召喚獣はもう辞職したい
「はぁ……。もう召喚獣、辞めたいなぁ……」
まな板に置いた玉ねぎをみじん切りにしながら、相沢芹香が言った。
彼女の幼馴染みの荒川景は、リビングのローテーブルにホットプレートを出しながら返す。
「召喚獣やめて、その先はどうするんだ? お前、ご主人様と離れて生きていけるのか?」
「無理」
包丁を握る手を止めて即答した芹香は、どこか遠い目でつぶやくように続ける。
「なので辞めた後はマスターの影に再就職したい所存。ああ、マスターの影になって誕生からご臨終までのすべてを見守りたい人生でした……」
彼女の隣でフライパンを火にかけていたクラスメイトの羽柴友吉が、同意して頷く。
「いいな、それ。誕生からご臨終までマスターの一番近くでぜんぶ見守れるポジション、アリだと思う」
ホットプレートのスイッチを入れて立ち上がった景が、そんな彼らに「アホかお前ら」と呆れ顔で言った。
「お前らが召喚獣やめたら、誰がお前らのマスター守るんだよ。とくに芹香のマスターなんて、三日もかからずに死ぬんじゃね?」
「三日……。うーん、残念ながら反論できない。うちのマスターただでさえ敵多いのに、その上わざわざ自分から全方向に喧嘩売ってくスタイルで生きてるからなぁ」
芹香は深いため息をついた。
「まあ、そもそも私たちがどうやって召喚獣になったのかもわからないし。召喚獣の辞職も、影への再就職も望みなしだよねぇ……」
そう言いながら芹香がみじん切りにした玉ねぎをフライパンに入れると、待機していた羽柴が菜箸でつついて炒めはじめる。ホットプレートの用意を終えた景は冷蔵庫からミンチを取り出し、芹香はまな板と包丁を洗った。
日曜日。景の家に集まった三人の、本日のお昼ごはんはギョーザだ。
羽柴がふるうフライパンにミンチを放り込み、おおざっぱな手つきで塩コショウをかけた景が芹香に聞いた。
「それで? なんでいきなり“辞職”なんて言葉が出てきたんだ?」
芹香も景も羽柴も、ごく普通の高校生だ。
けれど、三人はそれと同時に“召喚獣”でもある。
彼らは物心つく前から、異世界の召喚士に隷従する召喚獣として生きていた。
ふだんはごく普通の人として生活しながら、ひとたびマスターに呼ばれたなら即座にその心を異世界へ飛ばし、主人の魔力によって形作られた器の中に入って命令に従う獣。
マスターだけを愛し、その言葉に従うことに喜びを感じる下僕。
“なぜそう在るのか”は三人とも知らないけれど、気がついた時にはもう、それが彼らだった。
芹香は呼ばれるたび姿が違う戦闘系召喚獣として、
景は人の三倍ほどありそうな犬型の護衛系召喚獣として、
羽柴は手のひらサイズのキツネ型の治癒系召喚獣として、
マスターの生きる異世界へ降り立つ。
ちなみにマスターの元へと心を飛ばしている間、人間としての身体は眠りに落ちる。だから三人とも、学校で突然倒れて大騒ぎになった経験持ちである。
そして全員、マスターは異性なので、芹香のマスターは男性、景と羽柴のマスターは女性だ。
芹香と景は小学校のころからお互いの話をしてきた幼馴染みで、羽柴は高校に入ってからそこに合流したクラスメイトだった。
今日の昼食がギョーザになったのは、羽柴が「おれギョーザって、何回も食ってるけど作ったことない」と言ったからだ。
まだ付き合いの浅い羽柴は、だから二人のこともあまりよく知らない。
景に指示されるままフライパンの前に立ち、菜箸で玉ねぎとミンチを混ぜて炒めながら(羽柴「ギョーザの中身って先に焼いとくもんなの?」景「普通は生で入れるけど、中身に火を通しておけば、あとは皮がパリッと焼けたところですぐ食べられるって何かのマンガで読んだから実験」羽柴「なんだそれ頭いいな!」)、疑問に思った羽柴は芹香に質問した。
「芹香、マスターとケンカでもした?」
召喚獣にとって、マスターは絶対の存在だ。
マスターに召喚される、マスターに必要とされる、ということが召喚獣にとっては至上の喜びであり、最高の報酬である。
