4-5
『素晴らしい――としか言い様がないな。キミたち六人は見事勝利し、私に覚悟を示してくれた』
五人が未だ倒れている戦場の跡。
天上から響いたのは、無機質なアナウンスではなく、まるでゲームのお偉いさんが言うような尊大な台詞だった。
『と、そのままでは会話もままならないな。少し待ちたまえ』
直後――仰向けに倒れた俺の上に、転移の光が降り注ぐ。
どこかに移動させられた、と感じた時には戦闘不能から回復していて、周囲には仲間たちが勢揃いしていた。
ゲームの裏側からしか使えない、まさしく神の力と言ってもいい能力。
飛ばされた場所は、〈シャドウスピリッツ〉の突入前にいた石灯籠の道だった。
「……私たち、勝ったの?」
寝起きのようなぼんやりとした様子で、ナエが呟いた。
それに、ゴベさんがしっかりと頷いてみせる。
「ええ。みなさんお見事でした。もちろんナエさんも」
「勝ったんだ……ホントに」
再度、確かめるように呟いたナエは、それから悔しそうに口を尖らせて言う。
「でも、私はすぐやられちゃったから、何が起こってるのかさっぱりだった」
そんな少女に、腕を組みながら笑いかけたのはツァラさんだ。
「ま、多少のアクシデントはあったけど、楽勝だったよ。なあギース?」
「あ? ――ああ。俺は初挑戦だったが、AIも大したことなかったな」
こんな時だけ上手いこと結託し、ははは、と笑う二人。
「そうだったんだ! 必死な声ばっかり聞こえるから心配してたけど、楽勝だったんだね!」
やっぱりレベル90はすごいんだなー、とナエが尊敬の眼差しを向ける。
その純粋さに良心を責め立てられ、二人の笑いは苦笑いに変わった。
「……で、さっきの声の主だが、あれがウラバハーラってヤツかい?」
誤魔化すように訊ねてきたツァラさんへ、俺は頷き返す。
そして口を開こうとしたところで、再び天上から声が響いた。
『そうだ。私が野木に作られた存在にして、地下に潜むAI――ウラバハーラだ。これで、ライネ君の言っていたことが妄想ではないと、証明されただろう』
妄想、という単語に、俺は思い当たる節があった。
声がする辺りを見上げて問う。
「……もしかして、全部聞いてたんですか?」
『ああ。私はキミと話をしたあと、密かに動向を追っていた。キミたちの作戦も、全て聞かせてもらっていたのだ。私がAIを特級用に変更し、さらにこの世界に順応させるべく手を加えていなければ、こちらはあっさり負けていただろうな』
――は?
ウラバは、コイツは今なんと言った?
『しかし、キミたちはそれすらも倒してみせた。まさに素晴らしいの一言だ』
「……なるほどね。中級にしては、反応が鋭すぎると思ってたんだ」
呆れたようにツァラさんが呟く。
確かに特級ならば、あの強さにも納得いくのだが……、
「ちょっと待ってください。あなたは、プログラムの書き換えには干渉できない――みたいなことを言ってましたよね?」
声は断言する。
『あれは嘘だ』
「は?」
『キミの覚悟を確かめるため、あの時は嘘をついたのだ。だから、償いというわけでもないが、キミが行う予定だった作業の四分の三ほどは私が引き受ける。それで許してくれたまえ』
不遜だが、どこか憎めない声の調子。
(……コイツ、どこまでも野木さん染みているな)
俺がそんな感想を抱いているうちに、ウラバは話を続けた。
『さて、私は地下室に戻って、キミたちの偉大なる決定を待つとしよう。これからこの世界をどう創り変えてゆくのか――それはキミたちの手に委ねられた。十分に悩み、検討して決めたまえ。それでは、さらばだ』
ハルバハーラの台詞を引用してそう言い残し――スピーカーの電源が入った時に感じるようなウラバの気配は、どこかへ消えてしまった。
まったく勝手なAIだ、と嘆息する。
「んで、あんなことを言われたけど、アタシらは具体的にどうしたらいいんだい、リーダー?」
肩をすくめてツァラさんが訊いた。たった三分程度だったとはいえ、あの激闘で結構な精神力をすり減らされていた。だというのに残業を与えられた気分の俺は、うんざりしながら答える。
「それが、ウラバの言う、世界をどう創り変えるかの会議を開こうにも、まずプログラムの書き換えによってどこまでが実現可能で、どこからが不可能かってことの詳細を確かめないといけません。だから俺は、言うだけ言って消えたヤツに、これから直接会いに行ってきますよ」
苦笑した俺に、ツァラさんが気遣うように言う。
「そりゃ大変だな。しかしまあ……アンタに任せるしかないか」
「ま、言い出しっぺですからね。もうちょっとだけ気張ってきます。みんなは先に戻って、祝賀会でも開いててください。なんにしろ、俺たちは勝ったんですから」
