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リバイバル・サーガ・オンライン  作者: Lut
最終章 「リバイバル・サーガ」
18/22

4-3

 ホワイトボードの左に大きな円を描き、その中心に十字を加える。

 右には各人のクラスとレベルを、下には〈シャドウスピリッツ〉特有の注意事項を書き込んだ。


  ライネ :〈パラディン〉レベル72 盾職(タンク)

  アリシア:〈ウィザード〉レベル72 魔法攻撃職(アタツカー)

  ナエ  :〈モンク〉  レベル66 物理攻撃職(アタツカー)

  ツァラ :〈忍者〉   レベル90 特殊攻撃職(アタツカー)

  ギース :〈ローグ〉  レベル90 特殊攻撃職(アタツカー)

  ゴベ  :〈クレリック〉レベル90 回復職(ヒーラー) 


 ※ 装備の変更禁止。

   アイテム、蘇生魔法の使用不可。

   姿が消える魔法の使用不可。ただしアビリティは可。

   サブクラス及び、全てのMP回復効果の無効化。

   

 上は90、下は66とレベル差が甚だしいのは、四人で初級に挑戦した時と同じだが、あの時に比べて今度はアタッカーに偏った構成だった。

 これがこちらの戦力になり、戦う相手でもある。


「初級はシンプルな円形のフィールドですが、中級ではそれに加えて十字型の高い壁が存在します。もちろん、壁を挟んだ対象には魔法やアビリティは使えません。ちなみに、この中で中級をクリアしたことがある人は――」

「アタシはあるよ」

 青空教室みたいになっている公園の一画。横並びに座った五人の中で挙手したのは、さすがのツァラさんだった。


「上級も三度ならある。特級をクリアできなかったのは今でも心残りだな。アタシたちのサイトで、あそこだけは空白のままだったからね。まあ、クリアして記事を書いたとしても、読み物としてはともかく、攻略情報としては意味をなさない色物コンテンツだったんだが」

「あはは……」

 当て付けのように言われたそれを褒め言葉と受け取り、ほかの二人にも問う。


「ギースとゴベさんはどうですか?」

「俺は初級すらやったことねー。ずっとソロだったし」

「僕もバトル関連はあまり手をつけていなくて。面白いシステムだなとは思っていましたが」

 ぶっきらぼうに言うギースと、首を横に振るゴベさん。

 予想していた返事に俺は頷く。


「なるほど。じゃあ経験者は、俺とアリシアとツァラさんの三人、と」

 そう言った俺に、アリシアが控えめに口を挟んだ。

「私も一回しかやったことないし、初心者みたいなものだけど……」

「それを言えば、俺だって実機で挑戦したのはあれが初めてだったし、それにあの時の戦闘の勘は、俺よりアリシアのほうが優れてたと思ってるから大丈夫さ」

「そうかしら……」

 なおも自信なげなアリシア。しかし彼女はあの時も不安そうにしておきながら、実戦では大活躍していたのだ。問題はないだろう。


「レベルは私が一番低いよ? 迷惑にならない?」

 別の心配そうな声はナエからだった。

 もっともな意見だけど、これはこのコンテンツでは問題にならない。

「大丈夫。レベル差のある三人と正面から当たらないよう、作戦を考えるからね。それより、ナエちゃんはこの世界に来てからずっと、モンスターと戦ってたんだ。戦闘経験はこの中の誰よりも多い。頼りにしてるよ」

 微笑んで言うと、ナエは納得してくれたらしく、

「そっか! わかった頑張る!」

 ぐっと拳を握った。


(アリシアもこのくらい素直なら、可愛げがあるのにな)

 なんて俺は思うのだった。


「ま、アタシ以外はどっこいどっこいってことにして」

 不遜だが事実なことをあっけらかんと言いつつ、ツァラさんがボードの横に歩み出た。それから50センチほどの踏み台を出現させてそれによじ登り、小さな腕を大きく組む。

 必然的に集まる視線をものともせず、彼女は解説・指導側に立って口を開いた。


「〈シャドウスピリッツ〉は五十回以上挑んだことがあるが、何の策もなしに挑戦すれば、大抵は膠着状態からの泥仕合になる。で、そうなった段階でこちらはほぼ負け確定だ。プレイヤーと違い、AIはごちゃごちゃした状況でも正確に有利行動を取り続けるからね。

 そんな戦況にならないようにするには、何らかの策を講じて、初っ端からAIの想定を超えた戦法で撹乱し、不意打ちを食らわせるのが一番。ただAIは学習するから、同じ策は一度しか通用しないがね」


「ん? ってことは、負ければ負けるほど使える策がなくなってくってことか? じゃあ、俺の言い分は正しかったんじゃねーか」

 講義中、割り込むように主張したギースに、

「そうだね。アンタが一発で勝てなきゃヤダヤダって駄々こねてたのは、この意味では正しかったってことさ」

 ツァラさんは嫌味を交ぜつつ肯定した。

「こねてねーしっ」

 小さく吐き捨てるギースを無視し、ツァラさんは人差し指を立てながら話を再開させる。


「この戦いのミソは、一回勝てばそれでいいってところさ。今後、通用しなくなることを恐れて、出し惜しみする必要はなく、あらゆる策を投入して一戦目で勝てばいい。だから、まずは集団戦のセオリーをおさらいしていこうと思うが、使えそうなアイディアを思いついたらその都度遠慮なく言ってくれ。