だからマスターとの間に何かあったとしても、召喚獣は呼ばれれば必ず応える。
それなのに、「辞職したい」とは。
何か、よほどのことがあったのだろう。
「ケンカはしてないよ」
まな板と包丁を洗った芹香は、つやつやしたナスにぷつりと包丁を入れながら答えた。
「最近のマスターの行動に疲れた私がため息ついて消えたら、マスターがそれに変な反応して、結局のところ私が困るはめになってるだけ」
「それじゃあ何があったのかわからんだろ。どうせ話すなら最初から、もっと具体的に説明しろよ」
リビングのローテーブルに茶碗や皿を運んでならべながら、景が言う。
さすが、昔から話をしてきた幼馴染みは容赦なく、切ったナスをざるに放り込んだ芹香はむすっとした顔で景を見た。
「気まずい話だからわざとボカしたんだよ。それくらい察してくれてもいいでしょ」
「そんなもんわかるわけないだろ。つーか、気まずい話ってなんだよ。お前のマスターのことなら昔から話聞いてるし、お前がマスターに呼ばれて三日三晩戻ってこずに寝たきり状態になった時、パニック起こしたお前の両親なだめてたの誰だと思ってんだ。最近は毎晩違う女連れ込んでることも聞いてるし、今更なに話されてもそう驚かん自信あるぞ。あ、とうとう男連れ込んだとかか?」
「その節はどうもお世話になりました。あー、男かー。そっちの発想は無かったわ。私は腐女子じゃないけど、そのほうが今よりマシだった気がするなぁ」
ナスを切り終わった芹香は、野菜室から取り出したピーマンをまな板に転がしながら、悲壮な顔でため息をついた。
一方、羽柴は真剣な眼差しで玉ねぎとミンチを炒めている。ミンチの色が変わってきたし、玉ねぎもちょっと透明な感じになってきたのだが、おれはいつまでこれを炒めていればいいのだろうか。調理スキルの経験値がゼロに近い彼には、判断の難しいところである。
「じつは毎晩マスターが連れ込んでたっていうか、マスターのベッドに勝手に入り込んできてた娘さんたちが、なかなかの曲者ぞろいでさ。うちのマスター、二十回以上も最中に殺されかけてるんだよ。そんで、危なくなるたびに私が呼ばれるの。
もう、毎度叩き出されてるのに諦めない娘さんたちの派遣元のガッツに呆れればいいのか、毎晩のように殺されかけてるのにまだこりずにベッドに迎え入れてるマスターの鋼メンタルに感心すればいいのか、私にはよくわかんない」
はー、と気だるげなため息をついた芹香は、ピーマンをざくざく切ってへたと種を取り除いていきながら話を続ける。
「それでまあ、危なくなった時に呼ばれるのはいいんだけどね? マスターが呼んでくれるならすぐ行くし、もちろん助けるけどね?
呼ばれるたびに全裸か半裸で取っ組み合ってるマスターと娘さんを見ると、なんていうか、こう、じわじわと精神的なダメージが溜まっていってさ。だんだんマスターに一言いいたくなって、でも召喚獣、人間の言葉使えないからどうにもならなくて。
それで、まあ、二十五回超えたあたりで、いいかげん私もキレた。
だから二十六回目はマスターの上に乗っかってナイフ突き刺そうとしてた娘さんを外にポイしてから、マスターに向かってため息ついて、そのままスーっと消えてやったの。いつもマスターの許可もらうまで消えたりしなかったんだけど、ストレスたまりまくってたから、その意思表示として。
そしたら、次の召喚の時にね」
「あ、羽柴。火ぃ止めて中身ボールに移してくれ。それすこし冷ましてから皮に包む」
「おお、わかった」
「ちょっとお二人さん、タイミング考えよ?! いま私話してたよね?!」
話を途中でぶった切られた芹香は涙目で抗議したが、景に「話が長い」と言われてむくれた。
最初から全部話せと言われたからそうしたのに、こんな塩対応をされるなんて、遺憾の意である。
切り終わったピーマンをナスと一緒のざるに放り込んでカウンターの上に出すと、冷蔵庫からギョーザの皮のパックを二つとねりがらしのチューブを取り出す。
「もういい! そんなイジワル言うならハズレ作るから! ねりがらし入りのを二つ作ってやる!」