勝った。その事実に、全員が満足げな表情を浮かべて頷く。
俺はもう、ギースやゴベさん、もちろんツァラさんのことも含めて、ここにいる全員が仲間だという認識に変わっている。作戦会議と練習と激戦。短い時間だったかもしれないが、六人での共同作業がそうさせていた。
多少の残業など、仲間のためであれば苦にもならない。
ここまで考えて、〈シャドウスピリッツ〉で勝利することを条件にしたのなら、ウラバはかなりの曲者だと言わざるを得なかった。
「――では遠慮はせず、僕たちは〈アガルタ〉で待っていましょうか。大したことなかったと言うギース君から、戦闘の詳細も聞きたいですしね」
ゴベさんが率先して切り出して、
「私も聞きたい聞きたい!」
とナエも乗った。
「何で俺を名指しなんだ」
当惑するギースに、ゴベさんは鷹揚に言い返す。
「声でなんとなく把握できたとはいえ、僕はうつ伏せで倒れてましたからね。実際に戦っていたギース君から、臨場感溢れる解説を聞きたいのですよ」
「それだって、別に俺じゃなくても――」
なおも不服そうなギースの反論を、ツァラさんが辛辣に遮る。
「いいじゃないか。バトルでは全然活躍しなかっただろう? なのに、ナエちゃんに話を聞かせる役目すら断るのかい?」
「ぐっ……」
と渋い顔で言葉に詰まったギースに向けて、ゴベさんが悲しそうに言う。
「僕は先の戦いを書に記して、それを神話として広めようと企んでいますが、キミが断るのなら英雄は五人だったということに――」
「だァ! 堂々と歴史を改竄してんじゃねえ! ああもう、俺は帰るからな!」
喚き散らし、怒りに任せてギースは転移の光に包まれていった。
「ギース、怒っちゃった……?」
と本気で心配している様子のナエに、
「かもしれませんね。急いで慰めに行きましょう」
ゴベさんがそう語りかけた。
素直に頷き返したナエは、ゴベさんとともに〈アガルタ〉へ飛んでいく。
「ふう。んじゃ、お先にね」
三人が消えたあと、俺ににやりとしながらツァラさんが言って、同じく転移の光を浴びて消えていった。
「…………」
まるでゴベさんとツァラさんが協力して、俺たちを二人きりにさせたがっていたみたいだった。……というか、実際その通りだったのだろう。
どこかよそよそしいアリシアから、このあとの展開を察したのか――あるいは、ゴベさんがツァラさんに告げ口していたか……。
「ライネ」
鈴の音のように澄んだ声で名を呼ばれた瞬間、俺はびくりと背中を震わせ、息を呑んだ。よそよそしいのは、何もアリシアだけじゃなかった。俺だって平然とした振りをしながら、何度もアリシアのほうに視線を遣っていた。
「約束、忘れてないわよね?」
照れの混じった笑みを浮かべて、美しい魔女が言う。
「も、もちろん」
「膝枕と耳かき、だったわよね?」
「え――」
それはアリシアのボケだったと思うが、俺は少し惹かれてしまった。
(膝枕と耳かき、そういうのもあるのか!)
――だがそれでも、約束していたアレの魅力には叶わない。
「たぶん……違ったような」
「そうだったわね」
アリシアは小さく頷くと、とんがり帽子を脱いで脇に抱えた。それから、俺の息が顔にかかってしまうほど近くに寄り、じっとこちらを見つめて微笑む。
「じゃあ、約束通り……しましょうか」
夢にまで見たシチュエーション――なのに、ここに来て情けなくも怯んだ俺は、
「あ、でも、初めてがこんなところでいいのかな……。もうちょっとロマンチックな場所のほうが……」
謎な言い訳をして、謎に引き延ばそうとしていた。
だけど、アリシアはいっさい目を離してくれなかった。
「ダメ。勝ったご褒美の有効期限は、今だけです」
「そ、そうなのか」
「ライネがやらないなら、私からぶちかますわよ?」
脅すように言われて、三秒ほど見つめ合って、
「いや……俺からやるよ」
ようやく俺は腹を決めた。
細い肩を両手で抱いて、可憐な唇を目がけて首を動かす。
「んっ……」
可愛い小さな吐息が聞こえた。
唇と唇が重なる寸前――目を閉じたアリシアに倣って俺も目を閉じた。
が、触れ合った瞬間――俺は目を見開いていた。ぶちかますという表現にふさわしい衝撃が、心を貫いていた。
この時のために今まで生きてきた――ウラバの部屋で俺は、そんな思いを抱いた記憶があるが、それは取り消さねばなるまい。
俺は、この時のために今まで生きてきたのだ――。
「…………」
名残惜しい気持ちを山ほど残して、唇が離れる。だけど惜しむ必要なんてない。
これからは、何度だって経験できるのだから。
「アリシア、結婚しよう」
「先に返事はしていたけど、せっかくだからもう一度言うわ。
――はい、喜んで。ライネ」
俺たちは幸せを分かち合うように微笑み、もう一度キスをした。