 ――って感じでいいかい? リーダー?」

「え?」

 ツァラさんがリーダーと呼んだのは、頼りになるリーダーだなあと思いながら話を聞いていた俺だった。

「――あ、はい。俺が言いたいことを、一字一句間違いなく伝えてもらえて助かりました。サブリーダー」


 急に振られて内心焦ったことを悟られず、泰然と言い返せて良かった。

「絶対嘘だー」

 と思ったらナエにあっさり見破られ、そこへアリシアが小声で言う。

「ああなっちゃダメだからね、ナエちゃん」

「うん。嘘は良くない」

 純粋な善悪に順ずるナエ。デジャブを感じる一連の流れに俺が怯むと、ゴベさんのローブが軽く揺れた。きっと声を殺して笑っているのだろうと窺い知れた。

「ははは。じゃ、老害のアタシは補佐に回って、あとはライネに任せようかな」

 そんなことを言って、ツァラさんは踏み台に腰を下ろした。


 俺は頷き、コホンと咳払いをしてから、リーダーとして改めて説明に入る。

「わかりました。では集団戦の基本から――」

 そこへ、

「あの、よろしいですか?」

 と出鼻をくじくように手を挙げたのはゴベさんだった。

 首を傾げた俺の顔には、たぶん小さな不平が出ていただろうけど、彼は悪びれる様子もなく言った。


「いやあ、さっそくで申し訳ないんですが、使えそうな装備を持っていたもので。自己紹介の際に話した、このキャラをメインにするハメになったアレです」

 フードの隙間からピエロみたいに歪んだ口を覗かせつつ、ゴベさんは大きな手をローブに突っ込む。そしておもむろに引き抜くと、長い三本の指の間にはナイフが挟まれていた。


 興味深々といった様子で身を乗り出したナエを、アリシアが反射的にかばうように制する。

 懐からこれ見よがしに刃物を取り出すなんて、非常識にもほどがあるが、しかしそのナイフはある意味持ち主よりも異質で、釘付けにならざるを得ない。


 黒い――15センチ程度の短い刀身も、指からはみ出した柄も、まるで合成で上から塗り潰されたように一切の光を反射しておらず、黒かった。


 武器の正体を知っていたのは、俺とツァラさんだけだった。

「〈ダークマターナイフ〉……!」

 二人の声がかぶる。唖然とする俺たちの様子に満足したのか、ゴベさんは厳かな手つきでナイフを膝の上に横たえた。

「さすが、お二人は見ただけでわかりましたか」


「なんだそりゃ? 聞いたこともねーぞ」

 ギースの質問にどちらが答えるか――硬い表情のままツァラさんと目を合わせると、“アンタが説明しな”と顎でくいっと指示された。

 俺は頷いてから答える。

「RSOがサービスを開始してから一周年の記念日に、抽選クジが実施されたのは知ってるか?」

「……いや、その頃はプレイしてなかったから知らん」

 気に食わなさそうに言って、羽虫を払うように手を振るギース。


「アリシアは一緒に買ったの、覚えてる?」

 同意を求めた俺へ、口に手を当てて追想していたらしいアリシアが顔を上げる。

「ええ。みんな五等か六等しか当たらなかった記憶があるわ。抽選クジって、確かあれが最初で最後だったわよね?」

「そう。またやって欲しいっていうユーザーからの要望は多かったんだけど、担当者がやるのは一度切りって宣言したのを、最後まで曲げなかったんだ。そしてその一度切りのクジで、一本しかなかった特賞の景品がアレなんだよ」


 全員の視線が、再度、暗黒のナイフに集まる。

 景品のラインナップはそこまで豪華ではなく、ガチのレア装備よりはネタ装備のほうに重きが置かれていた。利益主義のプレイヤーであれば、半端なアイテムよりも十万ゴルドが当たって欲しいと願うほどに。

 だが、このナイフだけは特別だった。


「で、これは使えるモノなのか?」

 ギースの問いに、俺は未だ興奮を残したまま答える。

「使えるか使えないかの是非は難しいから、性能をそのまま言おう。あのナイフの一撃を食らった相手は、HPがどんなに残っていようが、たとえ完全無敵でも――死ぬ」

「……あ?」

 と眉をひそめたギースは、

「ただし、一度攻撃を命中させればナイフも壊れる」

 続いた俺の言葉によって、

「あー……?」

 さらに不可解そうな表情に変わった。


「つまり、18人がかりでやっと倒せるような凶悪モンスターを、一回だけならソロでも倒すことが可能っていう、夢の武器なのさ」

 ツァラさんの補足説明に、ギースは得心いったようで、

「そりゃあすげえ」

 と呟いた。


「しかし、ゲーム内でもお目にかかれなかった武器を、こんなところで見れるとはね……」

 感慨深げに言うツァラさんに、俺も同感だった。

「装備してるところを見たって報告もゼロで、本当に配られたのかって運営に問い合わせる人もいたくらいでしたからね……」

 それがまさか、こんな変わり者の手中に収まっていたとは……。


 場の注目が、ナイフからその持ち主に移ったところで、

「でもよ」

 と疑問を呈したのはギースだ。

「ゴベさん。そんなナイフさっさと使っちまって、戦利品を売れば良かったんじゃないか? それか、そのナイフ自体を高額で売っぱらっても良かっただろ? そうすりゃ、そんなキモキャラをメインにしなくても済んだのに。それともアレか? そのナイフは他人に渡せないタイプのヤツなのか?」


 入手方法が特殊な装備には、受け渡し不可の属性が付いたものが多い。イベント限定の装備だったり、俺の〈エクスカリバー〉などがそうだ。


 しかし〈ダークマターナイフ〉は例外的に、

「いえ、このナイフは他人に渡せる装備ですよ」

「じゃあ、なんでメインキャラに渡さなかったんだ?」 

 問い詰めるギースに、

「いやはや、ギースはわかっていませんね」

 ゴベさんは若干憐れむような声色で言い返した。

「抽選クジで特賞を当てたのは、このキャラなんですよ? これは運命なんです。このキャラをメインにしなさいという、神の啓示だったのです。あと、このナイフを使えとか売れだとか言っていましたが、何もわかっていません。これほど強力なナイフを誰にも知られることなく、懐に忍ばせて街中を歩く。その昂揚感こそが、このナイフの本当の魅力ではありませんか。売るなんてもってのほかですよ」


 喋り方は穏やかだが、この人、本当に危ない人なんじゃないか……? 