「お前それ自分にも当たるかもしれんの、覚悟して言ってんだろうな?」
「死なばもろとも!」
「ふざけんな。自爆覚悟なら潔く三つ作りやがれ」
気心の知れた二人が慣れた様子で言い合いをするのに割って入れず傍観者と化していた羽柴が、慌てて声を上げた。
「おいバカやめろ! なんでそこでハズレ増やす方向に持ってくんだよ!」
まだ付き合いは短かったが、放っておくと芹香は本気でねりがらし入りギョーザを作りそうだと思ったので、羽柴は彼女の手からねりがらしのチューブを取り上げようとしながら必死でなだめた。
「落ち着け! わかったから落ち着けって! そんなことよりさっきの話の続きは?! 次に召喚された時に何があったんだっ?」
「うぅ、羽柴やさしい……。続き、聞いてくれる……?」
「聞く聞く! 聞くからこのチューブ放そ? 芹香、ちょっと力強すぎじゃないか?! マジでこれ微動だにしないんだけどッ?!」
芹香の手に握られたねりがらしチューブを取り上げようとしてかなわず、羽柴はチューブの端を握ったまま自分より小柄なクラスメイトの少女を戸惑い顔で見おろした。
煽るだけ煽って放置した景は、カウンターからざるを取ると、温めておいたホットプレートに油をしいて、芹香が切ったナスとピーマンを放り込みながら言う。
「そいつ戦闘系召喚獣だからな。体はちっちぇけどとんでもない怪力だぞ。最近はだいぶコントロールできるようになってきたけど、何回ウチのコップ砕かれたりフライパンひん曲げられたりまな板ぶった切られたか、わからん。お前も握手する時は骨砕かれないよう、気を付けろよ」
「そんな話聞いた後に握手しようとするヤツがいるか! っていうか、それ最初に教えといてくれよ!」
「失礼な。もうそんな失敗しないんだから、小さい頃のこといつまでも蒸し返さないでよ。景だって、トラックに轢かれても無傷だったせいで周りの人から怪しまれたこと、あったでしょ」
チューブを引っ張り合うのが面倒になったのか、芹香はハズレギョーザ作りを諦めて手を放し、不機嫌そうな顔でギョーザの皮のパックをハサミで切った。
景は適当に放り込んだ野菜を菜箸で並べなおしながら、芹香を睨む。
「あれはお前が怪力でボール遠くに投げすぎたせいだろ。つまり俺はお前のせいでトラックに轢かれたんだぞ」
「左右確認せずに道路に飛び出した景だって悪いでしょ。ちょっと力入りすぎちゃったのは、後でちゃんと謝ったじゃん」
言い合う二人をよそに、ねりがらしチューブを手にした羽柴は(トラックに轢かれても無傷だったのはマジなのか……)と、なんとなく引いた目で景を眺めた。さすがは護衛系召喚獣というべきか。
それを察知したのか、景が羽柴を会話に巻き込む。
「羽柴は? どうせお前も、なんか影響出てるんだろ?」
「そういえば、そのへんはまだ聞いてなかったよね。羽柴は治癒系だっけ。怪我が早く治るとか?」
芹香まで話に乗ってきたので、ねりがらしチューブを冷蔵庫に戻した羽柴は、気おくれしたような表情で答えた。
「うん、まあ、怪我が治るの、ちょっとは早いかな。でも、そんなにすぐには治らないし、おれには二人みたいな派手な力は無いよ」
「じゃあ地味な力はあるってこと?」
聞き返した芹香の言葉に「地味な力ってなんだ」と景がつぶやいた。
羽柴はなんともいえない、歯がゆそうな表情で芹香に答えて言う。
「うーん。力って言えるほどのものじゃない、まだ使いこなせてない感じのならある、かなぁ。
聴覚とか視覚が異常っていうか、飛んでる飛行機の窓の向こうにいる人の顔が見えたりとか、先生の心臓の鼓動がなんかたまに変になるのに気付くことがあるとか。
でもこれ、見えたりわかったりしても、だからどうしたって話なんだよな。先生になんか心臓おかしくないですか? って言ってみたけど、「はぁ?」って顔されて終わったし」
どの先生? と訊ねた芹香は、数学の、と返されて「ふぅん?」と首を傾げた。
「数学の先生ってわりと痩せてたよね。いつも元気そうだし、心臓悪いようには見えないけど」
