Ver.0032.000625
見事勝利を収め、世界を変える権利を手にした俺たちだったが、待ち受けていたのは山積みのタスクと、それを消化していく大変な日々だった。
あのあとウラバとコンタクトを取った俺は、情報を精査して持ち帰り、仲間たちと話し合いを重ねた。その結果をウラバに提示し、そこで問題点が浮上すればまた持ち帰って、話し合いをする。
しばらくはその繰り返しで、しかし会議は難航した。
なにせ、自分たちの生きる世界をどう創り変えるか? なんて議題に立ち向かうのは、誰だって初めての経験で、生半可な話し合いでは決められなかったのだ。
望みさえすれば、全てのNPCとモンスターを支配下に置いた、神のような存在にもなれるだろう。全ての未来が安寧と決定付けられた、隕石の衝突によって滅亡することなど決してない、約束された世界だって創れるだろう。
だが、それが俺たちの求める生き方だろうか――?
世界を創り変えてまでやることが、ゲーマーが忌避するチートのような行為で、いいのだろうか――?
全てが決まっている未来なんて、言わば勝つことが最初からわかっているゲームと同じだ。そんな味気ない世界に生きて、虚しくはならないだろうか――?
俺たちは生きている。これからも生きようとしている。
それならば、チートのような能力に頼らず、胸を張って立派に生きたかった。
そのためには、この世界の仕組みをどう変えるべきか――
幾度となく開かれた会議の末、ようやく方針は固まった。
しかし、すぐにプログラムの作成に移ることはできなかった。作成に必要な膨大な情報を、みんなで手分けして集めるという作業が残っていたのだ。
例えば、全てのNPCに『リアル・ヒューマン』を埋め込むことは決まったが、初期設定に、年齢・性別・職業・大まかな性格・類縁関係などの情報が必要だったため、それの把握と決定をするべく、またもや全NPCを巡る旅が始まった。
そんな作業で一番精を出していたのは、意外にもギースだった。〈シャドウスピリッツ〉で活躍できなかったことを、ずっと気にしていたらしい。
意地を原動力とした調査はツァラさんも認めるところで、世界が生まれ変わった暁には、諜報員として雇おうかと目論んでいるようだった。
会議の最中、俺はゴベさんに、容姿の変更も可能だがどうするか? と訊ねた。しかし予想通りというか、彼はあの半端ではない姿で今後も生きていくことを英断した。
まあ、本人がいいのなら、外野から言えることはないね。
とはツァラさんの言葉で、同様の質問をギース、ナエ、ツァラさんにもしたが、変更を申し出る人はいなかった。
彼女たちがそれでいいのなら、やはり俺から言えることもなかった。
結局、必要な情報を揃え、プログラムの書き換えも完了したのは、あの激闘から一ヶ月以上も経過したあとだった。決して短くない期間。一時は途方もなく思えた作業の数々を、全員が精神を病まずにやってこれたのには、ひとえにナエの存在があったからだろう。
その純粋さと無邪気さは、何ものにも変えがたかった。定時の集まりではみんなで競い合うように知識を披露し、ナエに勉学を教えた。勉強会が終わったあとは、俺たちも子供に戻った気分で公園内を走り回った。客観的には馬鹿みたいに映っただろうが、大切な時間だった。
また、空き時間を見つけては、六人でナエのストーリーも進めた。
この世界ならではの、大迫力の戦闘とイベント。それは、すでにゲーム内で話を終わらせていた俺たちだけでは決して味わえない、貴重な経験となった。
同時に懐かしい記憶もいろいろ込み上げてきて、一言で言えば、楽しかった。
――そうして、R歴58年、6月24日、火曜日、23時59分。
前日に〈コスモの母岩〉で全ての作業を終えた俺は、仲間を引き連れてハルバの小屋を訪れていた。自分たちで創り上げた、実に一年以上振りのバージョンアップを特等席で観覧するために。
その小屋の周囲で生い茂っていた木々は、俺たちの手によって排除され、大きな空間が作られていたのだが、それはひとまず置いておいて――。
24時ジャスト――小屋の扉が厳かに開き、ハルバハーラが姿を現した。
すでに体中に七色のオーラを漲らせていた大賢者は、瞳を閉ざしたままゆらりと俺たちの前に歩み出ると、おもむろに宙に浮いた。高度はどんどん増し、俺たちの頭上を越え、森を抜け、夜空に浮かび、星々に紛れてギリギリ目視可能な小ささになっていく。
瞬間――砂粒ほどの小さい点が、太陽をも超越する圧倒的な光に変貌した。
一切の影も許さない、何も見えないほどの光量。
なのに、不思議と眩しくない優しい光。
何かが体を突き抜けていく。
何かが体からこぼれ落ちていく。
何かが体に入り込んでくる。
それは、体が生まれ変わる感覚。
そして、世界をも生まれ変わらせる力の奔流。
やがて光が去ると、天上から美しいアナウンスが降り注いだ。
『・西暦2032年、6月25日。
RSO最後のバージョンアップが行われました』
世界が再興する記念日であるのに、流れるのが無機質な機械音声では寂しい。だからこのアナウンスは、俺がわがままを言って、アリシアに読んでもらったものになっていた。
『・プレイヤーのみが使えた機能、メニュー画面が廃止されました。
それに伴い、レベルや経験値、魔法やアビリティなどの確認は、
新しく作られた〈クラス管理所〉でのみ可能になります。
また、ストレージも使えなくなるため、
中に残っていたアイテムは全て消去されました。
・スキル制度が廃止されました。