 という怪訝な空気が、大人たちの間で漂った。

「……あー、そう。好きにしてくれ」

 ギースも呆れ返って、相手にするのをやめたようだ。


「でもでも」

 そこで遠慮がちに声を発したのは、ナエだった。

「そんな大切なものを使っちゃってもいいの? 一回しか使えないんでしょ?」

 それは、確かにそうだ。

 十年以上も温存していた装備を――まさしく伝家の宝刀を抜くというのだ。鷹揚なゴベさんにも、少しくらいは惜しむ気持ちがあるかもしれない。


 だが、彼は終始一貫していた。

「もちろん、使っていただいて構いませんよ。何度も言いますが、僕は特別な日が来るのを待ち望んでいたのです。このナイフはこの日のために取っておいた。そう言っても、過言ではありませんから」

 おそらく微笑みながら、そんな過言を口にしたのだった。



     *   *   *



 この世に一本しかない超レア武器、〈ダークマターナイフ〉をどう運用するか?

 そこを中心に作戦会議は進められた。どれほど強力な武器を持っていようが、〈シャドウスピリッツ〉ではそのメリットがただちにデメリットに繋がる。上手く使いこなせなければ、相手を有利にしてしまう危険だってあるのだ。


 食事休憩を挟んでの四時間に渡る会議。さらにその後、ホワイトボードを十字型に設置して模擬フィールドを作り、実際の動きのリハーサルなどを重ねていたら、あっという間に深夜になっていた。


 決戦への準備と確認を済ませた俺たちは、18時にまた集合することに決めて、いったん解散した。

 時間までは各々自由時間――と言ってもやるようなことはほとんどないのだが、ずっと一緒にいるのも、知らずうちに気疲れするかもしれないので――となった。


 俺はナエに後れを取らないよう、公園の片隅に設置された木人相手に攻撃やアビリティを使い、この世界での感覚を体に馴染ませる練習をしていた。

 この世界での戦闘は、ゲームの時とはやはり違う。

 特に俯瞰で見下ろせないのは厄介だ。


 中級のフィールドに置かれた十字型の壁は、高さが三メートルほどあるが、プレイヤー視点であれば向こう側を覗き見れるように作られていた。しかし、ここではそれが利用できない。となると、死角にいる相手の位置把握は、互いの報告だけが頼りになる。

 リハーサルでその辺も練習済みではあるものの、頭の中でイメージトレーニングを重ねておいて損はない。

 木人を存分に叩いた俺は、そう思って目を閉じ――

 そして、すぐに目を開けた。

 人が近づいてくる気配を感じたからだ。


「ライネ。ナエちゃんを見なかった?」

 気配の主はアリシアで、目が合うなりそんなことを言った。

「いや、見てないけど。心配ならテルしてみればいいんじゃないか?」

 迷子になってはぐれてしまったのだろうか? と、一瞬普通の感覚で考えたが、この世界でそれはなかった。〈フレンドリスト〉からどのエリアにいるかわかるし、それ以前にテルで連絡が取れるのだから。


 俺がそのことを指摘するも、アリシアは首を横に振った。

「連絡は取ったんだけどね。公園のどこかにいるから見つけてみてって言うのよ。だから、探すのを一緒に手伝ってくれないかしら?」

「隠れんぼか――。いいよ、手伝おう」

 子供は子供らしいのが一番だ。というのは大人のエゴかもしれないが、何にせよ気晴らしになると思って俺は快諾した。


 アリシアと横並びになって歩き、公園の外周をぐるっと探していく。

 こうして見ると、岩場の陰や木の裏、石で作られたオブジェなど、隠れられそうな場所は意外と多かった。


「私、作戦会議では全然役に立てなかったわ」

 半周を越えた辺りで、アリシアが唐突に言った。

「みんな、よくあんなこと思いつくなって、感心してるだけだった。ナエちゃんもすごい案を出してたのに、私は不甲斐ない」

 頬を膨らませ、ふて腐れている彼女の様子が面白く、俺はにやにやしてしまった――のだが、それがまた気に食わなかったらしい。

 ジト目を向けつつ、むすっと言う。

「なによ、笑って」


「いや、別に……。でも、気にする必要はないと思うぞ? アリシアは現役プレイヤーじゃなかったんだし、俺はある意味、現役みたいなものだし」

 そう取り繕おうとするも、もとより慰めなんて欲していなかったのだろう。

 ぷいっと視線を逸らして、彼女は先に行ってしまわれた。


 慌てて追いかけ、隣に並ぶ。

 それからしばらくは、無言で公園内を探索するだけの時間が流れた。早いところナエを見つけないと、ずっとこのままかもしれない。


 そう思ったところで、また唐突に、

「だからね」

 とアリシアは口を開いた。

「私も何かの役に立てないかって考えていたのよ」

 一瞬、俺は話の繋がりを見失ったが、作戦会議で役に立てなかったから、ということか。

(責任感があるのはいいことなんだろうけど、気にする必要ないのに)

 そう思いつつ、俺はとりあえず「うん」と頷いた。


「例えば」

 アリシアは前を向いたまま、ギリギリ聞こえる程度の小声で呟く。

「指揮を担うリーダー様の、モチベーションを上げる手伝い、とか」

「……リーダー様って、俺か?」

 何が言いたいのかイマイチわからず、一つ一つ確認していこうと思ったのだが、

「……」

 アリシアは答えてくれなかった。


(なんなんだろう? もしかして、からかわれてるのか?)