「おれ医者じゃないからな。そのへんはよくわからんのだけど、とりあえず学校内にあるAEDの位置は確認しといた」
「AEDって、心臓止まった人に使う道具だったよね」
召喚獣は基本的に自分のマスター以外のものに関心を持たない。
だから召喚獣としては、先生に指摘を無視された時点でこの話は終わり、となるのが普通である。
けれど羽柴はそれで終わらせず、AEDの場所を調べたというので、芹香は不思議そうに訊ねた。
「もし先生の心臓が止まったら、羽柴がそれで助けるつもりなの?」
「おれが使わせてもらえる可能性はかなり低いけどなー。先生ぜんぜん気にしてなかったから、たぶん病院とか行かないと思うんだ。そうなると本当に心臓がおかしくなった時、AEDの出番が来るかもしれんし」
「なるほど。じゃあ数学の先生が倒れてるの見つけたら、羽柴呼ぶね」
「いやいや、そこは一番近くにいる人か救急車を呼んでくれよ」
苦笑した羽柴を手招いて菜箸を渡し、ホットプレートで野菜を焼く係を任せた景が言った。
「つまり、羽柴の力は超感覚、ってことか。でも、向こうでの治癒の力が、こっちではどうして超感覚になるんだ?」
「ああ、そりゃーたぶん、向こうでのおれが一人ICU状態だからじゃないかと思ってる」
まだ湯気の立つタネをスプーンですくってギョーザの皮でつつみながら、「ひとりあいしーゆー?」と芹香が首を傾げた。
ホットプレートにならべられたナスとピーマンを、どうしたらいいのかよくわからない様子で手にした菜箸の先でつつきながら、羽柴が説明する。
「ICUって集中治療室のことな。おれ、向こうで治癒の力使う時、相手の体の状態をスキャンして壊れた細胞を復元したり、切れた筋繊維をつなぎなおしたりしてるんだ、一つ一つ。
治れー、って念じるだけで治ってくれりゃあ、楽なんだけどなー」
はは、と笑って、言葉を続ける。
「でもまあ、昔からやってることだから慣れてるけど。おれにとっては当たり前のことだったし。
それに、そのおかげでこっちで人体図とか見ると面白いんだ。あの器官にはこんな名前が付いてたのかー、とか。この器官はこういう機能があるのかー、とか。見たり再生させたりしたことはあるけど、それがどういう機能を持ってるのかは知らない、ってのが多いからさ。
まあ、一時期それが楽しすぎてハマりすぎて、誕生日プレゼントにうっかり人体模型が欲しいって言っちゃったもんだから、親と兄弟からドン引きされたんだけど」
ハハハ、と今度は遠い目で笑って、羽柴は菜箸でピーマンをつついた。
召喚獣あるある的な黒歴史だったので、芹香も景も深くは聞かない。自分たちにも似たような経験があるので、うかつにつつくと墓穴が増える。
羽柴は話を変えようと、景に聞いた。
「ところで、景くんよ。これって、どうすりゃいいんだ?」
「焼き色がついたらひっくり返して、両面焼いといてくれ」
「やきいろ? ……焼き色って、何色?」
「食いたくなる色」
「う、うーん?」
わかったような、わからないような顔でうなり、羽柴はピーマンとナスをひっくり返して凝視する。
芹香と景はキッチンカウンターの上でギョーザを包んでおり、とくに手早い芹香は二つ目のギョーザの皮のパックを開けて次々とタネを包んでいった。
話す人がいなくなって急に静寂がおりた部屋の中で、ホットプレートの上の野菜たちが焼けていくじゅうじゅうという音だけが響いている。
そんな中、黙ってギョーザを包み続けるのに飽きた景が口を開いた。
「で、芹香。さっきの話の続きは?」
「……ん?」
真剣な表情でギョーザを包んでいた芹香は、急に聞かれて本気で驚いたらしい。
顔をあげてきょとんとしている幼馴染みに、景がもう一度話を促すと、彼女はため息まじりに言った。
「さっき自分で話ぶった切っといて、いまさら聞くの。景ってほんと、昔からそういうとこあるよね」
「いいから続き話せよ。今なら耳がヒマだから聞いてやる」
「なんでそんな上から目線かな。景、そんな態度ばっかしてると、いつか誰かがあんたの口の中にねりがらしとわさび突っ込むよ」