これにより、材料を選択するだけの〈調理〉〈製作〉は不可能になり、
いちから段階を踏んでの調理・製作をしなければならなくなります。
・レベルの上限が99になりました。
・全てのモンスター及び動物に、
『行動学シミュレータ』のプログラムが適用されました。
今後、エリアや固定生息域は撤廃され、
独自の行動を取る個体の出現が予想されます。
・全ての植物・気象・地形・地質に、
各シミュレータのプログラムが適用されました。
これによって、自然環境は様々な影響を受け、
リアルタイムで変化するようになります。
・全てのNPC、及びプレイヤーに、
『リアル・ヒューマン』のプログラムが適用されました。
それに伴い、寿命による永久消滅――“死”が実装されました。
・今回のバージョンアップをもって、エリア〈コスモの母岩〉は消滅し、
今後の仕様変更は不可能になります。』
――これが、俺たちが出した答えだった。
地球生まれ、地球育ちの俺たちは、どうしようもなくあの世界が恋しかった。
RSOの世界観を残しつつ、できるだけ地球と同じ環境で生きたい。その折衷案が、このバージョンアップだった。
アップと言いつつも、実際の能力はダウンしているところが多い。
剣は重く感じるだろうし、痛覚だって導入されてしまったし、モンスターが街に襲ってくる危険だってある。きっと困難が訪れ、災難が降りかかり、なんでこんな仕様にしてしまったのかと後悔する日がいつか来るのだろう。
それでも、不確実性を宿したその世界に身を置くことこそが、生を実感するための最低条件だと俺たちは信じた。
プログラムの書き換え作業をする傍ら、俺はウラバに一つの疑問をぶつけた。
そもそも俺はなぜ、〈コスモの母岩〉に入れたのだろうか?
なぜ野木さんは、違法ファイルが詰まったあの場所を、社員に閲覧される危険があるような設定にしたのか。完全に隠蔽できただろうに、そうしなかったのか。
ウラバは、
「私も把握していなかった部分ゆえ、真相はわからないが」
と前置きしてから、こう言った。
「野木はプログラマーでありながら、不確実な事態が起こることを好む風変りな人だった。バグが好きだったのだ。だから、絶対に誰にも見られない安全性よりも、誰かに見られるかもしれないというリスクを楽しんでいたのかもしれないな」
その遊び心が、俺たちにこの未来を与えてくれた。
だから、そんな彼の考えに感銘を受けて――なんて大仰なものでもないのだが、俺たちは決まりきった世界を嫌った。
何より、この大陸の名は〈アトランダム〉。
無作為による困難、災難なんてどんとこいだ。
そのたびに俺たちは、六人全員で――
いや。
『最後に』
天上からのアナウンスは続いていた。
『この世界でログアウトした327人のプレイヤー全員に、
選択肢が与えられました』
直後――今度は俺たちがいた地面が光り輝く。
チートのような能力は忌避すると言っておきながら、これだけは六人が満場一致で決めたことだった。ダメ元で訊ねて、ウラバに可能だと言われてから俺は、この日が待ち遠しくて待ち遠しくて、仕方がなかった。
選択肢とは、ログアウトして消えていったプレイヤーたちに、復活のチャンスを与えるということ。残留していたデータに、ウラバから現状を伝えてもらい、新しい世界でまた生きたいかと問うのだ。
「ただし、彼らは私に覚悟を示していないからな。条件として、初期レベルからのやり直しを加える。それに強制ではなく、生きたいという意思も示してもらおう」
ウラバそう言ったが、俺は問題にしていなかった。
どんな状況でも、どんな状態でも――
できることなら生きたいに決まっているのだから。
結果――
光が消え、木々が取り払われた大きな空間に、大勢の人間が生まれる。
『――エリア人数、333人。全員か』
納得するような声は、ウラバのものだった。
『これで、この世界は完全にキミたちの手に委ねられた。今後の未来をどう創ってゆくのか、日々悩み、研鑽して生きたまえ。楽しみにしている』
長い間、作業をともにした友人の激励に、涙ぐむのも一瞬。
「ライネ――」
「アリシア――」
もうずっと聞いていなかった声に呼ばれて、俺の意識は引っ張られる。
「エイジ……」
「ミドちん……」
寄り添っていたアリシアの声も、俺の声も、感極まって震えていた。初期装備のみすぼらしいとも言える格好なのに、二人の姿はどこまでも眩しかった。
「エイジ……、馬鹿やろう……勝手に消えやがって……」
俺は涙をボロボロ流しながら、エイジの体を何度も叩いた。
「痛い、痛いって。……でも、すまなかったな」
「ミドちん……私、頑張ったよ」
「うん……お疲れ様。よしよし」
俺は子供みたいに泣いて、泣いて泣いて、泣き続けた。周りの目を気にする余裕なんかなかった。というより、そこかしこから涙声が聞こえていた。ずっと詰まらせていた感情を、みんながみんな、溢れさせていた。
「くそ……、涙が止まらないんだ……」
「……いいんだよ。思う存分、泣いてくれ」
泣いて、泣いて泣いて――
次第に俺は、ひどく安らかな感覚に襲われた。
目蓋が閉じるとともに、納得する。
(……ああ、そうか。泣き疲れたあとにやることは、一つしかないもんな。
……なんだか、久しぶりにぐっすり眠れそうだ……だから、今は勘弁してやる。
だけど、朝になって……目が覚めたら、お前らがいなかった間の話……泣くまでやめないからな……)
意識が落ちる――。
その寸前、仲間の優しい声が聞こえた気がした。
「おやすみ、ライネ」
「おやすみ、アリシア」