 女心は難しいな、と俺が首をひねったその時。

 アリシアがこわごわと言った様子で、

「例えば……」

 と話を続けた。

 俺は聞き逃さないよう耳を澄ます。


「戦いに勝ったら、私がキスしてあげる……とか」


「へ」

 足とともに俺の思考は止まった。


 一秒後――再起動された脳内で検証が始まる。

 果たしてこれは、本当に言われたことなのか?

 それとも俺の脳が妄想を現実と誤認したのか?

 判定――99パーセントの確率で妄想である。


 革製のロングブーツに、黒いニーソックス。まさに絶対領域というべき太もも。黒と紺のミニスカートと、お揃いの柄をしたコート。ワンカールされた艶やかな銀色の長い髪。そして、むすっとした表情のまま微かに赤く染った頬――。


 なんということでしょう。

 目の前のこの美しい女性は、悲しいことに俺の妄想の産物だったのだ。

 ということはつまり、この世界そのものも俺の妄想かもしれないのでは?

 なるほど。言われてみればそうか。地球が滅んだ拍子にゲームの世界に入っちゃいました、なんて、ゲームオタがやりがちな妄想ではないか。

 そう、この世界は俺の妄想から始まり、行くも帰るも妄想の上から逃げられない哀れな列車。妄想暴走特急列車だったのだ――。


 “へ”と声を発して足を止めてから、現実逃避を経て舞い戻ること二秒。

 アリシアは俺のほうを見ようともせず、見え見えの素っ気なさで言った。

「そんなことでモチベーションが上がるなら、だけど――」

「上がるさ!」

 語尾にかぶさるのも構わず、俺は猛然と告げた。まるで落ち込んでいる少年に、君ならできるさ! と元気付けるくらいの勢いだった。


 しかしすぐに正気に戻り、

「でも、いいのか……?」

 と確認を取る。俺にとっては〈ダークマターナイフ〉の使用許可なんかより十倍は重大なことだった。


「ライネが私のこと、まだ好きなんだったら……いいわよ」

 開き直り切れていない羞恥の表情を浮かべながら、アリシアは小さく言った。



 まだ好きなら――。

 あれは高校を卒業して間もない、春もうららかな時季のことだ。

 俺は一度、アリシアに思いの丈をぶつけたことがあった。

 六人の〈チーム〉の内、ルッツとエクレアのペアができて、エイジとミドちんも仲がいい。ならば俺は――。


 きっかけはそんなところだったと思う。意識するようになってから、好きだという確信に変わるのはあっという間だった。

 ネトゲで恋愛し、そこから結婚にまで発展する人たちがなんら珍しくない時代。

 さすがに結婚までは考えてなかったし、そもそも住んでる場所すらも知らないのだが、俺は募る想いを抑え切れず、ついに人生初の告白をしたのだった。


《気持ちは嬉しいんだけど……ごめんなさい。ネトゲの恋愛って、私はよくわからなくて……。だから、その気持ちには応えられない……》


 終わったと思った。

 ルッツとエクレアの二人のように、ゲームの中でちょっとイチャイチャしてみたかった。そんな、淡く、甘酸っぱく、浅はかな夢は――泡沫となってはじけた。

 ああ、こんな終わり方はあんまりだけど、もうどうしようもない。キャラを抹消して、この世界ともおさらばしよう。全ては俺が愚かだったせいだもの……。


 一瞬で“うつ”に陥った俺は、アリシアのチャットに返信もせずログアウトして、布団に逃げ込んだ。

 それから三日間、RSOにはログインしなかった。それは大掛かりな旅行などに行かない俺にとって、RSO人生で最長の空白だった。


 日が経って、フレンドのみんなに何も言わずに消えるのはいくらなんでも不誠実すぎる、と頭を冷やした俺は、生存報告をするべく戦々恐々ログインした。みんなの反応次第では、この日が最後のログインになるかもしれないと覚悟していた。

 すると、すぐにアリシアから個別チャットが飛んできたのだ。


《良かった! ログインしてくれて。みんな心配してたんだから。もちろん私も。ライネさえ良ければだけど、フレンドとしてまた一緒にやっていきたいの》


 涙が出そうだった。俺はアリシアに心の底から謝り、感謝した。ほかのメンバーには季節はずれのインフルエンザに罹って寝込んでいた、と厳しい言い訳をした。

 気まずさはすぐに消えて、それから俺はまたRSOをプレイする日々に戻った。


 だから大げさに言うと、今の俺があるのは彼女の寛大さのおかげというわけだ。

 そしてあれ以来、俺とアリシアの間でこの話は封印されていた。



 ライネが私のこと、まだ好きなんだったら――

 腰の後ろで手を組み、地面を見つめながら返事を待っていた女性へ、

「アリシアのこと、今も好きだよ。……たぶん」

 俺は余計な一言だと承知で、そう付け足した。


「……た、たぶん?」

 アリシアは呆れと困惑が半々といった感じで訊き返した。まあ当然だ。


 俺は、気持ちの全部がきちんと伝わることを願って、必死に説明する。

「ええと、RSOをプレイしていた時は、引退するまでずっと好きだった。なんだかんだ言って諦めきれなかったんだ。でも、俺たちは引退して、それから五年連絡を取っていなかった。その間、好きになった人はいなかったけど、アリシアを好きだって気持ちは薄れていたと思う」