「お前しか可能性ないぞ、それ。いじめ反対」
「今、現在進行形で私がいじめられてる気がするんだけど。ねぇ、羽柴、どう思う?」
「おれはナスとピーマンの焼き色がどんな色なのかを検証するのに忙しいんだ。他をあたってくれ」
「他って誰。もしかして羽柴、超感覚で誰か見えてる?」
「いや、今のは普通にお前がフラれただけだろ」
「景のコメントは求めてない。……って、景。なにそのギョーザ。包めてないよ。中の肉入れすぎだよ。めっちゃはみ出てるじゃんそれ」
「肉いっぱい入ってた方がうまいだろ」
「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」
「大は小を兼ねる」
いきなりことわざ合戦になった幼馴染み二人組に、ホットプレートの前に座って野菜を見つめていた羽柴が「今度はいったい何の対決が始まったんだ」とつぶやいた。
しかしその対決は数秒もかからず、芹香が「まあ、腹に入ればどれも同じか」と納得して終了。
えっ? それでいいの? と声には出さず内心葛藤しはじめた羽柴を置き去りに、「さっきの続きねー」と話を戻した。
「えーと、どこまで話したんだっけ?」
「お前がマスターに向かってため息ついて消えたところまでだな。次に召喚された時に何があったんだ?」
「話長いってぶった切ったわりに、ちゃんと内容覚えてるのホント何なの……」
「お前はいいかげん話したいのか話したくないのかはっきりしろ」
「聞いてくれるなら話す。そして現状からの打開策を急募したい」
「なら話せ」
「うぃっす」
けれどそこでちょうどギョーザを包む作業が終わったため、まずは出来上がったギョーザを山積みにした皿を景が持ち、冷蔵庫からポン酢を取った芹香も後から一緒にリビングのホットプレート前へと移動。
羽柴から菜箸を取り上げた景が、きつね色に焼けた野菜をそれぞれの取り皿へ盛っていき、芹香がホットプレートの空いたところへ油を足してからポイポイと大ざっぱな手つきでギョーザを並べていく。
慣れた様子で調理を進めていく二人に場所を譲っていた羽柴は、右隣に座った景に「ほい」と野菜を盛った取り皿を渡され、左隣に座った芹香に「はい」とその野菜へポン酢をかけられた。
わりと問答無用であるが、景も同じようにポン酢をかけられて平然としているので、この二人にとってはいつものことらしい。
羽柴も味付けにこだわりはなかったので、「ありがとう」と応じて受け取った。
「いただきます」
三人がローテーブルを囲んで腰を落ち着けると、意外と礼儀正しい景が手を合わせて言い、芹香も「いただきます」と続く。
そんな二人に挟まれた真ん中の羽柴は、箸を取ろうと伸ばしかけていた手を慌てて方向転換し、胸の前に持って行って合わせた。
「いただきます」
きつね色に焼けたなすは香ばしく、油を含んで柔らかくジューシーだ。ピーマンも肉厚で、噛むとぱりっと割れてじゅわりと旨みのある汁気が口の中に広がった。その味に酸っぱさと塩気を加えてくれるポン酢も、よく合っていておいしい。
「ご飯。ご飯持ってきてなかった」
「ああ、そういや忘れてた」
しばらくもぐもぐと口を動かしていた芹香が、ごくんと飲み込んだ直後に立ち上がった。
頷いて応じた景はその場から動かず、幼馴染みが戸棚から三人分の茶碗を取り出して炊飯器の前で白米を大盛りにしている間、野菜をつまんで口の中に放り込みつつ、菜箸でホットプレートの上のギョーザをひっくり返していく。
「連携プレー慣れてんなー」
「そうか?」
野菜を食べながら二人の様子を眺めていた羽柴が感心したように言うと、景がとくに気にしたふうもなく返した。
幼馴染み二人の当たり前のような仕事分担ぶりに、新参者は頷く。
「うん。なんか今のおれ、熟年夫婦のところにお邪魔した客感ある」
「客感って何だ。……でも、まあ、将来的にはそうなるな」
「……ん? それってどういう」
「ヘイご飯お待ち!」
景の言葉に引っかかった羽柴が詳しく聞こうとしたところで、大盛りご飯を運んできた芹香がずいっと茶碗を差し出した。
