承諾し、俺は告げる。
「では、行ってきますね」
ツァラさんの首肯。
「行ってらっしゃい」
というアリシアの声を受け、俺たちはモンスターが待つ地上へと歩き始めた。
集った人々を横目に通りすぎ、公園の出入り口であるトンネルをくぐる途中、
「あ。今さらだけど、お前らに確認もしないで勝手に決めちゃってたな……」
俺が決まり悪く言うと、エイジが肩をすくめた。
「はっ、気にすんな。嫌なら先に断ってるって」
「そうそう。それにあそこのみんなの役に立てると思うと、頑張れるにゃ!」
不慣れなシャドウボクシングを披露しながら、ミドちんも意気込む。
「確かに、そうだな」
着いてきてくれる仲間の頼れる姿に、俺は自然と笑みを浮かべた。
にっと笑い返してくるエイジ。かと思えば、すぐに目つきを鋭くして警告してくる。
「言っておくが、誰が実験台になるかはジャンケンで決めるからな」
「にゃーい」
「……了解」
そうしてこの場がまとまって、俺たちがトンネルを抜け出た丁度その時。
アリシアによる一切の淀みがない美しいアナウンスが、地下都市の全プレイヤーへと浸透していった。
* * *
〈アースガルズ城砦跡地〉は、地下都市から生まれ出たプレイヤーが初めて魔物と対面するフィールドである。その性質上、そこに生息しているモンスターのレベルはかなり低い。
例外として、最後の拡張DLC、〈アガルタの滅亡〉がサービス開始した数か月に限り、魔族軍が送り込んだ強敵が闊歩していたのだが、現在はまた、ほのぼのといってもいい雰囲気に戻っている。
実験は、プレイヤーがモンスターにやられたパターンから始めることになって、その役に選ばれたのはエイジだった。
選ばれたというか、ジャンケンで勝利したアイツが、
「勝ったんだから俺がやっていいよな?」
という理論を後出しして、強引に役目を奪っていったのだ。
しかし、前述したようにここのモンスターはかなり弱い。かつて初心者キラーの名をほしいままにしていた巨大鳥〈ロック〉でさえ、レベルは32しかなかった。
そういうわけで、まず俺とミドちんで裸の詩人を殴り、HPの調整を図った。
そしてめでたく瀕死になれたエイジは、意気揚々と〈ロック〉に突撃していった――のだが、眼前に襲い掛かってくる巨大鳥の迫力は想像以上だったらしい。
モンスターに倒されるという目的も忘れて、エイジは素っ頓狂な声を上げながら転がり、回避を試みた。
巨大な両翼が、地面に伏せた裸男の少し上に打ち下ろされる。その攻撃は明らかにエイジに当たっていなかったのに、HPが僅かに減ったのを俺は確認した。
なるほど。これもつまり、RSO本来の戦闘と同じ理屈なのだ。
RSOの戦闘は、アクションで攻撃を回避するといったことができない。
攻撃を避けたかどうかの判定は、相手の命中力と自分の回避力から計算された、パーセンテージに基づく運である。だから絶対に回避したいのなら、相手から距離を取って攻撃範囲外に出るしかないのだ。
俺はこの世界の仕様を把握しつつ、頭を抱えてうずくまった男が鳥になぶられているのを、ミドちんとともに黙って見守った。
一分以上経ってやっとHPが底を尽き、草むらに倒れ込むエイジ。
これでそのまま消滅するようなことがあれば、あまりにも悲惨な結末だったが、幸いそうはならなかった。ミドちんの手でばっちり蘇生され、本気装備に着替えたエイジは、憂さ晴らしに〈ロック〉を瞬殺するのだった。
続いて、これはツァラさんから頼まれていなかったけれど、プレイヤーキラーによって戦闘不能になるパターンも検証した。
この状況下でも、まだPKをする人間がいるとは思えなかったし、そのパターンだけ結果が異なるとも考え難かったが、念には念をというわけだ。
少しやつれて見えるエイジは休養させるとして、ならば俺とミドちんのどちらがやられる役になるか? という話になった。
そこで俺が、
「か弱い女性は殴れないから」
と言うと、
「わかったにゃ。じゃあごめんねライネ」
微笑んで頷いたか弱い女性は、フル装備の俺を五発でKOさせた。
やはり最悪の事態にはならず、復活地点に戻りますかという選択肢に、はい、と応じる。
無事、あらかじめ設定していた復活地点――アガルタの御石の前に降り立った俺は、そのことをチームチャットで伝え、エイジとミドちんの帰還を待ってから公園に戻るのだった。
* * *
「というわけで、戦闘不能でプレイヤーが消滅することはないと思います」
相変わらず台の上に乗って腕を組んでいたツァラさんへ、俺はそう報告した。
俺たちが地上で人体実験をしている間に、ホワイトボードの数は三つずつに増えていた。その前にはアリシアの姿もあって、どうやらコッペとともに情報の整理に勤しんでいるようだった。
「ふむ。これで一番の不安要素が消えた、と」
呟いて、コッペに目配せをするツァラさん。
それからまた俺に向き直り、妙に改まった様子で言う。
「さて、今後もこの世界の仕様の把握を続けていくのは当然だが、アタシはそれと並行して、もう一つの謎も解き明かしたいと思っている。そこで、アンタの意見も聞いておきたい」
「謎、ですか」
この現状で謎と言えば、一つしか思い浮かばない。それをあえて言わずに訊ねた俺に、ツァラさんは〈ビットン〉族らしからぬ挑戦的な笑みを見せた。
「ああ。アタシたちがなぜここにぶち込まれたのか――という謎さ」
確かにそれは、この世界にいる全員がいち早く解明したい謎だろう。
(その謎が解明できるものなら……だけど)
「それについては俺たちも話し合いました。でも、この状況を誰かが意図的に作り出したとはとても思えませんし、それならせいぜいこの世界を楽しもうという結論に……」
声が尻すぼみしてしまうのは、これが考えることをやめた者の結論だからだ。
俺は実のところ、本当にそれでいいのか? という自問が消え切っていない。
「開発や運営が一枚噛んでいて、この状況を作り出した可能性はないと?」
ツァラさんは容赦なく問う。
「そんな魔法のような技術は、存在していなかったと……」
「そんな魔法のような技術を、誰かが秘匿していた可能性は?」
追及を受け、俺は渋い表情になる。
魔法のような技術の存在も、それを誰かが秘匿していた可能性も99パーセントないとは思うが、ゼロではない……のだろうか?
黙り込んでしまった俺へ、
「まあ、アタシも本気で言ってるわけじゃないさ」
ツァラさんは意外にも笑いかけた。
「この状況を誰かが作り出したとは思えないってのも、同意だよ。――ただ、開発や運営も意図していない何かが、この世界で起こっているかもしれない。
現実から切り離されたこの世界にアタシたちが招かれた意味、あるいは目的を、例えばNPCなら知っているかもしれない」
「……それはつまり、誰も意図していないところで、未知のクエストやミッションが発生しているかもしれない――ということですか」
「話が早いね」
にっ、と〈ビットン〉族らしく笑ってみせるツァラさん。
続けて彼女は、途方もないことを臆することなく言ってのけた。
「だからアタシは、そんな妄想の検証をしたいのさ。
アタシたちの来訪を待ってるNPCがこの世界のどこかにいるかもしれない。
アタシたちの知らないエリアが、この世界のどこかに存在するかもしれない。
――その可能性がゼロじゃないうちはね」
RSO内に存在する、総勢一万を超えるNPC。
現実の四国ほどの面積を誇る、〈アトランダム大陸〉。
その全てを調査したいと。