「はあ……」

 漏れたその声は、私は何を聞かされているのだろうという響きを帯びていた。


 俺自身、こんなことを話すべきではなかったかもしれないと若干後悔している。

「だけど、あの時――〈ジュノー〉が落下する前にログインして、アリシアもいると知った時は、飛び上がりそうなくらい嬉しかったんだ。それから今までずっと、アリシアのことが気になってた。プレイしてた頃と同じように、ね。だから俺は、アリシアが好きだ……と思う」

 何とも締まらない言い方だが、しかしこれが俺の本心だった。


 そんな、怒ってもおかしくないほど回りくどく、はっきりとしない俺の言葉に、アリシアは、

「なるほどね」

 と呟いて背を向けてしまった。


 やがて数回頷いて、こちらへ振り返ると、思案げな表情のまま探り探りに言う。

「私も、同じ、なのかしら」

「同じ……?」


「ええ。ライネの気持ちに応えられないって返した時――、あの時言ったことは、それ以下でも以上でもなく、本当にそのままの意味だったの。ネットでの付き合い方が、私にはよくわからなかった。身近にいい見本はいたけれど、どこか別世界のことのようで、私自身で想像することはできなかった」

 公園の天井を見つめながら語るアリシア。俺は彼女から目が離せなかった。期待と不安が入り混じった気分。だが、悪い予感はしていない。


「けどね、あのあとライネがログインしなくなって、私の心はぽっかり穴が空いたみたいだった。もう会えないかもしれないと思うと、とても怖かった。ライネのことを好きかなんて、それまで意識したことはなかったけど、もしかしたら好きだったのかもしれないって気づいたのよ」

 ちらりとアリシアが視線を向け、俺と目が合う。

 そして、照れくさそうにはにかんだ。


「それからはライネが話したことと同じ。五年の歳月も、あの日ライネがログインしてきた時の気持ちも、それから今まで気になっていたことも、ね。だから私も、ライネのことが好きよ。――たぶん」

 意趣返しのようにそう付け足すアリシア。

 言ってすぐに視線を逸らし、恥ずかしそうにブーツの先で地面を小突く。

 そんな様子が可愛らしくて、俺は抱きしめたい衝動に駆られた――が、さすがにここは自重した。


「そっか」

 告白してくれたアリシアに、素っ気ない風を装って返事する。

(俺たち、そうだったのか……)

 何度も心の中で繰り返し、その度に嬉しさが込み上げた。


 そうやって喜びを噛み締めていると、彼女はおもむろに顔を上げ、横目でこちらを窺いながらしれっと言った。

「でも正直、ライネは私のことなんか、もう気にしてないと思ってたわ」


「な!」

 痴漢冤罪クラスの誤解に、俺は声を荒らげた。

「……にを根拠に?」

「だってあの時、ハルバハーラ様のところに行くって言った私を、引き留めてくれなかったじゃない」

 あの時――〈ジュノー〉が落ちる寸前の、四人でログハウスに集まっていた時。


「そ、それは、俺はアリシアに振られた身だったから」

 しつこい男だと思われたくなくて、俺は悩んだ末にアリシアを送り出したのだ。

 しかしそれは、俺がただ格好つけたかっただけで、恋の駆け引きには負けていたというのか――。


「意気地なし」

「う」

 ジト目でからかうように言われ、俺は返す言葉もなかった。


(それならさっき、衝動のままに抱きしめていれば良かったのか……?)

 なんて考えたりもしたが、もはや後の祭りだ。


 ならば、男の意地を見せるには一つしか残されていない。

「じゃあアリシア。今度の戦いで勝ったら、俺と――」

 一生愛するという覚悟を伝えるべく、お決まりの台詞を言おうとしたところで、アリシアが慌てて俺の口元に人差し指を寄せて、続きを制した。


「それはご法度だわ。だから言わなくて大丈夫です。でも、先に返事をしておく分には構わないわよね?」

「え? う、うん」

 言われるがまま頷く。


 アリシアは緊張をほぐすように胸に手を当て、一度深呼吸した。それから覚悟を決めたように、ゆっくりと口を開く。

「――はい、喜んで」


 その優しい笑みは、女神と呼ぶにふさわしい美しさだった。

 誰がなんと言おうと、少なくとも俺からすれば。


「ええと、こちらこそ喜んで」

「もうっ、返事に返事はしなくていいの!」

 アリシアに笑いながら指摘され、我に返る。思わずヘンテコな返しをしてしまうほど、俺の脳は彼女にノックアウトされていたらしい。

「そっか……ははは」

「ふふ。それじゃあ、早くナエちゃんを見つけましょう」

「あ、そうだった」


 すっかり忘れていた。でも、俺の人生で一世一代の事件があったのだから許して欲しい、と胸中でナエに言い訳する。ついでに、数日前に宣言したこともどうやら実現しそうです、とメッセージを送っておいた。もちろん、心の中で。