思わず受け取ったが、確実に二杯分以上盛られている感じの重量である。
召喚獣をやっているせいか、カロリー消費が普通の人とは違うらしく、彼らは基本的にとても燃費が悪いので、羽柴から見れば(おお。さすが、分かってるな~)という量だ。
しかし同時に、これ、体積的に芹香は食べられないんじゃないか、と思う。
が、彼女は何の迷いもなく彼に渡した以上のご飯を山盛りにした茶碗を、自分のところに置いた。
さすが戦闘系召喚獣。
何がさすがなのかはよく分からないが、さすが、としか言いようがないその光景に、羽柴はなぜかちょっとした感動を覚えた。
たぶん彼はとても驚いている。
「んで、続きなんだけど」
そして芹香はその重量級山盛り茶碗を細い片手で平然と持ち、箸で野菜をつまみながら、もう二人の様子には構わず話を再開する。
「次に召喚された時ね、マスターひとりで部屋にいた。それで最初は私、安心したんだ。今日は殺されそうになってないし、怪我もしてないな、って。
でもそれが間違いだった。
ベッドに座ったマスターがね、おいで、って言うんだよ。昨日は悪かった、今日は仲直りしよう、って。いやいやいや、べつにそんなのしなくても、召喚獣マスターに従うし。何か嫌な予感するから仲直りとかいいんで、って感じでそれとなーく拒絶したんだよ」
そうしたらさぁ、と話す芹香は涙目になった。
その隣で景はいい具合に焼けたギョーザをぽいぽいと皿に配っていき、羽柴は黙って白米をかきこみながら聞く。
「マスターが命令で私に“伏せ”させて、上に乗っかってきてさ~! この体勢すんごい嫌なんだよ私~! マスター知ってるはずだし、なんかヨシヨシされたけど、わざわざ上に乗っからなくてもできるじゃんそれ~、って思ってさ~。もうね、ホントね、やめてぇぇぇっ~、ってなった」
「ノロケかよ」
焼きあがったギョーザをすべて三人の皿に取り、次のギョーザをホットプレートに並べた景が一言で切り捨てた。
即座に芹香が「違う!」と、強い口調で返す。
「あのね! 景みたいな護衛系の能力に特化した召喚獣なら、べつにマスターの下敷きになっててもいいだろうけどね?!
私は戦闘系召喚獣なの! 戦・闘・系! この意味わかる?
要するに全身凶器なんだよ!
遊んでるうちにマスターが私の体の一部に引っかかったりしたらスパーと皮膚が切れて血の海大惨事になること間違いなしなの! そうじゃなくても誰かが襲ってきた時に、マスターが上にいたらすぐには反撃できないから、そういう体勢でいること自体がすっごいストレスなの!!
分かったら慰めてよぉぉ~!!!」
早口でまくしたてる芹香に、面倒くさそうな顔で「へいへい」と返事した景が、自分の皿からギョーザを一つつまんで芹香の皿に放り込んだ。
「ほい。慰め」
「景の慰め雑い~。セコイ~。まあ食べるけど」
「食べるんかい」
手慣れた幼馴染みたちのやり取りに、思わず羽柴が突っ込んだ。
自分で言った通り景にもらったギョーザをさっそくぱくつきながら、芹香がまた続ける。
「いやでもホント困ってるんだよ。最近毎日そんな感じで。たまに戦闘させてもらえることもあるけど、うちのマスターめっちゃ強いから、ちょっとした小競り合いは私呼ばずに自分で片付けちゃうし。本来ならそっちに私使ってもらって、夜は殺し屋じゃない美女でも侍らせてればいいのにさぁ……」
「お前マスターが女侍らせるのは平気なのか? どう聞いてもさっきからノロケてるようにしか聞こえんのだが。聞いてるとマスター充死ねとしか思えんくなってくヤツだぞそれ。俺の慰めを返せ」
景が芹香の皿からまだ手の付けられていなかったギョーザをさらっていく。
何すんの、とムスッとした顔でそれを睨み、芹香が言い返した。
「人が真剣に悩んでるのに、死ねとか辛辣すぎ。というか、マスター殺そうとしないマトモな人なら、男女どっちでもいいからパートナーいてほしいと思うけど。そうしたら諸々の欲望がそこで解消してもらえるだろうし、うちのマスターでも、もうちょっと情緒安定するかもしれないし。景だって、実際に私と同じようなシチュエーションになったら、戸惑うでしょ?」
「お前それマジで言ってるのか? 俺にその瞬間が来たらもうご褒美でしかないしマスターに近づく男は全員抹殺する」
「わあノンブレスで言い切ったよこの人」
断言する景に、芹香は死んだ目でつぶやいた。
そしておもむろに羽柴を見る。
無言で答えを求められた彼は、「んん~」と、何とも言い難い表情で微笑み。
「すまん。おれ、向こうじゃ手のひらサイズだから、しょっちゅうマスターの服の中に収納されてるし、マスター薄着だからたいてい素肌だし。もうそれが当たり前で、そのへんの感覚はよくわからん」
芹香と景が同時に羽柴を見て言った。
「「マスター充死すべし慈悲は無い」」
羽柴の皿から二つのギョーザがさらわれてゆくが、声を揃えた時の二人のカッと目を見開いた顔がとても怖かったので、彼になすすべは無かった。
諸行無常を感じる。
「それで、打開策なんだけど」
悲しげによろりと傾いている羽柴に構わず、戦利品のギョーザをもっくもっくと頬張ってから芹香が聞く。
「マスターがなかなか諦めてくれなくて、毎晩カバディしてるの、どうすればいいと思う? もうホント、召喚獣を辞職して影に転職したいレベルで悩んでるんだよ。景、何か対策案ちょうだい」
「知るわけねぇだろマスター充死ね。自分で考えとけマスター充死ね」
「語尾がひどい! 景、自分がマスターにあんまり呼んでもらえないからって、私に八つ当たりしてない?!」
「うるせぇ俺はマスターの切り札だから大事に温存されてんだ。愛され度は召喚回数で決まるんじゃねぇ。そんくらい、ちゃんと分かってるからべつにいいんだ。いいんだ。……おい、それより次のギョーザ焼けたぞ。これで全部だから自分で取れよ。早いもん勝ちだからな」
その言葉が終わる前に速攻で箸をのばした芹香と、ふたを開けた瞬間に自分の分を取りに行っている景に、慌てて箸を持ち直した羽柴が悲鳴をあげた。
「お前らどっちも容赦無さすぎだろ! 今の話の流れで何でギョーザ争奪戦が始まるんだよ!!」
芹香が「食卓は戦場です」と答え、景が「自分の肉は自分で確保しろ」と当たり前のように言う。
しかしスピードが違い過ぎて圧倒的に量が偏ったので、さすがに哀れに思ったのか、二人とも二つずつ羽柴にめぐんでくれる。
二人とも先ほど一つずつ持って行っているので、実質的に恵まれたのは一つずつなのだが。
彼らはついでに、ありがたいお言葉までくれる。
「羽柴は動くの遅いな。そんなんであっちの戦場行ったら、マスター守る前に自分が死ぬぞ」
「召喚獣は死んでもマスターの魔力あればすぐ復活させてもらえるけど、あんまり魔力使わせると、マスターが疲れて動けなくなっちゃうからね。できるだけ被ダメは低く抑えとかないと。さすがにこれくらいは羽柴でも知ってると思うけど」
二人の召喚される先が修羅過ぎて、比較的安全な国で治癒系召喚獣をやっている羽柴にはついて行けない。
ただ、そんなところにマスターが生まれなくて良かったなぁ、と彼は素直に思った。
「あー、うん。気を付ける」
向こうで死んでもマスターの魔力さえあれば復活可能、ということすら知らなかったのだが、言うとまた“ありがたいお言葉”が返ってくるような気がしたので、余計なことは口にせず頷いておく。
そしてギョーザを口に運び、やれやれ、と思いながらもぐもぐと食べていると、ふと。
「なあ。このギョーザ、なんかパサパサしてないか……?」
「なんだ、今頃気付いたのか。俺なんか最初から気付いてたぞ。たぶん挽き肉をフライパンで炒めた時、焼きすぎて肉汁飛んだせいでパサパサしてるんだ」
「理由まで判明済みなのかよ! いやちょっと待てよ、じゃあなんで焼いたし?!」
「この作り方するの初めてだったんだから、しょうがないだろ。俺、最初に実験だって言ったぞ」
「いやいや、景くんよ。そういえばそれ聞いたような気もするけど、おれ、ギョーザ作るの自体が初めてだったんだけどさ。もうちょっと、確実に美味しくなる作り方じゃ、ダメだったのか?」