 一足先に歩き出していたアリシアに追いつき、隣に並ぶ。俺は勇気を出して右手でアリシアの左手を掴んだ。

 彼女は驚いた様子で足を止めたが、すぐに握り返してくれた。



     *   *   *



 公園内の比較的木が多く植えられたエリアに差し掛かった時、微かな話し声が耳に届いた。

「誰かいる」

 俺は小声で告げてから、ゆっくりとアリシアの手を離す。名残惜しいことこの上ないが、決戦前に気が緩んでいると思われるのは望むところではなかった。


「ねえねえ、ギースは何でPKなんかしてたの?」

 それは俺たちが探している真っ最中の少女の声だった。しかし、発信源の位置が妙に高い。

「別に、理由なんてねーよ」

「嘘。ギースは理由もなく人を傷つけるような、悪い人には見えないもん」


 どういうわけか、ナエはギースと一緒に立派な木の枝に座って、話をしていた。俺たちに気づいた様子はなく、どうしたものかとアリシアに視線で訊ねる。

 返ってきたのは小首を傾げる仕草で、俺たちはしばし静観することにした。


「あー。一見悪そうに見えないヤツが、実は裏でネチネチと悪さをしてるってのが、人間社会じゃよくあることなのさ」

 ギースは話を大きくしてはぐらかすつもりだったのだろうが、対するナエは、

「そうじゃないの」

 と食らいついて放さなかった。


「悪い人に見えないっていうのは、ギースの性格のことを言ってるの。見た目だけならギースはただの悪ガキだし」

「悪ガキって……、ガキのお前に言われてもな……」

「ギースは何でPKなんかしてたの?」


 そうやって頑なに質問してくるナエの姿勢に折れたのか、ギースはため息をつきながらも口を開く。

「あー……。めんどくせえから教えてやるよ。ただし一度しか言わねえし、ほかのヤツらに言うのも許さねえし、わかりやすく説明する気もねえからな」

「うん!」


 物分りよく頷いたナエに辟易するように、再度ギースはため息をついた。

「はあ……」

 そして言う。

「あのな、この世界でもリアルでも、人間の社会には絶対的な原則がある。大勢でつるんでるヤツらは強くて、ボッチは弱いってことだ。で、ほとんどの場合、大勢のヤツらは自分が強い立場にいるって意識もなく、平然と弱いヤツをコケにする」


 ギースが語っているのは、マジョリティとマイノリティの話だった。

 俺やアリシアはともかく、集団生活の経験が皆無と言ってもいい少女には難しいのではないか――と思ったのだが、

「……ギースは、いじめられてたの……?」

 ナエは話の理解よりも、その話を持ち出したギースの核心を突いた。


「あ? 何でそうなるんだよ? ちゃんと聞いてたのか?」

 ムキになって早口で喋るギース。質問に答えずとも、それが肯定を示していた。

「うん……」

「あー……、知らね、話を続けるぞ」

「うん」


「でだ、俺はそんな大勢のヤツらが大っ嫌いだった。弱い立場でモノを考えられないクソ野郎の群れを、懲らしめたくして仕方がなかった。だが、リアルでそんなことをすればどうなる?」

「ギースは捕まって一生牢屋の中」


「いや、一生かどうかはわかんねえだろ……。が、まあそんなところだ。だから俺は、ゲームの中で憂さ晴らしをしてたんだよ。パーティを組んでる連中なら誰でもよかった。そいつらが油断した隙に、卑怯なやり方でPKしてたんだ。――結局、本当のクソ野郎は俺だったってオチだ。失望でもなんでも勝手にしてくれ」


 吐き捨てたギースに、ナエは同情するように言う。

「人はそれぞれ、いろんなことがあるんだね……」

「……なんだそりゃ。十歳のガキが知ったことを言うぜ」

「私も、ちょっと、変わった家庭の子だったからね」


 ナエはそう言うと、俺たちに話した家庭の事情を、淡々とギースに説明した。

 それは何度聞いても痛ましい内容で、話をしているのが十歳の女の子というのがまたやるせない。


「……それ、保護者みたいなあの二人も知ってるのか?」

「うん」

「そうか……。まあ、人はそれぞれ、いろんなことがあるもんだな……」

「ね」

 そこで二人の会話は途切れた。


 頃合いだと思い、アリシアに目配せをする。頷いた彼女は、歩き出しながら声を張った。

「あ! ナエちゃんみっけ!」

 枝に腰掛けた二人のうち、一人が元気に振り返った。

「あ、お姉ちゃん!」

「え? うわあ!」

 驚いたもう一人は木からずり落ち、三メートルほど下の地面に激突した。


 例によって痛みはないはずだが、アリシアは急いで駆け寄り、尻餅をついていたギースへ手を差し伸べる。その姿、まさに聖母のよう。

「大丈夫?」

「あ。……ああ、大丈夫」

 照れくさそうに手を取り、立ち上がるギース。少し前なら嫉妬の炎で焼きギースにしていただろうが、今の俺は寛大な心でその様子を見ていた。我ながら成長したものである。


 などと一人頷いていると、ナエが木から飛び降りて、すとっと着地した。そしてアリシアに密着しながら言う。

「お姉ちゃんがなかなか見つけてくれないから、たまたま見つけたギースとお喋りしてたの」

「そうだったの。てっきり岩場に隠れてると思って、そっちばかり探してたわ」

「えへへ、高いところに慣れる訓練してたんだよ!」

 