「ギョーザは作るより、冷凍のを買ってパッケージ通り調理した方が絶対に美味い」
「何だよその身もふたもない真理!」
箸を握りしめ、がくぅ、と崩れ落ちた羽柴は、そもそも自分があまりギョーザ作りに参加させてもらえていなかったことには気づいていないようである。
そして、ギョーザで口がいっぱいになっていた芹香が、ようやくそれを飲み込んでさらに話をそらしていく。
「景はいつもこうだよ。冷凍食品とか、パッケージに作り方の指示があるやつはその通りにするから美味しいけど、それ以外はたいていどっかで失敗する」
「ええぇぇ~……? 芹香、それ、分かってて止めないのか……?」
「前にふわふわホットケーキ作ろうとしてルンバの親戚みたいな真っ黒クロスケ錬成した時は、さすがに無理だったけど。食べられるものなら私が全部食べるから、大丈夫。問題ない」
「やべぇ頼もしすぎるわこの子……。……んっ? いやこれ芹香がそんなこと言ってるから景くん成長しないんじゃ」
「大丈夫だ、問題ない」
「いやそれ問題しかないやつっぽい」
うへぇ、という顔をした羽柴に景が言った。
「いいだろべつに、嫁が食えるっつってんだから。こいつ味覚あるかどうかも分かんねぇ生き物だし、栄養偏らなけりゃ問題ねぇって」
「お前さりげに芹香のことけなすよなぁ……、て、……んん? ヨメ? 今、嫁って言った?」
「言った」
景が頷き、芹香を指さして「嫁」と、もう一度言う。
芹香も芹香で景を指さし、「旦那」と言う。
「……?」
羽柴は真面目に理解できない顔になったが、それは当然のことだった。
召喚獣は基本的にマスター以外の存在を気にとめないので、彼はそういった関係を築くのは無理だろう、と思っていたのである。
ゆえに理解できない現状に、芹香が説明した。
「まあ、旦那と嫁って言っても、私らのは同盟的なやつだけどね。どっちかが戻って来られない時のこっちの体の世話と、死んだ時の後始末用の。私らの場合、一人暮らしだと召喚されてる間の衰弱死とか孤独死の確率、ハンパなく高いし」
「なにそれ生々しい。……あー、でも、わかる、気もする。おれ達に普通の結婚とか、元から無理だしな」
「そうそう。マスター以外の相手を好きにならないといけない、っていう時点で詰んでるからね。でも、親は気にするだろうからさ。じゃあ最初から同盟組むような感じで籍入れて一緒に暮らしとくか、って景と約束してる。さすがに三人で結婚すると重婚になって有罪だろうから、羽柴、私らの養子になっとく?」
はぁ? と羽柴は目を丸くしたが、景は乗り気で頷いた。
「いいかもしれないな、それ。そうしとけば、最後に残る一人になる確率が三分の一になる」
「でしょ? 羽柴なら長生きしそうだし、私と景のマスターって、どっちが先に死ぬかのチキンレースしてる並みに波乱万丈してるからさ」
うんうん、と頷き合う二人に、羽柴がため息をついた。
同級生の夫婦の養子になるなんて、それこそ彼の親が何というか頭が痛くなるような話だが、彼らはそこまで思い至ってないようである。
しかしそれを突っ込むのも疲れそうだったので、別のコメントをした。
「お前らのマスターって、あきらかに一般人じゃなさそうだなぁ」
その言葉に景の表情がパァッと輝く。
今日一番の笑顔、というか、初めて見るレベルの満面の笑みに羽柴がちょっと引くが、景はまるで気にせず身を乗り出した。
「なんだ、羽柴、俺のマスターの生い立ちが聞きたいのか? しょうがねぇな。長くなるからこれでも食ってろ」
羽柴の皿へ無造作にぽいとギョーザが放り込まれ、あーあ、と可哀想なものを見る顔になった芹香が言う。
「景のマスター話って、一回始まると終わらないからねー。羽柴、相手よろしく」
「えっ」
「私ご飯おかわりしてくる~」
「あれだけ食べてまだ食うの?!」
「おい羽柴」
空のご飯茶碗を持って芹香が立ち上がり、驚き顔の羽柴は景に捕まる。
「そんなことより俺のマスターの話だ」
どこにいようと誰といようと、今日も召喚獣はマスターを愛してやまない。