 そんな二人の様子を眺めていたら、ギースがこっそりと近寄ってきていた。

 じっと疑わしげに俺を見て、それから小声で問う。

「なあ、あんたまさか、今の話聞いてなかったよな?」

「話って、ギースが理由もなく人を傷つけるようなガキじゃないって話かな?」

「聞いてんのかよ!」

 ささやき叫んだギースに、俺は立てた親指と白い歯を見せて応じた。知り合って間もないが、なぜだかこの男には気楽に接することができる。どこかルッツに似ているからだろうか。


「まあ、今の俺は寛大だから気にしないでおいてやるさ」

 さっき聞いたようなフレーズに俺は首を傾げる。

 するとギースは親指を立て、とんでもないことをひそひそと告げた。

「俺は今、アリシアさんのスカートの中を拝見できたばかりだからな」

「な!!」


 ん? と反応した女子二人へ、俺はなんでもないですよと手と首を軽く振る。

 そうしているうちにギースは、

「じゃ、時間になったらな」

 と言い残して去っていってしまった。


 小さくなっていく背中を睨みつつ、心の中で、

(俺が炎使いだったら、お前は怨みの炎で焼きギースになっていたんだぞ!)

 と脅しをかけた。もちろん、本気で思っているわけじゃない。だけどあいつは、俺に怨まれても仕方のないようなことを過去にしていた。

 そのことを俺が思い出したのは、ギースという名前を聞いてすぐだった。


 ミドちんが伝説となった、忘れもしない〈ティアマット〉との死闘。あの戦闘中に、最後の盾である俺に不意打ちを食らわせ、三つのパーティを壊滅に追い込んだプレイヤーこそが、ギースだったのだ。

 それがこんな形で出会うことになるとは、運命論者じゃない俺でも、運命という言葉を信じてみたくも――


「――いやあ、青春ですね」

「ひっ!」


 耳元から突然声が聞こえて、物思いは中断された。寸前まで気配はまったく感じられなかった。

「……ゴベさん?」

 ナエとともにこちらを見たアリシアが、声の正体の名を呼ぶ。首を向けた先には異形の顔があって、俺はまた情けない声を出しそうになった。


「すみません、驚かせてしまって。少し用があったのであとをつけていました」

 にんまりと笑いながらゴベさんが言った。怖かった。

「……普通、用があったらあとをつけるんじゃなく、声をかけるのでは……?」

 俺が真っ当な疑問をぶつけると、彼はあっさりと肯定した。

「ごもっともです。ですが、少々声をかけるのが憚れるような場面でしたので」

「…………」 


 RSOには姿や足音を消す方法がいくつかある。アイテムの使用でも可能だし、そういったアビリティを持つクラスもあるし、そして、〈クレリック〉にも補助魔法として備えられている。

 その本来の使い道は、アクティブなモンスターとの戦闘を避けるためだ。だからプレイヤーのあとをコソコソつけるためのものでは、決してないのだが。


「……いったい、いつからつけていたんですか?」

 小声での俺の質問に、ゴベさんは答えなかった。

 代わりにとても楽しそうな声色で、噛み締めるように繰り返す。

「いやあ、青春ですね」


 くっ、やはりなのか……。あの甘酸っぱいやり取りは、俺とアリシア二人だけのものだと思っていたのに、よもや覗き見ている人物がいたとは……。

 というか、普通に怖いんだけど……。なんなら、気持ち悪いと言い切ってしまいたいくらいなんだけど……!


 ……湧き出る感情はともあれ、俺はまた小声でシンプルな質問をぶつける。

「……声をかけるなら、ここに来るまでにタイミングがあったのでは……?」

「いえいえ」

 ゴベさんは首を横に振る。膨らんだ頬からの風圧が少し届いた。

「初々しく手を繋いでいたお二人の邪魔は、僕にはできませんよ」

「…………」


(うーん……悪い人じゃないんだろうけど、油断ならないというか……。とはいえ今はたった六人の仲間だし、あー……)

 もやもやは拭い切れない。が、もやもやしていても先に進まない。


 俺は内心で、はーっ、とため息をついて、なんとか気持ちをリセットする。

 それから、声のボリュームを通常に戻して言った。

「それで、用ってのはなんですか?」


「ああ、実は用があるのはライネ君じゃないんです」 

 そう言ってゴベさんは、少し離れたところにいる女子二人のほうに顔を向けた。風圧が少し届いた。

「僕が用があるのは、アリシマさん――いえ、アリシアさんでして」

「――っ!」

 ゴベさんが違う名前を口にした時、傍目から見てもわかるほど、アリシアの表情に変化があった。


「賭けでしたが、やはりそうでしたか。どうしても気になって、このままだと決戦に集中できないと思い、卑怯な真似をしてしまいました。すみません」

 頭を下げるゴベさんに、アリシアはおずおずとした様子で訊ねる。

「……あなたは、誰ですか? リアルで私に会ったことが……? それとも……」


 急に出てきた登場人物の、急な展開に、俺とナエは完全に置いてけぼりだった。しかし、俺たちは空気を読むことができる。目の前の異形な男と違って。なので、俺たちはサイドから固唾を飲んで、二人の会話を見守った。


「ヒント1。僕はアリシアさんのリアルと会ったことがあります。近くで会話したこともありますよ。といっても、数日だけでしたけどね」

 ゴベさんは唐突にそんなことを――俺としてはなかなか聞き捨てならないことを口にした。

「ヒントって……」

「教えるのは簡単ですからね。独りよがりかもしれませんが、このほうが楽しいと思いまして」

 狼狽えた様子のアリシアにも構わず、男は不気味に(たぶん楽しげに)微笑んでいる。


 アリシアは眉をひそめながらも、考える仕草を見せた。どうやら彼の出題に付き合うつもりらしい。付き合っているのは俺なのにっ。


「ヒント2。それは、〈ジュノー〉の情報が発表されたあとのことでした」

「……」

 ということはつまり、この世界に来る前の五日間のどこかで会って、話をしたということ。職業柄、あまり新規の人間と出会わない俺なら、簡単に絞れそうだったが、アリシアはまだ答えを出さなかった。


「ヒント3。僕は、漫画やアニメを見るほうなんです」

「――」

 数時間前にも聞いたその言葉を受けて、アリシアの目が僅かに開かれる。


 そこで不意に、ゴベさんは静観していた一人に体を向けた。

「そういえば、ナエさんも漫画やアニメが好きなんでしたよね?」

「――うん? うん、好きだよ!」

「では、悟空やアラレちゃん、ドラえもんに、それとアクセラレータは知っていますか?」

「悟空とドラえもんは知ってる! あとはわかんない」

「ふむ。あんまり知名度がないんですかね、アクセラレータ」


 その会話を耳に入れながら、俺は電流を浴びたような衝撃に襲われていた。

 今ゴベさんが口にした四つの架空のキャラクターたち。その並びは、俺にも思い当たる節があったのだから。

 あれは、そう。〈ジュノー〉という天災が知らされた日の朝、特番の中で聞いた言葉だ。


「あの時の学者さん……?」

「あの時の天文学者……!」

 俺とアリシアの答えは同時だった。


「おや、ライネ君もあの番組を見ていたんですね。……と思いましたが、意外でもない話ですか。なにせ――」

「――ってことは!」

 ゴベさんが何か喋っていたが、俺はそれどころじゃなかった。

「あの女性キャスターが……アリシア!?」

 おや、という声がゴベさんから聞こえたが、それもどうでもいいことだった。


「……ええ。あの番組でキャスターをやっていた有嶋ありしま明日香あすかが、私です」

 アリシアがやや気まずそうに、俺も初めて知る本名を名乗った。

 気まずいのも、そりゃあそうだ。声は結構な人数が聞いていただろうから、可能性はゼロではなかっただろうが、それでもまさかこんな形で身バレするとは予想もできなかっただろう。


 喋り方が綺麗なのも当然だ。いや、それはアリシアの努力の結果だから当然ではないのだろうけど、なんにせよ俺は、思いもよらぬ偶然に興奮が収まらなかった。

 昔PKしてきたプレイヤーと再会した?

 それのどこが運命だというのだ!

 これこそまさに、運命というものを信じずにはいられない事件じゃないかっ。


「すげえ……、こんなことってあるんだな……」

「なになに? お姉ちゃんがどうかしたの?」

 ナエが興味津々といった感じで駆け寄ってくる。

「ええとね、アリシアは実は、日本でちょっとした有名人だったんだよ」

 テレビがない家庭で育った少女にどう伝えるべきか、考えて出てきた言葉がそれだった。


 ナエは納得してくれたらしく、アリシアを褒め称える。

「有名人!? お姉ちゃんって、すごい人だったんだね!」

「有名人……なのかしら」

「そりゃあもちろん。もっと言えばアイドルだな!」

「アイドル!」

「アイドルは、さすがに……」


 そんな風に三人で盛り上がっていた時、

「――あの」

 残りの一人が申し訳なさそうに口を挟んだ。この展開を運んできてくれた当人、ゴベさんだ。

「一つ気になったことというか、確認というか、謝罪なんですが、お二人はリアルで会ったことはなかったのですか?」


「はい」

 その質問にはアリシアが答えた。

「長い間一緒にプレイしていたのに、一度のオフ会も?」

「そうです。と言いますか、こうやって声で会話するのも、この世界に来てからが初めてなんです」

「……それは、なんだか悪いことをしてしまいましたね。てっきり面識があるものだと思っていました。ライネ君には、僕の自慢のように聞こえてしまったかもしれません。僕にお二人の邪魔をするつもりはないと、それだけは伝えておきます」


 ゴベさんは俺に向かって頭を下げた。

 やっぱり変わり者なだけで、悪い人ではないのだろう。

「いえ、気にしないでください。あまりにも出来過ぎな偶然に、笑い転げたいくらいですから」


 悲しいことがあるとすれば、俺がニュースはネットで済ませる派で、アリシアが出ていた番組を普段は見ていなかったということだ。そしてあの特番ではゴベさんの中の人のほうが印象強くて、有嶋さんの顔があまり記憶にない……。

(まあ、俺のほうはもうアリシアに合わせる顔もないのだし、多くを望んでも仕方ないか)

 決戦で勝てば――それで十分だ。 


「それならば良かった。しかし、一度も話したことのなかったお二人が、こうして異世界で会って初めて声を交わすなんて、なんとも素敵な運命ですね。その流れでここまで来たのなら、決戦も快勝ですかね?」

 ゴベさんは不気味に(たぶん不敵に)微笑んだ。


「だといいですが、でも、〈シャドウスピリッツ〉はミズモノですからね。油断はできません。なので俺は、これからもう少し特訓しようと思います」

 本来やろうとしていたことを思い出してそう言うと、

「じゃあ私も特訓する!」

「なら、私も」

「おや。では僕も」

 みんなが名乗りを上げた。


 ならばホワイトボードで作った模擬フィールドでやろうということになり、到着すると、当たり前のようにツァラさんが練習していた。

 そうやって五人で特訓しているのを、途中からギースも見ていたが、それに気づいたナエに強引に誘われて――

 結局、出発時刻になるまで、俺たち六人はともに時を過ごしたのだった。 

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